tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

ベンガル湾周辺7カ国の協力組織の活動

2018年08月31日 12時48分24秒 | 国際関係
ベンガル湾周辺7カ国の協力組織の活動
 BIMSTEC(Bay of Bengal Initiative for MultiSectoral Technical and Economic Cooperation: ベンガル湾多分野技術・経済協力イニシアチブ)という組織があります。

 インド、タイ、スリランカの3カ国から始まり、その後、バングラデシュ、ミャンマー、さらにネパール、ブータンが参加して、7カ国となっています。
 マスコミでは往々にして一帯一路などで勢力を拡大する中国に対抗するためといった解説がされますが、それはそれとして、7カ国は、それぞれに多様な問題を抱えながらも21世紀という「アジアの世紀」を創る重要な国々です。

 その7カ国の会合が、8月30にと31日の2日間、ネパールの首都カトマンズで開かれています。
 NHKの報道によれば、インドのモディ首相は、冒頭、南アジアと東南アジアの連携を深める方向を示すスピーチをされたそうですが、こうした動きが活発になり、アジアの国々が、多角的な協力体制を築きながら、共に発展する姿が見られるようになれば素晴らしいと思います。

 地政学的な見方をする人たちは、アジアの巨大な2つの国、中国とインドの対抗の図式でこうした動きを説明することが多いのかもしれませんが、それはそれ、1つの見方として、いずれ世界の超大国となる(既にそうですが)中國とインドが共にアジアの発展をリードすることは、巨大で多様な可能性を生むでしょう。

 すでにインドはIT技術大国としての地位を確立していますが、13億の人口を持つ民主主義国が如何なる発展を遂げるかには、世界中の多くの人々が深甚の興味を持って見守っているでしょう。

 片や中国は共産党一党独裁体制を継続、習近平氏の終身国家主席の体制を整え、ユーラシア大陸からアフリカまで一帯一路の経済発展を目指しているようです。

 21世紀は「アジアの世紀」と書きましたが、すでに、現実はアジアの世紀を越えて、世界の世紀、地球社会全体の姿を模索する世紀になりつつあるように感じられます。
 トランプさんはその中で「2国間」に固執した動きをあらわにしていますが、地球市民にしてみれば、すでに時代遅れのようです。

 願わくば、各地域、各国々が、固有の文化にはそれぞれの独自性があっても、それぞれの特徴を生かし、「争いの文化」ではなく 「競いの文化」の中で、競争的連帯(Competitive Alliance)を目指して進んでほしいと思うところです。
 日本はその中でいかなる役割を果たすのか、日本のリーダーには、いよいよ本気でその問題を考えてほしいと思います。

見えてきた? トランプ政権と日本の今後

2018年08月30日 12時28分57秒 | 国際関係
見えてきた? トランプ政権と日本の今後
 暑さが繰り返し、繰り返しやってきて、高齢者にはつらい時期です。
 「コマメ」に水分を取ることと、エアコンを止めないことで何とかひと様にご迷惑をおかけしないようにしていますが、早くこの暑さをスマートに電力エネルギーに変えて、豊富な電力で快適な生活ができるような時代が来ないかなと思っています。

 ところで報道によれば、日米関係も本当はいろいろな問題があるようです。政府の物言いだけ聞いていますと、(トランプさんは何処へ行っても勝手なことばかり言っていますが)日本とは不思議に仲良くやってくれているのだな、などと思われるのですが、突然、アメリカから情報が入ってきて、「私は真珠湾を忘れない」とトランプさんが言ったという事です。

 安倍さんは「私も広島と長崎は忘れない」とは言わなかったでしょうが、トランプさんは終戦の翌年のお生まれですし、安倍さんはその8年後のお生まれですから、お二人とも、戦争の事は「歴史」としてご存知だという事でしょう。

 日本の真珠湾攻撃については、多様な情報があり、裏の裏までの正確な情報は知る由もありませんが、戦後の日米関係の中で、歴史上の事実は事実として、それなりに「消化」され、「昇華」してきているのではないでしょうか。

 広島、長崎についても、「 日本人の心打つ世紀の和解」で書きましたように、オバマ大統領と坪井直さんの対話のシーンは、あるべき姿の本質を如実に示し、見る人々に感動を当て、日米両国の良識の中にしっかり納まったと考えるのが我々の理解です。

 何故トランプさんが「真珠湾」を蒸し返したか真意は解りませんが、報道から推測すれば、対日貿易赤字問題提起の「枕」したかったのかな、などと感じてしまいます。
 「お金が第一」のトランプさんなどと言われますが、相手が日本人だからいいですが、相手によっては、忽ち反発が出て、「真珠湾と広島・長崎」の論争から、日米関係悪化につながりかねないという事も起こりうるでしょう。

 日本政府は、その点冷静に(卑屈ではなく)対処していますから、これからも特に問題には繋がらないと思いますが、やはりこの問題は世界中でいろいろとトラブルを巻き起こしているトランプさんならではの発言で、その根源は、そういった人を大統領に選んだ「アメリカという国の問題」という事になるのでしょう。

 「 トラブルメーカーとトラブルシューター」でも書きましたが、日本はあくまで、国際関係の中でも、一貫して、安定した「トラブルシューター」としての役割を確りと果たしていってほしいと思うところです。

プラスチック廃棄物をどうする

2018年08月28日 22時44分15秒 | 科学技術
プラスチック廃棄物をどうする
 原子力発電について、「トイレの無いマンション」という言葉がはやりましたが、トイレのマンションは原発だけではないようです。

 中国のプラごみ輸入禁止から、急遽問題になっているのがプラスチック廃棄物問題です。さらにこれは、海洋汚染、魚類やクジラ、海鳥までに至る生態系に深刻な影響を与えつつあるという調査や、研究が数多く発表されています。

 原子力利用の廃棄物とは違ってリサイクルの技術も開発されているのですが、収拾、輸送、選別、洗浄、原材料還元、再利用といったリサイクルのコストが高く、採算ベースに乗らないという場合が多いようです。正確にはトイレがないのではなく、トイレが足りないマンションでしょうか。

 しかもプラスチック廃棄物はこれからも急速に増加するという予想が、これも数多く出ており、そレが現実になりつつあるようです。

 例えば、PET製品(ペットボトルなどのポリエチレンテレフタレート製品)のリサイクル率はドイツで40%台、スイスが30%台、日本は20%
等と言われますが、これまでプラごみの中国への輸出で何とかやってきた日本も、これからが大変です。

 しかし、生態系から地球環境にまで影響を及ぼすことが予想されるとなると、CO2とはまた別の環境問題として、地球社会として取り上げなければならない問題でしょう。

 今、プラスチック製ストローをやめようといった動きもあり、勿論望ましい方向ですが、問題はどこまで効果があるかです。恐らくプラスチック製品を使うなと言っても、こんな便利なものは今はほかにないので、あまり現実的ではないのかもしれません。

 という事であれば、矢張り何とか完全リサイクルを考えなければならないでしょう。これは物理的、化学的処理による再資源化、単純に言えば、石油から作ったものだから、石油に戻すことが出来ればという事になるわけですが、収集、輸送、選別(分別)洗浄といった、いわば社会的なコストの方が大きくなりすぎることも問題のようです。

 しかし、これは何とかやり遂げなければならない問題でしょう。石油資源の争奪戦は今でも地球上で続いていますが、人類共通のプロジェクトとしてプラスチックの完全再利用の社会的、技術的サイクルを確立するといった努力が必要になっているのではないでしょうか。

 石油資源の争奪が国家間の争いに発展することを防ぐためにも、世界の平和を目指す日本が率先してプラスチックリサイクルの総合システムを創造し、それによって世界の平和に貢献するといった構想を持ってもいいのではないかと思うのですが、やっぱりカジノや文言だけの改憲の方が大事でしょうか。

 

資本蓄積と経済発展:2つの道筋(3)

2018年08月26日 11時21分26秒 | 経済
資本蓄積と経済発展:2つの道筋(3)
 前回、資本蓄積が進むと、その蓄積した資本をさらに増やすために何を考えるかという点で、現在の世の中には大きく2つの道があるという事を見て来ました。

 この2つの道筋は、端的に言ってしまえば、
① その資本を使って生産(GDP=付加価値)を増やし、社会を豊かで快適なものにする中で、そこから分け前をもらうという道筋、正常な投資活動
② その資本を使って金融取引(マネーゲーム)をやり、手間のかかる生産活動などは省略して直接カネでカネを稼ぐという道筋、ギャンブル化した経済活動、投機の世界
の2つに分かれます。
 
そして問題は、前回も書きましたように、どちらで稼いでも、「懐に入れば同じカネ」という事で、しかも、資金量が多く腕が良ければ、往々にして投機の方が儲けが大きいことです。
 
 というわけで世界で最もお金持ちのアメリカがマネーゲームを正式な経済活動とするために、多様なシステムのいわゆる「デファクト・スタンダード」を作り、金融工学を発展させて、世界のカネを集めようとしたわけです。

 結果、何が起きるのでしょうか。アメリカの産業資本主義は次第にマネー資本主義が主流になり、実体経済は衰弱して、競争力を失くしてしまいました。
マネーゲームで世界中からカネを集めて何とか資金繰りをつける「経常収支万年赤字国」となったのです。

トランプ大統領支持で有名になった「ラストベルト(錆びついた産業地帯)」がその象徴で、かつて世界に君臨したアメリカの鉄鋼産業も自動車産業も競争力を失くし、今やアメリカは農業国、産油国で、競争力のない部分は日本のトヨタやホンダを招き入れて補ったり、その上、力ずくの関税戦争を仕掛けたり、マーケット価格の無い兵器(日本では防衛装備品、オスプレイやイージス・アショアなど)を押し売りして稼いだりという惨状です。

 このことは「 金融資本主義の行方」で紹介した童話が解り易い説明をしてくれています。

 ところで日本は、今日では珍しく、 おカネの出自を識別する文化を持った国なのです。
投機やギャンブルで稼いだカネは「あぶく銭」「浮利」「悪銭」などと言い「悪銭身に付かず」などと言います。

 一方まともな生産活動で稼いだカネは「額に汗したカネ」と呼び、由緒正しい立派な金だと認識するのです。

 リーマンショックで「マネー資本主義」が批判され、実体経済を発展させる 健全な産業活動への投資への回帰が言われました(当時NHKの特集番組は大きな反響を呼びました)が、アベノミクスになってから、年金資金を株で運用していくら儲けたとか( GPIFの活動)や、国会で 強行採決 をし、ギャンブル依存症対策付きのカジノ誘致に熱を上げるなど、まともな日本人としては考えられないようなことが多くなっているので、ついついこんなことを書いてしまったというのが本音です。

資本蓄積と経済発展:2つの道筋(2)

2018年08月24日 17時16分57秒 | 経済
資本蓄積と経済発展:2つの道筋(2)
 前回、資本が蓄積された社会、特に個人(家計)に金融資産が蓄積された場合、社会の動きとしても、個人の動きとしても、蓄積された資本をいかに増やすかという目標に向かって進むことになるのですが、これが格差社会化を招いたりして必ずしもうまく行かないのではないかという指摘をしました。

 例えば、日本の場合、戦後の借金をしながらの高度成長でしたが(東海道新幹線建設では世銀の融資を受けました)、1980年代の蓄積社会には、アメリカ国債の最大の保有国などと言われました。

 さぞかし利息が付いただろうと思うのですが、1985年のプラザ合意以降、円高が進んで、円の価値はドルに比べて2倍になりました。これはアメリカ国債の価値が円で言えば半分になったという事です。ギリシャやアルゼンチンではなく「覇権国・基軸通貨国アメリカの国債」を持っていても、こんな資産の損失が起こるのです。

 今世紀の初頭、アメリカは「グリーンスパン・マジック」などと言われる金融手法で好況を続けました。世界中の銀行がアメリカの証券を買いました。しかしその証券の中には「サブプライムローン」という毒が入っていて、格付け会社が揃ってトリプルAをつけていたのに価格が暴落、世界中の銀行の資産に大穴が空き、日本でもメガバンクは3行という金融再編になりました。資産運用でアメリカの証券を組み込んだ投信などを買った家計は大損でした。

 こんな経験に懲りたのでしょうか、日本の家計は元本保証の銀行預金選好です。
 これに対して、前回も指摘しましたように、アメリカやイギリスの家計は、株式や投信といった証券投資が主流です。
 
 いずれにしても、経済の発展の原則を考えれば、蓄積した資産は新たな経済活動に投資し、その活動の成果の中から、利息や配当、株価の値上がりといったリターンを得るという事を誰しも考えるのです。

 こうした資産運用のプロセスの説明は、蓄積した資本(家計の資産)が投資されて新しい経済価値(付加価値)を生むために使われるという「正常な経済」についてのもので、それが、銀行への預貯金という道を通るか、直接家計から企業に投資されるかは、「間接金融」か「直接金融」かの違いはあっても、本来の目的も成果も共通です。
 ここでのテーマは、蓄積資産の辿る「2つの道筋}という事ですが、上の場合は蓄積された資産が、まともな経済活動による経済成長を経て、その結果更なる蓄積が進むという「第一の道筋」の説明です。

 ところがここで、新傾向の経済活動が起こることになります。「第二の道筋」です。こちらの道筋と第1の道筋の違いはこんなことです。
第一の道筋:蓄積資本⇒生産活動への投資⇒経済成長⇒蓄積資本増
第二の道筋:蓄積資本⇒金融活動への投資⇒資本利得/損失⇒資本蓄積増/減

 第一の道筋は資本は生産活動に投下され、経済が拡大しその中からリターンを得る「インカムゲイン」による資本蓄積の増です。
 第二の道筋は資本はマネーゲームに投入され、カネがカネを生む方式の「キャピタルゲイン」による資本増、あるいは減です。(経済そのものの大きさは変わりませんからGDPはゼロサムで、得した人裏側で同じだけ損した人がいます。)

 資本の活動としては全く違った形(端的に言えば、実体経済(GDP)に貢献する活動と、資本の所有者が変わるだけのカネの動き)ですが、ここで大事なのは、どちらの方法でカネを稼いでも「懐に入れば同じカネ」という現実です。

 しかし、「懐に入ったら同じカネ」と言ってしまっていいのでしょうか。
 「それでいいのだ」とお墨付きを与えたのが「マネー資本主義」の思想で、そのツールが「金融工学」ということでしょう。
 でも本当に、人類社会として、それで良いのでしょうか。結論は、すでに皆様お解りと思いますが、次回もう少し論じたいと思います。

資本蓄積と経済発展:2つの道筋(1)

2018年08月23日 16時47分17秒 | 経済
資本蓄積と経済発展:2つの道筋(1)
 日本の家計の金融資産(貯蓄)がこの3月末で1829兆円あり、その半分強が現金・預金だという事を前回見ました。

 これに関してよく指摘されるのが、
「日本人は(利息も付かない)貯金ばっかりしているが、欧米人はリスクを取っても資産の増える可能性の大きい株式や投信などの証券・債券に投資している」
「日本人はその点資産のポートフォリオ管理という意識で遅れている」
といった解説です。

 かつて、金融庁がNISAについての説明をしている資料でも、そんな視点がはっきり出ています。 
 この資料の中で金融庁は日本とアメリカ・イギリスの家計資産のポートフォリオの違いを図にしています。数字だけ載せますと
・日本:現金・預金52%、保険・年金29%、株式投信15%、その他4%
・アメリカ:現金・預金14%、保険・年金31%、株式・投信29%、その他26%
・イギリス:現金・預金24%、保険・年金59%、株式・投信12%、その他5%
となっています。
 但し、保険・年金の中で、株式・投信で運用しているものを含めますと、株式・投信のシェアはアメリカ45%、イギリス36%、日本19%と日本の少なさが目立ちます。

 こうしたデータを示して、NISAの普及を図るという事は、おカネがたまったら、銀行に預けるより株式や投信で運用することを勧めているという事でしょうか。
 
 でも、本当に株式や投信で運用する方が、進んでいるのでしょうか。単に、欧米の方が進んでいるという根拠のない舶来崇拝ではないのでしょうか。

 確かに日本では嘗てから「貯蓄から投資へ」という事がよく言われます。証券会社が言うのなら商売ですからよく解りますが、政府や金融の専門家がこぞっていうのは良く解りません。
 理由は「銀行に預けて、銀行が専門家の目で見て投資するよりも、素人が自分で投資をしたほうが経済が発展する」という理屈の説明がないからです。

 という事で、学校や何かで、「投資についての教育をすべきだ」という意見もあります。
いろいろな事を教育するのは良いことでしょうが「投資の教育」という事になりますと、また一つ大きな問題が出てきます。

 それは、いま欧米を中心に、世界では、投資と投機を区別しない考え方が一般的になってしまっていることです。

 このブログでは最初から言い続けていますが、 「インカムゲイン」と「キャピタルゲイン」を区別しない考え方が広まり投資と言い条、その実態は投機で、ゼロサムの中で富の奪い合いをし、富める者がますます富む、社会の格差拡大を促進するといったことが一般化しつつあるのです。

 マルクスやピケティが旧・新の「資本論」で正義感をもって告発している社会の格差化傾向を促進するのが、今の「貯蓄から投資へ」という標語の背後にあるとしたら、前述の金融庁のNISAの紹介(宣伝)も同列の要素を含むことになります。

 こう書きますと、「それは言い過ぎ」「投資と投機は違う」といったご意見が必ず出てくるでしょう。長くなるので、その点は次回に譲りたいと思います。

家計の貯蓄1800兆円は何のため?

2018年08月22日 20時35分47秒 | 経済
家計の貯蓄1800兆円は何のため?
 今年の3月末の日本の家計の金融資産残高を日銀の資金循環表で見ましたら、1829兆円でした。半分より少し多い961兆円が「現金・預金」です。
 
 概算で言えば、500兆円のGDPの3.5倍、国家予算100兆円の18倍という事になります。

 この貯蓄1800兆円は安全なのでしょうか。株や投信などは値段が上がったり下がったりしますから、損する危険性もありますが、現金はちゃんと管理すれば(しまい忘れたり泥棒や振り込め詐欺に狙われなければ、あと火事は怖いですね)安全でしょう。預金は通常元本保証ですから安全だという事になります。

 しかし今は問題があります。それはゼロ金利です。物価は少しずつですが上がっています。政府は2%上昇を目標にしています。物価が上がれば現金は勿論、ゼロ金利の銀行預金も目減りします(ゼロ金利で2%の物価上昇が5年続けば100万円は実質90万4千円に目減りします)。
 
 かつて「 人間と資本:資本蓄積の行き先」を書きましたが、成熟した蓄積社会で蓄積した資産を増やすというのは結構難しいようです。
 政府もそれを知っていて、ペイオフ制度を導入したり、公的年金では「マクロスライド方式」を導入したり、企業年金でも「確定拠出」などという制度を作ったりします。
 お金がたまったら、「あとは左団扇で」という事には、どうもならないようです。

 そう考えていきますと、世界の多くの国が羨むような1829兆円という膨大な金融資産をため込んでも、日本国民は安心できないのです。
 頼みの綱の国も、国民からカネを借りるのには熱心ですが(国債発行)「利息はないと思ってください」というのが今の状況です。

 折角お金をためてもあまり役に立たないので、仕方なしに自分の貯蓄に自分で利息をつけている(貯金の積み増し)人が多いので、消費が増えないようです。
 つまり、折角貯めた1,829兆円は、どうもあまり生きていないという事になっているようで、考えてみれば残念な限りです。

 経済学で言えば、貯蓄は投資されて新しい経済価値を生み、社会が豊かにそして快適になって、生産の所得も消費も高度化し、つまり経済発展が実現していくという事になるのでしょうが、この所全くそうなっていません。

 アベノミクスなども、本来そういう事を狙ったのでしょうが、国債を発行して国民の貯蓄を借り上げ政府なりに使った結果は、経済成長の実現には程遠く、政府の赤字が増えるばかりという惨状です。

 国民が本当は何を求めているのかをよく理解し、それに応えることが、日本社会をより豊かで快適にし、経済発展につながっていくという目指すべき政治と経済の活動の連鎖が、どこかで変な方向に曲がってしまっているように思われてなりません。

 ここまでやってきてどうにもならないのですから、同じ事を繰り返しても駄目でしょう。ここはひとつ、政府の勝手な思い込みではなく、改めて、国民の意見をよく聞いて、新規蒔き直しの社会政策、経済政策を、新たに作り直す必要がありそうです。
 どうもこのままでは日本はじり貧ではないでしょうか。民間企業などが、何とか元気に頑張っているというのに、政府の舵取りの拙いのが残念です。

防衛充実? インフラ整備? 国民の「生命と財産」を守るには

2018年08月21日 15時24分21秒 | 政治
防衛充実? インフラ整備? 国民の「生命と財産」を守るには
 台風19号、台風20号と連続して日本列島を襲うようです。
 今年は台風の発生数が多いですね。気象庁によれば8月で20号を超えることはほとんどないようです。
 今年は、台風以外にも西日本豪雨があり、この所、線状降水帯などという言葉が一般的になるなど、自然災害が極端に増えています。

 先日、「 新・日本列島改造計画」を書きましたが、気候変動のせいでしょうか、日本の気象状況も、従来の社会インフラとのバランスでは考えられないようなものになり、激甚災害が増えています。

 こんなものを示すのは、どうかとも思いますが、自然災害による死亡者・行方不明者の数の2000年以降の推移を見てみました。


資料:総務省、社会実情データ図録 (死亡者は行方不明者含む)

 2011年は東日本大震災の年ですが、こうした巨大災害は別としても、何か自然災害による死者・行方不明者の数が次第に増えてきているように思えるのです。
 勿論人命が失われるのと同時に、物質的な財産の損害も膨大なものになっているでしょう。

 被災地の声、ボランティアの方々の発言を聞くたびに思い起こすのは、安倍総理が口癖のように言う「国民の生命と財産を守るのは政府の責任」「国民の生命と採算を守ることに最善を尽くす」といった発言です。

 確かに安倍総理はこうした災害があれば、すぐに現地に行き、被災した方々と親しく言葉を交わす努力はしておられ、被災者の方々もそれは評価しておられると思います。
 
 しかしどうも、安倍総理の発言や行動を見ていますと、「国民の生命と財産を守る」という場合、何から守るかというと、どうもそれは北朝鮮からのミサイルであり、中国の脅威であったりして、自然災害の深刻化に先手を打ってインフラの整備をという発想は出てこないように見受けられるのです。

 端的に言ってしまえば、インフラの整備を確りやれば救えたかもしれない生命や財産は、災害地見舞いで対応し、政府としては、陸上イージスを整備したり、自衛隊を早く憲法に書き込んだりして、飛んでくるかどうかわからないミサイルや、尖閣という国民の財産を守ることが総理としての役割とお考えなのだろうと思えるのです。

 確かに一国の総理としては「大きなこと」をやりたいという気持ちを持つのは当然かもしれません。
 しかし、戦争と国防が大きなことで、インフラの整備は小さなことなのでしょうか。現実に、どちらが「生命と財産」を守る効果が大きいのでしょうか。

 言い換えれば、他国との関係と自然との関係とどちらが大事かという事でしょう。
 現実には国際関係で生命、財産が失われるという事に対しては、過去の経験から言えば、外交交渉が最大の手段でしょう。
 自然との関係は、今の気候変動問題を考えれば(自然とは交渉出来ませんから)、まさに焦眉の問題でしょう。

 必要なのは、どちらが優先化を決めるときに、国民と十分に対話して決めるという事でではないでしょうか。リーダー1人の思い込みで決めては危ういようです。
 1500年以上前、聖徳開始の17条の憲法の第17条にはそう書いてあります。

 安倍さんは、三選を果たしたら、「憲法改正」とお考えのようです。1500年前の知恵が、1500年経っても生かされていないのでしょうか。

権力集中が世界の流行の様相?!

2018年08月19日 10時56分09秒 | 国際政治
権力集中が世界の流行の様相?!
 過日、「 権力集中の行方」を書きました。なぜかこの所、世界のあちこちで権力集中の動きが見られます。

 特殊の事情を持つ小国の北朝鮮が 「体制維持」にこだわるのは解りますが、地球世界の覇権国であるアメリカのトランプ大統領も中間選挙を控え権力維持に必死のようです。
 300社以上の米国マスコミが一斉に社説で問題提起をしても、意に沿わないものは全て「フェイク・ニュース」と切って捨てる勢いです。

 世界第二の大国中国の習近平さんも終身中国のトップであり続けることに 殊の外御執心悪です。 ロシアのプーチンさんも先日の選挙の経緯を見ても政権の永続にこだわり続けていますし、トルコではエルドアンさんもその気配を強くしています。最近のニュースではアジアの新興国カンボジャのフン・センさんも、そして足元の日本でも安倍さんはルールを変更してまで長期政権をと頑張っています。

 こういう人たちも、その経歴を見れば、かつては正義感に燃え、何が正しいのかを模索しながら一生懸命やってきた時代があるようです。
 しかし能力もあり、運もよくリーダーの地位を勝ち取ることが出来ると、最初は自らの思いを政策として、真面目に真剣に国や組織の運営に取り組むのでしょうが、しかし、人間の心というものはそんなに強くないようです。権力の甘い蜜は殆どの場合、人の心を腐敗させるようです。

 「権力は腐敗する」、これは世界中で言い慣わされた言葉でしょう。矢張り長い歴史の中で生き残る言葉は、それなりの真実を含んでいるのです。

 「権力集中の行方は多様」でも触れましたが、腐敗しない権力というのは極めて稀です。だからこそ、多くの国や組織ではリーダーの在任期間の上限を決めるという方法を導入しているのです。

 然し権力集中の動きにも流行があるようです。流行と言うと語弊があるかもしれませんが、一部にそういう動きがあると、それを真似る人が多いという事でしょう。トランプさんのマスコミに対する態度もかなりの伝染力を持っているようです。

 その他、政敵の活動を制限して自分の立場を有利にするという方法も、この所目につきます。
 日本では安倍さんの状況証拠を全く無視する発言の仕方(シラの切り方)、「ゴハン論法」などと揶揄される下手な詭弁も結構真似する人が多いように見受けます。
 これらは全て、権力が腐敗し始めていることを、あるいはかなり腐敗が進行していることを示しているのでしょう。

 世界で進行するこうした動きを見ると、民主主義という理念も、現実には必ずしも役に立ってくれないという事になるようです。
 然しそれに代わるものは、さしあたって見当たりません。矢張りまだまだ人類は「間違いと反省」を繰り返すことしかできないのでしょうか。

 「人の噂も75日」と言いますが、これを日本人の戦争体験に例えれば、「戦争体験も75年」なんていう事になるのでしょうか。すっかり忘れ去るまであと2年、何か情けないですね。

豊かさと快適さを求めて

2018年08月18日 00時11分17秒 | 社会
豊かさと快適さを求めて
 このブログでは主役は「付加価値」という事になっています。
 勿論本当の主役は人間ですが、経済活動や社会生活それに政治といった活動がきちんと行われて、はじめて人間が豊かさや快適さを感じられるのです。

 では、そうした人間にとって住みやすい社会は何によって支えられているかといいますと、まず人間の善意でしょう。そしてその上に、人間の活動として、付加価値が生産されることで、社会がより豊かで快適になるのです。

 付加価値は通常、GDPという形で示されますが、かつて、GDPが大きくなっても、その一方で大気や水の汚染がひどくなって、人間の健康が損なわれたりもしますから、GDPは「豊かさ、快適さ」の適切な尺度ではないなどと言われました。

 しかしそうした問題の解決のために人類は、より大きな付加価値を創り、公害などをきちんと防除するだけの技術や設備にそれをつぎ込んで豊かさと同時に快適さも実現するよう頑張ってきました。GDPの増加(経済成長)は豊かさ・快適さ実現のための十分条件ではありませんが、「必要条件」なのです。

 「住みやすい社会」を経済面から見れば、それは「豊かで快適な社会」を実現するために「付加価値」を生産し、それをいかに適切に配分するかによって決まるのです。
 勿論付加価値を生産する能力(生産性)は大きい方が良いわけですが、もう一つ、それを「どう配分するか」が決定的に大きな役割を果たすように思われます。

 この配分には色々な側面があるでしょう。まずは技術的な問題として、環境汚染をしないためにかなりの配分をしなければならないでしょう。
 大気や水の汚染対策は進んできましたが、地球環境、気候変動への対応、具体的にはCO2排出や放射能汚染に関わる問題、具体的には自然エネルギーの本格利用や、蓄電技術にはまだまだ人類は生産した付加価値の大きな部分を配分しなければならないでしょう。

 「単純な豊かさ」と「豊かで快適な社会」の違いは、豊かさの負の部分を克服するために、豊かさの中の必要な部分を快適さのために割けるかどうかにあるのでしょう。
 豊さだけを求める社会は、常に快適さを犠牲にすることで、遂には豊かさも失う事になるようです。これは歴史を振り返れば十分に理解可能でしょう。

 具体例で言えば、CO2と放射能汚染対策(含廃棄物処理)ではまだ、当面のコストを優先してサステイナビリティに思いを致さない過ちが続いています。行き詰まるまで気が付かない責任者も多いようです。

 物理的・化学的な快適さを求めるためには今後も自然環境をクリーンにするための技術開発・設備投資に、より多くのGDPを割かなければならないことを、改めて人類は肝に銘ずる必要があるようです。
(三菱化学がKAITEKIを標語に掲げているのは象徴的ですね)
 
 更にもう一つ大きな問題があります。それは「快適さ」の「社会的側面」です。これは人間の権力志向と、豊かさの配分の失敗(言い換えれば格差社会化の問題)です。大きく言えば、国家間から個人間までの格差の拡大をどの程度にすることが人類社会な快適さと両立する範囲かという問題でしょう。この問題については、また論じたいと思います。

トランプ大統領、宇宙軍創設の怪

2018年08月16日 17時00分25秒 | 国際政治
トランプ大統領、宇宙軍創設の怪
 去る13日、アメリカでは国防権限法がトランプ大統領の署名で成立、総額約80兆円の国防予算の大枠が決まったとの事です。
 我が国の国家予算が年々増えてほぼ100兆円ですから、アメリカの国防費80兆円というのは凄いですね。

 IMFによれば、アメリカの政府予算は歳入が6兆ドルで歳出が6.8兆ドル、赤字な8000億ドルで、円換算なら88兆円ですから、国防費の分がほぼ全額赤字という事になります。
 アメリカは双子の赤字で、経常収支も赤字ですから、外国から借金して資金繰りをつけなければなりません。頭の痛いことです。

 その頭の痛いアメリカが、6月に宇宙軍創設の方針を打ち出しています。先日8月9日、ペンス米副大統領「宇宙軍」を2020年までに創設する計画を明らかにして、今後5年間で80億ドルの追加予算を議会に求めたとのことです。

 宇宙といえば、我々には「宇宙の平和利用」という考え方しかありません。人類としてまともに考えれば、宇宙こそ世界が協力して開発し、人類全体のために活用すべき「スペース」、まさにSPACEでなければならないという結論になるのではないでしょうか。

好例が「国際宇宙ステーション」でしょう。どんな政治情勢下にあっても、アメリカとロシアそして日本の研究者も、心を一つにいて種々の研究に励んでいるのでしょう。

 その宇宙で、アメリカが覇権を確立して、宇宙を支配しようというのがトランプ構想というのなら、それは人類の発展の歴史の中で、とんでもない間違いを犯すことになるのではないでしょうか。

 アメリカが本気でそう考えれば、当然「アメリカに覇権を握られたら」という疑心暗鬼が広まり、対抗して多くの国が、わが国の宇宙政策を宇宙軍をという事になり、宇宙が戦場と化す可能性を増幅させることになるでしょう。

 トランプさんは、宇宙軍を創設するのではなく、地球人類がみんなで協力して宇宙を平和利用するための国際的な組織の構築を提案すべきではなかったのでしょうか。
 しかし、トランプさんは国際組織や多国間の協定が嫌いのようです。何でも2国間でという狭い視野しか持ち合わせていないようです。

 それは覇権国としての器量ではありません。覇権国は「相手国に対して」何をするかではなく、「世界が協力して」何をするかという視点を持たねば成立たない立場です。

 「アメリカ・ファースト」政策で、現状、アメリカの孤立を深めています。しかしその先に、アメリカが宇宙を支配し、それによって世界を支配すればそれが「アメリカ・ファースト」の本来の姿だと本気で考えているのであれば、世界は怪獣を飼い始めたことになるのではないでしょうか。

 余計なことを付け加えれば、アメリカにはそれだけ財源はありません。領収証(ツケ)がいろいろな形で日本に回ってくる可能性は十分にありそうです。

戦争を体験した最後の天皇の8月15日

2018年08月15日 22時02分43秒 | 社会
戦争を体験した最後の天皇の8月15日
 73年前の今日、8月15日、日本は、列強に伍して富国強兵を競う国から、戦争をしない平和国家に生まれ変わりました。
 
 あの日は全国晴れて暑かったとこのブログでも何度も書きましたが、今日も東京は晴れて暑い日でした。
 あの日の1か月少し前、7月6日の夜、私の住んでいた地方都市は、一夜にして殆ど焼き尽くされ、我が家も灰燼に帰し、防空壕も金魚池も焼けた壁や瓦で殆ど埋まっていました。

翌日から近くのお寺では、多くの死体の焼却が何日か続き、特有のにおいが焼け跡に広がりました。
 浮遊するような意識の中での心配は、こんな一望千里の焼け跡で、米軍機の機銃掃射にあったら、どうしたいいかという事だったのを覚えています。

 そして8月15日、戦争の終わったことを知り、兵隊になってお国のために戦死することが最も名誉なことと考えていた国民学校6年生は、心のどこかで安堵感を感じていたようでした。

 という事で私は天皇陛下と同じ歳です。
 昭和天皇はまさに波乱万丈の時代の天皇でしたが、今上陛下は、お父上の苦悩と戦争の罪深さを直接お感じなって天皇になられたのだろうと、お言葉をお聞きしたりする時など、何時も感じていました。

 今日、2018年の8月15日は、戦争体験をお持ちの天皇陛下の最後の終戦の日なのです。
 過日「田中角栄語録から:戦争体験の無い政治家たちの危うさ」を書きました。「昭和の日」を大事にしようとも書きました。  
 共通する心は「平和」への絶対的な希求です

 今日の天皇陛下のお言葉には「戦後の長きに渡る平和な歳月に思いをいたしつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」とありました。
 天皇陛下のお気持ちがにじみ出ていると強く感じました。

 安倍総理の追悼文も読みました。より長く説明調ですが、残念ながら、言葉の羅列という感を禁じ得ませんでした。
 どうも、心からの気持ちが感じられないのです。安倍総理の追悼文には「戦後、我が国は、一貫して、戦争を憎み、平和を重んずる国として、ただひたすらに、歩んでまいりました。」とありますが、「反省」の言葉はありません。
 「平和を重んずる国」という言葉は過日の、2020年プライマリ―・バランスの達成を先延ばしした時の説明「財政再建の旗は降ろしません」と重なって、「そんなことは当たり前で、平和を重んじなかったり、財政再建の旗を降ろす国などは何処にもない」と言いたくなったりします。

 こうしたことは安倍さんの特異性なのでしょうか、あるいは田中角栄の言のように、戦争体験の無い世代という問題なのでしょうか。
 いずれにしても、これから、日本は本当に難しい時代に入っていくような気がします。

生産性の低さと労働力不足

2018年08月14日 15時25分05秒 | 労働
生産性の低さと労働力不足
 日本生産性本部の資料によれば、日本の生産性はOECD加盟国36カ国の内で21位だそうです。
 就業者1人当たりのGDPがアメリカの3分の2程度だという計算もありまして、それをそのまま解釈すれば、日本人がアメリカ並みの生産性を上げれば、今の就業人口は3分の2で足り、後は失業という事になります。

 何か日本の生産性はまだまだ低く、先進国として胸を張れないような気もしてくるような数字です。
 日本製品の品質の良さ、サービスきめ細かさ、などなど考えてみますと、どうもこういう数字を鵜呑みにして良いのかという感じもしますが、それはそれとして、最近の人手不足感は些か異常めいた感じもします。

 安倍さんは、有効求人倍率が未曽有の高さだと自讃しますが、この種の統計は業務統計で、統計としての信用は高くありません。人手不足のときは、本当に欲しい人数だけ職安に届けるか、少し水増ししておくかなど、思惑もあるようです。
 
 外国人労働者をもっと入れ易くといった動きもあるようですが、技能実習制度なども、本来、日本の都合よりも、外国の希望にこたえるためのものと考えるのが筋でしょう。
 同時に、もう一つ考えなければならないのは、従業員1人当たりの生産性を上げて少ない人数で済ませるように考えることです。

 ブラック企業などという言葉が一般的になるほど「従業員が嫌がるような仕事のさせ方」の企業が多いようでは、生産性など上がるはずはありません。
 人事管理、人間関係論、行動科学など、人間と仕事の問題は歴史的にも最重要な研究の分野ですが、最近の企業ではこうした問題よりも、先ず頭数をそろえることの方が大事と思われているようです。

 もともと仕事の現場でいかに効率を上げるという問題は日本企業の得意技でしたが、それには、部下に仕事をさせる上司が「人を動かす」要諦を理解していなければなりません。
 それにはOJT、Off-JTを組み合わせた従業員の教育訓練が必須で、特に管理監督職の訓練は「鍵」です。

 しかし統計で見ますと、 企業の教育訓練費は絞りに絞られ、最近の収益向上の中でも減っているようです。

 多くの企業が、頭数だけに狂奔しているといった状況が、統計上も見えているような気がします。



 この図で見ますとリーマンショックを境に、実質経済成長率と就業者の関係が変わってきているように見えます。経済成長率(青)が就業者増加率を上回った分が生産性向上です。リーマンショック後は青線と赤線が交錯しています。

 忙しければ人を増やせばいい(それも非正規で)という思考方法が、垣間見えるようなグラフです。
 従業員に良い仕事の仕方を教え、ひいては自己啓発につなげるよう育成し、それを後輩や部下が伝承し、効率良く楽しんで仕事をするような職場を作り上げるというのが日本企業の伝統だったような気がするのですが。日本企業も変わってしまったのでしょうか。
 改めて、統計からはいろいろな事が見えてくるような気がします。

盛り返す付加価値率、更なる努力を!

2018年08月13日 17時25分57秒 | 経営
盛り返す付加価値率、更なる努力を!
 前々回は企業の自己資本比率について見て来ましたが、今回は付加価値率を見てみました。
 ご承知のように、付加価値率というのは、売上高のうち、その企業が作った経済価値が何%かという数字です。売上高の中で付加価値以外の数字は、外部から、原材料などのモノや、いろいろなサービスなどを買った金額で、それは支払った先の企業の付加価値になるわけです。

 ですから「付加価値」こそがその企業の生み出した価値で、それが売上高の中の何%になっているかというのが付加価値率(=付加価値額/売上高×100)です。
 高付加価値化という事がよく言われますが、高付加価値化しているかどうかを表す指標が付加価値率という事になります。
 
 企業活動がマンネリ化すると製品の価格が下がったりして、付加価値率は下がりますから、常に消費者に魅力ある製品を提供することが 付加価値率を維持向上する秘訣です。
 それが、付加価値率は企業の元気さ、活性の度合を表すなどと言われる理由です。

 という事で、2000年以降の日本企業の付加価値率の推移を見てみます。

 資料:財務省「法人企業統計年報」

 いわゆる「いざなぎ越え」の好況感なき景気拡大(2002~2007)の頃は19%台でほぼ横ばい推移でしたが、リーマン・ショックの痛手は深く、2008年度には17%台に落ちています。

 しかし2009年度以降は改めてコスト削減を含め、高付加価値化に邁進したようです19%台を回復し、円高にもめげず、19%台後半に押し上げています。そして円レートの正常化がフルに効果を持った2015年度以降、20%台に上げてきているというのが現状です。

 同時に、近年の付加価値率の上昇には、非製造業の高付加価値化が顕著という側面もあるようです。
 これには非製造業には、新しい多様な分野が広がりつつあり、ソフトやアプリといった従来なかった分野の発展という要素も考えられます。
 この辺りはさらに詳細な分析が必要かもしれません。

 いずれにしても、高付加価値化が進んでいるという事は、やはり日本経済、それを支える日本企業が元気だという事でしょう。 
 今後もこの元気さが一層の活性化を見せてほしいものです。

2018年4~6月期GDP速報を見る

2018年08月11日 12時54分38秒 | 経済
2018年4~6月期GDP速報を見る
昨日4~6月期のGDP速報が発表になりました。
 物価上昇を除いた実質値で、前期比0.5%の増加、年率換算では1.9%の成長で前期のマイナス.02%から2期ぶりプラスに転じたと報道されています。
 中身は、消費需要が盛り返したといったことのようですが、中身をよく見ますとどうもそう単純に消費回復で経済成長加速と言ってしまっていいかどうかと感じられます。

 このブログでは四半期ごとに前期と比較するのと同時に、もう少し長期的に、1年前と比べてどんな動きになっているかを毎回見て来ていますが、その方が経済のトレンドとしての動きが見えてくるからです。
 今回も前年同期比の動きを見ておきたいと思いますが、それで見ますと、どうも経済減速の傾向が出ているように思われます。

 先ず昨年の4~6月期から今年の4~6月期までの、各四半期の実質GDP の対前年同期比の増加率を見ますと
 1.6% 2.0% 2.0% 1.0% 1.0%
となっていまして、今年の1~3月期と4~6月期は同じ1.0%の伸びで、昨年後半の2%の半分に落ちています。

 落ちている最大の理由は民間最終消費支出、特に家計最終消費支出で、家計最終所費支出の対前年同期比の伸びを四半期別に上と同じ順序で並べますと
 1.7% 0.6% 1.0% 0.1% 0.1%
という事で、今年に入ってからは、僅か0.1%と前年比で殆ど伸びていません。

 加えて、民間住宅建設も、今年に入っての2四半期は、-5.4% -8.9%と振るいません。
 元気なのは民間企業設備で、今年に入っての2四半期は2.9% 4.0%で、この4~6月の4.0%は過去5四半期の中で最大値です。

 しかしGDPの中で過半を占める消費支出が振るいませんから、GDPはなかなか伸びません。

 問題は、消費支出が伸びない理由です。安倍総理流の認識で言えば、「賃金が上がらないからだ」という事になるのでしょうが、このGDP統計の中でも「参考」として表示されています「雇用者報酬(実質値)」の伸び率は上の4半期別の順序で並べますと
 2.0% 1.7% 1.2% 2.0% 3.8%
となっていて、この4~6月期の伸びはこの5四半期の中では最高です。
 
 つまり「収入は伸びても消費は伸びない」という状況が鮮明で、これは、このブログで何時も指摘しています「消費性向の低下」が原因です。この問題については先日の8月7日に取り上げたばかりですが、消費性向低下の原因は、恐らく国民の将来不安を結果的に増幅していしまっている今の政府の社会経済政策にあるのでしょう。

 しかも困ったことに、安倍さんはじめ、閣僚も官僚も、多分その重大性に気が付いていないか、気が付かないふりをしているという事ではないでしょうか。
 統計というものは、よく見るといろいろな事を気付かせてくれます。