tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

付加価値と付加価値率

2013年09月27日 12時25分28秒 | 経営
付加価値と付加価値率
 付加価値の定義については、このブログでは「付加価値の正確な理解を」で説明しています。このtnlabo’s blogの中でも、最もアクセス数の多いページの1つです。
 そこでは、最終的に企業レベルの付加価値の定義として

 付加価値は「人件費+資本費」で、=「人件費+課税前利益(*)+金融費用+賃借料+租税公課」 です。これに減価償却費を加えれば粗付加価値になります。  
(*)利用目的によって経常利益でも可

と説明しています。

 理由は企業にとって、付加価値分析などをする場合、これが最も合理的で、役にたつという経験からのものです。
 しかし、企業統計の付加価値の定義が、統計ごとに違うように、理論的な正確性からいうと問題がないわけではありません。

 この定義では、人件費はこれでいいのですが、資本費の方は、当該企業の中に組織化されている資本にかかる費用ということになっていて、その中には他人から借りている資本の分も入ります。金融費用と賃借料がそれで、租税公課も公的機関が提供してくれている資本のコスト(費用)ということになります。

 そして厳密に言えば、金融費用、賃借料、租税公課は。金融機関、不動産会社の人件費を含み、市役所や県庁の人件費も含んでいます。

 ということになると、本当にわが社に属する人間と資本だけの場合の付加価値はと言いますと「人件費+課税前利益」(法人税引当後という考え方も可能です)ということになり、「付加価値は関わった生産要素に分配される」ということになると、厳密の付加価値は、この2つの要素費用(利益は自己資本の要素費用)になります。

 付加価値率は 「付加価値率=付加価値/売上高」ですから、労使(実は企業と従業員)で分配できるものと考えれば、「付加価値率=(人件費+課税前利益)/売上高」ということになります。

 ではなぜ上記5項目合計の付加価値や減価償却を加えた粗付加価値を使った付加価値率が使われるのかというと、付加価値分析をするときに便利だからという事でしょう。
 粗付加価値を使えば、減価償却率が変ったり、定額法を定率法に変えた時、その変化が付加価値率に反映されます。
 金融費用や賃借料を入れておけば、金利が下がったり、自己資本を充実して借金や不動産借り入れを減らせばその効果がどう労使の分配に反映出来るかが見て取れます。

 そうした意味で、目的によって、付加価値、付加価値率を使い分けることも重要になってきます。
 ただはっきりしていることは、本当に企業の労使が生み出した付加価値は、すべて、人件費と課税前利益に分けられているということで、労使への配分を増やせるかどうかという意味では 「付加価値率=(人件費+課税前利益)/売上高」を見るべきだということになり、同時にそれが一番簡単で分かりやすい「本物の付加価値、付加価値率」だということにもなるわけです。


付加価値率の把握と活用を

2013年09月25日 12時43分41秒 | 経営
付加価値率の把握と活用を
 望ましい経営の在り方として「高付加価値経営」という言葉は広く使われています。ところが、「付加価値とはなんですか」とか、「高付加価値かどうかは何で計ればいいのですか」というと、なかなかハッキリした答えが返って来ません。

 売上高と利益については、誰もよく解っていて、すぐに答えてもらえるのですが、残念ながら、付加価値についてはどうもそうはいかないのです。
 理由は多分、現行の簿記会計で、付加価値がうまく表せないからではないかといった気がします。

 このことを端的に示すのが、各種の統計調査で、調査項目の説明などの中で付加価値の定義を見ると、ほとんど同じものがないという事実です。
 世界ほぼ共通の統計で、昔から学者によく使われる「工業統計表」の付加価値は、基本的に「付加価値は製造業で作られる」という考え方で出来ていて、サービス産業で生まれる付加価値,荷造り運賃、交通通信費、広告宣伝費、などなどもみんな製造業の付加価値に入っています。

 その他、日本銀行、財務省、中小企業庁、三菱総研などの企業統計の付加価値の定義を較べて見て下さい。みんなバラバラです(財務省と三菱総研については実質的にかなり似ています)。要するに「近似計算」でしか表せないということなのです。

 ですから必然的に、種々のテキスト、教科書、解説書、インタネットに出ている説明などもバラバラです。「経済的付加価値」という言葉で、まったく違った概念を説明するビジネススクールもあったりします。
 高付加価値化が望ましいといっても、中身が確定しないのでどうにもなりません。

 ところが、マクロの経済学、国民経済計算になると、付加価値の定義は極めて正確、明確で、疑問の出るような余地は全くありません。国民経済レベルの付加価値であるGDP、国民所得の概念は国際的にも統一されています。
 個人はもちろん法人も、いわばGDP、国民所得(一国経済レベルの付加価値)を食べて生活しているのに、そのほとんどを生産している企業の段階になると付加価値の定義がまちまちというのは困ったことです。

 付加価値の重要性を出来るだけ広く理解していただくことを目標の1つに掲げて出発した tnlabo’s blog にすれば、これは大変残念なことですので、改めて、企業における付加価値の重要性、高付加価値化、それがどこまで達成されているかを示す「付加価値率」について、検討してみたいと思います。


ME化と雇用問題

2013年09月20日 11時09分42秒 | 労働
ME化と雇用問題 
 任天堂の第二の創業者というべきでしょうか、山内さんが亡くなりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 多くのマスコミには、任天堂の再生にrついてファミコン開発からしか書いてありませんが、その前に任天堂が出した累損一掃のヒット商品 Game and Watch の思い出を是非書いておきたいと思います。

 ゲームアンドウオッチの最初の作品は確か BALL で、1980年発売です。手のひらサイズの液晶ゲームで、名前通り時刻の表示がついています。単純なロボット人間が、左右の手で順番にお手玉のようにボールを上げては受けるのですが、ボールの軌道が3種類ぐらいあって、左右の手をそれに合わせて延ばしたり縮めたりしないとボールが床に落ちクラッシュです。

 ちょうどそのころ、労働経済の分野では「ME化と雇用」の問題が花盛りで、「企業(工場)のME化で大失業時代が来る」といった意見が多かった記憶があります。
 当時、よく顔を出していたOECDのLMP(labour management programn)でもこの問題を取り上げました。

 「任天堂さん、これはいいものを作ってくれました。」とわたくしは大喜びで、電気店に買いに行きました。ところが電気店では「ゲームアンドウオッチ」を知らないのです。たまたま知っている店員さんがいて「あ、あれはおもちゃですから、うちにはありません。玩具店に行ってみてください。多分あるでしょう。」という事でした。

 早速駅ビルのおもちゃ売り場で買って、OECDの会議に持って行きました。
 会議で私の言いたかったのは、「ME化で、工場などの省力化は進むでしょう。しかしMEは今後色々な産業分野を拓くでしょう。そこでは雇用が増えます。」ということで、「日本ではすでにこんなものを開発して売っています。雇用の喪失より、新たな雇用の創出を考えた方がいいのではないでしょうか。」
ということです。

 会議で隣に座っていたイギリス代表の大学の先生でコンサルタントをしているという男が、「僕の子供がきっと欲しがるだろうから、良かったら譲ってくれないか」というので「ご子息にプレゼント」と言ってあげてきました。

 「ME化と雇用」といった問題が、世界的に話題になった頃の、懐かしい想い出です。

 その後の任天堂さんの発展はすごかったですね。ゲームは買いましたが、任天堂さんの株を買っておくという才覚がなかったのが後から考えれば、残念です。

権力の誘惑?

2013年09月17日 14時50分05秒 | 国際政治
権力の誘惑?
 台風一過の晴天ですが、地球環境の変化のせいでしょうか、台風の爪痕はあまりにも大きかったようです。早期の復興を願うばかりです。

 ところで、シリア問題に当面アメリカが不介入となったことは、何はともあれよかったと思います。問題はシリア自身にあるのですが、アメリカが軍事介入すれば、恐らく傷口はより大きくなるでしょう。 国際紛争とはそういうものでしょう。

 もともとアメリカ国内でも、介入反対の声の方が大きかったようです。多分アメリカ国民は、アメリカの経済情勢の方により関心が大きく、出口戦略の見通しが立たないことも含めて、先ずは経済の安定が願望でしょう。

 サマーズさんのFRB議長辞退で、現状継続、ドル安、株価上昇という状況も、先ずは当面の経済安定という国民の願望を株価が代弁した表れのように感じられます。
 なのになぜ、オバマ大統領は、あれほど強気に「シリアを成敗しなければ!」といきり立ったのでしょうか。ゼスチャーとしての権幕であったことを願いますが、どうなのでしょうか。

 翻って日本を見れば、安倍総理の何やら居丈高な姿勢が大変気になるところです。
 アベノミクスの第1弾で、20円の円安になり、日本人も日本経済もほっとしたところですが、理由は「これで万年デフレから脱出できる、経済の先行きは明るくなる」という期待が取り戻せたという事でしょう。

 その一方で、中国、韓国との関係の微妙化、双方への経済的悪影響には多分に無神経と感じられるような態度が目立ちます。現実に貿易量も激減、経済上のマイナス効果は明らかです。
 加えて、集団的自衛権や、平和憲法に関わる問題で、国民の不安を掻き立てるような発言も目立ちます。

 これから新たな経済成長の時代に入ろうというアベノミクスと、こうした、内外に不安感を醸す外交戦略の動きは正反対のものでしょう。
 大多数の国民は、平和と経済成長、より良い生活への前進を望んでいるということは、安倍総理としても良く知っているはずです。
 世界の平和と親善、繁栄の象徴であるオリンピック招致活動の際のあの笑顔は、演技としての作りものではないはずです。

 オバマさんにしても、安倍さんにしても、権力を握ると、それを振りかざしてみたい誘惑に駆られるのでしょうか。一度力なく挫折した経験を持つ安倍さんにすれば、「今度は違う」と言いたい気持ちがあるのかもしれません。しかし権力の誘惑に駆られて「毛を吹いて疵を求める」様なことは、国民にとっても世界にとっても、安倍さん自身にとっても百害あって一利ないと思います。

 早期に、国民の気持ちを素直に汲む政治に立ち帰ってほしいものです。


日本は過去の行為についての反省が足りないのか

2013年09月16日 12時49分21秒 | 国際政治
日本は過去の行為についての反省が足りないのか
 中国、韓国が、日本の歴史認識について「反省が当たりない」と指摘しているという日本のマスコミの報道記事が沢山あります。
 それぞれの国に事情があり、日本のマスコミの一部に自虐的であることを良しとするような風潮があるなどとも言われますので、こんなことをいちいち書くのはあまり気が進まないのですが、「こんな見方、認識があってもいいのではないか」という気もしますので、書かせて頂きました。

 過去の反省の点については、ドイツとよく比較されます。メルケルさんがアウシュビッツの跡地に行ったといって評価し、日本の閣僚が靖国に行ったといって非難するといった形です。
 ドイツの場合は民族浄化といった行為でしたし、日本は、アジアを植民地支配から解放するためとの「名目」を建てた行為でしたから、意図が同じだとは思いませんが、やったことは暴虐や殺戮で、人間としての究極の悪行です。これはいずれの戦争にも共通ですが、まさに心からの反省が必要な事です。

 この行為に対して、日本は反省が足りないのでしょうか。
 見方はいろいろあると思います。しかし、ある意味では、日本の反省は、最も徹底した形で行われたとも言えるのではないかと思うのです。

 どんな立派な「名目」を掲げても、戦争になれば、人間は狂気になります。戦争の現場では「殺すか殺されるか」だからです。その場で、道徳的、理性的であることは至難でしょう。これは人間が人間である以上どうにもならないでしょう。

 このことに思いを致した日本、日本人は「ならば戦争をしなければいい」という物事の決定的な原点に立ち帰り、戦争放棄をうたった「平和憲法」を受け入れたのです。
 これ以上の反省はあるでしょうか。

 自分が戦争をする可能性を認めながら「過去を十分反省した」と言っても、戦争という狂気が繰り返され、自らが加害者になる可能性は消えません。

 この最も基本的な反省を忘れたのでしょうか。日本の一部には、再び戦争の可能性を認めそうな意見がちらほらと出たりします。
 これこそが、日本の心からの反省を忘れ去り、再び過ちを犯す可能性につながるものなのでしょう。

 「日本は、最も強く過去の過ちを反省している。その結果がどこの国にもない『平和憲法』である」と明確に言うべきでしょうし、そう言い続ける事が出来るためにも、日本は平和憲法を持つことに誇りを持ち、その意味を説明し続けるべきではないでしょうか。


改めて日本らしい雇用の在り方を考えよう

2013年09月13日 10時23分03秒 | 労働
改めて日本らしい雇用の在り方を考えよう
 全日空が客室乗務員の正社員化を進めています。こうした雇用の在り方の見直しは大いに評価され、促進されることを強く望みたいと思います。

 もともと非正規雇用を多用する今の雇用の在り方は、プラザ合意以降の異常な円高によるコスト上昇からの緊急避難として取られたものです。円レートが2倍に高まっても、何とか経営の継続と雇用の維持を模索した末の(人件費の安い)非正規雇用の導入でした。

 この効果は確かにあって、日本の失業率は世界標準のほぼ半分の5パーセント台で止まりました。しかし、必然的な副作用は大きく、若年層を中心に、格差問題が広がり、社会の不安定さも増すことになりました。
 日本には昔から「乏しきを憂えず、等しからざるを憂う」という諺があります。格差社会化の中で、メンタルヘルス問題も多く指摘され、異常な犯罪も増加、社会の劣化が進みました。

 この4月いわゆるアベノミクスで20円幅の円安が実現、ここにきて、2020年の東京オリンピック開催決定で、社会も、企業環境も次第に明るくなる様相が見えて来ています。
 円高さえ防げれば、ゼロ・マイナス成長は終焉、日本経済は経済成長を取り戻し、来年からは多分賃金上昇も現実となるでしょう。

 まともな円レートの下では、日本経済は国民の持ち前の真面目さとエネルギーレベルの高さで、世界に勝る成長をすることは当然に予想されます。
 その際、日本らしい新しい成長の時代を、日本らしい「人間重視の雇用の在り方」の上に構築することは、持続する成長実現のために必須だと考えます。

 確かに非正規雇用多用は、当面のコストを下げるでしょう。しかし10年、20年の長期で物を見た場合、短期の成果は長期の発展を阻害するでしょう。
 企業の間でも「即戦力」などという言葉が流行りました。しかし、元々即戦力などという人間は居ないのです。

 景気が悪ければ、有能でも職を失い人もいましょう。そういう人は即戦力でしょう。しかし、だれかが育てたからこその即戦力です。誰も人を育てずに「即戦力」だけを求めても、行き着く先は知れています。

 社会が人を育てるからこそ人材が増えるのです。社会(会社の場合も)が発展するどうかは、人材の厚さで決まります。
 日本は、まさに人を育てて発展してきたと思います。海外に出た日本企業も、その地で人材を育て、その国の発展の基盤づくりに貢献してきたといえましょう。

 こうした日本の伝統を、失われた20年の結果忘れ去るようなことはないと思いますが、日本企業の一部には、「人を育てる」より「即戦力」で短期的成果をといった気分がまだ抜けていない所があるように思われます。これは将来の日本を考えれば、大変恐ろしいことです。

 円レートの正常化で、「人間中心の経営」「長期的視点に立つ経営」という日本的経営の「原点」に立ち返るべき条件が整ってきています。
 来年にかけて、より多くの日本企業が、日本的経営の優れていることに覚醒し、改めてその「原点」である「人を育て、大事にする経営」に立ち返ることを切に願う所です。


途上国が通貨安を恐れるわけ

2013年09月10日 10時43分34秒 | 経済
途上国が通貨安を恐れるわけ
 日本では、アベノミクスで20円の円安になって、日本経済は元気になり、安倍さんの評価が上がったのですが、途上国では、アメリカの出口作戦の結果、投資資金が引揚げられて、自国通貨が安くなることを恐れる声が強いようです。
そのうえ、原油をはじめ、天然資源の国際価格が上がって、ダブルパンチでインフレが高進することを心配するからです。

 もともと、資源が不足すれば、ある程度の資源価格の高騰は経済の正常な現象ですが、それが投機資金の膨張と、経済のマネーゲーム化で価格の振幅が増幅され、正常な範囲を超える高騰になり、輸入国のインフレを大きく押し上げるといったことが現実に起こっています。加えて自国通貨安でインフレになると国民の不満が大きくなるというわけです。

 輸入依存度が大きければ大きいほど、資源価格上昇や自国通貨安による輸入インフレの幅は大きくなります。もともと自家製インフレの傾向が強い状態ですからインフレを恐れることになります。
 経済計算では、輸入インフレは、交易条件の変化で、輸入国の実質GDPが輸出国に移転するという現象ですから、輸入国としては対応策はありません。

 二度のオイルショックの時この議論は日本でも真剣にされたところですが、結局は、原油値上がりでGDPの一部を産油国に献上したのだから、その分国内が貧しくなることは不可避で、対抗策はない、ということになり、労働側も物価上昇分を賃上げで取り返すことを諦め、国民経済の負担は国民全体で甘受するという合意が出来ました。

 しかしこうした合意は、労使の相互理解や信頼が十分でない途上国では容易でなく、「物価上昇分は賃上げで補填せよ」ということになって、輸入インフレは国内インフレ(賃金コストプッシュインフレ)に転嫁され、インフレは昂進し労使関係は勿論、政治体制も不安定になり、政治、経済共に混乱という結果になることが世の常です。

 今、多くの途上国がそれを心配している様子が見受けられます。これもアメリカの超金融緩和、経済のマネーゲーム化、金融工学、といったアメリカが主導した近年の経済政策のあり方の負の側面でしょう。

 今日の日本でも、賃金が上がらず物価が上がるインフレは「悪いインフレ」だから、早く賃上げをしなければいけないなどという学者や政治家がいますが、オイルショックを知らないか、あるいは知っていても経験から何も学ばなかった人たちということになります。

 賃金は要素費用(生産要素に支払われる費用)ですから、生産が増えて(経済成長して)その分け前としての賃金が増加するのが経済の自然です。円安で物価が上がったら、円安を利用して経済成長をプラスにし、その結果賃金が上昇するという形でないと、それこそインフレを作り出すだけの「悪い賃金上昇」になってしまいます。

 アメリカの経済政策があちこちに迷惑をかけているわけですが、こういう時日本が、アメリカには反省を求め、途上国には最も適切な対応策を提案するといった、本当に世界経済の安定に役に立つような行動が出来れば素晴らしいと思います。


2020年のオリンピック・パラリンピック東京開催決定おめでとうございます

2013年09月08日 10時20分44秒 | 社会
2020年のオリンピック・パラリンピック東京開催決定おめでとうございます
 2020年のオリンピック・パラリンピックの開催都市ついて、東京が支持され選ばれたこと、誠におめでとうございます。
  選ばれた東京そして日本には、世界の平和と発展のために、人々の幸福と感激を増進し、より良い世界の実現の一助となるような スポーツの祭典にする責任ががあるように思います。

 もともと、古代オリンピックは、都市国家間の争いをやめ、スポーツで競い合うことを目指したものでした。近代オリンピックの父、クーベルタン男爵のオリンピック復活の理想も平和の祭典でした。
 その意味では、平和憲法を持つ日本の首都、東京が選ばれたことは重要な意味をもつと考えるべきではないでしょうか。

 開催決定を祝う日本人としても、真摯にこれを 良き機会と捉え 、再び戦争という狂気を繰り返すことなく、死の商人といわれる武器輸出などを再開することもなく、明日の世界のために、平和の理想を貫くことを改めて自覚する契機にしたいものです。

アメリカの出口作戦は結局上手くいかないのでは?

2013年09月07日 22時37分50秒 | 経済
アメリカの出口作戦は結局上手くいかないのでは?
 アメリカは超金融緩和からの出口を一生懸命模索しているようですが、以前から指摘していますように、これはなかなか巧く行かないのではないでしょうか。

 確かに超金融緩和政策で世界不況は回避されたかもしれません、しかしそこからの出口を探すということは、世界恐慌の代わりに、世界的な長期の不況をもたらすようなことになる可能性が強まっています。

 経済学も物理学と似たところがあって、深ければ短期に終わるが、浅くすれば長期になるというようなことで、どちらにしても、「深さ×長さ」、つまり不況の積分値はあまり変わらないといった現象もありうるのではないかという気がしています。

 それもアメリカだけなら一国の問題ですが、アメリカの超金融緩和で、出回ったお金は世界中に浸透し、その資金流入で、自力ではとてもできない思わざる好景気を経験しているところも出て来ているわけです。

 アメリカの金融引き締め(出口作戦)は、そうした国からの資金の引揚げにつながり、アメリカだけでなく、世界のいろいろな国に不況をもたらすことになるようです。そうした国々もアメリカの資金の引揚げには簡単には賛成するわけにはいかないでしょう。

 基軸通貨国の責任を果たせなくなったアメリカは、そんな形で、世界に迷惑をかけ続けることになることが懸念されます。

 本当の解決策(出口)を言ってしまえば、アメリカ経済が本当に力をつけて、赤字を解消し、黒字化して、その金で海外諸国を援助できるようになって、はじめて世界経済は安定し、世界に迷惑を掛けない出口に到達ということなのでしょうが、たとえ、シェールガス・オイルを目いっぱい活用しても、アメリカ経済の経常収支黒字化は容易ではないでしょう。

 政治的には、出口に到達したように言ったところで、好景気になればアメリカの赤字は膨張し、金融を引き締めればまた不況に戻り、改めて金融緩和政策を取れなければならなくなって、同じことの繰り返し、その都度深刻さは増すといったことになるような気がしてなりません。

 昔、「経済にタダの昼飯はない」という言葉が流行ったことがありましたが、矢張りこの方が経済の真理を言っているようで、どうにも心配の方が先に募るところです。
 ならば戦争にしてワヤにしようなどということではないでしょうが・・・・。


世界の安定と発展には多様性の尊重が必要では

2013年09月02日 20時37分08秒 | 国際経済
世界の安定と発展には多様性の尊重が必要では
 生物多様性の尊重という考え方は定着して来ていると思います。野生動物の絶滅危惧種なども指定され、レッドデータブックも良く目に触れます。
 他方で外来種が入ることを警戒する動きも強いですが、これも外来種の繁殖力が強く、本来の生物多様性が失われる恐れからという事しょう。

 なぜ生物多様性が重視されるのかと問えば、生物多様性が豊かに保持されているような状態が、人間にとっても良い環境だからという答えが返ってきます。
 日本人は、その国土づくりの中で、生物多様性を促進するような知恵を多く発揮してきました。典型的な例を挙げれば、「里山」でしょう。

 人間がこうした考え方を基本的に持っているとすれば、人間が地球上の各地で作り上げてきた「文化」についても、その多様性の保持が大切だという考え方があって当然でしょう。
 例えば日本では各地の伝統文化の継承が強く意識されていますし、標準語は標準語として、方言を大事にしましょうといった動きも盛んです。

 こうした動きを敷衍していけば、日本的経営といった分野についても、その良さを生かして経営活動のあり方の1つの分野として大事にしていくという考え方があって当然でしょう。

 アメリカには戦後日本が一生懸命勉強したアメリカの経営学があります。ドイツには労使共同決定をベースにしたドイツ経営学があります。
 アメリカ経営学を学んだ日本はそれを取り入れながら日本的経営を磨き、嘗ては世界に冠たる日本的経営を作り上げました。
 ILOやOECDが、経営参加問題を国際的な研究課題とした際も、法律によらず、労使の自主的な取り組みで実績を上げる人間主体の日本方式は注目の的でした。

 所が今、経済・経営の世界は、そうした多様性を消し去り、すべて同じスタンダードで、世界を一色に塗りつぶすような方向に動いているのではないでしょうか。
 TPPについても、例外なき均質化といった目標を掲げるアメリカの意向が強く反映されている様な印象を強く受けます。

 金融の世界はすでに「付加価値を創る金融活動」から「マネーの移動を経済活動の中心に置く金融活動」にそのスタンダードを置き換えているようですが、それがもたらしているのは、今日世界が当面する「世界経済の不安定化」に外なりません。

 生物多様性が、人間を含む生物の世界の安定を確保する最善の方法であるならば、人類の文化においても、経営や経済の手法についても、多様な文化やシステムの共存を認め、多様性の共存の中から、その切磋琢磨による新たな進歩を模索、実現することが、人類の安定的な生存と発展を実現するために役立つ基本的な思考方法、そして望ましい在り方になるのではないでしょうか。

 そのためにも、人類は等しく独善を排し、共通点と同時に相違点も認め合い、多様性を尊重して、寛容で、快適な共存を可能にするような考え方を一層重視しなければならないと、このところのお互いを否定し合って争う状況を見るにつけ思う所です。