tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

安倍政権の経済・労働政策を振り返る・2

2020年08月30日 22時59分31秒 | 政治
安倍政権の経済・労働政策を振り返る・2
 2015年、安倍さんは「新3本の矢」という構想を打ち出しました。
 
1)希望を生み出す強い経済、2)夢をつむぐ子育て支援、3)安心につながる社会保障がそれですが、これは最初の3本の矢が軌道に乗った上での新しい目標というより、成功したあのは金融政策だけで、財政政策は増税と財政健全化の狭間でうまくいかない、成長戦略は投資・消費ともに思ったほど伸びないといった状の中で、目先を変えたという事だったのでしょう。

 この時は1917年の消費税増税は予定通り実行という姿勢でしたので、その財源で、子育てや社会保障の充実は可能と思っていたのかもしれません。

しかし前回も指摘しましたように、それを支える経済成長が結局うまくいかなかったのです。結局は0.5%成長レベルに収斂してきています。(コロナでのマイナスは別)

新3本の矢でも最初の「希望を生み出す強い経済」がないと、後の2本は実現しません。
 この辺りは安倍政権の特徴でしょうか、耳には快い言葉が踊りますが、中身不明の造語や用語法で当面の人気を、というケースがどうも多いようです。

 結果から言えば、昨2019年の消費増税の一部を使って二本目の矢の中の幼児教育無償化は何とか実現できましたが、3本目の安心の社会保障の基本である年金は「100年安心年金」という言葉が出来ましたが、言葉だけですし、経済成長のベースの「 積極的平和主義 」という造語も「積極的」の中身はよく解らないという事のようです。

 「安心につながる社会保障」について付け加えれば、基盤はまず年金でしょうが、 GPIFに年金積立金の株式運用を委託してまで危ない投機の橋を渡っています。投機ですから安心につながらない事は明白です。

 経済成長を何とかしようと、地方創生や特区活用などにも力を入れましたが、結果的には森友学園や加計学園のようなことが起き、長時間の国会審議を、本当の経済成長論議とは全く関係ないことに費やしましたし、3か所予定の カジノ誘致は、トランプさんの意向尊重かもしれませんが、方向違いの中国との担当副大臣の贈収賄問題で揺れています。

 自民党のルールを変えてまで長居した総理の座の第3期目では幼児教育無償化が、1つ国民の記憶に残るのでしょう。

 労働問題に関しては、 働き方改革 が大きな問題でした。これは、労働時間の短縮による、生産性向上へのステップかとみていましたが、結果的には、労働時間短縮は、副業・兼業の推進という事で雲散霧消、同一労働・同一賃金がメインになって、結局、 日本の人間中心の経営を欧米流の仕事中心に変える気になっているようです。

 これは、 戦後の経験 によれば、戦後一部の経営者が欧米を視察し、職務給が合理的と教わり、帰国してその導入を推奨したのと酷似しています。
多分、結局は、企業の労使の知恵が勝り、日本的なものの中に咀嚼消化して、部分的に吸収、取り入れるという事になるのではないでしょうか。

 欧米流に変えると、 若年層の失業率ノは増え、コロナの時は失業率が突然2ケタになるようなことが起きることは労使とも熟知しています。 

 安倍政権、功罪相半ばと言いたいところですが、経済、労働といった問題でも、新造語で飾り、大風呂敷きを広げ過ぎ、さて後始末は・・・、という事が多かった感じです。

 最後に、言葉や生き方の問題ですが、安倍一族には、丁寧、真摯、万全、などなど言葉の誤用が多かったこと、また 最後までしらを切り通すこと が最も得策といった思考回路の流行など、今後、政治の世界だけでなく一般社会でも問われなければならない問題を生み出したことも付け加えたいと思います。

安倍政権の経済・労働政策を振り返る

2020年08月29日 22時11分54秒 | 政治
安倍政権の経済・労働政策を振り返る
 長かった安倍政権もあっけない幕切れになりました。あっけなかっただけに、このブログに関わる経済、労働関係でも尻切れトンボになっている問題が多いのは当然です。今後の日本を考えるためにも矢張り一度整理しておかなければといった思いです。

 経済面では、安倍政権の発足は華々しいものでした。
 黒田日銀総裁を任命し、黒田さんは バーナンキ流の金融政策を活用、いわゆる2発の黒田バズーカを発射、$1=80円の異常な円高から$1=120円の円安を実現、為替レートの正常化による日本経済の正常化のベースを設定しました。

 更に、安倍政権は、黒田日銀と連携し、「 2%インフレ目標」を設定して、日本経済の再活性化の実現を目指したのは当然だと思われるところです。

 そのための具体的政策として「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「投資を喚起する成長戦略」の3本の矢を掲げ「 アベノミクス」と称しました。

 まず、大胆な金融政策は大成功でした。日銀は円高容認から円高拒否に180℃の転換をしたのです。
 しかしそれに続く財政政策と成長戦略は、恐らく(実は未だに)まだ中身が具体的には何も出来ていなかったのでしょう。

 財政政策は、財政健全化と財政支で景気テコ入れの間でいつも揺れ動いていました。
 2014年の消費増税(5%→8%)は$1=120円の円安政策と同期しており、円安差益も含め、日本経済はこれから本物の景気回復と思われた時期でしたから、「消費税は政権つぶし」というジンクスもその勢いで乗り切ることが出来たのでしょう。 

 しかし、1917年に予定されていた消費増税は、 結局2年半延期となり、矢張り昨年9月になりました。消費増税などと言い出したら選挙に負けるという意識だったのでしょう。
 あの時、「財政健全化はどうするのか」という質問に、安倍総理は、「今回の増税延期は影響ありません」と明確に答えています。

 その後も、財政の厳しさは続き、2020年の プライマリー・バランス回復は延期になり、2025年の回復も不可能との計算になっているのが現状です。 

 そして「投資を喚起する成長戦略」では、巨大な円安差益もあり、企業の投資は進みましたが、その多くは国内でなく、海外への投資となり、海外諸国の経済成長には貢献しましたが、GDP/国内総生産への貢献は予想外に少なかったのでしょう。
 その結果、 第一次所得収支(海外からの、利子・配当収入など)は増えましたが、これはGDPには入りません。

 もう1つ、經濟成長の最大要素である消費支出と「2%インフレ目標」を何とかしようという事で、安倍総理は毎年の春闘で、労使に「賃上げ奨励」をし「官製春闘」などという言葉を生みました。

しかし、賃金決定は労使の専管事項ですから、企業は面従腹背、賃上げを望む労働側も有難迷惑だったのでしょう。賃上げを政府の奨励の成果のように喧伝した安倍発言の評判は良くなかったようです

 結局、賃上げは思うように上がらず、更に、政府の少子高齢化問題の深刻化発言、財政健全化の達成難の関連で、 年金財政の将来懸念などの見方から、国民の老後不安・将来不安が強まり、家計は貯蓄性向を高め、 消費性向は低迷 消費不振による経済成長の低迷を深刻にしてしまったようです。

 こうしてアベノミクスは息切れから尻すぼみになるのですが、これは3本矢の中身が出来ていたのは1本目だけで、2本目、3本目は中身が何も出来ていなかったという事によるものでしょう。

 安倍政権後半の実情についても、整理しておかなければならないことは沢山ありますが、長くなりますので、次の機会にしたいと思います。

香港、ベラルーシ、ロシア、そして中国

2020年08月28日 16時35分21秒 | 文化社会
香港、ベラルーシ、ロシア、そして中国
 これにアメリカも加えるべきかもしれませんが、アメリカはこの11月の大統領選挙で自ら結論を出すでしょうから、それでいいのでしょう。

 標記の4か国(含む地域)は、その動向について世界が、今、「目が離せない」場所とみているのではないかといった気がするところです。

 基本的に共通な問題は、全体主義社会(独裁制)か自由主義社会化の選択の問題でしょう。
 そしてそれに重なっているのが、自由主義国家と共産主義国家(共産主義国家は結果的に独裁制になる)の対立の問題であり、さらにその上に、政権担当者の権力への憧れといった個人的要素が絡むという状態でしょう。

 一般大衆としての市民は、どこの国でも地域(香港)でも自由主義社会を好むようで、特に自由主義社会を経験した人々は独裁制を受け入れることは一般的に困難なようです。
 そうしたところから国民と権力者の対立が起き、その社会は不安定になり往々にして残念な結末を迎えるのです。

 香港は、英国から中国に返還されてから、一国二制度という形で共産主義国家の中の自由社会という状態を享受してきましたが、習近平さんはそれを認めたくないのでしょう。
 生涯中国政権担当者という地位について独裁制の基盤を固めたところですから、人口13億の中国を纏めるためにも例外は認めらええないという使命感・大義名分が優先です。

 ベラルーシはソ連崩壊後独立、ルカシェンコさんは1994年選挙で大統領になったのですが、当時のロシアのエリチン大統領と連邦国家をつくり、ロシアと対等に組むことを目指したようです。そのためでしょうか、任期の延長を重ね、独裁色を強めてきています。

しかしプーチン大統領になって、ベラルーシ併合の意向を持ったことから、ロシアと対立、しかし自由世界(米欧)に頼るわけにもいかず、孤立、国民は自由を求めますが、プーチンさんと(勝ち目の少ない)権力闘争というところでしょうか。プーチンさんは、これをベラルーシ併合のチャンスとみていると言われます。

こう見ますと、こうした国と国との関係というのは、独裁者の多分に個人的な?考え方に、かなり影響されているような気がします。

独裁者には、自分の率いる国を立派にするという使命感があることは確かでしょう。それと、個人的な気持ち・考え方がごっちゃになって、境目が本人にも良く解らないのかもっしれません。
 
 ところで、独裁者が倒れるときは、革命、敗戦、争乱、その他いろいろでしょうが、歴史の示すところ多くは悲劇です。
 日本の太平洋戦争における軍部独裁もその例に洩れません。

これから上記4か国のケースも含めて、この21世紀の世界の中で、独裁政権がどうなっていくのか、それが、21世紀の地球社会の行方にも大きな影響を与えるものであるだけに、まさに「目が離せない」のではないでしょうか。
・・・・・・・・・・
 安倍さん退陣のニュースが入ってきました。自民党のルールまで改正して総裁3選を果たし、安倍一強の独裁色(忖度色?)で、ご自身の願望を果たしたかったのでしょうが、生身の人間には健康という問題があるのは致し方ないですね。

日本がゼロ金利にしなければならない理由

2020年08月26日 22時03分04秒 | 経済
日本がゼロ金利にしなければならない理由
 日本の銀行がその本来の業務である『預貸』で収益を上げられなくなった理由が、ゼロ金利にあることは明らかでしょう、ならば、なぜゼロ金利にしなければならないかを問わねばなりません。

 金利を決めているのは日銀でしょうが、黒田さんが一番恐れているのは円高でしょう。何せ『黒田バズーカ』を2発撃って、円レートを1ドル=80円から脱出、120円の円安を実現し、アベノミクスのスタートを仕掛けたご本人です。

 今、世界的に金融政策(金利の設定や量的調節)は、実体経済の活動に働きかけるというよりは、為替相場に影響を与えることが主眼ということになっています。
 もし、日銀が、今の異次元金融緩和をやめ、金利の正常化を選ぶという事になれば、多分円高が急速に進むことはだれもが知っています。

 ご承知のように、日本の「円(¥)」は世界でも信用があり、かつては「有事のドル」などとドルが大切にされましたが、今は「 何かあると¥」という事で¥が買われ、油断するとすぐに円高になるという状況です。

 これもご承知のように、いまの日本経済には円高が一番恐ろしいのです。これは、平成不況、リーマンショックの経験で日本の政治家も経済学者も、ビジネスマンも解りすぎるほど解っています。
 という事で、日銀は、政府とともに(アメリカと同じ)2%インフレ目標を設定し、そこにいくまでは徹底的に「異次元金融緩和」を続けると宣言し続けることになります。
 しかし、なかなかインフレにはなりません。結果的に「ゼロ金利」がいつまでも続いているわけで、銀行が「預貸業務」で経営を維持することは容易でなく、銀行氷河期は終わりません。

 なぜこんな事になったかと言いますと、日本の事情としては、万年黒字国で、世界トップクラスの資産保有国だという事でしょうか。
 そして主要国経済を見れば、実体経済よりマネー経済の金額の方が圧倒的に大きい、マネー資本主義の世の中になっている現実があります。

 そしてマネー資本主義は、GDPを成長させることには直接関係なく、
 資本→投資→GDP増→インカムゲイン ではなく、
 資本→投機→キャピタルゲイン で 直接カネでカネを稼ぐのが主要な仕事です。
 つまり、金利はゼロでも、株やデリバティブで直接カネを稼ぐビジネス(ギャンブル?)が肥大しているのです。

 今、アメリカでも日本でも、経済成長は不振でも、株価は上がるという「実体経済ではない、蓄積されたマネーのインフレ」が起きているという事になるようです。
 そしてこれは、低成長経済、いわばゼロサム経済の中で、マネーゲームの勝者が豊かさを得る、一部の富裕層が富を独占するという 格差社会化の促進要因になっています。

 ピケティの「新資本論」は、「資本収益率は経済成長率より高くなる」ことを指摘し、資本主義社会は格差を拡大するとしています。マネー資本主義はそれに拍車をかけるのでしょう。

 銀行が「預貸業務」で生きられないという現実、ゼロ金利時代の背後にはこうした、資本主義の変容、変動相場制の一般化、資本主義の「マネー資本主義化」という現実があるのです。

 残されるのは、資本主義をより良いものにしてくために、いまのままでいいのかという現代社会への「本質的な問い」ではないでしょうか。

 結局、みずほ銀行の「 紙の通帳有料化」の問題も、この大きな氷山の一角という事になるのでしょう。

預金通帳有料化と銀行経営:環境変化と銀行

2020年08月25日 20時30分40秒 | 文化社会
預金通帳有料化と銀行経営:環境変化と銀行
 みずほ銀行が預金通帳を有料にするという決定をしたことから、関連して銀行の役割についてみてきました。
前々回は本来の銀行業務について書き、前回はおカネを確実に安全に預かってくれるという銀行の役割の重要性を書きました。

 我々のおカネを間違いなく確り預かってくれるというサービスはずっと無料でしたが、今、みずほ銀行は通帳代くらいは有料にしてほしいと希望しているのです。

 ご承知のように、平成時代からの円高・デフレ不況、金利は低下、そしてとうとうリーマンショックでゼロ金利時代になって、銀行は本来の業務である「お金を貸して金利を受取る」ことで収益を上げることが出来なくなりました。

 融資、貸し付けをしてまともな金利が入れば、それで銀行はすべてのコストを賄って利益が出るという構造になっていたのですが、その収入源がなくなってきたのです。
 ならば国債を買って1%でも確定した利息つけば、などと言っているうちに国債もほぼゼロ金利です。

 収入源を絶たれた銀行は、次第に「手数料ビジネス」になっていったようです。もうずいぶん前になりますが、銀行の友人が「預金や融資の仕事じゃなくて、投資信託を売って販売手数料稼ぎですよ」などと自嘲的に言ったのを覚えています。

 銀行は、おカネを預かるだけでなく、おカネを送るという「送金・振込・振替」といった業務の専門家で、これは当初から手数料を取っていました。これは個人的にお金を運ぶことの危険性を考えれば、当然のことだったのでしょう。

 しかし、最近では、店舗などの要らないネット銀行の中には、送金手数料収入だけでもペイするというところもあるようで、従来型の銀行には競合相手になり、更には、暗号通貨などというものも出てきて、格安で送金できると言ったりしています。

 銀行は、仕方なくいろいろな形の手数料を
考えたようです。今では、ATM利用手数料から、たくさんの硬貨を入金するときは硬化処理の手数料を取るといった具合です。

 しかしこうした銀行の変容はこのままでいいのでしょうか、銀行氷河時代はまだまだ続きそうですが、何故こんなことになってしまったのか、この後もこれでいいのかといった問題も考えてみる必要があるように思います。

 どうもこれは、資本主義の本性と、その望ましい進化の方向との相克という、近年特に顕著になってきた經濟社会の進化の在り方に関わる大変大きな問題に繋がっているように思われます。

 みずほ銀行が預金通帳を有料にするという決定をしたことから、関連して銀行の役割についてみてきました。
前々回は本来の銀行業務について書き、前回はおカネを確実に安全に預かってくれるという銀行の役割の重要性を書きました。

 我々のおカネを間違いなく確り預かってくれるというサービスはずっと無料でしたが、今、みずほ銀行は通帳代くらいは有料にしてほしいと希望しているのです。

 ご承知のように、平成時代からの円高・デフレ不況、金利は低下、そしてとうとうリーマンショックでゼロ金利時代になって、銀行は本来の業務である「お金を貸して金利を受取る」ことで収益を上げることが出来なくなりました。

 融資、貸し付けをしてまともな金利が入れば、それで銀行はすべてのコストを賄って利益が出るという構造になっていたのですが、その収入源がなくなってきたのです。
 ならば国債を買って1%でも確定した利息つけば、などと言っているうちに国債もほぼゼロ金利です。

 収入源を絶たれた銀行は、次第に「手数料ビジネス」になっていったようです。もうずいぶん前になりますが、銀行の友人が「預金や融資の仕事じゃなくて、投資信託を売って販売手数料稼ぎですよ」などと自嘲的に言ったのを覚えています。

 銀行は、おカネを預かるだけでなく、おカネを送るという「送金・振込・振替」といった業務の専門家で、これは当初から手数料を取っていました。これは個人的にお金を運ぶことの危険性を考えれば、当然のことだったのでしょう。

 しかし、最近では、店舗などの要らないネット銀行の中には、送金手数料収入だけでもペイするというところもあるようで、従来型の銀行には競合相手になり、更には、暗号通貨などというものも出てきて、格安で送金できると言ったりしています。

 銀行は、仕方なくいろいろな形の手数料を
考えたようです。今では、ATM利用手数料から、たくさんの硬貨を入金するときは硬化処理の手数料を取るといった具合です。

 しかしこうした銀行の変容はこのままでいいのでしょうか、銀行氷河時代はまだまだ続きそうですが、何故こんなことになってしまったのか、この後もこれでいいのかといった問題も考えてみる必要があるように思います。

 どうもこれは、資本主義の本性と、その望ましい進化の方向との相克という、近年特に顕著になってきた經濟社会の進化の在り方に関わる大変大きな問題に繋がっているように思われます。

蓄積社会の銀行の機能:「預金通帳有料論」

2020年08月24日 15時59分43秒 | 文化社会
蓄積社会の銀行の機能
 前回は、みずほ銀行の「紙の通帳の有料化」の問題を、銀行の経営環境という面から見てみました。
 今回は、銀行を利用する人の立場から考えてみましょう。

 今の日本は蓄積社会といって大きな間違いはないでしょう。
 もちろん「とんでもない。住んでるのはアパートだし、持ってる現金は千円札中心、銀行残高は普通預金がちょこっと」という方もおられるでしょう。

 残念ながら日本は格差社会化が進行中です。30年近い平成不況の中で、就職氷河期は、バブル崩壊後とリーマンショック後の二度にわたり、その都度、社会人の入り口で、大きく躓き、そこからの立ち直りは容易でなく、世にいう80-50問題も存在します。

 しかし全体的に言えば、日本の個人貯蓄は1800兆円を超え、経常収支も万年黒字で、世界トップクラスの資産蓄積国です。
 政府の政策も、この全体像を前提に置いているようで、格差社会化の是正にはあまり熱心でないようです。

  コロナ対策の1人10万円も、それを生活に使った人は少なく大部分は振り込まれた銀行の預金残高になっているようです。
 
 ところで、昔から蓄積資産をどう管理するかという問題があります。守銭奴の寓話では、稼いだ金塊を壺に入れて縁の下に埋めて、その上の部屋で「俺は金持ちだ」とニコニコ暮らしていたが、実はとっくに泥棒が掘り出して壺は空だった」とのことです。
では、安全な隠し場所は何処でしょうか。

 企業の場合は別として、個人の場合は、タンス預金は家事や水害が心配、丈夫な金庫に入れても強盗が心配、安全なのは、銀行などに預けることでしょうが、国債、投資信託、株式、NISA、iDeCo 等などいろいろありますが、手数料も、管理料もなくて、預けた分は間違いなく満額引き出し可能というのは、よく考えると銀行預金だけです。しかも、普通預金はいつでも引き出せるのです。

 従来は、その上に利息が付いて増えていくというのですから、こんな巧い方法は他にありません。銀行は実はそれだけの利便性を提供して呉れていたのです。

 それに利息まで付いたというのは、おカネというものが貴くて、利息を払っても借りたい人が大勢いたからです。

 今の時代は、おカネは印刷できていくらでも増やせます。それならと政府も中央銀行もどんどんおカネを供給する( MMT信奉者になって)ようになり、おカネの借り手もそれ程いませんし、貸しても大した利息は取れませんから、預金にも金利を付けないゼロ金利になります。

そうなると、本来に戻って、利息は付けないが、おカネを安全に預かるだけでも大変なサービスという事になるのでしょう。
そのうえ、明細は全部ネットに載せておきますからそれを見ていただければ、お取引内容はすべて正確に解ります、それをご覧ください、紙の通帳がご入要なら、すみませんが有料ですとなります。

言われてみれば、それもそうだという事になるのではないでしょうか。
如何でしょうかご納得いただけますでしょうか。
(そこで問題になるのは、銀行預金の利便性は解りますが、それなら銀行は何で儲けるのですか、という事になるのでしょう。)

みずほ銀行、紙の通帳有料化へ

2020年08月23日 21時32分13秒 | 文化社会
みずほ銀行、紙の通帳有料化の背景
 みずほ銀行が、業界に先駆けて「紙の通帳」の有料化を発表しました。

 具体的な動きはこうです。(開始は来年の1月18日)
 まず、ネットでみずほ銀行と取引できる「みずほダイレクト」上に、過去10年間の取引を確認できる「みずほダイレクト通帳」を提供し、パソコン、スマホで自分の取引はいつでも確認できるようにします。
 そのうえで、紙の通帳については、有料にして、1冊1100円(消費税込み)にさせていただきますという事です。

 すでに多くの方が「みずほダイレクト」での取引をされているのでしょうから、ネットを使っておられる方には特別の影響はないという事でしょうが、預金通帳で、自分の財産や収入、支出を管理されている方には、多少ショッキングかもしれません。

 偶々これからは「ウィズ・コロナ」の時代という事で、人と人の接触は避けるという事であれば、それも一つの選択肢という面もあるでしょう、しかし本当の原因はすでに皆様ご理解のように、別の所にあります。

 銀行というのは、本来おカネの余っている人のお金を預金として集め、おカネが足りない人に貸してあげる「預貸業務」が本来の仕事で、預金には利息を支払い、貸金からは利息を受け取るというころで、貸金の利率は、預金の利率より高く、その金利の差「利鞘」で経費を支払い利益を出すというのが銀行機能の基本です。

 実体経済が健全に動いている時はこれが正常に働きます。1960年代の世界、高度成長期の日本のように、経済発展のための資金需要は多く、預金さえ集めれば、資金需要はいくらでもあるという時代は銀行にとって黄金時代でした。

 しかし、世の中が次第に豊かになって、企業でも、個人でも資本蓄積が進み、おカネを借りなくても企業なら経営が、個人なら生活が出来るようになると、預金は増えますが、貸し出す相手が少なくなるという、蓄積社会、安定成長・低成長時代に入りますと、以前ほど資金需要が無くなります。

金利はおカネの貸し借りの値段ですから、おカネの需給関係が、カネ余りになると金利は下がります。貸出金利が下がりますと、預金金利も下がるわけですが、預金金利はゼロ以下には下げられません。その結果、利鞘が縮小します。

 これが豊かな社会、蓄積社会の必然的帰結です。
 しかし、これだけでは預金通帳を有料にするほどの銀行収益の低下といった問題は起きないでしょう。経済活動の中では、常に資金不足の企業や個人は存在し、例え経済成長がゼロでも利鞘がゼロに近づくようなことはないでしょう。
 
 「銀行冬の時代」の原因はそのほかにも、ご承知のように、大きなものがいくつかあるのです。
 「貯蓄から投資へ」、「銀行よさようなら、証券よこんにちは」という掛け声は、昭和の時代からありました。

 平成不況になってからは、デフレが続き、 銀行はまさに氷河期でした。
 現政権になってからは、円高を避けるためのゼロ、マイナス金利、異次元金融緩和の世の中になりました。
 これは両方とも、アメリカが赤字になって変動相場制になった結果で、黒字国の負担で、赤字国を救済するという金融面からの仕組みになったことによります。

 もう一つは、世界中が、パソコン、スマホに時代になったという事でしょう。ネットを使えば、通帳より便利ですが、デジタル・デバイドの問題は必ずついて回ります。

 問題が大きいので後半は端折ってしまいましたが、預金通帳の有料化はどんどん広がり、銀行冬の時代はまだまだ続きそうですね。

戦争か外交交渉かの間の選択肢の一覧表

2020年08月22日 10時56分30秒 | 文化社会
戦争か外交交渉かの間の選択肢の一覧表
 前回、安倍政権の「積極的平和主義」とは何かを書きました。政府が定義しているわけではないので、本音は解りません。

ユネスコ憲章の前文にある言葉
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、平和の砦は人の心の中に築かなければならない」
は、このブログでも折に触れて書いていますが、その辺りのものの見方を整理すれば、何かの役に立つのかもしれないと思い、下の表を作ってみました。

市井の一市民が作ったものですから、適切かどうかは解りませんが、折角作ったので載せます。

<戦争と平和の選択肢>
軍隊を持つ国
必要なら戦争を仕掛ける
相手の様子を見て戦争に入る、先手必勝
戦争をしかけられれば自衛の戦争に入る
戦争に入っても外交交渉をする
応戦は最後の手段
最後まで外交交渉で解決する

自衛力を持つ国(現状の日本)
戦争を仕掛けられれば自衛の戦争に入る: (敵基地攻撃能力?) 
戦争を仕掛けられても先ず外交交渉
応戦は最後の手段(正当防衛限定)
最後まで外交交渉で解決する 
戦争はアメリカの決定に追随(日米安保):(集団的自衛権?)


軍備も自衛力も持たない国
外交交渉のみを解決手段とする
必要があれば警察権で対応する

<必要な考慮>
〇国連をどう活用するか、活用できるか
〇同盟国をどう活用するか、活用できるか

 いろいろな方が、いろいろな見地から戦争と平和についての選択肢を検討され、その内容が進化すれば、平和を希求する大多数の地球市民のために何か役に立つのではないでしょうか、などと考えますがどうでしょうか。

積極的平和主義の何かを示せ

2020年08月20日 18時14分51秒 | 文化社会
積極的平和主義の何かを示せ
 前回、安倍政権は「積極的平和」を提唱していることに触れましたが、何か気になるので、一度この問題について、一市民として論じておこうと思いました。

 日本語にすれば同じ積極的秘話ですが、ウィキペディアによれば、すでに国際的には、ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが提起した「Positive Peace」という言葉があり、それが一般的概念のようです。

 安倍政権の積極的平和は「Proactive (contribution to) Peace」と訳されているようですが、これは、上記の言葉の盗用でないことを示すものでしょう。
 ただ英語ではそうでも、日本語は同じですから、これは困ったものです。

 ガルトゥングの積極的平和は、概念が明確で、肉体的・精神的な直接暴力、貧困・差別・格差などの社会状態や構造を戦争の原因として提起し、単に「戦争のないことが平和」という平和論を人間問題、社会構造問題を含めて進化させたものでしょう。

 ところで、安倍政権の積極的平和主義はどうなのでしょうか。
 中身は説明されていませんから単なる「新造語」で解りませんが、こちらは人の心や社会構造とはあまり関係なく、地政学的な環境の中で、何とか平和を実現するための気構えといった感じが「匂う」ものです。

 そういえば、日本の藤原氏以来の歴代の政権も、みんな「日本国内の平和を願って政敵を倒す戦争をし、それに勝つことで政権を握っていました。然し何れも次第に驕り高ぶり、最後は戦いに敗れて、次の覇者が平和を目指して戦い、政権の座に就いたのでしょう。
 徳川300年は大変長い平和で、開国で環境が変わり、西南戦争を最後に、明治以来の政権争いに戦争はなくなりました。

 考えてみれば、「魏書倭国伝」などに書かれた「倭国大乱」以来の日本の覇権争いも、今日までの世界の覇権争いも、場所が日本か世界かが違うだけで、人間の考えることは似たようなものという事なのでしょうか。

 という事になりますと、いま世界の覇権争いに巻き込まれている日本の政権が、積極的平和主義といえば、なにか「戦って平和を勝ち取る」という人間の本性の中にある平和の求め方の「匂い」がするのも否定できない所でしょう。

 そんな目で安倍政権の「積極的平和主義」を見ると、言葉では「平和を重んじる国」、「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と言っても、それが直ちに「戦争のない平和な世の中」につながると考えてよいのか、確信の持てない人も多いでしょう。

 理由ははっきりしていて、安倍政権の改憲へのこだわり、防衛関係予算の膨張、集団的自衛権についての態度、今回の敵基地攻撃能力問題などなど、客観的事実を見ていきますと、何処かキナ臭さが感じられてしまうのではないでしょうか。

 究極の問題は、国際間の問題の解決手段の中に(どんな形であっても)戦争という手段が入るのか、あるいは、問題の解決は外交によって行う事が徹底して出来るのか,といった2つの行為の選択に収斂するのではないでしょうか。

 嘗て、このブログでも指摘しましたが、「 田中角栄語録」の中の「戦争経験」の指摘は、まさにこの点についての危惧ではないでしょうか。

積極的平和主義と積極的コロナ対策

2020年08月19日 14時42分29秒 | 文化社会
積極的平和主義と積極的コロナ対策
 安倍政権は「積極的平和主義」を唱えているようですが、これは安倍政権の造語でしょう。はっきりした定義はされていないようです。
 中身のはっきりしないことを旗幟に掲げられても、国民は困るばかりですが、最近論議になっている「敵基地攻撃能力」も積極的平和主義の範囲などという事になるのでしょうか。

 「積極的」というコトバは、通常良い意味で受け取られることが多いからでしょうか、厄介な造語を作ってくれたものですが、話を変えて、「積極的新型コロナ対策」といってくれたら、国民は大喜びでしょう。

 残念ながら、安倍政権のコロナ対策には「積極的」というコトバは付きません。いつも「専門家の意見を聞いて」そして「状況を真剣に注視している」といったことになっているだけです。

 注視するのは、適切な時期に適切な手を打つための「注視」と思っていましたが、どうも安倍政権の言う「注視」とは、ただ単に見ているだけで、積極的のセの字もなく、感染者が急増しても、その結果、重症者増加の気配が見えて来ても、政府は特別に何もせず、国民それぞれの適切な行動に任せるという事のようです。

 そんなところに、今日の日経産業新聞では「コロナワクチン、国内生産急ぐ」という記事が出ました。

 製薬6社、武田薬品、塩野義製薬、英アストラゼネカ、アンジェス(タカラバイオ)、KMバイオロジクス、第一三共の6社に、それぞれ301億円から60億円の助成金を決めたとのことです。

 今までマスコミでは、米ファイザーや英アストラゼネカに、「ワクチンが出来たら、日本にも売ってください」とお願いして、「枠を確保した」といった事ばかりでしたが、自主開発にも助成金を出すことに決めたのは大変ケ結構なことだと思います。

 確かにそれはそうですが、もうコロナ騒ぎが始まって半年以上、第二波が始まって感染者増加の一途のような段階で、ようやく動き出したのかといった感じです。

 そういえばアベノマスクの着想は早かったという事かもしれませんが、総額500億円以上かけて、僅か3.5%しか使われていないアベノマスクに比べると、ワクチン開発助成金は、TOO LATE、 TOO LITTLEの感は否めません。

 もしアベノマスクより早くワクチン開発の決断をして、企業の望むような助成金を出していれば、ワクチン開発はずっと早かったでしょうし、日本の開発技術を世界に売るチャンスの可能性もあり、事業規模、更には経済効果としては政府支出の何倍もの経済活性化効果につながっていたかもしれません。

 政治に最も必要なのは先見性と洞察力といわれますが、マスク配布とワクチン開発の重要性をどう判断したかは、まさに政治判断のレベルを示すものでしょう。

 この辺りの政府判断を見て来ますと、積極的平和主義の危うさ、積極的新型コロナ対策の「欠如」の危うさの対比は歴然で、国民は先の見えない不安の中で、まだ当分過ごさなければならないという事になりそうな感じが否めない所ではないでしょうか。

2020年4-6月期GDP速報を見る

2020年08月17日 22時48分30秒 | 経済
実質GDP前年同期比1割縮小
 今朝、総務省から4-6月期のGEP統計速報が発表になりました。
 マスコミ報道はいつも通り前期比の落ち込みの年率を見出しに掲げ「マイナス27.8%」という数字が躍りますが、昨年の4-6月期に比べて(1年前に比べて)どのくらい落ち込んだかという数字はマイナス9.9%で、ほぼ1割の減少という事です。

いずれにしても、戦後国民所得統計を取り始めてからこんな落ち込みは初めてです。第一次オイルショックの時でもゼロ%成長でした。
さすが、新型コロナの影響はすごいですが、生活の現実を見ると4月、5月は緊急事態宣言で、殆ど外に出る人はいなかったので、その2か月の落ち込みが大きかったと思われます。

 先日、6月の家計調査でもご報告しましたが、 6月になって消費の落ち込みもかなり小さくなりました。
 これは企業活動の方にも影響は出ていますが、GDP統計で重要な民間企業設備はもう少し長期の企業の経営計画の中で決まるのでしょう。
新型コロナの第2波がかなり深刻化して、社会経済活動の順調な回復が危なくなってきていることもあり、今後が些か心配です

 といった所で、4-6月四半期GDPの主要構成項目の対前年同期比を見ておきたいと思います。(数字はすべて実質、物価変動は小さいので名目も殆ど同じ動き)
  GDP-9.9% 国内需要-6.9% 
  民間需要-9.6% 公的需要+1.3%
  民間最終消費支出-10.9% 家計最終消費支出-11.6% 民間設備投資-4.3%
  輸出等-23.3%(訪日外国人の消費も含む) 輸入等-6.2%

 数字が示しますように、国内需要はマイナス6.9%ですが、訪日外国人はぱったり途絶えたこともあり輸出の大きなマイナスが響いてGDP全体では、前年同期比9.9%のマイナスという事です。

 国内需要では企業の消費も含めた民間最終消費支出、家計最終消費支出ともに2桁のマイナス。特に家計は11.6%の減少でGDP落ち込みの最大要因です。

 政府はこの落ち込みを防ぐために公的支出を増やしましたが、焼け石に水、そこで民間経済活動の活性化を狙ってGoToの推進し、非常事態宣言もしませんが、その副作用、コロナ感染増加が出ています。

 人が動けば消費は増えますが、しかし逆にそれが新型コロナの第2波を深刻にし、それが改めて地方自治体の自粛要請、民間の自主規制による「消費支出縮小」の第二波を招くといった傾向を心配する意見もあります。

 結局、現状では、社会経済活動を活発にすればコロナ感染者をはじめとした人的被害が大きくなるというジレンマの間で、何処の国も迷い、日本も同様に迷いに迷っているという事のようです。

 7-9月の数字が発表になるころ、新型コロナの第二波がどんなことになっているか、望ましいのは「経済活動は順調に復活」「コロナ第二波は次第に鎮静」という事ですが、
人間の意向など忖度してくれない新型コロナウィルスの事ですから先行きは誰にも解らないのでしょう。

 最終的には、やはり、 検査の徹底から始めて、ワクチン、特効薬の開発の可能性が経済活動の帰趨を決めてくれる以外にはないのでしょうか。
 そこに徹底した人間と資本の投入することが、矢張りカギになるのでしょう。

昭和、平成、令和、そしてこれから

2020年08月15日 13時59分29秒 | 文化社会
戦後75年の8月15日に
 終戦の日から75年、あの日を語るときの枕詞は「日本中晴れて暑かったあの日」ですが、75年後の今日も、日本中晴れて暑い日のようです。

 すでに日本人の多くの高齢者にとってすら、昭和といえば、高度成長、バブル景気、その破裂、そして長期不況の平成に入るというのが現実の思い出のようです。

 しかし、いま、多くの日本人にとって歴史になってしまった昭和20年8月15日以前の昭和についても、日本人にとって学び、記憶し、これからの日本、これからの自分自身の生き方についての重要な判断の基底とすべきだという意見は多いのではないでしょうか。

 昭和20年(1945年)の今日、日本はそれまでの富国強兵から決別し、平和の中で発展し、世界に貢献する国になるという選択をしました。そしてそれから75年、日本は戦争で正義の名において人を殺すという行為をしていません。

 今年の「昭和の日」に書きましたが、明治という時代に、日本は国内で日本人同士が戦う事を止めました。今、日本の中で内戦はありません。これは素晴らしい進歩です。

 そして日本は、昭和という時代に、外国と戦争することも止めました。これはさらに素晴らしいことです。世界中がそうなった時、人類社会は別次元の発展を始めるのではないかなどと考えます。

 日本国内で戦争を無くすることは日本人が決意すれば、それは可能でしょう。しかし、これを地球社会に拡大し、地球人類が戦争をしなくなるという事は容易でないないようです。
 
 もちろん、地球人類76億人の大部分は、今現在でも戦争を望んではいないことは間違いないでしょう。しかし、未だに局地的な戦争は絶えず、場合によっては、世界戦争の危険さえも指摘する人はいます。

 アメリカが脱退した国連組織「ユネスコ」の「ユネスコ憲章の前文」に有名な言葉があります。
 『戦争は、人の心の中で始まるのだから、平和の砦は人の心の中に築かなければならない』

 「人の心の中」といっても、本当に大事なのは、国などの「リーダー」の「心の中」こそが大事なのでしょう。
 リーダーはフォロワーの心を掌握し、頭脳すら洗脳し、リーダーの考え方に塗り替える事に時として成功する可能性があり、多くの戦争はそこから始まっているのです。

 今は民主主義の世の中です。 民主主義は人の心の自由を尊重し、その人々が選挙によってリーダ-を選ぶのです。ならば、世界の平和は、人類のほとんどが戦争を望んでいないのであれば、決して不可能ではないでしょう。
  
 まだ「形は民主主義」でも「実体は全体主義」という国は存在します。選挙制度が本来の役割を果たしていない場合もあるようです。
 ここで必要になるのが、「十分な情報」であり、「教育」であり、1人1人が「歴史から学ぶ」ことの大切さでしょう。
 
 難しことかも知れませんが、折角75年前の今日、「戦争をしない国」を選んだ日本です。
これからの世界の中で、日本のやらなければならないことは、おのずから明らかなのではないでしょうか。

 75年前の今日、当時の国民学校6年生で、日本の歴史の180度の大転換に遭遇し、脳味噌の呪縛が解け、心の自由を学び、お陰様で、令和の今日まで生き延びた市井の1日本人の率直な気持ちです。

やっぱりヤブカンゾウ(藪萱草)でした

2020年08月13日 17時20分46秒 | 環境
やっぱりヤブカンゾウ(藪萱草)でした
 先日、蛍飼育用のU字溝をキレイにしました。
 ヘイケボホタルの幼虫が上陸しやすいようにU字溝の中にセリ(芹)を茂らせ、ボウフラ退治のメダカはその間を通って遊弋していましたが、セリを全部引き上げ、周りのドクダミやミズヒキソウも整理して、メダカがゆっくり泳げるようになりました。



 その際、あれ!こんな所に花が咲いていると気が付いたがカンゾウ(萱草、甘草)です。大きく育ったオオムラサキ(写真に幹が写っています)の下ですので、気が付かなかったのですが、家内に話したら、「随分前お友達の家に咲いているのを見て、分けていただいたんですよ」「あんまり咲かなかったけど、今年は咲いたんですね」とのことでした。

お友達の家の広かった庭は家が建ってカンゾウはなくなってしまったとの事で、我が家に生き残っているというわけです。

 家内はカンゾウといっているのですが、カンゾウ、キスゲ、スカシユリ、などはよく似ていて、必ずしも区別がつかないので、疑ったわけではありませんが、写真を撮ってスマホのアプリで照合してみました。

 私のスマホにも、この春、便利なスマホアプリを入れたので、この所よく使っています。
 調べた結果はやっぱり「ヤブカンゾウ」でした。ヤブカンゾウにももっと豪華な花のものもあるようで、我が家のは極めてシンプルな原種に近いようなものでしょうか。

 カンゾウは朝咲いて夜には萎んでしまうとのことで、毎日違う花が咲いているという事だそうで、よく見れば細長い蕾がいくつもついています。

 我が家の狭い庭の中でも、この部分はホタル上陸用に小藪にしてありますので、ヤブカンゾウには住みやすいのかもしれません。
 ただ今年は、ホタルの羽化率が非常に悪かったので、来年は少し綺麗にしようと思っています。ヤブカンゾウも少し目立つように咲いてくれるかと思っていますが、さて、どんなことになりますか。

歴史に学ぶ人、学ばない人(日本篇)

2020年08月12日 17時44分32秒 | 文化社会
歴史に学ぶ人、学ばない人(日本篇)
 前回は、国連常任理事国5か国のうち、3か国のリーダーは歴史に学んでいないように思えることを書きまし
 勝手な解釈かも知れませんが、同じ経験でも、失敗の経験の方が、より多くの事を教えてくれるように思えます。アメリカ、共産圏は、東西対立の時代の再現の様相にもありますし、現実はソ連に代わるのはロシアではなく中国という事でしょうか。
 中國はその4000年の歴史の中で、四書五経をはじめ、多くの歴史分析の書がありますが、習近平さんは、それらから何を学んでいるのでしょうか。

 翻って日本で見ますと、いま大きな問題になっているのは「戦争を知らない世代」と「戦争を知る世代」のギャップではないでしょうか。

 さきに「 田中角栄語録から:戦争体験の無い政治家たちの危うさ」を書きましたが、田中角栄さんも、日本の将来を考えるとき、この経験の違いを気にしておられた事が解ります。
 そして、今。その時が来ているのです。

 真珠湾攻撃から原爆投下、終戦までの経験、その記憶、それから学んだことは、国として行く道を誤ると、どうなるかをすべての国民に「つぶさに」教えてくれたように思います。
 戦争経験者には、これはまさに、「あまりに強烈」な教訓です。

 そしてこの教訓、経験からの学習は、今も、戦争を知らない世代の市井の多くの人に語り継がれてきています。そして日本の多くの人々は、祖父母や父母の体験を聞いて育ち、多くの報道や書物にも接し、あたかも自分の体験のように感じているのではないでしょうか。

 田中角栄も、
 「戦争を知っているやつが世の中の中心である限り、日本は安全だ。戦争を知らないやつが出てきて、日本の中核になったとき、怖いなあ。」といっています。
 そしてそのあとで、
「しかし、勉強して貰えばいいやな」と付け加えています。

 今、日本は、自民党政権ですが、全く戦争の経験のない世代がリーダーです。
 今、日本人の多くが気にかけているのは、戦争を知らない安倍総理が、戦争についてどんな考えを持っているのかという事ではないでしょうか。

 明らかに今、日本は田中角栄が「怖いなあ」といった時代に入っているのです。安倍首相は、戦争は経験していないけれど「勉強してもらったからいい」と言えるのかどうか、多くの国民は疑心暗鬼なのではないでしょうか。

 おそらく、改憲を唱えてきた自民党の歴代首相で、日米安保条約を重視し、自衛力増強を主張した方がたも、戦争を知っている世代であれば、戦争という異常な破壊活動の愚かさを繰り返すことはないという、「戦争を知ることによるストッパー」が心のどこかに存在するはずだと信じることが、国民にとって可能だったのではないでしょうか。

 安倍総理が、戦争は知らないが、確りと歴史に学ぶ人なのか、あるいはそうでないのか、日本人の多くが、田中角栄さんと共に「怖いなあ」と危惧しなければならない時代が来ているようです。

歴史に学ぶ人、学ばない人

2020年08月11日 15時47分56秒 | 文化社会
歴史に学ぶ人、学ばない人
 今、世界は新型コロナウィルスに、まさに振り回されていますが、この短い経験の中でも、それを生かしている国、生かさない国があるようです。

 今、コロナだけではなく世界は騒然とています。覇権国アメリカ自体が混乱ただなかですが、世界のあちこちに独裁的なリーダーがその力を伸ばそうと種々画策し、世界の情勢の不安定化を齎しています。

 二度の世界大戦を経験し、独裁政権の末路を実体験として学んだ世界人類は多く民主主義を歓迎し、自由世界を作り上げて来ました。

 ただ、戦勝国になった共産主義国家の2国、ソ連と中国は、「共産主義の現実は、結局は独裁者を必要とし、全体主義になる」という歴史の動きを続け、戦後も半世紀ほど独裁政権を続けました。

しかし、結局は、ソ連邦の崩壊、中国の改革開放の動きという形で、独裁政権から民主国家に移行する動きを見せることになりました。
恐らくこれは国民大衆が、独裁政権の非合理史に気づき、その大きな波の中で、国のリーダーも歴史の動きに気づき、過去の歴史の動きを学んだからでしょう。

 ここまでの動きは確かな現実で、多くの人はこの動きは今後も進んでいくのだろうと思っていたのではないでしょうか。(私もそう思って喜んでいました)

 しかし現実は必ずしもそうなりませんでした。中国の習近平終身主席、ロシアのプーチン大統領に見ますように、共に共産党一党独裁の昔に帰る動きが強まっています。

 歴史によれば、革命には、何らかの形の反革命はつきものといおうことなのでしょうか。
 国民の中にも、得た自由に馴れず、使いきれず、困惑する人もいるでしょう。リーダーの中にも昔日の独裁的リーダーに憧れる人もいるでしょう。より新しい独裁体制を考える人もいるかもしれません。
 
 今、直接にその犠牲になっている代表的存在が、ウクライナであり、香港でしょう。日本の北方四島もその中に入れる人もいるかもしれません。

 しかしさらに歴史を考察すれば、こうした反革命に見られるような動きは、結局は長続きしない、時間かかっても、いつかは自由国家の方向に進んでいくというのもまた現実であるように思います。
 しかしそれには、国民の大きな努力や絶え間ない活動が必要なことも事実でしょう。

 同時に、そこには。自由国家自体が、初期の資本主義から脱し、福祉国家などといった、かつては社会主義の反中だった理念も取り入れながら、より国民の住みやすい、資本主義、民主主義ぎ、自由主義の在り方の不断の努力をしていることもあるのでしょう。

 余計なことを付け加えますが、いまのアメリカは、歴史からあまり学ばないリーダーの、あまりにも古い、自由主義や資本主義にアメリカを引き戻す事が「アメリカの栄光を取り戻す唯一の道」と考えていることで起きている問題のように見受けられます。

 ところで、この見方で行きますと、いまの日本は同なのでしょうか。8月15日も近づいてきていますが、その辺りもまた考えてみたいと思います。