tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

多様化する経済と経営の関係

2010年11月30日 22時26分26秒 | 経済
多様化する経済と経営の関係
 GDP、国内総生産というのは、1年間に国内で企業が稼ぎ出した粗付加価値 の合計額です。付加価値(純付加価値)の合計額は国内純生産で、国民所得に相当するものになります。

 生産は企業が行っているわけで、GDPにしても、国民所得にしても、企業(個人企業、自営業などを含む)が生み出した経済的な価値の総額ですから、経済成長というのは、企業が国内で大いに生産を増やしてくれなければ達成できません。
 かつての日本もそうでしたし、今の急成長するアジアの国々でも、企業がどんどん成長するからこそ経済成長するわけです。

 企業が成長すれば経済が成長するといった関係がダイレクトに見られるような状態というのは、経済にとっても企業経営にとっても、ある意味では大変解りやすくて、いい時代ということかもしれません。

 失われた10年を通じて日本企業は、積極的に海外に進出しました。企業の本来の役割を明確にした経営得理念を持ち、優れた生産技術、優れた経営技法を持った日本企業が、海外に進出することは、世界経済の発展にとってもプラスといってもいいでしょう。
 今でも、こうした日本企業の、技術、技能、技法は、多くの国で羨望の的でもあります。

 この傾向は、今後、さらに加速しそうな状況にあります。原因は$1=¥80という円高です。プラザ合意後もそうでしたが、$1=¥80では、国内で利益を上げることは一層難しくなります。前向きの海外進出というより、「高コストの日本からの脱出」という構図です。

 企業は高コストの日本を脱出することで、収益性を高めることが出来、国際競争を勝ち抜き、より高い収益を実現し、発展を続けることが出来ます。多くの下請け企業もこれについて海外に出て行きます。

 国際間を原則自由に動ける企業には、そうしたサバイバルと発展のための行動が可能ですが、一方、経済(国民経済)というのは、GDPのD(domestic)が示すように、まさに地域限定です。
 生産の担い手は企業ですから、企業が海外に移転すれば、国内経済は空洞化です。

 円高が進行すればするほど、企業の業績と、経済の実績は乖離する可能性が大きくなります。多国籍化した企業が収益性を高める一方、国内経済は停滞し雇用は増えず、所得も増えないといった傾向が出るでしょう。

 経済と経営の関係は、ますます、以前のように一筋縄ではいかなくなりそうですね。


「プラザ合意なかりせば」の日本経済

2010年11月26日 15時50分08秒 | 経済
プラザ合意 なかりせば」の日本経済 
 今回はちょっとした(まじめな)お遊びです。
 戦後の廃墟から立ち上がった日本経済は、1949年$1=¥360と決めてもらいました。
 スミソニアン合意で一時308円というのがありましたが、変動相場制になって、$1=¥300前後、その後$1=¥250前後と推移してきましたが、プラザ合意で一挙に$1=¥120となり、「失われた10年」に突入しました。
 2000年代に入り、120円でも何とかやれそうになったのが「いざなぎ越え」でしたが、リーマンショックで$1=¥80、改めて「失われた数年」に突入でしょうか。

 いつも例えているように、ゴルフのハンディに例えれば、36から始まって24まではよかったのですが、12にされ、今度は8、まさにシングルプレーヤーの栄誉に浴したわけです。こんなにハンディを切り上げられた国は他にありません。これでは当分日本は勝てないでしょう。

 問題は、為替レートがいくらに決まっても、「それはマーケットのせい」ということで、文句のいいようがないことです。正式なハンディ改定委員会があれば、まだ合理的でしょうけれども。
 ということで、思惑渦巻くマネーマーケットに翻弄される日本経済が、プラザ合意以降、どのくらいの損失をこうむったかを試算してみました。

 やり方は単純で、1985年(プラザ合意の年)の実質GDPを基準にして、プラザ合意前の5年間の平均実質経済成長率(3.34%、1990年基準、経済企画庁)が維持されたという前提で、1986年以降の日本の実質GDPの水準を推計し、現実の実績値と比較したものです。(因みに、1985~2009年までの日本経済の平均実質成長率は1.67%)

 2001-2009年からの平均GDP(名目値)は、ほぼ500兆円。このGDP現在値を基準にします。1985年の実質GDP(2001~2009年基準)は、逆算すると336兆円になります。

 この336兆円のGDPを1980~1985年の平均実質経済成長率3.34%で2009年まで延長すると、2009年の実質GDPは、740兆円になり、さらに、その間の実質GDPの年々の差額(推計値―実績)を累計すると1479兆円です。

 つまり、プラザ合意による日本経済への急ブレーキがなければ、日本経済は順調に成長していて、今日現在、多分、実質で今の日本経済の規模の約5割増しの740兆円規模に達していたと試算され、その間の試算と実績の差額の累計、つまりプラザ合意による日本経済の累積損失実質GDPは現在価値にして、今のGDPの約3倍の1479兆円ということになります。
 
 日本も大損害ですが、世界経済にも大きな損失ではないでしょうか。


基軸通貨国の責任

2010年11月23日 16時41分45秒 | 国際経済
基軸通貨国の責任
 ブレトンウッズ体制のリーダーシップを取ったアメリカは、第二次大戦後その経済力の強さからイギリスに代わって基軸通貨国になりました。
 基軸通貨国の通貨は、世界の国際取引の共通の価値となるわけですから、アメリカ通貨当局は、いわば世界の中央銀行のように、基軸通貨の価値を常に安定させる努力が要請されるのは当然です。

 基軸通貨の価値が揺らいだのでは、国際取引の安定は確保できません。一国の問題に例えて言えば、例えば円の価値がインフレで目減りする状態ということですから、これは、マネーポリューション(通貨の汚染)で、中央銀行と政府は協力してインフレを抑制し、通貨価値を安定させるようインフレの原因を究明し、対策を打たなければなりません。

 世界中の国際取引の共通価値であるべきドルという基軸通貨を持つ国、アメリカは、当然自国の経済運営を節度あるものにし、ドルの下落を防がなければならないはずでした。
 具体的にいえば、放漫な経済・財政政策を改める一方、生産性を高め、国内インフレを防除して、浪費癖を改め、経常収支の赤字を是正し、黒字化の努力をするというのが常道でしょう。

 真面目に考えれば、これこそがアメリカの取るべき道だったのですが、こうした対応についてはアメリカは1970年以降も全く不十分な政策しかしてきていません。もちろん言い訳になるような理由はいろいろあるでしょう。
 しかしアメリカは、その後もいわゆる双子の赤字を垂れ流しながら、金融という手段によって、黒字国からのファイナンス で「キャッシュプロー」、いわば資金繰りの辻褄さえ合わせればそれでいいという経済運営の方法に傾斜していったわけです。

 基軸通貨の価値の下落から起こる問題は変動相場制の常識化で乗り切り、取引上の問題はヘッジ切り抜け、多様な金融工学を発展させ、巨大なレバレッジを使って経常赤字のファイナンスを可能にし、資本主義経済に「マネー資本主義」といいう鬼子を生ませることになりました。

 コツコツと真面目に働く国に対しては、「働き中毒」「やり過ぎで世界に迷惑をかける困った国」というレッテルを貼り、努力して働いた結果を無にする方法「為替レートの切り上げ」を強要し、そうした政策を経済の常識として世界に定着させるといった方法を取ってきました。

 かつて、世界の三大神学者の1人といわれたエミール・ブルンナーは、1950年代に日本で「社会における正義と自由」という連続講義を行い、行き過ぎた平等と共に、行き過ぎた自由を問題にしました。今我々は「経済における正義と自由」といいう問題を本格的に取り上げる必要があるのではないでしょうか。


懐かしきブレトンウッズ体制

2010年11月20日 16時09分40秒 | 国際経済
懐かしきブレトンウッズ体制
 半ば忘れられつつあるのかもしれませんが、1944年、第二次大戦の終了の直前、連合国側はアメリカはニューハンプシャー州のブレトンウッズに集まり、戦後の経済体制を検討しました。

 そこで固められたのが、GATT(今のWTO)とIMF,さらに世界銀行というシステムを使って、世界の各国々が、公正なルールの中で、互いに切磋琢磨して経済発展できるような、よき世界経済体制を作ろうという理想に燃えたブレトンウッズ協定でした。

 第二次世界大戦は、世界中に大きな惨禍をもたらしました。そうした深刻な戦争の原因が、為替切り下げ競争に代表されるような、自国本位の、当時使われた言葉でいえば近隣窮乏化策によるところが大きいと考えられていたわけです。
 人類は大きな惨禍を経験すると、素直に真面目に反省し、真摯に考えるようになり、正しい、良い結論を出すようです。

 ベンジャミン・フランクリンではありませんが、世の中は、真面目にコツコツと働いたものが、きちんと良い結果にありつけるというのが正常な状態で、基本的にはそうした原則が貫徹するのが最もいい社会でしょう。
  ドルが 「1オンスー35ドル」という形で金にリンクし、為替の固定相場制をとるこのブレトンウッズ体制は、まさにそれを目指して設計されたものだったわけです。

 もちろん人間社会のことですから、国レベルでも、事、志と反することもあり、失敗することもあります。そうした場合には、IMFや世銀が、救済の手を差し伸べると同時に、その国の経済を健全なものに戻すための指導監督をすることになります。

  このブレトンウッズ体制は、1960年代までは極めて効果的に働き、戦後世界の急速な経済回復と発展をもたらしたと評価されています。
 当時日本でも、GATT加盟(1955年実現)、IMF8条国移行(1964年実現)は「坂の上の雲」のような目標であり政界、経済界の相言葉だったことをご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

 しかし残念ながら、戦後25年経った1971年にこの体制は崩壊します。それは、戦後、「バターも大砲も」といわれた巨大な経済力を持ち、国際収支大幅黒字国だったアメリカがその放漫な経済運営から赤字国に転落したことによります。
 いわば「言いだしっぺ」で「リーダーシップ」を取っていたアメリカが、健全経済のルートを踏み外したわけで、ドルの金兌換の停止、その後のドル下落 がここから始まることになった1971年の「ニクソンショック」という事態の発生です。

 コツコツと真面目に働く日本にとっては苦難の予兆でした。


2010年4月から10月までのテーマ

2010年11月16日 20時12分40秒 | インポート
2010年10月
消費軽視は政策の誤り   おカネの貸し借り、個人の場合、国の場合   経常赤字、経常黒字のインパクトと対応策   通貨切り上げで経常黒字は減るのか?   慶州G20: 過度な経常収支の不均衡の是正   賃上げと円高の共通点と相違点:その3、日本の場合   賃上げと人民元高の共通点と相違点:その2、中国の場合   賃上げと円高の共通点と相違点:その1    気になるインフレへの理解の不足   低賃金という武器:途上国発展の構図   

2010年9月
現場に見るグラミン銀行    バングラデシュも成長の途に   資源価格の高騰と円高   アオマツムシ(青マツムシ)   トヨタと日産   アメリカの雇用問題   

2010年8月
新時代の経済政策<怪談噺>    口先介入の成果と日本経済   新たなデフレ不況の入口に   頑張るだけ円高になる日本   頑張るだけ円高になる日本   具体的な経済政策を   正しい円高対策    円高軽視は身を誤る   本気で内需の拡大を考えるときでは   貿易依存度考   

2010年7月
最低賃金論議の本質   中国の所得倍増計画を読む:4為替レートと国際経済秩序
   中国の所得倍増計画を読む:3、人民元切り上げ回避策   中国の所得倍増計画を読む:2、経済のレベルアップ   アメリカの金融規制法案   中国の所得倍増計画を読む:1、計画は多目的?    参院選と日本経済、市場の反応   消費税論争の中で   作られる金融危機   

2010年6月
カナダG20も具体策なし?   これから必要になる経済政策   通貨切り上げで出来ること・出来ないこと   国際競争力への誤解   成長経済回帰への具体策その9 提言    成長経済回帰への具体策 その8 日本は何をすべきか-5   成長経済回帰への具体策 その7 日本は何をすべきか-4   成長経済回帰への具体策 その6 日本は何をすべきか-3   

2010年5月
成長経済回帰への具体策 その5 日本は何をすべきか-2   成長経済回帰への具体策 その4 日本は何をすべきか-1   成長経済回帰への具体策 その3 賃上げで景気回復は?   成長経済回帰への具体策 その2   ユーロ相場下落の読み方    成長経済回帰への具体策 その1   経済成長を取り戻す方法 その10 活性化への正攻法    経済成長を取り戻す方法 その9 負の循環を引き起こしたもの   ギリシャ・ユーロ・国際投機資本   経済成長を取り戻す方法 その8   


企業経営とマクロ経済:株式会社の役割

2010年11月14日 20時44分24秒 | 経済
企業経営とマクロ経済:株式会社の役割
 企業経営とマクロ経済とは最近の学問分野では「経営学」と「経済学」ということで別の分野のように見られがちです。学問が細分化、専門化して、大学などでお仕事をされる方々の視野が狭くなりがちという問題点が言われたりします。

 そうした問題意識からでしょうか。他方ではインターディシプリナリーとか、ホリスティック・アプローチとかいって、全体を広く見たほうが良いのだという事もいわれます。
 もともとは、自然現象でも社会現象でも境目があるわけではありません。そうした意味では、何はともあれ、経営と経済ぐらいは、一緒に見ていった方が良いような気がしています。

 ところで、このところ日本経済は、円高で大変ですが、円高で困っているのは実は企業です。円高によるコスト高で企業が困っているから、企業で構成されている日本経済が困っていると表現されるということでしょう。

 企業は経済活動の中で、生産や分配を担当して、経済成長を進めています。経済が発展するようになったのは、企業(典型的には株式会社)が発達したころによるようです。
 中世には、モノやサービスの生産は家族単位、家族営業が中心でした。毎年同じことの繰り返しで、「経済成長」などという概念はなく、何百年もゼロ成長が当たり前だったようです。

 ところが産業革命以来、経済は成長するもの、社会の富 (国富論の国富、今の言葉ならGDP) が増えて、社会は年々豊かになるのが当たり前になりました。

 与って力があったのは「技術革新」と「株式会社の発達」でしょう。ジェームス・ワットの発明による蒸気機関を活用して紡績業を興したり、蒸気機関車が走って、鉄道が発達するようになったのは株式会社というシステムが発達したからにほかなりません。
 家内工業の機屋は紡績会社になり、運送を受け持つ便利屋は鉄道会社になったのです。

 経済システムとしては、家族営業より株式会社のほうが格段に優れているのは歴然です。われわれはその恩恵をフルに享受しています。

 ところが、今の日本で、相変わらず、中世以来の家族営業が中心の分野があります。「農業」です。何故農業だけ中世のままになっているのでしょうか。
 これを考えるには経済と経営だけではダメで、政治も一緒に見ないといけないようです。

 APEC、G20論議、TPP、FTA交渉などで、日本が一番困っているのがこの問題のようですね。


食文化の時代

2010年11月09日 12時21分51秒 | 社会
食文化の時代
 最近のテレビの番組で、圧倒的に多いのは「食べ物」に関わる番組ではないでしょうか。外国へいって、NHKの国際放送などを見ていても、食べ物、料理の番組の多さが際立つ様に思います。
 
 「食」に関わる番組は極めて多彩です。全国の駅弁大会からB級グルメの全国大会、日本各地の食材や美味いもの探索番組、スタジオの中で、有名シェフや芸能人、カリスマ主婦の料理実演。連続ドラマでも「食」をテーマにしたものが好んで視聴されるようです。

 出てくる「食」の種類も、まさにグローバルで、日本はもちろんですが、中国、韓国、イタリア、フランスなどなど。
 しかし、アメリカ料理、イギリス料理、ドイツ料理(ビールは別)などというのは、どうも出てきません。グルメの人に聞くと、一言「美味い料理がないからだよ」ということで、言われてみればナットク・・・・・。

 戦後日本に来たアメリカ人などが、鮨を見て、「生の魚は俺たちは食わない」など言っていたのを思い出しますが、今では、日本食は「Sushi (すし)」を筆頭に、「目で楽しみ、舌で味わう」、美しさと微妙な味、さらにそれを取り巻く道具立てや環境、つまり、器(うつわ)や雰囲気、作法までを含めて、「日本食文化」を世界に広めつつあるようです。
 昨今の日本は、広範な「食文化」を世界に輸出する国になってきたようです。

 日本の歴史を見ますと、社会が閉塞状態で、庶民のエネルギーが余っている時、何か時代を反映した独特な文化が育っているようです。それは宗教であったり、占いであったり、和歌や俳諧の深化であったり、ファッションや歌舞音曲の庶民への普及であったり、盆栽や朝顔の品種改良であったり・・・・・と、その中身は多様です。

 矢張り日本人は、閉塞状態で、思うようなエネルギーの発揮場所ないときには、その環境の中で、その時に出来る何かを突き詰めてやる性癖があるのでしょうか。それが今「食文化」の全盛と世界への発信という方向に向いているような気がしてなりません。

 打ち続く円高で、得意技の「ものづくり」は行き詰まってしまい、所得水準は年々下がる一方。せめて与えられた環境の中で、元気にやれるのは、国内に材料を求め、日本的付加価値をたっぷり盛り付けて、自らも楽しみ、世界への発信できるようなもの。歴史の中で磨き上げられた「食文化」なら、まさにピッタリの「ニッチ(niche)」でしょう。

 桶屋哲学ではありませんが、「円高なると、食文化が流行る。」


政治と経済、選挙の意義

2010年11月05日 21時37分07秒 | 経済
政治と経済、選挙の意義
 先に日本では衆院選で民主党が敗れ、ねじれ国会になりました。今度はアメリカで、中間選挙でオバマ政権が苦杯を喫し、下院では共和党が過半数を占めました。2年前、民主党が大勝したのはなんだったんでしょうか。

 tnlabo's blog の筆者如きがこんな大それた問題を論じるのはおこがましい限りかとも思いますが、経済と政治の問題は本当に難しいという思いから、つい、書いてしまいました。

 オバマ大統領就任の時、Change! Yes,we can. はいいけれど、何をどうChange するのかが解らないと書きました。あの時アメリカは、サブプラムローンの証券化という方法で世界中に不良債券をばら撒き、アメリカの証券の信用は失墜して、それまでのように世界中のお金で、アメリカの経常収支の赤字をファイナンスすることは多分もう不可能と解っていました。

 グリーンスパン・マジックというのは、金融操作で長期に緩やかな住宅バブルを起こし、住宅モーゲージローンという制度を完備して、過剰消費で景気を維持し、生じた経常赤字は「世界が信用している」アメリカの証券、債券でファイナンスするというものだったのでしょう。

 サブプライム問題で毀損したアメリカの証券・債券への信用は、いずれ、過剰消費を不可能にし、アメリカ経済は経常赤字を縮小する調整過程に入らざるを得ないことは見えていました。
 バブルはいつか破裂します。サブプライム層のやり場のない怒りは、世論に増幅され、民主党の圧勝、アメリカの政権交代を演出したのでしょう。

 オバマ政権は、政策というより、現状への不満の結果誕生した感が強いように思います。しかしこの不満の源は過剰消費 ですから、不満を持っているアメリカ人自身が、分相応の生活に戻ることでしか解決されません。

 しかしオバマさんは、「アメリカ人よ、過剰消費はやめて、収入相応の生活をいよう」とはいえないでしょう。「何とか景気を良くします」といってバーナンキさんと、一生懸命やってみたが、背伸びしたままでは、次のジャンプは出来ません。経済の現実はアメリカ国民に、一度膝を曲げることを要求します。

 膝を曲げないで(生活レベルを落とさず、経常赤字のままで)何とか済ませたいアメリカ人は「政策が悪い」と民主党を見限ることになります。 経済と政治はこんな風に関係してくるようです。

 経済の中身は違いますが、前回の日本の民主党の圧勝と、今回の惨敗も。良く似ているように思います。1980年前後の、アメリカ、イギリス、フランスの政権交代 も、misery indexの仕業でしょう。問題は、新しい政権が、国民にどこまで真実を伝えられるかにかかっているようです。