tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

現政権の証券市場観は?

2016年08月31日 15時08分14秒 | 経済
現政権の証券市場観は?
 こんなことを取り上げたくはないと思いながら、やっぱりどうも気になって取り上げてしまいますが、麻生財務相の、証券市場、証券業界についての発言とGPIFの問題です。

 麻生財務相は「債券や株に投資するのは危ないことだという思い込みが国民にある」という多くの株式投資経験者の共感を呼ぶような現状を指摘したうえで、ちょっと冗談めかしたのか、「同期生でも証券会社に勤めているのはやばいやつだった」などと発言されたとのことです。

 恐らく麻生財務相の頭の中には日本の伝統的な金銭感覚がきちんと残っているのでしょう。それは、このブログでも何度か取り上げていますが、「同じ金」でも『額に汗したカネ』と『あぶく銭』を区別するという感覚です。

 今、アメリカ型の経済学、経営学、金融理論、会計基準では、どんな稼ぎ方をしても懐に入れば同じカネ、という意識が一般的ですが、日本には、例えば、「住友家の家憲」にありますように「浮利に趨(はし)らず」という思想があります。勿論「浮利」とは『あぶく銭』のことです。

 おカネを稼ぐにしても、それは由緒正しいおカネでなければならないという趣旨でしょう。極端に言えば、ギャンブルで稼ぐようなことは良くないという考え方です。
 同じ利益でも、その由来=よって来たるところが大事という感覚が明らかです。

 この辺りの正確な考え方は「 キャピタルゲインとインカムゲイン」で書きましたが、私のブログの中でも最もアクセス数の多いものの1つです。
 単純化していえば、
・額に汗したカネ=インカムゲイン=GDPを増やす活動の中からその配分として受け取る利益
・あぶく銭(浮利)=キャピタルゲイン=GDPは増えなくて、カネを自分のところに移転で得る利益
ということでしょう。

 この辺は、日本の文化の中の利益観と、万年赤字に転落してからのアメリカの利益観の違いということかもしれません。

 ところで、証券業界が顧客に勧めるのはほとんどの場合「キャピタルゲイン」ですから、麻生財務相には上のような伝統的な日本人の金銭感覚が残っているという事でしょう。
 それはそれで素晴らしいことかもしれません。しかしそこで気になるのが、昨年来GPIFが内外の株取引で年金原資をすり減らしているという話題です。

 このブログでは、一昨年株式運用の枠を2倍すると安倍政権が決めた時も、「そんな年金原資の作り方が本当に正しいのでしょうか」と指摘し、素人が株に手を出すのは株が上がっている時で、実際に 買った時はピーク (マダはもうなり)という事になりかねませんか、と心配しましたが、本来、日本人の年金は日本人の額に汗した稼ぎ(経済成長)で 原資を稼ぎ出すのが王道でしょう。

 麻生さんの金銭感覚と、安倍さんの金銭感覚はどうも違う所があるようで、お2人は盟友という事ですが、何となく心配です。

三題噺:非正規雇用、定期採用、格差社会

2016年08月29日 18時31分22秒 | 労働
三題噺:非正規雇用、定期採用、格差社会
 非正規雇用の正規化がなかなか進みません。このブログでは「正規を望む非正規従業員の正規化促進」が望ましいと言ってきていますが、政府の方は、「同一労働・同一賃金を徹底すればいい」という考え方のようです。

 先日も、「子供の6人に1人が貧困家庭」という厚労省の「国民生活基礎調査」の結果が発表されました。
 ここでの貧困の定義は「標準的な家庭の半分以下の所得の家庭が貧困家庭」ですから、見方はいろいろあるでしょうが、かつては一億総中流などと言われた日本にしてはショッキングな数字です。この背景に非正規雇用が雇用の37%という数字のあることも事実でしょう。しかし、ピークの40%からは少し減りましたね。

ところで、この問題を「同一労働・同一賃金」というアプローチと「非正規の正規化の促進」というアプローチのどちらで解決していこうかということになりますと、どうも「同一労働・同一賃金」ではうまくいきそうもありません。

 非正規といっても中身はいろいろで、定年再雇用の人の賃金は、年功賃金制度の残る多くの企業の労使協定や就業規則で決まっています。特定の能力を持つ人を非正規で雇用している場合は(通常有期雇用)正社員より高い賃金が一般的でしょう。パートの場合は地域のマーケットで賃金が決まります。同一労働の定義も現実には困難な問題です。

 こうした現状は、日本企業独特の「新卒定期採用」という慣行に由来しています。欧米では一般的に「職務(欠員)に人を当てはめる採用」ですが、日本の定期採用は「将来、会社に役立つ人間を学卒時に採用する」という独特なものです。

 一般的には新卒定期採用が正規社員で、中途採用でもそれに準じた場合は正社員になります(パートでも本人が希望し、会社も認めれば正社員切り替えもあります)。
 つまり、正社員というのは本来的に「人間を採用」するシステムで、人間と職務との関係は、長い勤務期間の中で異動しながら決まっていきます。

 この「人間を採用する」という方式(学卒定期採用)は、人間中心を標榜する日本的経営の中核の概念であり制度です。多分日本企業にも、日本人にも、これを捨て去ることはできないでしょう。これは、日本の伝統文化の一環だからです。

 ということになりますと、定期採用の正社員と欠員補充のパートとは賃金制度が違ってきます。社内の賃金制度で決まる賃金と、地域のマーケットで決まる賃金です。
 賃金を決める主体が違うのですから、この2つを合わせることは不可能でしょう。

 では、賃金格差も影響する格差社会化を防ぐためには何が必要かということになります。そこで必要になるのは、正社員希望のパートを積極的に正社員転換する制度です。
 かつて「 IKEAに学ぶ日本的経営」でも書きましたが、非正規の正社員化が一番大事で、現状の歪み是正には一番合理的な方策だと考えています。

 もともと、パート志望の方々は「できるだけ自由な働き方をしたい」という方々で、日本が豊かな社会なって存在が定着してきたといえるでしょう。
 それが「失われた20余年」の中で、日本経済のサバイバルのために無理にパートを増やさざるを得なかったという残念な歴史がありました。その無理による歪みは実は企業にとっても問題で、その復元が、今、必要なのです。

 勿論、格差社会化という現象は、実は「非正規労働」と言われる問題だけで発生したわけではありません。欧米社会を真似た所得税累進課税の大幅な緩和も含め、マネー資本主義の盛行、社会保障制度の行き詰まり、背後にある将来不安の深刻化など多くの要因の複合体でしょう。

 かつて日本は世界で2番目と言われる格差の少ない社会を自力で、日本流、日本文化社会の伝統を生かして実現してきた実績があります。
 格差社会化の阻止は、欧米の真似、舶来崇拝ではなく、日本の、本来の格差を嫌う文化的、社会的伝統を生かしてやっていくべきものではないでしょうか。

アメリカの利上げ:オオカミ少年の気配も?

2016年08月27日 11時30分09秒 | 経済
アメリカの利上げ:オオカミ少年の気配も?
 イエレンFRB議長の発言で、円が101円台に乗せたりていります。
 
 イエレン議長の発言は「この数ヶ月で追加利上げへの説得力が増した」ということだそうで、奥歯にモノが挟まったようなニュアンスは否めないようです。

 アメリカ自身、あるいは実体経済重視のイエレン議長にしても、アメリカ経済の正常化、そのための金利の正常化(徐々なる引き上げ)はまさに望ましいのでしょうが、アメリカ経済自体が、なかなか本当に強くならないので、焦っているように思われます。

 ダウ平均が史上最高を記録したり、雇用情勢も多少の強さを見せているようですが、意図せざる在庫の増など、実体経済はまだら模様のようです。

 さらに、本当に消費が伸び出せば、経常収支の赤字は増えることが必至で、予想では経常赤字は増加という見方が多いようです。

 9月期上げの可能性の確率もなどと言われているようですが、気を引くアナウンスはするが、現実はその通りにはならない(オオカミ少年的)という状況が続くような気がします。時期は先延ばし、幅は最小限といった状況が続きそうです。

 アメリカ人自身も、もっと圧倒的に強いアメリカ(経済的に)を望む人が多いのでしょう。だからトランプ現象なども起きるのでしょうが、政治的にも経済的にも、どう決着をつけていくのか、アメリカ世論が劣化しているようにも感じられ、心配です。

 翻って、日本も、本気で「自力」で考えなければならない時代になるようです。

変動相場制と固定相場制の間で

2016年08月26日 21時20分22秒 | 経済
変動相場制と固定相場制の間で
先日、8月10日に「変動相場師は怠惰を正当化?」と書きました。8月23日には「実体経済を反映した為替相場が合理的だが」とか書きました。
 
 前者は、一生懸命国民経済生産性を上げても、その分為替レートを切り上げられたら、競争力は改善せず、頑張った成果は消えてしまうので、生産性を上げるインセンティブがなくなるという趣旨です。

 後者は、生産性はせいぜい年に1~2パーセントぐらいの変化ですが、為替レートは1割も2割も変化するのだから、全く経済合理性がないという趣旨です。

 かといって、固定相場制にすれば、かつての日本とアメリカのように、どんどん生産性を上げる日本と、あんまり上がらないアメリカで、貿易摩擦ばかり起き、ついにはプラザ合意のような行き過ぎた為替調整が起きて、世界経済は混乱するわけです。

 結局は、その間を取って、一定期間固定相場制にし、何年かに一度多角的な為替レートの総合調整をするといった方法しか、現実的な選択肢はないのでしょう。
 そうすれば固定相場の何年かの間は、生産性を上げた国にはメリットがありますから、生産性向上のインセンティブは働きます。
 
 生産性のあまり上がらない国は、一生懸命生産性を上げようと努力しますが、力が及ばなければ、何年かに一度の為替レートの調整で救済される、という形です。
 ゴルフで実力をつけても、直ちにハンディが上がってしまえば優勝のチャンスはありませんが、ハンディが上がるまでに多少の期間があれば、その間は勝てるチャンスがあるというようなものでしょう。

 人間、なんでも頑張ったらメリットがなければなりません。個人の給料でもボーナスでもそうです。
 しかし、頑張ったのが100%本人に帰属し続けると、格差社会になってしまいます。成果を上げた人、生産性を上げた国は、それなりに寛大になって、頑張っても残念だった人や国に、自分の成果を分けてあげることが、社内の融和や世界の平和に必要なのです。

 多くの場合、物事には両端 (ここでは固定相場制と現状の変動相場制) があります。そして、通常、「真理」は、どちらかの端にではなく、その中間のどこかにあるのです。
 今のアメリカ主導の金融、為替の世界では、そのために知恵を出そうという雰囲気はなさそうです。

 中国は自己都合中心で現状に抗っていますが、日本のように、それで損ばかりしている国は、少し積極的に、世界経済の安定のために、為替問題の論議の本格化を国際的な関連組織や会合(G7からIMF迄)で主張した方がいいのではないでしょうか。

実体経済を反映した為替相場が合理的だが・・・

2016年08月23日 12時52分27秒 | 経済
実体経済を反映した為替相場が合理的だが・・・
 それぞれの国の国際競争力の強さは、その国の国民経済の生産性によって決まるでしょう。
日本は昭和24年(1949年)に「連合国最高司令部」によって、1ドル360円の単一相場と決められました (その前は輸出・輸入品目別複数相場制)。

 競争力のバラバラな輸出入の各産業部門をひとまとめにして「単一為替レート」を決めるのは容易ではありませんが、強い部門、弱い部門を総合的に見て(国民経済生産性)360円ということになったのでしょう。円は360度だから360円などという冗談もあったようです

 日本の産業は頑張って生産性を上げ、景気が良くなって輸入が増えると国際収支は赤字、これは大変と引き締め政策をとると黒字回復といったプロセスを経て、黒字基調の国となり、ニクソン・ショック、オイルショックも乗り越えて生産性を上げてきました。

 その割に為替レートは円高にならなかった内は良かったのですが、プラザ合意の後の急激な円高で$1=¥120になると、日本の生産性では国際収支赤字化必至ですから、円高のデフレ圧力もあり経済を縮小させ、その後のリーマンショックによる$1=¥80にも何とか耐えましたが、これが「失われた20年」です。
 2013年と14年の日銀の政策変更で$1=¥120になり、息を吹き返すまでは、日本国民は大変な苦労をしました。
 
 こうしたことが起こるのは、その国の国民経済生産性はせいぜい年に1~2%しか変化しませんが、為替レートは1割も2割も変化して、日本で言えば、国民経済生産性と為替レートの変化のギャップが大きすぎて、極端な円高や円安になるからです。
 そのせいで、経済運営も企業経営も対応し切れず、実体経済がめちゃくちゃになるのが現実でしょう。

 最近のいろいろな通貨の対基軸通貨「ドル」の状況で見ても、ここ数年の間に1ユーロは1.6ドルから1.1ドルになったり、1オーストラリアドルは、0.6ドルから1.1ドルになりまた0.8ドルになったりしています。英ポンドも、2.1ドルから1.3ドルになっています。

 こうしたその国の実体経済の実力、国民経済生産性の動きとはかけ離れた為替相場に振り回されるのが現状の変動相場制です。
 クローリング・ペッグ制、クローリング・バンド制などという方法も一部の国では利用されていますが、為替操作国などのレッテルを張られます。

 おそらく今の変動相場制では投機筋の思惑で勝手に変化する為替レートに、経済や経営を合わせるしかないわけで、こんな不健全な状態を放置するのは世界経済にとってよくないことでしょう。

  ゴルフのハンディでも、決め方はきちんとした実績に基づくルールがあるのが普通です。為替レートはもっとずっと大事な事だと思うのですが。

アメリカ、ドイツ、日本:変動相場制の中で

2016年08月22日 12時38分01秒 | 経済
アメリカ、ドイツ、日本:変動相場制の中で
 今日は月曜日、月曜はマネーマーケットでは参考指標が乏しいので気迷いの事が多いようですが、今日も、FRBのイエレン発言待ちの様子見といった状態のようです。為替も東証も小動きです。
 9号台風で、外は大雨、狭い庭は水浸しといった中で書いています。

 しかし、日本経済にとっては100円がらみの円レートは些か厳しいと思われますし、先週あたりのように、日銀のFTI関連の買いを期待しての日経平均の小幅上げなどはあっても、証券・金融市場の先行き不透明感は消えないようです。

 マネーマーケットの短期の動きは別として、実体経済を翻弄する為替レートと、その国の経済体質とを見てみますと、主要国は各国各様で、よく見るとどうも日本は一番難しい立場にあるような気がします。

 通常、為替レートに影響を与える2大要因と言われる「経常収支」と「財政収支」について、アメリカ、ドイツ、日本の3国を比べてみますと、特徴がよく出ています。
・アメリカはずっと昔から双子の赤字で、経常収支も財政収支も赤字です。
・ドイツは経常収支は大幅黒字国で、財政収支もこのところ数年黒字続きです。
・日本は経常収支は万年黒字ですが、財政収支は毎年大幅赤字です。

 こうした状況の下で、アメリカは時に強いドルなどと言いながら、ドル高は避けたいのが本音でしょう。(基軸通貨国が双子の赤字を続けているというのが、現在の為替不安定の元凶だと思っています。)

 ドイツの場合はマルクがあれば、正に世界最強の通貨なのかもしれませんが、今はユーロです。ドイツがいかに健全経済であっても、ユーロ圏には色々な国があり、ギリシャ、スペイン、イタリアなどの問題が取り上げられるたびにユーロ安となります。
 ドイツの生産性は変わりませんから、例えばドイツ車の競争力はどんどん強くなります。
 ただ、ドイツの黒字はユーロ圏の経済を支えるために使わなければならないという宿命があります。

 日本は経常収支は万年黒字ですが、財政は毎年大幅赤字、政府の借金は世界最大規模と言われます。経常黒字と財政赤字が交錯しているので、判断が難しい国なのでしょう。
 しかしマネーマーケットでは、かつての「有事のドル」に似て、今は「さしあたって円」という形で円が買われ、何となく円高になっていくようです。これが日本経済を苦しめます。

 我々生活者には、実体経済の今後の見通しが一番切実なのですが、この辺のことを巧く理論的に説明してくれるエコノミストもいませんし、マネー評論家も、今日・明日か、せいぜい来週は・・・ぐらいで、実体経済面の事は苦手のようです。

 勿論日銀が先行きの「戦略」の公表などは出来ないでしょうし、政府の財政収支予測などはだれも信用しないようです。
 確かに、経常黒字を前提にすれば、投機筋の動きのように「さしあたって円」なのでしょうが、財政収支に注目すれば、「近い将来国債は紙屑、超インフレ来襲」というエコノミストや評論家も後を絶ちません。

 日本の政府も消費増税延期、28兆円出して景気下支えと続けながら、本当は、今後どうするか (どうなるかカナ?) は、良く解っていないのでしょう。ならば当然マネートレーダーたちも、良く解らなくて円を買っているのでしょう。だから「さしあたって」という形容句がつくのでしょう。

 経常黒字+財政赤字という組み合わせは、結局は、問題は国内にあるということです。国民は、政府に金を貸すのは良いが、税金で納めるのは嫌だと考えているわけです。
 政府の税金の使い方を国民が信用しないからこういう事になるのでしょう。しかし貸したつもりが返ってこないということも世間にはよくあります。

 そんなこんなで将来不安は強くなるばかり、国民は生活防衛で、若い人も貯蓄に専心、これは経常黒字の拡大効果を持ちます。投機資本はますます「さしあたって」経常黒字の円を買うので為替レートは円高に、
 こんな特殊な立場にある日本経済、そこで暮らす国民は、本当に大変ですね。

やっぱりメジロの雛でした

2016年08月21日 14時55分45秒 | 環境
やっぱりメジロの雛でした


    ハハミズキの枝の広がり

 先週のことです。暑い暑いといいながら、ちょっと近所まで出かけて帰ってくると玄関の前に、チョンチョンと小鳥の雛らしいものが跳ねていました


 そばに寄ってみると灰色がかったウグイス色の小鳥の雛で、まだよく飛べないようです。そばに寄ってもあまり警戒心はないようです。
 ネコでも来ると大変と思い、そっとつかまえて親鳥が見つけやすい所にのせてやろうかなどと考えて、そっと両手の掌で掬い取るようにしてみました。

 しかし雛の方はかなり元気で、私が掬い取る寸前に、ぴょんぴょんと1メートルほど逃げました。
 これではとても捕まえられないと思って、どうしたらいいかなと考えていると、にわかにチュンとかピイとか鳥の鳴き声がして、親鳥が2羽、雛のところに飛んできました。

 見ると、春に見慣れたメジロです。梅の花の時期は始終来て、梅の枝に刺したみかんの輪切りなどをついばんでいますが、この時期は全く姿を見せません。
 親鳥は、雛を連れて、カーポートの車の下に入って行ってので、もうこちらの出る幕はないな、と思って家に入りました。
 
 以前にこのブログで「 この巣の主は?」で写真を入れておいたところ、「多分メジロの巣でしょう」と教えてくれた方が居られましたが、我が家では玄関の脇にアメリカハナミズキが大分大きくなっていてその葉の茂っているところにメジロが巣をつくり、秋に葉が落ちて、「あれこんなところにメジロが巣をかけていたんだ」と思ったことがありました。

 庭の梅の木に鳥の巣箱を架けて、スズメが入った、シジュウカラが入ったと一喜一憂していることは、この春も書きましたが、メジロの方は、そんな巣箱には見向きもせず、自然の木の枝に巣を作っているのです。

 そうだ、今年もあのハナミズキの中にメジロが巣を作って、雛の巣立ちの日を迎えたところだったんだ、と納得して、一体どこに作ったのかなと、また外に出て、ハナミズキの枝を下からのぞきましたが、巣らしきものはありません(写真)。

 いずれ秋になって葉が落ちればわかるだろうと、探すのはやめて、車の下をのぞいてみましたが、もう親鳥の姿も雛の姿もありません。多分、親鳥たちの指導と手助けで、どこか安全なところに行ったのでしょう。

 何か、秋になってハナミズキの葉が落ちるのが待ち遠しいような気が少しだけしました。

稔るほど こうべを垂れる 稲穂かな

2016年08月20日 10時18分18秒 | 環境
稔るほど こうべを垂れる 稲穂かな
 

  これは、稲穂に例えて、人間の望ましい在り方を言っている「諺」だと思っていますが、我が家の赤米の稲穂も、嬉しいことに、次第にその様相を見せてきました。

 先日、 出穂、開花の様子を写真で載せましたが、その後、台風が来たりして大気の状態が不安定ということで、巧い具合に雷が鳴り「稲妻(稲夫)」も光って、これで稲は「よき夫(つま)」を得て、言い伝え通り稔ってくれるのではないかと思っていました。

 それからほんの数日ですが、確かに稲穂はだんだん垂れてきています。やっぱり穂の中で、お米の一粒々々がだんだん大きくなり、重くなってきているのだなと見て分かるような気がして、オリンピックの重いメダルの数の増えるのと一緒に喜んでいます。

 上の写真は右(上)先日の出穂・開花の時の写真を改めてトリミングしてみたもの、左(下)が今日の稲穂の状況です。明らかに「こうべを垂れて」いるのが稔ってきている証拠でしょう(雨のせいで多少垂れすぎ?)。

 ところでまた余計なことを書いてしまいますが、アメリカの競泳の金メダリストが、リオで破廉恥極まりないような行為に及び、世界中で、またアメリカのマスコミからも厳しく批判されているようです。

 アメリのマスコミの痛烈な批判についてはネット上でも沢山見られます。それはまあ当然でしょうが、アメリカの新聞をはじから読んでいるわけではありませんからわかりませんが、アメリカのマスコミ自身、醜悪だ、高慢だと痛烈に批判しても、そうした人間の行動をを生み出したアメリカ社会や文化についての反省や自覚は何か欠如しているように感じられます。

 過日、「先進国はなにか」を書かせていただきましたが、トランプ氏や バイデン氏の他国のことなど無視したような発言もあります。やっぱり一人当たり国民所得の金額だけで「先進国かどうか」を決めていいのでしょうかなどと思ってしまいます。

 最近では、アメリカも「カリフォルニアコシヒカリ」などを栽培していますから、種籾と一緒に「諺」も輸出する必要がありそうです。

 翻って「瑞穂の国日本の日本人」は、いつも稲穂のようにありたいものですね。

 

あらゆる手段で行き過ぎた円高阻止を

2016年08月18日 12時39分01秒 | 経済
あらゆる手段で行き過ぎた円高阻止を
 アメリカの利上げが早まるといった観測が後退し、当面利上げはなさそうだという論議になって円高が進み、1ドル=100円とび台になっています。
 当然株は下がるはずですが、あまり下がりません。日銀がETFを買うだろうという観測で下げ渋っているのだという解説です。

 政府・日銀の経済政策はそんな事を目指しているのでしょうか。日本経済は株価でもっているわけではありませんから、日銀の資金力で株価の下支えしたところで、それは株式市場だけの問題です。日本経済の実体の推移には関係ありません。日本経済の実体は前々回取り上げました4-6月GDP速報で見たとおりです。

 アメリカの連銀の誰かが「利上げは早まる」といったり「遅れそうだ」と言ったりするたびに為替が動いて、投機家には都合がいいかもしれませんが、実体経済に関わる人たちにはこんな迷惑な話はありません。

 日本にとって最大の問題は、そんなこんなと言っているうちに、1ドル=120円はすでに昔語りになり、1ドル=100円、つまり20円幅の円高になってきていることです。
 輸出関連主要企業は、経営計画の中で設定していた今年度の為替レートの予想を大幅に円高に見直し、それとわせて、その影響による予想収益の下方修正をしています。

 安倍さんが胸を張ったアベノミクス第1弾の円安政策の半分は消えてしまっているのが現状です。
 税収増への自信も、企業に設備投資や賃上げを奨励したのも、考えてみれば、「アベノミクスで1ドル=120円にしてやったのだから」ということだったのでしょう。
 政府だけ舞い上がっていて、民間労使はずっと慎重だったのですが、民間の見方のほうがやっぱり正解だったということでしょうか。

 アナリストとかストラレジストとかいう為替の専門家と称する人たちの解説では、100円というのは印象的にもケイ線上もクリティカルなラインで、その一線を越えるとさらに円高になるなどという解説などもあります。

 なるかならないかをはっきり言う人はいないようですが、アメリカの為替戦略、投機筋のアメリカの動きに注目する度合いから見れば、アメリカ経済指標が改善しなければ、可能性は高いでしょう。
 もともとアメリカの回復は、経常赤字を抱えたままのものですから、常に 制約条件のもとにあります。

 今のアメリカの様子では、バイデンさん(前回参照)だけでなく、民主、共和両党の主張でも、そんなに日本に気を使ってくれそうにありません。

 政府、日銀にどれだけの覚悟と能力があるか知りませんが、掲げられているすべての政策は「 正常な為替レートの上に載っている」ということを確りと認識し、行き過ぎた円高の阻止に「先ず」真剣に努力すべきでしょう。

バイデン発言の提起するもの?

2016年08月17日 11時04分03秒 | 国際関係
バイデン発言の提起するもの?
 つい先月ですが、「 先進国とはなにか」を、前々回は「 戦争における先進国と途上国」を書かせていただきました。
 近頃、先進国の社会的劣化ではないかと思われるようなことがたびたび見られるからです。

 そこに、今回は、アメリカのバイデン副大統領の発言です。選挙戦の中でのえげつないやり取りの一端かもしれませんが、世界の最先進国をもって任ずるアメリカの副大統領の発言としては、正に耳を疑うものでした。

 日米の外交の場や国連の場といったところでは「日本の憲法は我々が書いた」などと詳細の分からない伝聞を言うことは決してないでしょうから、内々の選挙戦という気の緩みもあっての事かと思いますが、今、要人の発言などは(場合によって要人でなくても)一瞬にして世界中に伝わる世の中です。非常識のそしりをまぬかれないでしょう。

 それはそれとして、問題は、この発言を聞いての日本人の反応が、また残念ながら、必ずしも思慮深いものばかりではなく、特にネット上のやり取りなどは、アメリカの選挙戦並みのえげつないものが数多くみられることで、誠に嘆かわしい限りです。

 論争点は、バイデン発言に関連して、日本国憲法は「アメリカ製か日本製か」といったことが多いようですが、憲法でも、車でもスマホでも(例えがあまり良くありませんが)利用者はその製品が良いから使っているのではないでしょうか。

 日本国憲法の作成には、日米の多くの人が関与しているのでしょうが、問題はその中身をどう考えるかが、本来我々が考えるべきことでしょう。

 日本人は古来、そういう点では、非常に賢明に、そのもの、そのことの良し悪しを判断してきています。もちろん、欧米の植民地競争の真似をしようと一周遅れで参加して大失敗などという誤りも犯しましたが、冷静になれば、日本人はきちんと身を処してきているように思います。

 長い時間をかけて、日本に定着している先人のいろいろな教えを見れば、それは、世界の優れたものを、確りと選別して受け入れ、その良さを日本流に解釈し、また翻案して、日本の文化、人々の生活に即したものと理解し言い伝えています。

 日本の 伝統文化から生まれたものに加えて、孔子の教え、釈迦の教え、キリストの教えなどなど、日本人は日本流に理解し、近くはクラーク先生の「少年よ大志を抱け」まで、日本人の思想信条になっているものはいくらでもあります。

 本当に大事なのは、その言葉が、いつの時代になっても役に立ち続けるものかどうかという判断がきちんと出来るかどうかで、それは自分自身の問題です。
 アメリカ製か日本製かなどという論争で、日本人自身が劣化しないことを切に願うばかりです。

2016年4—6月期GDP速報の主要点

2016年08月16日 10時05分10秒 | 経済
2016年4-6月期GDP速報の主要点
 昨日、内閣府から標記統計が発表になりました。ニュースではお聞きの通り、
「季節調整済み実質値で前期比0.0パーセント成長(0.04%を四捨五入)ですから、年率(瞬間風速)に換算すれば、年率0.2パーセントでほぼ横ばい」ということでした。
 日本経済は今年に入って足踏みということでしょう。
 内訳を見て、あえて特徴点を挙げれば、4-6月期の実質家計支出の中身は家計消費は横ばい、住宅ローン金利の低下で民間住宅建設が増えましたが(+5.0%)、円高で企業設備は微減(-0.4%)、それでも国内需要は微かに増えたのですが(0.3%)、海外需要(輸出、爆買いなど)が同じほど減って、結局横ばいです。

 それでは前期比でなく、前年同期比 (去年の同じ時期に比べて)はというと、いくらか良くて0.6パーセント成長です。押し上げているのは民間住宅建設(5.6%)で民間企業設備も前年に比べれば減ってはいません(+0.6%)。
 ということは今年の1-6月が停滞ということでしょう。低金利による住宅建設が何とか支えたということになります。

 住宅建設もいくらでも伸びるものではありません、矢張り日本経済は停滞の方向に向かっていて、主因は家計消費が伸びないことでしょう。実質雇用者報酬は前年同期比2.5パーセント増えていますが、貯蓄に回る分が大きいようです。

 将来不安から30歳代の若い層でも消費が落ち、加えて、円高で企業が財布のひもを締めていることなどから、日本経済は元気がありません。

 いつも見てきているGNI(国民総所得:海外からの利子配当収入などを含めた日本経済の実力)は前年同期比1.2パーセント増えていますが、この伸び率も縮小傾向にあります。
 
 政府が笛吹けど国民は踊らずでしょうか、残念ながら、何か景色が悪くなってきました。財政と金融ばかりでなく、何か国民の気持ちが明るくなるような政策が必要なのでしょう。一億総活躍では国民はあまり納得していないようです。

戦争における先進国と途上国: 8月15日雑感

2016年08月14日 10時11分49秒 | 国際関係
戦争における先進国と途上国: 8月15日雑感
 狭くなった地球上で、人類はいつまで戦争を続けるのでしょうか。今日も世界を見渡せば、戦争、紛争、テロが絶えません。

 しかし、考えてみれば、この面でも人類は経験に学び、それなりに前に進んでいると考えています。
 ですから、さらに進んでいけば、人類社会はいつかは戦争のない世界にを作ることが出来るのではないかと思い、それを願っているところです。

 第二次世界大戦までは、先進国、というか世界の大国同士が戦争をしていました。
 もっと以前は今の先進国でも国内の戦争に明け暮れたこともあれました。
 日本でいえば、倭国大乱の時代から、明治の初めまで、日本人同士が本気で戦争をしていました。その後漸く国内の戦争は止めましたが、外国と戦争をはじめ、1945年8月15日、それも止めて戦争しない国になりました。

 ヨーロッパではフランスとドイツが「もう戦争は止めよう」と誓いEUという共同体の基礎を作りました。
 米ソの対立も、核抑止力のお蔭もあったのかもしれませんが、ソ連の体制崩壊で、これで戦争がなくなるかという期待もありました。

 こうして大国同士の戦争はなくなりましたが、先進国もかつてそうであったように、途上国ではまだ内戦があります。これは大国(先進国)の自らの歴史を顧みれば理解出来るでしょう。途上国が先進国になれば、これもなくなるのでしょう。しかしそれを待つだけでは知恵がなさすぎます。

 先進国や国連の役割は、そうした途上国の内戦を「つまらないからやめろといい」=宮沢賢治『雨にも負けず』より=のように平和に納める努力をすることでしょう。
 
 ところが、問題は、先進国が、「つまらないからやめろ」と言わないで、内戦のどちらかに加担することが事をこじらせるようです。
 武器輸出のマーケットということもあるかもしれません。資源問題などで有利と思われる方に加担するのかもしれません。
 そして政府・反政府それぞれに、先進国がついて、支援し介入するのです。国連常任理事会も意見が割れて、拒否権があるので纏まりません。

 内戦はいわば喧嘩です。日本には、「喧嘩両成敗」という古来の知恵があります。喧嘩の場合、必ず両方に理屈があります。往々『加害者と被害者』の関係です。どちらがどちらかわからないことも多いのです。

 こうした途上国型の国内紛争については、
① 放置して自然解決を待つ
② 仲裁型の解決策を取る
③ 片方の後ろ盾になって支援する
の3つがあるのでしょうが、③が最悪です。そしてこれが今の紛争の原因にもなっているように思われます。

 先進国、そして国連が本気で良心的な(途上国の早期の成長を促すような)政策をとるようになれば、地球人類はもっと安心して暮らせるようになると思うのですが・・・・・。

赤米の出穂・開花

2016年08月13日 09時39分13秒 | 環境
赤米の出穂・開花



 2ヶ月程前、6月11日に「 赤米の田植え」を書きました。
 我が家では毎日朝、庭の隅に掘った穴に生ごみを埋めるのですが、その時生ごみ用のネットについた汚れを洗います。その洗った水を毎日赤米にやっていました。
 赤米は、漬物用のプラスチックの桶の中で、青々と順調に育って行きました。

 7月中旬、梅雨明けの頃、2日ほど中干しをしました。桶の中の土が乾いて固まって、桶との間に空間ができるほどになり、「これはちょっとやり過ぎかな」と思っていましたら、葉先が枯れて折れ下がったりしましたので、「いじめ過ぎて申し訳ない」と言いながら、また毎朝生ごみネットを洗った水をやっていました。

 田植えが遅かったので、育ちも遅いかなと思っていましたが、一週間ほど前、そばのススキが穂を出し、「そろそろ立秋か」などと言っていたら、一昨日、赤米が立派な穂を出しているのに気が付きました。もう少し前から出始めていたのでしょうが、未だだろうと思っていたので気が付きませんでした。

 よく見ると花が咲いています。昔から、稲が開花すると「稲妻」が光って、稲が良い実を結ぶといいますが、それなら「稲妻」は「稲夫(つま)」と書くべきだなどと理屈をいいながら、夏空を見上げ、今日あたり夕立が来て、稲妻が光ればいいなと稲妻来訪を待望しています。
 渇水ですし、水やりをしなくても済みますし・・・。 
 

原発廃止は日本経済の起爆剤?

2016年08月12日 12時00分17秒 | 経済
原発廃止は日本経済の起爆剤?
 以前「 経済成長の原動力」というテーマで、自然の恩恵の中で毎日ゆっくり暮らしているだけでは経済成長のない世界になってしまいますという趣旨の事を書きました。

 縄文以来比較的恵まれた自然の中で過ごしてきた日本人ですが、向上心と勤勉性があったからでしょうか、自然に働きかけて自然をより豊かにし、自然からその返礼を受けて自分たちの暮らしをより安心で豊かなものにするという作業を続けて来たようです。

 山の木を豊かにすれば海の魚も豊かになるとか、急流を横に蛇行させて沢山の小川に分ければ農作物がたくさん穫れるとかで、実語教(平安時代に源)には「山高きがゆえに貴からず、木あるを持って貴しとなす」とありますし、今「 里山思想」は全盛です。

 日本人は、自然が豊かになれば人間も豊かになれると考えていたようで、今でも国土の7割が森林というのは驚異的(ニュージランドやアメリカはもと7割、今3割)です。この思想は今も変わらないようです。

 こうして地道な努力をしてきた日本人ですが、今、経済が成長しなくて、国民も政府も困っています。
 こういうときは基本に返って、日本人はどのように経済成長を実現してきたかを確かめ、そこから新しい計画を立てるのがいいのでしょう。
 多分その原点は、
① 「自然」に協力し、自然と共に豊かになる
② 目標さえ決まれば向上心と勤勉性が発揮される
の2つではないでしょうか。戦後の高度成長も 目標がはっきりしていたからです。

 そこで、今日、世界で最も重要なエネルギー問題にこれを応用してみましょう。
 今、世界のエネルキー問題は、化石燃料利用から地球環境改善に向かい、原子力利用と自然エネルギー利用の主導権争いの様相です。

 この問題は日本人の考え方の源流に遡れば、自然環境を破壊する原子力利用(核分裂利用)ではなく、自然エネルギーをより高度に利用するという方向が選択されるはずです。
 日本の原発推進論者は、多分 舶来崇拝に汚染されているのでしょう。

  日本人らしく、自然との共生、自然の効率利用、自然に投資し、自然からのより多くの恩恵を受けると考えれば、今、日本は原発をやめ、自然エネルギー開発に国を挙げて邁進すべきでしょう。

 日本の優れた頭脳と大きな資本蓄積、加えて技術蓄積を活用すれば、そんなに長い期間を掛けずとも、世界で自然エネルギー利用のリーダーになることは可能でしょう。合わせ技は 蓄電技術の推進です。これも日本は世界をリードしつつあります。
 なぜなら、日本人は目標が決まれば世界一頑張るからです。

 世界の地上の3パーセントにソーラーパネルを張れば、世界の人口がアメリカ並みのエネルギーを使っても余ると言われます。太陽光、風力、地熱、波力、など自然エネルギー源は豊富で、併せて水素利用も含め蓄電技術開発などで、社会のあり方も大きく変わるでしょう。この変化は大きな需要を生み、それは経済成長の大きな原動力です。

 これは新時代の列島改造になるのかもしれません。固定資本投資中心でない、技術開発中心の列島改造です。エネルギーの制約がなくなり、エネルギーの地産地消も一般化するかもしれません。
 原子力については、廃炉技術に特化すれば、これも世界に役立つでしょう。

 今、日本社会は先行き不安にさいなまれ、士気を阻喪しています。景気対策の基本は、人々の意識を変えることにあるのではないでしょうか。

中国の海洋進出の背景

2016年08月11日 13時50分01秒 | 国際関係
中国の海洋進出の背景
 この所、中国艦船の尖閣諸島周辺での活動が盛んで、日本政府は連日抗議を続けています。もともと、尖閣諸島の領有問題を中国が主張し始めたのは、尖閣地域に石油資源があるといわれた時期と一致するといわれています。

 東シナ海の日中中間線の中国側での石油掘削事業も活発化し、リグを増設、一部のリグにレーダーが設置(軍事目的?)されるという問題も起きています。
 南沙諸島の場合はすでに国際仲裁裁判所の裁定が示されていますが、中国は無視を続けています。これも巨大なガス田の存在があってのことでしょう。

 中国の一貫した動きの中から読み取れるのは、領土=資源の確保のためには何が何でも邁進するという姿勢です。
 領土問題というより「資源確保」という意味で中国の態度を観察すれば、中国が石油を中心に資源確保に国運を賭けるような側面が見えてきます。

 日本の場合はどうでしょうか。石油資源の98パーセントは輸入と言われます。しかし日本は戦後素晴らしい経済成長を実現していきました。
 国内で国民が働いて付加価値を稼げば、必要な原材料は稼いだ金で海外から買えるのが前提です。開放経済の世界ではこの原則は貫徹します。産油国は原油を売らなければ、経済が成り立たないからです。

 世界の工場と言われ、一貫して経常黒字を記録している中国が、なぜ「資源は買えばいい」と考えずに「資源確保」ばかり考えるのでしょうか。
 どうもそこには中国の経済事情があるように感じられてなりません。

 中国はかつてアメリカなどの「人民元切り上げ要求」に応じませんでした。輸出に不利だったからです。当時は「日本は円高容認で失敗したでしょう」と言っていました。
 しかし最近の中国は人民元を高く評価させることに注力しています。

 いま中国は海外経済進出に力を入れています。一帯一路構想、AIIBをはじめ、多国間の活動にも熱心です。海外にモノを売る時には人民元安のほうが有利ですが、海外に現物投資をしたり、売るのではなく買い手に回った時は人民元高でなければならないからでしょう。

 国内の余裕資金を活用し、世界に経済拠点を広げるという選択には人民元高が有利です。しかし、中国はそれほど金持ちなのでしょうか、バブル崩壊の危険性は常に指摘され、国有大企業の財務体質問題、金融機関の不良債権問題も常に指摘されています。

 3兆ドルを超える、中国の外貨準備(内容は国家機密)ですが最近急減の様子です。投機筋では人民元暴落の可能性を予言するところもあるようです。
 しかし中国は、今後も国際的なプレゼンスの拡大を強力に進める気配です。それには強い人民元の大きな支出が必要でしょう。中国がどこまでそれを続けられるでしょうか。

 世界戦略に巨大な金を必要とし、石油が足りなければ、稼いだ金で買えばいいといっていられないとすれば、石油はじめ資源の自前の確保、それによる国家経済の安定したエネルギー基盤が必要になってきます。
 中国の資源獲得への異常な執念は、中国経済の内実と密接に関連があるように思うのですが、どうでしょうか。