tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

2009年末、経済ニュース2つ

2009年12月31日 11時21分42秒 | 経済
2009年末、経済ニュース2つ
 2009年も今日が大晦日、明日は新たな年を迎えます。
 リーマンショック、ドバイショックなど、アメリカのサブプライムローンから発した世界経済への大迷惑の余震が次々だった2009年経済を終えて、2010年は安定した年になることを願うのみです。

 ところで、年末にいたって、2つほど、流行の言葉で言えば、テイクノート(留意)すべきニュースがありました。
 1つは、中国が、人民元切り上げの圧力に対して、断固として応じないという意思を表明したことです。
 もう1つは、日本政府が、新しい日本経済成長の戦略を示したことです。

 中国について言えば、先進諸国は、中国のわがままだというでしょう。国際協調も考えずに、自国の都合だけで物事を判断するのは怪しからんというかもしれません。
 しかしそれだけが正しい判断でしょうか。かつて中国の経営者に直接聞いたことですが、「中国は日本の プラザ合意の失敗を確り勉強してますよ」「安易に切り上げに応じたら、中国経済の成長は達成できませんからね」ということでした。中国経済の失速は世界にマイナスでしょう。

 年末30日に閣議決定され発表された鳩山政権の経済成長戦略の基本方針は、2020年までに、つまり10年後には日本のGDPの規模を1.4倍にしようというもので、年率で名目3パーセント、実質2パーセントの成長を目指すものです。

 10年計画は、池田首相の所得倍増計画以来でしょうか。「坂の上の雲」がチラッと見えたのかもしれません。
 政府は具体的な計画を6月までに示すといい、マスコミは総じて、実現は難しいといった反応ですが、マスコミだって、経済の好転を望んでいるのでしょうから、素直に「頑張って実現して欲しい」ぐらい言ったらどうでしょうか。

 経済成長は、技術と資本と人間のやる気があれば、必ず可能になることです。
 日本には世界トップクラスの技術と、GDPの3年分に匹敵する資本蓄積があります。後は日本人のやる気だけです。
 これらの点については、新年になってから、改めて論じていきたいと思います。

 先ずは、鳩山政権が、国民に対して、今の日本にも、経済成長が十分に可能なことを理解して自信を持つような説明をし、改めて日本人が成長発展への意欲を取り戻すような、人心の変革と収攬に成功することを祈ります。

 では皆様、良いお年をお迎えください。

新たな「坂の上の雲」:脱化石燃料

2009年12月27日 11時22分38秒 | 経済
新たな「坂の上の雲」:脱化石燃料
 司馬遼太郎氏原作のTVドラマ「坂の上の雲」は人気のようですが、元気も覇気も失くしてしまった 今の日本人が、それをふんだんに持っていた先祖の時代を懐かしんでいるのでしょうか。

 「坂の上の雲」の3人の主人公は、陸軍と海軍と俳句に献身しました。しかし感動を与えるのは献身の対象ではなく、人が何かに献身しようとする志なのでしょう。献身の対象は、矢張り時代が与えてくれるものということになるようです。

 もし今の日本人が、当時の日本人のように「何かを成し遂げなえればならない」といった強い気概を持っていたならば、何に献身すべきなのでしょうか。

 勿論個々人によって献身の対象は多様でしょう。しかし今の地球人類の状況を考えてみれば、国として最優先すべきは、地球環境問題でしょう。 さいわい、日本はそのための技術面では世界のトップクラスです。
 
 鳩山総理がCO2の25パーセント削減という超意欲的な目標を打ち出し、環境問題では日本が世界のリーダシップを取れる地位に立てたのも、地球人類がそれをまさに必要としているからに他なりません。

 もし日本人に「坂の上の雲」の時代の先祖の「志」を懐かしむ気持ちがあるのなら、今、日本と日本人は、世界に向かって、例えば、「50年後、2060年、日本は脱化石燃料社会を目指す」ぐらいの旗印を掲げたらどうでしょうか。

 COP15ですら、あの状況ですから、広い世界、意見はいろいろあるでしょう。しかしそれはそれで良いのです。すべては日本がそれを実践して見せることによって解決するのです。日本の実績が世界各国にとって「坂の上の雲」になるのです。

 容易でないことは当然です。100パーセント達成は不可能かもしれません。しかしその目標への最短距離にいるのは日本ではないでしょうか。日本人の頭脳と生真面目さがそれを支えます。
 政府が主導し、日本人が本当に「その気」になった時、閉塞状態と思っていた日本経済も社会も、改めて活性化と成長の時代を迎えるでしょう。

 脱化石燃料社会になった時、エネルギー産業、交通など産業構造、われわれの家庭生活、さらには国際関係は、どんな姿になっているのか、その構想を描き、それに向かって多種多様な技術革新を積み重ねることになります。 「技術」と「技能」そして「資本力」を十分に兼ね備えた日本だからこそ、出来ることではないでしょうか。


坂の上の「雲」、舶来から国産の「雲」へ

2009年12月24日 10時09分06秒 | 経済
坂の上の「雲」、舶来から国産の「雲」へ
 「坂の上の雲」が描いた時代、多くの日本人はエネルギーに満ちていました。勿論、列強のアジア進出、そして日本はどうなるといった緊迫感があったのでしょう。
 しかしそれを受け身で眺めているのではなく、日本も列強に伍してやれる力を持とうと富国強兵に励んだのでした。

 有史以来、日本は島国です。刺激は多く海外から来ます。文字の伝来、仏教の伝来、陶磁器、織物、美術工芸・・・・・、日本列島、日本人に刺激を与え、その進歩を促したのは「海外からの文物」です。

 島国ですから「舶来崇拝」は致し方ないことですが、その後も、織田信長の舶来崇拝、その裏返しの徳川幕府の鎖国、鎖国しつつも取り入れた蘭学、解体新書、明治に至って富国強兵、植民政策、戦後のアメリカ経営学、マネー資本主義まで、日本人は貪欲に取り入れてきました。

 しかし、戦後の日本は、坂の上の「雲」を、舶来の雲から、次第に国産の「雲」に変えてきたというのも事実ではないでしょうか。

 戦後の「高度経済成長」は、領土や資源がなくても勤勉な働きと技術開発で、経済はいくらでも発展できることを世界で初めて実証しました。これはアジア諸国に大きな影響を与えたようです。
 オイルショックの時は、エネルギー使用量を減らしながらの経済成長が可能なことを示し、輸入インフレを国内インフレに転嫁しない経済行動を実践 してみせました。プラザ合意では、為替レートを2倍に切り上げられても 経済破綻せず生き残って見せました。
 これらはすべて諸外国では考えられなかったことといえるでしょう。

 ところで、IT技術の発達した今日、もう島国といった地理的条件は意味を持たなくなりました。舶来尊重もなくなるでしょう。ただ、良いものは良いというだけです。

 つまり、日本は、進んでいる外国の姿を見て驚嘆し、目標として見上げた、その目指すべき「雲」を、今は、「自分の頭で選び、創り」「自分の力で成し遂げる」ことが出来るような国になっている、ということではないでしょうか。そしてそれが、今度は外国の目標、「雲」になるのです。

 「島国根性」を脱却し、今後の世界経済社会のために重要な刺激を提供して恩返しのできる国として役割を果たす、日本自身が外国のために「坂の上の雲」たり得るような、積極的な活動をすべき時期が来ていると考えれば、日本人にも新たなエネルギーが湧くでしょう。

 さて、何が今後の世界のために必要な「坂の上の雲」になりうるのでしょうか。


消費者物価「マイナスは許容しない-日銀-」の意味

2009年12月19日 14時51分13秒 | 経済
消費者物価「マイナスは許容しない-日銀-」の意味
 日本銀行は18日の金融政策決定会合で、中長期的な物価安定の目安について「政策委員会としてゼロ%以下のマイナスの値は許容していない」と述べたとの報道がありました。
 日銀が本格的にデフレを回避したいという意思表示をしたものとして、歓迎されるべきものでしょう。

 報道では単に「物価」となっているようですが、これは当然「消費者物価指数」のことでしょう。以前から日銀は、消費者物価を対前年で0~2パーセント程度といっています。企業物価指数では、国民生活に直接関係ありません。

 付属する解説では、今回の表現は、従来の「0~2パーセント程度の範囲内」と違って、「2パーセント以下のプラスの領域」という表現で、マイナス、つまりデフレは認めないことをはっきりさせているという事になっています。

 さらに、この表現は、金融緩和についての姿勢を一層明確にし、市場金利の低下を後押しすることによって、日銀としての景気対策の姿勢を確りと示す意図も読み取れることを目指すものということのようです。

 確かに一国の中央銀行が、こうした決意を示すことは、国民にも、また海外にも、日本の金融当局の金融政策のあり方を明示し、適切な理解をしてもらうということで大変重要な意味を持つでしょう。菅副総理も歓迎の意思を表明したようです。

 ただ、問題は、今日の為替レートが、$1=¥90がらみで、中長期的には、更なるドル安の見方も強いという客観情勢です。

 日本経済が比較的安定感を持っていた2年ほど前の円レート「$1=¥110~120」に比べ、今は$1=¥90ということで、2~3割円高になっています。つまり、ドルで測った日本の物価とコストが、その間に一律2~3割高くなったということで、今日本の企業はその対応に必死で努力 している最中です。物価は下がらざるを得ないでしょう。

 もし現状で円レートが$1=¥110~120になれば、デフレは止まり、企業はほっと一息つき、求人も賃上げも 動き始めるでしょうが、今回の日銀の声明が、こうした為替レートと物価の関係も視野に入れた、「日銀の円レートについての意思表示」も含むものであれば、世界(特に国際投機筋など)はどう反応するでしょうか、さて、日銀の意図はどうなのでしょうか。


10万円消費拡大運動:国民のやるケインズ政策

2009年12月16日 21時22分33秒 | 経済
10万円消費拡大運動:国民のやるケインズ政策
 国民自身がやるケインズ政策のほうが、政府に頼んでやるケインズ政策より今の日本には適しているといったことを「何故内需拡大が必要か 」で書きました。

 最近の政府部内のやり取りで、補正を1兆円増やすか1千億円にするかといった論議がありましたし、来年度の国債発行を44兆円以内「程度」にするなどといった論議が行われていますが、税収落ち込みのひどさを考えれば、政府予算の規模拡大は容易なことではないでしょう。

 この際政府は、「国民から金を借りて使うのには限度がある」と国民にはっきりと訴えて、その上で、「誰かが金を使わなければ景気はよくならないのですから、お金を持っている方は是非、政府に代わって使ってください。」と正直に頼んだらどうでしょうか。

 政府はいろいろなことを国民に頼んでいます。ゴミは分別しましょう、献血をしましょう、規制改革をしましょう、労働時間を短縮しましょう、有給休暇を取りましょう、自主防災を活性化しましょう、飲酒運転はやめましょう、・・・・・。日本人は真面目ですから多くの人は努力して協力します。

 それなら国民にもう1つ、大変大事なことをお願いしたらどうでしょうか。「来年は日本経済は大変な年ですが、政府にはカネがありません。これ以上皆さんから借金も出来ません。もし宜しければ、国民1人当たり平均で、年間10万円ほど政府に代わって使って下さい。」
「勿論無理にとはいいません。でも可能な方はそれ以上の支出をお願いします。目標は1人平均10万円、国民全体で12兆円の消費増加です。」
 真面目な日本人は、かなりの人が、「何とか協力しましょう。」というのではないでしょうか。

 国民の消費が12兆円(10万円×1億2000万人)増えると、500兆円のGDPが2.4パーセント増える(経済成長する)ことになります。波及効果を入れるともっと大きくなる可能性もあります。
 経済成長が2.4パーセント追加されれば、その分、雇用増や賃上げにも回すことが出来、日本経済が前向きの回転を始めるきっかけになります。

 国民のやるケインズ政策、政府に金を貸して政府が遣うのではなく、国民が直接遣うのです。12兆円は、国民の個人貯蓄1400兆円の1パーセント以下です。膨大な貯蓄のほんの一部をおろして使えばいいのです。2パーセントおろして使ったら、日本経済は大変な活性化になるでしょう。
 こんなことが出来るか出来ないかを考えるのも、「社会経済学 」の役割でしょうか。


貯蓄は美徳か

2009年12月12日 12時39分52秒 | 経済
貯蓄は美徳か
 物理学では「慣性の法則」を勉強しますが、慣性の法則は物理学だけでなく、随分いろいろなところで応用が可能だと思います。
 
 「今日は寒くて嫌だな」などと思いながらゴルフに出かけても、始まれば結構その気になって、最後まで頑張ってしまうし、帰りに一杯ということになって、「早く帰ろう」と思いながら、飲み始めると結構遅くまで・・・・・。

 日本人の貯蓄についての考え方も、かなり慣性の法則に祟られているようです。
 「貯金をおろしてでも使った方が今の日本経済のためにはいいのですよ」といったら、大抵は「貯金は将来のためにしているのだから、今使ってしまっては意味がないじゃないですか。」と反論されてしまいます。
  じゃ、いつ使うのですかと聞きますと、「本当に困ったとき」となります。実は今、日本経済は深刻な消費不足で一番困っているのです。個人的にはいろいろでしょうが、日本経済としては今が貯金を使うべき時なのです。
 
 日本人には「貯蓄は美徳」という考えがかなり染み付いています。以前は日銀が貯蓄増強中央委員会を組織して、国民に貯蓄を奨励しました。第二次大戦中には政府は国民に勤倹貯蓄を奨励しました。

 戦争中の貯蓄は軍艦や飛行機や弾丸になって海の藻屑と消えました。貯蓄は、国債も弾丸切手(ご存じない方のほうが多いでしょう)も無駄になったのです。「貯蓄は美徳」は、戦費調達に利用されただけでした。

 戦後の貯蓄は、日本の経済復興の資金となり、日本の経済成長を支えました。戦後の日本は、資金不足で、東海道新幹線の建設資金も世界銀行から借りたぐらいです。東海道新幹線など当時のインフラ整備は大きく日本の経済社会を前進させ、借金もすぐに返して戦後の経済成長に貢献しました。そういうときこそ貯蓄は美徳なのでしょう。
 
 その頃の成功体験があって、今でも公共投資が経済発展に役立つと思っている関係者も多いようですが、同じ事を繰り返しても、経済学の「収穫逓減の法則」で、投資は無駄が多くなります。やるなら全く新しい分野でしょう(省エネ、新エネルギー、蓄電などなど)。

 つまり貯蓄が美徳(社会のために役立つ)かどうかは、それがどう活用されるかにかかっているのです。銀行に預けているのだから、国債を買っているのだから「銀行や国がきちんと使ってくれているはずだ。」と思いたいのですが、必ずしもそうでないことも、解ってしまっています。
 
 今は民主主義で情報公開の世の中ですから、政府の無駄遣いや、アメリカ国債のドル安による目減り、サブプライムローンによる金融機関の巨額損失など、折角の貯蓄の無駄遣いの問題が多すぎることがみんなに知れ渡っています。

 今、日本の貯蓄は、あまり「生きた使い方」をされていません。メタボの体脂肪のようなことになって、日本経済の健康に害を為しています。
貯蓄は美徳という慣性の法則による思い込みも、再検討の要があるようです。


「社会経済学」のすすめ

2009年12月09日 10時51分06秒 | 経済
「社会経済学」のすすめ
 金融政策はゼロ金利で行き止まり、財政政策は国債発行論議でデッドロック。政府手持ちの経済政策は「財政政策」と「金融政策」の2つだけで、100年来進歩がありません。

 その結果何が起こっているかというと、世界には、中国やインドのように10パーセント近い成長をする国とそれを横目で見て羨ましがりながら「ゼロ成長」に呻吟する国があって、国民も何とかしたいと思っているに関わらず、なんとも仕様がないというのが現在の状況です。
 
 これはまさに経済学の貧困 、経済学者の怠惰ということではないでしょうか。
 しかし、一概に、経済学や経済学者を責めるわけにもいかないと思います。経済学というものが、極めて狭い専門領域になって、経済学の教科書には、「金融政策」と「財政政策」しか書いてなくて、最近はそれにいわゆる「マネー経済学」が付け加わったぐらいです。

 経済学自体がそういうものですから、それをいくら学んでも、すべての発想はその中から出てくるのですから、新しいことが出てこないのも致し方ないことかもしれません。

 日本の経験から見ても、今の世界経済の現状を見ても、経済が活発に活動するかどうかは、その社会がどういう社会 であるかによって大きく違っていることは明らかです。停滞する先進国も、かつては高成長時代を経験しています。

 「成熟経済だからしょうがないよ」というのも一理あります。たしかに人間なら成熟すればもう育ちません、後は老化するだけです。しかし社会は違います。50年後、100年後の社会は今よりずっと進んでいるでしょう。 という事は、今の社会はまだ発展途上だということです。
 いずれ発展するのだけれども、今は(くたびれたから)休んでいる、という事でしょうか。

 休んでいても仕方がない、少し動こうか(働こうか)、という気なれば、そのとき経済活動も活性化するでしょう。社会の雰囲気が変わって、経済活動の状態も変わることになるのです。
 これは経済学ではなくて、「社会学」でしょう。先進国の人々の心を「もっと進んだ社会があるはずだ、もう一歩先に進もう」という気持ちにさせるための学問であり政策論です。
 
 たとえて言えば、「坂の上の雲」をTVで見るだけではなく、国民に今の社会であの頃の元気さを取り戻してもらうことでしょう。そうした国民の雰囲気作りができれば、日本経済も再活性化することでしょう。

 そのためには「坂の上の雲」がなければなりません。坂の上の雲の姿・形を国民に見せるのが、政府の「頭を使った経済政策」、社会のあり方をベースにして経済の活動のあり方を変える「社会経済学」、もっとはっきりいえば、「政治のリーダーシップ」そのものではないでしょうか。


経済対策への期待、どこまで?

2009年12月07日 23時06分26秒 | 経済
経済対策への期待、どこまで?
 急激な円高阻止に動いた日本政府は、口先介入だけでなく、本当に日本経済の活性化のための政策を打たなければなりません。
 勿論それだけではなくて、リーマンショックからの不況を何とか乗り越えるための経済政策が、本来必要であることを政府は十分承知しているはずです。

 ということで、補正予算の積み増しということになるのでしょうが、7兆円か8兆円か、1兆円は補正で出すのか来年度予算にするのかとった論議になるようですが、金額を増やせば国債増発につながるのかどうかといった問題が当然発生します。

 昔なら、ちびちびでなく、一挙大量投入で景気浮揚といった論議も可能だったのかもしれませんが、財政支出が要らないものばかり作って、如何に国費を無駄に使っていたかを国民が知ってしまった今、「公共工事を増やして景気浮揚」といったことでは国民は納得しないでしょう。

 財政政策というのは、金を持っている民間(特に高齢者)が将来不安などで金を使わないから「政府が民間から金を借りて、代わりに使って経済を元気にしよう」ということです。
 ところが政府が借金だらけになってしまいました。 今、政府が考えなければならないのは、政府はもう国民に金を借りずに、「金を持っている人が金を使ってください」と国民に頼む「 民主導、国民自身がやるケインズ政策」でしょう。
 
 それでも国民が金を使わないというのなら、「それなら代わりに政府が金を使いますから金を貸してください(国債を買ってください)。但し多分返済が出来なくなるでしょうから、そのときは増税をして返すことをご承知ください。」くらいの具体的な説明をすると良いと思います。
 
最近、民間に金を使ってもらおうという傾向は、政策の中にも出ています。エコポイントやエコカー減税+補助金、ソーラーパネル補助金などです。政府が少し金を出せば、民間がその何倍もの金を使うという方法です。今後はエコ住宅にも同様の制度が考えられているようです。

 消費過剰のアメリカは行き詰まりましたが、消費過小の日本も行き詰まりつつあります。矢張り経済はバランスで、「稼いで」「使う」という循環が バランスよく回ってはじめて発展するのです。

 政府は、思い切って「政府に金を貸していただいても、あまり効果的な使い方が出来ません。よろしければ、そのお金をご自分で好きなように遣って頂けませんか。そうすると、国債発行も不要で、効率よく、景気もずっとよくなるのですが・・・・・」と国民に問いかけてみたらどうでしょうか。


円高ストップ、介入の効果

2009年12月03日 12時15分45秒 | 経済
円高ストップ、介入の効果
 異常に急激な円高の様相が一応収まりそうで、日本経済も差し当たって小康状態でしょうか、ご同慶のいたりです。

 新政権も、円高の恐ろしさを実感したようです。 閣僚の不用意の発言などは厳に慎むべきでしょう。結果的には、特に、政権トップの中でも、株をたくさんお持ちの方が、円高、株安の連鎖に敏感に反応されたということではないでしょうか。

 ことほど左様に、(現状を見れば)その国の政府や中央銀行が、どこまで本気で問題に対応しようとしているかで、為替相場は動くようです。マネーマーケットが実体経済に比べて巨大になりすぎているために、短期の為替市場は投機筋の思惑に左右される度合いがどんどん大きくなっているのでしょう。

 そんなことで、今回の介入姿勢(いまだ口先介入の域を出ていませんが)の程度でも、かなりの効果を示した、という風に感じられます。
今回の為替相場の動きが、投機的な思惑よりも、実体経済の動きに根ざしているものという説明をしようとしても、かなり難しいような気がするのはわたしだけではないでしょう。

 逆に、思惑による為替の動きは、すでに述べてきましたように、日本経済の実体に甚大な影響 を与えるのです。
日本経済の運営には、金融財政だけでなく、より多様な視点が必要なようです。例えば、円レートが$1=¥120ぐらいになれば、デフレは多分解消し、日本経済は急速に元気を取り戻すでしょう。

 ところで、口先介入の影響力の持続性には、多分それなりの限度があるでしょう。対策が巧く打てなければまた投機資本は円高を試すでしょうし、最終的には、国際投機筋が、「日本は言ったことはやるな!」と感じれば、今後の口先介入はさらに威力を増すでしょう。

 今後の課題は、実体経済を活性化するための具体的な方法です。需要不足で自分のクビを自分で締めるような日本の消費・投資の構造が、どうすれば変わるか、「補正予算増額、国債増発」という従来型回答が正解でないことは多くの人が感じています。ここはひとつ、知恵の絞りどころでしょう。