tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

<08労使交渉>選択:賃金引き上げ、雇用改善

2008年02月15日 11時09分09秒 | 労働
賃上げ、雇用改善:どちらを優先?(2008労使交渉)
 春の労使交渉がいよいよ本番になってきたようです。多くの労働組合が、昨年を上回る賃金引上げの要求を出している様子で、政治家やマスコミなどの中にも、「不振の個人消費」を増やすためにも、賃金を引き上げたほうがいいのではないかとった論調が目立つようです。

 確かに、日本企業も長期不振から脱出の途上で、水面上に出たところでは、このところ好調な業績を上げている企業が多いことも事実でしょう。そういうところでは、月例給の引き上げはともかく、ボーナスはある程度出そうというところもあるようです。
 働いた従業員に報いるという点では、それはそれで結構かもしれませんが、格差社会といわれる今日の社会的背景から考えると、労使でいかなる方向を考えたらいいかという点では、もう少し違った視点もあるのではないでしょうか。

 日本というのは、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」にも示されていますように、調和とバランスを尊ぶ社会で、その故に、国民は格差に敏感で、今日でも格差社会が広く問題にされると考えられます。
 そうした視点に立ってみると、今もし、企業に支払い能力があるのであれば、どちらかというと恵まれているサイドである正社員の賃金を引き上げるよりも、雇用の増加、非正規社員の正社員化、さらに可能ならば、下請け単価の改善による中小企業への付加価値の移転によって、中小企業の業績の改善、それによる中小企業に多い不安定な非正規社員の待遇の改善などといった、失われた10年の中で歪んでしまった日本の雇用構造の改善に、その原資を使ったほうがいいのではないでしょうか。

 実は従来からの研究によると、個人消費を増やすためには、業績の良い企業の賃上げはあまり効果はなく、それよりも、雇用環境の改善のほうが大きな効果を持つということが、かなりの程度明らかになっているようです。労働組合も正社員だけを代表するものではないといっていますし、個人消費が増えれば、政治家も、そして企業も、さらにはマスコミも、みんなハッピーではないでしょうか。そのためにも、この際、賃金を上げるあげないだけではなく、みんなで柔軟にもっといろいろな知恵を出し合ったら如何でしょう。

東京G7と世界経済

2008年02月11日 13時37分34秒 | 経済
東京G7と世界経済
 久しぶりで東京で行われたG7が終わりましたが、あまり変わった情報はありませんでした。アメリカは、自分の所はやるだけのことはやったから、あとは皆さんのところでどうやって頂けますかといった態度のようだったし、ヨーロッパは、アメリカとは事情が違ってインフレの懸念もあるので、金利は下げられませんといい、日本はもともと金利を下げる余地はないし、財政出動などはとてもとても、というところだったようです。

 それでも、金融不安は困りますので、サブプライム問題の損失を早く確定して、損失はここまでですというメドは早くつけましょうという点では一致したようです。各国とも、アメリカへの信頼がかつてほどではなくなって、自分の立場をより確りと主張しはじめたのでしょうか。

 それにつけても、もし、日本がサブプライム問題のようなことをやっていたら、日本の財務大臣は集まった皆さんに「大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」などと頭を下げて回っていたのではないかなどと空想したりしました。

 考えてみれば、今の世界経済は、BRICsの急成長、EU経済の好調、日本も長期不況から脱出途上と、まさにみんな揃っての良い状態にあるわけです。アメリカが金融工学とやらで間違わなければ、みんなハッピーだったのではないでしょうか。万年赤字体質のアメリカの消費に期待して、自国経済を考えた日本もいけなかったのかもしれません。万年赤字やりくり策のサブプライムローンの証券化で、みんながこんなに苦労するのであれば、そろそろその辺りの基本的な問題についても確り論議するG7でなければなどと思うのは、私だけでしょうか。

ジャパン・パッシング

2008年02月05日 12時31分34秒 | 経済
ジャパン・パッシング
 最近、日本の株価が、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの市場の動きの中で独歩安だなどといわれ、外国投資家が売り越しになるたびに「ジャパン・パッシング」が始まったなどといわれます。
 ご承知のように、かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれ、競争力が強かった時代の日本は「ジャパン・バッシング」に遭い、アメリカでは日本の自動車や電気製品をハンマーで叩き壊し、それがTVで放映されたりしました。

 1985年のプラザ合意による円高で国際競争力を失った日本は「バッシング」はされなくなりましたが、もう用のない国だということで「パッシング(素通り)」されているといいいたいようで、何か日本のマスコミの過剰な被害者意識が見え見えで、あまり良い気持ちのしない言葉です。

 一部には、日本の資本市場の開放が遅れているから世界の資本が日本を素通りするといった解説もありますが、今の世界の資本市場のあり方のほうが、サブプライムローン問題に象徴されるように、バブルと投機技術の上に異常な形の発展をしているという見方も可能と思います。

 日本は、もともと実体経済に根ざした技術開発とモノづくりで経済立国を成し遂げてきた国です。そして今では、地球環境問題に真剣に取り組む多様な分野での省エネと代替エネルギー開発、さらには海水の淡水化など水資源の問題で世界をリードしようと懸命な努力をし、着実に成果を上げてきているのではないでしょうか。

 日本が世界で必要とされる技術、ノーハウ、製品、サービスを提供する限り、本当の意味でのジャパン・パッシングなどは起こりえないでしょう。あまり変な言葉をこじつけて、自虐的なるのは良いことではないような気がするのですが。

労働分配率論議

2008年02月02日 11時44分56秒 | 経営
労働分配率論議
 以前は春季闘争今は春季討論の「しゅんとう」ということのようですが、今年もその中で労働分配率についての論議がされています。大まかに言えば、労働側は「このところ労働分配率が下がっているから賃上げが出来るはずだ」といい、経営者側は「労働分配率は景気循環によって上下するので、下がったから賃上げ出来るというものではない」といった論議のようです。

 労働分配率というのは、労使が協力して生み出した付加価値の中の何パーセントを人件費として配分するかという割合(残りは資本への配分)ですから、労働分配率論議はともすると分捕り合戦的なものになり、水掛け論で終わります。しかし本当は、水掛け論で終わらせてはならない問題のはずです。労使で作ったものを労使で分けるのですから、良く話し合って、納得ずくで配分を決めるべきでしょう。

 労働分配率論議を合理的なものにするための「核心」は、実は、「付加価値の分配(労働分配率)如何が企業の明日を決める」という事実で、もう少しソフトにいえば、「付加価値の分配は企業の成長に影響する」という事実への認識です。

 企業の成長(国ならば経済成長)は、労使(国ならば国民)共通の目標ですから、この目標、たとえば3%成長とか、5%成長とか、10%成長とかは労使(国民)で共有することが出来ます。付加価値の分配が企業の成長に影響するのであれば、まず労使共通の企業の成長目標を話し合って決め、その成長を達成するために最も良い影響を生むような労働分配率を労使で検討して合意すればよいわけです。

 現実には日本の労使は、この辺りが何となく解っていて、あまりひどい分配論争にはならないのですが、もう一歩進めて論議を具体的に深めていくべきでしょう。個別企業では、これは経営計画の内容についての労使の論議ということになります。
 「分配は成長に影響する」、この事実を理解することが、労働分配率論争合理化の核心です。