夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高年収な人ほど「老後貧乏」に陥りやすい理由を学び、中小業で奮戦した私は苦笑して・・。

2016-06-30 14:46:55 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住む71歳の身であるが、
東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退し、やがて文学青年の真似事をして、敗退し、挫折した。
          
その後は、何とか大手の企業に中途入社する為に、あえて苦手な理数系であるコンピュータの専門学校に一年通った後、
1970年〈昭和45年〉の春、この当時としては大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、やがてこのレコード会社で、制作に直接かかわらない情報畑、
経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
デパート業界と同様にかげりが見え、この前後に各レコード会社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、人事配置転換による他部門の異動、出向、早期退職優遇制度により退職が行われた。

私が勤めていた会社でも、先輩、同僚、後輩の一部の人が、 第二の人生を選択し、早期退職優遇制度に申請を出され、
そして私も、まもなく出向となり、各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めた。

やがて私は何とか2004年(平成16年)秋に、出向先で定年退職時となり、
35年近くの間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えて、定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
          
このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。

このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた・・。
                               
そして60代の10年間の年金生活を過ごして、
一昨年の9月に古稀と称される70歳となり、まもなく9月の誕生日を迎えると72歳となる。
            

本日、昼下がりのひととき、ネットで愛読している『東洋経済オンライン』を読んでいる中、
【高年収な人ほど「老後貧乏」に陥りやすい理由】と見出しを見て、精読してしまった・・。

やがてサラリーマン御方が、まもなく到来する定年を迎え、セカンドライフのひとつの年金生活を思案されている方たち、
確かな指南役のひとつだ、と私は思ったりした・・。

この記事は、『東洋経済オンライン』に於いて、6月28日に配信され、
無断ながら、転載させて頂く。

《・・「老後破産」「老後貧乏」――。
近年、よくメディアで目にするこれらの言葉を見て、現役世代の人はどう思うでしょうか? 
もし、「自分は大丈夫」「なんとかなるだろう」と思っているとしたら、とても危険です。
            

☆老後の家計は、基本的に「赤字」

日本の生活保護受給世帯は、160万強。そのうち約半数を高齢者世帯が占めています。

今後も高齢者人口の増加と比例して、生活が立ち行かなくなる世帯が増え続ける可能性が高そうです。
なぜなら老後の家計は、基本的に「赤字」になるからです。

2014年度の総務省の家計調査によると、
年金暮らしの高齢夫婦無職世帯の収支は、平均で月6万1560円の不足で、年間約74万円の赤字。
この分は貯蓄で補填していることになります。

現在、貧困に苦しむ高齢者の方だって、好き好んで苦しんでいるわけではありません。
きっと「なんとかなる」と思っていたはずです。

しかし、現実はそうではなかった。
これから人口が減っていき、ますます厳しい状況が予想される現役世代は、
どうすればおカネに困らない老後を迎えることができるのでしょうか? 

『「なんとかなる」ではどうにもならない定年後のお金の教科書』の著者であり、
ファイナンシャルプランナー・公的保険アドバイザーとして多くの人におカネにまつわるアドバイスをしてきた山中伸枝氏が、
老後貧乏に陥らないためにどうすべきかを紹介します。
            

実は「老後貧乏」に陥る危険性が高いのは、いま年収がそこそこある人です。
マイホームもあって、特に節約なんてしなくても、普段の生活でおカネに困ることなんてない。

このような人は、老後の生活というものがどういうものか、
そして退職後は、誰でも収入がガクンと減ることをイメージできないのです。

退職後はみんな年金生活に入り、収入がガクンと減ります。
国が発表している標準的な夫婦の年金額は、月22万円(平成28年度新規裁定者)、年収にすると260万円程度です。
いま年収500万円であれば約半分、800万円であれば、およそ3分の1に収入が減ります。

いま年収が多い人ほど、このギャップに苦しむことになります。
人は一度上げた生活水準を下げることはなかなかできないものです。
ですから、年金収入で足りない部分は貯蓄で補うしかありません。
            

私はファイナンシャルプランナーとして、多くの人の老後の資産形成の相談を受けますが、
「老後が不安」という人は、たくさんいます。

しかし、「不安だ」と言いながらも漠然と「なんとかなる」と考えていて、
具体的な貯蓄の計画を実行している人は、ほとんどいません。

現役世代である今のうちから、老後の生活をイメージし、
計画的に老後の資金を貯めておかなければ、安心した老後生活を手に入れることはできません。

老後の資金計画を立てるうえで、まず考えなければいけないことは、次の2点です。

*老後の毎月の生活費を見積もる
*老後の定期的な収入を見積もる
            

☆老後の生活にはいくらかかるの? 

生命保険文化センターが発表した2013年度の「生活保障に関する調査」の速報値では、
いわゆる年金生活者の家計を見ると、食費などの生活費の合計が25万円程度。
旅行やレジャーなど、ゆとりある生活を送るには、35.4万円が必要であると発表しています。

よく「老後には1億円が必要」といわれることがあります。
実際にゆとりある生活を送るために必要な1カ月の生活費を35.4万円とすると、
65歳から25年間に必要な老後資金は1億0620万円となります。

仮に老後を20年間と仮定しても8496万円となりますから、
なるほど老後に1億円というのは、ウソではないことが実感できます。

しかし、これはあくまでも「よそんち」の話だということです。
実際には、60歳のときに住宅ローンがいくら残っているか、
まだ教育費がかかる年齢の子どもがいるかなど、さまざまな要素によって毎月いくら必要になるかは異なります。

大切なことは、ご自身の家計が、どうかということです。
特にいま家計簿や家計の収支が、わかるような記録をつけていないというドンブリ家計の方は要注意です。

まず、現在のおカネの出入りを確認するため、1カ月でも家計簿を続けてみましょう。
いま毎月いくらかかっているかがわかるようになれば、老後の月の生活費も予測しやすくなります。
            

実際に、ご自身の毎月の老後の生活費をシミュレーションする際には、
下記のようにカテゴリ分けしてみると、何におカネがかかっているかわかりやすいでしょう。

*食料費
*住居費
*光熱・水道費
*家具・家事用品
*被服および履物
*保健医療
*交通・通信
*教育
*教養娯楽
*交際費
*その他
*税金・社会保険料
            

☆年金はもっともリターン率が大きい投資

老後の収入源といえば、年金です。
しかし、少子高齢化が進むこれからの日本では、
「国の年金はあてにならない」という人もいますが、果たして本当にそうでしょうか? 

そもそも国の年金は、支え合いの仕組みなので、損得で語るべきことではないのですが、
それでも損得が、気になるのが人情というもの。
ちょっと日本に住むすべての人が、加入義務を負う国民年金で損得を検証してみましょう。

現在の国民年金保険料は、1万6260円です。
日本に住む20歳以上のすべての人が、負担すべき金額です
(厚生年金加入者の場合、厚生年金保険料に国民年金保険料が含まれています)。

国民年金の保険料を480カ月、まったく未納なく納付すると、老齢基礎年金満額が受給できます。
この額は、78万100円です。これが年間の受取額です。
これに対して支払う保険料の合計は、780万4800円です。相当大きな金額ですね。

支払った保険料を受け取り年金額で割ると、損益分岐点となる年数がわかります。
780万4800円÷78万100円=10.0048年。

つまり、受給開始から10年経過すると、元が取れるという計算です。
老齢基礎年金満額78万100円を65歳から受け取りはじめると75歳で支払った保険料を回収し、
それ以降は利息の受け取りとなります。

仮に、年金を90歳まで25年間受け取るとすると、受け取り総額は1950万2500円です。
これは月々1万6260円を年利6%で、35年にわたって積み立てた元利合計とほぼ同額となります。

資産運用をしたことがある人であれば、これがどれほどすごいことか理解できると思います。
厚生年金についても、ほぼ同じくらいの損益分岐点となっています。
            

老後は誰でも、年金と貯蓄の取り崩しという二段構えの生活になります。
そんな生活のなかで、貯蓄は目減りしていく一方ですが、年金は亡くなるまで毎月安定した収入となります。
やはり公的保険は、頼りになる制度だと思います。

老後の暮らしを安心なものにするためにも、まず国の制度である年金に関する知識を頭に入れてフル活用しましょう。

ところで、あなたは自分がいくら年金をもらえるのかご存知でしょうか? 
もし、知らないということであれば、すぐに自宅に届いているねんきん定期便を確認してみましょう。
脱老後貧乏は、老後の収入、つまり自分がいくら年金をもらえるのかを把握することから始まります。
            

☆年金だけでは、老後生活は乗りきれない

収入が高い人が勘違いしがちなのが、収入が高ければ、年金もたくさんもらえると勘違いしている点です。
確かに会社員であれば、収入が上がればもらえる年金額は増えていきますが、それには上限があります。

一般的な会社員が、退職後もらえる公的年金は、国民年金と厚生年金です。
国民年金は加入した年数により算出されるので、
20歳から40年間まったく未納がなかったとしてもおよそ80万円。これは誰でも一緒です。

一方、厚生年金は負担する保険料によって、年金額が増えていきます。
厚生年金の年間の年金額の算出は、下記の式で計算できます。

標準報酬月額(見込み)× 5.481 ÷ 1000 × 厚生年金加入月数
※ただし標準報酬月額の上限は62万円

たとえば、標準報酬月額30万円で30年間厚生年金に加入した(30年間の平均月収が30万円)とすると、
59万1948円が年間の厚生年金額になり、国民年金80万円と合わせて、約140万円となります。

では、仮に上限いっぱいの62万円で38年間働いたとすると、いくらになるのでしょうか? 
標準報酬月額62万円で38年間厚生年金に加入した(38年間の平均月収が62万円)とすると、
154万9588円が年間の厚生年金額になり、国民年金80万円と合わせて、約235万円となります(賞与は含まず)。

すでにお気づきだと思いますが、どんな人でも働き始めて、すぐに月収62万円ということはないでしょうから、
実質的には普通に大学を卒業して働き始めた人であれば、上記のような235万円という数字になることはなく、
必ずそれ以下になるということです。
            

年金収入は、夫と妻の2人分を合わせて考えるものだとしても、
現在の年収が500万円であれ1000万円であれ、老後の収入がガクッと落ち、
その不足分は貯蓄で補うしかないことは、誰でも同じ状況であることが理解できると思います。

ですから、まず
*老後の毎月の生活費を見積もる
*老後の定期的な収入を見積もる
この2点をしっかり押さえて、不足する老後資金を割り出し、貯蓄計画を立てる。
老後貧乏を脱するためには、まず「なんとかなる」という甘い算段を捨てて、行動を起こさなければなりません。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭であるが、
セカンドライフの生活の改めて話し合ったのは、 1999年(平成11年)の新春の当時で、私が54歳あった。

この当時は、少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤め始めた時であった・・。

こうた時に、私が定年退職を出来た後、どのような生活をしたいか、そして生活資金などを話し合った。
具体的には、私たち夫婦の第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
                     
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。
            

こうしたことを実現するためには、
各出版社から数多くの本が発売されていたので、私なりに買い求めた。

そして『定年後』~「もうひとつの人生」への案内~(岩波書店)、
『間違いだらけの定年設計』(青春出版社)、
『「定年後」設計 腹づもり ~50代から考えておきたい~』(三笠書房)などを読んだりした。

或いは雑誌としては、 『ほんとうの時代 ~50代から読む「大人の生き方誌」~』(PHP研究所)であり、
こうした本を読んだりしながら、現在の我が家の貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、そして年金の推定額も算出し、
収支概算表を年別に作表し、平均寿命までの年を総括表にしたりした。

そして、毎年の月別は、家計簿の応用で収入の項目、支出の保険、税金等を含め、
予定表も作成したりした。

この時の私は、幸いに住宅ローンを終えていたが、
私は1944年(昭和19年)9月生まれであるので、
年金の満額の支給は62歳であり、それまでの2年間は、満額のほぼ半分となるので、このことも配慮した。

そして年金が満額となった62歳からの生活の収支は、
私たち夫婦の共通趣味である国内旅行費、そして冠婚葬祭など諸経費は例外として、
原則として生活費は年金を頂く範囲として、収支の概要を作成したりした。

こうした結果、私の年齢、家内の年齢を主軸に、1998年(平成10年)から私が80歳を迎えるまで、
年次別の収支と残額を作成し、パソコンに入れて、計画、実績、差額を毎月入れたりしていた。
                                           

こうした中、不慣れな遠い勤務先の出向会社に私が奮戦している時、
出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたりした。

そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

そして経済にも疎(うと)い私が、信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。
              
          
年金生活の我が家の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうした中で私たち夫婦は、月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している。

もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は目減りは減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。
            

私たち夫婦は年金生活をして12年目となるが、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、
安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。

そして年金生活を始めて数年は、200万円前後の赤字となったりしたが、
その後は毎年は120万円前後の赤字の実態なので、予定通り貯蓄の残額は減るばかりとなっている。

こうして私たち夫婦は、経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしている。

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コメント (2)
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富裕層の「税金逃れ」を封じれば、消費増税は不要になる、と高齢者の無力な私は学び・・。

2016-06-29 18:10:28 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
昼下がりのひととき、ネットで愛読しているひとつの『ダイヤモンド・オンライン』を見ていたら、
【 富裕層の「税金逃れ」を封じれば消費増税は不要になる 】と見出しを見て、
どういうことですか、と思いながら読んだりした。

この『ダイヤモンド・オンライン』に於いては、『DOL特別レポート』があり、
著名で力量のある御方が寄稿文として掲載されているが、
今回はジャーナリストの嶋矢志郎さんであった。

私は恥ずかしながら初めての御方であったので、略歴を見たりした。

そして日本経済新聞社で論説委員兼論説副主幹された後、1994年(平成6年)から大学教授に転じ、
この間に、テレビのニュースキャスターやラジオのパーソナリティなどでもご活躍、
専門は、地球社会論、現代文明論、環境共生論、経営戦略論などで、著書・論文多数と知り、
こうした歴任している御方だったら、確かな深みのある寄稿文と思いながら、私は精読した。

そして『ダイヤモンド・オンライン』に6月29日に配信された寄稿文であり、
氏の殆ど多く国民に対する渾身の寄稿文と私は感じ深め、無断ながら寄稿文を転載させて頂く。

《・・消費増税延期騒動の陰に隠れて、あまり議論されていない「富裕層の税金逃れ」。
その是非をきちんと議論しない限り、日本の財政は立ち直れない。
            

☆広く、浅く、取り易い徴税の惰性から脱却し、「強い者に強い徴税」へ

6月冒頭、安倍首相は2017年4月に予定していた消費税率10%への引き上げを、
2019年10月へと再度延期することを決めた。

安倍首相は記者会見で「財政健全化の旗は降ろさない」と明言し、
改めて「19年10月には、必ず引き上げる」ことを強調した。

安倍首相は2年半、30ヵ月間の再々延長で、引き続き消費税増税への執念を見せている。
しかし、それよりも最優先すべき政策課題は、富裕層の野放図な「税金逃れ」の実態にメスを入れることではないか。

「税金逃れ」には厳罰をもって重税を課すなど、富裕層の「税金逃れ」を徹底的に封じて、
それを税収の新たな有力財源に育て上げていく発想の転換により、
懸案の租税負担の公正化とともに、平準化を期するための法整備を急ぐことが、先決ではないのか。
            

先に公表された「パナマ文書」で、富裕層の「税金逃れ」の呆れた実態と共に、
歴代の行政府が、中長期にわたって税金のかからない海外のタックスヘイブン(租税回避地)の大がかりな
からくりの存在を知りながら、有効な対抗策を打てずに結果として放置してきたという事実は、
この機にもう一度検証されるべきであろう。

行政府のそうした怠慢が、皮肉にも日本に発想の転換を迫り、
その緊急性を示唆しているとも言える状況だ。

増税延期に伴い、ならば代わる財源を何に求めるべきかの議論が、本来あって然るべきであったが、
その後に続いた舛添要一・前東京都知事の辞任騒動、世界の金融市場を混乱に陥れた英国のEU離脱騒動、
そして目前に迫っている参院選といった重大ニュースの陰に隠れて、素通りしてしまったかのように見える。

今回は、改めてこの点に焦点を当てて考えたい。
            

考えてみれば、これまで税務当局が、見逃してきた富裕層の「税金逃れ」封じを徹底し、
とりわけ目にあまる相続税の捕捉率の低水準を抜本的に改善し、向上策を図るだけでも、
日本の税収は一挙に、大幅に潤うはずだ。

そうすれば、消費増税はもとより中長期的には、消費税そのものが不要になる、
ということも決して夢物語ではなく、不可能ではない。

長年の懸案であった「社会保障と税の一体」改革が目指す、恒久財源の確保が期待できるだけでなく、
租税負担の不公正、悪平等に伴う深刻な格差拡大の是正にも大いに貢献できるため、
行政府は不退転の決意で直ちに取り組んでほしい。

税務当局をはじめ、行政府が中長期にわたり、
「パナマ文書」が公表したような富裕層の「税金逃れ」の呆れた実態を掌握していながら、
手を拱くだけで、ほとんど放置してきた社会的な責任は重大である。

これを機会に、行政府は国家百年の計に立って、
安易に取り易い非富裕層から広く浅く徴税する、現行の「弱い者いじめ徴税」の惰性から脱却すべきだ。

富裕層の「税金逃れ」を決して見逃さない、強い者にも強い徴税を行う体系を根本的に組み直し、
本来の所得再分配機能を取り戻せるよう、租税負担の公正化と平準化へ向けた抜本改革に、真剣に取り組んでほしい。
            

☆富裕層の税金逃れを炙り出せば 消費増税の数倍の効果が出る? 

行政府の試算によると、消費税率を8%から10%へ増税するのに伴い、
期待されている税収の増額分は、わずか5.8兆円に過ぎない。

元国税調査官の証言によると、
「海外に資産や所得を移せるレベルの富裕層の『税金逃れ』の実態は計り知れず、
行政府のやる気次第では、それを炙り出す効果は5.8兆円の数倍に及ぶ」という。

そんな宝の山を見逃がしたままで、その穴埋めをより、安易に一網打尽で捕捉できる消費税とその増税に求めることは、
「経国済民」の根幹であり、社会基盤でもある徴税体系の本来の趣旨と狙いに相反する、
反社会的な愚策であると言わざるを得ない。

国内外の経済情勢はなお不透明で、2年半となる30ヵ月先であれば、
日本が懸案のデフレを脱却し、消費税の増税を受け入れるだけの客観情勢が整ってくると思うのは、
単なる願望であり、その保証は何もない。

そんななかで近い将来、消費増税を断行する政治的な判断は、
決して「新しい判断」とは言えず、無謀な蛮勇に過ぎない。

GDP(国内総生産)の屋台骨である個人消費が、伸び悩むなかでの消費増税は、
より多くの善良な国民を委縮させ、国力を劣化させて、アベノミクスの第3の矢である成長戦略に水を差し、
足を引っ張るだけで、経済の歯車を悪循環させかねない。
            

パナマ文書によると、「海外に資産や所得を移せる」レベルの富裕層は、
税金のかからない海外のタックスヘイブン(租税回避地)を利用して「払うべき税金を払わずに、
いわゆる税金逃れ」をするだけではない。

各国の税務当局が富裕層の「税金逃れ」を未然に防ぐためとして、
富裕層に課税する税率を大幅に引き下げ、租税の負担は「税金逃れ」のできないレベルの非富裕層に押し付け、
しわ寄せを強いているという、二重、三重に不公正で悪平等な徴税実態が、同文書から明らかになってきた。

パナマ文書とは、パナマの法律事務所であるモサック・フォンセカの膨大なデータが、
南ドイツ新聞社に持ち込まれたもの。

同新聞社がデータを分析するため、ICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)に協力を呼びかけ、
世界76ヵ国、107の報道機関から約400人の新聞記者が参加して、
1年前から調査、分析を進めている秘密文書である。

日本からも共同通信と朝日新聞の記者が各1名ずつ参加して、分析作業は今も続いている。

ファイル数にして1150万件に及ぶ膨大なデータには、
過去40年間にわたる21万件のタックスヘイブンでの取引データが記録されている。

その中には、ロシアのプーチン大統領をはじめ、英国のキャメロン首相ら現役の政治家や経済人、
アスリート、芸能人など、世界中の著名人が含まれている。

アイスランドのグンロイグソン首相が辞任に追い込まれるなど、パナマ文書の公表に伴う波紋も広がっている。
            

☆パナマ文書で暴き出された合法的な「租税回避指南」の実態

そもそも、タックスヘイブンとは何か。

税金がかからないか、ほとんどかからない国や地域のことであり、一般に「租税回避地」と訳されている。
登録された口座情報などを秘匿して、他国には開示しない「秘匿性」が利用する者にとっては大きな利点になっている。
このため、法人であれ個人であれ、その区別なくタックスヘイブンに住所さえ登記すれば、
誰にも知られずに、その恩恵を享受できる仕組みである。

各国に子会社を置く多国籍企業をはじめ、ヘッジファンドなど国際金融市場で活躍する投資会社の多くは、
タックスヘイブンに本籍を置いて、法人税の節税やその回避に布石を打っている。

個人にしても今や「資産や所得を海外に移せる」レベルの富裕層は
「税金逃れ」のため、タックスヘイブンの積極的な利活用が常態化しつつある。

ただ、情報の秘匿性を悪用すれば、法人、個人を問わず、
誰もが租税回避のための資産隠しや所得隠しが、いとも簡単にできるため、
合法的に租税を回避、脱税することが可能で、乱用されないとも限らない。

その意味で、各国の税務当局としては、誠にありがた迷惑であり、
見過ごすことができない抜け穴であるため、対策に頭を痛めており、手を拱いている。

特に、タックスヘイブンが合法的な租税回避を指南し、
ほう助するコンサルティング機能を備えているため、お手上げ状態である。

当然のことながら、犯罪がらみや汚職がらみの資金、
さらにはロンダリング狙いのアングラマネーなどの逃げ場としても利活用され、
いわばダーティマネーの吹き溜まりとも言われている。
            

●世界中の富が吸い寄せられ、出口の見えない私的な「埋蔵金」へ

しかも、公表されたパナマ文書は、氷山のごく一角に過ぎない。

タックスヘイブンは、今や主な国・地域だけでもケイマン諸島、ヴァージン諸島、香港、シンガポール、ルクセンブルグなど、
国際金融市場の隅々へ浸透し、深く根を下ろしている。

そのため、世界中の大企業をはじめ、個人でも、
「資産や所得を海外に移せる」レベル以上の富裕層にとっては、
決して非合法ではなく、合法的な節税スキームとして利活用されている。

しかし、「非合法ではなく、合法的」であるからこそ、問題なのである。

企業が大きくなり、本社をタックスヘイブンに移すと、母国では税金が取れなくなるため、
それだけ母国の税収は減り、不足する。

所得や資産が増えた個人についても、タックスヘイブンにそれらを移して隠されると、母国での課税が難しくなる。
世界経済の成長と発展とともに、国際社会はどれだけの大企業や富裕層を次々と誕生させてきたか、
その数は計り知れないが、その多くがタックスヘイブンを直接的・間接的に、利活用してきたことは間違いなかろう。

本来は母国の税収を潤沢にするはずであった莫大な所得や資産の多くが
雪崩を打ってタックスヘイブンに流れ、隠されて、そのほとんどが出口の見えない私的な「埋蔵金」と化して、
迷宮入りしていく実態は看過できず、公益に反する反社会的な経済行為と言える。
            

タックスヘイブンの起源は古く、19世紀にまで遡るが、
国際社会の中で、その存在と利活用が世界各国の税収を圧迫し、世界経済に悪影響を広げ、直接の被害が表面化してから半世紀余。

IMF(国際通貨基金)によると、今や世界の銀行資産のうち半分以上が、また多国籍企業の海外投資のうち3分の1以上が、
タックスヘイブンを経由していると見られている。

IMFの2010年の発表では、南太平洋の島嶼地域におけるタックスヘイブンに限っても
約18兆ドル(当時の円換算で1944兆円)もの資金が吸い寄せられていた、と見られている。

これは、世界のGDP(国内総生産)のおよそ3分の1に相当する巨額な資金量である。

国際NGO(非政府組織)の税公正ネットワークは、全世界のタックスヘイブンには、2010年末時点で、
およそ21兆ドル(同2270兆円)から32兆ドル(同3450兆円)もの金融資産が保有されていると分析している。

さらに、欧州の大企業の99%が、タックスヘイブンに子会社を保有している、とも報告している。

米会計検査院も、アメリカの大企業の83%がタックスヘイブンに子会社を保有している、と発表している。
世界経済に、いかに多大な影響を与えていることか、想像に難くない。
            

☆海外資産保有申告者はわずか約8000人、 相続総資産に対する相続税はたった2%

パナマ文書に登場する日本の企業や富裕層の個人名は、わずか400余に過ぎないが、
これは日本の企業や富裕層の多くが、タックスヘイブンとしては、免税の面で「最強」であり、
秘匿性の面で「本丸」とされているカリブ海上のケイマン諸島を利活用しているためである。

BIS(国際決済銀行)の発表によると、2015年の時点で同諸島に投じられた日本の資金量は63兆円に及んでいるが、
これは日本の国税総収入にも匹敵する巨額な資金量であり、無視はできない。

日本には、億万長者がおよそ100万人以上はいるとされており、
5000万円以上の海外資産を保有する者には、申告する義務を負わせているが、
正直に毎年申告している者は、今のところわずかに約8000人しかいない、とされている。

仮に、100万人の億万長者が全員海外資産を保有していたとして、申告者がそのうちの約8000人なら1%以下だ。
これはあまりにも少なく、非現実的な数字である。
            

実際には、申告者のおおよそ10倍から数十倍はいるものと見られている。
しかし、これらの富裕層の海外資産には、タックスヘイブンの秘匿性の厚い壁に阻まれて、
日本の税務当局が接近し、介入できる余地はない。

このため、所得や資産を海外に移せるレベルの富裕層の99%以上が、
まともに税金を払わずに済んでおり、それができないレベルの非富裕層に租税の負担が押し付けられ、
しわ寄せが起きているのが現実である。

日本の徴税体系が長い間、国際的な大がかりなからくりに絡め取られ、
ほとんど野放し状態で続いてきていることの方が不思議ではないか。
            

相続税逃れが、その典型例である。

パナマ文書で明かされた安全保障会社セコムの創業者・飯田亮最高顧問とその親族をはじめ、
5年前にマスコミを賑わせた消費者金融の武富士の創業者・武井保雄元会長夫妻などは、
タックスヘイブンを利活用して、相続税などの「税金逃れ」に成功した億万長者の事例である。

武富士に至っては、当時の贈与に関する「海外の財産は、海外在住の人に贈与する場合は贈与税がかからない」
という特例の抜け道を利活用して、無税ですり抜けた強者である。

長男へ贈与した株式の時価総額は、推定2600億円。
普通に贈与していれば、1300億円の贈与税を支払わなければならないところを無税で済まされては、
税務当局としても無念であったに違いない。
            

タックスヘイブンによる相続税逃れが、いかに急増しているか。
その実態はおおよそ把握できていないが、相続税の税収が全く伸びず、
年間で総額1兆円がやっとのペースで低迷しているとは驚きである。

日本には現在、およそ1700兆円に及ぶ個人資産があり、少子高齢化の下で、相続は引きも切らずに続いているにもかかわらず、だ。

全国の相続資産に対する相続税の割合は、わずか2%に過ぎず、98%はそのまま相続した遺族の手に渡ることになる。
その主因がタックスヘイブンにあることは、言うまでもない。
            

☆「焼石に水」では意味がないOECDの制裁ルール導入は奏功するか? 

OECD(経済協力開発機構)が、国際的な「税金逃れ」を防ぐため、
悪質なタックスヘイブンに対する制裁を検討することになったが、これは一歩前進とはいえ、
どこまで国際的な連携体制を組めるか、課題は多い。

タックスヘイブンに開いた口座などの情報提供に、非協力的な国や地域を「悪質」と認定するルールを構築して、
各国が制裁措置を発動できる体制を整えることが狙いで、差し当たり20ヵ国・地域が対象になる見込みである。

OECDでは、悪質かどうかを判断するため、複数の基準を設ける予定である。
1つには、各国の税務当局が富裕層らの口座情報を年に1回ずつ自動的に交換する国際ルールを構築し、
2017年から運用・実施するが、これに参加しない場合は悪質と認定する。

2つには、海外の税務当局から特定の講座情報の提供を要請された際、非協力的な場合も悪質と認定する。
これは、税の透明性を審査する国際組織の評価基準を満たせるかどうかで判断する。
2015年の評価では、パナマをはじめミクロネシア連邦、インドネシアなどが悪質とされている。
            

事業実態のないペーパーカンパニーの取り扱いも、焦点の1つであるが、
当初は実質的な所有者の情報開示は努力義務にするなど、個人情報の保護に配慮しながら開示方法を検討し、
数年後には制裁基準に含める予定である。

すでに欧州には、富裕層がタックスヘイブンに資産や所得を移しても、母国並みの税金を課すなど、
未然の防止策で独自の制裁を設定している国・地域もあるが、
これらの取り組みも国際連携を強化して、効果を上げていく必要がある。

OECDでは、6月30日から京都で開催する租税委員会で、悪質行為を認定するルールづくりの協議に入る。
7月には中国・成都で開催するG20(20ヵ国・地域財務相・中央銀行総裁会議)でも採りあげ、
さしあたり日米欧や中国など40を超える国・地域で、タックスヘイブンのブラックリストの共有を目指すとしている。

果たして、効果のほどはどうか。
これらの取り組みを「焼け石に水」で終わらせてはならない。

日本国民は、消費増税延期騒動の陰に隠れてしまった富裕層の「税金逃れ」封じの是非を、
国を挙げて議論していかなければならない。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は以前に国税庁が富裕層に対して徴税強化の状況【 富裕層vs国税庁、激化する徴税いたちごっこ 】などを
昨年の2015年10月中旬に読み、多々教示されて、学んだりしてきた。

今回、《・・すでに欧州には、富裕層がタックスヘイブンに資産や所得を移しても、母国並みの税金を課すなど、
未然の防止策で独自の制裁を設定している国・地域もあるが、
これらの取り組みも国際連携を強化して、効果を上げていく必要がある・・》

そして《・・7月には中国・成都で開催するG20(20ヵ国・地域財務相・中央銀行総裁会議)でも採りあげ、
さしあたり日米欧や中国など40を超える国・地域で、タックスヘイブンのブラックリストの共有を目指すとしている。・・》
            

参院選後、政府が最優先課題として、個人消費全体は低迷し、確実に法人税、所得税、消費税も増加が期待できない現在、
財務省が先陣となって、具体的に富裕層に対して徴税強化が、殆ど国民が期待される先見事項と思え、
無力な私が無視されたならば、政権に対して失望が増し、総理大臣は交代ょ、と願うだろう。

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恥ずかしい「おなら」、我慢しても大丈夫なのか、専門医より学び、老ボーイの私は独り微笑み・・。

2016-06-28 16:04:39 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の老ボーイの身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

私は恥ずかしながら時折「おなら」をするタイプであり、
40年前に私は家内と結婚して以来、ときおり私は室内でも「おなら」をしたりする時がある。

こうした時、たまたま付近に家内がいた時は、
『いやねぇ・・部屋が臭くなるわょ・・「おなら」はトイレでしてねぇ・・』
と私は家内から苦言されたりしてきた・・。

私が11年半前に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めると、
私たち夫婦は共に室内で過ごすことが多くなった。

こうした年金生活の当初のある日、家内が「おなら」をしたらしく、
『あたし・・最近、便秘気味なので・・「おなら」をしたので、窓を開けるわょ』
と家内は付近にいた私に、言ったりした。

『そぉ・・だけど「おなら」を我慢すると、内臓によくないから・・遠慮なく・・』
と私は微笑みながら家内に言ったりした。

昨今、私は相変わらず、ときおり室内で「おなら」をしている。

家内も私が近くにいた時、週に一度ぐらい「おなら」をしている。
『失礼いたしまして・・』
と家内は照れながら私に言ったりしている。

『XXちゃんの「おなら」なんて・・僕に比べれば可愛いもんだょ・・』
と私は笑いながら家内に言ったりしている。

このように「おなら」にも我が家としては、秘めたることがある。
            

小雨が降り続く本日の昼下がり、私はネットでニュースを見たりしている中で、
偶然に【 恥ずかしい「おなら」、我慢しても大丈夫なのか専門医に聞いてみた! 】
と題された見出しを見たりした・・。

そして私は「おなら」に関しては、習性のように長年に於いて過ごしてきたので、
専門医より学びたく、お勉強ねぇ、と思いながら読み始めた・・。

そして驚いたことには、この提供したサイト元が『OurAge 』と公式サイトであり、
私は苦笑してしまった。

もとより『OurAge 』公式サイトは、《・・集英社の雑誌MyAgeのオンラインメディア、「OurAge」のサイトです。
OurAgeは、女性の美と健康を応援します。》と記載され、麗(うるわ)しき女性の向けであったが、
老ボーイの私でも、 恥ずかしながらも、「おなら」のテーマだったので、こっそりと読んでしまった。
                       
この記事は、【OurAge】に於いて、 6月28日に配信された記事のひとつであり、
無断ながら転載させて頂く。
            

《・・恥ずかしい「おなら」、我慢しても大丈夫なのか専門医に聞いてみた!

自分の意思とは関係なく、突然したくなる「おなら」。
周りに人がいるときなどは、もし音が出たり、ニオイがしたりしては、まわりにバレてしまう・・と、
全意識を集中させて「おなら」を我慢するという人も多いのではないだろうか? 

しかし、果たして「おなら」は、我慢してもいいものなのだろうか? 
便秘外来では、のべ15万人以上の便秘患者を治療しているという「小林メディカルクリニック東京」の小林暁子院長に聞いてみた。

Qおならって我慢してもいいの?

「周囲が気になっておならを我慢している人、少なくないようです。
誰もがするものなので、本来は我慢せずに、自由に出すべきです。

我慢するとガスで、お腹が張って痛みが出たり、腸だけでなく、胆嚢や膵臓などを圧迫することも。
また、ガスをためたままにすると、腸内環境が悪化してしまう恐れも有ります」

悪化すれば、よりおならが発生しやすくなるという負のスパイラルに陥ってしまうという。
「さらに、我慢すると口臭や体臭まで、おなら臭くなることもあります。
我慢せずに、トイレなどで、適度に出すことが大事です」
            

Qおならの悩みは、どこに相談したらいいですか?

「誰しもおならは出るので、あまり気にする必要はありません。
以前よりも量が増えた、においが明らかに臭くなったという場合は、まずはおならを減らす生活改善をしましょう。

食物繊維、乳酸菌、発酵食品などで、腸内環境を整える。
肉食中心の食事は、おならの量を増やします。
ほかに大根、ブロッコリー、アスパラなども独特のにおいを出す場合があります。

それでも改善できないとか、おならの回数が多くて、外出するのが怖いなどの生活に支障が出る場合は、
内科や胃腸科、便秘外来などに相談するといいでしょう。

腸内環境のトラブルだけでなく、膵臓や胆嚢などにトラブルを抱えている場合もあるので、
『たかがおなら』と甘く考えるのは危険です」・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は「おなら」に関しては、漠然としながらも、我慢すると、内臓によくないから・・と思ったりしてきたが、
今回、専門医より確かな学び、そうでしたか、と微笑んだりした。

そして私は家内に迅速に伝えたいが、無念ながら家内は、独り住まいの家内の母宅に3泊4日で、
介護で行って、孤軍奮闘している。

こうした私が独りぼっちの『おひとりさま』の時は、家内から私に電話連絡が毎晩あるが、
本日の私たち夫婦のお互いの連絡事項のひとつとして、私が学んだ「おなら」に関して・・と思ったりしたが、
まさか電話口で「おなら」の話題は・・と思いながら、やがて数日後に家内が帰宅してから、と思い独り微笑んだりしている。

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「森のバター」と称せられるアボカド、実は種にも豊富な栄養、と買物メール老ボーイの私は学び・・。

2016-06-27 17:50:41 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

今朝、私は家内と共に朝食を頂ただいている時、たまたまテレビで天気情報を視聴していた・・。
朝の6時は22度、昼下がりは29度前後、夕暮れの6時は26度前後、
昨日に続き、本日も梅雨の間の快晴に恵まれ、洗濯日和です、と報じていた。

やがて9時過ぎに、家内は、新聞に添付されているスーパーのチラシを見たりし、
そして赤のサインペンで丸印を付けたりした。

まもなくして、この赤丸が我が家の本日の必須の購入品とし、
あとは私が店頭の商品で魅了された品を買い求めてくるのが、我が家の鉄則となっている。

この後、家内からスーパーのチラシを私に手渡し、
『本日は・・これだけ・・それからアボカドがありましたら、お願い・・』
と家内は私に言ったりした。

私は定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、
平素の買物は私が専任となり、家内から依頼された品を求めて、
独りでスーパー、専門店に行く買物メール老ボーイとなっている。

我が家の家内は、今の季節はバナナとトマト、キュウリが日々の必須品であるが、
ここ数年、アボカドが果物コーナーにあった時は、買い求めてくるように、
ときおり私は家内から言われたりしている。

私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
果物は余り食べないし、もとよりアボカドなどは、婦女子の食物と思っている。
            

やがて昼下がりのひととき、ネットでニュースを見ようとパソコンを立ち上げたりした。
そして私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】に設定しているが、
まもなく『雑誌』コーナーを見たりしていた。

こうした中で、
【 ブーム到来! アボカドが主役の新メニュー 実は種にも豊富な栄養 】と題された見出しを見て、
どういうことなの、と何かと好奇心旺盛な私は、こっそりと読んでしまった。

私が見た公式サイトは、【NIKKEI STYLE】であり、何かとアボカドは無知であり、
この記事を添付させて頂く。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160627-00010000-nikkeisty-hlth&pos=3
☆【YAHOO! JAPAN】==>『雑誌』==>
【NIKKEI STYLE】==>6月27日『ブーム到来!アボカドが主役の新メニュー 実は種にも豊富な栄養』☆

このようなカラフルなアボカドについて紹介を読んだりして、
美味しそうだ、と私は思いながらも、やはり女性の食物だ、と老ボーイの私は微苦笑したりした。

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老化の“3大要因”と“老けない体”のつくり方、老ボーイの私は学び、やがて微苦笑して・・。

2016-06-26 16:57:32 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、自動車もない稀(まれ)な家となっている。

我が家は平素の日々の買物は、私が定年後に年金生活を始めて以来、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

本日は梅雨の間の快晴に恵まれて、陽射しが燦々と照らす30度ちかい暑さの中、
たまたま最寄にあるスーパーに向かったが、園児のように斜め掛けしている紳士バックから、
扇子(せんす)を取り出して、 扇(あお)ぎながら歩いたりした。

やがてスーパーで買い物をした後、レジ袋を両手に提げて、帰宅した後、
この時節は汗まみれになった私は、洗面所で顔を洗ったり、着替えたりした。

この後、私は独りで近くに流れている野川の両岸にある遊歩道を歩いたりした。
            

やがて帰宅後、昼食を家内と共に頂いた後、愛読しているネットの『プレジデント』を見ている中、
【老化の“3大要因”と“老けない体”のつくり方】と見出しを見て、
どういうことなょ、と思いながら精読してしまった・・。

この記事は、川口昌人さんが日本抗加齢学会理事され、満尾クリニック院長の満尾 正さんにインタビューされ、
まとめられた記事であり、6月12日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・老後のさまざまな生活設計も、すべては健康であってこそ。
そして、働き盛りのあなたの体の中でも、すでに老化現象は始まっている。
最新の科学的知見に基づいた、今日から始めるアンチエイジング習慣。
            

☆今から努力すれば、老化の進行は止められる

長生きするのもいいけれど、できればお迎えがくる直前まで、元気に活動できる体でいたいもの。

介護を受けたり寝たきりになったりせずに、日常生活を送れる年月のことを、「健康寿命」と呼ぶ。
厚生労働省の2013年の統計によれば、日本人の健康寿命は男性が71.19歳、女性が74.21歳。
平均寿命との差は、それぞれ9.02年と12.4年ある。

具体的にどうすれば、長く元気に生活できるのか。
そもそも、老いという現象を自分でコントロールできるのか。

できる、というのは、日本におけるアンチエイジング医療の草分け、満尾正医師だ。

「老化そのものは、実は20代から始まっています。
そのなかには老眼や薄毛など、努力では止めにくい現象もありますが、
ちょっとした注意や努力で進行を抑制できる部分も大きいんです」。

「40代から60代までの間に体を整え、70代以降はそのおつりで生きていくことを目指しましょう」と言うのは、
日本抗加齢医学会の正会員でもある管理栄養士の堀知佐子氏。

健康運動指導士の菅野隆氏は、
「運動や歩行に問題が出る年齢より前に、筋力トレーニングを習慣化しておくことが必要です」と助言する。

この3人の専門家に、健康寿命を延ばす方法を尋ねてみた。

まずは、満尾正医師に、老化の大きな要因と対策を聞いた。
            

☆老化のしくみを理解し、生活を見直せば 「老けない体」をつくることは可能

健康寿命を損なう病気には、心臓病、脳血管障害、糖尿病、骨粗しょう症など、さまざまなものがあります。
とくに糖尿病は、他の生活習慣病やガン、認知症の発症リスクも高める怖い病気です。

こうした病気の多くは、加齢に伴う身体の「老化」が原因で起きてきます。

老化の進行要因は、以下の3つです。

(1)活性酸素による酸化
人体は外部から取り込んだ糖質や脂質を酸素と反応させ、エネルギーを取り出しています。
このとき発生する活性酸素が、細胞を構成する脂質などを傷つけ、「体のさび」が徐々に進行します。
活性酸素を無害化する酵素も、加齢とともに減少します。

(2)タンパク質の糖化
生きるために必要なエネルギー源である糖が、体を構成する主成分であるタンパク質を変化させます。
その結果、細胞や酵素などの働きが悪くなり、体の機能低下につながります。

(3)ホルモン分泌の変化
若さを保ち、免疫力を維持するDHEA、筋肉量や筋力の維持に関わる男性ホルモン(女性の体内にもあります)、
睡眠に関係するホルモン(メラトニン、セロトニン)の分泌が、ストレスが原因で下がり気味になり、
さまざまな不具合が生じます。
            

とはいえ、これらの現象は、日ごろの生活習慣を見直すことで、かなり進行を遅らせることができます。

たとえば、活性酸素による酸化は、抗酸化物質や、SODの材料となるタンパク質や亜鉛を含む食材を意識してとること、
喫煙や暴飲暴食、激しすぎる運動を避けることなどで、抑制できます。

糖化の予防には、糖質の多い食材を控えめにすること、
タレを付けて焼いた肉の焦げ目など糖とタンパク質が高温で結びついてできるAGEs(最終糖化産物)の摂取を控えること、
体の満腹サインを受け取れるようゆっくり食事すること、の3点を心がけてください。

ホルモンレベルの維持には、質のいい睡眠の確保が重要です。
人の脳や体は、眠っている間にホルモンの力で、メンテナンスされるしくみになっているからです。

どんなに遅くとも夜12時前、できれば11時前には床につくことが望ましいです。
ストレス対策は暴飲暴食ではなく、軽い運動で。
DHEAはサプリメントで補充することも検討してください。

働き盛り世代の老化信号は、体重に出ます。最近急に体重が増えた方は、とくに注意してください。
BMIが25を超えると、糖尿病をはじめとする生活習慣病のリスクが大きく高まります。

※BMI=ボディマス指数。体重(kg)を身長(m)の2乗で割ったもの。
            

☆知っておきたい老化の3大要因およびその対策

老化のメカニズムが科学的に解明されるにつれ、それを抑制する方法も明らかに。
止められない現象とあきらめず、日々の注意と努力の積み重ねで健康寿命を延ばそう! 

[1]活性酸素による酸化
体内でエネルギーをつくるときに発生する活性酸素が、細胞を傷つける。

対策:食事の改善。喫煙や暴飲暴食など、体内の活性酸素を増やす習慣を改める。

[2]タンパク質の糖化
体内のタンパク質が糖によって変化し、細胞や酵素などの働きが悪くなる。

対策:糖質をとりすぎない。早食いは避ける。AGEsの摂取を控える。

[3]ホルモン分泌の変化
ストレスが原因で、「若返りホルモン」DHEAや男性ホルモンなどの分泌が減る。

対策:ストレスを極力避ける。できれば11時前には寝る。睡眠時間は7時間がベスト。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私が年金生活の当初から、買物メール老ボーイの責務を終えた後、
その後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
            

こうしたの私の容姿は、この時節は制服のような定番の服装として、
夏用のストレッチパンズの長ズボン、スポーツシャツの半そで、ウォーキング・シューズとなり、
夏用の帽子を深めにかぶり、紳士用の小物入れのショルダー式バックを斜め掛けをしている。

こうした中で、殆どコンバクト・デジカメをネクタイのように首回りから下げて、颯爽と歩いている。
そして歩いている中で瞬時に魅了された情景を、一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

こうした中で、ひたすら歩く根底のひとつには、何よりも認知症になることが恐れているひとりである。
                         

私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
                          
或いは雑木の多い小庭に古ぼけたの家に住みながら、
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりしていた。

この間、私は中小業の民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
           
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
                                                
                                 
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
            
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。

こうして私は年金生活を11年半を過ごしてきた中で、
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
            
                      
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事がセカンドライフ健康体の三種の神器として思い、過ごしている。

私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せず、今日を迎えているが、
健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、と私は思い馳せたりしたりして、
ここ3年幾たびか私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。

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改めて私のブログ、投稿文は平素の外出着、コメントは心の普段着、と思い深めて・・。

2016-06-25 16:02:40 | ささやかな古稀からの思い
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。

そしてネットの世界は、殆ど無知な癖に、ホームページの開設を思案したりしていた。
自身のこれからの日々の思い、或いは過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文で綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
                        

ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれのお方が自由に私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、
雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露でき、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。
                      

そして2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。

しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
       
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸11年半が過ぎて、早や12年生となったりしている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                      
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
            

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
         
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。    
                                                                 
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは3年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。

こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは12年生となっている。
          
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
                      

こうして私はブログの投稿文を重ねている中、専門知識のなく疎(うと)い身ながら、
ときおり心の節度が欠けた政治、外交、軍事、経済、社会の出来事に対して、綴ったりしてきた。
しかしながら、一時的な感情だけで吐露(とろ)し、後で後悔することが多かったりしてきた。

その上、心の奥に感じてきた危険な事柄は、心の節度として抑止してきた。
たとえば、
◎XX党は、うわべの平和を念仏のように発言し、平和ボケであり、国家の主権さえも欠落している。
◎XX党は、財源の悪化を無視してまでも、福祉だけを最優先とする政策を掲げ、日本の衰退を招く悪質な党である。
◎社会を震撼させる卑劣な悪質な犯行する方は、たとえ法治国家の日本であっても、即時に絞首刑にしなさい、

このようなことを私が記載すれば、もとより私の人格が疑われてしまい、
感情と理性の間を往還しながら、ためらい平坦な発言の投稿文となってしまうことが多かった。
                                                       

しかしながら私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しては、余すところなく表現してきた、
誰しも光と影があるので、ためらいながらもマイナスと称される影も私は描写してきた。

たとえば
◎母は生まれてまもなく里子にだされて、やがて私たち兄妹の母親となった。
◎私の小学生の前半に、父や祖父が病死し、残された母や私たち兄妹は、貧乏な生活を一時期を体験したこと。
◎或いは、亡き母が40代の時代は、私たち兄妹の五人が何とか世間並みの生活にする為に、
 ラブホテルのような連れ込み旅館を経営し、仲居さん2名の支援を受けながら睡眠時間を削りながら奮闘し、
 私たち五人の子供は成人したこと。
◎又は次兄は自営業で、経済破綻して、自殺と称せられる毒物を飲み自裁して、亡くなったこと。
          
◎そして私自身の場合は、幼児の頃からいじけたことが多く、小・中学生は通信簿『2』と『3』の多い劣等生であった。
◎大学を中退して映画・文學青年の真似事をして、純文学新人賞に3回応募したが落選し、やがて敗退したこと。
◎或いは定年の五年前にリストラ烈風の中、無念ながら出向となり、定年時を出向先で迎えたこと。

こうした出来事のことは、小心者の私としては匿名であることで、初めて発露できたことであり、
心のわだかまりを吐露しなければ、私としては一歩先でも進めない時もあったりした。
                                            

このような心のうめごきをリアルな現実の日常生活では、
たとえ私が言葉にしても、対人の受け止めることに困り果てることもある、と感じたりした。

小説、随筆などは、あくまで間接のワンクションとして読者は受け止めることができ、
ブログの匿名で公開する内容も、間接的な意味合いからして同じかしら、と思ったりしている。
   
私の綴ってきたことは、まぎれなく私の知る限り真実を発露してきたので、
リアルな現実でお逢いするのは、私の心の裸身を見られたようで恥ずかしく、
文字通り、夢の世界でお逢いしたいですね、と思いながら発信名を『夢逢人』と命名したりした。
                       

しかしながら私は、どうしても表現できないこともあったのは事実である。
このことは私の人格さえも問題視されることで、感情と理性の間を往還しながら、
ためらいながらも結果としては、綴れなかったことがある。

たとえば、皇室の問題であり、もとより天皇陛下、皇后陛下は限りなく敬愛しているが、
肝要の皇太子殿下、妃殿下のご夫妻の言動に、戸惑いながら憂いを重ねたりしてきた。

或いは私の勤めた音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めてきた中で、秘めたる事柄は、
守秘義務もないが、退職後の12年生となった今でも、心の礼節として綴れない。

そして格差の問題は歴然として、この世の中に各分野に露呈している現実があるが、
特に生活保護の難題は、綴れないのである。
                       
                               
このような思いで描写してきたが、もとよりブログはこの広い世の中に公表することであり、
1(私)対N(多くのお方)と思い、少しは抑制した表現としている。

こうしたことは私の日常生活の中で、買物とか散策する外出の時は、少しは身なりを整えるのと同様に、
私のブログの投稿文は、平素の外出着かしら、と思ったりしている。
      
しかしながら都心に買物や懇親会などの出かける時は、多くの方に恥ずかしくないように、
程ほどの衣服を整えて出かけるが、
このように準じたお洒落でうわべの事柄は、つたない半生を歩んできた私は、
少し背伸びした投稿文を私は書くことができない。

そして素直な心に準じた身の丈に合った投稿文を重ねることが圧倒的に多い・・。
                      
                   
              
コメントに関しての私の場合は、その御方との個人的に心情で、
1(私)対1(相手の御方)のささやかな心の交流と思いながら、
私は本心を発露して綴り、相手の御方の返信にも本心が見え隠れし、微笑んだり、苦笑したりする。

まるで我が家の中で、リラックスした普段着のような感じなので、
コメントは、心の普段着かしら、と感じたりしている。
                                        
或いはそれぞれの御方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、私の投稿文をこのように解釈されたのかしら微苦笑したりし、
返信を認(したた)めたりしている。

こうした中で望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない数名の方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。
                       

そして私は毎日のように数多くの御方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、とご教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々ご教示を受けている。

そしてこうした中で、感きわまってコメントをしたりする時もある。

このように私は、多くの御方がブログのコメントを活用しているのは、
それぞれの御方の秘めたる心の発露の交流かしら、と感じたりしている。

このように私は、ブログの投稿文を重ねて12年生となっている。

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森永卓郎氏 2016年度の日本経済は再びマイナス成長へ、高齢者の私は溜息し、やがて・・。

2016-06-24 14:10:38 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅の地域に住む年金生活の71歳の身であるが、
昼食後、ネットでニュースを見ていたら、
【 森永卓郎氏 2016年度の日本経済は再びマイナス成長へ 】と見出しを見て、
何かと経済にも疎(うと)い私は、学びたく精読した。

やがて経済アナリストの森永卓郎さんの寄稿文は、小学生から高齢者まで解りやすく解説され、
微苦笑しながら読んだりしたが、読み終わった後は少しボケた私でも、溜息したりした。

この記事は、【マネーポストWEB】で6月23日に配信された記事のひとつであり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・2015年度のGDP成長率(1次速報値)はプラス0.8%と、2年連続のマイナス成長はどうにか免れた。
しかし、2016年度は、再びマイナス成長に陥る可能性があるという。
いったいどういうことなのか、経済アナリスト・森永卓郎氏が解説する。
            

今春闘の賃上げ率は、自動車や電機など主要製造業の労働組合で構成する金属労協の回答状況を見ると、
昨年は平均2200円だった賃上げ額が、1100円に半減しています。
史上最高益となったトヨタ自動車でさえも、ベースアップ額が昨年の4000円から1500円へ大幅減となりました。

安倍晋三総理の要請に従って、各社が大幅賃上げに走った昨年の「官製春闘」の趣は、
今年は、ほとんど見られないのが現状です。

賃上げ額が昨年を大きく下回る中、年金はどうなっているのでしょう。

昨年度は0.9%引き上げられた受給額は、昨年度の勤労者の名目手取り賃金変動率が、
前年比マイナス0.2%となったことを主要因に、物価・賃金によるスライドが行なわれず、
昨年度と同額に据え置かれることとなりました。

勤労者の賃金上昇率が、半減することに加えて、年金額もまったく増えない。
その一方で、物価だけは、今後間違いなく上がりそうです。
            

これまでは、日銀の金融緩和による物価押し上げ効果を原油価格の下落が全部相殺し、
物価は上がっていませんでした。
だが、原油価格は、どうやら底を打ったと思われます。

原油価格下落の一因として、米オバマ大統領がロシアにダメージを与える目的で、
生産コストが1バレル=40ドルかかる米国のシェールオイル(頁岩油)を30ドルの価格で、
海外に輸出していたことがあります。

だが、米国といえども赤字販売を無期限に続けることは、さすがに無理だったのか、原油価格も上昇に転じています。
当面は、大きく下落することはないと思われます。

そうなれば、日銀の金融緩和の物価押し上げ効果が、現実に発揮されることになるので、
物価は年後半から上がっていくでしょう。

賃金も年金も増えない中で、物価が上がれば、国民の実質所得はマイナスになることが明白です。
実質所得がマイナスという状況下では、GDPの6割を占める個人消費が、落ち込むのは確実。

したがって、GDP成長率がプラスになることなどあり得ないので、
2016年度は再びマイナス成長に転落することが、現実味を増したと考えられます。・・》
            

世界経済が低迷している今日、日本の企業は個人消費は上昇状況にならず、慎重に設備投資となり、
剰余金は膨らむ中で、超高齢化社会に於いて社会保障は確実に増加している。

私は消費税率10%への引き上げを2019年10月へ延期した後、
読売新聞で読んだ記事が、切り抜きしている。

《・・政府は消費増税で見込まれる4・4兆円の税収増のうち、1・2兆~1・3兆円を社会保障の充実に使う予定だったが、
増税の先送りで、できなくなった。

代わりの財源として政府が期待するのは、アベノミクスで増えた税収だ。
第2次安倍内閣発足前と比べて、税収は国・地方あわせて21兆円増えた。

安倍首相は1日の記者会見で、「(税収増という)果実も使って可能な限り社会保障を充実させる。
優先順位をつけながら今後の予算編成の中で最大限努力をしていく」と述べた。

その上で、秋に打ち出す大型の経済対策に、待機児童の解消や介護人材の育成に向けた政策を盛り込む方針を示した。

ただ、景気頼みの危うさは、ぬぐえない。
デフレ脱却を優先して、増税延期に踏み切ったものの、
中長期的には、消費税を財源に社会保障を支える「社会保障・税一体改革」は堅持していく必要がある。・・》
            

法人税、所得税、消費税も増加が、確実に期待できない現在、どうしたらよいの、と何かと単細胞の私は思案したりした・・。

やむなく裕福層の方達に、『富裕税』を新設するのも、ひとつの財源増加策かしら、と思ったりした。

たとえば個人で不動産資産で宅地を150坪以上(訂正・固定資産税評価額の土地・家屋の合計額、1億円以上)、
或いは預貯金、株時価など1億円以上の金融資産を保有する方は、
時価数パーセントを『富裕税』として、所得税と同様な形式で支払う。

そして国に貢献して下さった代償として、表彰状と共に、勲一等に準ずる勲章を、時の総理大臣名を明記して、
授与させる・・。

このようなことを私は夢想したりしている。

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辞任断固拒否の舛添氏が「陥落」した本当の理由を学び、都民のひとりの私は苦笑して・・。

2016-06-23 15:39:21 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅の地域に住む年金生活の71歳の身であるが、
過ぎし16日に於いて、このサイト【舛添都知事の辞職、都民のひとりとして安堵し、やがて新知事に相応(ふさわ)しい人を妄想して・・。】
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/d91b9b8da55a84c6147bf581681d794b
と題して、投稿した。

こうした中で私は、
《・・過ぎし13日、舛添都知事は、都議会総務委員会の集中審議で、最後に発言を求めた。

「不信任案が可決されれば、辞職か都議会解散の選択を迫られ、選挙になる。
リオデジャネイロ五輪・パラリンピックの時に重なり、2020年東京大会に極めてマイナスだ」。
不信任案提出をリオ大会後まで、猶予してほしいとの懇願したニュースを私は読み、引き延しかょ、憂いたりした。

こうした中で、地方の自民県連にも、舛添氏の問題が参院選に及ぼす影響を懸念する声が出始めていて、
やがて都議会の自民党も、辞職やむなしとの結論に至った、と報じられていた。

そして深夜に知事室で都議会自民党の重鎮、内田茂・都連幹事長を含め、舛添氏と「最後」の会談をして、
やがて舛添都知事は辞職を決意した、と報じられているが、
私はどのような交換条件があったかしら、と妄想を重ねたが、無念ながら力量がなく記載できない。・・》

こうした《・・どのような交換条件があったかしら・・》と私は今でも心の片隅に残っている。
            

たまたま愛読している『ダイヤモンド・オンライン』を昼下がりに、見たりしている中で、
【辞任断固拒否の舛添氏が「陥落」した本当の理由】と題された記事があり、
私は読み、やがて本当の理由を教示させられて、そして苦笑させられたりした。

星野陽平さんが記載された記事であり、無断であるが転載させて頂く。

《・・「政治とカネ」をめぐる数々のスキャンダルにまみれながら、なかなか辞意を表明せず、
粘りに粘っていた舛添要一氏が、6月21日付で遂に辞職した。

辞任の意思を決めてからの舛添氏は、辞職会見を開くこともなく、
報道陣への問いかけにも終始、無言を貫いた。

どうして会見で「第三者の厳しい目」と繰り返し、辞任を否定していた舛添氏が、一転して辞任に傾いたのか。
舛添辞任劇の真相とは? 
            

☆「舛添問題を早く片付けてほしい」 安倍総理を震え上がらせた世論調査結果

「なぜ、舛添さんは謝罪をせず、黙ったままで都庁を去るのか。
それは、自分が悪いとまったく思っていないからです。

今回の一連の騒動では、舛添さんの公私混同ぶりが散々、批判されましたが、
確かに政治資金規正法は、政治資金の使い方が公私混同であったとしても違法にはならず、
金の支出について、記録が正しければ合法になるんです。

舛添さんは理屈の人なので、『違法ではないのだから辞める必要はない』と考え、頑なになっていました。
ところが、一転して辞任することに決めたのは、“情”の部分が大きいのです」

こう語るのは、舛添氏をめぐる騒動について、問題の核心をレポートしてきたジャーナリストの鈴木哲夫氏である。

まず、舛添氏が辞任に至るまでの過程について、鈴木氏の解説でおさらいしておこう。

「もともと豪華過ぎる海外視察旅行が問題とされていた舛添さんですが、
今回の騒動の直接の発端は、5月11日発売の『週刊文春』で、
家族旅行で使った千葉県のホテルの宿泊代を、政治資金として計上していた問題が報じられたことです。

報道は過熱し、都知事辞任の可能性も話題になりましたが、
一旦は、舛添さんと自民党東京都議団の間で、留任する方向で話がまとまっていました」

ではなぜ、それが一転して辞任ということになってしまったのだろうか?
            

自民党が舛添擁護から、大きく舵を切ったのには、キッカケがあった。

「報道が過熱するなか、都議会自民党は一貫して、舛添さんを擁護し続けていたのですが、
じつはそれを許さない数字が世論調査で、出てしまったようなんです。

6月4~5日にかけて自民党が、参院選に向けた定点観測の世論調査を実施しています。
結果は、普通は数日後に出ているはずなのですが、取材をしても恐ろしいくらいに、その数字が表に出てこないんです」

なぜ、世論調査の結果は、出てこないのだろうか。
それは、自民党にとって表にできないほど、厳しい数字だったということだろう。

自民党による舛添下ろしは、ここから始まったのだ。

「数字を把握しているのは、官邸と自民党本部の一部だけでしょう。
内閣支持率など、かなり厳しいものだったと推測されます。
その大きな原因とみなされたのが、舛添問題でした」
            

舛添氏は、2014年に東京都知事選挙に無所属で立候補したが、
その際、自民党は推薦という形で、舛添氏を応援している。

つまり舛添都知事を誕生させた責任の一端は、自民党にもあるとみなされ、
舛添氏のスキャンダルに引きずられる格好で、自民党の支持率が急降下していたのだ。

「しかも自民党への批判は、東京だけにとどまらず、全国に波及していたのです。
連日のメディアの攻勢もあって、官邸はピリピリし始め、
『このまま舛添を放っておくと、参院選が厳しい』という雰囲気が支配的となってきた。

安倍首相と谷垣幹事長が、東京選出の国会議員で安倍さんの側近である下村博文さんに
『舛添問題を早く片付けてほしい』と伝えたそうです」

ところが、当事者である舛添氏は、6月10日の定例記者会見で
「(辞職したら)死んでも、死にきれない。何としても仕事をしたい」
と発言し、知事職にとどまる意志を表明していた。

「この日は、私も都庁で取材しましたが、舛添さんは全然元気で『これは辞めないな』という感触を得ました。

この会見が行われたのは、金曜日でしたが、
土日の間に下村さんが『野党が提出した不信任案でも、世間が舛添に『NO』と言っている以上、
われわれは乗らざるを得ない』と、不信任案に賛成する可能性を示唆しました」

下村氏は、次の自民党都連会長と言われる東京自民党の実力者だ。
しかも、下村氏のバックには、安倍首相がいるわけだから、その発言は重い。
            

☆「もうかばいきれない」 舛添氏の“味方”が引導を渡した

そして翌週の月曜日の13日、東京都議会の総務委員会で舛添問題の集中審議が開催された。

この日、舛添氏は、共産党が14日に提出する方針の知事不信任案について
「可決されると(8~9月の)リオデジャネイロ五輪・パラリンピックの最中に、選挙を行わなければならない。
(終わるまで)猶予をいただきたい」と発言している。

官邸の「舛添切り」の意向は、舛添氏には、伝わらなかったのだろうか? 

「13日の集中審議の段階で、舛添さん自身は辞めないでも済む、と思っていたようです。

というのも、舛添さんは、その前に『東京自民党都議団のドン』と呼ばれ、
都政に大きな影響力のある東京都議の内田茂さんから、
『まだ辞めるのは早いです。しばらく様子を見ましょう』と言われていたんです。

内田さんも官邸が『舛添を切れ』と言っているのは、当然知っていますから、
頭の中でも『切らざるを得ないなあ』とは、分かっていたはずですが、なかなか方向転換ができないでいたわけです」


舛添氏があっさり自分の非を認めていたら、もっと早い段階で辞任ということになっていただろうが、
舛添氏は、徹底抗戦の構えを崩していなかった。
            

「舛添さんの政治資金の使い方は、違法だと断定できるものではありません。
理屈で言えば、舛添さんは辞めなくても、いいかもしれない。

それに加えて、意地もあります。

舛添さんが政治の世界に入ったのは、1999年東京都知事選挙が最初で、この時は石原慎太郎氏に惨敗しました。
そして、2001年に自民党候補として参院選に当選し、国会議員となったものの、
2010年に自民党を離党し、新党改革を旗揚げし、しかし、それもうまくゆかず、今度は都知事になった。

そういう流れの中で、舛添さんにとっての都知事の職というのは、
自民党中央に対するリベンジであり、東京オリンピックまでは、この地位を絶対明け渡さない、
という強い意思があったわけです」
            

だが、世論は、舛添バッシングで盛り上がる一方。
自民党は、「このままでは、参院選で惨敗する」と追い詰められていった。

その空気を舛添氏の後ろ盾だった内田氏も感じ取り、「舛添さんをかばいきれない」と観念したのだ。

「ただし、追い詰められた舛添さんは、ますます態度を硬化させ、
『不信任決議案が提出されたら、都議会を解散する』と周辺には、語っていました」

自民党や公明党を含む7つの会派は、15日に開かれる本会議に、共同で不信任決議案を提出し、
採決することを決定。

舛添氏と都議会の全面対決も浮上していた14日、異変が起きた。
            

「まず、舛添さんは、議会運営委員会に出向き、10分ほど話をして、
リオ・オリンピックに出席して、次期開催都市として閉会式で五輪旗を受け取れるよう要請しているのですが、
その中で『子どもを守るためには、すぐにでも辞めたい』と述べて嗚咽し、ハンカチで涙を拭ったそうです。

話によれば、舛添さんの子どもに取材のトラブルがあり、そのことで奥さんと口論になったようです。
それから、舛添さんは知事室に戻り、『伝わらないんだよな』と漏らしてがっくりと肩を落としたそうです。

議会解散も辞さないと言って強気一辺倒だった舛添さんが、ここで弱気になってしまったんですね。
そして、その日の夜から15日の朝にかけて、内田さんと話をしたそうです」

内田氏とのこのやり取りが、決定打となり、舛添氏は辞任を決めたのだという。
一体、どんな内容だったのか? 
            

「私が関係者から聞いているのは、内田さんは『これまで舛添さんを守ってきたのは、俺だけだったよな。
リオ・オリンピックまで頑張ってみようと言ってきたよな。
でも、もうかばいきれなくなってきた。

俺に不信任案を出させるのか。今度は舛添さんが、俺に返す番じゃないのか』というような話をしたそうです。
そして、この話を聞いた舛添さんは、声を詰まらせ、『内田さんともっと早く話をしていれば、よかったです』と言ったそうです」

そうして、6月15日午前、舛添氏は辞職願を都議会の川井重勇議長に提出した。


一部報道によると、安倍首相が舛添氏に電話をして直接、引導を渡したという情報もあるが、
舛添氏は、この報道を否定している。

「舛添さんは、内田さんとの人間関係の中で、辞任という結論を出したのです。
そもそも、舛添さんは第1次安倍政権時代に自民党議員でありながら、安倍政権を批判していましたから、
この2人の関係は最悪です。
安倍さんが説得して、舛添さんが納得するはずがありません」

舛添氏は、東大法学部出身で学者を経て、政治家に転身したエリートだ。
一連の騒動で、世間からの批判にさらされ続けた状況は、耐えられないものがあっただろう。

本人の主張では、政治資金の問題は合法であり、その“理屈”で歯を食いしばってきたが、
最後の最後で、辞任を決意したのは“情”だった。
今も昔も政治の世界を突き動かしているのは、最後はこの論理のようだ。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は舛添さんの都知事を辞任されるまで過程で、最初に知ったのは、やはり5月11日発売の『週刊文春』で、
問題視されて、この後、毎週のように神奈川・湯河原町の別荘への公用車通っていたを新聞で知り、
私は動顛させられたりした。

もとより都知事は聳え立つ都庁で、約13,574千人の都民をあずかる東京都の執行最高責任者として、
そして都の約16万5千人の職員の最高責任者として、都民の安全も責務とされる。

こうした中で、『別荘にいる時に首都直下地震が起きたらどうするんだ』という記者からの質問に対して、
『全く問題ありません。奥多摩よりも、おそらく早く帰ってこられる。
少なくとも時間・距離的に言うと、早いです。湯河原の方が・・』と舛添さんは答弁された、と私は新聞で読んだりした。

舛添さんは、世田谷区にご自宅があると知り、少なくとも都知事の在任中は、湯河原の別荘には自制するのが、
本来の職責であると私は思い、これ以来、無力ながら都民のひとりとして、一寸の虫にも五分の魂、という思いで、
このサイトに幾たびか、舛添さんは都知事を辞任してほしい目的で、投稿してきた。
            

舛添さんは確かに学力、力量も優れた御方であるが、殆どの都民の心情も解らない御方であった、
と私は苦笑したりしている。

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夫が突然死んだ場合に、すぐにでも行うべき5つの重要な手続き、改めて71歳の私は学び・・。

2016-06-22 16:00:39 | 時事【社会】
私は東京の調布市の片隅の地域に住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を尊重して過ごしている。

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始め、早や年金生活は12年生となっている。

そして家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
                            

こうした中で、私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは定年後の62歳で、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
何よりも思いがけないことは、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
                                 
私たち夫婦は幸運に大病もせず生活をしてきたが、
不幸にも知人の病死、大病で入退院している友人を思い重ねれば、涙を浮かべたりしてきた。

そして漠然としながらも、いつの日にか私たち夫婦は、片割れとなり、残された方は『おひとりさま』となるが、
果たして・・と年に数回は思案したりしている。
                            

私はお通夜、告別式は幾たびも参列してきたが、まだらに少し覚えてきた程度であり、
ときおりネットから葬儀に関することを含めた知識を学んできたが、
到来される事柄を順序だてては、あやふやになり、頼りにならない男でもある。

こうした中、昨年の晩秋に本屋に寄った時、「身内が亡くなったときの届出と相続手続き」と題された背文字を見て、
手に取りパラパラと見たりした・・。
               

本の帯には、《 いつまでに 何を どこに 届け出ればいい? 》と大きく明示されていた。
そして帯の内面には、《あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ・・。
                  ゆっくりと故人を偲んでいる間もなく、
             遺族には、やらなければならないことが
                     たくさんあります。》と明記されていた。

私は立ち読みしながら、身内が亡くなった時に関して、届出、手続き、遺言書、遺産分割協議、保険証の返却、
クレジットカードの解約などの届出・手続きが、漏れがないようにできる108の事柄がチェックリスト付きで、
掲載されていたので、いつの日にか私たち夫婦が残された方は、確かな教科書になると思い、買い求めたりした。

この本は、編集著作は相続手続きセンターで、発行は日本実業出版社、2015年9月10日に発刊され、
税別1400円と記載されていた。

そして私は精読した後、やがて齢を重ねた為か、忘れてしまっているのが実態となっている。
               

本日、昼食後にネットでニュースを彷徨(さまよ)っている中、
【 夫が突然死んだ場合に、すぐにでも行うべき5つの重要な手続き 】と題された見出しを見て、
改めて学ぼうと思い、クリックして読んだりした・・。

この記事の原文は『女性セブン』の2014年11月27日号に掲載された記事のひとつであり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・夫が突然死んだ場合、葬儀のことをまずは考えなくてはいけないが、
葬儀のあとは、法要を進めながら、亡き夫の身の回りの整理をしていくことに。
とりわけ夫が死んだあと、すぐにでも行うべき重要な手続きは、この5点だ。
               

1.世帯主変更届
住民登録をしている市区町村役場に届け出る。14日以内の届け出が義務。本人確認書類・印鑑を持参すること。


2.公共料金などの名義・口座変更
電気、ガス、水道、電話など各契約会社に提出。
というのも、夫の口座は死後、凍結され、引き落としができなくなるから。

3.年金・保険金の届け出
社会保険事務所、または自治体の国民年金課に届け出る。手続きをしないと、遺族年金が受け取れない。


4.葬祭費の申請
加入している健康保険の窓口に申請。3万~7万円程度給付。2年以内に請求しないと時効になる。

5.クレジットカードなどの解約
カード会社に解約を申請する。そうしないと年・月会費がずっと引き落としになる。


ここで関係する書類が見つからない、契約先が、わからないなどのトラブルが生じるケースも多い。
特に、遺族年金や保険の手続きは、収入に直結するだけに、見つからない事態は避けたいもの。
               

ファイナンシャルプランナーの豊田眞弓さんは、こうした手続きに必要な各種書類の所在を、
生前に明確にしておくことが重要と話す。

「市販のエンディングノートなどを使い、引き継ぎノートをつくっておきましょう。

控えておくべき内容は、『所有している預貯金口座』『各口座の自動引き落とし内容、およびその契約先』『持っているクレジットカード』
『加入している保険』『年金・健康保険の番号』など。

それぞれ収納場所も明記しておくことも忘れずに」(豊田さん)

各種名義変更などは、問い合わせ先やサポートセンターの一覧を引き継ぎノートにメモしておけば、
手の空いた時間に、順にかけていくだけですむ。
ときどき見直し、追加・変更になったものは随時更新を。
               

他にも必要な手続きをあと3つ紹介する。

死亡届は死後7日以内に。なお、このとき提出する死亡診断書(医師に書いてもらうもの)は、
保険などの請求に必要になることが多いので、1部はコピーをとって手元においておく。

もう一つは、免許証や保険証は、該当機関に返却する。

そして治療費や入院費が多額(概ね8万円以上)だった場合は、
加入する健康保険の高額療養費制度を利用すれば、払いすぎた分を取り戻せる。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
               

我が家は家庭用の金庫がなく、やむなく最寄の銀行にある貸金庫を年2万円(税抜き)で利用している。
そして重要と思われる証書などを保管している。

こうした中、貸金庫に証書、銀行通帳など出し入れする時は、私たち夫婦はどちらかがボケてしまうことを恐れ、
共に銀行に行き、貸金庫の中身をお互いに確認している。
               

そして今回、改めて学んだことは、《・・電気、ガス、水道、電話など各契約会社に提出・・》であった。

或いは《・・エンディングノートなどを使い、引き継ぎノート・・》であるが、
私は過ぎし2012年(平成24年)初夏に、『葬儀 相続 エンディングノート』(ダイヤモンド社、780円)を買い求めたが、
少しばかり記載して放置状態となっている。

いつの日にか、人生の旅路が終わりとなるので、私は少しづつ私は記載し、
家内に伝言したりして、お互い共通認識にしなければ、と改めて今回の記事より教示されたりしている。


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幸せは「脳の使い方」で決まる!今すぐ実践したい6つの習慣、老ボーイの私は学びながら苦笑して・・。

2016-06-21 15:54:12 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

世の中は夫65歳以上、妻は60歳以上の夫婦のみの無職世帯は、
高齢夫婦無職世帯と称しているが、我が家も同じだよなぁ、と私は漠然としながらも心の片隅にあるが、
私たち夫婦は息子、娘がいなく、もとより孫もいないので、実感が乏しいが本音である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
                 
我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、我が家から遠い地で独り住まいをしている。

そして家内の母は自身の身の周りは出来ても、長女の家内は季節の変わるたびに、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、ここ11年の恒例のようになっていた。

そして昨年の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内と家内の妹は交互に、家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。
            

たまたま本日の早朝、家内は独り住まいの家内の母宅に、3泊4日で介護に行く日であったので、
私は平素より2時間半ばかり早く、4時少し前に起床した。
やがて私たち夫婦は朝食後、まもなく玄関の軒下に降り立った。

そして6時少し前、私は門扉の近い道路に降り立って、
『お義母(かあ)さんに、よろしく・・』
と私は家内に言った後、家内を見送くったりした・・。

こうした関係で、ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。
            

やがて10時過ぎ、小雨が降り続いているので、いつもの散策を中止して、
ネットでニュースを見たりしている中で、
【幸せは「脳の使い方」で決まる!今すぐ実践したい6つの習慣】と題された見出しを見て、
どういうことなょ、と好奇心に負けて、こっそりと読んでしまった・・。

この記事は『PHPファミリー』より6月20日に配信され、
原文は月刊誌『くらしラク~る』8月号の一部であり、
脳科学者として著名な茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)さんが教示された記事で、
無断ながら大半を転載させて頂く。

《・・幸せは「脳の使い方」で決まる!
            

☆習慣1:「マインドフルネス」で心を整える

「マインドフルネス」とは、「今、ここ」に注意を向け、自分が感じていることを
そのまま受け入れる心のトレーニングのことです。

1日15分、目を閉じて、ただひたすら自分の呼吸にだけ集中します。
無心になるのではなく、今、目の前で起きていることだけ(=呼吸)に集中するのです。

瞑想をしなくても、日常生活の中でもできます。
「今、ここ」に集中できる脳になると、常に落ち着いて世の中を眺められるようになり、心は平穏で満たされた状態になります。
            

☆習慣2:モノより、経験にお金を使う

生活していけるだけのお金があれば、それ以上収入が増えても、幸福度は上がらないという現象は、
経済学者のイースタリンにちなんで「イースタリン・パラドックス」と呼ばれています。

ここでいっているのは、お金を追い求めても、必ずしも幸せになれるわけではないということです。
ただ、お金は安全基地になります。ある程度貯金があれば、それを安全基地にしていろいろなことに挑戦できます。

例えば英会話教室に通ったり、スポーツクラブで汗を流したり、仲間とお酒を楽しんだり。
このように経験のために、お金を使う「生きたお金の使い方」をすると、脳が喜びを感じます。

いっぽうで、モノを買い集めて部屋に飾っておくためだけに、お金を使うのはおすすめできません。
なぜなら、経験につながらないからです。
ただし、気に入った服を買うことで、積極的になれるならいいと思います。
            

☆習慣3:雑談を楽しめる人になる

人が幸せを感じるための絶対条件というものは存在しない、ということが研究でわかっています。

つまり結婚していてもそうでなくても、子どもがいてもいなくても、
お金持ちでも貧乏でも、幸福度とは関係がないのです。

ただひとつ幸福と関係があるのが、「周囲の人たちとの絆」。
その絆を結ぶときに大事なのが、雑談です。

つい「雑談って面倒くさい」と思ってしまうかもしれませんが、
雑談を楽しむことができないと幸福からはどんどん遠ざかってしまいます。
そして雑談を楽しむには、自分がしゃべらなければと身構えるのではなく、まずは相手の話を聞くことが大切です。
            

☆習慣4:「運動」で、幸せとアンチエイジングを手に入れる!

僕は走ることを習慣にしています。
ところで、厚労省によると週に2回以上、1年以上継続的に運動を続けている人は、3人に1人ほどだそうです。
逆にいうと、3人に2人は運動をしていないんですね。

最近の研究では、運動がアンチエイジングに関わっていることが、わかってきています。
例えば、アルツハイマー型の認知症では、β-アミロイドというタンパク質が脳に蓄積されることで脳萎縮が起こります。
ところが、運動をして体の代謝を上げると、脳の中に溜まっていたβ-アミロイドが分解されるのです。

このように、運動で体と脳を若々しく保つことが、健康と幸福につながるというわけなんです。
また、頭をからっぽにしてウォーキングをしていると
「デフォルト・モード・ネットワーク」という脳の活動が活性化して、脳の中が整理され、ストレス解消になることがわかっています。
            

☆習慣5:朝起きたら、家の外に出てみる

毎朝、目覚まし時計を使って無理やり起きるよりも、
自然に目覚めた方が幸せな気持ちで一日を始められるはず。
そこで気持ち良く幸せに目覚められる方法を紹介したいと思います。

脳の仕組みからいうと、太陽が昇ったら活動を開始させ、沈んだら徐々に活動量を落としていくというのが理想的です。

したがって早起きするには前の晩、夜更かししないことが肝心。
約一・五時間ごとにノンレム睡眠から、レム睡眠に切り替わる睡眠サイクルを利用して、
眠りの浅いレム睡眠のときに目覚めるように睡眠時間を調整しましょう。

朝起きたら、外に出て朝日を浴びると、脳のスイッチが入ってすっきりと目覚めることができます。
僕の場合は、家から徒歩三分のコンビニまで買い物に行きます。
これは「早起きをすると嬉しいことがある」という報酬を用意しておくことで、起きられるようにするための工夫なのです。
            

☆習慣6:家事を「文化」ととらえ、カリスマ主婦を目指す!

掃除、洗濯、料理と家事をするときに「つまんないことやっているな」と思ってしまうと、
家事は本当につまらないものになってしまいます。

今、あなたにとって家事は「必要だから、仕方なくやること」かもしれませんが、
工夫次第でいくらでも、華やかで楽しいものに変えることができます。

料理研究家の栗原はるみさんや片づけコンサルタントの近藤麻理恵さんのように
家事を文化としてとらえて楽しんでいる人は、たくさんいます。

今の時代はブログやSNSを使って情報発信できるので、誰にでもカリスマ主婦への道は開かれているのです。

また脳の使い方からいうと、家事をしているときに、
段取りや計画、時間を調整することなどを考えていると、前頭葉が活性化します。
脳にとっては、小さなことの積み重ねは、嬉しいことなので、じつは家事は、幸福になる一番のきっかけなのかもしれません。
            

☆「できない自分」も受け入れてみよう

幸福とは、ものの見方だといえます。
全く同じ生活をしている人でも、幸福になるものの見方をしている人は、幸福になり、
逆であれば不幸になります。

ものの見方の中でも一番やっかいなのが、自分への評価でしょう。
不幸な人は自己評価が低く、幸福な人は自己評価が高いのです。

人は「幸せになるためには、これが必要」という「要求基準」を持っていますが、
その基準と「今の自分」が、かけ離れている人ほどストレスが強いことが研究からわかっています。

要求基準があまりにも高すぎると、努力していても「今の努力は、未来にはつながらないのではないか」と思ったり、
少しでも休むと「こんな楽なことをしていたら、ダメになる」と、自己評価を低く見積もってしまいがちです。

これでは努力していても、焦るばかりでろくな結果を生みません。

いっぽうで自己評価の高い人は、自分が置かれている状況を受け入れることができます。
例えば、「ネイティブ並みに話すことを目指して英語を勉強しているのに、なかなかスムーズに会話ができない」というケースを考えてみましょう。
このときに、「たどたどしくても自分の気持ちを英語で伝えることができている」と楽しめていれば、語学力は飛躍的に伸びていくのです。

私たちは誰もが、今置かれている現状を劇的に変えることはできません。
だとしたら、幸福につながるようなものの見方をした方が、いいとは思いませんか?・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は定年退職するまで苦楽の激しい人生航路を歩んできた為か、読みながら苦笑することが多かった・・。

そして何かとプラス思考の私は、百円玉でも表と裏があるように、自身の見方を少し変えれば、誰しも幸せと感じる、
と思い、微苦笑したりした。

詳細は過ぎし18日に於いて、
『老ボーイの私、いつものように歩きながら、青い鳥は我が心にある、と微笑ながら・・。』
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/0daab662286f2bc82ae2147ec2a99b0e
と題して投稿しているので、お時間のある御方はお読み頂き、ご笑話下さい。

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40歳を超えたら、運動は「8000歩/20分」のウォーキングで十分、と私は学び微苦笑して・・。

2016-06-20 16:01:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの我が家となっている。

昨夜、夕食を頂いた後、やがて茶坊主の私は家内用のコーヒーを淹れて、
居間の食卓テーブルの片隅に置いた。

『明日、駅前の歯医者さんに行く日ですから・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。

『XXちゃんさぁ・・解っていますょ・・確か予約は11時と記憶していますょ』
と私は笑いながら応(おう)じたりした。
 
家内は幾たびか歯の治療を自宅周辺の歯科医院に受けたりしてきたが、
私は妹から、9年前の頃に小田急線の『喜多見』駅前の歯科医院が良いみたい、と聞いたりしたので、
これ以来、私の歯の老化を含めて、この『喜多見』駅前の歯科医院で私たち夫婦は、治療を受けたりしてきた・・。

そして利便性のある路線バスを利用すれば、我が家より10分前後で到着するが、
最短距離として野川の遊歩道を歩けば、20分前後を歩けば到着するし、
何よりもこの遊歩道の片側は、細長い小公園が帯のように続き、四季折々の情景が見られるので、
私たち夫婦はこのコースを愛用してきた。

難点といえば平日などは、人影も少ない時があるので、
家内が出かける時は、私がボディガード、お供として、共に歩いたりしてきた。
            

今朝、10時過ぎに我が家を出て、曇り空の中、私たちは遊歩道を歩き、
過ぎ去った私たち共通の苦い思いで、或いは家内の母の介護のこぼれ話・・とりとめなく語り合ったりした。
                          
やがて駅前の近くで、家内は歯科医院、私は付近を散策となり、
合流はいつものように駅前の片隅にあるコーヒーショップの『ドトール』とした。

そして私は再び野川の両岸にある遊歩道、そして付近に隣接した小公園を歩き廻り、
魅せられた情景をテジカメで撮り、記憶のかたみ、としたりした。

やがて私は一時間ぐらい歩き廻り、家内と合流の駅前の近い『ドトール』に向かって歩いた。

こうして歩いている中、一週間前の頃に、ネットで読んだ記事を思い浮かべて、独り微苦笑してしまった・・。
            

【 40歳を超えたら、運動は「8,000歩/20分」のウォーキングで十分 】と題された記事で、
原文は『THE21』2016年7月号の記事のひとつであり、
『THE21 Online』に於いて2016年6月9日に公開して下さった記事であり、
無断ながら大半を転載させて頂く。
《・・
☆速すぎ、歩きすぎは、かえって健康を害することも!?

運動が苦手な人でも始めやすく、健康効果が高いとされるウォーキング。
「たくさん歩くほど良い」と思っている人も多いが、実は、歩きすぎは、かえって逆効果になることも!?

6月10日に発売された『THE21』7月号では、
本当に健康に良い「正しいウォーキング」の実践法を、第一人者である青栁幸利氏に教えていただいた。
            

☆40代はジョギングから、ウォーキングへの切り替え期

健康維持の方法として、ウォーキングは定番となりつつあります。
しかし、40代くらいだと「ウォーキングは高齢者向けで、
自分たちはもっと運動量が多いジョギングなどをすべきだ」と考えている人も多いようです。

しかし、40代こそ、そろそろジョギングから、ウォーキングへの切り替えを考えたほうが、良い時期です。

年齢を重ねると血管の修復力が低下し、激しい運動をしている最中に、
動脈硬化を起こして突然死するケースが増えるからです。

また、ハードなトレーニングを続けると、免疫力が低下して、病気になりやすくなります。
さらに見逃せないのが、関節への負担です。

年齢とともに、自然と関節がすり減るうえに、激しい運動でさらに負荷をかけると、
近い将来、膝や腰を痛めることになります。

そうなれば、ウォーキングさえできなくなり、身体を動かす機会が減って、
一気に体力が衰えるリスクがあります。
            

ウォーキングにしても、「歩けば歩くほど、健康になれる」と信じている人がいますが、それは大間違い。

よく「1日1万歩を目指しなさい」と言われますが、歩数だけにこだわっても意味はありません。

私は15年間にわたり、5,000人を対象に1日24時間、365日の生活行動を追跡調査した、
通称「中之条研究」を行ないました。

その結果、健康を保つには「1日の歩数」と「中強度の運動量」の二つを組み合わせて考えることが
必要だとわかったのです。

運動には「強度」があります。
これは、簡単に言えば「骨や筋肉に、どれくらいの刺激があるか」ということ。

「中強度の運動」に当たるウォーキングとは、「なんとか会話ができる程度の速歩き」です。
鼻歌を歌いながら、のんびり歩けるくらいだと遅すぎるし、ゼイゼイ息が切れるほどだと、速すぎるということです。


これを踏まえて、最も健康効果が高いウォーキングの方法は、どのようなものか。
それは、「1日の歩数は8,000歩。そのうちの20分は、中強度の歩行をする」というものです。
この「8,000歩/20分」のバランスこそ、ウォーキングの黄金律なのです。

(略)「歩数」と「中強度の活動時間」が増えるにつれて、予防できる病気の種類が増えることがわかります。

「8,000歩/20分」を続けたグループは、うつ病、認知症、心臓病、脳卒中、がん、動脈硬化、骨粗鬆症になる確率が低く、
高血圧、糖尿病の発症率が、これより運動量の少ない人と比べると、圧倒的に低くなります。
ほとんど「万病予防」と言っていいほどの健康効果が証明されたのです。

ただし、メタボの人に限っては、「1万歩/30分」の運動が有効です。
メタボ解消以外の効果は、「8,000歩/20分」も「1万歩/30分」も変わらないことが明らかになっていますから、
とくに肥満対策の必要がない人は「8,000歩/20分」を実践すれば十分です。
            

☆「ながらウォーキング」を日々の生活に取り入れよう

(略)実は、1日に8,000歩を歩いている人の多くは、とくに意識しなくても、
普通に生活を送っているだけで、1年365日の平均を取ると、中強度の運動を1日20分しています。
自然と速歩きになったり、階段を昇ったりしているからです。これも中之条研究でわかったことです。

ただ、家事中心の生活をしていると、家の中でよく歩いてはいるけれども、中強度の運動は、不足していることがあります。
農家の人でも、歩数は多くても、中強度の運動が不足していることが多い。
身体を大きく動かす機会が少ない職種の人は、運動の強度を意識するべきでしょう。

(略)「8,000歩/20分」をクリアしていたら、それ以上ウォーキングをする必要はありません。
現状の生活習慣を維持すれば、健康を保つことができます。

(略)さらに大事なのは、毎日必ず「8,000歩/20分」を達成しようと思わないこと。
「今日はデスクワークが多かったので、6,000歩しか歩けなかった」という日があれば、
他の日に多めに歩いて、カバーすればいいのです。

1日で達成できなくても、1週間や1カ月で帳尻が合えば良いですし、
最終的には1年365日の平均が「8,000歩/20分」になればいい。
そう考えることが、長く続けるための秘訣です。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職後、
多々の理由で年金生活を始め、早や12年生となっている。

平素の私の午前中は、年金生活を始めて以来、 平素の買物は自主的に専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、独りで殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。

我が家は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。

或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

このような処で、私の生家も近く私は結婚前後の5年を除き、66年近くこの地に住んでいる。
            

いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
                                
そして帰宅後も、再び独りで自宅から3キロ以内の住宅街、遊歩道、公園をひたすら歩き廻ったりした。

こうしたことは年金生活が丸11年半過ぎ、早や12年生になっているが、
国内旅行、冠婚葬祭、都心に買物、天候の悪化がない限り、私の午前中の定例行事ようになっている。
                                      

私は歩数計も所有していないが、一時間ばかり歩いたりすることが多く、
ときには都立・神代植物園に行ったりすると、少なくとも3時間は歩き廻ったりしているので、
平均すると日平均は10,000歩ぐらいと思ったりしている。

しかしながら歩くスピードは、土曜日などで50歳前後の男性がウォーキングされていても、私の方が殆ど速いが、
大半はデジカメをネクタイのように首廻りから前に降ろして、颯爽と歩いている中、
魅了された情景に、一期一会ねぇ、と足を止めて撮ったりしているので、
一週間前に学んだ「8000歩/20分」には、落第生かしら、と微苦笑したりしている。

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麻生財務相の「90歳、いつまで生きているつもりか」短絡的な発言、高齢者の私は微苦笑して・・。

2016-06-19 16:42:39 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
本日の8時半過ぎから小庭の手入れを始めた・・。

快晴に恵まれたが、燦々と照らす中、少し熱いじゃない、と何かと熱さに苦手な私は苦笑したりした。
少し樹木の枝葉を剪定した後、草むしりをしたりした。

こうした中で、樹の下の周囲にある雑草を取ろうと、地面に這いつくばりながら奮戦すると、
やがて泥まみれ汗まみれとなり、苦笑したりした。

そして体力の衰えた私は、ときおりテラスに於いてある簡易椅子に座り、
冷たい煎茶を飲みながら休憩したりした。

こうしていた時、昨夜、ネットで偶然に読んだひとつの記事が思いだされた・・。

【 「90歳、いつまで生きているつもりか」 麻生氏、小樽の自民・総決起大会で 】と題された記事で、
『北海道新聞』が6月18日(土)7時30分配信に配信された記事であり、
私は麻生副総理兼財務相は、高齢者の大半の心情も解らず、相変わらず短絡的な発言されたなぁ、と微苦笑してしまった・・。

そして麻生太郎さんは、幼少期から経済的に恵まれた裕福な御方で、《お金》に苦労したことのないお坊ちゃんだねぇ、
と苦笑したりした。無断であるが転載させて頂く。
            

《・・【小樽】麻生太郎副総理兼財務相は17日、参院選に向けて自民党道4区支部が小樽市内で開いた総決起大会で、
「90歳になって老後が心配、と訳の分からないことを言っている人が、テレビに出ていた。

いつまで生きているつもりかと思いながら見ていた」と述べた。
高齢者の気持ちを逆なでしかねない発言で、波紋を広げる可能性がある。

麻生氏は、国内には1700兆円を超える個人金融資産があるのに、
個人消費が伸びない経済の現状を指摘する中で発言した。
「あったら使わなきゃ意味がない。何に使うか決めてもらいたい」とも述べた。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

過ぎし2014年4月1日に消費税率が8%に上がって2年を少し過ぎた昨今は、
全般的には個人消費は低迷している。

もとより世の中は、身の回りの商品は値上がりし、消費者の節約志向が続いているし、
こうした根底には、家計の収入全体は増加傾向だが、手取り収入は、社会保険料などの負担増でさほど伸びていないこともある、
と私は新聞などで学んできた。

そして安倍内閣の経済政策「アベノミクス」のカギを握る個人消費の伸び悩みが最大の難関で、
麻生太郎副総理兼財務相の重責の立場からして、苛立ちは私でも理解できる。

しかしながら国民からすれば、「アベノミクス」で収入は増えたが、税・社会保険料負担も重くなった実感である。
            2012年・・>2015年  差 額
収       入  519000   526000  7000
税・社会保険料負担93000    98000  5000
手 取 り 収 入  425000   427000  2000
            *サラリーマン世帯、月平均額、総務省の家計調査より

そして消費増税後、確かな影響を受けて、個人消費は低迷している、
具体的には個人消費は2014年4~6月期(8%増税直後)は、305.8兆円、
直近の2015年10~12月期は、304.4兆円となり、結果的には1.4兆円減、
と私は学んだりしてきた。
            
或いは国税庁による「民間給与実態統計調査」に寄れば、
1人あたりの年間平均給与は、継続的に下がり続け、
平成16年には438.8万円だったのが、平成26年には415.0万円と知ったりした。

ここ10数年は、民間会社は短期に成果が問われる時代の中、常時リストラともいわれたりして過酷な時代になり、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。
                        

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている。

こうした中で、厚生年金は減ることがあっても増えることはなく、やむなく苦笑をしたりしてきた。

ここ数年、2013年には、10月分から年金の大幅カットが始まり、
年金受給額は2014年10月に1%、2015年にさらに1%引き下げられ、
この間、夫婦2人の平均モデルで少なくとも年間7万800円もの減額になる要旨が報じられ、
私は勘弁してょ、と苦笑を重ねてきた・・。

国民年金
【老齢基礎年金(満期):一人分】
平成27年度(月額)65、008円==>平成28年度(月額)65、008円

厚生年金
【夫婦2人分の老齢基礎年金を含む標準的な年金額】
平成27年度(月額)221、507円==>平成28年度(月額)221、504円

このよう過日、新聞で明記されていたので、年金支給額は据え置きと知り、微苦笑をしたりしてきた。

そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも、
私たち高齢者の大半は享受してしている。
                                    

日本は長寿化社会であり、まもなく2025年になれば、団塊世代が75歳以上の後期高齢者となり、
後期高齢者は約2200万人と、日本の人口の18%に達すると推計されている。

もとより医療、食物、健康意識向上などで長寿化社会を迎えられたが、
長寿化社会で一番戸惑っているのは、高齢者ご自身は、いつまで生きられるのかしら、と私は思ったりしている。

老後の預貯金を取り崩しながら、高齢者の大半は過ごされている中、
これからの介護などを思案し、過ごされている、と私は思ったりしている。

高齢者が個人消費を弛(ゆる)む時は、それぞれの趣味ごと、お孫さんへの出費などと思われるが、
やはり社会保障制度の年金、医療、介護などに不安があり、やむなく節約志向となっている、
と私は思ったりしている。

そして一部の御方は、不幸にして生活保護を受給され、
65歳以上の高齢者を中心とする世帯が、過ぎし3月時点で過去最多の82万6656世帯となり、
初めて受給世帯の半数を超え50・8%となった、と厚生労働省の公表で私は学んだりしてきた、

或いは高齢化が進む中、低年金や無年金で老後を迎え、
身寄りもなく生活保護に頼る高齢者の貧困の深刻化が鮮明になった、と新聞で報じられてきた。

このように高齢者の大半の心情を思い馳せたりした・・。
            

麻生太郎副総理兼財務相の重責の立場からして、
個人消費を活性になれば、やがては民間会社が剰余金を取り崩して設備投資し、
日本経済は好循環となり、躍進する・・願いは理解できるが、
高齢者の大半からすれば、これからの不安があり、やむなく節約志向が続く、と私は微苦笑したりしている。

そして個人消費が伸びるには、民間会社の基本給などのアップ率が物価率より大きく上廻った時で、
働いて下さる方が高揚して買物して下さり、そして日本経済は好循環となり、
やがて高齢者は年金などで横ばいになる時かしら、と思い願ったりしている。

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老ボーイの私、いつものように歩きながら、青い鳥は我が心にある、と微笑ながら・・。

2016-06-18 15:54:44 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、自動車もない稀(まれ)な家となっている。

我が家は平素の日々の買物は、私が定年後に年金生活を始めて以来、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

本日はたまたま最寄にあるスーパーに向かったが、陽射しが燦々と照らす30度ちかい暑さで、
何かと暑さに苦手な私は、園児のように斜め掛けしている紳士バックから、扇子(せんす)を取り出して、
扇(あお)ぎながら歩いたりした。

やがてスーパーで買い物をした後、レジ袋を両手に提げて、帰宅した後、
この時節は汗まみれになった私は、洗面所で顔を洗ったり、着替えたりした。

この後、私は独りで近くに流れている野川の両岸にある遊歩道を歩いたりした。

このような午前中の過ごし方を定例事項のように過ごしてきた・・。
例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に4回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、定年後の11年半を過ごしてきた。
            

私は民間会社の中小業に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、
長年サラリーマン生活を過ごす中、障害レースのように幾たびかリストラに遭遇して、
何とか乗り越え定年退職を迎えことが出来るまで、何かと卑屈と劣等感を秘めながら、悪戦苦闘が多かったりした。

そして何かと気弱な癖に、ときには自己顕示欲が強く、やがて反省しながら自己嫌悪となったりし、
つたないサラリーマンの人生航路を過ごしたりした・・。

やがて定年後、せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

私が年金生活の当初から、買物メール老ボーイの責務を終えた後、
その後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
            

こうしたの私の容姿は、この時節は制服のような定番の服装として、
夏用のストレッチパンズの長ズボン、スポーツシャツの半そで、ウォーキング・シューズとなり、
夏用の帽子を深めにかぶり、紳士用の小物入れのショルダー式バックを斜め掛けをしている。

そしてバックの中身の必須品として、財布、メモ・ノート、ポールペン、ハンドタオル2枚、ハンカチ2枚、
タバコ、ライター、携帯灰皿、扇子(せんす)などを入れ、ウォーキング・スタイルで歩く。
こうした中で、殆どコンバクト・デジカメをネクタイのように首回りから下げて、颯爽と歩いている。

そして歩いている中で瞬時に魅了された状景を、一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

こうした中で、ひたすら歩く根底のひとつには、何よりも認知症になることが恐れているひとりである。
            

私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
                          
或いは雑木の多い小庭に古ぼけたの家に住みながら、
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりしていた。

この間、私は中小業の民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
           
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
                                   
                                 
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
            
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
                      
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事がセカンドライフ健康体の三種の神器として思い、過ごしている。

私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せず、今日を迎えているが、
健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、と私は思い馳せたりしたりして、
ここ3年幾たびか私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。
            

私は友達、知人は自身が選ぶことができ、こうした中で悪感情の末、疎遠になったり、解消できるが、
家族の親子、兄妹は、愛憎、確執があっても、一生つきまとい、手を切ることができない間柄となっている。
しかしながら肉親、夫婦、親子、兄妹だけが知りえる互いの喜びがあり、互いに共有してるのが家族である。

このように家族に対しては、私はブラス思考となっている。
そしてモーリス・メーテルリンクさんの童話『青い鳥』のように、
幸せな『青い鳥』は、人誰しもそれぞれのお住まいの身近な所にいる、と私は確信を深めたりしている・・。
                      
       
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
         
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。

私は年金生活の中で、日中の午後の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりする時間を確保したく、積極的に買物メール老ボーイとなった。

こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
            

そして人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。

家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。

そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。

やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。

このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。
                      
         
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
                    

私は71歳の身であり、私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私たち夫婦は年金生活を過ごして、早や12年目になっているが、
幸いにもお互いに大病に遭遇せず、過ごしてきた。

そして私たち夫婦は40年寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えて、
ここ11年半の年金生活は安楽の日々を過ごしてきた。

世の中は少年時期から青年時期を過ごした後、やがて後年になって、ボクの青春時代はあの時期だった、
と走馬灯ように、その時の出来事を思い馳せたりすることがある。
このようなこともあるので、今こうして過ごしている私たち夫婦は最良の日々かしら、と私は感じたりしている。
          
       

これからの日々は、体力の衰えを増すことを実感しながら、
やがていつの日にか、どちらかが不運にも大病になったり、最悪の場合は死別して、おひとりさまとなったりする。

こうしたことは自助努力も必要であるが、こればかりは神様か仏様か解らないが、天上の采配に寄ること思ったりしている。
          
このように思案している私は、こうして過ごしている昨今こそが、
いつまで続くか解らないが、私たち夫婦にとっては最良の日々、と私は感じ深めている。

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作家・井伏鱒二さんの『人生は思い煩(わずら)うことなく過ごすべきだ』、改めて教示されて・・。

2016-06-17 15:10:11 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
昼食後、ネットで愛読している『ダイヤモンド・オンライン』を見ている中、
【 思い煩うことなく酒を飲み、長生きした井伏鱒二 】と見出し見て、私は読んだりした。

この記事は、小説家・料理人の樋口直哉さんの『長寿の食卓~あの人は何を食べてきたか』連載寄稿文で、
第13回として亡き作家・井伏鱒二さんの名言を記載し、2015年4月9日に配信されているが、
無断ながら転載させて頂く。

《・・思い煩(わずら)うことなくうことなく酒を飲み、長生きした井伏鱒二

井伏鱒二【1898年(明治31年)~1993年(平成5年)】の小説は、教科書で初めて触れたという人も多い。
教科書に多く掲載されている短編『山椒魚』は井伏の代表作だが、個人的にも奇妙な味わいが記憶に残っている。

太宰治【1909年(明治42年)~1948年(昭和23年)】の師匠としても知られる井伏鱒二は、
戦前から戦後にかけて長い間、活躍した作家だ。
戦前には『ジョン萬次郎漂流記』(この作品で直木賞を受賞)、戦後の作品として『黒い雨』などがある。
            

「文士が通った店」という縁が語られる店は数多いが、作家では井伏鱒二の逸話が最も多いのではないだろうか。
神田のうなぎ店、大久保や中野の居酒屋、早稲田のそば屋、阿佐谷の中華料理店、西荻窪フランス料理店・・
さまざまな店に通い、請われれば店の命名もしている。

井伏鱒二の自宅は、東京の西側、荻窪にあった。

井伏鱒二が『荻窪風土記』に書き記したような自然は少なくなったが、
荻窪には今も井伏鱒二が書いた「昼間にどてらを着て歩いていても、後ろ指を指されるようなことはない」という雰囲気は残っており、
商店街には「井伏さんはよく来たよ」という店がまだいくつもある。
作家は亡くなるまで、庶民の街で過ごし、その人柄は誰からも愛された。

昔、NHKのテレビ番組で見た僕の好きなエピソードがある。
ある日、小説家の開高健【1930年(昭和5年)~1989年(平成元年)】が、井伏鱒二の自宅を訪ねた。

50歳を過ぎ、小説が書けずにいた開高健は
「時代がデリケートで、モノを書く野蛮さが湧かない。
ホンマに言うんですが、書けないんです。先生、どうすればいいでしょう」と尋ねた。

井伏鱒二は酒を片手に、悠然とした態度でこう言った。
「書けない時は、何でも書くことですな。
書くことがなければ、いろはにほへと、と書けばよろしい」

その言葉を聞いた開高健は、参りましたとばかり、笑うしかなかった。
悩みがちなこの小説家は、井伏鱒二よりも先に逝ったが、
井伏鱒二の長寿の理由は、こんなところにあったのかもしれない。

ひょうひょうとして動じず、悩みもユーモアで、包み込む。
好きなものを食べ、酒を飲む。井伏鱒二は特にウイスキーを愛した。
            

「飲んだ時は酔った方がいい。飲んで酔わないと体に悪い」とうそぶき、
二日酔いの解消法は、ぬるめの風呂に入り、ゆっくりと沸かしていくという体に悪そうな方法だった。

それで酔いが冷めたら、また飲みはじめる。
それでも95歳まで、作家は生きたのだ。

井伏鱒二が訳した「于武陵の勧酒」という詩は、特に知られる。
「この杯を受けてくれ、どうぞなみなみと、注がせておくれ、
花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」

人生は思い煩(わずら)うことなく過ごすべきだ。
誰かと酒を酌み交わす時間、今、この瞬間、瞬間を大事にしなければいけない。
そう、誰もがいつか別れるのだから。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くし、それぞれの作家の年表を補記した。
            

私は若き20代の前半期に文学青年の真似事をしていたので、
もとより井伏鱒二さんの作品は、殆ど拝読していた・・。

私は50年ぶりに《・・さよならだけが人生だ・・》に接したり、
そして《・・人生は思い煩(わずら)うことなく過ごすべきだ。・・
今、この瞬間、瞬間を大事にしなければいけない。》とこのような秘められた思いを改めて読んだりしたが、
若き青年時代は、深みある人生教訓も知らず、うわべの文だけ読み、通り過ぎてきた。

今回、改めて作家・井伏鱒二さんの遺(の)された名言をかみしめて、
まもなく9月に72歳になる私は、確かにそうですよね、と深く教示されている。

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舛添都知事の辞職、都民のひとりとして安堵し、やがて新知事に相応(ふさわ)しい人を妄想して・・。

2016-06-16 16:15:18 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
昨日、舛添知事の辞職のニュースを知り、都民のひとりとして安堵した。

私はこのサイトに於いては、6月3日には、
【舛添都知事に対する百条委員会、都議の与党の諸兄諸姉は、人格まで問われることであり奮起し、開催を。】
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/3617d0f5961ccc37c66415eb85e04ec1と題して投稿した。

しかしながら都議の与党の諸兄諸姉は、明確な言動がニュース上から感じられず、
無力な都民のひとりとして、一寸の虫にも五分の魂、という思いがあった。
            

そして何とか自民党本部を動かして、都の自民党諸兄諸姉に舛添知事の辞職させて欲しい、と念願して、
このサイトに於いては、6月4日には、
【7月の参院選、舛添都知事の悪業が全国的に波及し、自民党は惨敗、と私は妄想を重ねて・・。】
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/df38c0d9638fd30728e8e22006627653と題して投稿した。
            

過ぎし13日、舛添都知事は、都議会総務委員会の集中審議で、最後に発言を求めた。

「不信任案が可決されれば、辞職か都議会解散の選択を迫られ、選挙になる。
リオデジャネイロ五輪・パラリンピックの時に重なり、2020年東京大会に極めてマイナスだ」。
不信任案提出をリオ大会後まで、猶予してほしいとの懇願したニュースを私は読み、引き延しかょ、憂いたりした。

こうした中で、地方の自民県連にも、舛添氏の問題が参院選に及ぼす影響を懸念する声が出始めていて、
やがて都議会の自民党も、辞職やむなしとの結論に至った、と報じられていた。

そして深夜に知事室で都議会自民党の重鎮、内田茂・都連幹事長を含め、舛添氏と「最後」の会談をして、
やがて舛添都知事は辞職を決意した、と報じられているが、
私はどのような交換条件があったかしら、と妄想を重ねたが、無念ながら力量がなく記載できない。

今朝、6月21日に舛添都知事は辞職した後、都知事選は7月14日告示、7月31日投開票が有力視されている、
と私は学んだりした。
            

この後、私は新知事に相応しい人を妄想してしまった・・。
風の噂として、都知事候補としては、自民党の小池百合子元防衛相、石原伸晃経済再生相、民進党の蓮舫代表代行、
桜井俊・総務事務次官など、多彩な有力候補がいる。

しかし石原伸晃さんは、父上の石原慎太郎さんの七光りで政治家になれた人であるが、
お坊ちゃん風の言動があり、或いは蓮舫さんは、美貌であるが知性、歴史観に欠落した人である。

私は個人として、ジャーナリストの櫻井よし子さんが、知性はもとより、文化や歴史観もある御方であるが、
ご当人が政治家には興味がない、と櫻井よし子さんの御著書で私は学び、残念と思ったりしたのが5年前であったりした。

そして思い馳せたりした結果、1993年の春の頃からNHK報道番組『クローズアップ現代』に於いて、
レギュラーキャスターされた国谷裕子(くにや・ひろこ)さんである。

今年の3月まで23年、月曜から木曜まで26分間、政治、経済、教育、医療、社会現象など、
広範囲のジャンルを取り上げ、現代社会の複雑な断面を報道する中、多岐な分野の有力者にインタビューされて、
知性も教養も重ね、国際通でもある。
            

そして私は、都知事として行政能力のある政治家も肝要であるが、何かと政治家の悪しきことを払拭する為に、
新鮮な文化人の代表者として国谷裕子さんが、新都知事になれば、と夢想を重ねたりしている。

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コメント (2)
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