tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

新政権、何が変わるか

2011年08月31日 14時47分44秒 | 経済
新政権、何が変わるか
 8月も今日で終わりです。朝晩は涼しくなり、昨夜は虫の声を聞きました。
 ところで、昨日、新たに野田政権が発足しました。国民は、災害復旧対策の促進を始め、長期不況脱出など、いろいろなことが変わってほしいと思っています。 このブログも、「ここが一番変わってほしい」という願いを持っています。

 それは「円の価値の安定 」です。この所$1=¥76台で何とか安定していますが、何時どうなるかわかりません。新政権発足で、国際投機資本も様子見でしょう。

 おそらく近いうちに、新総理は、アメリカに招待され、アメリカに行かれるでしょう。多分、今、アメリカは日本に対して、様々な要求を持っているでしょう。新総理はそれを聞かされ、それにどう答えるのでしょうか。
 マスコミに報道されることも、されないこと(密約?)もあるでしょう。そのあたりで円はどう動くのでしょうか。

 これまでも自民から民主へという大きな変化もふくめて、政権はめまぐるしく変わりました。しかし、円ドル関係の動き方は基本的には変わらなかったように思います。

 振り返ってみれば、プラザ合意で円は二倍に切り上げられました。このときはG5で、一応挨拶があって円は切り上がる事になりました。もちろん切り上げの幅は想定外でしたが。
 多くの日本人は、もうこれ以上の切り上げは要求してこないだろう、$1=¥120水準まで我慢して(失われた15年)譲ったのだから、これで刑期(?)は終わったと 考えていたのではないでしょうか。

 その意味で、リーマンショックによる円高、$1=¥120→80は全く違ったショックを日本経済に与えました。これから、円は「何の挨拶もなく」切り上げられるのだ、という恐怖感です。
 政権がどう変わっても、この恐怖感は全く変わっていません。今回は、アメリカのソブリンリスク問題で$1=¥75円まで行きました。

 アメリカ経済の体質は全く変わっていませんから、また何が起こるかわかりません。予想されるのは、また何かあったら、円は5円幅、10円幅で切りあがり、日本は誰に文句をいう事も出来ず、受け入れて、産業界も国民も円高デフレ不況に 苦しめられ続けるというシナリオです。

 アメリカもヨーロッパも円高のほうが都合がいいですから、協調介入などは期待したところで無理な話でしょう。単独介入では効果は知れています。
 新政権に何か知恵を、などと考えるのは無理なことだと、諦めるしかないのでしょうか。


日本経済の直面する奇妙なジレンマ

2011年08月26日 12時11分27秒 | 経済
日本経済の直面する奇妙なジレンマ
 ムーディーズが日本の国債のランクを引き下げました。以前も書きましたように、こんなことは本気で騒ぐほどのことではありません。日本経済に対する市場の信認は「円高」が示しています。

 ムーディーズは、財政の大幅赤字、地震、津波、原発事故などの災害復旧の遅れ、加えて、政治の混乱などを挙げ、早くきちんとすべきだといっているようです。
 ムーディーズにいわれなくても、日本では土光さんの昔から、財政再建が大きな課題だと認識していますし、いざとなれば、きちんとやるでしょう。

 やらなければならないことをやるときに、日本人は過激なデモや暴動や破壊、略奪などで、社会を混乱させるようなことは無いと思います。
 日本の財政赤字は、政府の借金ですが、国民にとっては貯金で資産です。満期まで持っていれば、額面で償還される、と信頼するからこそ、国民は、安全な資産として国債を持つのです。

 インフレが来れば、国債は目減りします。しかし、日本人は、インフレを起こさないための方法についても、成功の経験 を持っています。国内の話ですから、為替問題はありません。
 しかも日本国債は95パーセント以上日本人が持っているので、外国に迷惑をかけることもほとんどありません。

 ところで、ムーディーズがアドバイスするように、日本が政治の安定や、増税による財政再建を順調に軌道に乗せたらどうなるでしょうか。多分「円はますます堅実な通貨だ」ということで、更なる円高になるでしょう。$1=¥50 などといいうことになったら、日本産業はどうなるでしょうか。

 堅実な経済運営をすればするほど、円高にさせられて日本経済が苦境に立つことは目に見えています。この奇妙なジレンマを考えるとき、矢張り今のマネーマーケットのシステムは「どう考えてもおかしい」ということになるのではないでしょうか。

 何度も指摘してきていますが、マネーの世界は、変動が大きいほどビジネスチャンスが大きいわけで、自分たちの力で変動を大きくすることも容易に可能です。マネービジネスの巨人たちは、儲かれば「OK」、損すれば政府が救済、に甘えているように見えます。

 日本のようにマネー政策に全く無防備で、真面目に頑張る国は、国際投機資本の格好な餌食です。「がんばろう 日本」のスローガンを見るたび、私も感激します。そして考えるのは、頑張った成果を日本人が、ダイレクトに実感できるような(頑張ればそれ以上の円高になって、自分たちが苦しむようなことにならないための)環境条件(マネー政策)の検討です。


アメリカ経済再建 その4: 実体経済で見れば

2011年08月22日 11時30分45秒 | 経済
アメリカ経済再建 その4: 実体経済で見れば
 経済というのは、一言でいれば、「人間が、より豊かで快適な生活をするために、モノやサービスを生産し、それを消費者の届け、消費者が消費して満足感を味わう」という一連の活動でしょう。物理的に見れば極めて単純なことです。

 ここで一番難しいのは、生産したものを全部食べてしまわないで、来年の生産や、その生産をより効率的にするための原材料(種籾など)や道具や、より効率的な生産をするための工夫(技術革新)のために、生産したものやサービスをどのくらいを回すかです。
 言い換えれば、生産したモノやサービス(GDP)の内、どのくらいを消費し、どのくらいを将来の生産のために割愛するか(消費と投資のバランス)です。

 こんなことは、揚羽蝶の幼虫でも知っています。生活の場である柑橘類の葉をもりもり食べますが、枝の先端の芽のところは食べません。「ここが将来の食糧に育つ」と知っているからでしょう。

 ところが、恐ろしいことに、経済が貨幣経済になり、すべてが金融という袋に包まれて、間接的にしか見えなくなってくると、そのあたりのバランスが人間にも見えなくなってくるのです。

 落語にも、仲の良い夫婦が、「2つあれば1つずつ、1つなら半分ずつ、無い物は食わない」という下りがありますが、貨幣経済では、「無い物でも金を借りてきて買って食えばいい」ということになり、誰でも「そんなのは無理だよ。そんなことを続けられる訳がない」とすぐに理解しますが、アメリカは、それを出来るだけ長く続けようと、1970年代以降、ずっと努力してきているのです。

 貯金のあるうちはいいのですが、無くなると後は借金です、借金の出来るうちはいいのですが、借金が出来なくなったら破綻です。今、ここまで来たようです。
 問題は、経済がすべて「貨幣の操作」というベールに包まれていますから、実体経済がどうなったのか良く解らないし、政府も確り危険信号を出さなかったので、国民の多くが、「別に借金で生活していても、貧乏するよりいいんじゃないの」といっているうちに「茹で蛙 」寸前になってしまったのでしょう。

 実体経済から見れば、物事は極めて単純で、早期に、アメリカは、「自分たちの生産(GDP)の範囲内で消費と投資を賄う」状態(経常赤字でなくなる状態)に戻す以外に解決法はありません。
 それには、国民の心の準備が必要ですが、それを、国民に対する「対話と説得」でやるのではなく、「金融操作」でやろうとしているので、そのトバッチリで、世界中が迷惑しているというのが現状でしょう。

 思い出してみれば、アメリカが黒字国のうちは、世界経済は極めて安定していました。


アメリカ経済再建 その3: 実体経済の反撃

2011年08月18日 11時10分34秒 | 経済
アメリカ経済再建 その3: 実体経済の反撃
 前回の問題を金融面から見てみましょう。
 デフレでもないときに、ゼロ金利、超金融緩和にするという事はどういうことでしょうか。
 ドル安の時にはデフレは起きません。だから金利もゼロにはなりません。起こるとすればインフレです。事実、アメリカの物価は基本的には上がり続けていますし、アメリカの長期金利は上昇しようとしているようです。

 金利上昇はアメリカ国債価格の下落をもたらします。アメリカだけではなく、米国債を持っている世界中の金融機関が、大変な損失を抱えることになります。
 国債価格を維持したいアメリカ政府にとって、金利上昇は禁物です。ということで経済原則に逆らったゼロ金利政策が採られるのでしょう。

 こんなおかしなことになってしまうのも、万年経常赤字のアメリカが、経済実体を無視してドルの価値を維持することを続けようとするからです。 実体経済と金融の関係を異常なものにするような政策をとり、それを可能にするための、会計基準をはじめとしたデファクト・スタンダードを作り国際的に広めて、何とか辻褄を合わせようというのでしょうか。

 例えば、保守主義の会計では「所得」は基本的に「インカムゲイン」、評価は時価ではなく取得価格と考えられていたのではないでしょうか。
 アメリカは経常赤字を資本収支の黒字で補わなければならないことから、「インカムゲイン」も「キャピタルゲイン」も同じ「ゲイン」としてできるだけ区別しない、そして評価は時価といったような会計を考えたようです。

 このブログで書いてきた「インカムゲイン=額に汗した金」と「キャピタルゲイン=あぶく銭」は峻別すべきだという「実体経済中心」の考え方とは全く別物です。
 その結果、アメリカは、金利上昇、国債価格下落で生じる「キャピタルロス」の恐怖に苛まれることになったといえるのではないでしょうか。

 そのプロセスでアメリカにキャピタルゲインをもたらすために育ってきた「マネー資本主義」のモンスターたちが、次々と破綻し、世界中に経済混乱のタネを蒔き散らしているのです。

 しかも時代は、グローバル化の時代です。経済の最も基本部分をなす「実体経済の競争力」の劣化が否応なしにアメリカを追い込みます。
 いまや、アメリカの「落ちた競争力」はドル安でしかカバーできないのでしょうが、そのドル安は、アメリカ国債の価値の維持に対しては正反対の効果を持つことになるのです。

 経済を金融で解決しようと考えたアメリカは、今や、実体経済の反撃を受けて、進退窮まってしまった、というのが本当のところでしょう。


アメリカ経済再建 その2: 金融中心、繰り返す失敗

2011年08月17日 14時00分18秒 | 経済
アメリカ経済再建 その2: 金融中心、繰り返す失敗
 オバマ大統領の下で今採られている政策はマスコミでも広く報道、解説が行われています。
アメリカの景気が悪くなると、世界中(本当はアメリカ自体)が困るので、何とか個人消費や住宅建設を回復させ、需要面から景気を引っ張り、先ずは不況を脱出したいという事のようです。

 そうすれば企業も元気になり、生産も回復し、雇用も増えて、雇用増がまた消費の拡大つながるということでしょう。だから雇用統計が注目の的になっています。

 そのために何をするかというと、先ず金融緩和です。デフレでもないのにゼロ金利にし、量的緩和を徹底して、国民にも企業にもカネを使い易くして、大いに使ってもらおうという政策です。
 と言いつつ、これでドル安に誘導して、国際競争力を強めたいという思惑も透けて見えます。思惑の皺寄せで、日本は円高になって苦労します。

 バーナンキさんは1929年の世界恐慌も、金融緩和で解決できたはずという主張も持ち主だそうですから、信念を持って、これをやっているのでしょう。
 しかしこれは、経常赤字国のアメリカがずっと採り続けてきた政策で、金融緩和だけでは副作用ばかり大きく、とても根本的な解決できない問題のように私には思われます。

 実は、オバマさんが大統領選挙の時、「チェンジ (Change! Yes, we can.)」といっているのを聞いて、「もしかしたら何か、新しい方向が・・・」と思ったのですが、「チェンジ」は掛け声だけで中身への言及はありませんでした。結局、大統領が変わっただけでした。

 現実には金融緩和に財政支出増も併用していますが、そうやって、需要で経済を引っ張れば、一時的には景気が良くなる可能性はあります。しかし、需要が伸びるときは、生産もついていかないと、結果は「経常赤字」の拡大でしょう。

 アメリカ経済の問題は、生産力が弱って、経常赤字が何時までたっても治らないことです。今回の金融緩和、赤字財政の継続(国債発行上限引き上げ)で、アメリカの生産力の回復が期待できるのでしょうか。  多分「ノー」でしょう。

 サブプライムの後遺症、住宅価格の低迷で、モーゲージローンを使えなくなった国民が、 支出を切り詰め、自己資本の劣化した法人企業がバランスシート調整(資産圧縮)をして、それらが貯蓄増加につながり、マイナス方向で生産とのバランスが改善するという傾向も、多少はあるようですが、それは政府の意図とは正反対のものでしょう。


アメリカ経済再建 その1: 2つの方法

2011年08月15日 10時49分00秒 | 経済
アメリカ経済再建 その1: 2つの方法
 今日は終戦記念日、今日も、あの日のように朝から暑い日差しです。それから66年、日本は早期に経済再建を果たし、一方戦後、世界経済の支配を続けてきたアメリカ経済はいよいよ行き詰まりのようです。そして、世界中がアメリカの景気回復を願い、アメリカも経済力の回復に一生懸命です。

 実体経済から見れば、アメリカの経済が落ち込むといってもせいぜい年に1パーセントとか3パーセントかで、欧・中・日などの対米輸出が落ち込んでも、伸びるアジア・ビジネスを活性化すれば、十分 カバーできると思われるのですが、問題は経済問題よりも政治問題でしょうか。

 ところで、アメリカ経済の再建を考える場合、最近の論調を見ていて感じることは、方法は基本的に2つあり、いま、アメリカ自体も含め、多くのエコノミストや政治家が考えている方法は、どういうわけか「巧くいきそうもない方法」に固執しているように見えて仕方ありません。
 前々回から書いていますように、実体経済を見ずに、金融政策に固執するといった様相です。

 アメリカ経済の基本的な問題点を、歯に衣着せずにいえば、生産より余計に消費 する状態から抜け出せない(抜け出そうとしない)ということでしょう。
 戦後のアメリカは「バターも大砲も」といわれたように、巨大な生産力で経済をカバーし、世界を援助できる黒字国でした。
 だからこそ、ドルは金1オンス=$35という、今なら夢のような価値(現在は1オンス=$1800を越えそう)を持っていたのです。

 しかし、このアメリカも、生産力が次第に落ち、消費の伸びは続いて、70年代に入ると経常赤字の年が増え、80年代には経常赤字が定着してしまいました。60年代の終わりには、それを見越したのでしょう、$35持って金1オンスを買うところが増え(例えばフランス)、アメリカの金準備が急減し、1970年のニクソン・ショック(金兌換停止)が起こり、この、「ドルのペーパーマネー化」が事態を一層悪化させたようです。

 ドル価値の維持(アメリカ経済の再建)には、経常赤字を直して、昔のように経常黒字(トントンでも)にすることが必要ですが(経常黒字の日本 はいつも円高です)、それは解っていても、問題はそれをどうやってやるかです。そして現実は、2011年の今日まで、ずっと失敗の連続です。
 そして今採られているのも、今迄、失敗の連続だった金融政策中心のアプローチです。

 アメリカ経済再建のためには、もうひとつ、実体経済中心のアプローチがあるはずですが、これをやるのには、国民が背伸びをやめ、汗をかかねばなりません。
 選挙のある世界では、国民に汗をかかせる政策は、なかなか難しいようです。アメリカは相変わらず失敗を繰り返し、そのたびに日本は円高で苦労し、アメリカを助けるのでしょうか。


実体経済、実体経済学への回帰を

2011年08月12日 11時28分31秒 | 経済
実体経済、実体経済学への回帰を
 以前から気になっているのですが、小学生や中学生に、経済の現場の勉強と称して、証券取引所の見学に連れて行くといったことが良くやられています。

 証券取引所というのは、経済の現場でしょうか。そういう企画を立てる人(先生)は、もしかしたら「これこそが経済の現場だ」と思っているのかもしれませんが、もしそうだとしたら、その辺りから認識を変えていかなければならないような気がします。

 経済の現場というのは、もっと身近なところにあって、ものを作っている現場とか、農産物を収穫して市場に持っていくところとか、競りをやっている市場とか、物流の拠点とか、近所のスーパーやコンビニでしょう。
 そういう所が、モノやサービスの生産から流通、消費、そして再生産という経済循環を現実に担っている「経済の現場」です。

 銀行や証券会社、証券取引所というのは、そういう実体経済を、カネの面から支えるいわば裏方の仕事で、その役割は、実体経済が、着実に拡大再生産をするように支援し、社会全体が豊かで快適になるように「潤滑油 」の役割をするところでです。
 クルマの機能を勉強するのに、潤滑油の働きを教えても、なぜ車が走るのかは解りません。

 戦後を見ても、モノがなかった「買い出し」時代から、「主要都市のメインの交差点の4つの角のうち3つは銀行だ」などといわれた時代、「銀行よさようなら、証券よ今日は」の時代を経て、「為替レートが世界の経済関係の鍵」、「国際投機資本が世界経済を牛耳る」時代へと、経済世界は変わってきました。
 そうした中で、「金融こそが経済そのもの」といった感覚が育ちすぎてしまったのではないでしょうか。その結果が一方では冒頭のような現実を生み、他方では、株式・為替の乱高下、世界経済の大混乱を生み出しているのでしょう。

 実体経済は大きく動いても、±1~2パーセントの世界です。本当は金融の世界もこれに順じた変化幅(ボラティリティー)の中で仕事をするべきなのでしょう。
 しかし、今の投機金融経済(マネー資本主義)の世界は、その本来の性質上、ボラティリティーが大きいほど 商機が大きい世界なのです。そして、自分たちの手で、ボラティリティーを大きくするための方法 も、金融の(行き過ぎた)自由化の中で用意されてしまいました。

 こうした事にならないように国際協力で努力しようとして考えられた「ブレトンウッヅ体制 」は忘れ去られました。人類はホモ・エコノミックスとしても、もっと歴史に学ぶべきでしょう。


問題は実体経済

2011年08月09日 15時19分03秒 | 国際経済
問題は実体経済
 週明けの昨日(8月8日)、東京市場が開く前にと、緊急に、電話によるG7が開かれました。電話会議は2時間に及んだそうで、その結果、金融市場の機能や金融の安定のために各国は共同行動をとることで一致したという事でした。
 特に為替市場での行動に関しては緊密に協議、適切に協力するということで、日本にとって問題な過度な円高に対しても、多少は期待できそうな報告がありました。

 アメリカ経済がどうにもならなくなるんではないかといった不安が、いよいよ大きくなってきた状態では、G7も「まず協調しなければ」ということになったのでしょう。
 しかし本来が、「協調」と同じ言葉は使っても中身は違う同床異夢の国々のことですから、これで過度な円高が抑えられるなどと単純に考えないほうがいいのでしょう。具体的にいって、「過度の円高」の意味するところは日、米、欧それぞれに、だいぶ違うのではないでしょうか。

 結局、昨日から今日にかけて、いずこの株も暴落、円高、ドル安はじりじりで、マスコミも「G7の効果に限界」と疑問を投げかけています。

 こんな結果に終わるのもある意味では当然でしょう。今回の問題の原因は、「アメリカの赤字が改善しないのでは」とか「ギリシャなどへのEUの支援が効果があるだろうか」といった不信不安を多くの関係者が持っているということにあるのです。
 問題はこうした国々の実体経済にあるわけですから、金融で協調して見せても、本当の問題は何も解決しないのだからと国際投機資本だって読んでいるでしょう。せいぜい「少しの間G7の顔を立てるか」程度でしょう。

 こんな国際経済になり、国際経済政策になってしまっているのも、実体経済の健全化をなおざりにして、なんでも金融に頼む風潮 を作り、金融の過度な自由化を促進して、マネー資本主義 や巨大な国際投機資本という「鬼子」を生み、金融だけが経済学といった状況を創り出した「国や人びと」にあるのでしょう。

 矢張り必要なのは、実体経済を良くするための、実体経済を対象にした、本当の経済学、経済政策の復権かもしれません。
 日本は種々問題を持ちながらも、その意味では、極めて真面目にやっている優等生でしょう。だからこそ円高で追い詰められるのですが、G7で日本は、「アメリカもギリシャも、日本のようにやれば、こんな国際経済の混乱は起こりませんよ」ぐらい言ってやった方がいいのではないでしょうか。
 
 忘れ去られている実体経済政策についても、また考えてみたいと思います。


単独介入と日本経済

2011年08月05日 15時14分53秒 | 国際経済
単独介入と日本経済
 国際投機筋の円の思惑買いで円レートは史上最高値の$1=¥76.25を更新しそうということで、日銀は思いきった単独介入に踏み切ったようです。単独介入の効果は限定的といった意見も多いようですが、日本が、とめどない円高に対して、はっきりとした意思表示をしたという事は大変有意義だと思います。

 マスコミなどの報道姿勢も変わってきました。この所は次第に円高に無関心ではなくなり、「歴史的円高」などという言葉も使われ始めました。
 リーマンショックで一気に$1=¥120から$1=¥80になった時、この円高は日本経済の致命傷 になりかねないとの危機感を持っていたら、もっと良かったのかもしれませんが、まだその頃は「マーケットは正しい」などという意識があったのでしょうか。

 今回は、$1=¥80から僅か3~4円の円高ですが、口や鼻まで水が来ていておぼれる寸前ですから、ほんの少し水位が上がっても、いよいよ大変という事かもしれません。
 特に今回、日本は大震災に見舞われ、原発問題が起こり、災害からの復旧資金、東京電力の賠償金の負担も含めて巨大な財政支出を必要としています。国債発行か増税かでもめていますが、結局はこれらはすべて国民が負担することになるわけですから、日本は黒字国だからデフォルトは心配ないともいってもいられない状況です。

 それでも今、円高が進むという事は、
「日本政府は国民に耐乏生活を求め、国民はそれにしたがって、生活を切り詰め、国債を買うか、増税を認めるかできちんと対応し、必要な資金は国民が自分で出す。アメリカのように赤字国になって外国からのカネをあてにしたり、どこかの国のように増税反対の暴動などはしない。だから円を買っておけば、安心なのだ、というのが、いわゆる「消去法による円高」という事の意味なのです。

 日本人の真面目さを逆手にとって、収益を確保しようと為替売買をする国際投機資本の行動原理を「黙認しない」という意思表示が、今回の単独介入の最大の意味だと思います。

 マスコミなどの円高解説 も、「円高で輸出産業は打撃だが、海外旅行や輸入品は安くなってメリットもある」などというのはやめて、「海外旅行や輸入品が有利になれば、国内旅行や国産品はその分売れなくなり、国内の仕事は減って、雇用も賃金も減ることになり、何もいいことはない。」とはっきり書いたらどうでしょうか。

 世界経済がこうした事になってしまったのも、基軸通貨国が万年赤字で、金融操作でそれを穴埋めして景気を維持し、世界がそれに頼る、といった歪んだ世界経済を作り、赤字国が居直って、黒字国が、助けるのが当然といった雰囲気を作ってしまったことによるのです。
 真に問われるのはアメリカの対応です。


米政府債務上限引き上げの意味

2011年08月01日 17時34分19秒 | 国際経済
米政府債務上限引き上げの意味
 今日の午前中に、米国ではオバマ大統領が、米政府と民主、共和両党の合意が成立し、「10年間で1兆ドル規模の歳出削減を条件に、13年までに債務上限を少なくとも2.1兆ドル引き上げる権限を大統領に与えることになった」、と発表しました。その後更に1.5兆ドルの歳出削減も話し合うのだそうです。

 米国の財政赤字は毎年ほぼ1兆ドルですから、これでオバマ大統領の任期中は何とか米国債のデフォルトは避けられたということで、アメリカ経済も世界経済も一安心、という筋書きになるのでしょうが、「茶会の反対で」などと言われたアメリカ議会のやり取りも、当面の(ボストン湾の)お茶を濁すだけの茶番のように見えて仕方ありません。

 10年で1兆ドルの歳出削減では年に1千億ドルの削減ですから、順調にいっても、年々、9千億ドル、8千億ドルと赤字は積みあがっていきます。何かあれば(例えばリーマン・ショック)、それも不可能になるでしょう。

 もともと誇り高いアメリカが、デフォルトなどは絶対に避けることは誰しも予測できたでしょうし、同時に、だからといって、本気になって、世界の大問題であるアメリカ経済の本格的な建て直しなどやる気はないことも見え見えですから、時間ぎりぎりで、当面の弥縫策に落ち着くことになるのだろうと誰もが読んでいたのではないしょうか。

 世界経済に悪影響を与えずに、時間をかけてアメリカ経済を健全なものにするのが最善の道といった理屈はあるでしょう。しかし我が侭な大衆国家アメリカにそんな芸当が出来るとも思えません。今までの 赤字・借金生活(経済)の繰り返しで終わることは目に見えています。

 「銀行がカネさえ貸してくれれば、ウチの会社は倒産しません」と胸を張る会社の社債の格付けがAAAであっても(米国債はまだAAA ですよね)、まともな経済行為としてその会社に金を貸す(米国債を購入する)人がいるでしょうか。

 日本の国や銀行が米国債を買ってもいいかと国民に聞いたら、国民は多分「ダメ」というでしょう。円高で損ばかりしてきているのですから当然です。他にどこの国が買うでしょうか。アメリカ自体は経常赤字の国ですから、アメリカ国民には買うカネはありません。中央銀行引き受けなら、破滅を早めるだけです。

 こんなことを繰り返しながら、アメリカが経済覇権国から、ドルが基軸通貨の座からずり落ちていくのでしょうか。世界経済史の進行の一幕が通り過ぎたような気がしています。