tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

人件費支払能力の基準:名目値? 実質値?(支払能力シリーズ3)

2016年10月31日 11時18分54秒 | 就活
人件費支払能力の基準: 名目値? 実質値?(支払能力シリーズ3)
 前回、日本経済の人件費支払能力の基本的な基準は日本経済(GDP)の成長率と書きました。
 解り易く、「賃金を何%上げられるか」と言えば、日本経済が2%成長していれば、2%ぐらいは上げられるという事になります。ただし賃金は1人当たりですから、経済成長率も就業者一人当たりに直して「国民経済生産性」で、結局、賃上げの基準は「労働生産性」という事になるわけです。

 実はここで2つほど問題が出てきます。
 1つは、経済成長率は名目値なのか、実質値(名目値—物価上昇率)なのかという問題です。
 もう1つは、現在の賃金への分配率が正しければ、賃金の伸びと生産性の伸びは同じだから正常な均衡成長ですが、今の賃金への分配が少なすぎる(多すぎる)ならば、生産性の伸び以上の(以下の)賃上げをして賃金への配分を正常に戻す必要があるという分配の正常化の問題です。

 今回はまず、賃金上昇の基準となる生産性は「名目値」か「実質値」かという問題を見てみましょう。

 今のように、物価がゼロ%付近で安定している場合は名目でも実質でも、ほとんど同じですからどっちでもいいという事になります。
 しかし、今迄の春闘の中では、労働側は通常、「賃上げは物価上昇をカバーすべきだ」と主張して、名目生産性基準で考えるのが普通です。

 これに対して経営側は、「賃上げの基準は、実質生産性でなければならない」と言ってきています。
さて、どちらが正しいのでしょうか。

 この論争は、こんな形で説明できます。消費者の立場からすれば、物価が上がった分賃上げをしてくれなければ生活水準が落ちてしまう、それでは本当の生産性基準にはならない、という事ですが、経営側の主張は、もともと物価が上がったのは賃上げが高過ぎて、賃金コストアップになったことによるものだから、物価上昇を抑えるためには実質生産性以上の賃上げをしないことが大事、というものです。

 この問題を解決するためには、丁度今日のように、物価が安定している時から「実質生産性基準」で賃上げをしていくことが一番いいようです。
 そうすれば、 賃金コストプッシュインフレは起きません。インフレがなければ名目値か実質値かの論争は起きません。(日銀が2%インフレ目標を下してよかったですね)
 

 ところで、インフレは賃金コストプッシュ以外にも起きます。海外資源等が上がって、輸入インフレが起きる場合です。
 実はこの場合には、日本政府や日銀には対抗する能力はありません。甘んじて我慢するよりないのです。
(インフレが起きてしまった場合どうするかについては、日本には 素晴らしい実績があります。第一次オイルショック後の労使の賃金決定の経験です)

 その代わり、原油価格が下がって、ガソリン価格が下がった時には、賃金が同じなら生活には実質プラスです。

 もう1つ円高(輸入物価下落)、円安(輸入物価上昇)という問題があります。日本経済は円高のせいで20年以上も苦労(失われた20年)しましたが、この問題は、物価など問題にならないぐらい日本経済に影響しますから、これには 円レートの安定政策で対抗すべきでしょう。
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(注)人件費を論じながら、「賃金」と言い替えたりしていますが、ここで、解り易く「賃金」という場合は、正確には「1人当たり人件費」とご理解ください。人件費は、賃金や社会保障費の企業負担分など「企業が人を雇用する為に必要なコスト」という意味です。

世界経済は当面小康状態を維持?

2016年10月29日 12時19分17秒 | 経済
世界経済は当面小康状態を維持?
 アメリカの大統領選挙も、その帰趨の方向はほぼ見えて来たようです。イギリスのEU 離脱というハプニングによる混乱も、それなりに落ち着くところに落ち着くのでしょう。

 アメリカの利上げが12月にどうなるか、未だ経済指標待ちの所もありますが、昨日の発表では経済成長率は一応順調なようですし、いずれ利上げをしなければ、いつまでもゼロ金利という訳にはいかないのですから、方向は決まっています。
 
 日本もどう異次元金融緩和から抜け出すのか問われるところですが、世界経済も年末に向かって、当面小康状態というところでしょうか。
 世界の株価も、この所小動きで、そんな状況を読んでいるように感じられます。

 国際政治の面では核を巡る思惑や、地域紛争に関わる主要国の意見の不一致など問題はありますが、具体的なハプニングが当面予想されないのでしょうか、経済面では比較的平穏な状況が続きそうです。

 昨日報道された今年の文化功労者の1人の岩井克人氏は、「不均衡動学」の理論を打ち立て、それによれば、現実の経済は常に種々の要因で不均衡状態という事になるようですが、矢張り実体経済(庶民の生活意識)は、安定を望んでいるのでしょう。

 確かに今日のマネー経済全盛の中では不均衡が増幅されることが多いのですが、当面ある程度の安定が見通せるということになれば、生産、流通、消費などの経済活動を担当する企業や家計といった経済主体も、予測や見通しを立てやすく、活動もやり易くなるでしょう。

 投機筋もタネがないところでは大きくは動きにくいでしょうし、そうした環境条件の下では、実体経済は活動を活発化する可能性が高いという事になりそうです。

 アメリカ経済の正常化への努力、ヨーロッパの安定の維持、推進、中国経済の落ち着きといった中で、各国や国際機関の世界経済の安定志向の舵取りを期待したいところです。

 繰り返しますが、常に不均衡を内蔵するのが世界経済かもしれませんが、その中で生活する生活者は、基本的には安定を望んで入りはずですから。

消費者物価7か月連続マイナスの中身

2016年10月28日 11時17分08秒 | 経済
消費者物価7か月連続マイナスの中身
 今日(10月28日)、総務省は2016年9月度の消費者物価指数を発表、マスコミは「7か月連続マイナス」と報じています。
 見出し通りに受け取れば、今の日本はデフレ状態ともいえるような状況ですが、本当のところはどうでしょうか。少し中身を見てみたいと思います。

 マスコミが見出しで取り上げている「前年同月比0.5%のマイナス」は「コア指数」と呼ばれるものです。
 消費者物価指数の表示は3種類があります。
・「総合」:すべての消費者物価をカバーします
・「生鮮食品を除く総合」:天候などで変動の大きい生鮮食品を除いた指数(コア指数)
・「食糧(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合」:輸入物価の影響を受けやすい部分を除いた指数(コアコア指数) 
 「持ち家の帰属家賃を除く」という分類もありますが、技術的なものなので、ここでは触れません。

 前年同月比の数字を見ますと「総合」マイナス0.5%、「生鮮食品を除く総合」(コア指数)マイナス0.5%、「食糧(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合」(コアコア指数)0.0%(四捨五入でゼロになる程度のプラス)という事になっています。

 「生鮮食品を除く総合」(コア指数)も「総合」と同じマイナス0.5%という事は、天候不順で高騰した生鮮食品の影響は9月にはまだ大きくないという事でしょう。(ひと月先行する東京都区部の10月では11.4%の上昇です)

 「食糧(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合」(コアコア指数)が0.0%という事は、物価が下がっている大きな要因は国内にはなく、資源価格の下落や円高による輸入物価の下落の影響が大きいという事が分かります。 

 ご承知のように、原油をはじめ国際的な資源価格の低迷は、世界経済の不安材料になっていますし、円レートは昨年暮れの120円台から今年9月には100円ぎりぎりという円高傾向です。

 こうしてみると、日本の物価下落は、国内要因というよりは、国際的な要因によるものが主因という事になり、確かに消費は不振ですが、国内経済としての物価は底堅く推移しているのが現状と言えそうです。

 という事になりますと、今後はどうでしょうか。海外情勢の変化は予断を許しませんが、、原油価格の持ち直しに象徴されるように、今後資源価格は確りしたものになっていくのではないかという見通しも根強く、円レートもこのところ多少円安に振れる状況にあります。

 円レートについては、アメリカの利上げの動きに翻弄されるのでしょうが、いずれ利上げをしなければならないことは自明で(日本はどうするかですが)、国際的に資源価格が持ち直す(世界経済小康状態で)という事になりますと、今後日本の消費者物価もこれまでのマイナス傾向ではなく、プラス転換も予想されるところです。

 日銀がインフレ目標2%を取り下げたところで物価が上昇傾向に転じるという事になるかもしれないというのも皮肉な事です。現状でも、菓子類、衣料品、日用雑貨、保険医療が、教育サービス、教養娯楽など価格が上昇傾向のものもあります。
 今後の消費者物価の動向には十分留意が必要なようです。


日本経済の人件費支払能力(支払能力シリーズ2)

2016年10月27日 09時17分57秒 | 経済
日本経済の人件費支払能力(支払能力シリーズ2)
 先月、9月の14日に、経営者団体や、経営者が良く使う割に、中身も定義もはっきりしない言葉として「支払能力」を上げて、折に触れて考えてみようと書きました。

 10月の20日に、連合が、2017春闘に向けて2パーセントのベア」を基本方針とするという報道がありました。
 ベースアップ2パーセントというのは、今の日本経済の状況の中で「支払い能力の範囲内」なのでしょうか。この場合、どのように考えるべきなのでしょうか。

 勿論この問いはそう簡単なものではありません。しかしだから勝手に解釈せよというわけにもいきません。
 という事で、思考の順序として、支払能力の判断の基準となるものを上げていき、それをいかに解釈することで、支払能力を考えるアプローチになるか、その辺りから入ってみましょう。

 まず最も基本的な要素は「日本経済が成長したから、人件費も増やす能力があるはずだ」という基準でしょう。
 矢張りこれは支払能力の最も重要な基準でしょう。日本経済が成長した、つまりGDPが増えたというのは、日本人が頑張って働いたからでしょう。ならば、当然、働いた人たちはその分報われるべきでしょう。

 かつて、日経連(現経団連)が主張した「生産性基準原理」というのは、「就業者1人当たりのGDPの伸び率を基準に、1人当たり人件費の伸び率を決めよう」という考え方です。
 GDPが5%成長して、就業人口(雇用者+自営業主)が1%増えたとすれば、1人当たりではGDPは4%増えた(生産性上昇4%)のですから、1人当たり人件費は4パーセント増やせば「支払能力」ピッタリという事になります。

 しかしこの原理は、「失われた20年」になって、経済成長がマイナスになってしまってから、言われなくなりました。理由は、GDPが減れば人件費も減らすことになるからです。
 組合は「定昇程度」は要求しますし、経営側も正面切って、「賃下げをします」とは言いにくかったからでしょう。

 経営側は、正規労働者を減らし、賃金が低い非正規労働者を増やして平均賃金を下げて、辻褄を合わせようとしましたが、結局、売上も減っているので、利益も大きく減って、長期不況になりました。
 経済成長が復活すれば、「生産性基準原理」に沿って人件費を引き上げるという考え方は、当然復活するでしょう。

 連合がベースアップ2%要求と言っているのも、その程度の就業者1人当たりのGDP成長はあるだろう、あるいはあって然るべきだという考え方によるものでしょう。

 という訳で、人件費の支払能力については、まず経済成長率(GDPの伸び率)が、先ずは重要な基準という事になります。
 通常、人件費に代えて「賃金」というのが一般的で、賃金は1人当たりですから、GDPの方も就業者1人当たりのGDP伸び率(国民経済生産性)に直して、1人当たりをベースにして議論するのが普通です。
 

過労死自殺で見過ごされている点

2016年10月23日 11時34分32秒 | 労働
過労死自殺で見過ごされている点
  いつももっと明るい話題をと考えながら、こうしたあまり書きたくない問題にまで触れてしまって、残念です。
 
 過労死自殺も報道がなされるたびに、残業時間の長さが問題にされ、月100時間とか200時間といった数字が出てきます。厚労省が月80時間を危険ラインとしているなどということも聞きます。

 月20日働くとして80時間ですと1日当たり4時間です。日本の企業社会では、手取りを増やすためにそのぐらいの残業をしたい人は沢山いました。
 政府はこれから、企業に対して、副業を解禁させようとしているようですが、そうすれば、副業を4時間やるような人は多でしょう。

 言葉は「過労死」ですが、人間は労働時間が長すぎるだけで自殺するでしょうか。最近の某広告会社の若い女性社員の問題でも、労働時間の長さが自殺の原因と思う人は、あまりいないのではないでしょうか。

 恐らくそこで決定的に重要なのは、職場の人間関係です。業務命令の問題ですから、職場の人間関係といっても上司との関係が最大でしょう。
 真面目な従業員ほど、仕事に一生懸命です、自分のベストの能力をかけて仕事をします。上司がその努力を認めてくれれば、仕事が生きがいになります。

 しかし、もしその成果を全く認められなかったら、自分の能力、人格まで否定されるように感じるのが日本の職場ではよくあることです。
 上司、管理職の役割は「部下を育てること」です。如何にしたら部下は育つか、これは管理者教育の原点であり、第一歩でもあります。

 これ以上は想像でしかありませんが、恐らく担当の管理職は、管理職としての教育訓練を適切に受けていなかったのでしょう。失われた20年の中で、大手企業も教育訓練費と大幅に削りました。現場では「現場力の低下」が言われますが、企業経営者は、管理職の「管理能力の低下」も決して見落としてはいけないと思います。

 マスコミなども、過労死の原因を、残業時間数だけで報道するケースがほとんどですが、「過労死」の「労」は、単に労働時間の問題ではなく。精神的な負担、ストレスのほうがずっと大きいはずです。

 おそらく、睡眠時間中以外は、勤務時間外でも常に、自分の能力への疑問や、上司の反応の怖さにさいなまれ続け、それならどうしたいいかを考え続け、そして決定的に行き詰まった時、それが自殺という恐ろしい行動につながるのではないでしょうか。

 過労死事件というのは、労働時間よりも、より多く上司との 間の仕事上の悩みによるように思われてなりません。
 最後は法律判断かもしれませんが、そこに至るプロセスについては、企業の人事管理、教育訓練重視への態度がより大きな関わりを持っていると、企業は本気で心すべきではないでしょうか。

ゼロサム社会のマネー移動の結果は

2016年10月22日 10時31分16秒 | 経済
ゼロサム社会のマネー移動の結果は
 企業というものは、その生まれからして、世の中を「豊かに快適」にするような仕事をして、その対価を受け取るという形で「付加価値」を生産し、それを賃金と利益(資本蓄積)に配分し、従業員はより豊かに、企業は資本投下でより高度な生産をするという循環を目指したものでした。

 したがって、利益を多くするためには、通常、より多くの付加価値を生産することが必要でした。
 その結果、付加価値生産は順調に増加(経済成長)し、それが社会全体に行き渡って、世の中はより豊かで快適になってきたおいうことでしょう。

 ところが、金融業の異常な発展により、前々回の最後の書きましたように、
 ・資本投入 → 財・サービスの生産 → 付加価値の生産 → 賃金
 ・資本投入 → キャピタルゲイン → 賃金
付加価値を生まないビジネスが生まれることになりました。

 上の段のビジネスは、伝統的な実業で、付加価値生産を経由して賃金や利益を増やします。下の段のビジネスは、付加価値を経由せず、おカネの動きだけのビジネスです。
 昔でしたら、これは、賭博、ギャンブルで、まともなビジネスとは看做されず往々御法度、犯罪でした。

 こうしたビジネスが盛行しても、GDP(一国の付加価値)は増えません。起きる事実は、ゼロサムの中で、損する人と得する人が出て、おカネの持ち主が変わるだけです。
 キャピタルゲインは特定の人を豊かにしても、社会を豊かにはしません。

 そして一般的に、こうしたマネーゲームではおカネを少ししか持っていない人は負け、沢山持っている人は勝つのです。
 これは自明で、勝ち負けが確率とすれば、おカネのある人は勝つまで金額を増やして、賭け続ければいいのです(いわゆるギャンブル必勝法)。

 その結果、何が起きるかというとこれも自明で、おカネ(富)の偏在、格差社会の発生です。
 国の政策としては、お金持ちから税金を取って、それをより貧しい人に配分するという福祉政策が重要な課題で、 これは資本主義安定の基盤ですが、マネーゲームはその逆を推進します。

 アメリカからヨーロッパ、日本まで格差社会化が進んでいる背景には、マネーゲームによる格差社会化のスピードが、福祉政策よりよほど早いという事も大きな要因でしょう。
 キャピタルゲインへの課税は累進的ではなく、世界的に低い(日本は分離課税で20%)という事もあるのでしょう。

 資本主義が生き延び、社会・共産主義が衰退した理由の一つに 資本主義が福祉の概念を取り入れたことがあると書きましたが、巨大なマネーゲーマーの登場が、資本主義の本卦還り(かつての強欲な資本家の時代への逆戻り)を齎しているのでしょうか。

 格差社会では庶民の購買力は衰え、資本主義が行き詰まることは歴史が示しています。先進国経済を中心に、世界経済の停滞を見、資本主義の危機などと言われるのも頷けるところでしょう。

 「 付加価値を創らないビジネス」が盛んになればなるほど、資本主義は行き詰まるという事はこうしたプロセスで現実になってきているようです。

日銀、2%物価上昇目標先延ばしへ

2016年10月21日 21時46分17秒 | 経済
日銀、2%物価上昇目標先延ばしへ
 「付加価値を創るビジネス創らないビジネス」について書いてきましたが、今日(10月21日)日銀の黒田総裁が2%の物価上昇目標を2018年度までには無理だから、先延ばしすることを示唆する発言をしたことが報道されましたので、今回はその問題です。

 部外者の我々には、本当に2%上昇にならなければ景気は回復しないと考えて固執していたのかどうかわかりませんが、先延ばししてもと示唆したのは、結構なことだと思います。

 もともとインフレ目標2%には合理的な根拠はなく、3%じゃ高すぎる、1%じゃ元気が出ない、アメリカも2%といっているのだから、そんなところがと腰だめで出した程度の数字だったのしょう。

 私は、円レートの正常化に注力する黒田日銀が、2%上昇が目標とアメリカと同じ数字を示し、「そのために、更なるウルトラ金融緩和をしても、アメリカに文句は言わせない」という予防線のような意味で言ったのではないかと勘ぐっていたくらいです。

 しかし2%に遠く及ばない状況でも、アメリカが日本に対して「為替操作国」と言い出す可能性が大きくなったり、国内でも異次元金融緩和のデメリットが取りざたされ始め、2%を掲げた意味が消えつつある中で、次第に役に立たないスローガンになったという事でしょう。

 借金で生活しているのならいざ知らず、真面目な生活者は、デフレでさえなければ、インフレ率は低い方がいいに決まっていると考えますから、日銀の2%の看板下しは自然の成り行きと考えていまいます。

 これからの日銀は、インフレ目標ではなく、物価の安定(デフレは絶対避けつつ)を基本に、より正当、合理的な手段で、為替レートの適切は水準での安定を強力に追求し、世界経済の健全化のための王道を主張し、その実を日本経済で実現して見せるぐらいの気迫を持った考え方を政策に作り上げていくべきでしょう。

 おりしも安倍総理は、TPPを率先批准して、アメリカに圧力をかけると言っています。貧すれば鈍するといったような状態になっているアメリカに、金融政策においても、正論を掲げて対応するような方向がこれから必要になるのではないでしょうか。

 そのためには 2%インフレ目標の先延ばし(次第に撤廃に)は、あるべき日銀の姿に、一歩近づいたことになると考えてもいいのではないかと思っています。

付加価値からの所得と振替による所得

2016年10月19日 12時57分56秒 | 経営
付加価値からの所得と振替による所得
 株式を購入して、その配当を受け取るというのはどういうことでしょうか。
 企業は人々のより良い生活のために財やサービスを生産してそれを販売し、人々はそれを購入し活用して、生活が豊かになったり、便利で快適になったりします。

 その豊かさや便利・快適のために、人々は購入代金を払います。企業では従業員が設備(資本)を使って働き、例えば、宅配便というサービスを提供します。ゴルフをする人はそのサービスを買って「手ぶらでゴルフに行ける」という快適さを得ます。

 企業はその活動で「付加価値」を創っているのです。企業の中では、付加価値は人件費(賃金や社会保険料)の原資となり、設備等資本関係の費用(金利や減価償却費)を払い、残りが利益になります。この利益の中から株主に配当が支払われます。

 という事で、株主への配当というのは「付加価値の配分です」。つまり社会の豊かさ、快適さが増えた(付加価値が増えた)、国全体で言えば、GDPが増えたので、それに資本を提供(株を持つ)して貢献したことへの対価として配当が払われるわけです。

 しかし、株は買ったけれども、値上がりしたら売って利ザヤを稼ぐためで、首尾よく値上がりして差益が出たという場合は、「付加価値の創造」とは関係ありません。
 一人の株主がずっともっていた場合と、値段が上下するたびに株主が変わって、ある人はそれで儲け、ある人はそれで損をしても、企業の作る付加価値には関係ありません。

 こうした価格の上下による儲けや損は「キャピタルゲイン」、「キャピタルロス」と言われ、単に、世の中のおカネが、株価の上下を活用したマネーゲームでAさんからBさんに移転しただけです。ですから移転所得、あるいは振替所得と呼ばれます。

 昔からコメや小豆の相場で巨万の富を築いたり、財産すべてを失ったりいろいろな話があります。株式売買が一般的になり、今日では金融工学が発達して、株価や金利、為替の変動を利用した多様な金融商品・派生商品(デリバティブズ)が生まれ、投機の手法も機会も社会に満ち満ちています。

 付加価値を生産するために働いてほしい理工系の優秀な人材が、金融工学に役立つと金融取引の世界で採用が盛んになった「理工系の製造業離れ」問題などがありましたが、社会は本能的に将来の問題を認識していたという事でしょう。

 確かに、手間や時間をかけてモノやサービスを生産し、そこから生まれる付加価値の配分としての賃金や配当をもらうより、直接おカネでお金を稼いだ方が、手っ取り早く簡単、しかも金額が大きいというのも現実でしょう。

 資本投入 → 財・サービスの生産 → 付加価値の生産 → 賃金
 資本投入 → キャピタルゲイン → 賃金

と比べてみれば、その通りでしょう。然し、下のプロセスには「付加価値の生産」が入っていません。その結果、社会はどう変わるのでしょうか。

経済学と付加価値

2016年10月18日 21時39分48秒 | 経営
経済学と付加価値
 以前、「働く」という事は「端を楽」にする事と書きました。タクシー会社は乗客を楽にしています。杖のメーカーは足の悪い人を楽にしています。

 むかしから「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」などと言いますが、籠を担ぐ人や草鞋を作る人がいて、駕籠に乗って楽をできる人がいるわけです。
 籠に乗る人は駕籠かきに料金を払い、駕籠かきは草鞋を買います。

 付加価値というのはそうした仕事をする人の仕事の価値です。基本的には、人件費が付加価値なのです。
 しかし、駕籠かきはまず駕籠を持たなければなりません。駕籠を買うことは投資で資本支出です。それを担いで働いて、もらった料金を全部使ってしまうと、駕籠が壊れてしまった時新しい駕籠が買えません。駕籠が5年もつとすれば、5年のうちに新しい駕籠を買うだけのお金を貯めておく必要があります。これが原価償却費です。

 さらに、上等の駕籠なら、もっとお客が取れえると考えれば、もう少しお金を貯めて、上等な駕籠にして、より多くお客を稼ごうと考えるかもしれません。
 上等な駕籠を買うことも新しい投資です。稼いだ金は、自分の賃金と駕籠という資本を所有するためのカネ(投資資金、留保利益)の両方に分けておく必要があります。
 こうして、付加価値は人件費と資本費(利益+減価償却費)の合計という事になります。

 こういう経済は端を楽にする人間中心の労働経済です。

 これに対して、もう一つの経済があります。金融商品を売買して、その値上がり値下がりという価格差でさやを取るビジネスです。
 本来、株を買うというのは、その会社が利益を上げ、配当を支払うから、その配当を当てにしてた行動だったのでしょう。

 しかし、株価は上下します。そこで、その上下を利用して、安い時に買って、高くなったら売る、高くなったら売って、下がった時買い戻す、というビジネスが発生します。
 これはマネーゲームです。

 これで売買益が出て、それを自分への人件費とパソコン購入という投資に振り向ければ、そこで付加価値の計算が可能です。しかしこの場合、本当に付加価値が生まれているのでしょうか。端が楽になっているのでしょうか。

付加価値を創るビジネス創らないビジネス

2016年10月17日 20時28分32秒 | 労働
付加価値を創るビジネス創らないビジネス
 近年の世界経済の不振は次第に深刻になって来るようです。良い突破口が見つかって、先進国も新興国も、経済成長のチャンスがつかめるようになればと願うところですが、なかなかうまく行きません。

 基本的な考え方からいえば、シュンペータがかつて指摘したように、その突破口・起爆剤はイノベーションでしょう。イノベーションによって、人間生活がより豊かで快適になる可能性が見つかり、人間の生活が、その一段高いレベルの豊かさと快適さを日常生活の中で活用できるようにするために企業などが競って努力します。

 こうした努力が実を結び、より豊かで快適な生活が社会全体に広がっていくプロセスが経済成長です。仕事が増え、雇用が増え、付加価値が増え、それが人件費と利益に分配されて、賃金も増え、利益も上がり、イノベーションは現実の商品やサービスになり、皆がそれを享受するわけです。

 テレビの普及、自動車の普及、宅配便の普及、パソコンの普及、さらには移動通信の一般化、などなど、このプロセスを経て、我々の暮らしは随分よくなりました。 
 何故よくなるのでしょうか。人間が働くからです。人間がこうした良い目的を持って働くと、社会が良くなります。それをおカネに換算できるのはおカネの発明と経済学のお蔭でしょう。

 新しく生まれたモノやサービスがマーケットで価格が決まりますから、どれだけ豊かさ快適さ(便利さ)が増えたか金額で表すことが出来ます。その代表がGDP(国内総生産)で、日本国内で人間が働いて1年で生み出した経済的な価値が今年のGDPです。

 この経済的な価値は、専門用語でいえば「付加価値」です。このブログのテーマです。ところが、先ほど「人間が良い目的を持って働くと」と書きましたが、目的を間違うといくら人間が動いても、働くことにならない無駄な動きになります。

 今、世界中で人間がやっている動き方の中には、「付加価値を生む良いもの」と「付加価値を生まない無駄なもの」があります。そしてその区別が必ずしも的確に行われていないようです。
 いま世界中の経済が巧く行っていません。その一つの理由には、この「付加価値を生み出す動き方」と「付加価値を生まない動き方」が明確に区別されていないことがあるように思っています。
 この辺の問題を少し考えてみたいと思います。

TPP雑感:環太平洋の大国、小国共栄の道?

2016年10月15日 16時21分14秒 | 国際経済
TPP雑感:環太平洋の大国、小国共栄の道?
 もともとアジアの新興国の経済共栄を目指すサークルだったTPSEPに、アメリカが興味を示したのでしょうか、更なる広範囲、高度な自由貿易協定を目指し、アメリカ主導のTPP交渉に至ったというのが基本的な動きでしょう。

 第二次大戦後、超健全で強力な経済力を持つアメリカは覇権国として世界をリードする力を持っていたのでしょう。
 しかし1970年代以降、その力を失い、万年経常赤字国・借金国に転落しても、相変わらず世界のリーダとしての役割を担おうとしています。

 しかし、国でも家計でもそうですが、盤石と思われた黒字国から、外国から金を調達しなければやり繰り出来ない赤字国に転落すれば、矢張り行動の中身は変わって来ざるを得ないでしょう。
 ガリオア、エロアなど敗戦国の困窮に対してまで援助するアメリカから、世界から金を集めなければならないアメリカに変わったのです。

 国際間における貿易・資本移動の自由化、変動相場制の一般化、会計基準の統一といったアメリカンスタンダードの普及促進も、こうしたアメリカ経済の質的な変化の中で考えなければならないでしょう。

 サブプライムローン問題・リーマンショック発生で、アメリカの信用は低下し、それでも経常赤字のファイナンスに苦慮しなければならない中でのTPP主導です、当然日本でも警戒感は強いのが実態です。
 しかし、交渉当時、甘利代表は頑張ったのでしょう、フロマンさんの考え方もあったあのでしょうか、大筋合意が達成され、現政権は批准を急いでいます。

 自由貿易志向は原則正論です。しかし本当の中身は現実に動かしてみなければわからないのかもしれません。
 ところがここにきて、言い出しっぺともいうべきアメリカが、トランプ氏は兎も角、クリントン氏までTPP反対を表明する事態になっています。

 種々問題の取り沙汰されるISDS条項などはあまり論議されていませんが、大筋合意が、アメリカに有利であれば、アメリカは反対しないはずでしょう。
 ここにきて反対を唱えるアメリカ、批准を急いで、アメリカに圧力をかけようとする日本といった何か逆転の構図になっています。

 とすれば、大筋合意の内容は日本の有利なのでしょうか。それとも、有利不利ではなく、国際経済秩序をキチンと整備していこうという正論に則って現政権は批准を急いでいるのでしょうか。

 国会論戦は、利害が生じる産業の問題が中心のようですが、アメリカを説得して日本が指導力を発揮するというのであれば、TPPの理念も、環太平洋の大国も小国もともに手を携えて成長と発展を目指すような、利害関係の調整だけでない日本らしい理念が必要と思われるのですが、そうした準備はあるのでしょうか。

CO2の原材料化さらに進展

2016年10月14日 09時30分22秒 | 科学技術
CO2の原材料化さらに進展
 地球温暖化・気候変動の元凶とみられているCO2をプラスチックの原材料にするという技術開発に東芝が成功したという報道がありました。

 CO2と水から、ペットボトルなどに使う樹脂「ポリエチレンテレフタレート」(PET)の原材料となるエチレングリコールを合成するという技術だそうです。

 もともとCO2は、人間が化石燃料を多用するようになって、排出量が増え、かつての京都議定書から現在のパリ協定まで、人類はその知恵を駆使して排出量を減らそうと、まさに必死の努力をしている最中です。

 そのCO2という化石燃料の燃えカスから、従来なら化石燃料から作るのが当たり前と考えられていたPETを作るというわけです。

 CO2はドライアイスや炭酸飲料には使われますが、それで大気中のCO2が減るわけではありません。
 しかしペットボトルを化石燃料からではなく、CO2から作れば、それだけ大気中のCO2は減るわけで、化石燃料から作る場合に比べれば、CO2の削減にはダブルの効果を持ちます。

 しかも今回の東芝の技術開発は、有機物でできた触媒を使うという事だそうで、希少金属などを使うのではないようです。

 もともと植物は葉緑素の力で、CO2と水から太陽光線を使って、草や木を作り出しているのですから、人間の技術がそれに一歩近づいたという事でしょうか。東芝では太陽光でなくソーラーパネルで発電した電気を使うという事だそうです。

 すでに 旭化成も、CO2を原材料にポリカーボネートをつくる技術を開発していて、さらに進んだ実証プラントの建設も決めたとのことですが、地球上の自然がやってくれていることを、人間も自然に協力してやれるようになるという事は素晴らしいことだと思います。

 今回ノーベル賞に輝いた大隅良典氏の「オートファジー」にしても、自然はきちんとリサイクルを行い、地球上の自然をサステイナブルなものにしているのです。

 その自然の営みを乱す(化石燃料の過剰消費や「核分裂」のエネルギー利用など)のではなく、黙々と行われている自然の営みに協力するのは、 人間の自然環境に対する、ささやかでも大事な恩返しでしょう。

 ジュール・ベルヌは「人間が想像できることは、人間が実現できる」と言っていますが、こうした自然の営みに積極的に協力するような技術開発が一層進むことを願うところです。

リーダー(基軸通貨国)の混迷は世界を混乱させる

2016年10月13日 10時47分47秒 | 国際経済
リーダー(基軸通貨国)の混迷は世界を混乱させる
 経済問題だけでなく、それを背景とする政治や国際・国内紛争も含めて、世界はかなりの混乱状態にあります。第3次世界戦争を言う人すらあります(私は人類の知恵を信じていますが)。

 この混乱を激化させないためにも、各国経済、そして世界経済の安定的発展は必須です。そのためにも、まず主要国はあらゆる経験、知識、学問を総動員して、一国経済、世界経済の安定発展への方途を模索すべきでしょう。
 第一の目標は、国内、国際を通じた格差社会化の阻止だと考えています。
 
 しかし、現状は問題が多すぎます。最も気になるのは資本主義の「マネー化」です。
 経営者が資本家にとってかわった経営者革命は、マネー資本主義の盛行で様相を一変しました。かつて「チューリッヒの小鬼たち」と言われた国際投機資本は、今や「マンハッタン、ロンドン、フランクフルト、ルクセンブルグの大鬼たち」に進化し、攻防と興亡を繰り返しながら、富の偏在、格差社会化を作り出しているようです。

 一方、福祉社会化は忍び寄る格差社会化と、先進国が一様に(先んじて日本が)悩む高齢化でその持続性が問われるようになり、一般庶民の先行き不安感を強めつつあります。

 矢張り今のマネー中心の資本主義は、根本的な資本主義のやり直し「マネーから実体経済へ」の改革が必要なのでしょう。
 そして、その前提は、本当のところを言えば「基軸通貨国アメリカの万年赤字」の是正でしょう。

 アメリカが経常黒字国になり、健全経済を取り戻し、マネー取引でファイナンスをしなくてよくなれば、G7、G20、OECD、国連での議論の様相も変わるでしょう。

 高齢化対応は「実体経済」の成長の中で計画されるようになり、余計なことを言えば、GPIFの活躍は後退するでしょう。

 アメリカの大統領選挙のあまりに情けない中傷合戦を興味本位に議論するのではなく、アメリカという猫の首に、「万年経常赤字を直すことが基軸通貨国の責務」だと、誰がどう鈴をつけるかが問われているように思います。

喫緊の課題は格差社会化の阻止

2016年10月12日 10時18分58秒 | 経済
喫緊の課題は格差社会化の阻止
 第一次大戦後の世界恐慌の原因は、典型的には、国家間では植民地収奪による列強と弱小国という格差拡大、国内では初期の資本主義の中での強欲な資本家の富の蓄積、加えて初期のマネー資本主義(投機の流行)による格差社会化が総需要の減少をもたらしたことだったようです。

 今日、我々が経験している先進国中心の不況も基本的には似ていて、植民地はなくなりましたが、精緻に理論化された金融工学を駆使した国際的なマネーゲームによる富の偏在が進んでいます。資本家はいなくなりましたが、いわゆるファンドなどが強欲な資本家に代わって、格差社会化に貢献するといった状況が総需要の減少をもたらすという図式ではないでしょうか。

 ピケティの慧眼、その研究と指摘は鋭いと思います。経済社会が巧く機能しなくなるのは、格差社会化(富の偏在)が最も基本的な要因ということなのでしょう。

 常識的に考えても解るようの気がしますが、富が偏在すると、例えば、上位10%の家計に90%の富が集中するといった状態では、より大きな富を蓄積した人は、蓄積した富を使い切れません。巨額の富を稼いだ人の遺産は巨大だというのが一般的です。消費性向が低かった結果が巨大な遺産でしょう。

 一方、低所得の家計では、消費性向100パーセントでも、国民所得統計の消費支出への貢献は、残念ながらそう大きくはないでしょう。
 日本のように、勤倹貯蓄型の国では、低所得の家計ですら、貯蓄に励み、消費性向は一層低くなるでしょう。

 資本主義の中では富の偏在で格差社会化が必然的というピケティ流の前提を置けば、資本主義は常に需要不足によって行き詰まる宿命をはらんでいるという事になります。
 そしてそれは第1次大戦後も、また、第2次大戦後も、現実に起きてしまったという事になります。

 このブログでは、こうした資本主義の宿命を救ってきたのが、経営者革命と福祉社会思想だと書いてきました。
 福祉社会化による経済社会の安定的発展は典型的には北欧に見られた通りです。また経営者革命による富の偏在阻止は1980年代前半までの日本で典型的に見られた通りです。
 北欧諸国と日本は、かつては世界で最も所得格差の小さい国でした。

 そして現在、北欧諸国は社会保障負担の重さに耐え、出生率向上に成功する国もあり、何とかその伝統を維持しているようです。
 翻って日本は、為替操作に完敗した一国経済の典型として後世経済史に記録されるような「失われた20余年」を経験し、経済成長のない中での高齢化の急速な進捗もあり、いまや、社会保障制度の行き詰まり、所得格差の拡大、格差社会化に悩んでします。

 そして世界もまた、マネー資本主義の波に翻弄され、覇権国のアメリカに主導されて格差社会への道を突き進んでいます。
 格差社会化に必然的に随伴すると考えられる社会の劣化は、多少論理の飛躍があるかもしれませんが、世界最先進国のメンタリティーとしては考えられないような現在のアメリカ大統領選挙の様相にも反映しているのではないでしょうか。

 アメリカはどこへ行く、そして世界はどこへ行くのでしょうか。

財政政策、金融政策を越えて

2016年10月11日 09時44分39秒 | 経済
財政政策、金融政策を越えて
 第1次世界大戦後の世界恐慌はケインズ政策によって救われたといわれます。しかし同時に、最終的に世界不況を解決したのは、第2次世界大戦だったという意見もあります。確かに戦争は生産と破壊の両方を同時的に促進します。

 第2次世界大戦後、世界経済は1960年代まで素晴らしい発展の時期を迎えました。しかしその後、基軸通貨国アメリカの万年赤字化、石油危機と先進国経済のスタグフレーション化、さらには為替操作とマネー資本主義の盛行の果てに、サブプライムローン問題・リーマンショックが発生、世界金融危機、さらに新興国経済不振に波及、世界経済は深刻な停滞状態に転落しました。

 今回の世界金融危機に端を発する世界不況は、アメリカ発の異次元金融緩和政策で恐慌転落は何とか回避を見たようですが、その後遺症には未だ明らかな処方箋はありません。

 実は、第二次世界大戦後の世界経済秩序は、2度の世界大戦が、世界の経済運営の失敗の結果だ、との反省からいわゆる「 ブレトンウッズ体制」から始まったことは皆様ご承知の通りです。

 しかしこの体制は、アメリカが言い出したものにも拘らず、アメリカの経済(政治・軍事)政策の失敗から1971年のニクソンショックで終わりを告げました。
 その後の基軸通貨国アメリカの今に至る万年経常赤字は、そのファイナンス技術として発達した金融資本主義、マネーマーケット重視、金融工学などの盛行を生み、その結果としてリーマンショックに至ったという事でしょう。

 金融は実体経済の潤滑油というのはブレトンウッズの体制の基本思想でしょう。その間、世界経済は健全に発展してきています。
 そのブレトンウッズ体制破綻後の金融資本主義の発展は、金融を手段にした富の偏在、格差社会化を発生させました。

 これは第1次大戦後の資本家主導の資本の集積による富の偏在、格差社会化、需要不足による世界恐慌と共通するものでしょう。
 ピケティが指摘しているように、富の偏在、格差社会が逆転したのは、第2次大戦後、1960年代までの時期だけという事になるようです。

 単純化し過ぎかもしれませんが、第1次大戦後の世界恐慌はケインズ政策で救われ、第2次世界大戦後の金融恐慌は異次元金融緩和で救われたと後世いわれるかもしれませんが、それらはあくまでも症状緩和のための応急措置で、本当の病の治療は、少し時間をかけて、経済そのものを健全な体に作り替えることが必要なのでしょう。

 そのためには先ず、経済活動の主体である人間、その主要なグループを上げれば、消費者、生産者、政府、それぞれに影響を与えるアカデミアの頭の切り替えが必要でしょう。

 未だにケインズ政策(財政政策)と金融政策中心の「経済(だけ)政策」に頼っていていいのでしょうか。

 安倍政権の「一億層活躍」は経済政策から一歩踏み出した「 社会経済政策」への一歩かもしれませんが、問題は中身でしょう。思い付きや単純な思い入れが多く、まだまだ未成熟の段階ですが、基本的な活動主体である生産者と消費者、それを統合した生活者、つまり国民の声をよく聞いて立派な中身のものにしていくことが望まれます。