tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

改めて「日本的経営」を問う:雇用か賃金か

2012年08月28日 21時53分43秒 | 経営
改めて「日本的経営」を問う:雇用か賃金か
 先日、シャープが人員削減の方針を発表したら株価が反発したという記事が新聞に出ていました。我々の世代には、考えさせられる記事です。
 ほんの十何年前には、「欧米では、首切りを発表すると株価が上がるそうだ、日本じゃ考えられないね。」などという会話が一般的でした。

 日本の企業は伝統的に雇用を大事にしてきました。余程のことがない限り、雇用の削減には踏み切らないというのが日本企業の、基本的な態度でした。ですから、人減らしをしなければならないというのは企業が余程重症だという事で、とても株価が上がるような状況ではないという事だと理解されていたからでしょう。

  労使交渉の中でも、賃金はともかく、「雇用を守れ」というのが労働組合サイドの基本的な考え方だったと思います。ボーナズを全額カットしてでも雇用を守るという選択をする企業も多くありました。

 「雇用か賃金か」と言えば、欧米では雇用を減らして人件費を削減し、日本では1人当たり賃金を減らして雇用を守る。賃金より雇用の方が大事であるというのが、一般的な認識だったように思います。

 しかしこの長期不況のせいで、状況は大きく変わりました。「雇用というものは不安定なもの」という認識がサラリーマン、さらには労働組合の間でさえも一般的になって来てしまったようです。会社に雇用の安定を求めても無理だ、たとえ一流企業に入社しても、定年まで同じ会社に居られるなどと思うな、といった声が多く聞かれます。

 長期不況、規制緩和、環境変化に従順な日本人、などの要素が、こうした変化をもたらしたのでしょうか。結果的に、若手従業員の企業に対する信頼感は、どんどん薄れて来ているように感じます。日本的経営の主要な柱であった「雇用安定の重視」は、こうして労使双方の考え方の変化の洗礼を受けています。

 長期不況だからと言って、「人間重視の経営」「長期視点に立った経営」という日本的経営の二本柱の動揺を放置してもよいのでしょうか。
 これを一方通行の進行過程としてしまうのか、あるいは、あくまで不況対応の方策で、日本的経営の根幹は堅持するのか、日本の労使はここいらで本気で考え、論議する必要があるような気がします。


加害者と被害者

2012年08月26日 12時11分08秒 | 社会
加害者と被害者
 加害者がいなければ被害者は発生しません。そういう意味では加害と被害の総計は純理論的にはゼロサムのはずです。
 例えば、ギャンブルでは、得した人の総額(胴元の儲けも含む)と損した人の総額は同じでしょう。振り込め詐欺でも、損した人がいれば、その同額を誰かが儲けているはずです。国際間のマネーゲームでも同じです。

 金銭の場合は、通常こういう解り易い計算になるのですが、これが心理的な問題になると、全く違うようです。通常、被害者はたくさんいて、加害者はあまりいないということが多いようです。
 つまり、加害者には「加害者意識がない」が、被害者は「被害を感じている」というケースが沢山あるという事です。

 「いじめ」の問題を例にとってみれば、加害者にはほとんどその意識がないが、被害者は死ぬほど苦しんでいるといった様子がはっきり見えて来ます。
 以前は、いじめの問題では、いじめられた方だけではなく「いじめた方の心にも傷を残す」などと解説され、「確かにそうだ」という意見も多かったように感じます。

 しかし最近の事件を見ると、いじめる方には、ほとんどそうした意識がないことが多いようです。いじめる方の感受性の欠如でしょう。ですから当然反省の意識もなく、いじめが繰り返されることになるようです。

 最近の身勝手な傷害や、殺人などの事件でも、加害者は、自分の事だけしか考えず、相手のことを考えるという人間らしい感受性が殆どあるいは全くないといったことを感じさせる事件が増えているような気がします。

 論語にも「己の欲せざるところを人に施す勿れ」などとあって、そういった思いやりの心を教えた歴史は、中国にも、日本にも、恐らく世界のどこにもあったのでしょうが、最近は人間社会が余裕がなくなり荒んできたせいか、権力やカネの力が横行し、行き過ぎた自由を肯定するような風潮が強まり、他人の気持ちが解らない「勝手な行動」が多くなったとすれば、それは、人類にとって「人間性の退歩(劣化)」でしょう。

 経済でも、最近は、黒字の国は、赤字の国のために金を出して当然といった金融理論が公然とまかり通っているような気もします。だから赤字削減にも本気になりません。
 円高で日本がいかに苦しみ、(その分、アメリカ経済は救われ) 日本経済・社会が劣化しても、アメリカが加害者意識を持つことはなさそうです(注)。

 こうした人間社会の退歩(人間性の劣化)は、どこかで逆転させないと、犯罪の増加、さらには、かつての植民地政策や労働者搾取と同じように、いつかは大きな悲劇を引き起こすことになるのではないでしょうか。
 さて、いかにして、どこから治していくべきでしょうか。
 
(注)アメリカの次期大統領候補のロムニー氏が「我々は日本ではない」「日本の様にはならない」と言っています


トラブルメーカーとトラブルシューター

2012年08月20日 11時18分17秒 | 社会
トラブルメーカーとトラブルシューター
 歳をとったから特に感じるのかもしれませんが、最近、新聞やテレビを見ていて感じるのは日本でも、最近また、トラブルメーカーが増えてきているのではないか、ということです。
 戦後かなり長い間、思想的な対立や貧しさなどから来る社会的混乱の中で、トラブルメーカーが社会的勢力の一部をなしていた時期がありました。

 労使関係でいえば、経済社会を混乱させればそれで良いのではないかといった考えの人たちが労働運動を率いた時期もありました。混乱、転覆、革命が物事を進める道筋だと思っていた人たちです。

 こうしたトラブルメーカーがグループを作って行動する方式は、しかし、急速に不人気、になり、問題を解決して、先に進もうという、いわば落ち着いた合理的な考えが主流になりました。日本的労使関係が注目されたのは、労働組合も、トラブルシューターの方向に舵を切ったからでしょう。

 学生運動や社会運動もそうでしょうが、日本社会の成熟は、より多くの日本人が、トラブルシューターになった、言い換えれば、「解決指向の日本人が増えた」という事だったのではないでしょうか。
 今回の大震災後の多くの日本人の行動は、巧まずして世界にそれを示し、改めて世界の注目を浴びたという事だったように思います。

 不満があれば、デモや投石、破壊、略奪といった行動が、日本より先進国だと思っていた国でも頻発するのを見て、日本人は今、なにを考えているのでしょうか。
 なんだ、欧米先進国と思っていたが、我々よりおよそ未成熟だったのか、と思っている人たちが多いのか、それとも、我々は温和し過ぎると考えている人が多いのかです。多分、前者が圧倒的に多いと思います。しかし、マスコミにも、日本人は温和し過ぎるという論調が多々見られる事も事実です。

 竹島や、尖閣の問題も同列でしょう。トラブルメーカーになったとしても、結果はいざ知らず、当面、自分は気が済む・・・。考えるのはそこまでで、後は思考停止、という人が、長年の閉塞状態の中で、何となく増えているような気がするのです。
 例えば、隣の家と喧嘩をしようと思ったら簡単で、地境の問題を持ち出せば、平穏な隣人関係も、通常、簡単に争いに発展します。国同士も同じです。

 ただ日本人の伝統的性格を考えれば、縄文以来、トラブルシューターとしていかに知恵を磨くかというのが、本来の日本人の性格だったように感じるのです。力ずくの争い(戦争)に持ち込むというのは、海外から教わった知識ではなかったでしょうか。

 戦争をしない独立国として、今、日本はその本来の知恵を本格的に試されているのです。


8月15日をどう生かすか

2012年08月15日 10時06分15秒 | 国際政治
8月15日をどう生かすか
 今年も8月15日が来ました。1945年8月15日、日本は戦争に敗れ、大きな転機を迎えました。日本にとっては大きな変化のきっかけになった日ですが、世界にとってはどうでしょうか。

 我々が、当時「大東亜戦争」として教わった戦争の意義は、当時の「軍歌」にも歌われていますが、「東亜侵略100年の野望をここに覆す」とか「興亜の使命担いて起てる」とか「四海の人を導きて正しき平和打ち立てん」とか、子供心にも良いことをしているのだ、と思うものでした。

 確かに、アジアの国々を軒並み植民地にしていた欧米諸国から、アジアを守って、正しい平和の世界をもたらそう、というのですから立派です。お上が言い、学校の先生が言うのですから子供はすぐに信用します。

 しかし戦争というのは矢張り狂気ですから、やっていることは侵略であり殺戮でした。67年前の日本中が晴れて暑かったあの日をきっかけに、我々はその虚構を知ることになったのです。

 結果的に日本は、平和憲法を持ち「国際紛争の解決の手段としての戦争を放棄する」ことを明確にしました。これは人類としては素晴らしい前進ですが、その割に世界でそれに倣おうという国はありません。

 そういう意味では、日本は人類の歴史を先取りしている国ですが、それでは日本はその先進性を活用して、世界に積極的に貢献しているでしょうか。
 残念ながらその気配はあまりありません。逆に軍事力で世界に貢献できないことを引け目に感じているようにすら感じられます。

 日本がおかしいのでしょうか、世界がおかしいのでしょうか。おそらく、今の人類社会が、未だ余りに未成熟なことが原因でしょう。
 では成熟とはどういう事なのでしょうか。これは、言い換えれば、地球上の人類が、秩序を持って平和共存するためには何が必要かを自覚し実行するという事です。

 かつて、「軍隊と警察」というテーマでも書かせていただきましたが、国際紛争の解決を軍隊ではなく、国連警察や国際司法機関で解決するようにする事が必要でしょう。

 100年以上前、坂本竜馬は「藩のためではなく、国のために・・・」といったそうですが、藩同士の争いを合理的に解決するためには確りした中央政府が必要と解っていたからでしょう。同様に国同士の紛争の合理的な解決のためには、国よりもう1段上の上部組織が必要です。
 竜馬の言葉を「国のためではなく、世界のために」と言い換えることが必要なのでしょう。だからこそ日本は本来『国連中心主義』を掲げていたはずです。 

 ならば、100年、200年先を見通して、世界で最も熱心に『国連中心主義』を鼓吹するというのが、平和憲法を持つ日本の本来の使命ではないでしょうか。


消費増税成立、それでどうなる?

2012年08月11日 11時47分57秒 | 経済
消費増税成立、それでどうなる?
 8月10日、消費税の増税が決まりました。2014年4月から8パーセント、15年10月から10パーセントです。
 財政健全化は土光臨調以来の大蔵省・財務省の悲願と言えばそうなのかもしれません。安住財務相が財務省担当部局に「あまり大喜びするな」といったという報道もありましたが、これで一体日本経済はどうなるのでしょうか。

 2つの可能性があるような気がしています。
 1つは、消費増税が社会保障の財源に当てられ、財政の健全化が進む可能性です。この場合は多分、国民の生活防衛意識から消費が伸び悩み、貯蓄が増えるでしょう。景気は減速し、国際経常収支の黒字幅は増加する可能性が高いように思われます。

 財務省にすれば、長年の思いが叶ったという事かもしれません。しかしそれで済まない可能性が出て来ると思います。日本の財政健全化を読んだ国際投機資本の円買い、結果的に円高傾向の発生です。
 これは日本経済を、更なる円高→デフレのスパイラルに陥れることになりそうです。

 もう1つは、すでに、いろいろな動きがあるようですが、消費増税で財政に余裕が発生します。それだけ国債発行を減らすことが財政健全化ですが、それを考えているのは多分財務省だけで、他の省庁はその分を当てにして、すでにいろいろ報道されていますが、高速道路、新幹線、老朽化したインフラの改修を始め、その余裕を財源として、「何に使おうか」と手ぐすね引いているでしょう。

 野田総理は、「増税分はすべて社会保障費」と言っていますが、それで出来た余裕については何も言っていません。国民の生活防衛意識で貯蓄が増えれば、国債発行の余地は増えます。増税はすべて社会保障費に使った、それでお金が浮いたからそのお金を使った、という落語のようなやりとりで、財政健全化は雲散霧消という可能性です。

 しかし、円高防止策としては、この方が良いのかもしれません。消費増税をしても、日本の財政赤字は増えこそすれ減らない、という事になるからです。
 生真面目な日本人は、多分、我慢の貯蓄で財政赤字を支えるでしょう。財務省は糠喜びだったことに気づき、新たな消費増税案に意欲を燃やすでしょう。

 これだけの大騒ぎをして日本は一体何をしているのでしょう。国際投機資本が跳梁することに文句も言えず、国民の勤勉さを宛にして、政治家と官僚が、徒にコップの中で、政(政治・政策)争を繰り返す黒字国日本の「喜劇のような悲劇」というところでしょうか。


金融円滑化法とEU問題

2012年08月09日 12時27分38秒 | 経済
金融円滑化法とEU問題
 金融円滑化法という法律があります。サブプライム問題からリーマンショックにかけての世界的な金融問題の発生で、$1=¥120が$1=¥90という急激な円高になり、日本の金融機関もバランスシートが毀損、「貸し渋り」や「貸し剥がし」などという言葉がはやったことは皆様ご承知の通りです。
 
 苦境に立った中小企業を救おうと、当時の金融相(亀井静香氏)のお声がかりで中小企業の借金返済を猶予する努力を金融機関に課したのがこの法律です。いわば、実体経済の苦境を、金融の緩和で幾らかでも救済しようという政策です。2009年末に施行、当初11年度までの時限立法でしたが、2回延長されて、来年3月までになっています。

 中小企業問題と、国際経済問題との違いはありますが、基本的には、今のユーロ圏のような、実体経済の赤字に対し、金融政策(緩和)でどこまで対応できるかという問題と結局は同じことです。

 日銀の白川総裁の、「金融対策は時間稼ぎに過ぎない」という発言を以前紹介しましたが、原因を直さないと問題解決に繋がらないことは、中小企業の場合は良く解ります。
 赤字で借金返済が困難な中小企業に、借金返済を猶予しても、赤字が直らない限り、借金と利息が増えるだけです。

 中小企業関係団体の調査によれば、返済猶予を受けた中小企業で、この制度を利用して、なんとか正常化にこぎつけた企業は約15パーセントだそうです。おそらく血の滲む努力の結果でしょう。マーケットが縮む中で30パーセントの円高(国際的コスト高)に対応するなど容易ではありません。その後さらに80円を割る円高です。日本の場合、不況の原因は円高ですから、それに手を打たない限り企業の対応には限界があります。

 信用調査機関などでは、来年3月後の中小企業の倒産増加を心配しているとのことですが、借金がより大きくなって破綻という事は当然考えられますし、期間を延長しても、つまりは同じことに繰り返しでしょう。

 翻って、ユーロの問題は、金融対策の規模が大きくなれば、「これで一安心」といった雰囲気ですが、本当の問題の所在は、赤字国が、いかに苦しくても、分不相応な支出を減らし、着実な赤字減らしの構造改革をすることしかないのです。

 同じことは、万年赤字のアメリカについてもいえるわけで、本当の解決策は、一時的には苦しくても、赤字国の赤字削減努力だという事を、国際経済機関はもっと明確にした方がいいのではないでしょうか。


原子力利用についての疑問

2012年08月04日 17時20分35秒 | 科学技術
原子力利用についての疑問
 最近、排熱を利用して発電をしようという動きが盛んです。以前から鉄鋼メーカーでは高炉の排熱を利用した炉頂発電などは有名ですが、最近は技術の発達で、多少でも熱を出すものがあれば、ロータリー熱エンジン、スターリングエンジン、ゼーベック効果、ペルチェ効果、バイナリー発電など種々の技術を利用して、発電をする試みが数多く報道されています。

 地熱発電はもちろん、海水温度差発電なども、温度差さえあれば発電が可能という理論を技術開発で実用化するものですし、焼却炉の排熱や、低温排熱回収システムを利用した各種の工場排熱利用による発電などまさに排熱利用発電の開発は花盛りのようです。

 自動車エンジンの排熱は、昔から自動車の暖房には使われていますが、さらに発電に利用して、自動車の燃費を一層改善しようという試みもあるようです。ビール工場でガスエンジンの排熱利用で、トータルの熱効率を大幅に改善した事例なども発表されています。

 燃料電池の排熱で給湯するエネファームなどもすべて、排熱の回収技術の進歩、そうした熱を発電や給湯に利用する技術の進歩によるものでしょう。

 そうした中で気になるのが、原子炉の海水による冷却です。原子炉を冷やすには大量の水を使うので、日本のように周りが海ならばいいのですが、川の水や地下水を使うところでは大変なようです。だから日本の原子炉は逆に津波の危険にさらされるわけですが、問題は、そんなに冷やす必要があるのなら、その熱を回収して発電すれば、もっともっと発電効率は上がるのではないかと思われることです

 電力会社が温排水でウナギを飼ったりアワビを育てたりというのは聞いたことがありますが、べらぼうな排熱が出ると思われる原発で、その排熱で二次、三次の発電がおこなわれれば、原発のコストは、もっともっと安くなるのではないでしょうか。

 そんなチマチマしたことをしなくても、というかもしれませんが、事は日本全体のエネルギー効率の問題です。
 よそではもっとチマチマした排熱利用を、一生懸命やっているのではないでしょうか。

 原子力燃料は、使用済みでも、まだまだ巨大は熱を出し続けるようですから、ただ冷やしているだけというのはいかにも芸のない話のように思います。
 電気料金の値上げもあることですし、原発を動かすというのであれば、同時に排熱利用の徹底もお考え頂くというのはいかがでしょうか。