tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

シジュウカラ来訪

2016年03月31日 09時26分24秒 | 環境
シジュウカラ来訪
              
 庭の豊後梅の木に乗せた鳥の巣箱の出入り口を、スズメ・サイズからシジュウカラ・サイズに変更してから、時にシジュウカラが下見に来ていましたが、昨日から本格的に来訪するようになりました。

 ツガイできて、片方が「すっ」と中に入り、大分時間をかけて新居の住み心地を点検しているのでしょうか、なかなか出てきません。
 デジカメを望遠にして、モニター画面を見ながら出てくるのを待っていると長いですが、実際は30秒かせいぜい1分ぐらいでしょう。白と黒のツートーンの顔が見え、すぐに出てきて2羽揃って飛び立っていきます。

 今朝も家内が「シジュウカラ、来てますよ」というので見ていると、そろそろ巣作りをする気になったのでしょうか。何か嘴にくわえて持ち込んでいるようです。
 これは期待が持てそうだと、今年はきちんと観察をしていこうと思っています。

 我が家では狭い庭でも一隅に生ごみを埋める場所を作っていたり、炊飯器を洗うときのご飯粒をまいたりしますので、ムクドリやヒヨドリ、スズメなどが来ますが、だいたい来るとまず巣箱のある豊後梅の枝にとまります。

 シジュウカラは小さいので、大きな相手は苦手なのでしょうか、何もいない時を狙って来るようです。

 面白いことに、昨年まで、まず興味を示していた スズメが巣箱の近くには全く来ていません。入口のサイズ変更は、明らかに効果があったのですが、スズメが一度入ろうとして「こりゃ駄目だ」と諦めたのか、一見しただけで、これは入れないなと理解したのか解りませんが、昔お世話になった雀にはいささか申し訳ないと思いながら、ご飯粒だけはやっています。

 今年はシジュウカラが頑張ってくれそうなので、出来るだけまめに観察して、雛が巣立つまで、折に触れてこのブログでご報告できればと思っています。

どんな経済政策が可能か? コンセンサス社会の作法

2016年03月30日 11時29分26秒 | 経済
どんな経済政策が可能か? コンセンサス社会の作法
 前回、コンセンサスがないと日本の社会は動かないと書きました。逆に、コンセンサスがあれば、ほかの国ではできないようなことが日本ではできるのです。
 その明白な例は、1970年代、2回に亘ったオイルショックへの対応です。この点はすでにこのブログでも しっかり説明してきましたのでそちらをお読みいただくとして・・・。

 ところで、いま日本経済の最大の問題点は、消費需要の不足、つまり消費の不振です。
 消費が増えれば、経済は活性化し、経済成長率が高まります。企業の収益動向にもプラス、雇用にもプラス、賃金上昇にもプラス、技術開発のテンポも加速し、生活の快適さも増し、多分、その上に国際収支の経常黒字が減少して、円高の心配が薄れます。

 いいことばかりですが、アメリカではこうした政策は安易に取れません。理由は、国際収支が赤字になって、国の経済基盤が怪しくなるからです。貯蓄大国日本では当面その心配はありまあせん。黒字過剰、消費不振のほうが心配なのです。

 安倍政権は、企業が賃上げすれば消費が増えるといっていました。しかし、労働組合が「大幅賃上げ」といいませんし、企業もあまり反応を示しません。
 これでは駄目だから、今度は消費税の引き上げを伸ばそうかということになります。しかし、それを伸ばしても、消費が増えるかは不明です。明らかなのは駆け込み需要がなくなることぐらいでしょう。

 一方、日本は、世界最大の個人貯蓄(1600兆円)を持っています。今までは政府が国債を発行して、それを借りて財政支出に使っていました。しかしそれが1000兆円を超えて、まともな金利を払ったらたちまち財政破綻というところまで来ています。

 財政破綻にならないように、消費増税をするのですが、それをやると、消費不振で経済成長が止まってしまう、という困った状態です。

 ということですから、今日本経済にとって必要なことは、国民が、あまり貯め込まないで少しおカネを使ってくれということになるのです。
 さて、どうしたら、国民が、我々の家計が、消費を増やすでしょうか。これが今、安倍政権、あるいは日本国民に投げかけられている設問です。

 財政出動(ケインズ政策)は限界、金融政策なマイナス金利の迷路、賃上げ奨励に賭けてみたが労使の反応は冷ややか、消費増税を伸ばしても所費が伸びるかどうか解らない。
 今までの経済学や経済政策では「もう打つ手がない」ということでしょう。

 スティグリッツやクルーグマンが言うように財政出動をして、財政のプライマリー・バランスなどは無視して、そのあと政府は責任を取れるのでしょうか。
 日本国民は頭がいいですから、これは本気で「先行きは益々悪くなる」「将来は増税ラッシュか」と財布のひもを締めそうな気配です。

 こうした窮地では、外国では強いリーダーシップに縋るのかもしれませんが、日本では「みんなで相談しよう」ということになるのが自然です。それがコンセンサス社会の特徴です。長くなるので次にします。

消費拡大へ日本型経済政策が必要

2016年03月28日 13時26分23秒 | 経済
消費拡大には「日本型」経済政策が必要
 安倍政権はスティグリッツやジョルゲンソン、クルーグマンの意見を聞いたようです。マスコミは、消費税増税延期の布石かなどといろいろな憶測をしていますが、何でアメリカ経済学者の意見ばかり聞くのか解りません。

 ヒアリングの結果から見れば、スティグリッツとクルーグマンは消費税引き上げには反対で、ジョルゲンソンは延期(いずれ必要に)ということだったようです。

 今の日本経済不振の原因は消費不振というのは大方の共通意見でしょう。私もそう思います。消費増税をすればますます国民は財布のひもを締めるからやらないほうがいいという学者たちの指摘は、いわば、一般的、常識的な判断でしょう。

 ではそれが最も適切な結論でしょうか。逆に言えば、消費増税を先延ばしすれば、消費が増えるのでしょうか。
 世界一の巨額な個人貯蓄を持つ日本人が、そんな単純な理由で「消費を控えている」とは、私には思えないのです。

 消費増税の前には「駆け込み需要」があり、その分翌年辺りは消費が落ち込むというのは今までの経験ですが、「駆け込み需要」と「落ち込み」とを均して、トレンドとして消費が低迷したといえるのかどうかの説明も分析もありません。
 また、先延ばししてみても、「またいずれやるだろう」と誰もが考えます。それで消費が伸びるでしょうか。

 アメリカの学者たちが、日本の巨額な個人貯蓄の存在と消費低迷の関係について分析したうえで意見を言ったのかどうかわかりませんが、国民の「消費行動」の分析には、「その国の文化・社会の分析」が必要です。

 借金が出来れば喜んで金を使うアメリカという国の国民性と、将来を見通し、長期的な生活の安定を大切に考える日本人の国民性とでは、消費行動は当然違ってきます。

 必要なのは、日本人の生活様式、消費行動を理解した経済政策でしょう。端的に言えば、1600兆円(昨年末は1700兆円を超えたようですが、今年に入ってからの株暴落で多分大分減ったでしょう)というGDPの3倍以上の個人貯蓄1のパーセントでも消費に使われれば、個人消費が3パーセント以上GDPを押し上げます。

 「振り込め詐欺」の報道で驚く人が多いように、今、日本人は、みんなカネがないから消費を控えるというのではなく、「カネはあっても、それは将来不安に備えるために今は控えている」という人たちが大勢いるからというのが現実でしょう。

 アメリカ社会で有効な経済政策と、日本の社会に適した経済政策は違うのです。
 いま日本の深刻な消費不振の原因は「 消費性向の低下」にはっきり表れています。今後も低成長が続くのではないか、賃金も今後あまり上がらないだろう、今後も生活厳しくなりそう、多くの日本人はそうした将来予測を持っているから消費を切り詰め貯蓄に励むのです。

 「一応総活躍社会」というスローガンと、現実に国民が持っている将来展望とはかなり違ったもののようです。その理由は、政府と国民の間の「対話」が少なすぎるからでしょう。コミュニケーションの不足は、相互理解の欠如や相互不信助長の温床です。

 安倍総理に必要なのは、「何でも自分が決める」のではなく、腹を割って国民と気心の通じる対話をすることではないでしょうか。それが出来たら世の中変わるように思います。
 日本は 伝統的に優れたコンセンサス社会です。コンセンサスがあって初めて日本社会は動くのです。

コンセンサス社会日本と憲法第17条

2016年03月26日 09時58分49秒 | 政治
コンセンサス社会日本と憲法第17条
 憲法第17条と書きましたが、これは現行の日本国憲法ではありません。もっとずっと古い昔の、聖徳太子が定めた十七条の憲法の最後の条文、第17条のことです。

 十七条の憲法は、第1条の「和を以て貴しとなす」が最も広く知られていますが、その、いわばベースになっているのが第17条のように思えるのです。

 前回も今春闘に絡んで、政労使のコンセンサスづくりが希薄になっているのではないかとと指摘しましたが、この所、労使関係や政労使の3者関係だけでなく、かつてコンセンサス社会として世界から注目された日本社会が、何かコンセンサス方式を薄めて来ているに思われてなりません。

 ということで、第17条を見てみますと「夫事不可独断」と書いてあります。
「それ事は独りにて断(さだ)むべからず」
と読むのでしょう。それに続いて「必ず衆とともに論ずべし」と書いてあり、さらに、衆とともに論ずれば、合理的な結論を得ることが出来るという説明になっています。

 今、世界に騒乱が絶えない中で、和の精神やコンセンサス方式の浸透は容易ではないでしょう。どちらかといえば、独自性を強調し、己のリーダーシップを誇示し固執するような行き方が、現実に騒乱や対立の当事国などでは一般的です。

 今回のアメリカの大統領選挙戦などでもその流儀を汲むようなものが見られますが、そうした状況は「社会の成熟」とは程遠いものでしょう。アメリカの中でさえ「アメリカは途上国になった」という意見が聞かれるようです。

 うれしいことに、日本人については、折に触れてその整然とした理性的な行動様式が世界から注目されますが、こうした賢明な国民を持ちながら、そのベースであるコンセンサス方式を活用しないというのは大変残念なことのように思われます。

 安倍総理は「決める政治」を標榜していますが、上記の憲法第17条は「独断を避けること」、「衆とともに論じること」の大事さを指摘しています。
 自らの方針を「国民の理解を得られるよう十分な説明を尽くす」という言葉もよく聞きますが、その前にあるべき「衆とともに論じ、コンセンサス(和)を得るという大事な段階」が抜け落ちているようです。

 今日では、衆とともに論じるの最終の場は国会でしょう。しかしそこでも数を頼む強行採決では「和」もコンセンサスもありません。社会のあらゆるところで、こうした日本文化・社会の基本をなしていた「和・コンセンサスの理念」の影が薄くなっているように感じられます。

 このままでは日本に、日本らしさがなくなっていきそうです。日本に日本らしさがなくなったら、いったい何になるのでしょう。 「普通の国」? それは違うでしょう。
 日本は日本らしい国として存在してこそ、世界に貢献できるのではないでしょうか。

 また余計なことを付け加えますが、「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言っている宮沢賢治が、「ポラーノの広場の歌」の中に、「まさしき願いにいさかうとも、銀河のかなたに共に笑い」と書いています。
 コンセンサスを求めるための原点でしょう。

春闘「もう少し期待していた」安倍総理

2016年03月24日 14時10分21秒 | 労働
春闘「もう少し期待していた」安倍総理
 先日の参院総務委員会で安倍総理は春闘について「空前の利益を上げているので、もう少し期待をしていたのも事実」と発言されたようです。
 一生懸命賃上げを奨励したのに、素直に聞いてくれなかったという経営者への不満をお持ちなのでしょう。

 賃上げは労使が決めるものだから、総理大臣が発言してもなかなか聞いてもらえないということが分かったとすればそれも貴重な経験になるのではないでしょうか。

 しかし同時に「3年連続でベースアップが行われたことも事実」と実績を強調され、 安倍政権の成果と印象付けようとの意識も見られました。
 
 我々の常識で言えば、3年連続でベースアップが行われたのは、黒田日銀による異次元金融緩和で、円が$1=¥80から120円になり、漸く日本経済がスクラッチで国際経済舞台で活動できるようになったからでしょう。

 円レートの歴史を顧みれば、1985年にG5(プラザ合意)で自民党政権の意向で竹下蔵相が円高を容認したため、その後2年間で$1=¥240円が120円になるという大失敗がありました。
 お蔭で日本経済は30年近い デフレ不況に呻吟 、漸く2013年から正常な経済活動ができる円レート($1=¥80→¥100→¥120)に回復したというプロセスの中で、日本の賃金決定(春闘)が翻弄されてきたのです。

 おそらく労使はともに、この所の国際情勢の中で、改めて円高に進みかねないような状況に大きな懸念を持っているというのが産業界(労使)の本音ではないでしょうか。
 オイルショックの経験以来、日本の春闘は、労使の良識により、かなり正確にその時期の経済情勢を反映したものになっています。

 今年、安倍首相が奨励しても賃上げが少なかったことは、逆に過去2年も、安倍首相が何も言わなくてもベースアップはきちんと行われたと考えるのが正常な判断でしょう。

 今年連合や労働組合の主要単産・単組が自主的に賃上げ 要求を引き下げたことの意義はすでに書かせて頂きましたが、日本の労使関係は世界でも類例のない賢明で合理性のある歴史を築いてきています。

 すでに報道されていますように、下請け企業のベアが親企業を上回るといった例もあるほどに、日本の労使関係は「格差社会化の阻止・是正」への具体的な行動を取っています。
 これこそが日本経済社会の正常化への道であり、消費不振経済脱出への王道でしょう。

 政権担当者が、「もっと賃上げを期待していたが残念だ、しかし3年連続のベアがあったからまあいいか」で終わっていたのでは、「国民や労使の方が残念」です。

 労使がそこまで日本経済の将来を考えて、経済学で言う「トリクルダウン」実現への努力をしているのです。
 政権はその現実をいち早く理解し評価して、呼応して格差社会是正への協調した政策を推進し、それによって、「一億総安心」を目指すべきでしょう。それがなければ、「一億層活躍」も画餅に帰すでしょう。

 一言余計なことを付け加えれば、こんなことになるのも、かつてのような政労使の本音の話し合いがないことの結果でしょう。日本は コンセンサス社会なのです。

2パーセントインフレ目標は適切か?

2016年03月22日 10時07分03秒 | 経済
2パーセントインフレ目標は適切か?
 景気回復のことになると、安倍さんも黒田さんも「インフレ率2パーセント」を目標にと言っています。
 このブログではいつも指摘してきましたが、「何故2パーセント」なのでしょうか。

 日本より先に異次元金融緩和からの脱出を決断したアメリカも、確かに目標インフレ率は2パーセントと言っています。日本でも2パーセントというのはアメリカに倣ってのことなのでしょうか。

 インフレ率とか失業率というのはそれぞれの国の国民意識(社会文化)によっても微妙に違うようです。
 失業率ですと、5%といえば、アメリカでは「完全雇用に近い」ということですが、日本では「未曽有の高失業状態」ということになるでしょう。

 インフレ率(消費者物価指数の上昇率)でも具体的な数字で見ますと、2015年までの5年間の平均上昇率はアメリカ1.67パーセント、日本0.47パーセントです。
 それ以前も、日米の差はより大きいので、なんでアメリカと同じ目標なのか理解に苦しむところです。
 
 国情(社会・文化の背景も含め)の違いを無視して同じ数字を目標にするというのが、経済学的にも社会学的にもおかしいというのが、インフレ目標2パーセントの 第一の問題点です。

 さらに、もう一つ問題点があります。
 安倍総理もアメリカの経済学者からレクチャーを受けているようですが、彼らの言うことを聞いていると、物価については、やはり伝統的な貨幣数量説(モノやサービスよりもお金がたくさん増えれば物価が上がる)が基本と認識されているようです。
 ですから、インフレ率を高くするためには金融政策(中央銀行がお金をジャブジャブにする)が中心と考えているのです。

 アメリカの場合は金融緩和をやめていこうという状況ですから、物価はなかなか上げりません。おカネの流通量を引き締めて、金利を高くしたいというのですからこれはうまくいかないのが当たり前です。

 しかも、金利を引上げればドル高になります。ドル高になれば、アメリカの物価は国際比較して高くなりますから、ますます物価は上がりにくくなります。2パーセントになるのを待っていても多分駄目でしょう。

 そのうえドル高で国際競争力も弱くなりますから赤字体質も進みます。 まさにアメリカのジレンマです。

 日本では、安倍政権が、賃上げを大幅にして、 コストプッシュインフレを起こせばいいと考えているようです。しかし、賃金が2パーセント余計上がっても、物価が2パーセント余計に上がれば、我々の生活は変わらず(政府の借金の負担は軽減しますが)、年金財政が悪化するぐらいで、良いことはありません。

 国際金融の世界では、アメリカは金融を引き締めてもドル高にならないように、いろいろな努力をしているようです。日本の円安政策は怪しからんとの批判も強めています。
 ここで最も大事な問題点が出てきます。

 今の物価問題は、かつてのように、一国内でどうにかなる問題ではないのです。同じものを安く作る国があれば、そこから物が入ってきますから物価は上がりません。
 
 世界中で物価が上がらなくなっている現状は、低コストの新興国に先進国の企業の技術が入って、どんどん安いものが出回るようになったことが根本原因でしょう。
 自分の国の政策だけで何とかなるなどと、インフレ目標を決めてみても、うまくいかなくて当然です。

 金融政策も財政政策も、物価への影響はどんどん小さくなっています。そして、その結果が、為替政策の活用への傾斜ではないでしょうか。
 日本でも、最近の円高傾向が続けば、2パーセントインフレ目標など遠のくばかりでしょう。
 そんなこんなで、またマネー戦略を駆使した為替戦争なんてことでは、世界経済は行き詰まるだけではないでしょうか。

スズメからシジュウカラへ:我が家の巣箱

2016年03月19日 10時36分51秒 | 環境
スズメからシジュウカラへ:我が家の巣箱

    

 庭の豊後梅の枝の上に小鳥用の巣箱を掛けたは2010年でした。2年ほどたってシジュウカラのツガイが気に入ってくれたようで、巣をつくりました。その時のことは2012年に2回ほど書きました。

 その後、巣箱は雀に占領されていました。
 シジュウカラの場合も、スズメの場合も、巣作りの過程では気が付くのですが、雛がかえって巣立つところは、残念ながら目撃できていません。

 もともと、この巣箱は雀用に作ったものです。雀用の巣箱の出入り口の直径は30㎜、つまり直径3センチの円形です。ネットで調べてみますと、シジュウカラが入っても、スズメのほうが強いので、追い出してしまったり、雛を嘴でつまみ出したりするなどとあります。

 そうか、それでこのところは毎年雀の巣になっているのかと気が付いていたところ、今年は早速にシジュウカラのツガイが下見に来ました。

 そんなことで、今年はシジュウカラの巣箱にしてみようと思い、四角の板に直径27㎜の円形の出入り口を開け、今迄の巣箱の穴に合わせてネジ釘て止めました。(写真左)

 家内に聞いたら、2日ほど前、またシジュウカラのツガイが来ていたそうで、巣箱を覗いていたけど、中に入らなかったといっていました。

 一羽で来たときは入らないことが多いのですが、ツガイでくると、一羽が見張りをしていて、もう一羽が入ってみるのが普通のようですが、入らなかったのは入り口が狭すぎたのかななど考えました。

 ネットの解説にはシジュウカラ用の出入り口は28mmというのと27㎜というのがあって、やっぱり28mmにしておいたほうが良かったのかなどと考え、昨日やすりで削って少し大きくしました。(社真右)
 しかし昨日も今日もシジュウカラは来ないようです。

 うまく巣を作ってくれたら、今年は、よく注意して見張り、何とか雛の巣立ちを見たいと思っていますが、巧くいくでしょうか。

2016春闘集中回答日:目立つ労使の慎重さ

2016年03月17日 10時11分58秒 | 労働
2016春闘集中回答日:目立つ労使の慎重さ
 今年の春闘は昨3月16日(水)が集中回答日でした。マスコミは今年の春闘妥結額は「官製春闘は失速」とか「昨年を大幅に下回る」といった論調です。

 このブログでも、繰り返し書いてきていますように、今年は、政府の自己都合による「労使の意向を無視した」大幅賃上げ論で、正常な労使の春闘論じも混乱して、どうなることかと思っていましたが、結局は労使の自主性により、無理のないところで落ち着くようで、よかったと思うのと同時に、この先、さらに労使のきめの細かいフォローアップを期待したいと思うところです。

 リーダー格であるトヨタの場合を見ますと、ベースアップは昨年の半分の1500円、それに定期昇給相当分が7300円、合計8800円ということになります。

 長期不況の中では賃金体系の維持(定期昇給は確実に実施)の要求が基本で、定期昇給さえも延伸とか減額とか中止といった場合もありましたが、定期昇給の完全実施は当然、1500円とはいえベースアップがあり、加えて賞与は満額回答ということになれば、現状の経済情勢から見れば、それなりに適切な水準と言えそうです。

 しかも連合の主張をベースに 組合側から自主的に要求金額を前年より下げ、余裕があれば下請け・中小への配分を可能にするといった、意図を考えれば、まさに日本的な、経済社会全体を考えた労使の良識ある対応といえましょう。

 経済学における所謂トリクルダウンを、労使の手でやろうなどと発想する労使関係が、日本では現実に存在するというのは、些かほめ過ぎかもしれませんが、正に稀有のことではないでしょうか。

 選挙を前に政権が最も気にする消費不振は、格差社会化を本質的に嫌い、その進展を危惧する多くの国民の将来不安に根差すのです。それに気づかず「賃上げさえすれば」と考える現政権の発想に貧困が嘆かれるところです。

 もともと人口1億人を超え、GDP500兆円の規模の巨大な日本経済が、長期の不振から元気印に変わるのには時間がかかります。それは社会全体から将来不安感が薄らぎ、これからの生活に庶民が希望を持てると確信するようになって初めて動き始めるのです。

 経済政策といいますが、金融政策や財政政策はあくまでも医者の処方する薬のようなもので、良い医者は「薬が治すのではありません、あなたの体の回復力が治すのです」と教えてくれます。
 必要なのは国民の気持ちの中に、「明日は回復して元気なる」という意識、確信を持たせることなのでしょう。これはスローガンではできません

 スティーグリッツやクルーグマンの講義を聞いても、財政出動をしなさいとか、消費増税はダメとかマイナス金利は良くないとか、経済学者としての意見を述べるでしょう。大事なことは、聞いた生徒がいかにそれを咀嚼して適切な判断を下せるかです。

 しかし、政権は安心してください。今度の選挙には間に合わないかもしれませんが、日本経済は、賢明な労使の判断と対応で、徐々ながら着実に前進していくでしょう。
 日本国民と日本の労使は、それだけの判断能力と行動能力を持っています。

3月11日を過ぎて:「あの街を思い出す・・・」

2016年03月16日 09時56分38秒 | 社会
3月11日を過ぎて:「あの街を思い出す・・・」
 先週はいろいろなメディアで「東日本大震災から5年」の特集が組まれました。「花は咲く」の美しくも哀愁を帯び、そして希望を感じさせる歌声が何度も聞かれました。
 わたくしども、戦中派の多くは「あの街を思い出す」のフレーズにその世代なりの仄かな共感を呼び起こされるのです。

 空襲で一夜にして灰燼となった故郷の街並みの記憶です。その明治、大正の名残もあるしっとりとした風景は、近所の家々のつくりまで含めて、今でも思い出すことが出来ます。
 あの破壊は人間の愚かさが起こした「戦争」という行為の結果でした。

 東日本大震災でも沢山の人の故郷の街並みは一日にして失われました。原因は巨大な地震と津波です。これは日本人が古くから知る自然災害でした。しかし、残念なことに、人間の行為による災害がそれに重なったのです。原発のメルトダウンによる放射能汚染です。

 戦争は人間の愚かさが起こしたものですが、原発はどうでしょうか。我々は原発は人間の英知の結集と教えられてきました。客観的な正確な情報は与えられませんでした
 しかし今、原発は人間の英知の結集と考える人は多くないでしょう。

 東日本大震災が自然災害だけであれば、日本社会は完璧に整然とした対応をしたのではないでしょうか。大震災直後の日本人の整然とした行動は、世界から驚嘆の目で見られました。
 日本人は古来多くの自然災害を経験し、自然災害への対応の仕方を自らの海馬の中に刻み込んできているのです。

 しかし原発事故は違いました。これは人為が起こしたものです。しかも、意図的と今では評される「安全神話」が流布されていた中での出来事でした。
 核燃料の最終処理の見通しのないまま(トイレのないマンションに例えられた)の建設稼働と安全神話の流布、これはやはり人間の英知ではなく、携わる人間の愚かな思い上がりの齎したものなのでしょう。

 汚染水は海に流さないとしていますが、日本の原発は全て海に面した所に建設されています。何故でしょうか?
 放射能問題のない核融合エネルギーの実験は内陸部で行われています。 

 核分裂でエネルギーを作ることは、超長期にわたる放射能の管理を必要とすることは専門家なら解っていたはずです。もし今後日本がこの問題で世界に貢献できるとすれば、原子崩壊の連鎖による放射能問題のより良い解決策を徹底研究し、今後必要になるであろう廃炉を含めた原発撤退作戦に英知を結集することでしょう。

 人間の愚かさの暴走を少しでも防止することが、「平和を旨とする日本」の最も心掛けることではないでしょうか。戦争でも、原発でも、過ちは人間が起こすのです。
 日本はその2つをつなぐ『原爆』の唯一の被爆国でもあるのです。

「大幅経常黒字→円高」の危険認識を

2016年03月14日 09時45分54秒 | 経済
「大幅経常黒字→円高」の危険認識を 
 前回、日本はしっかりした蓄積国家になって、海外からの配当も多く、経済基盤は強くなっていることに触れました。

 これも日本人が、真面目に働き、無駄遣いせず、必要な資本を蓄積して、海外でも立派な仕事をし、その国の経済発展に貢献して、そこからの配当も年間20兆円を超えるようになったことに示されています。

 日本では企業経営も家計も「堅実」を旨とし、国や家庭の基盤をより健全なものにすべきと考えています。
 しかし、今日の現実世界では、なかなかその通りには行きません。その大きな理由は、基軸通貨国アメリカ経済が万年赤字だということにあるようです。

 アメリカは数十年来ずっと赤字で、そのファイナンスのために外国からお金の調達をしなければなりません。
 そのために変動相場制が正常な経済の在り方と言われるデファクト・スタンダードを作り、マネー経済、金融工学を発達させ、次第に、赤字国も良くないが、黒字国があるから赤字国があるので、「黒字国は黒字を減らすべきだ」という考え方を広めました。

 マネー経済学の世界では、自然な動きとして、黒字国の通貨は高くなります。日本は、黙って温和しくしていれば、どんどん円高になります。日本の場合は円高になっても国民性のせいで、なかなか赤字国にはなりません。しかし経済は失われた20年に見るように酷いことになります。
 
ということで、頑張って出した黒字が、今の日本では、仇になってくるようです。
 これはすでに「 貯蓄は美徳か」で書きました。

 最近のTVでは、トランプさんが「アメリカの赤字は、日本が円安にして、日本製品がアメリカ市場を奪うからだ」と言って大拍手を受けていました。あまり目立つような黒字を出すことには十分気を付けたほうがいいのです。
 ではどうするかです

 今までは、民間が使わないお金を政府が借りて(国債発行)使ってきましたが、もう限界ということで、安倍政権は、「民間がもっとお金を使ってくれ」、そのために、「企業は賃上げをして」、「消費者がそれを使えばいい」と言っています。

 「民間がもっとお金を使うべきだ」という指摘はその通りだと思います。政府の借金が限界と言われる中で、経常黒字をあまり目立たない程度にすることは、民間がカネを使うしかありません。
 しかし、本当に賃上げでうまくいくでしょうか。平均消費性向 という指標を見落としていませんか、ということはこのブログでずっと書いてきています。

 望まれるのは、民間(企業・家計)が将来に展望を持ち、積極的に消費も投資も行うような社会の実現です。
 そのために何が必要なのでしょうか。 多分それは、企業や家計における「将来不安の払拭」でしょう。「保育園落ちた・・・」は典型的な課題提起です。

 そのために何が必要か、なぜかなかなか気付いてくれない現政権ですね。
 こうして、国際経済問題は、これまでも縷々書いてきましたように、内政問題、私たちの日常生活に回帰して来るのです。

GDPを上回るGNIが日本の実力

2016年03月12日 10時12分18秒 | 経済
GDPを上回るGNIが日本の実力
 かつては日本経済の規模といえばGNP(国民総生産)でした、いまは、GDP(国内総生産)を使うのが普通です。

 ところで、GNPとGDPの違いは何でしょうか。
 GNP/国民総生産は、生産によって日本経済へ貢献(付加価値)を国籍(日本人、日本企業)によって合計します。今のGDP/国内総生産は、国境線によって日本国内で生産された付加価値の合計です。

 皆様すでにご存じのように、最近の日本経済は、海外で日本企業が結構な利益を上げるようで、配当として支払われる金額(国際収支統計の経常収支の中の第一次所得収支)が大変大きな金額になってきています。
 以前は、「日本企業は海外に行っても市場拡大がやっとで、利益率は低い」などと言われたものですが、今は利益を上げ巨額な配当を送ってきます。

 平成27年(暦年)の数字を見ますと20.8兆円で、前年比2.7兆円増です。ところがこれは日本国内で生まれた価値ではないので、GDPには入ってきません。

 日本のGDPは503兆円(今年度、政府経済見通し実績見込)ですが、これには第一次所得収支の20.8兆円は入っていないのです。
 では何を見れば、全体が把握できるのでしょうか。

 こうした海外からの所得収支を加えたものは、以前のGNPと似た概念で、今は、GNI(国民総所得:所得ですから生産面ではなく、同じものを所得面から捉えたもの)として国民経済計算(国民所得統計)に示されています。
 
 ということで平成27年度のGNI/国民総所得(政府経済見通し実績見込)を見ますと527.1兆円になっています。
 つまり、国民総所得として日本国民が使える金額は527兆円余で、そこまで使っても日本国は赤字にならない、ということです。

 この増えた分というのは、サラリーマンの家計で言えば、賃金のほかに持ち株の配当が入るようなものです。それも結構な金額です。
 日本が本格的に資本蓄積国家になった証拠でしょうか。これも日本の実力です。

 実力が付いたお蔭で考えなければならないことも増えました。 
 かつて日本は大幅な貿易黒字で、輸出しすぎるという批判を受け、アメリカとは、繊維交渉から、鉄鋼交渉、自動車交渉、半導体交渉と貿易摩擦を繰り返してきました。それでも黒字が続くので、何とか日本を弱くしたいとプラザ合意で円高を強いられました。
 
 最近は、貿易収支は赤字のこともあるぐらいになりましたが、第一次所得収支(海外からの配当収入)が大きくなって、経常収支の黒字は続いています。

 黒字の国は赤字の国(代表はアメリカ)から妬まれます。万年黒字の日本は「経済戦争の防衛力」を付ける必要があるようです。

格差の少ない日本の伝統的賃金構造(前回の注記)

2016年03月10日 09時48分50秒 | 労働
格差の少ない日本の伝統的賃金構造(前回の注記)
 国税庁の発表によると、年間所得1億円以上の企業トップの数が増えているようです。アメリカに典型的に見られるような欧米流の考え方が広まるのでしょうか。

 前回、日本の企業では、2倍働いて給料2割増し、3倍働いて3割増しなどと言われるように、自然と納得ずくの分かち合いが行われている。と書きました。

 サラリーマン経験者なら、それが実感と言われる方が多いと思います。良く出来る人が目立つ成果を上げてもその期のボーナスは多少増えますが、賃金は変わらないのが普通で、少し長い目で見れば、昇進が早めになる程度です。

 昇進してもそんなに給料が上がるわけではありません。管理職なって管理職手当がついても、残業代がなくなって減収になるのも一般的です。

 成果を上げているほど給料は増えないということはみんな知っていますから、良く出来、昇進の早い人は、妬まれたり嫌われたりすることもなくて、企業内で一目置かれ、尊敬されるのが普通です。
 「あいつはすごい」というときには、「あいつはみんなのために役立ってくれている」という意識が潜在的にあるのでしょう。

 一方、成果給中心で、良く出来る人はそれに比例した賃金(報酬)を得ている世界では、そうした感覚は薄いようで、「あの人は別格」とか「私などとは関係ない」といった声が多く聞かれます。

 限られた範囲かも知れませんが、サラリーマン生活の中で、こうした「賃金の分配の在り方」と「組織(企業)内の人間関係」の相互関係については、折に触れて実感してきたというのが偽らざるところです。

 こうした人間集団、企業文化への認識が、トップの給料が新入社員の10~20倍程度というのが一般的という日本の賃金実態に繋がっているということでしょう。そして日本の経営トップは「アメリカのように自分の給料を増やしたい」というよりは、「企業の将来の発展こそが自分の生き甲斐」と考えているようです。

 こうした大きく異なる日本とアメリカの現実は、つまりは「社会・文化の違い」によるもので、日本の社会・文化の中で、アメリカやヨーロッパの真似をしても、かつて書きましたように「舶来崇拝」の残滓のようなもので、日本らしい企業文化の在り方を否定することになり、マイナスの結果をもたらすだけのような気がして、先行きを心配しています。

同一労働・同一賃金考

2016年03月09日 09時25分58秒 | 労働
同一労働・同一賃金考
 最近また「同一労働・同一賃金」が言われるようになりました。今度は法制化にも絡むようです。本質の理解のないやり取りで、誤った結論など出さないように願いたいものです。

 今言われる同一労働・同一賃金は、いわば「形式均衡論」のようなもので、本質的調和の視点がないので、納得性のある導入は困難です。そこには2つの問題があります。
 1つは、同一労働(同一価値労働)かどうかの判定が困難過ぎることです。
 もう1つは、2倍の価値の労働をしたとき、賃金は2倍払うのが良いのかという問題です。

 今、問題になっているのは、主として正規と非正規の格差の問題です。かつての論議は年功賃金における年齢格差が主要な問題でした。
 隣同士で同じ仕事をしていても、非正規は賃金が低い、しかし、本当に同じ(価値の)仕事をしているのかどうか、また年功賃金の場合は1年先に入っているから賃金が高い、しかし本当に1年分良い仕事をしているのか、正確に判断出来るものではありません。

 実際には正規が隣の非正規の面倒を見ながら仕事をやっている場合もあるでしょうし、非正規だが実はベテランで正規より仕事ができる部分もあることもあるでしょう。
 同一労働・同一賃金は「中身より形」という暗黙の前提があって成り立つのです。

 2倍の価値の労働に2倍の賃金を払うのが適切かという問題は、生保のセールスな場合などは貫徹しています。同じセールスをやっても、家計を支えるのがやっとという人も、世界のミリオネアクラブに入る人もいます。まさに労働の成果次第(成果型)です。しかしこれが一般社員に適用されることはありません。(注記次回)

 アメリカでは一般社員とトップの報酬の差は巨大ですが、日本では、新入社員と社長の賃金は額面で、せいぜい10倍から20倍ぐらいが普通でしょう。
 日本では2倍働いて給料2割増し、3倍働いて3割増しなどと言われるように、企業内で納得ずくのシェアリング(分かち合い)が行われているようです。これが企業という人間集団の凝集力を支えているのでしょう。(前々回の貢献度より将来志向重視の思想)

 仕事の中身や成果と賃金の関係は、単純な部分均衡で考えるべきものではなく、人間集団の機能というトータルな問題の中で、多くの要素を最適に勘案し、「合理性」と「納得性」のバランスの中で考えるべきものなのでしょう。伝統的な日本の賃金制度は、生涯賃金では昇進も含めて均衡がとれているという見方もあります。

 正規と非正規の賃金格差問題は、賃金の額を合わせるという小手先の手段で対応するのではなく、企業という人間集団の中で、いかなる雇用形態をとるかという、「人間」としての処遇の在り方として考えるべきものでしょう。
 望ましくは、希望者は全員正社員とし、「正社員の賃金制度に乗せる」ことが本当の格差是正で、非正規のままでの同一労働・同一賃金は、本質を見ずに形だけを見る形式作業に過ぎません。

 戦後の日本の経営者は、身分差別を排し、全員を「社員」とする方針を選択しました。これが日本の戦後復興とその後の経済成長を支えた「企業文化」を生み、日本企業の優れたチーム作り、人間集団の力の発揮につながったといえるでしょう。

日本の文化・社会にマッチした税制、人事賃金制度を

2016年03月07日 10時20分16秒 | 経済
日本の文化・社会にマッチした税制、人事賃金制度を
 前回の補論です。
 企業が戦後以来の正社員中心制度を非正規多用に切り替え、政府が所得是の累進性を大幅に緩和しました。
 これには、プラザ合意とバブル崩壊による「失われた20年」の「デフレ不況」に何とか対応するという意味もあったでしょう。

 しかしその対応の方向は、多分にアメリカのやり方を真似ているように思われます。
 加えてその後の マネー経済の真似も進んでいます。
 アメリカはその結果、格差社会の典型になり、今まさにそれへの反省が顕在化してきています。

 日本は日本として、日本なりの反省を進めるべきでしょう。まだ舶来崇拝の残る日本ですが、ここはもう、政府も経済界も舶来崇拝はやめて、日本らしい道を進んでほしいと思います。
 
 単純な舶来崇拝では日本は 失敗ばかりです。海外からの文物は、日本流に消化してこそ生きるのです。それが繁栄する日本の明日につながるのでしょう。

 次回は、これも日本企業に合わない「同一労働・同一賃金」を取り上げたいと思います。
 

企業の課題、政府の課題

2016年03月06日 10時04分30秒 | 環境
企業の課題、政府の課題
 前回、「一億総中流」と言われた時代の回復が望まれると書きました。
 格差社会化が言われる今と、かつての良き時代、日本経済が安定成長時代に入り、1980年代前半迄(プラザ合意の円高・金融緩和によるバブル発生以前)の「一億総中流時代」で、企業の行動と、政府の政策で大きく変わっている点は何でしょうか。

 まず企業においてです。大きく変わっているのは「非正規従業員」の増加です。当時は雇用者のせいぜい15パーセント程度(現在は40パーセント超)でした。
 その大部分は、主婦、学生アルバイト、季節労働者などでした。高齢退職者もいましたが、年金は60歳からでした。

 当時、非正規労働者のほとんどは、家計の補助、小遣い確保などで、家計の責任者は企業では正社員というのが当たり前でした(これは戦後以来の伝統です)。

 正社員の賃金体系は職能資格給の発展期で、年功制の色合いを残し安定的、退職金制度も年金化を含めて健全でした。
 多くの企業は、雇用安定こそが企業の責任と明言し、教育訓練で従業員を育てて活用、人員削減をするような企業は社会的評価が下がり株価が下がるというのが常識でした。

 こうしたかつての安定雇用・人材育成を中心とした企業行動は、「失われた20年」の中で否応なしに「コスト削減のためには何でもあり」といった、なりふり構わぬものに変わっていったようです。

 $1=¥120になって、日本企業はまともな経営環境を取り戻しましたが、企業行動はいまだに「失われた20年」の歪みから脱出できていません。

 次に、政府の行政における大きな変化は何でしょうか。所得格差拡大に関わる最大のものを上げれば、「所得税の累進性の緩和」でしょう。
 日本政府が何の必要で累進性の大幅な緩和をやってのか解りませんが、何かレーガン改革を真似たのではないかという気がします。

 レーガン政権は1981年アメリカがスタグフレーションに呻吟する中で誕生、選挙中からの公約もあり法人税、所得税の減税で景気刺激をしました。
 特に個人所得税については2度にわたる減税を行い、最高税率は70%から50%に、さらに50%から28%に引き下げられました。
 レーガノミックスは成功と言われましたが、格差社会化を齎したことは事実でしょう。今、反省が言われ始めています。

 日本は、労使の賢明な対応でスタグフレーションには苦しまず、ジャパンアズナンバーワンの時代を迎えましたが、当時の政府は所得税率を段階的に引き下げ、住民税と合わせた最高税率は、1984年の88%から平成7年には50%になりました。(昨年から55%)
 
 日本はアメリカ並には下げていませんが「アメリカンドリームの国」と「和を重視し、格差を嫌う国」の違いでしょう。

 格差社会化からの脱出は、こうした企業や税制の在り方の早急な見直しが必要なのでしょう。その先に、国民の生活と意識の安定、一億層活躍社会の実現があるのではないかと思われます。