tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

電気自動車vs. 燃料電池車

2013年11月29日 08時11分44秒 | 科学技術
電気自動車vs. 燃料電池車
 最近の科学技術の世界は、私のような素人にも興味津々です。特に身近なものの代表ともいうべき自動車の世界では、毎日のように2つの分野の技術開発のニュースが私たちを驚かせてくれます。

 その1つは「運転の自動化」です。自動停止装置の進展が報道されていたかと思うと、今度は「高速道で自動運転の実験」などというニュースが飛び込んできます。
 GPSの精度の向上と、多様なセンサーの発達で、目的地をセットすれば、居眠りしていても、最も適切なルートを選択してそこまで運んでくれるという時代が来るのでしょうか。
 
 これは便利だという人もいますが、同時に、車というのは自分で運転するのが楽しいのだから、確かに便利かもしれないが、運転の楽しさはどうしてくれるんだ、といった意見もあるようです。

 もう1つは、自動車の動力源です。ガソリンエンジンの省エネ化で日本は世界のトップクラスの実績を上げてきましたが、更にブレーキの回生エネルギーを活用するハイブリッド方式が開発され、今や日本だけでなく内外の多くの車が採用するようになりました。私もレンタカーでトヨタのアクアに乗りましたが、返還時、スタンドで満タンにしたとき、その燃費の良さに驚嘆しました。

 さらに急速に実用化しつつあるのが電気自動車です。走行段階では全く排ガスを出さないクリーンさが売りですが、1回の充電での走行距離の短いことが課題のようです。この改善策は蓄電池の性能の高度化でしょう。
 蓄電池性能の高度化、コストの引き下げは、自動車のみならず、今世界で最も大きな問題である電力そのものの有効活用の問題です。

 従来の常識であった、電気は貯蔵の利かないも、生産と消費は同時でなければならないという問題を徐々に突き崩していくのが蓄電技術 の進歩でしょう。

 そこにもう1つの対抗技術開発が出てきました。それは燃料電池車です。水素貯蔵技術の進歩でガソリンタンクの代わりに水素タンクを積み、水素を充填して空気中の酸素と化合させ水(H?O)を作り、その時発生する電気でクルマを走らせるというのです。
 
 こちらは水素1回の充填で500キロは走るというのですから、航続距離は今のガソリン車の感覚です。但し現状、燃料電池の値段が大変高価で、どこまで下げられるかが勝負ということのようです。しかしメーカーは早期の市販を目指しているとのこと。

 燃料電池はすでに家庭用発電給湯器、エネファームで実用化されていますが、こちらは天然ガス(炭化水素)の水素を使い、炭素は炭酸ガス(CO?)にして捨てています。

 燃料電池は、水の電気分解を考えれば、電気を水素にして蓄える蓄電方式ともいえますから、電気自動車も、燃料電池車も最終的には電気に依存するわけです。

 ということで、行きつくところは電気エネルギーですが、電気エネルギーを効率よく蓄えられるようになると、発電の態様も大きく変わることになるはずで、矢張り当面する最大の技術開発の課題は蓄電技術ということになるのでしょうか。


漂流アメリカ経済:出口は遠く

2013年11月27日 08時09分49秒 | 経済
漂流アメリカ経済:出口は遠く
 アメリカの株高を受けて、日本でも円安→株高といった流れが進みつつあるようです。日本だけではありません。アメリカの金融引き締め、出口戦略の模索の動きを危惧し、緩和継続で安堵する国は新興国中心に数多いというのが現実でしょう。

 バーナンキ→イエレンのバトンタッチは「異次元の金融緩和の継続」という形でスムーズに行きそうな気配です。米、日、そして多くの新興国も、安んじて「当面の平安、繁栄」に浸るといった様相です。

 これで、アメリカのクリスマス商戦が活発になれば、これがまた当面の安心材料として多くの国が安心するのでしょう。
 しかしそれを喜んでいて、本当にいいのでしょうか。

 皆様すでに御承知のように、アメリカのGDPに占める個人消費支出の割合は大体68パーセント程度です。ですからアメリカの景気というと、すぐに個人消費の伸びがどのくらいかということになり、クリスマス商戦が大きな話題になったり、個人消費の増加の前提になる雇用の増加が注目されることになります。

 いわば「個人消費デマンド・プル」の経済ということになりますが、個人消費にひっぱられて伸びるのは生産よりも輸入という傾向が強いようです。
 消費に引っ張られて生産が伸びれば、経済はバランスのとれた成長ということになりますが、伸びるのが輸入ということになれば、それは国際経常赤字に直結します。

 新興国などは、対米輸出が増えて喜ぶかもしれませんが、アメリカ自身は、生じた赤字をファイナンスしなければなりません。国債発行をしたり、サブプライムローンを証券化して海外に売りさばいたりしましたが、万年赤字の国の発行する債券や証券は最終的にはあまり信用されず、ファイナンスは容易ではありません。

 結局、金融を緩和して債券や証券をFRB(中央銀行)が買い支え、デフォルトを回避するしかなくなります。
 バーナンキ流の異次元金融緩和は、赤字国アメリカが、結局、行きつくところまで行き着いた、ということの証明でしょう。

 アメリカも内心は「何時までもこれでは済まない」と解ってはいるのでしょう。だから金融緩和からの出口戦略 を考えようと試みるわけです。しかしそれをやったら、アメリカ経済失速は不可避で、新興国はアメリカからの投資引き上げで不況になると主張します。
 時の政権やFRB は、当面引き締めは無理と判断し、金融緩和の継続を選択・・・・。此の所のアメリカは、まさに此の繰り返しなのです。

 来年2月にはまた何か起こるでしょう。しかし結局は出口探索は止めて金融緩和継続になるのでしょう。
 アメリカの企業や消費者が従来の行動パターン を続け、政策当局が当面の糊塗策で凌ぎ続けた結果はどうなるのか、考えれば解ることです。
 世界がアメリカ依存を止めなければならない日がいつかは来ることを覚悟している人が今、どれだけいるのでしょうか。


賃金か雇用か? 現時点の問題を考える

2013年11月25日 16時14分38秒 | 労働
賃金か雇用か? 現時点の問題を考える
 我が国の労使関係の中で「賃金か雇用か」という問題は、幾度となく論議されてきました。そしてそのたびごとの結論は「雇用が第一義」というものでした。

 この結論は矢張り正しかったのだろうと考えています。当時「戦後最大の不況」といわれた昭和40年不況でも、第一次オイルショックの後の世界中が苦しんだ不況の中でも、日本の労使は、雇用の安定が第一義という考え方では一致していました。

 第一次オイルショックの後の不況では、財政制度審議会(当時の会長は桜田武)が、雇用の安定の為ならばということで赤字国債の発行を容認しています。国自体も雇用確保の重要性を認識していました。

 日本社会の安定した発展は、かなりの程度この「雇用重視」の国民的視点に支えられていたという気がしています。 
 結果ははっきりしていて、日本の失業率は常に先進国中最低で5パーセントを超えることはほとんどなく、容易に2ケタを記録 する欧米主要国とは格段の差があります。

 然し、いわゆる「失われた20年」の中で、日本の雇用の中身に変化が生じたことは皆様ご承知の通りです。
 具体的に言えば、非正規社員の増大です。GDPがピークの523兆円(1997年)から470兆円(2011年)に縮小するという異常な状態の中で、日本企業は、失業の増加という最悪の事態を避けるために、賃金の低い非正規雇用を多用して平均賃金を下げるという窮余の一策を取ったのです。そして今、日本社会はその後遺症に悩まされています。

 冒頭に掲げた「現時点の問題としての賃金か雇用か」はその意味で、非正規労働の増加を考えた場合、いかなる回答になるのかを考えようということです。
 有難いことに、政府日銀の協力で、20円幅の円安が実現し、日本経済は息を吹き返し、成長率がプラスに転換するシナリオが見えてきました。プラス成長の可能性を確実にするための条件として、「賃金と雇用」の問題をどう考えるべきか、いよいよ始まる2014年春闘の最重要課題でしょう。

 順を追って言えば、日本企業は日本経済が12パーセントも縮小し、賃金支払い原資も縮小する中で、雇用確保のためには賃金減額つまり「ベースダウン」をすべきところがやりきれず、非正規労働を増やして平均賃金を下げたというのが実態でしょう。

 元に戻すために先ず真剣に検討すべきは窮余の一策として歪めた雇用ポートフォリオの復元 、非正規の正規化を第一義とし、漸次「ベア」に進むべきではないでしょうか。
 連合の来春闘への要求ベースアップ1パーセントは、実現しつつある経済成長率に比してもかなりモデストな数字で、非正規の正規化の「含意」のあるものと受け止められるものと考えます。

 付け加えて言えば、正規社員化は「従業員の人材開発」と「雇用の安定 による生活と心の安定」の双方に大きく役立つはずです。教育訓練は日本経済の更なる発展と日本社会の劣化の歯止めに大きく貢献するでしょう。そして「働く者の生活と心の安定」は「安定した消費支出」の支えになって、日本経済の均衡発展に役立つと思われます。

 春闘でのきめの細かい労使の話し合い、それも、個々の企業の状態を適切に反映した個別企業労使の賢明な交渉を期待するものです。


年金積立金運用論議に思う

2013年11月22日 14時35分52秒 | 経済
年金積立金運用論議に思う
 安倍政権の諮問を受けて、公的年金の改革を議論する政府の有識者会議が、公的年金の運用のやり方を変えようという提言を出しました。
 提言の趣旨を 一言で言えば、今の国債中心の運用では積立金が有効に活用されているとは言えないので、もっとリスクを取って、株式や多様なファンドも活用して積極的な運用をしたらどうか、ということのようです。

 安倍さんから頼まれたのですから安倍さんの気に入るような報告をしたいという気持ちも解りますが、有識者ですから、本当に客観的に、日本の今後の年金システムに最大限の貢献をして、国民の負託に応えるような報告書でなければならないでしょう。

 確かに今の国債の利息は異常な低さです。私も被災地の復興に少しでも貢献しようと復興国債を買いましたが、これが資金運用だとは全く思っていません。だからと言って、此の所うなぎ登りに上がっている日本株や関連ファンドに今から投資するのはかなりのリスクを覚悟しなければならないでしょう。

 世の中「ローリスク・ローリターン」、「ハイリスク・ハイリターン」というのはありますが、「ローリスク・ハイリターン」というのはありません。有識者会議は、「ハイリスク・ハイリターン」の運用を「もう少し取り入れるべきだ」と言っているようです。

 経済現象とその予測との関係はインチキでないサイコロのように長い目で見れば「6つの目が6分の1ずつ出る」とはいかないかも知れませんが、「ハイリスク・ハイリターンでも、ローリスク・ローリターンでも長い目で見れば結局は同じような結果になる」という前提があるからこそ同じマーケットで併存しているのです。

 年金というのは30年、50年、100年といった長期で考えるものです。この相場で一発勝負に賭ける投機業者のビヘイビアが有利に生きて来るとは思えません。
 しかも、今この株高の時期に、「もっと上がるから株に」ということで国の巨大な資金を株式市場に投入すれば、結果は山を高くし、谷を深くすることにしかならないでしょう。長期の視点で見れば、すべての基盤は日本経済の成長率なのです。

 もしやるのなら、日経平均が6,000円台で、誰も株を買おうと思はないときに買い出動し、今、日経平均15,000円台で「利食い千人力」と市場状況を見ながら利益確定売りといった形で、日本経済にも株式市場にも役に立ち、投資資金も「倍がえり」といった長期の視点こそが大事でしょう。

 いつも書いていますように、キャピタルゲインは「あぶく銭」 で、GDPを増やすものではなく、基本的に単なる富の移転です。年金資金が儲けるということは、日本経済の他の経済主体がそれだけ実質所得を失うことです。

 「外国もみんなやっている」という意見もありましょう。それこそ舶来崇拝 の残滓です。日本は、日本人の良識に従って行動し、それを世界に示すべきでしょう。


大きい春闘再開の意義

2013年11月19日 16時41分36秒 | 労働
大きい春闘再開の意義
 連合が2014年春闘に向けて定期昇給に加えて1パーセントのベースアップ要求を打ち出すことになったようですが、長い長い春闘不在の時期 が漸く終焉し、俳句の季語にもなった春闘が再び日本の経済、労働、社会問題の中にその存在意義を持つようになったことを喜びたいと思います。

 このブログでも常に指摘していますように、今のアメリカをはじめユーロ問題などの根底には、国民経済の中における、生産性、賃金、雇用といった問題についての理解が労使を含み広く国民の間に「正しく理解されていない」という実態があります。

 かつて日本社会の毎春の春闘における論争は、直接関係する労使のみならず、広く国民が、単純に言えば、一国経済と賃金決定の間にどういう関係があるかという、極めて重要な問題を、広く国民的論議の中で自然と理解していく、まさに国民全体にとっての実践的学習運動でした。

 特に、オイルショックの後 など、世界中の労働経済学者が、日本の春闘の学習効果について研究したり、驚嘆したりしていたのをご存知の方が、今どれだけおられるでしょうか。
 昨今の状況をtnlabo なりに見ると、労働組合 の中にはこの春闘の伝統がかなり残っているように思われますが、経営管理者の中には、労務畑出身の方が少なくなったこともあるのかもしれませんが、素人の方が多いような気がします。

 日本的経営が、人間を中心に置き、企業という組織の中で「人間と経済の接点は賃金である」ということを考えれば、健全な経営、ひいては健全な経済のベースは「健全な賃金決定」であることは自ずと明らかでしょう。

 春闘カムバックでも、春闘リターンズでも何でもいいのですが、また、日本人の真面目さで、毎年、日本経済の実態と、家計を支える賃金の関係についての国民的学習集会とでもいうべき「春闘」ができる日本経済になったことを本当に喜ぶのとともに、春闘の場で、質の高い本格的な論争を、国民のだれにも解り易く、労使双方が展開してくれることを心から願うものです。

 春闘は政治問題ではありません。春闘は労使の問題です。
 政府のやるべきことは、春闘に介入することではなく、日本経済を春闘が出来る状態に保つことです。あとは労使を信頼すればいいのです
 この春の春闘総括 でも書かせて頂きましたが、恐らく日本の労使は、着実に誤りない結果を出していくと思っています。tnlaboも共に学習させて頂きたいと思っています。


NGR再論

2013年11月12日 14時26分32秒 | 社会

NGR再論
 NGRというのは、かつて、CSR(Corporate Social Responsibility)と並べて論じましたが、私の勝手な造語で、Nation’s Global Responsibility の頭文字です。
 個人に道徳が言われ、欧米ではCitizen's Social Responsibilityなどが云われ、企業レベルでは最近のようにCSRが強調されるのであれば、国レベルでも基本的は同じ行動基準があるはずだという考え方によるものです。

 人間以外の動物には,当然のことながら、こうした考え方、概念、コンセプトはないでしょう。人間も、本能に従って行動している嬰児の時期にはないでしょう。もの心がついて一人の人間として社会の中で生き、社会との関係、具体的には他人との関係が意識されて、はじめて「道徳」や「倫理」といった考え方が生まれるのでしょう。

 企業などもこうしたプロセスを辿って来たようです。CSRの起源を1920年代のキリスト教会による武器、たばこ、酒、ギャンブルなどへの投資はすべきでないといった主張に求める人は多いようですが、その後、公害問題、地球環境、気候変動等に関連して、地球人類のサステイナビリティーを尊重するという考え方から、企業のかかわる多くのステイクホルダーズに十分配慮すべきという、今日のCSRの考え方に進化してきたようです。

 しかし、個人の犯罪が後を絶たないように、企業のCSRに従わない行動も後を絶ちません。だからこそ、個人の倫理観や企業のCSRが強く言われるわけで、これは、人間社会としては極めて健全な動きだと思っています。

 一方、国レベルのNGRはどうでしょうか。未だ、ほとんど影も形もありません。もっともプリミティブなことで言えば、個人でも企業でも「あなたと私」、「貴社と当社」と並べるのが礼儀として当然ですが、国の場合は必ず自国の方を先にします。日本で言えば、「日米」「日中」「日独」「日伯」などなど。
 他の国の場合でも、相手国を先に置く用例は見ません。

 この辺りは小さなことかもしれませんが、基本的な考え方は自国中心という天動説的思考形態が国の場合には未だに平然と罷り通っているという事でしょう。
 これがそのまま発展していくと、個人や企業ではサステイナビリティーがないということで当然否定されるべき行動が、そのまま肯定されることに繋がります。

 軍備増強競争などもそうですが、経済で言えば、赤字の連続で借金を続けるといった、いつかは行詰まる経済運営が大手を振って罷り通り、一時的にでもそれを可能にするための金融経済学や金融工学などというものが、国際的な学問として成り立ち、それを主唱する学者がノーベル賞を貰うといった、個人や企業レベルでは考えられないことが現実に起きています。

 個人の倫理観は大昔から、企業の倫理観は最近のCSR意識として強調されている中で、国レベルでは全く違った価値基準が相変わらず当たり前、といった未開な状態がいつまで続くのでしょうか。


再考、中国の貿易依存度

2013年11月11日 14時52分55秒 | 経済
再考、中国の貿易依存度
 日本にいて報道だけで情報を得ていたのでは、今の中国で何が起こっているのかを十分に理解することは不可能でしょう。 しかし、最近報道される多様なトラブルを見聞きする限り、中国は大きな問題を抱えていることは事実でしょう。

 13億人という巨大な人口を抱え、共産党一党独裁の国家でありながら、改革開放、社会主義自由経済などのスローガンの下、次第に変質を遂げ、先ず世界の工場へ、そして巨大な市場へと変化しつつあるという、奇跡のような、変化・発展をしつつあるというのはまさに現実です。

 その一方で、進展する格差の拡大、国際水準の近代部門と伝統的な自給自足的経済部門の併存から、いかに均質的な発展段階に近づいていくかといった問題は、ますます重要にならざるを得ないように感じられます。

 かつては日本もそうでした。この何十年か発展段階を迎えたアジアの途上国もそうでした。発展段階の初期、国内の一部には、先進国に匹敵するような都市やリゾート地となどが生まれます。そして、当然、自給自足的な従来部門も併存します。
 日本でも地方の農業地域が都市と肩を並べる豊かな状態になるのには、農地解放、米価審議会(生産費・所得補償方式)、列島改造による土地ブーム、などが必要でした。

 中国のような、広大で多様な国土、巨大な人口、多民族、多様な文化・宗教を包含する国では、かかる政策も時間も大変なものと思われます。
 かつて書きましたように、私はその難しさの一端を貿易依存度に見るような気がしています。

 貿易依存度には傾向があります。EUに見るように、加盟各国の貿易依存度は数十パーセントから100パーセントを越えますが、EUを一国とすれば、貿易依存度はアメリカと似た水準である30パーセント程度になります。戦後下村理論を打ち立てた下村治博士が指摘したように、貿易依存度には人口規模に反比例するという性質があるのです。
 
 ところが、人口13億を擁する中国の貿易依存度は、かつて60パーセントを超で(2007年67%)次第に低下していますが、昨年でも47パーセントです(インドは30%強)。
 産業の一部が先進国の投資で急速に輸出競争力を獲得する発展段階の国は、貿易依存度が高い傾向がありますが、中国は際立っています。

 これは何を意味するのでしょか。おそらく、中国国内には国際取引に関係ない自給自足的な部門(人口)が多分に残されており、その部分の経済水準はいまだ相当に低いということではないかと推定されるように思います。

 貿易依存度が下がり続ける過程というのは、そうした経済格差が是正され国内の生活水準の遅れた部分が次第に近代化する過程で、人口規模からいえば、中国はアメリカやEUの水準より更に低い所まで、将来下がっていくことになるのでしょう。
 
 そしてその過程では、先ず伝統部門の意識の覚醒が進み、格差是正への要望が繰り返しいろいろな形で現れざるを得ないということではないでしょうか。中国政府の今後の適切な政策の遂行と、その成功を祈るところです。


経済団体と経営者団体

2013年11月07日 13時38分04秒 | 社会
経済団体と経営者団体
 経済団体と言っても経営者団体といっても、いずれ同じようなものだと、殆どの方は思っておられるのではないでしょうか。経済団体と経営者団体は違うのですよと言ったら、「え、どこがどう違うの?」と聞かれそうですが、実はやっぱり違うのです。
 
 「名は体を表す」と言いますが、名前が違えば、やはり団体の性格、役割、中身も違うのです。少なくとも、私はそう認識しています。
 ではどう違うのでしょうか。

 経済団体というのは経済活動をする企業の団体というのが基本でしょう。ですから定款(寄付行為)などを見ても、企業にとって経済活動をやり易いような社会を実現するために活動をするというのが主要な目的ということになります。

 これに対して、経営者団体というのは「経営者」の団体ですから相手がいます。相手は従業員(労働者)、その組織、一般的に言えば労働組合が、産業界におけるカウンターパートということになります。

 具体的な例を挙げれば、ILO(国際労働機関)というのは、国連機関としては珍しいく各国の政府だけでなく各国の代表的な経営者団体と労働組合団体の三者によって構成される組織です。

 つまり、経営者団体というのは産業内における「人間」の問題(労働問題)に対応する組織です。ですから以前、経済団体としての「経済団体連合会(経団連)」と経営者団体としての「日本経営者団体連盟(日経連)」があったとき「日経連」の方は財界労務部などと言われていました。

 2002年、経団連と日経連は合併して「日本経済団体連合会(日本経団連)」が誕生しましたが、日本経団連の定款をネットで見ますと「経営者団体」という言葉はありません。

 そのせいでしょうか、近頃、安倍政権が「賃上げ、賃上げ」と騒いでいますが、それに対して、日本経団連から主体的な意見は聞かれません。

 このブログではいつも触れていますが、経済活動というのは、人間が資本を使って社会をより豊かで快適なものにするように付加価値を創りその分配をする活動なのですが、経済活動の中から人間(労使)に関わる部分(経済活動の唯一の主体)の部分が抜け落ちていては大変です。

 日本経団連が、経済における人間の問題を最も大事な問題として本格的に取り上げることを期待したいと思います。 政府も労働組合も国民も、みんなそれを望んでいるのではないでしょうか。