tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

就職内定率上昇、よかったですね

2021年11月19日 22時47分02秒 | 労働
日本独特の統計に「就職内定率」というのがあります。
大学卒については民間企業にリクルートが毎年、翌年の卒業者について毎月発表しています発表しています。こんな統計を取っているのは多分日本ぐらいでしょう。

日本では、企業は先ず良い人を採ろうというので、来年卒業する学生を、卒業前から試験や面接をして「採用内定」を出します。
学生は来年4月から行く会社が決まりますから、学生生活の最後を安心して過ごせます。

大変結構だと思うのですが,安倍政権肝いりの「働き方改革」では、仕事の経験もない即戦力にならない学生を纏めて採用するなどは無駄だと考えているようです。

しかし、日本の大学や企業の考え方からすれば、人生で授業料を払って勉強する時期から、社会のために働いて給料をもらう時期という大転換の時期ですから、その移行期をスムーズにすることは非常に大事だと考えるわけです。

人間一人前になったら、社会のために働いて、社会の役に立っているという証拠が給料だという事でしょう。

欧米では若年層の失業率は平均失業率の2倍ぐらい高いのが一般的で、それだけ、「授業料支払」から「給料の受け取り」への転換期で躓いているということになります。

欧米では、新卒一括採用はありません。職務給(ジョブ型賃金)が一般的ですから、仕事ができる即戦力でないと就職ができません。

日本では無垢の素材(人材)を採用して、企業が、仕事や社会人としての生き方を、新入社員教育を皮切りに教え込んでいくという社会人教育と職票教育を引き受けてくれているのです。

なぜ日本の企業はそこまでやるのかといいますと、日本企業は基本が人間集団で、企業というのは人間が集まって協力してやるもの、つまり人間中心だと考えているからです。

欧米企業は、基本的に職務が中心の組織で、それぞれの職務に、それができる人がついて稼働する、つまり人間は職務遂行のために必要という職務中心主義です。

こうした違いは、日本と欧米の伝統文化の違いからきていることです。日本のように企業は人間の集まりという文化の中では日本型の採用システムが合理的です。いい人を集めたいという事で新卒一括採用が一般的なのです。

その日本で、「働き方改革」が推奨するように、企業が新卒一括採用をしなくなるとどんなことが起きるでしょうか。

新卒の時点で、企業という人間集団に参加出来なかった人が増えるでしょう。、社会に役立つ仕事が働きながら身につくという企業の教育訓練システムかラ疎外され、無技能でもできる単純業務を転々とするのが社会人のスタートになる可能性が高くなるでしょう。

若年層失業が欧米並みに増えるでしょうし、企業内教育のシステムに乗れない、職業能力の蓄積の出来ない人が増えるでしょう。

日本でも、偶々就職氷河期に卒業した人の中にはそうした不運に見舞われた人が出てしましました。昨今「80・50問題」などと言われるケースがそうです。

もう舶来崇拝の時代はとうに過ぎているはずですが、日本の伝統文化、それに根差す日本の企業文化といった人の心につながる問題の十分な理解もなく政策を考えるような事の無いようにお願いしたいものです。

ジョブ型、終身雇用型、日本企業の雇用は?

2021年07月29日 21時21分34秒 | 労働
ジョブ型雇用についての議論が活発になると、これから就職しようとする学生、企業で専門領域を担当して活躍する人たちの中で、自分はどういう道を選んだらいいのかと考える人たちも増えてくるのではないでしょうか。
 
まず、ジョブ型雇用という場合には、企業は即戦力を求めているという事がはっきりしているわけですから、今の日本の場合、例え大学卒であろうと、大学院卒であろうと、企業の特定の職場で、すぐに仕事ができるという人材は多分ほとんどいないでしょうから、就職第一歩は、これまでと同様、就活のプロセスを経ての採用になるのでしょう。
 
もちろん、面接などで、何を勉強して来たかなどは聞かれるでしょうが、企業の採用担当者は、どちらかというとそれよりも、わが社に就職して上手く馴染んでくれるかとったところを見るのが一般的です。
 
従って、新入職員研修を終えてどんな部署に配属になるかは、会社の判断によって決められることになるのでしょう。
まだ当分の間、ここまでは多分従来の雇用慣習とあまり変わらないケーが殆どということになるのでしょう。
 
ただ一部には大学の研究室や、大学発ベンチャーなどで経験を積むことで、その仕事の専門家として採用される人もいるかもしれません。ジョブ型雇用に適した採用ということになるのでしょう。
 
従来、企業は将来専門分野につけたい人でもローテーションで種々の仕事を経験させる育成方式を取ってきましたが、今後は、早期に専門分野に配置することも多くなるでしょう。ただし正社員採用で社内昇進してきた人材であれば、ジョブ型雇用にする必要を感じない企業も多いのではないでしょうか。
 
特に、一専多能の従業員として育ってきていれば、管理者教育をしたうえで、専門部門の管理職、更には役員への道が用意されているというのが日本の企業では一般的なキャリヤーコースになっているからです。
 
こうした日本企業の雇用・人事制度を見てきますと、ジョブ型雇用という形の採用は、ごく限られた特殊技能の、しかもスカウト採用の人材に限られてくるような気がします。
従来なら、年俸制の契約社員といった人達でしょうか。
 
定期採用で、社内育成型の人達で、ジョブ型雇用に転換したい、同期生より能力が優れて高いから、より高い給与水準を望むといった人材などの場合、引き抜きを防ぐためにもジョブ型に切り替え、高給を支給という企業側の選択の場合もあると思われますが、処遇の方法はいろいろあるので、本人の希望が最優先でしょう。
 
ジョブ型処遇・雇用を、人件費の節約のために導入というのは、恐らく長期的には上手くいかない人事政策ということになるようです。
ジョブ型にした方が、安定的に企業業績が上がり、従業員も企業も共に生活の安定、企業の成長に貢献するのでなければ導入の意味はありません。
 
日本企業の採用が、新卒一括採用というという方式を残す限り、ジョブ型雇用、処遇は、当面、人事政策上の刺激のための味付けとしての役割ということになるのではないでしょうか。

ジョブ型人事:カタカナに騙されるな

2021年07月26日 15時52分05秒 | 労働
このところ、いろいろなメディアの中で「ジョブ型人事」についての解説などを見ます。
 
中にはジョブ型が本来の人事の在り方で、今後は日本もジョブ型になっていくといったジョブ型一辺倒のものから、どちらかというとより多いのは、「ジョブ型」と「メンバーシップ型」とを対比して、メリット、デメリットを一覧表にしたりしているものです。
 
そして、ジョブ型とメンバーシップ型のハイブリッドがいいという意見も、かなりあるように思われます。
 
ここで、ジョブ型というのは基本的に『まず職務があって、それに合う人間をつける』という考え方、つまり欧米型の人事制度で、メンバーシップ型というのは『いい人を採用していい仕事をしてもらう』つまり従来の日本型の人事制度ということになります。
 
この議論は、戦後も随分やられました。欧米の企業を見てきた経営者の一部が、矢張り職務給方式(ジョブ型)が合理的と考えたからです。
 
そして、数十年たって、結局は今の制度に落ち着いたのですが、今またこの論争が起きているわけです。
 
そこで、今なぜこの論争が起きたかです。
欧米と日本の人事制度の違いは、もともとは、それぞれの社会の在り方の違いによるものですから、その点から考えますと、1つは、日本の社会の在り方が変わってきたということがあるのでしょう。
 
社会が変わってきたというのは、日本人のものの考え方や社会的行動が伝統的な日本的なものから少しづつ変わってきたこと、そしてそれが、技術革新による仕事(ジョブ)の形、やり方の変化と複合して、(それにこの所のコロナの影響もあり)いままでどうりの日本型(メンバーシップ型)の見直しを求める状況が出てきたという事でしょう。
 
カタカナ語を使うと何か新しい事のような感じをうけますが、人間の考えることは2千年、3千年前と大して変わらないので、言葉に騙されずにことの本質を考えてみれば、「いかにすれば、人間はやる気を出して良い仕事をするように努力するか」というのが人事管理の基本命題なのです。
 
このブログでは働き方改革の問題も含めて人事、賃金管理の問題は繰り返し取り上げていますが、アクセスの多いテーマの一つが、≪「一専多能従業員」の育成:日本的経営の得意技≫です。
 
専門分野の仕事(ジョブ)で確りした知識技能を持つことに加えて、関連する種々の分野でも相応の知識技能を持っている従業員という事ですが、海外でそんな話をすると「それなら直ちに雇うよ」といった返事が返ってきます。
 
ジョブ型の従業員は、一人で仕事をする場合には最適でしょう、しかし現場作業でも、前工程、後工程のことがある程度分かっていれば、効率が大分違うでしょう。
事務部門でも、関連部門の仕事と自分の仕事との関係が解っていれば、トラブルはあまり起きないようです。
 
リモートワークでは、仕事を確り限定しないと上手くいきませんから仕事はジョブ型になります。アセンブリーメーカーにあたるのは管理職です。
リモートで出来た仕事(部品)を組み立てて齟齬が無いようにするのは管理職です。管理職の能力が問われるわけです。
 
コロナが終わった時、今のリモートワークがどこまで残るか、これもジョブ型を考える場合の多分参考になるでしょう。
 
ジョブ型の問題については、折に触れてまた論じることが多いかと思いますが、長くなりますので、今回は、ここまでにします。

若者に農業指向? 農林業人口構成を見ると

2021年04月13日 19時46分28秒 | 労働
若者に農業指向? 農林業人口構成を見ると
 テレビ最近の若者には農業指向の人達がいるといった話をしているのを聞きました。
 
 聞いてみれば、そういえばそういう事もあるんだろうな、などと感じられるような気がします。高度成長期の若者があこがれた、東京でのサラリーマン生活、本当にそれが若者の一般的な理想でよかったのかな、と感じる人も多いのではないでしょうか
 
 ネットを使えば、どこにいても同じ仕事が可能になり、会社もリモートワークを奨励する世の中です。それも多分コロナ禍の中だけという事ではなく。コロナ後も一般的なものとして残るという見方も多いようです。

 海浜、高原、田園、どこでも同じような「知的」生活が出来、田舎の住環境は、都会よりずっと優れている、生活費も大分安い、何で都会がいいのという人もいる・・・。

 また一方では、職業についての日本人の意識は変わってきたようで。大昔の「士農工商」ではありませんが、均質的な概念としてのサラリーマンより、専門の腕を持ったプロフェッショナルの方がよほど魅力的と考える人は多いでしょう。

 植木等の「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」から、職人魂、プロ魂の方がよほどカッコいい、と思う子供も若者も少なくないでしょう。

 もう一つ、日本食が文化遺産になりましたが、日本の食べ物は、どんどん美味になり、テレビでもシェフ、料理のプロは大人気、そして、その食材探しも興味津々、果物だけでなく、野菜にもブランド物がいっぱいで、農業は昔とは全く違ったイメージの産業・職業になっています。

 一方で、年々減る日本の農業人口、有り余る農地・耕作放棄地、時代遅れの農地法・農振法、上がらない食糧自給率。これは何とかしなければと考える若者がいても当然でしょう。

 そんなことを考えながら、総務省の「労働力調査」(失業率で有名な統計)で農業人口の動きを見てみました。

    農林業関係の労働力の推移(単位万人)
>
       (総務省:労働力調査)

 就業者の部では自営業主と家族従業者の数が解ります。雇用者の部では雇用者の数が解ります。
 まず、青い柱の自営業主の数はほぼ一貫して減少です。当然、赤い柱の家族従業者の数も減少です。これは、従来型の家族経営での農家の姿でしょう。

 それに引き換え、緑の柱の雇用者の数は、2010年代半ばから漸増です。これは企業型の農業の経営者と従業員の数です。増えているのが若者ばかりか年齢構成は解りませんが、ご覧のように、農業の労働力構成も変わってきているという事でしょう。

 この辺りに、古い土地制度(農地法、農振法)のもとで、なかなか変われない日本の農業も少しづつ変化してきている事が窺えるような気がします。

 2020年の緑色の柱の減少は、コロナの影響もあると思われますが、これから数年後、このグラフがどうなって行くのか興味のあるところです。



 

それでも欧米型雇用ですか?「働き方改革」を斬る

2021年04月09日 13時30分10秒 | 労働
それでも欧米型雇用ですか?「働き方改革」を斬る
 安倍政権以来、送付の推し進めている「働き方改革」は、人間中心の日本型雇用は効率が悪いから、仕事中心の欧米型雇用システムに切り替えていこうというものだという事は、すでに多くの方々がご承知のことと思います。
 なぜ自民党政権が、そうした選択をするのか解りませんが、まだ舶来崇拝の名残りが日本の保守派の中にも残っているのでしょうか。

 ところでこんな数字が、日本労働研究兼修機構(JILPT)から出されています。
 新型コロナがアメリカと日本の雇用(失業)にどんな影響を与えているかで、JILPTの資料はアジアは日本と韓国、欧米はアメリカイギリスフランスなど6か国ですが、ここでは特徴的な日米の数字を比較してみたいと思います。

  <新型コロナによる失業率への影響>
日本:昨年1月の失業率2.4%、今年2月の失業率2.9% ピークの失業率3.1%
米国:昨年2月の失業率3.5%、今年2月の失業率6.2% ピークの失業率14.8%
    (資料:JILPT)
 
 アメリカのピークの14.8%は、日本のマスコミでも紹介されていましたが、職務中心の雇用システムの国では、仕事がなけれが雇用がないのが原則ですから、失業率は大きく動きます。
 多分、日本でも、職務中心の雇用システムになっていきますと、(今の日本では)「非正規」といわれている雇用が一般的になり、 アメリカ型の雇用と解雇のやりかたが一般的になっていくのでしょう。     

 もともと日本では、従業員を安易に解雇する事は企業にとって大変望ましくない事でしたが、近ごろは、仕事がなければ解雇するというのが許されるような雰囲気も、何となく出てきたようです。

 確かに企業にとっては,その方が便利かもしれません。企業にとって便利なことは、企業の効率を上げ、結局は経済活動全体が効率化されるというように考えるのが、欧米流の雇用システムです。

 ですから、採用も仕事があって人がいないときに行われるわけで、1年中必要な時に行われ、新卒一括採用などはありません。日本の非正規の採用と基本的に同じです。これが欧米諸国の 若年層の失業率 の高さの主因です。

 ところで、アメリカ型の雇用システムが、本当に企業の効率化に役立つのでしょうか。実はこれが問題の本質なのです。
 確かに短期的には、アメリカ型の方がより合理的なのかも知れません。しかし、人間は機械と違って、いろいろ考えるのです。

 機械ならスィッチを入れればいつも同じように動きます。人間はそうではありません。やる気がないと能率は落ちます。日本型雇用というのは、雇用の安定を重視するのが特徴で、企業が雇用の安定を重視していることが従業員に理解されることが、やる気の根源にあるという認識にたっています。(これは多分日本人らしい性善説に立つ考え方でしょう)

 考えてみると、欧米流の職務中心の雇用システムは理論的かもしれませんが、短期的な視点に立つもので、日本流の人間中心の雇用システムは、経験的なものに起因し、長期的な視点に立つものということが出来るのかもしれません。

 世の中、政治も経済も、よろず短期的な視点が多くなって来ているようですが、近視眼になるとリスクも多い事は事実でしょう。
 日本の企業としては、こうした視点をどう組み合わせるのか、どう選択するのか、政府の「働き方改革」のそれはそれとして、今後とも、よくよく「長い目で」で見て考えていく必要があるのではないでしょうか。

 








エッセンシャルワーカーの賃金問題

2021年03月29日 14時37分14秒 | 労働
エッセンシャルワーカーの賃金問題
 エッセンシャルワーカーという言葉を最近よく耳にします。
 エッセンシャルというのは「基本的に必須」という意味でしょうか。説明では、社会が正常に機能して行くために必須なインフラに関わる仕事がエッセンシャルワークで、それを担当する人たちがエッセンシャルワーカーということになっているようです。

 その意味では、エッセンシャルワーカーの範囲は大変広いのですが、いま特に問題になっているのは、コロナ禍のせいもあり、医師、看護師、保健師、介護関係者などについてです。
 確かに、危険で、重労働で、人手不足なので休みもなかなか取れずしかも賃金は安いといったことが問題になっているのです。

 確かにこうした仕事は対個人サービスが基本で、人間どうしの1対1のサービスが中心なので、生産性が上がりにくい分野です。
 賃金理論では、賃金は生産性の成果(付加価値)の配分ですから生産性が上がらなければ賃金も上がらないという事になります。

 しかし、対個人サービスという仕事は、いかに科学技術が発達しても、必ず社会に必要なものとして残る仕事で、無くなることはないでしょう。
 という事で、こういう仕事の賃金を、どう決めたらいいのかという問題は常に起こりうるのです。

 しかも、こうした仕事は、多くの場合、肉体労働を伴う事が多く、頭を使いのと同時に身体で覚えるといった部分が多いのです。
 一方、伝統的な賃金理論の感覚でいえば、肉体労働は、頭脳労働よりも賃金が低いといった通念が一般的なのではないでしょうか。
 
 もしエッセンシャルワーカーの賃金の低さに、その一因として、こうした通念があるとすれば、これは、これからの経済社会の骨組みの重要な一部をなす賃金システムについて、エッセンシャルワーカーの仕事の価値(=賃金)をより高いものとして基本的な見直しをして行かなければならないのではないかと思うのです。

 というのは、実業によって経済が発展してきた経済が成長する時代の通念を、金融工学をベースに、マネー経済学が急速に発展する現在、同じように持ち続けることはどうも妥当ではないように思われるからです。

 皆様ご存知のように、アメリカの投資銀行などの花形のトレーダーが巨大な報酬を得て当然と思われているようですが、トレーダー養成を目指す場合は初任給を引き上げようといった動きもあるようです。

 投資銀行というのは、本来、起業や企業発展のために資金を用意し、産業企業を育て、そこで生み出された付加価値の中から投資収益を得ようという仕事でしたが、今は、証券、債券、そのデリバティブなどへの投資を通じて、マネーゲームとして「キャピタルゲイン」を得ることが大きな仕事になっているようです。

 この点につては、「 金融業と付加価値」で指摘していますが、キャピタルゲインというのは元来、付加価値を生み出すものではなく、他人の作った付加価値をマネーゲームによって自分の懐に入れることなのです。
 一時は頭脳労働の先端を行くともみられた金融工学ですが、それを駆使して他人の富を自分のものにするような頭脳労働が高賃金職種の筆頭になるような賃金システムは、結果的に経済・社会に衰亡をもたらすものでしょう。

 随分以前に「 金融資本主義の行方 」で古い寓話を取り上げたところですが、話を元に戻して、頭脳と同時に体で覚える部分を多く担わなければならないエッセンシャルワーカーの賃金水準の問題を考えるとき、頭脳労働にもいろいろあるという事を、頭の隅にきっちり入れておかなければならない問題のように思っています。
 
 

自社型賃金決定に回帰する不況下の春闘

2021年03月18日 20時45分53秒 | 労働
自社型賃金決定に回帰する不況下の春闘

 今日は、春闘のいわゆる集中回答日でした。
 結果を見れば、各社の回答はバラバラで結局はその産業・企業の業績を反映したものになりました。
 先行企業がある程度の水準を獲得し、後続の企業がそれを目指すという春闘のパターンは昔の話という事になるようです。

 昔も、「先行疲れ」などという言葉もあって、先行企業の労組として役割を果たすおは結構疲れるので、先行になりたくないといった事もあったようですが、当時なら当然先行企業の役割を果たしたトヨタでさえ、先行企業、パターンセッターという意識は持っていないでしょう。

 トヨタの回答は9200円、一時金も年間6ヶ月の満額回答ですが、一時金は昨年の6.5か月より低く9200円の中身も定昇・ベアの区分は示していません。

 確かに労働サイドとしては、賃上げは高い方いいという意見はあるでしょうが、先の見えないコロナ不況のような環境の中では、労使双方にとって企業防衛は必須で、賃金より雇用優先というのはいつの世でも変わらない現実なのです。
 その意味では、逆境の中では結局自社型賃金決定にならざるを得ません。日航や全日空がどんなに頑張っても賃上げは無理というのが産業不況期の企業の現実なのです。

 必要な事はわが社を、賃上げが労使の積極的な合意で出来るようにするためには何が必要か、労使で徹底的に話し合う事でしょう。現状では、コロナの克服の早い事が最も重要でしょう。しかし、世界的にそれが出来なければならない産業も少なくありません。現状、政府の政策はそれには殆ど成功も貢献もしていません。これも賃上げに、もともと不況の長期化という意味で、深刻な影を落としています。

 労使は、GDP(付加価値)の生産の担い手として、そうした点についても十分に議論し、政治に反映させる力も義務も権利も持っているはずです。加えて、産業における多様な新機軸イノベーションは企業の(労使協力で達成する)専門分野であり、同時に、賃金原資を生み出す原動力でもありましょう。
 端的に言って、コロナワクチンの開発などはその分野の喫緊な問題でしょう。遅れに遅れる政府の対策の尻を叩くのは企業労使でなければなりません。

 大げさなことを言うようですが、政府が国民に本当のことを岩に様なことになった今日、春闘は、単なる賃金決定用の行事ではなく、賃金という国民経済と家計を繋ぐこの重要な「リンク」を中心に置くことで、日本経済・社会、それを統括するべき政治について、 積極的に発言 するための議論を重ね、社会と政府に提言する役割を担っているのではないでしょうか。

 春闘を賃金決定に矮小化するよりも、日本経済に役立つような年に一度の「労使の研究学習集会」に大きく育てることが必要な世の中になているような気がします。

世界の有給利用状況とコロナの影響

2021年02月24日 23時01分21秒 | 労働
世界の有給利用状況とコロナの影響
 「日本人は働き者だから有給休暇があるのに、それを使い残している。欧米では有給休暇の日数も多いし、みんな100%消化するのが当たり前」といった話を聞かれたサラリーマンの方は多いと思います。

 「多分そうだろうな」と私も考えていました。そして、これについては大きく2つの見方があって、1つは、日本人らしく、それは日本人の勤勉さによるもので日本文化の反映だからと肯定する意見、もう一つは、呉れたものを使わないのは異常、だから以前から『ウサギ小屋に住む働き中毒』などと批判される、といったものでしょう。

 ところで統計的には日本には「労働条件総合調査」が有給取得率の統計をだしていますが、外国では全部取って当たり前だからそんな統計はないと聞いて、私もそうかなと思っていました。
 恐らくほとんどの専門家の方々もそう思っておられるでしょう。

 ところが、案に相違して、民間の調査ですが、国際比較の調査があることを、日経(産業)新聞で知ることになりました。

 確かに外国の正式な統計では有給取得率はないようですが、アメリカのオンライン旅行会社エクスペディアの日本社「エクスペディア・ジャパン」ではこの所毎年、有給休暇についての調査をしているのです。

 2020年につての16か国・地域の調査が発表されて、日経が紹介したのを拝見し、「え!こんな調査があったの」という感じでした。

 勿論民間企業の調査で、2020年は16か国・地域(2019年は19か国・地域)の9200人の調査ですから国の統計調査のような性格なものではないにしても、有給休暇制度のある企業の従業員についてはほぼこんな所ですという、それなりに納得性のある数字だと思います。

 調査結果を一覧表ににしますと、下のようです。

16国・地域の有給休暇関連指標

     エクスペディア・ジャパンの調査による

 確かにヨーロッパ主要国については、従来の常識とほぼ同じですが、びっくりしたのはアメリカです、有給の付与日数が10日(法律は勤続年数により10~20日、多分新しい会社で勤続が短い)で半分しか消化していないというのは、アメリカを代表する数字とはいえませんが、そういう従業員、一般的に存在することは事実でしょう。

 図では青が付与日数、茶が例年の取得日数、緑が2020年の取得日数で、今回のデータ発表に目玉は、コロナの影響で有給所得率が下がった(台湾を除く全域で所得日数が下がった)という実体と理由の説明でした。

 休暇を取らなかった最大の理由は全体に共通で、「①コロナのせいで旅行に行けなかった」ということ、次が「②緊急時のためにとっておく」、「③はカネがない」、だそうです。

 日本の場合はこれが、①緊急時のためにとっておく、②仕事の都合で取れない、③コロナのせいで旅行に行けなかった、という順番です。

 2番目の「仕事の都合」というのは日本の特徴のようです。

 調査結果で感じられるのは、
   ・有給付与日数は日本は結構多い
   ・100%消化しない国も結構ある
   ・有給は旅行に使うが世界の常識(日本人は家でのんびり?)
といったところでしょうか。

 いずれにしても滅多に見られなかった海外の有給事情を覗く窓があったことが分かったので、早速紹介した次第です

春闘を機会に、政労使の緊密な連携を

2021年01月27日 10時09分03秒 | 労働
春闘を機会に、政労使の緊密な連携を
 マスコミによれば、昨日が2021春闘のキックオフという事ですが、このコロナ禍の条件下で、労使が為すべきことは、例年の春闘とは、だいぶ違ったものになるのでしょう。

 労働側の連合は、一応、定期昇給プラスベアという形の賃金要求は基本方針としては掲げるという事ですが、片方で、現場では、賃金よりも雇用という意見は強いでしょう。リーダー格のトヨタ労連はそれぞれの単組の自主判断尊重という姿勢のようです。

 経営サイドの経団連は、(賃金上昇というモメンタムは維持しながら)一律に賃上げを考えるのは難しいという立場で、基本的には各企業の自主判断に任せるという事でしょうが、コロナ禍がそれぞれの産業・企業に与える影響は、様々ですからそれは当然でしょう。

 一方で、賃金や、雇用の問題に大変熱心なのは政府で、本来使用者負担を原資とする雇用調整補正金に政府も予算を割こうというのでしょうか(その辺の説明はありませんが)、賃金の補填割合を100%にしたり、申請しやすいように支援したり(選挙を意識してでしょうか)大変な気の遣い様です。

 これまでの戦後の日本経済の中でも、不況は何度も繰り返しています、最大の試練は二度にわたる以オイルショックでした。
 そして、そうした折には、労使がいろいろな形で協力し、賃金が大事か、雇用が大事かを論じたり、多くの場合、雇用重視という面では労使一致し、ワークシェアリングの検討や、在籍出向などで、従業員の貸し借り(今回も、自動車産業始まっていますが)、失業なき労働移動が望ましいという立場から産業雇用安定センターの設立など、多様な努力をしてきています。

 そうして歴史を見れば、今回のコロナ不況下においても、政府と労使の緊密な連携の下で、非常事態の中の緊急避難という側面、更には、近い将来くるであろうコロナ後の産業、企業、雇用の在り方などを、十分に論じて、短期だけでなく中長期も見据えつつ、政策制度と産業・労働の現場のすり合わせをし、今後の道を探ることが極めて大切だと考えるところです。

 端的に言って、今、政府は、補正予算でも、コロナ対策と、産業活動の二兎を追っているようですが、現場を担う労使がどう考えているか、先ずコロナ制圧、そして産業活動という選択肢はないのか、こうした問題も、政府と労使の緊密な話し合いがあって初めて、ベストの解が選択できるのではないでしょうか。

 かつて、春闘は、年に一度の労使の大学習集会といわれていました。政府が些か頼りない現在、労使はコロナ克服についても積極的に協力し、産業活動の現場から強力に発言・行動し、政府とともに、より良いコロナ後に向けての協調行動をとるべく努力するときではないでしょうか。
 

ベーシックインカムの応用問題

2021年01月06日 22時57分43秒 | 労働
ベーシックインカムの応用問題
 ベーシックインカムについては 過去にも一度取り上げました。確かに社会保障制度の充実を考えれば、有効な選択肢の一つではないかと思われます。

 全世界を見回せば、実験的に導入した国や地方自治体などはありますが、未だに恒常的な制度として長期に亘って導入している例はないようです。

 本来の趣旨は、すべての国民に安定した健康的な生活を保障するという社会保障の目的からすれば、税収の一定部分を割いて、全国民一律、あるいは一定の条件を満たす場合に、一律に健康な生活を営むための最も基礎的な部分について一定額を給付するというのは、1つの理想形かもしれえません。

しかし現実の場では、そうして理念の実現のために、ベーシックインカム制度ではなく、生活保護制度や、最低賃金制度などの方が一般的に普及しているというのが現状でしょう。

 理由はいろいろあると思いましが、ベーシックインカムの水準をどうするか、いかなる支給条件が適切なのか、全国民一律というのは納得性があるのかなどといった種々の問題があるのでしょう。

 そんなことを考えていたのですが、実は、今度のコロナ禍のような、特別の条件の中で、一定期間(コロナ終息まで)ベーシックインカムの考え方を導入するというのは、もしかしたら適切なイデアではないかという感を強くしたところです。

 端的な例を1つ上げてみれば、今回のコロナ禍の中で、当面の事業継続に問題を生ずる例はかなりあるようです。勿論コロナが収まれば、事業再開は可能なのでしょうが、コロナの中では事業継続は不可能というケースも多く、従業員の雇用継続は不可能という事になる例も多数でしょう。

 TVのルポなどにもありますが、会社の寮に入り、安定した生活が出来ている人が、突如として会社の縮小あるいは閉鎖、休業といった事態によって、解雇となった場合、収入と住居を一挙に失うことになります。頼れる所があればいいのですが、そうしたところがない、あるいはあっても諸種の事情で頼る訳にもいかず、いきなり路上生活者、あるいはその予備軍(失業保険期間中)になるといったことが現実に起きているようです。

 当然最低賃金制度は役に立ちませんし、生活保護はというと、多くの人は、社会生活の敗者のような印象をもっていて、親戚や知人の手前、申請に二の足を踏む場合が多いようです。しかもコロナさえ過ぎれば何とかなるという思いもあり、この一時的な苦境をいかに生き抜くかが現在・現実の問題といった状況という事でしょう。

 こうした場合に、適切な申請条件を定めて、例えば月額15万円とか、生活保護並みの20万円とかというベーシックインカムを給付するという事で、路上生活者への転落を防止することが可能ではないでしょうか。

 今、コロナの中で、本当に必要な人たちのところに政府の手が届いていないという声が多く聞かれます。社会事業者や、労働組合などの炊き出しに並ぶ人の多くはこんな手で救えるのではないでしょうか。

 政府はすでに、国民1人当たり10万円、(総額13兆円?)の支給をしていますが、本当に必要な人に適切な給付という事であれば、より少額の原資で、より効率的な本当に必要な人達への援助になるのではないでしょうか。

 以上勿論数字や方法論についても詰めたものではありません、しかし、コロナ禍のような異常事態の場合、より少ない原資で、より効率的な国民への援助を考えた場合、ベーシックインカムという方法論の活用を考えてみるのも何らかの役に立つかと思い敢えて書いてみました。

ワーケーション:けじめ無き生活のすすめ?

2020年08月05日 16時58分59秒 | 労働
ワーケーション:けじめ無き生活のすすめ?
 ワーケーションというコトバが出来たようで、びっくりを通りこして呆れています。
 アメリカで生まれた言葉などという説明もありますが、大体この種の「和製カタカナ英語」はアメリカ人やイギリス人に聞いても「知らない」というのが普通ですので、GoToトラベルの続きだと思っています。

 和製カタカナの英語の話は別として、ワークとバケーションをくっつければ何かいいことが出来るなどと誰が考えたのか知りませんが、菅官房長官は、「これが大変いいことだ」と力説する始末で、本当に仕事をキッチリしてる人の言う事かと訝ってしまうほどです。

 休暇というのは、もともと、仕事を一生懸命やって、それだけでは人生としては偏りが酷い状態になってしまい、肉体的にも精神的にも、バランスのとれた健全なものにならないので、休暇という時間を確保して、仕事以外のこと(休息も含め)をすることによって、人間として精神的にも、肉体的にもバランスの取れた人生を過ごせるようにしようというものでしょう。

 仕事が複雑で高度なものになるほど精神的なストレスも大きくなり、気分転換レクリエーションといったものが必要になります。

 昔は藪入りと正月だけが休みでしたが、文明開化とともに週休制が導入され、それも週休2日制になり、それでもメンタルヘルス問題、「うつ」といった精神的変調が起きやすいような世の中です。

 日本人の夏休みはせいぜいい1週間か10日で短いですが、1~2か月という国もあるようで、そういう場合には、仕事と、仕事以外をキッチリ分けるのが精神的に健全さを保つために重要だと言われていることは、学問的にも、経験的にも、誰もが良く解っているはずです。

 ここまで、世の中が進化しているのに、何を間違えたか、休暇の中でも仕事をしようというのでしょうか「ワーケーションが素晴らしい」などという事を、政府の中枢が言い出すという事は、如何にパソコンやスマホが発達したからといって、国民の人間的な生活の健全な在り方を考える立場にある政府としては、一体何を考えているのか理解に苦しむところです。

 大体、「働き方改革」もそうですが、「働かせ方改革」なら別として、「働き方」などというものはそれぞれの人がそれぞれに「自分で」考えるべきものでしょう。

 労働基準法で、「最低基準」を決めることは政府の役割かも知れませんが、人間が仕事をするのに、「人間よりも仕事(職務)が基準であるべき」などという所からおかしくなっているのですが、いまの政府は本当にやるべきことはおざなりで、余計なことにばかり口を出すのが仕事と思っているようです。

 幸い、日本の場合国民は賢明ですから、いま「ワーケーション」などで話題になっているのは、「東京に住まなくても、環境の良いリゾート地に住んでもコミュニケーション機器・技術の発達で仕事がいくらでもできますよ、そんな生活は如何ですか?」などというキャンペーンに使っているようです。

 和声カタカナ英語は、勝手に解釈できますから、そんな解釈で、うまい具合に政府発言をいなして、巧く対応していますから、その辺は民間に任せて、この先、余計なガイドラインなどを暇に任せて作らないようにお願いしたいものです。

就職氷河期世代の支援に思う

2020年07月20日 17時27分18秒 | 労働
就職氷河期世代の支援に思う
 新型コロナのニュースに隠れてしまっているきらいはありますが、政府が就職氷河期の世代の支援に2億3000万円の支出を決めたというニュースがありました。

 就職氷河期そのものが、ここ数年求人倍率の高止まりの中で忘れられかけていたかもしれませんが、この問題は、今後の日本の雇用政策を考えるうえでも、十分認識しておかなければならない問題のように思います。

 就職氷河期とは、1992~3年から始まり2004~5年まで続いた 学卒就職希望者の受難の時期で、リーマンショックで再発、2013年まで続いています。

 事の起こりは1985年のプラザ合意にさかのぼります。ニューヨークのプラザホテルで開かれたG5で、当時世界に誇る国際競争力を持っていた日本は円高を要求され、気軽にOKしました。
 結果、$1=¥240が2年後には$1=¥120になり、平成長期円高不況の原因を作ったのです。

 バブル景気は1991年で終わり、92年から日本経済は暗転、長期不況を恐れた企業は新卒採用を急激に絞り、就職氷河期は始まりました。そしてリーマンショック(2008年)の直前3年ほど氷河期も解消かといわれましたが、リーマンショックで一層深刻となり、円安が実現し日本経済が正常化する2013年まで続きました。

 偶々この就職氷河期に卒業した方たちは正社員として就職できない場合が多く、社会人としての第一歩を安定雇用という形で踏み出せなかったという不運に見舞われたのです。

 こんなことが起きたのも、日本政府が安易に円高を承認したという経済外交政策上の大失敗のせいですが、就職氷河期世代というのは、まさにその失敗の犠牲者だったという事でしょう。

 2013~4年、円レートが$1=¥80から120円に戻って、就職氷河期は解消、有効求人倍率は上がり、新規学卒は売り手市場となりました。

しかし当時失業か非正規での就職だった方々のその後の苦難は続き、この所、80・50問題など種々社会問題も起きていました。
こうした、平成超円高不況の犠牲者とも言うべき就職氷河期世代への支援策が講じられるのは、遅きに失したとはいえ、大変大事なことといえましょう。

 余談になりますが、中国はアメリカから人民元切り上げを要求された時、はっきりと拒否しています。彼らは日本の失敗の経験に学んでいました。

 短期の不況は戦後の日本でも何度もありました、不況が短期であれば、企業は長期戦略の中で採用計画を立てますから、あまり問題は起きません。
 しかし、平成不況のような長期不況には、採用削減しか対策はありません。

 その意味では、不況があまりに長期化するような政策の失敗は、徹底して避けるような政策が、経済だけでなく、社会の安定のためにも必要なのでしょう。

 現在の新型コロナ問題は、一部に、採用削減の動きはあるものの、長期的視点を持つ企業は安定した採用計画を維持しようとしているようです。

 その意味では、新型コロナによる景気の落ち込みを、どうすれば最も短くすることが出来るかという問題を、政府は企業・労働組合とともに、よくよく相談して、禍根を残さないよう知恵を絞る必要があるように思う所です。

雇用調整助成金の意義と日本型雇用慣行

2020年04月28日 16時01分40秒 | 労働
雇用調整助成金の意義と日本型雇用慣行
 新型コロナウィルスの脅威による非常事態宣言、人と人の接触8割減目標の効果はどこまで効果を上げるでしょうか、連休明け以降の状態が待たれます。

 結果が良ければ、と期待しますが、問題は、効果継続には人の動きの制限が必須という状態は続くのだろうという点です。
 人の動きの制限は、当然に経済活動の停滞をもたらし、 雇用問題に直結します。

 そんな中で注目されているのが「雇用調整助成金」です。これは不況などで企業で人員の余剰が生じたとき、出来るだけ解雇を避けるために、雇用保険の時別会計から状況により従業員の給与の半分から3分の2を助成し、不況の中でも雇用の継続を可能にしようというシステムで、今回の新型コロナ禍では給与の90%助成されるとのことです。

 かつては広く企業に知られたこの制度も、最近風化が著しく、経営者が簡単に全員解雇などという、かつての常識では考えられないことが起きたりしています。

 そんなことで、雇用調整助成金について、その成り立ちと財源、戦後の経営者の社会意識など振り返っておきたいと思っています。

 雇用調整助成金という制度の起こりは、昭和30年代、石炭から石油へのエネルギー転換が日本でも現実となり、日本のエネルギーを支える基幹産業だった石炭産業の労働者の職場がなくなるという大変な問題でした。労働側からは石炭産業の継続といった声もありましたが、経営側はエネルギー革命は日本経済の構造転換のためには必須、問題は、石炭労働者の雇用の安定確保と考えたようです。

 政府の心配と経営者の先見的思考から「雇用促進事業団」という労働省直轄の団体が創られ、炭鉱離職者の雇用安定、そのための再訓練、産炭地からの住居移転に伴う雇用促進住宅の建設といった巨大プジェクトが実施に移されたのです。

 その財源は、雇用の安定を重視した経営者側が、雇用保険の使用者側負担率のみ2倍に引き上げ、それによって賄うという事でスタートしたと記されています。
 (雇用保険の料率は労使折半で、現状でも労働側1,000分の4、経営者(使用者)側1000分の8(4+4)、うち4が特別会計で雇用調整助成金の原資になるのでしょう)

 その後、好況時には、使用者側の拠出金は余るので、東京中野駅前のサンプラザをはじめ、多くの大都市のサンプラザやスパウザ小田原のような保養施設が事業団の手で創られ、その運営に赤字を垂れ流しったようですが、不況になると、雇用調整助成金が活躍していることは明らかなようです。

 今では、建設した箱物は処分され、雇用保険特別会計は、雇用安定と、能力開発(従業員の教育訓練)の2事業に絞られ、現状では雇用調整助成金に大活躍しようという事のようです。

 こうした経緯から見えてくるのは、戦後、日本の経営者が、如何に雇用の安定を重要な課題として考えていたかという事です。

 このブログでも、この意識から不況の時は労働側だけでなく、経営側も「雇用が第一義」と明言し、主要国の中でも 断トツに低い失業率を記録し続けているという現実につながり、世界も驚く日本の社会の安定、国民の安定した行動にもつながっていると思う所です。

 それにつけても、 リーマンショック以降の日本の経営者の在り方、労使関係の希薄化は、政府の掲げる「働き方改革」(雇用の流動化(不安定化)優先の推進に伴って、かつての従業員を大事にし、雇用の安定を第一義に掲げる日本的経営を希薄化し、ひいては、日本の文化社会の長所を捨て去る危険性をはらむものとして最も危惧されるところです。

 政府がだめなら、日本人、就中、日本の労使が、改めて日本的な文化、社会、経営、雇用慣行などの重視を国民運動に持っていくといった努力が必要な時ではないかと思う所です。

新型コロナ禍と「働き方改革」

2020年04月22日 14時55分09秒 | 労働
新型コロナ禍と「働き方改革」
 新型コロナウィルスが世界で猛威を振るう中で、企業経営、雇用問題といった「働き方改革」に直結する面でも、いろいろな課題が見えてきています。

 安倍政権が熱心に推進している「働き方改革」についてもその中で推進しなければならない問題と、推進したら「とんだこと」になる問題があることが見えて来ました。

 推進しなければならないのは、日々の仕事のやり方についてITC の活用なども含め、多様な「働き方」の可能性を開発し、変化する客観情勢に合わせて、今回のような場合でも効率的な対応ができるような仕事・働き方のあり方でしょう。

 営業時間の短縮、それに応じた労働時間短縮、テレワーク、ネット会議、などなど、経営環境の変化があれば、多様な対応が必要でしょう。
 こうした「仕事の仕方」における多様な対応は、今回の経験で、機器やシステムの開発、それらを巧く使いこなす馴れやノーハウは平時でも役立つものではないでしょうか。

 逆に推進してはいけない側面は、雇用の流動化でしょう。
 端的な例を挙げれば、東京都内で従業員全員を解雇したタクシー会社がありました。社長は、仕事が減って、まともな給料は払えないから、失業保険をもらった方が得だろうなどと言っていたようですが、従業員は不安と不満で東京地裁で係争に入っています。

 もう1つの例は仙台のアイリスオーヤマです。社長は「コロナでも社員減らすな」(日経産業新聞見出し)と置いうことで「マスク生産」などに進出、「従業員を削減すれば、路頭に迷う人が出るばかりでなく、コロナ後の立ち上がりが遅れる。雇用調整助成金などを活用して雇用は維持すべきだ」とのことです。

 振り返れば、戦後の日本の多くの経営者は、不況時には会社ぐるみで活路を探し、工場の草取りでも、事務所の塀の修理でもして給料を払うといった形で「雇用維持」に努力するのが企業の一体感を育てる源泉だとの気概を持っていました(有名企業の社史などをご覧ください)。

 翻って今のアメリカを見れば、この間まで史上最低の失業率を誇っていたのですが、コロナ騒ぎの今2000万人を超える、史上最高の求職者が出ているとのことです。

「働き方改革」が目指す、雇用の流動化の推進、職務中心の(人間中心でない)雇用制度では「雇用の安定」、ひいては新型コロナの蔓延のような場合の「社会の安定」は望むべくもないという事ではないでしょうか。

 先に「 転んでもただでは起きるな」と書きましたが、新型コロナかという試練の中で、日本人、就中、日本の労使は、「雇用の安定」と「社会の安定」という最も重要な課題も含めて、より多くのことを学び、それを新たな知恵に変えて、コロナ禍の中でもコロナ後に備えることに思いを致すべきではないでしょうか。

新型コロナ禍と雇用問題への対応

2020年04月10日 22時47分14秒 | 労働
新型コロナ禍と雇用問題への対応
 新型コロナ禍が急激に実体経済に深刻な影響をお及ぼし始め、企業の雇用問題への対応が大変大事な問題になっています。

 アメリカほど酷くないにしても、既に職を失った方も多い事がマスコミで報道されておりますし、これは業種、企業、職種によって、深刻度が大きく違います。
 例えばいわゆるインバウンド関連業界、営業自粛を要請されている業界、各種のイベント関連などの業界などは、即座に大変です。

 勿論、製造業の機関業種でも、輸出、国内需要ともに落ち込みは明らかで、問題は、これがいつまで続くかが、ほとんど見通しの立たない状態だという事でしょう。
 
 そうした中でも、特に非正規従業員の方の受難が多い事は広く知られたところですが、最も深刻なのは家計を担う立場にありながら、非正規のゆえに職を失うといった場合でしょう。

 政府も地方自治体も、種々な形の現金給付などで、個別の家計、業績悪化の中小企業などへの支援の方針を打ち出しています。そうした中でも特に社会の安定のために必要な「雇用の維持・継続」を目指したものは「雇用調整助成金」でしょう。

 これは過日も書きましたように、企業が雇用保険の上乗せ分として拠出したもので、運用を政府に委託しているものです。
 不況で既定の賃金が払えないような状態になった時「雇用調整助成金」という事でその半分とか3分の2などの金額を助成するものですが、今回は最大9割まで助成することになったようです。

 この「雇用調整助成金」の目指すのもは、不況、経営不振といった現象は、いずれ一時的なものだから、その間何とか解雇せずに、雇用継続を援助して、雇用の安定を図るという、従業員という立場の継続安定、つまり雇用重視の姿勢を示すものと言えます。

 経営者が雇用安定を良しとして、拠出金を出すという事は、この制度を創設した当時、日本の経営者は、こうした基金を持つことによって、雇用の安定を図ることが日本の経済社会の安定にとって望ましいことと判断していたからでしょう。

 これは本来、 日本的経営の原点「長期的視点に立つ経営」「人間重視の経営」の二本柱に則ったものと言えましょう。

 しかし、その後は、平成の「長期円高不況」の中で、企業は賃金水準準が低く、解雇の容易な非正規従業員を増やさざるを得なくなりました。

 そして、残念ながら企業は2013~14年円レートが正常化し経済が正常化しても、従業員の雇用の安定より、コストの抑制、人件費の変動費化という安易な方向を選び、雇用の安定で社会の安定を支えようという理念(社会的責任感)を忘れたようです。

 これに対して政府も、「雇用の流動化」を促進しようという「働き方改革」などという方針を打ち出し、雇用の不安定化を欧米並みに促進しようという事に、今まさになって来ていたところです。

 そうした日本的経営の伝統無視の方向を選んだことへの「反省を強いる」かのように、新型コロナ禍が起きたのです。

 こうした事態に、最も柔軟ない対応できる雇用システムというのは、それぞれの雇用の現場、つまり企業で、労使が真剣に雇用の安定についての努力をし、経済経営状態と処遇水準をぎりぎり話し合い、出来るだけ「官に頼らない」努力をし、政府、自治体の負担を軽くする(つまりは国民負担を軽くする)という経済社会の在り方でしょう。

 かつて、「労使は社会安定帯」と誇りを持っていた日本の成熟した労使関係は今どこへ行ったのでしょうか。

 所詮政治家は雇用問題には素人です。労使を軸にしない雇用政策は、社会の安定にも、いつか来る経済の回復期の雇用の在り方にも効率的に貢献し、日本経済のスムーズな回復を支えられるかどうか、大変心配になるところです。