夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

【掌(たなごころ)未来小説】  この世に稀(まれ)な錠剤を、たった一錠を吞めば・・。

2011-08-23 16:05:12 | 掌(たなごころ)小説
この小品は、『この世に稀な錠剤を、たった一錠を服用すれば』と題して、
8月12日に【gooブログ】のサイトに投稿したが、他ブログサイトからの回覧数が圧倒的に多く、
この時にカテゴリー【掌(たなごころ)小説】未設定時期でもあり、
改めて少し加筆し、異例ながら再掲載をさせて頂く。

☆-----------------------------------------☆


1995年、ひとりの男がある大学の薬学部を何とか卒業でき、
劣等生であったが、ひとりの教授からは、余りにも独創性があると評価された推薦で、
ある大手の医薬メーカーに入社し、開発研究所に配属された。

入社後から遅刻はするし、開発プロジェクトの一員に加わっても、協調性も欠け、
周囲の開発研究員からも、次第に険悪されて、孤立化となっていた。

そして身なりも不衛生で、結婚もせず、風変わりな男と定評され、
やがて付近の若き研究員の女性も避けるようにされ、
この男は開発部の片隅に席に置かれていた。


そして20年過ぎた2015年、この医薬メーカーは業績が低迷し、
リストラが実施されて、営業本部をはじめ管理本部も削減され、
その後は開発研究所も対象となった。、
そして多くの研究員の誰から見ても、この男が解雇の最有力の対象と思われていた。

このような状況下の時、この男は入社以来初めて笑顔を浮かべて、
上司の席の前に立ちすくんだ・・。

『開発なかばですが・・この錠剤を・・一錠吞めば、
睡眠時間はわずか一時間に圧縮されます』
と男は上司に呟(つぶや)いた。

『普通の人は・・睡眠時間は7時間ぐらいだよねぇ・・
その錠剤で・・一時間ぐらいで、睡眠が満足されると言うのかい?』
と上司は男に言った。

『お疑いになると思われますので・・
私はこの一週間・・毎晩一錠吞みましたが・・
一時間ぐらい眠り、目覚めた後は、心身は至って満足しまして・・』
と男は上司に微笑みながら言った。


そして3年後の2018年の春、この医薬メーカーから、
ビタミン剤のような錠剤で、毎晩たった一錠を吞めば、睡眠時間はわずか一時間で、
誰でも充分に身も心も満足する人類初めての名薬として、販売された。

もとより一日は24時間である、と天上の神々から定められ、
古今東西、長き歴史から、人類の殆どの人たちが、7時間前後の睡眠時間を要してきた。
たとえローマ帝国時代のユリウス・カエサル、
ここ数百年に於いては、一時期ヨーロッパを制覇したナポレオン皇帝、
或いは中国人民共和国の毛沢東主席、
アメリカのケネディ大統領・・古今東西の偉人も、
この鉄則に采配されて、それぞれの時間をやりくりしてきたのである。

この一錠は10万円の高価であったが、
世界の富裕層の人たちから、この薬を吞めば残りの6時間前後は経済活動できると絶賛され、
やがて、この医薬メーカーは飛躍的に業績を伸長させ、
世界の大企業のITメーカーの各社を遥かにしのぐ世界有数な会社に躍進した。


まもなく、この稀(まれ)な薬はノーベル賞の栄誉に輝き、
この男は医薬メーカーの特別上級研究員として、社の首脳部から破格に待遇を提示されたが、
『恐れ多いのはもとより承知の上ですが・・この薬の売り上げの10パーセントを毎年頂きたいのですが・・』
と男はオーナーの名誉会長に言った。

『10パーセントって・・少なくとも5兆円になるが・・
このような巨額をどうするのよ・・』
と名誉会長は戸惑いながら男に言った。

『睡眠の短縮の薬は・・たまたま開発でき・・確かに多忙な方には貢献できましたが・・
世界では食べ物に困り・・餓死する人も多いのが実情です・・
せめて世界の子供たちに、毎年ユニセフを通して、寄付を致したく、お願い申し上げる次第でして・・』
と男は懇願するように名誉会長に言った。


やがてオーナーの名誉会長の英断により、毎年ユニセフに送金され、
男の願いは叶えられた。
その後から、この男は何かしら会社の中で浮いて、やがて退職金1000万円だけ受け取り、
退社した。

その後、かっての研究所のひとりが、
この男を伊豆の下田の外れのボロ小屋に独り住んでいるのを偶然に見かけた、
と言ったりしたが、定かでない。

                             《終り》

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【掌(たなごころ)未来小説】  2018年 日本の悪夢(下)

2011-08-20 12:51:52 | 掌(たなごころ)小説
この小品は、『小説 10年後の悪夢(下)』の原題で、2008年9月14日にこのサイトに公表した作品である。


新党の『再生党』が、連立政権を目指し、
旧・野党の一部の党の代表と協議した間、
自民党も野党の一部の党を誘い、与党としての連立政権の確立を目指していた。
民主党は若手議員の大半が離脱された後は、
野党の中堅グループに零落していた。

このような状況を眺め、日本の混迷に憂いたアメリカは、
新テロ対策の給油活動の決断も遅れ、
そして自国の防衛費も削減する日本を、ヨーロッパの主要国と協議し、
日本は世界の主要国としての輸出入の権利ばかりを享受し、
一体となる責務を果たしていない、と公然と非難されたりしたので、
日米安保の継続不可能と結論した。

世界の各国に輸出し、自国とその周辺の安全をおろそかにする日本は、
まもなく各国から輸入、そして原材料の輸出を拒否されるかのように激減した。

そして、1年後は1ドル400円の円安となり、
経済大国としての日本は没落した。


このような中で、中国だけは日本に手を差し伸べたのである。
自国の原材料を程々に日本に、そして日本の技術を自国に、
こうして日本の周辺の海上はもとより、インド洋の彼方まで、
中国の艦隊が圧巻していた。

そして、日本は中国を宗主国のようにあがめ、
これでは中国がかっての明王朝の時、朝鮮半島を支配した李朝と同じだ、
と再生党の要人は肩を落としたのである。


再生党の要人は、ひとりの老人を訪ねる為に、
東北新幹線の水沢駅で下車した。

『君かぁ・・』
とこの老人は、懐かしそうに云いながら、苦笑した。

『私が学生の時・・1989年の頃、自民党の幹事長をされていた先生に感銘を受けて、
私は政界入りを決断したのです。
その後、1993年に『日本改造計画』のご本を拝読した時、
今後の日本はこのお方しかいない、と確信したのですが・・
その後の先生の言動には、失望ばかりでした・・』
と再生党の要人は、この老人に云った。

『そりやぁ・・いろいろとありすぎて、
根幹となす政策もままならず、
政局に応じざるを得なかったのよ・・』
と老人はかみ締めるように云った。

『私達は、かっての先生の日本を真に改革する意志を実現しょうと、
あえて『再生党』の命名し、国民に訴えながら、
連立政権を目指してきたのですが・・』
と再生党の要人は云った。


『君ねぇ・・今からでは遅いが・・
日本の選挙民の大半は、国家の理念などと云っても・・駄目なのよ・・
当選数を増やしたければ、目先の景気対策をし雇用の安定を図り、
そして年配者には、年金と医療に期待を持たせれば、
当選するよ・・』
と老人はポツリと云った。

それでは従順な羊(ひつじ)と同じだ、
と云おうとしたが、再生党の要人は言葉を呑みこんだのである。


               《終り》


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【掌(たなごころ)未来小説】  2018年 日本の悪夢(中)

2011-08-20 00:25:19 | 掌(たなごころ)小説
小説この小品は、『小説 10年後の悪夢(中)』の原題で、2008年9月14日にこのサイトに公表した作品である。


新党は『再生党』と称し、党首は前原誠司の下で、
政策が具体的に懸案した後、連立政権を目指し、
旧・野党の一部の党の代表と協議した。

これまで日本は、バラマキ合戦の結果、
国債の元本だけでも、1000兆円となり、
年金・医療などは毎年8000億円増加している。

かっての時の政権が2011年度までには、
何とか基礎的財政収支は正常にしたい、と公約していたが、
選挙民に媚(こ)びる為にバラマキで、
更に悪化していたのである。


遅ればせながら、消費税5%に代わる『社会保障税 10%』と発言した後、
『そりやぁ・・無理です・・
国民の生活は益々困窮して・・賛意できないわ・・』
と旧・野党の一部の党の代表は、再生党の要人に云った。

そして
『財源がない・・と云うけれど・・
自衛隊などの防衛費を半減すれば・・
多少の補助となるし・・少し時期を改めてからに・・しましょう・・』
と要人に言い切ったのである。


国を守る基盤を崩し、貿易立国の日本の輸出入の安全を低下させてまで、
国民の負担を従来どおりで、社会保障費が増大ばかりで、
本当に国民は、国にサービスを求めているのか、
と要人は思い込んだのである。

そして、自宅のご近所に住まわれている70近いお2人は、
贅沢をしなければ生活できるし、何より自在に時を過ごせ、
と趣味に没頭され、目に輝き持ちながら、過ごされている。


この後、2008年の頃、ある高名なエコノミストの講演を
拝聴した内容を思い出された・・。

父たちと同期で1960年に40歳だった人たちは、
年金保険料率の生涯は3%~10%しか納めなく、
若い世代の14%以上の保険料率から年金を支えられている。
そして、高齢世代が若年世代から過分なプレゼントであり、
不公平なシステムないか、と提言されていた・・。


日本の官民とわず、米ソの冷戦でベルリンの壁の崩壊するまで、
年功序列の組織の多い中で整然と勤務できた人たちであった。

今の現役の人びとは、昨今の成果主義の多い中で勤務され、
これ以上の負担を求めるのは、過酷である。
何より、現役世代が意欲を失くされ、肝要の勤労精神が薄すられ、
国力は低下する。


このままでは高齢世代はいきいきとしても、現役世代は意欲をなくせば、
国力は衰退し、やがて国は没落する、
とやりきれない面持ちとなったのである。


             (つづく)

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【掌(たなごころ)未来小説】  2018年 日本の悪夢(上)

2011-08-19 21:42:00 | 掌(たなごころ)小説
この小品は、『小説 10年後の悪夢(上)』の原題で、2008年9月14日にこのサイトに公表した作品である。


2018年の晩秋、岩手県の水沢市の郊外の里山で、
ひとりの80前後の男が、落胆した容姿で、
『このようになるはずは・・なかったんであるが・・』
と呟(つぶ)くように自分に言いきかせるように独り言を云った。


あの頃は地方の多くは疲労感がたたよい活性化もなく、
都心に戻れば、70代の婦人の一部は『生活が大変よ・・・』
と洒落た高価なブラウスを召した方に云われた。

与野党が伯仲し、お互いに、
団塊世代が退職後、急激に社会保障費が増大していたが、
清き一票を獲得するために、大都市、地方に係わらず、
財源を無視し、景気対策はもとより、
高齢者を更に優遇するバラマキ政策が多く実施された。

以前、時の政府は2011年までには、
基礎的財政収支を正常にしたい、と目標としていたが、
与野党議員は選挙民より一票を獲得し、晴れて国会に戻りたい為、
バラマキ合戦となっていたのである。


野党の一部の党は、社会福祉の充実こそ何より大事で、
新テロ対策の給油活動は反対し、自衛隊の予算を疑り、
果ては無駄な存在と公言されたりした。

ある一部の野党も、何より憲法第9条は大事とばかり、念仏のように大事し、
防衛費にも険悪としたりしていた。

自民党、民主党は、お互いにこの中の野党を取り込み、
連立政権として与党になりたく、
党の基本方針の政策を曲げてまで、安易に妥協したのである。
怜悧な面からすれば、野党の一部の党に与党へのワッペンを握られ、
更に政局は混迷したのである。

民主党は、旧・社会党系議員と若手の保守系議員のごった煮で、
党内は妥協を繰り返し混迷していたが、
豪腕と定評のある小沢一郎・代表の凄みで、
党の政策を政局に応じて変化させてきた。


このような時、日本の国として根幹となる政策が揺らいできたので、
民主党の前原誠司、野田佳彦、岡田克也など、
この3人に同調する若手の議員は民主党を離脱し、
自民党の渡辺喜美、石原伸晃ら数10名は共鳴し、新党を結成し、
たちまち第一党の自民党の議員数に迫る勢いとなった。

しかし、与党となるためには、野党の一部の党と連立しなければならず、
肝要の政策に決断するのに、苦悩が迫まわれたのである。

                        (つづく)

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【掌(たなごころ)小説】 世にも稀な飛行機の機内で、私はある人と出会いながら・・。

2011-07-26 18:40:55 | 掌(たなごころ)小説
私は旅行の帰路、苦手な航空便に乗り、疲れを感じていたのか、
座席のシートに身を任せると、直ぐに眠りこんだ・・。

目覚めると、前方に『お食事のご希望の方は、前の方でご用意しております』
と案内表示板が見えたのである。

私はうつろな思いで、前に進むと連結列車のような処を抜けると、
誰も乗っていないお座敷客車のような室を通り過ぎたのである。

そのまま前方に進むと、昭和30年代に街で観られた大衆食堂のような情景であり、
デコラ調のテーブルが幾つか並んで折、電子レンジが各テーブルに置いてあった。

そして、入り口の周囲には、魚の干し物があり、
カマス、鯵(あじ)などの干し物が並んでいた。

私は二枚の鯵を買い求め、ひとつのテーブルに座ろうとした時、
奥まった席でご高齢の男性がいて、私を手招きをしたのである。


私はそのお方に近づくと、テーブルの中央に七輪があり、
赤くなった炭火、網の上にカマスが載(の)せられていた・・。

『よかったら・・座らない・・』
とそのお方は私に微笑みながら、云った。

『先生の・・随筆・・いつも拝読致しまして・・』
と私はそのお方に云った。

『鯵・・載せなさいよ・・』
と私は促された。

私は鯵を一枚載せたのであるが、
そのお方は、隅に富山産の地酒の一升瓶、
目の前に茶碗に入った酒、そして灰皿が置いてあった・・。

そのお方は、私に隅にあった茶碗を私の前に置き、
一升瓶から酒を注(つ)いだのである。

その後、ピースの缶から両切りのショート・ピースを口に咥え、
洒落たライターで火を点けて、美味しそうに喫ったりしている。


私は茶碗酒を呑みながら、煙草のチェリーを取り出して、
煙草を喫ったりした。

『先生・・飛行機でこのようなこと・・
出来るなんて・・
夢のようですね・・』
と私は嬉しげにそのお方に云った。

鯵から煙が出て、窓際に大きな換気扇が幾重にも並んで折、
私はこんなことって飛行機でありえるの、
と思ったりしたのである。

『鯵・・焼き過ぎよ・・』
と私はそのお方から忠告されたりした。

『そうですよねぇ・・』
と私は云いながら、網の上に焼いていた鯵を皿に移し、
醤油を少し垂らして、食べようとしたら、
目の前に居たお方が忽然と消えたのである・・。

私は不思議な思持ちで、周囲を見まわしたりした・・。



私は昼寝から目覚めた・・。
いくらなんでも、飛行機の中で、七輪の炭火で鯵を焼くなんて、
有り得るはずがない、と思ったりした。

そして、そのお方も確か5年前の春に他界されているので、
どうしてなの、とぼんやりと私は思い返したりしたのである。

しばらくして、私は最近は鯵の干物を食べていなかったし、
何よりこのお方の遺(のこ)された随筆の数々を再読していなかったことに、
気付かされたのである。

そのお方は久世光彦〈くぜ・てるひこ〉と称せられた方で、
テレビの演出、作詞家、そして小説家と多芸な方で、
私はこの人の随筆を敬愛しながら、愛読したひとりであった。


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