tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

経済発展と戦争

2009年06月28日 21時00分56秒 | 経済
経済発展と戦争
 われわれホモサピエンスは、その発生以来生活の安定と向上を求めてきたのでしょう。穴居生活の中で、飢えや寒さや猛獣、毒蛇などから家族を守り、動物としての本能であるサバイバルの努力を続けながら、もっといい暮らしを求めて、アフリカ大陸からユーラシア大陸全体、さらにはベーリング海峡を渡って北米から南米の最南端まで全世界に広がっていきました。

 この間20万年とか30万年とかいわれますが、経済成長が認識されるようになったのは、長く見ても近世になってからの数百年で、しかも領土や植民地を拡大しなくても経済成長が可能とはっきり認識できるようになったのは第2次大戦後、僅か数十年前からではないでしょうか。

 領土については、本格的な版図拡大や植民地化のための戦争はなくなりましたが、資源獲得のための争いはまだ続いているように見えます。しかしこれも領土と同じように、経済力さえあれば、欲しい資源は手に入ると理解されるようになれば、「戦争するより経済力をつけたほうがいい」と誰もが早晩考えるようになるのでしょう。

 端的な話が、日本の場合も、かつての欧米を真似て、富国強兵をやり、最後には石油をはじめとした資源獲得のために太平洋戦争に突入するという大失敗を犯しました。しかし失敗の結果、焦土となった限られた国土の中で、一生懸命頑張った結果、当時はで世界に稀な高度成長を実現し、世界でも最も豊かな国の仲間入りが出来たのです。

 地球上の資源も豊かさもゼロサムではない、経済活動と技術革新によって、種々の代替資源もふくめて考えれば、資源も豊かさも限りなく増やすことが出来るという認識が広まれば広まるほど、豊かになるために戦争をするという行為が如何に馬鹿げたことかが、ホモサピエンスの中の共通認識になって行くのではないかと思われます。

 日本は、平和憲法を持つ国として、また、限られた資源のない国土の中で世界有数の豊かさを実現した国として、失敗への反省もこめて、自らの経験をもっと真剣に語っても良いのではないでしょうか。


経済成長の原動力 その3

2009年06月27日 12時16分41秒 | 経済
経済成長の原動力 その3
 太平洋戦争で日本の大都市、中都市はほとんど焼け野原になりました。もともと資源のない国で、その上、B29の爆撃で生産設備はほとんど破壊されていましたから、生産力はほとんど失われていたのでしょう。

 終戦直後のGDPが戦前に比べてどのくらい落ちたかについては正確な数字はないようです。しかし、実質賃金の推計を見ますと、戦後二年目の昭和22年(20,21年は統計がない)で、戦前(昭和9~11年平均)の約30パーセントですから、多分実質GDPは、戦前の4分の1近くまで落ちていたと考えられます。

 その日本経済が、昭和31年の経済白書で「もはや戦後ではない」と書かれるまでに復興しました。実質賃金は同年、戦前比114パーセントに回復(物価の文化史事典:展望社)しています。

 石田一松(タレント国会議員第1号、1902~1956年)が寄席で、
   「男なら、男なら
    ひとつここらで褌締めて
    可愛い息子や娘や孫に
    元の日本にして渡せ
    男ならやってみな」
などとバイオリンを弾き弾き唄っていましたが、その頃すでに日本は、回復のプロセスとはいえ、戦後10年でGDPを3倍以上に引き上げ、さらにその後、1961年から10年間の所得倍増計画で、GDPを実質2倍に引き上げ、世界の高度成長国としてデビューしたわけです。

 東海道新幹線、東京オリンピック、大阪万博、3C、新3Cと、日本人はいろいろな新しいものを求めてエネルギッシュに進み、その結果、日本経済の力強さは二度のオイルショック、さらにニクソンショックも乗り越え、成熟化の中で安定志向を強めながらも1980年代前半の「ジャパンアズナンバーワン」の時期まで続きました。

 あの頃の日本と、今の日本との違いは何でしょうか。少子化問題、高齢化問題、社会保障問題、雇用問題、教育現場の混乱、登校・出社拒否、メンタルヘルス問題の増加・・・。
 因果関係の分析は難しいと思います。しかし、日本人自身の経験の中で、日本人の考え方と、社会の様相と、経済成長がどう関係するのかしないのか、考えてみることも必要なのではないでしょうか。


経済成長の原動力 その2

2009年06月26日 11時34分27秒 | 経済
経済成長の原動力 その2
 1990年代の後半、何年か続けてベトナムにいく機会がありました。ベトナムがいよいよ本格的な経済成長の時代に入る頃でした。

 日本は当時、円高とバブルの崩壊によるダブルデフレ で、いわゆる「失われた10年」の真っ最中、経済成長率はゼロとかマイナスで、日本人は全く元気がありませんでした。

 ベトナムにいってみると、まさに正反対、街は活気にあふれ、当時、若者たちが、中古のホンダ・スーパーカブに乗って、夜中まで街を疾走しているのです。
 ハノイではまだ、モーターバイクは少数で大多数は自転車でしたが、ホーチーミンではモーターバイクが随分多くなっていました。

 夜中の街を切れ目なくバイクの行列が走り続けていくのです。
「夜中までバイクに乗って何をしてるんですか」
「うちにいても熱いし、バイクに乗ると涼しいから。要するにバイクを楽しんでいるんですよ」
「でもバイクは高いんでしょう」
 当時ベトナムでは月給の平均は5000円か1万円程度、それで10万円もするような中古バイクを買っているというのです。

 たまたま知っている現地の人に聞きましたら、「自分でも貯めて、足りない分は、親や親戚にまで借りて買っているんですよ」ということでした。

 バイクに乗りたくて仕方がない、後ろに彼女を乗せて走りたいとの思いで借金してバイクを買って、ただ楽しんで走るだけであれば、バイクが壊れ、ガソリン代がなくなればそれで終わりです。

 しかし、そうした多くの人の願望達成が刺激になり達成動機になって、本人も家族も働いて、バイクのための借金を返済し、今度はもう少し良いバイクを買おうと努力して働くプロセスで、国の経済活動としては、それがバイク工場を誘致となって生産力が生まれ、国民はそこで働いて所得を増大し、購買力も増えることになり、結果的に、生産も消費も増えて、「経済成長」は実現するということになるようです。

 何年かするうちに、バイクは輸入中古品から国産になり、新車が多くなり、街全体をふくめて、ベトナム経済全体が様変わりになった頃には21世紀を迎えていました。


経済成長の原動力 その1

2009年06月24日 21時04分01秒 | 経済
経済成長の原動力 その1
 経済成長の原動力とは何でしょうか。
学校で経済学を学んだ人は多いと思いますが、多分、教科書に書いてあるような経済学をいくら学んでも、この問いに対する答は、教科書からも、先生からも、明確に与えてもらえなかったのではないでしょうか。

 昨年9月に、「 景気回復策あれこれ」の中で、「経済学の貧困」と書かせて頂きましたが、経済学が人間から離れて、数式で結論を出すようになって、ますますその気配を強めたようです。

 「そりゃそうだ、それがわかれば、どうすれば経済成長するかがわかって、不況や低成長はなくなるのだろうから、世界中が不況で困っているっていうのは、答がわからない証拠じゃないの」という意見が聞こえてきます。

 ところで、もう30年ぐらい前になりましょうか、日本企業がアジアに進出し始めた頃、従業員が中々働いてくれないという問題が悩みのタネでした。給料を払うと、手元にカネがあるうちは働きに来ないとか、いろいろ世話を焼いたり、教えたりすると、嫌がって、休んだり辞めたりするのです。

 働き手を求めて、木陰で昼寝をしている若者を見つけ、リクルートします。
「暑いねぇ。どう、ウチの工場で働かないか」
「働くとどうなる?」
「給料もらえるぞ」
「給料貰うとどうなる?」
「エアコン買って涼しい生活が出来るよ」
「この木陰で昼寝していると結構涼しいよ」

 多分、日本人が作った話でしょうが、結論は「これじゃ経済発展は容易じゃないね」となるわけです。
 当時は、Developed Countries(先進国)が経済成長していて、Developing Countries(発展途上国)は ほとんど成長していなかったという名称と実態が反対な変な時代でした。

 しかし、今のアジア諸国は違います。停滞する先進国を尻目に、まさにDeveloping Countriesです。

 この辺りから、経済成長の原動力、経済成長の必要条件の「なにがしか」が見えて来るように思われませんでしょうか。


キャピタルゲインで年金原資?

2009年06月18日 10時51分22秒 | 経済
キャピタルゲインで年金原資?
 貨幣経済が発展すると、いろいろなところに資本が蓄積されます。家計に、企業に、国や地方公共団体に、差し当たって使わないカネが溜まるわけです。
 日本では、ご承知のように1500兆円という巨大なカネが、個人貯蓄という形で蓄積されています。
 こうして蓄積されたお金は、大きく分けて、2つの方向に動くことになります。

 第1の方向は、実体経済の成長を目指す投資です。人類の経済社会は「資本蓄積→投資→資本蓄積→投資」のサイクルで発展成長してきました。蓄積されたお金が、成長を支えたわけです。

 投資の内容は具体的に言えば、技術開発、生産設備、流通システムなどへの投資、さらに、こうした実体経済活動の高度化は、すべて人間が考えて行うわけですから、人間に対する投資、「 教育」です。最近の言葉ではHRD(human resource development:人的資源開発)です。
 人間社会の発展は、その社会を構成する人間の質によって決まりますから、実はこれが最も重要なのでしょう。

 第2の方向は、ギャンブルです。サイコロでも、カードでも、何かを道具に使って、賭けをし、損したり得したりするという方向です。これも人類の歴史と共に古い蓄積資本(時にはお金を借りてでも)の活用法で、宗教、占い、社交、遊びなどと結びついて、かつてのドバから競馬、宝くじ、サッカーくじまで進化してきました。しかし、これらはすべてゼロサムゲームで、経済成長とは関係ありません。

 今の金融資本主義、マネー資本主義というのは賭けの道具として経済事象のいろいろな側面を活用したものです。株価、金利、為替などなど。
 しかし、サッカーの勝敗がサッカーくじに関係ないように、マネー資本主義のマネーの流れは、実体経済の成長発展に関係ない、という訳には行きません。実体経済のお金もマネーゲームのお金も区別できないからです。しかも、古代エジプトからそうであったように、この世界にはインチキの影が付きまといます。

 本来マネー資本主義が標榜したのは、金融の活性化、実体経済の安定に効果があるということだったようです(今でもそう言う人は大勢います)。しかし、「欲に目がくらみやすい」という人間の弱さからでしょう、実体経済の混乱により巨大な効果を持ってしまったようです。

 繰り返し述べていますように、マネーゲームによる利得(キャピタルゲイン)は社会の富を増やす(経済成長をもたらす)わけではありません。

 ところで、年金というのは、積み立て方式にしても、賦課方式にしても、将来の経済成長を前提にしないと成り立ちません。利息も後代負担も経済が成長するから可能になるのです。
 その年金が、その蓄積資本を自分を支えてくれる第1の方向(実体経済への投資)でなく、 キャピタルゲイン目当ての投資(第2の方向)に走って、果たして理にかなっているのでしょうか。


日本経済のバランスの悪いところ その3:マネーゲームが不得手であること

2009年06月17日 10時26分53秒 | 経済
日本経済のバランスの悪いところ その3:マネーゲームが不得手であること
 今回の金融危機も含めて、日本は、国際的マネーゲームでは、中々成績を上げられないようです。現在、日本の金融の中枢に居られ、かつて、外資系金融機関の経験もお持ちの方が、「日本の金融機関の力では、アメリカやイギリスにはとても敵いませんね」という趣旨のことをいわれたのを覚えています。

 理由はいろいろあるのかもしれませんが、最も決定的なのは、ルールを作っているのがアメリカやイギリスだということでしょう。国際会計基準にしても、デリバティブなどの金融新手法にしても、証券化のやり方を決めたり、その証券の格付けをしているのは日本ではありません。

 日本はかつて欧米がそうであったように保守主義の会計をやり、日本独特の安定株主作りや、株の持ち合いなどを発明して、資本主義経済の長期安定的な発展の方向を目指してきましたが、そういうやり方は最も怪しからんということで、いつもバッシングの対象になってきました。

 基本哲学が違うマネーゲームに手を出してみても、ルールメーカーにはとても敵いません。失敗してマスコミにたたかれるのが落ちでしょうか。
 
 はっきりいってしまえば、アメリカ流は キャピタルゲインでやりくりする資本主義でしょう。日本流はインカムゲイン中心、経済成長指向の正統派の資本主義です。
 今回のアメリカの失敗で、付加価値を移転するだけで生産しないキャピタルゲイン経済の問題点は明らかになったようです。

 日本は、きちんと技術開発を行い、それが実体経済の高度化に貢献するように資本を投資し産業化を実践し、対外投資にしても、マネーゲームではなく、相手国のGDPの拡大(経済成長)に役立つ借款や直接投資中心で、あくまで実体経済の発展を考えた経済活動を行う国であることを標榜するべきでしょう。

 マネーゲームが不得手であることは、少しも恥ずかしいことではなく、逆に不得手であることが、まともな資本主義を実践する国であることの証拠として、大いに胸を張って、その意義を主張していくべきではないでしょうか。

 G7やG20でも、これからは、いかなる資本主義を選択していくのかという、経済社会の本質的な問題が論議されることになるのではないでしょうか。


使いたくてもカネがないという意見も

2009年06月16日 11時31分53秒 | 経済
使いたくてもカネがないという意見も
 前回書きましたように、国民が金を使えば経済が回り始めるといっても、「カネがないから使えないんだよ」と言う方もいらっしゃいます。確かにその通りです。借金をしてカネを使い続けたら、結果は今回のアメリカのようなことになります。

 日米の違いは、個々人の事情の違いは別にして、国民全体としては1500兆円という世界に類を見ない巨額な個人貯蓄があるということです。国民が使わないので政府が借りて使っているということは「 頭を使った経済政策」で書かせていただいた通りです。

 日本のように、お金があっても使わない国は国内経済は不況になりがちですし、アメリカのように貯金がなくても、、借金してでも消費を楽しむ国は、借金が出来なくなるまでは好況を楽しめます。
しかし、いずれも「過ぎたるは及ばざるが如し」で、結果的には経済はうまくいかないようです。
 経済は生き物ですから、バランスが大切で、稼ぎの中から「適切に 」「計画的に考えて」使うことが経済を長期安定的に活性化するというのが現実です。

 ですから、日本では,さしあたって、カネのある人が貯蓄を取り崩してでも消費を活発にすることが必要でしょう。民間主導の「呼び水」理論です。しかし、個人レベルでは、「俺一人カネを使ってみても・・・」です。消費拡大は、一挙大量投入で、使える金のある人が、皆で「イチ、ニのサン」で大規模にやらないと効果は出てきません。
 
 そこで政府の出番でしょう。政府は「頭を使った経済政策」を総動員し、個人貯蓄1500兆円のうち、何10兆円かでも動けば、日本経済は回り始める、と国民に明るい将来を見せる政策を考えるべきでしょう。明るい将来を構成する内容 はいくらでもあるでしょう。

 国民には消費を促し、企業には投資を促し、その結果、経済は2~3パーセントの成長を達成し、預金金利は3.5パーセントぐらいになる、といった、国民にも達成可能とわかるような経済計画を提示すべきでしょう。時代の違いはありますが、かつての「所得倍増計画」では、国民は大発奮し、10年で、実質GNP2倍、名目値では4倍になりました。
 
 そういうビジョンを国民に示し、国民にやる気を起こしてもらうことが、最大の「頭を使った経済政策」でしょう。 多分それで、雇用不安も、将来不安も消えていくでしょう。皆がその気で消費、投資を行い、社会の役に立つよう勤勉に働けば、GDPは増えるのです。雇用増も、賃金上昇もついてきます。

 根が勤勉な日本人です。この程度は十分可能でしょう。この間までだったら、そんなことをやったら、アメリカが、「政府の介入などまかりならん」と怒鳴り込んできたでしょうが、今のアメリカは、金融機関のみならず、製造業企業まで国有化する国ですから何も言わないと思います。


頭を使った経済政策の例

2009年06月12日 10時49分10秒 | 経済
頭を使った経済政策の例
 巨大な借金の背負う日本政府ですが、経済のてこ入れのために政策を打たなければならなくなると、相変わらず同じ手法に縛られてしまっているようです。

 補正予算を組んで、国債を出して国民から借金し、選挙の票につながりそうなところで公共工事や、補助金を出して、出した金額が大きければ、それだけ経済政策の効果は大きいはずだと宣伝する・・・。
 結果、経済効果がほとんどないような、道路、港湾、空港などが作られたり、補助金が勤労意欲をそいだり、自立心を失わせたり・・・。 矢張り、カネより頭を 使いましょうよ。

 それででしょうか、休日の高速料金を一律1000円にすれば、行楽が増えて消費が増えるという政策が出てきました。政府が少しカネを負担すれば、後は国民が行楽でたくさんの金を使ってくれる。確かに高速道路の交通量は増えました。しかし、鉄道や、フェリーの利用が減りました。

 利用交通機関が振り変わっただけでは消費は増えません。何で高速道路にだけ補助するの? 環境問題にも逆行じゃないの、などの意見も出ています。 
 経済効果からいえば、振り替えでなく、絶対額、行楽消費の絶対額がどれだけ増える政策かが問題なのです。とりあえず、頭を使った経済政策のやり始めですからこんなところでしょうか。

 エコカー減税、エコポイントも、「頭を使った経済政策」のハシリでしょう。政府が20~30万円補助すれば、国民が200万~300万円のエコカーを買う。これは現実にかなり大きな効果があるようです。画期的低燃費車の発売と相俟って、「もう1回車検を取ろうか」層をエコカー買い替えに踏み切らせることで自動車業界からは大歓迎のようです。

 テレビの全面デジタル化も、経済効果の面では小さくないと思います。一片の法律で、日本中の家庭が、テレビを買い換えるか、少なくともアナログ→デジタル変換機を買わなければならないわけです。エコポイントと相俟ってメーカーには省エネ家電開発の大きなチャンスにもなっているようです。
 建物の耐震構造化も経済学的には同様のものといえましょう。

 国民が仕方ないから金を使うか、喜んで金を使うかの違いはあっても、国民が消費を増やせば、経済は回り始めます。
 法律で縛るのには異論もありますが、こうした政策を皮切りに、政府には、国民が喜んでカネを使うような「カネより頭」の政策を競ってもらいたいものです。


日本経済のバランスの悪いところ、その2:輸出依存症

2009年06月10日 16時16分06秒 | インポート
日本経済のバランスの悪いところ、その2:輸出依存症
 日本は無資源国といわれます。しかし、最も大事である人的資源に関しては、文化人類学的な背景も含めて(多分)世界でもトップクラスの資源を持っているのではないでしょうか。

 であって見れば、日本の発展は人的資源に投資することによって、最も効率よく達成できるといえそうです。

 幸なことに、世界は自由貿易体制になっています。人間以外の資源は、お金があれば手に入ります。日本は、人間の知恵で技術革新をし、それをモノづくりの技能で製品化し、輸出して資金を作り、それで資源を購入するというサイクルで成功してきました。

 それで、輸出が大事という習性が身についたのかもしれません。もちろん輸出出来る技術水準の製品を持つことは最も大事です。しかし、それを使った生活水準の向上は、先ず国内経済の発展の中で実現したいものです。

 日本は人口が減っているし、耐久消費財は行き渡っているし、国民はもうあまり欲しいものはないし、といった状態になってしまい、日本企業はもう海外展開しかないといった意見もあります。

 しかしそんな事はないのです。今日本の一人当たり国民所得は300万円ほどで、平成に入ってほとんど増えていませんが、いざなぎ景気の頃(1970年)は僅か80万円ぐらいでした。技術革新と経済循環がうまく噛み合えば、1人当たり国民所得はいくらでも増えます。天井はありません。

 宅急便や、デジカメ、ケータイ、薄型TV、LED・EL照明、蓄電技術、電気自動車、リニアー新幹線、省エネ航空機、再生可能エネルギー開発などなど、日本人が働いて所得を得、その所得で生活の質を改善し、1人当たり国民所得を高めて行く技術革新は継続的に起きているはずです。

 このサイクルを、かつてのように活発化するために、企業は国内需要の徹底的な発掘・開発と深耕を、消費者は思い切って消費の拡大を、政府は金でなく頭を使ったその支援政策を、日本人全体が、新しい成長する日本を作るために「本気」なる必要があるようです。

 その結果、経済成長が回復すれば(日本人の勤勉と実力なら必ず回復するでしょう)、多分、将来不安などは朝霧のように消えていくことになるのではないでしょうか。
  「具体的にどうするか」の国民会議ぐらい開いて欲しいですね。


日本経済のバランスの悪いところ、その1:黒字(貯蓄)大国

2009年06月08日 22時52分24秒 | 経済
日本経済のバランスの悪いところ、その1:黒字(貯蓄)大国
 前回、日本経済のバランスの悪いところということで、先ず国際経常収支がいつも大幅黒字であることを挙げました。赤字より黒字のほうが健全であることはいうまでもありませんが、あまり長期にわたって大幅黒字を続けるということはどうなのでしょうか。

 経常収支が黒字ということは、家計でも国でも同じですが、稼いだだけ使っていない、つまりお金を余しているといいうことです。家計ですと余った分は貯金になって蓄えられます。

 貯金がたくさんあれば「お宅は裕福な家庭で結構ですね」ということになるのでしょうが、「 家計分配率」でも書かせていただきましたが、貯蓄というのは将来の支出のためにするもので、貯蓄そのものが目的ではありません。貯金通帳の残高が増えるのが楽しみで、死ぬまで増やし続けるのでは、「守銭奴」の寓話そのものです。

 貯蓄は、その家族が将来生かして使うためのものということになりますと、消費と貯蓄の間には計画的な適切なバランスがなくてはなりません。 これを日本の国に当てはめてみたらどうなるでしょうか。

 日本は貧しい時代から勤勉に貯蓄をし、それを国内の投資に生かして、質の高い経済成長をしてきました。ところが今は、国内の消費と投資を合わせても稼ぎよりいつも少なく(経常収支がいつも大幅黒字)、その分のお金は海外に投資されています。海外の経済はそれで活発になりますが、国内経済は沈滞することになります。

 アメリカの国債や、サブプライムローン入り証券の形で投資(貯蓄)したものは、ドルの下落や証券の暴落で、折角の貯蓄も台無しです。庶民の投資信託や年金積み立て にもマイナスです。

 今の世の中、確実に儲かる海外投資ばかりではありません。それなら勤勉な日本人が働く日本に投資したほうがよほど確実ではないでしょうか。日本の国内消費を拡大し、日本の企業を潤し、日本の企業に投資して日本経済の成長の中で貯金した資金が循環するようにする・・・。

 日本人が、日本の経済のために喜んで投資をする。アメリカに投資するよりよほど確実でしょう。それがスムーズに行われるような日本自身の経済システム、金融システム、企業システムを、改めて考え直して作る、これまでやってきたアメリカにお金が流れるシステムとはかなり違ったものになるでしょう。いずれにしても、国内経済(日本国民の生活)をより重視しないといけません。
 与野党の経済論争も、このあたりを確り議論してもらいたいものです。


日本経済再生のための点検

2009年06月07日 12時24分25秒 | 経済
日本経済再生のための点検
 日本経済は、オイルショック、プラザ合意、今回の金融危機と、他人(他国)の都合に振り回される形の経済困難に直面することの繰り返しになっています。
 さいわいなことに、日本人は、勤勉に真面目にこうした危機の対応し、ある程度の時間はかかりましたが、これまでの困難は何とか克服して、健全な経済大国として頑張ってきています。

 今回の危機も、全くアメリカの都合によるものですが、日本は黙って対応し、克服の第一歩ぐらいは踏み出しているように思います。

 しかし、考えて見ますと、外国との関係が深いほど、外国の影響を受けるわけで、これは経済社会の国際化の中で当然のことですが、もし日本が必要以上に外国に頼るような政策をとっているとすれば、その点は、日本経済自体のバランスを適切なものにすることで、日本経済をより確りしたものにしていくことが可能なのではないでしょうか。

 そうした目で日本経済のいろいろなバランスを見てみますと、気が付く点がいくつかあります。
 主なものを上げてみますと、

・国際経常収支がいつも 大幅黒字であること。これはアメリカと正反対です。
・製造業中心に 輸出に頼る度合いが大きいこと。国際競争力が強いからでしょうか。
マネーゲームが不得手であること。ルール・メーカーには敵いません。
・政府の借金が巨大であること。不況で財政出動ばかりしてきたから。
などというところでしょうか。
 これらのうち、最初の3つは互いに関連しあっていて、今回の経済危機にも直接関連を持つもののようです( 財政赤字は、ここでは別途論じる問題かと思います)。

 今回の不況脱出をより早く、より着実にするためには、このあたりの問題を少し角度を変えてみていく必要があるように思います。


GMの再生とアメリカの再生

2009年06月04日 10時23分33秒 | 国際経済
GMの再生とアメリカの再生
 GMは名実共にアメリカを代表する企業ということが出来ましょう。キャデラックが世界中で羨望の的だった頃はアメリカ経済も世界に冠たるものでした。しかしキャデラックの巨大な車体がなんだか格好悪いと感じられるようになる頃には、アメリカ経済も次第におかしくなって来ました。

 GMが世界最大の自動車会社でありながらも、収益性では日本の自動車会社に見劣りするようになった頃には、アメリカ経済も、いわゆる双子の赤字に苦しみ、経常収支の赤字を資本収支でファイナンスすることに尽力しなければならなくなりました。
 
 そして GMが債務超過に転落する頃、アメリカ自体の赤字のファイナンスも次第に 行き詰まり、とうとうサブプライムローンの証券化の見込み違いで世界金融危機演出の張本人になってしまいました。

 今、オバマ大統領はGMの再建を確信するといっていますが、それにはGMを黒字の会社にしなければなりません。同時に、アメリカの大統領としてはアメリカ経済自体を、経常赤字の国から脱出させなければなりません。

 このところ、アメリカの貯蓄率は上がってきているといいます。アメリカの経済正常化には、稼ぐより余計に使って経常赤字を出していた経済から、稼ぎの中で消費と貯蓄(投資)のバランスをとり、稼ぎの中でやっていく経済に変える必要があります。その時はアメリカの経常赤字は消えます。しかし、それが出来ないと、また借金頼みの「いつか来た道」をたどることになります。

 GMを黒字にするためには、GMをかなり小さくする必要がるようですが、アメリカ経済を経常黒字にするためには、矢張り、アメリカ経済を(とくに支出を)引き締めて、少し小ぶりにしなければならないでしょう。 ドル安で結果的にそうなってしまうという可能性も多分にあり得ます。

 アメリカ市場を当てにして来ていていた国や企業には少し厳しいことになるのではないでしょうか。日本、中国、アジアの国々も、これまでのようにアメリカ市場を当てにせず、アジア市場の拡大、アジア経済の発展の中でそれぞれの国々が繁栄する方向を、より真剣に考えるべきでしょう。

 その先に見えてくるのが、「21世紀はアジアの世紀」といわれる新しい時代なのではないでしょうか。


どんな経済社会が望ましいのか

2009年06月01日 14時15分04秒 | 経済
どんな経済社会が望ましいのか
 最近の党首討論でも、日本をどんな国にしたいのかというビジョンがあるのかないのかといった論議がありました。確かに日本の国の リーダー(Leader)になるような方には、そういうものをはっきり持っていただいて、われわれにも解るように説明して欲しいと思います。

 ところで、日本の経済についても、誰もが、こうあって欲しいなと思うところが多々あるのではないでしょうか。端的にいって、少なくとも、安定した雇用の場が得られるような社会にして欲しい、賃金は毎年少しでも着実に上がってほしい、年金不安が少しでも解消されるような社会であって欲しい、などなどの声は、私達の身の回りで日常聞かれます。

 1980年代前半までは、日本人は日本の経済力に自信を持ち、もっと楽観的でした。当然当時も高齢化問題は認識され、年功賃金の問題点も指摘され、退職金制度の行き詰まりも予見(一部は現実化)されていましたが、日本人が元気だった原因は、日本経済が経済成長を続けていたからでしょう。

 この状況を打ち砕いたのが プラザ合意による円高でした。今中国が元の切り上げ要求に強硬に反対しているのは日本の失敗を見ているからかも知れません。
 しかし十数年の辛苦の末、2002年に至り日本は円高をほぼ克服しました。ならば日本は自信を取り戻せるはずです。

 折しも世界金融危機ですが、日本の金融機関の傷みは軽いほうでしょう。日本は世界経済の回復を当てにした輸出頼みだけではなく、自分が努力すれば出来る内需の拡大、言い換えれば、日本の国内での拡大再生産を活発にして、新たな成長経済の時代に入っていくべきでしょう。
  ビジョンさえ明確にすれば、日本人は働き者ですから、年々成長する成長経済の実現は容易だと思います。それで国民の閉塞感は大きく減るはずです。

 国民にその気になってもらうためにも、10年、20年後にはどんな日本経済社会にするかという、ビジョンとコンセンサス作りが重要になります。
 さて、その中身ですが、これまでも欧米先進国とは一味違う発展の仕方で、世界の注目を集めた日本です。これからの世界経済社会の安定発展の先取りをするような、日本らしいやり方が考えられるはずです。