夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

金木犀が香(かお)る中、過ぎ去る9月に愛惜を重ねながら、別れを告げて・・。

2014-09-30 15:02:34 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む70歳の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを見ると、9月の月末と知り、
9月も終わってしまったか、と微苦笑しながら教示されたりした・・。

私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住み、
私の生家に近く、この地域に住んで早や65年となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
          


平素の買物専任者の私は、秋日和に恵まれた青空の中、いつものように午前中のひととき、
独りでスーパーで買物の責務を終えた後、その後も独りで自宅の周辺を散策した・・。

こうした中で、過ぎし一週間前の頃から香(かぐわ)しい芳香が漂(ただよ)い、
金木犀(キンモクセイ)が咲き始める時節だ、と私は微笑んだりしてきた。

我が家の小庭にも庭の片隅に一本、そして居間に隣接した和室の近くに一本あり、
私がテラスに降り立つと、かぐわしい芳香が漂(ただよ)ってきたので、
近寄るとたわわな莟(つぼみ)を眺めたりして、ここ3日の恵まれな秋日和で、
今は満開となっている。
          

私はこの金木犀(キンモクセイ)の香りは、秋の到来を告げてくれる花木であり、
好きな花のひとつである。

今は満開のたわわな橙黄色の小花となり、周辺にかぐわしい芳香が漂(ただよ)わせている。
          

やがて一週間が過ぎた頃、ときおり風がなくても小花が音もなく散り始めて、
黒土に落下する時に、かすかな音をたてる。

そして樹元の周囲は黒土の上で、こぼれた橙黄色の小花が彩(いろど)る。

こうした中で、やがて金木犀の枝に橙黄色の小花が残っているが、大半は地上の黒土に絨毯のように敷き占め、
沈香の香りを残す情景となる。

このような情景を私は眺めたりすると、この世の確かな美はこのようなものかしら、
と私は眺めて毎年過ごしている。
          


私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活をした。

そしてこれまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、ささやかに過ごしたいと思ったりした。

こうした中、世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズを過ごし、
私も知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。

そして私も、つたない半生であったが、60代の年金生活の10年間の日々は、
私の人生の中で、何より安楽な時代、と家内に幾たびか言ったりしながら、享受してきた・・。
          

過ぎし日の27日に、私は何とか古希(こき)と称される満70歳を迎えることが出来、
5歳齢下の家内も、お互いに大病に遭遇せずに過ごせてきたので、
天上の神々に私は感謝した。

そして人生のひとつの階段を昇れた、と微苦笑したりしたりした・・。


やがて70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、これからの70代の日々の年金生活は、どのように過ごせるか、
と思案したりしてきた・・。
          


やがて体力の衰え実感させられる日々の中、
それぞれの人が 『生きがい』、『気力』あるいは『意欲』があれば、
晩年期は、その人なりに充実した人生になる、と思いを深めたりした。

そして拙(つたな)い半生を歩み、60代は何かと高揚感を深めて過ごせてきた私でも、
『生きがい』、『気力』あるいは『意欲』があれば、
これまでの10年のような生活が過ごせるょ、と私は家内に言ったりした。

そして私たち夫婦は、それぞれ多少はノロマになっても、
現役サラリーマン時代のように時間に追われることなく、ゆっくりと日々を過ごし、
認知症にも遭遇せずに過ごせれば、これ以上の望みはない、と私は深く願ったりしている。


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ときにはパソコンの『起動』の修復に困惑して・・。

2014-09-29 17:02:04 | ささやかな古稀からの思い

私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の70歳の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に、私は定年退職後、まもなくブログの世界を知り、
ブログの投稿文を重ねて、まもなく10年となる。         

そして年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文して、
パソコンの故障、国内旅行で自宅を不在しない限り、毎日投稿をしてきた。

この間、私は定年退職の3年前に買い求めた机、脇机、椅子があり、
この机の上に2台のパソコンを置き、私の日常の愛機となっている。

『ウィンドウズ7(セブン)』のディスク・トップ型、
そして2013年(平成25年)12月中旬に買い求めた『ウィンドウズ 8』のノートパソコン型である。
          
           ☆昨年の冬、たわむれに撮った☆

私は何かとディスク・トップ型の広い画面を見ながら、キーボードで投稿文などを綴っている。

昨夜、肝要のディスク・トップ型のパソコンを立てあげた時、
どうしたことか『起動』ができず、色々と対処を試みたが、修復できなかった。

そしてメーカーの相談窓口も業務終了時間となっていたので、
明日の月曜日に連絡して、解決しょうと思ったりした。

この間、やむなくノートパソコンで、愛読している方のブログの投稿文を読ませて頂だしたり、
コメントを頂いたりしたので、不慣れな画面を見ながら、キーボードで返信を綴ったりした。


そして本日は、パソコンの修復をする為、あるメーカーの相談窓口に連絡して、
先方のアドバイスに基づき、色々と修復方法を3回ばかり試みたが、
今はシステム復元の作業を行っている最中である・・。

こうした修復方法に時が捕られて、平素の買物、散策も断念して、
大いに戸惑ったりした。
          

やがて7年以前は、たった1台のパソコンが故障して、
修理に2週間ばかり要して、投稿文も書けず、何よりもコメントを頂いた方に返信もできず、
困苦した苦い体験があったりした。

そして不慣れなノートパソコンを頼りに、あの当時よりも良いねぇ、と微苦笑しながら投稿文を綴ったりしている。

そして予期せぬパソコンの『起動』もできず、
どうしてなのよ・・最近に於いて私は何か悪しきことをしたのかしら、と苦笑したりしている。

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70歳以降の人生は、体力の衰える中で『生きがい』、『気力』があれば、充実した人生・・。

2014-09-28 14:52:54 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の身であるが、
いつものように午前中のひととき、買物に行った後、付近の遊歩道を散策したりした。

秋日和に恵まれた青空を眺めたりしていると、
何とか昨日に古希(こき)と称される満70歳を迎えることが出来、
いよいよ70代入門が許された身かょ、と微苦笑したりした・・。
          
  

私は民間会社の中小業で60歳の定年退職するまで、いま働らくなくていつ働くのょ、
と長き情報畑で徹夜も幾たびか奮戦し、50代の後半にはリストラ烈風の中、あえなく出向となり、
自分の敵は自分だ、と自身を叱咤激励をしながら奮闘したりしてきた。

そして2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活を始めたので、早や年金生活も10年過ぎている。

世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。

私も定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、ささやかに過ごしたいと思ったりした。

そして過ぎ去った60代の10年間の日々は、予期した以上に安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
          

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、年金生活10年過ごしてきた中、
やはり『健康』、『生きがい』、そして程ほどの『お金』と深めて、
私たち夫婦はささやかな願いを叶えたりしてきた・・。

もとより健康でなければ、ささやかな願いも叶わないので、私たち夫婦は幸いに大病せずに、
今日に至っている。

こうした中で、私が会社時代の懇親会などに列席すれば、
早くも60代で亡くなった方を知ったり、先輩の75歳前後にお逢いし、体力の衰えが明確となりヨボヨボした方に、
私は唖然として、70代のなかばになると、あのような容姿になるのか、と悲嘆したりした。

しかしながら一部の75歳前後の方たちは、心身溌剌とし、私は勇気づけられたりしてきた。
     

          

やがて70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、これからの70代の日々の年金生活は、どのように過ごせるか、
と思案したりしてきた。
          
 
私は定年退職するまで何かと悪戦苦闘することが多かった為か、
これ以上は悪化しないと、年金生活を10年間過ごす中で、プラス思考を深めたりしてきた。

そして良き人生の知恵も学び、或いは悪しき知恵も学び、
定年退職するまでの半生は敗残者のような人生航路を歩んできた私でも、
人生体験は私なりに豊富と思ったりしている。
           

    
こうした経験から70歳以降の人生は、体力の衰え実感させられる中、
『生きがい』、『気力』あるいは『意欲』があれば、晩年期は、その人なりに充実した人生になる、
と思いながら、微笑んだりしている

 
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満70歳の誕生日を迎え、過ぎし60代の日々に愛惜した後、やがて70代の念願は・・。

2014-09-27 13:47:11 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の身であるが、
秋日和のおだやかな陽射しの朝を迎える中、
ぼんやりとしながらも、何とか古希(こき)と称される満70歳を迎えることが出来た、と微苦笑したりした・・。

もとより古希は、還暦に続く長寿の祝いの70歳のことであり、
中国の盛唐時代に西暦700年代の詩人の敬愛している杜甫(とほ)が、
『曲江詩』の一節の中、人生は70古来稀(まれ)なり、から伝承されいる。

しかしながら過ぎし14日に於いて、総務省の公表に寄れば、
日本の70歳以上の方は2383万人で、総人口の19%近くの長寿社会を迎えている今日、
古来稀(まれ)なり・・は死語だよねぇ、と微苦笑を重ねたりした。、
               

私は1944年〈昭和19年)9月のこの日に、今住んでいる近くの生家で農家の三男坊として生を受け、
やがて民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活を始めたので、早や年金生活も10年過ぎている。

世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。

私も定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、ささやかに過ごしたいと思ったりした。

そして過ぎ去った60代の10年間の日々は、何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
          

私は東京郊外の調布市の片隅みに住む、結婚前後の5年間を除き、この地域に住んで、早や65年が過ぎている。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、家内も12月下旬の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となり、
昨今増してきた高齢者の夫婦だけ住まいの年金生活となる。


2004年(平成16年)の秋、年金生活を当初は、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

そして私は年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、季節の移ろいを享受している。
          


定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、平素の買物専任者を自主宣言したのであった。

そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

こうした中で、私は66歳の時に糖尿病と診断され、青色吐息となる中、
食事の改善とひたすら歩いて何とか克服してきたので、
糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、ひたすら歩くことが多くなっている。
          

        
この後の大半は居間で過ごしたりすることが多く、何かと随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多い。
定年後の年金生活の単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は買い求めたりしている。
或いは季刊誌としては、『文藝春秋SPECIAL』を購読しているが、
今や季節をめぐる毎の秘かな恋人のように愛読している。

新聞は『読売新聞』を40年近く購読しているが、気になり記事を更に深く知りたい時は、
総合ビジネス情報誌として名高いビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】に縋(すが)り、
多々教示されている。

ときおり映画に関しては、20世紀の私の愛してやまい作品を居間にある映画棚から、
DVD、ビデオテープなどを取りだして、テレビを通して鑑賞したりしている。

或いは音楽を聴きたい時は、やはり居間にある音楽棚からCD、DVDなどを取りだして、聴いたりしている。


このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、と享受する時もある。
          

こうした中で、ときおり我が家の小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか重ねている。

私たち夫婦は、子供に恵まれなかった為か、新婚時代から幾たびか旅路を重ねてきた。

現役サラリーマン時代は、殆ど2泊3日ぐらいの日程であったが、
年金生活を始めると日程の制約から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなっている。

こうした中で家内は源泉かけ流しの温泉を要望され、
私たちは観光ホテルなどに滞在して、周辺の山里、遊歩道、街並みの中をひたすら歩き、
その地の情景を観ながら風土、文化を教示されて、遊学したりしてきた。

そして観光ホテルなどに帰館すれば、心身共に解放感が満たされる露天風呂、大浴場に入り、
享受したりしてきた。
そして早朝、夕食前など時に広い露天風呂などで、たったひとり身を預けたりすると、
更に心も身も解放された上、四季折々の中のひととき景観を観ながら、圧倒的に充たされたりしてきた。
                    

年金生活の我が家の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしているのが、
我が家の実態である。


こうした年金生活を10年過ごしてきた私は、つたない私の人生の中で、
60代の10年間の日々は、何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
          

やがて70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、これからの70代の年金生活は、どのように過ごせるか、
と思案したりしてきた。
          
昨今、加速する少子高齢化の中、超高齢化社会を迎えている今日、
借金に頼らず税収で賄える国と地方の基礎的財政収支を2020年度に黒字化し、
借金が膨らみ続けている長年の流れに歯止めをかけようとしているが、
最大の脅威は社会保障費の増大も難題と的言されている。

もとより毎年1兆円規模で増える医療や介護、年金などの支出で、難題が山積されている。
やがて2025年までに『団塊の世代』が75歳以上となり、
社会保障給付の増大が財政の健全性に脅威となり続ける、と警鐘している。

         
こうした難題が山積する中、働いて下さる現役の諸兄諸姉は短期に成果を求められる中、社会保障費の過重負担が増し、
高齢者の殆どの多くの人たちは、どのようになるの、と不安げに感じる方も多いと思われる。
          

私は何かとプラス思考の単細胞であるので、
年金が減少、医療費の高騰、諸物価は不安定、何かと将来に不安となる中で、
ひとすら歩き、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命を保つことが肝要、
と思ったりしている。

そして私の父は42歳の若さで病死され、母は77歳の『喜寿』の祝いの後、病死されたが、
私は秘かに男性の健康平均寿命の71歳を超え、やがて男性の平均寿命と称せられる80歳まで、
認知症に遭遇せずに、たとえ歩く状態がノロマになっても、駅前までの1キロぐらいの路を自力で買い物に行きたい、
と念願している。

もとより、こうしたことは自助努力も必要であるが、天上の神々の采配に寄ることであり、
定年退職するまで敗残者のような半生を歩んで、先苦後楽の人生航路と感じている私に、
果たして・・と微苦笑したりしている。

 
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第二の人生を楽しく過ごす秘訣は、ただひとつ、と私は深めて・・。

2014-09-26 14:20:41 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
まもなく誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、早や実質として年金生活は丸10年が過ぎている。

こうした中で、第二の人生と称せられる年金生活を過ごしてきた中、
この残された長い人生を楽しく享受できる秘訣は、ただひとつかしら、と微笑んだりしている。

多くの殆どの方は70代となれば、体力の衰えを実感して、
75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では、何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。
           

そして心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命を保った後に、
悩ましい介護・要か大病などを得て、平均寿命まで長い困苦する時期がある。

最近の厚生労働省から、あくまで平均であるが、下記のように公表されている。
男性・・健康寿命(70。42歳)・・・平均寿命(79。55歳)・・・この間の期間(9。13歳)
女性・・健康寿命(73。62歳)・・・平均寿命(86.30歳)・・・この間の期間(12。68歳)

そして、この悩ましい期間はそれぞれの方は、どのように過ごされるか、
中には稀に心身ともに自立し、溌剌と長寿をされる方もいる。

或いは人生設計が大幅に変貌して、不幸に『3B』と称せられる『ぼっち(孤独)』、『貧乏』、『ボケ(認知症)』、
に苦難されるかも知れない。
          

確かに日本の現状として、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。

そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。
         
その上、経済は都心の一部は活性化しているが、地方は未(いま)だに低迷している現在さえも、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、
医療の充実もあり、主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。
        

こうした中で、公的年金制度は現役世代の納める保険料で、その時の高齢者に年金を支払う仕組みであり、
支え手の現役世代が減り、支えられる側の高齢者が増える少子高齢化は、年金財政に大きな影響を与えている。

そして年金の水準を先に決め、それに必要な保険料を集める仕組みの下では、
少子高齢化が進むと保険料が上昇し、現役世代の負担が重くなり過ぎてしまう悩ましい最大の難題となっている。。

もとより政府は、借金に頼らず税収で賄える国と地方の基礎的財政収支を2020年度に黒字化し、
借金が膨らみ続けている長年の流れに歯止めをかけようとしているが、
最大の脅威は社会保障費の増大、と的言している。

そして毎年1兆円規模で増える医療や介護、年金などの支出で、
保険料(64.1兆円)があるが、年金(56.0兆円)、医療(37.0兆円)、介護・福祉その他(22.2兆円)(うち介護は9.5兆円)、
総計の給付費として115.2兆円、と2014年度の予算ベースとなっている。
          

          
過ぎし日に麻生財務相が記者会見で発言され、
『世界に冠たる皆保険と言うが、保険料だけで給付を賄いきれていない。
公費負担に4割を依存としており、給付と負担をバランスさせなければならない』と明言されたりしていた。

もとよりこうした背景には、今後の2025年までに『団塊の世代』が75歳以上となり、
社会保障給付の増大が財政の健全性に脅威となり続ける、と警鐘している。
          
           

こうした難題が山積する中、働いて下さる現役の諸兄諸姉はもとより、
高齢者の殆どの多くの人たちは、どのようになるの、と不安げに感じる方も多いと思われる。


我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした山積する難題、そして私たちの健康などを漠然と思案したりする時は、
プラス思考、が解決の早道であり、そして第二の人生を楽しく過ごす秘訣と思っている。

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なぜ定年退職した直後から、10年近く毎日ブログの投稿文を書くのか、と我ながら微苦笑して・・。【下】

2014-09-25 18:56:03 | 定年後の思い
しかしながら私は、どうしても表現できないこともあったりした。
このことは私の人格さえも問題視されることで、感情と理性の間を往還しながら、
ためらいながらも結果としては、綴れなかったことがある。

たとえば、皇室の問題であり、天皇陛下、皇后陛下は限りなく敬愛しているが、
肝要の皇太子殿下、妃殿下のご夫妻に憂うことも感じたりしている。

或いは私の勤めた音楽業界のあるレコード会社に35年近くの中で、秘めたる事柄は、
守秘義務もないが、退職後の10年生となった今でも、心の礼節として綴れない。

そして格差の問題は歴然として、この世の中に各分野に露呈している現実があるが、
特に生活保護の難題は、綴れないのである。
          

         
私はこのサイトに於いて、政治、経済、軍事、社会を含めて、
専門知識のない感情だけで吐露(とろ)し、独断と偏見で、直球とかカープで余すことなく
筆力が乏しいまま発露してきたこともあったが、
ここ3年ぐらいは反省をまじえて減少しているが、ときおり余りにも心の節度が欠けた事件に、
いたたまれず投稿する時もある。

        
         
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは2年近く前から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。

こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは10年近くが過ぎている。

          
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
                    
       

こうした中で、数多くのお方の投稿文を読ませて頂き、
たとえば日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、
淡々と綴られているのに、圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしている。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られたそのお方の人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深め教示されている。

このように読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりする時もあり、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を感じながら年金生活を過ごしたりしている。

          
       
或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、単なる絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。

そして言霊(ことだま)を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。

          
こうした中、数多くの方の投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、ときおり
そのお方にコメントをしたりしている。
               
      
私はブログを書き始めて、丸9年半が過ぎて、早や10年生であるが、
この広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
秘かに感謝したりしている。

そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、投稿文が継続できていることも確かな事であり、
何よりも数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、
私は人生の励ましを感じたり、ときには微笑んだりして過ごせてきたので、改めて感謝している。
          


こうした中で、数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人からの便りを受けたりしてきた・・。

私の長き人生に於いても、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。

そして70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、果たして認知症にかからず、
心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命を保ちながら、
ブログの投稿文が続けられるかは未定であるが、出来る限り投稿文を重ねて生きていたい、と念願している。
          

余談であるが、私は半年の前の頃、認知症専門医の長谷川嘉哉・医学博士の寄稿文のひとつには、
《・・(略)・・「ずっと脳に与えられてきた刺激が突然途絶えるのも、認知症のトリガー(注・要因)になります。(略)
かように、脳は絶え間ない刺激を求めている。・・(略)・・

読書や映画観賞によっても扁桃核は刺激されますが、重要なのはその刺激をアウトプットすること。
感想を人に話すのもいいですが、ブログに書くのはさらに効果的。

ブログを書くことの利点は、次なるネタ探しのためにインプット用のアンテナが立つことで、
このスパイラルが脳に効くんです。
ツイッターでさらっと流すだけでは、こうはいきませんよ・・(略)・・」》
          
このような《ブログを書くことの利点》を学び、ブログを書き続ければ認知症になりづらい、
と私は解釈して、微笑んだりしてきている。

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なぜ定年退職した直後から、10年近く毎日ブログの投稿文を書くのか、と我ながら微苦笑して・・。【上】

2014-09-25 11:11:39 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であるが、
年金生活をしている中のひとつとして、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

私は民間会社の中小業のある会社を35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由により年金生活を始めて、まもなく10年となる中、古希と称される70歳を迎える身である。
          
        

私は定年退職した時、この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。

          
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、専門知識がない私でも、政治、経済、社会などの難題を私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
        

そして私は、2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の1月中旬に加入したので、
これ以来、ほぼ9年半が過ぎている。

      
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
          

  
 
   
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸9年半が過ぎ、10年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          

私は心の思いの表現手段としては、文章で綴ることもひとつと思い、
ブログの世界を知る前に日記形式で綴っていた時もあったしたが、日々継続できず、
きまぐれに綴っていた時期があったりした・・。

若き20代の頃は、原稿用紙のように升目のある分厚い日記帳、
その後は原稿用紙のノート型で綴ったりしていたが、いずれも手書きであった。

やがて40代の頃からは、自宅に備えたワープロで入力し、フロッピー・ディスクに記憶させたりしていた。

これ以前として、私が初めてパソコンを購入したのは、 確か1983年(昭和58年)の頃であったと思われ、
NECのPC8801だったと記憶している。
そしてベーシック言語でプロクラムを書いたりして、この当時はネットの世界が一般の方に普及していなく、
独学の勉強のひとつとして、新古今和歌集を入力したりしていた。

         
やがて1998年〈平成10年〉夏に、会社と自宅で使う為にパソコンを買い改めたりした。
ノートパソコンで『ウィンドウズ 98』の基本ソフトであり、この当時は付属の記憶装置はフロッピーであった。
そして自宅の居間で、表計算ソフトを活用して、会社の資料を作ったり、
或いは『日記』専用のソフトを買い求めて、私自身の日記を書いたりしていた。
                    

しかしながらこの『日記』専用のソフトは、ハードディスクに記憶されて、
無念ながらバックアップの方法は、私は無知であった。
          
こうして3年過ぎた頃、このノートパソコンのハードディスクが壊れて、
修理に出したが、無念ながら修整不能となり、やむなく新品のハード・ディスクに交換した。

この間、私は過ぎ去った日々の思いの散文が消え去ってしまったことに、茫然とした・・。
あの日のあの時の思いを真摯に綴ってきたのに、どうしてくれるのょ、と自身に対して、じくたる思いであったりした。

          
もとより私はハードディスクは故障することもある、と知ったりしていたが、
まさか我が身のノートパソコンが・・と思いで、後悔を重ねたりした。

         
こうした苦い私の出来事があり、インターネットの中に於いてのブログの世界は、
私が数多くの投稿文を重ねても、プログを管理して下さる処理先のサーバーで記憶しているので、
たとえ私のパソコンを買い替えても、投稿文の先のサーバーで保管されているので、簡単に復旧でき安心である。

しかし年に数度は、ネットの世界は不可解な出来事もあり、
プログ管理側のサーバーが万一故障し、修整不能となった場合に備えて、
私は加入ている【gooブログ】のバックアップ機能を活用し、バックアップをしたりしている。

こうした心情の根底には、10数年前に『日記』専用ソフトが消えてしまった苦い体験から、
保険代わりに実施したりしている。
          
         

私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。

従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
          
しかし誰しも、この人生を歩み中は光と影を有しているので、つたない私でも光と影があり、
特に暗く影のことも、私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しも、
このサイトにためらいながら、マイナスと称される影も私は描写してきた。

たとえば、私の小学生の前半に、父や祖父が病死し、残された母や私たち兄妹は、貧乏な生活を一時期を体験したこと。
或いは、亡き母が40代の時代は、私たち兄妹の五人が何とか世間並みの生活にする為に、
ラブホテルのような連れ込み旅館を経営し、睡眠時間を削りながら、孤軍奮闘し、
私たち五人の子供は成人したこと。

又は次兄は自営業で、経済破綻して、自殺と称せられる薬物を飲み自裁して、自室で亡くなったこと。

そして私自身の場合は、大学を中退して映画・文學青年の真似事をして、やがて敗退したことや、
定年の五年前にリストラ烈風の中、無念ながら出向となり、定年時を出向先で迎えたこと。

このように私はこれまでの人生の歩みの中、心のわだかまりを吐露(とろ)しなければ、
この先の人生を生きて行くことはできない、と思い発露してきたのである。

こうした私なりに屈折した出来事を余すことなく投稿してきたが、
小心者の私としては匿名であることで、初めて発露できたことである。
          
          

このような心のうめきごとは、リアルな現実の日常生活では、
たとえ私が言葉にしても、対人の受け止めることに困り果てることもある、と感じたりした。

小説、随筆などは、あくまで間接のワンクションとして読者は受け止めることができるので、
ブログの匿名で公開する内容も、ある意味合いに於いては同じかしら、と思ったりしている。

このような理由も重ねて、私はここ7年、発信名は『夢逢人』と命名したのである。
私の綴ってきたことは、まぎれなく私の知る限り真実を発露してきたので、
リアルな現実でお逢いするのは、私の心の裸身を見られたようで恥ずかしく、
文字通り、夢の世界でお逢いしたいですね、と思いながら命名したりした。
             
                                 《つづく》

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脳を若く保つには運動、食事、レジャーが重要、そして温泉や読書も大切と学び、微苦笑させられて・・。

2014-09-24 14:58:40 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は9月下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、
家内も12月下旬の誕生日を迎えると65歳となり、介護保険証を受ける身となっている。
                     

先程、私はネットでニュース記事を彷徨(さまよ)っている中で、
《 脳を若く保つには運動、食事、レジャーが重要 温泉や読書も 》
と見出しを見て、どういうことなのょ、と思いながらクリックした。

そしてこの記事は女性専用誌の週刊誌の『女性セブン』の10月2日号に掲載された記事ひとつ
と解り、少しためらったりしたが、何よりも知らないことは謙虚に学ぶことをモットーに生きてきた私は、
精読して多々教示されたりした。

そして関連の【NEWS ポストセブン 】から 9月24日(水)7時に配信された記事であり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・高齢化社会の日本にとって、認知症予防は重要な問題だ。
できるだけ、脳年齢を若く保つためのトレーニングをする必要もある。

アメリカ国立衛生研究所(NIH)は、頭の働き(認知機能)の低下を予防するためには、
頭をしっかり使うだけではなく、運動や食事、レジャーも欠かせない大切な要素だとしている。

諏訪東京理科大学教授・篠原菊紀さんはこう話す。
「有効な運動は、有酸素運動や筋トレです。
ウオーキング、ジョギング、サイクリングなど、気軽にできるものから取り入れましょう。

食事は、野菜や青魚を中心に鶏肉、くだもの、木の実などをオリーブオイルで調理する“地中海食”をすすめています。
伝統の日本食にオリーブオイルをプラスと考えたらいいでしょう。
なお、青魚はDHAやEPAといったオメガ3脂肪酸を豊富に含み、生活習慣病を防ぎ、
脳の活性化をはかり、記憶力をアップする効果が期待できます。

レジャーといえば、旅行やハイキングなど、何か特別な行事と考えがちですが、
心から楽しみリラックスできるのであれば、家にいてするゲームでも、本を読むのでも、
温泉でぼーっとするのでも何でもいいんです。

脳を若々しく保つためには、定期的にほどよい運動をし、バランスのいい食事と趣味を楽しみ、
そして、脳をしっかり鍛えることが大切です」・・》
注)記事の原文にあえて改行をした。
          

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で直ちに年金生活に入り、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして年金生活を当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
          

私はこれまでの60代の10年の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごしてきたが、
2010年(平成22年)の秋に健康診断の結果、糖尿病と診断され、
翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。

この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私はウォーキングをほぼ毎日し、汗をかきながら最低30分は歩き廻ったりした。

やがて翌年の2011年(平成23年)の3月の初旬、
最寄の内科に3週間毎に定期健診を受けて、糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外はすべて優等生となった。

この後は、4週間毎に定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
        
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない。
私自身の糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症である。

こうした根底があり、自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受している。
          

我が家の朝食は、私は五穀米が入った白米のご飯、ワカメの味噌汁、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、
海苔(ノリ)、福神漬け、シャケの瓶づめ、或いは鯖(サバ)の味噌煮の缶詰などを食べたりしている。

こうした理由として、幼年期に農家の児として育ったので、齢はかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』が、
何かと心身の波長に合うのであるので、頂いたりしている。

そして家内は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、コーヒーを飲みながら頂いたりしている。

昼食は蕎麦(そば)或いは素麺(そうめん)が多いが、
私はフランスパンを三分の一を食べることもあり、家内はケーキのような菓子パンを食べたりする時もある。

そして夕食は、牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉など、その日に応じて、
家内が料理して頂いたりしていることが多い。

          
こうした中で、朝食と夕食の前に私は、大皿にキャベツを中心の前菜を欠かせなくなっている。
普通サイズキャベツを四分の一ぐらい千切りし、
その脇にセロリ、トマト、ニンジン、キュウリなどの季節物を大皿に盛り合わせて、家内がしてくれる。
そして婦女子の野菜の盛り合わせの量からは、少なくとも4人前ぐらいかしら、と私は思いながら頂いている・・。

こうした根底には、私は幼年期に農家の児として育ち、その上に遠い30年前の頃に、
今は亡き俳優の森繁久弥さんが、胃腸薬のキャベジンの宣伝に出演していたので、
キャベツの多大な効力を信愛してきたので、こよなくキャベツは盛大に頂いている。

このような思いから、我が家は栄養不足はなく、過ぎし初夏の時節の頃からでも、
我が家は食欲がないことは死語となっているが、
今回の記事で指摘された青魚は、我が家として少ないと私は苦笑したりした。
          
          
レジャーに関しては、私たち夫婦の共通趣味のひとつは、国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、新婚時代から幾たびか旅路を重ねてきた。

現役サラリーマン時代は、殆ど2泊3日ぐらいの日程であったが、
年金生活を始めると日程の制約から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなっている。

こうした中で家内は源泉かけ流しの温泉を要望され、
私たちは観光ホテルなどに滞在して、周辺の山里、遊歩道、街並みの中をひたすら歩き、遊学したりしてきた。

そして観光ホテルに帰館すれば、心身共に解放感が満たされる露天風呂、大浴場に入り、
享受したりしてきた。
そして早朝、夕食前など時に広い露天風呂などで、たったひとり身を預けたりすると、
更に心も身も解放された上、四季折々の中のひととき景観を観ながら、圧倒的に充たされたりしてきた。
          

私は定年後の年金生活を始めた当初から、自主的に日常の買物の専任者となり、
家内から依頼された品を求めて、殆ど毎日行ったりしている。

最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりしていることが多い。
          
この後の居間で過ごしたりすることが多く、
随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読んだりしている。

或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を居間で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、と享受する時もある。
          

私の定年退職までの半生は何かと悪戦苦闘が多かったが、
このように60代の年金生活10年間は、長き人生の中で、一番良き時期を過ごし享受してきたと思いながら、
今回の記事、脳を若く保つには運動、食事、レジャーが重要、そして温泉や読書も大切、
と学び、そうですよねぇ、と共感し、微苦笑したりしている。

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秋日和の中、私たち夫婦は恒例のように、お墓参りを重ねて・・。

2014-09-23 14:35:31 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であり、
今朝、さわやかな15度前後の快晴の朝を迎えて、
やはり寒さ暑さは彼岸まで、と古人から伝えられている通り、
おだやかな『秋分の日』の朝を迎え、暑さに何かと苦手な私は微笑んだりした。

もとより『秋分の日』は、『祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日』と称せられ、
私たち夫婦も、毎年この日は私の実家の長兄宅に行き、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、辞してお墓参りに行く。

その後は、お寺の境内、墓地は、過ぎし『春分の日』と同じように墓参の人々で多くの方が訪れる。
          
           ☆今回、掲載した下記の写真も含めて、私が散策した昨日の時に撮ったものである☆

私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
生を受け、まぎれなく両親、祖父、叔父、叔母、そして祖先のお陰で、私がこうして生きているので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、『春分の日』、『お盆の日』、この日の『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをし、
私の母が亡くなって16年目となるが、これ以来毎年の習わしとなっている。
                    

このような心情を私は重ねてきたが、
今朝いつものように朝の9時半過ぎに、私たち夫婦は私の実家の長兄宅に行くと、
いつもは親戚の叔父、叔母さんとは談笑を重ねてきたが、めずらしく来宅されておらず、お逢いできなかったが、
長兄も小用で不在で、長兄の奥さん(義姉)と、私たち夫婦は長らく談笑したりした。

まもなく世田谷区に住む従弟(いとこ)の62歳が来宅され、私はまもなく古希と称される70歳となり、
長兄の奥さん(義姉)は68歳、家内も今年の12月に高齢者入門の65歳となる中、
65歳時に『高齢者』に伴い介護保険、世田谷区と調布市の福祉関係の話題などで長らく談笑したりした。

                    
この後、私たち夫婦も長兄宅を辞した後、少し熱さを感じる快晴の中、
私たち夫婦は小田急線の『狛江駅』から徒歩数分にあるお寺に向う途中の花屋さんで、
買い求めて、20分ばかり歩いて着いた。
          
          
寺院の境内は広く大きな樹木が数多くあり、秋のお彼岸の中日にふさわしく、ご家族連れが多く賑(にぎ)わい中、
ときおり夏の香りを残すように蝉(セミ)が鳴いていた・・。
やがて私たち夫婦は隣接しているお墓に向った。

お墓を少し清めた後、墓石を水で清め、
途中で買い求めた生前の母が好きだったお花を4束のお花が奉(ささげ)、お米を備えた。
そして、お線香を奉げた。

お線香の紫煙が晴れ渡った空の中を立ち昇る中、
祖先はもとより、亡くなった祖父、父、母、次兄などから、改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。
          

こうした思いを重ねた後、母のおもかげがよぎっていった。

生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。

私の場合は、農家の三男坊として生を受けたが、やがて父が私の小学校の2年の時に病死され、、
その一年半も過ぎない時に祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。
そして私は実家から分家のような形で、実家の近くに住んで早や38年が過ぎている。

やがて私が54歳の時に母は亡くなわれたが
ときたま今でも生前の母のちょっとしたしぐさ、言葉づかいが想いだされる・・。

そして秋日和の中、お線香の煙が芳香を残して、
空中の中をゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。
          

この後、私たちは駅前の近くのスーパーで、秋味の整えた具材のあるお弁当を昼食代わりに買い求めて、
運動不足の為に20分ばかり歩いて帰宅したのは、午後1時過ぎであった。

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国民健康保険の『高齢受給者証』、私は初めて見ながら微苦笑を重ねて・・。

2014-09-22 13:28:33 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の69歳の身であり、
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊6重して、日常を過ごしている。

昨日の日曜日の午後、我が家の門扉に近くにある郵便受け箱に、たった一通の封筒が入っていたので、
何かしらと私は思いながら、玄関の軒下で見ると、
調布市の保険年金課から『高齢受給者証』と略称された『国民健康保険高齢受給者証』在中と明記され、
居間に戻った後、開封した・・。

この中のひとつには、『国民健康保険 高齢受給者証』の送付について《ご案内》と題されて、
このたび、70歳になられた方に、国民健康保険 高齢受給者証を送付します。

このような文面で始まり、まもなく下旬の誕生日を迎えると、古希と称される70歳になるので、
こうした『高齢受給者証』は、私は生まれて初めて見るので、微苦笑をしたりした。

そして『国民健康保険高齢受給者証』と共に、可愛いらしい『70歳からの医療ガイドブック』の小冊子があり、
私は読んだりし、要約させて頂ければ下記の通りである。
              

◎負担の割合
    前年の平成25年度の収入に基づき、算出される、と学んだ。
  
    〇収入が383万円以上の現役並みの所得者・・・『3割負担』
    〇収入が383万円未満の一般者・・・・・・・・『2割負担』
    〇このほかに、住民税非課税の人などの低所得者

このように学んで、私は公的年金の厚生年金、企業年金などであったので、
『高齢受給者証』の一部負担金の割合の欄には、『2割負担』と指定されていた。

この後、70歳から74歳までの被保険者・被扶養者の方が窓口で支払う一部負担金の割合は、
平成20年度以降、軽減特例措置により1割となっていたが、平成26年4月1日以降は見直された結果、
    ○昭和19年4月1日以前に生まれた70歳~74歳は引き続き・・『1割負担』
    ○昭和19年4月2日以降に生まれた70歳~74歳は・・・・・・『2割負担』

このように明記されていたので、私の場合は昭和19年9月生まれなので、
たった半年遅れで、『2割負担』になってしまった、と驚いたりした。

しかしながら国民健康保険の財源は、逼迫している現状であるので、やむえないなぁ、と苦笑したりした。

やがて私が75歳の後期高齢者に入門できた時は、『後期高齢者医療制度』に基づき、『1割負担』となるから、
と微苦笑を重ねたりした。

この他の特典としては、例えば入院した時の食事代が、私のように『一般者』は、
一食当たり260円の負担をして下さることなど多々特典が明記されている。
          

このように今回、『高齢受給者証』を受け取ることが出来た私であるが、
私の世代、この後の家内と同様な団塊の世代の方たちは、
超高齢化時代の今日、少子高齢化の中、果たして医療制度は改定することなく、このままで継続できるかしら、
と何かと無知な私でも、漠然と危惧したりしている。

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夏の季節に愛惜を秘めながら別れを告げて、秋日和の陽射しに微笑んで・・。

2014-09-21 11:33:18 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であり、
まもなく下旬の誕生日を迎えると、恥ずかしながら古希と称される70歳となるが、
ここ4日は朝夕が肌寒く戸惑ったりしてきた。

過ぎし6月の梅雨の時節の頃から、私は平素の買物、散策に行くときは、
半袖のスポーツシャツとかアロハシャツで来て、長ズボンのストレッチパンズで颯爽と歩いてきた。

やがて学童が夏休みに入った7月下旬には、
更に夏の帽子を被り、そして扇子を煽(あお)ぎながら、汗を流し、
燦々と照らす33度前後の中、何かとの熱さに苦手な私は、ときには冬の寒さを思い馳せて、
気力で遊歩道、公園などを歩き廻ったりした。
          

こうした時は、大きな樹の下の緑陰の路を歩きながら、ときおり微風を受けると心地よく、
微笑みながら歩いたりしてきたが、
緑陰が途切れると、炎天下の熱い陽射しの中を歩き、
人生の苦楽と同じだよねぇ、と心の中で呟きながら歩いたりした。

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した2004年(平成16年)の秋から、
多々の理由で年金生活をして、60代の10年の日々を過ごしてきたので、
今年は60代の最後の夏・・と感じながら過ぎ去った幾たびの夏の季節に思い重ねたりし、愛惜が深めてきた。
          

ここ4日は朝夕は半袖のスポーツシャツで家の中にいると肌寒く、
日中に買物、散策に行く中、陽射しの中でも半袖はベストだねぇ、と微笑んだりしてきた。
そして何故かしら、緑陰を道を避けて、陽射しのある路を選んで歩いて、
我ながら身勝手な身だよねぇ、と微苦笑したりした。

そして古人から、熱さ寒さ彼岸まで、の名言を思い浮かべて、
確かにそうですよねぇ、と微笑んだりした。


今朝、居間に陽射しが射し込み、私は心地よく、秋日和の到来の季節になったのかしら、
と微笑んだりした。

そして地元の天気情報を視聴すれば、朝の6時は15度、昼下がりは24度前後、
夕暮れの6時は21度前後、と明示されて、
晴れ時々曇りの過ごしやすい日中となります、と報じていた。

やがて私は、冷房も暖房も不要な時節だよねぇ、と家内に言ったりした。

この後、私は半袖のスポーツシャツに別れを告げて、スリー・シーズンの長袖を着た後、
そして私は最寄りのスーパーに買物に向かう中、足早に歩くと熱さを感じたが、
腕まくりすると心地よく、過ごしやすい季節になった、と独り微笑んだりした。
          

帰宅後、家内は押し入れにある幾つかの衣装ケースを出して、
スリー・シーズンの衣服を出したりしていた。

そして夏用はすべて洗濯して収納しますから、と家内から私は言われて、
いよいよ私の好きな秋日和の日を迎える、と思いながら微笑んだりした。

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小庭の手入れ、体力の衰えた老兵の私は昼食抜きで奮戦し、やがて・・。

2014-09-20 17:19:59 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であり、
まもなく下旬の誕生日を迎えると、恥ずかしながら古希と称される70歳となるが、
65歳の高齢者入門が許された頃から、体力の衰えを実感し、老兵のように感じてきた。

こうした中で、我が家の小庭の手入れは、現役サラリーマン時代から私の責務であるが、
何よりも暑さに苦手な私は、夏の間は涼しい時に・・と何かと順延しサボり果ててきた・・。

我が家の敷地は変形の為、家屋を建てる当時から玄関庭と主庭に別れているが、
樹木の枝葉は伸び放題、草も茂って純白のタマスダレの花、淡紅色の秋海棠(シュウカイドエ)の花も、
雑草の中で咲いているような状態となっている。

こうした状況の中で、一番喜ぶのは鈴虫(スズムシ)、蟋蟀(コオロギ)かしら、
と私は微苦笑を重ねたりしてきた・・。
          

過ぎし13日は何とか玄関庭は終えたが、残りの主庭の手入れを本日決行した。

朝の9時前に庭に下り立ち、ストレッチパンズの長ズボン、着古したワイシャツ、ウォーキング・シューズで、
帽子を深く被り、滑り止めの軍手をして、そして剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしたりした。

そして曇り空の20度前後の中、樹木の枝葉を高枝鋏(たかえだばさみ)で切り落としたりした。
やがて切り落とした枝葉を整理したりしていると、薄らと汗をかいたりしたが、
夏の燦々と照らす30数度の熱さと違い、この20数度の気温だったら、快適なハイキングと同じようだ、
と独り微笑んだりした・・。

          

こうした中で、ときたまテラスに置いた簡易椅子に腰かけて、
少し休憩ねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
こうした私の情況を見た家内は、料理と掃除の手を休めて、ときおり冷茶を運んでくれたりした。

この後、草むしりをしていると、特にドクダミの草が地面にへばりつくように繁っているので、労苦を要する。
或いは樹木のある地面も草が生えているので、
樹の下にもぐるように、はいつくばって草を取ったりすると、泥まみれとなったりした。

しかしながら入梅時とか初夏の時は、汗がしたたり落ちて、汗まみれ泥まみれとなったりしてきたが、
単なる泥まみだけであったので、体力の衰えた私でも、
今しなくて何日(いつ)するのよ、と叱咤激励しながら孤軍奮闘した。

やがて昼食の時になると、泥まみれの私の容姿を家内が見ると、
テラスでパンでも食べますか、と私に言ったりした。

私は草むしりをした処が小奇麗になっているので、
今、食べたりする集中力が切れるから、と私は家内に言ったりした後、
園児のように夢中で雑草の草むしりに専念した。
          

やがて疲れも余り感じなく、この調子だったら、夕暮れの少し暗くなる5時半ぐらいまで出来きそう、
と思いながら、快調に草を取ったりした。

そして何かと暑さに苦手な私は、こうした曇り空の20数度の中で、
庭の手入れはベストだ、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。

やがて樹の下をもぐるように草を抜いていた時、雨脚の音が聴こえ、
樹の下んら抜けだすと、雨が降っている・・。

そして家内から、お止めになったら・・、と私は中断した。
私は恨(うら)めしげに、5分ばかり庭に降る雨を眺めて、
本日はここまで・・と私は家内に言ったりは午後3時過ぎであった。

やがて私はお風呂で身体を清めて、温めた後、
居間から庭を眺めたら、なぜかしら雨が上がっていた。

そして庭の半分ぐらい小奇麗になり、達成率は50%かょ、と苦笑したりした。
やがて天上の気候の神々は、老兵の私にドクター・ストップの代わりに、通り雨を降らせてくれたのかしら、
と私は独り微苦笑をしたりした。


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年に一度の『特定健診』の検査結果を受けて、やがて微苦笑を重ねて・・。

2014-09-19 14:15:24 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
まもなく下旬の誕生日を迎えると古希と称される70歳となる。

私の住む調布市から2か月前に、年に一度の『特定健診』の通知書を頂き、
この健康診断は、以前は『お誕生日検診』と平成19年度まで称されていたが、
何かしら基本健診に血圧測定、血液検査などが加味されている。

そして私の受診する基本健診としては、
身長、体重、採血、心電、尿検査、血圧測定などが行われた後、最後に医師との問診となっている。
そして胃がん、大腸がんの検診である。
          

昨夕、過ぎし16日に年に一度の『特定健診』を受診して、
この検査の結果の為に、最寄りの内科病院に訪れた。

やがて担当の医師から、基本の受診した採血、心電、尿検査、血圧測定などの結果を解説を受けた後、
大腸がんの検診の結果、異常はありませんでした、と医師から言われたりした。

その後に胃がん検診した時に、バリウムの白い検査薬を呑んだ状況の撮影された幾つかの断面図を
デスィスプレーに映し出され、詳細に解説して頂いた。

そして私は真剣な表情で聴いていたが、異常なし、と医師から言われた時は、眼だけは笑ってしまった・・。


私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている中、
この年に一度の『特定健診』の検査を毎年受診してきたが、66歳の時は糖尿病と診断されて、
青色吐息の中、食事の改善、ウォーキングを積極果敢にして、
何とか糖尿病から半年後に卒業できた苦い体験があった。

そして昨年は、何故かしら『胃がん検診』の結果だけは、『要精検(内視鏡)』に◎印が囲まれていた。
                    
私は担当の医師から、
『胃の下腹にあたる幽門部に粘膜面異常が見られますので、再検査をして下さい』
と写真の6枚を見ながら私に説明をして下さった。

『再検査と言いますと・・胃カメラを呑んで・・検査することですか?』
と私は医師に言った。

『代表的な検査としては、胃カメラで検査することが多いですね』
と明るい表情で医師は私に言った。

『そうですか・・』
と私は呟(つぶや)くように言いながら、落胆した。

私はこれまでの胃がん、大腸がんの検診をしてきたが、すべて良好の『精検不要』となっていたので、
生まれて始めて胃カメラを呑んで、再検査かょ、と何かと小心者の私は怯(おひ)えた。
                    

この後、この医師に調布市で胃腸科に関して評判の良い病院に紹介書を頂き、
そして紹介先の病院に訪れて、胃の再検査を予約の申し入れをした。

やがて評判の良い病院の医師から、梅毒があったら困るので血液検査、そして血圧検査をします、
と私は言われて、女優・島田陽子さんが20代の時のようなだった容姿端麗の看護婦さんから、
血液検査、そして血圧検査を受けたりした。

しかしながら気弱で品行方正な私に、梅毒があったら困るので・・と医師は明言され、
私は苦笑しながら微笑み返しをしたりしたが、何よりも美麗な看護婦さんのお逢いができた上、
検査日は10月24日の午前10時からと決定し、再会できる喜びもあった。


やがて検査日の前夜の9時過ぎからは、コップ半分ぐらいの水に耐えて、
当日の9時半に、この病院に着いた。
やがて島田陽子さんの容貌に似た若き看護婦さんから、何かしら体重測定、そして血圧検査を受けたりした。

そして水飴(みずあめ)のような液体を小さじに頂き、
『口の中で含み、絶対飲んだりしないで下さい・・5分ぐらいは我慢して下さいね』、
と若き看護婦さんから優しく私は言われたりした。

私は幼年期から女性に憧憬する癖がある上、
特に魅了された方には、何かと心も清らかな方と思ったりしてきたので、
『はい! 了解致しました』
と私は従順となり、明るく応(こた)えたりした。

その後、若き看護婦さんから私はベットに横身になるように言われた後、
眠くなりますが、と言いながら私の腕に注射をした。
そして口の周りにプラスティクの円形を絆創膏で固定した・・。
          

何かしら深い眠りから私は目覚め、そして口の周りにあった円形プラスティクもなくなり、
あれぇ・・検査終わったのかしら、とぼんやりとしながら感じたりした。

しかしながら眠りの感じが強く、ウトウトしていたら、
若き看護婦さんが近寄ってきた、検査は終わりましたが、隣のベットで一時間ぐらい、
横たわって下さい、と私に言った。

私は半分眠っているような状態で、隣室のベットに横たわった。

やがて医師の問診があり、私は医師から検査で写した鮮明な写真を8枚ばかり、
パソコンの画面から解説を受けたりした。
『胃潰瘍・・わずかに見られます』
と医師から私は言われたが、家内に胃潰瘍と診断されたこともあったので、私は安堵した。

そして私は『胃癌の初期状態は・・?』
と私は医師に問い合わせた。

『現状では、そのような徴候はありませんょ』
と医師は明るく私に言った。
          

帰路、駅前で家内からの依頼品を買い求めた後、
『胃がん検診』の再検査で、生まれて初めて胃カメラを吞んで受診したが、
恥ずかしながら私は眠っている検査をして下さったのだから、予期した以上に安楽だったなぁ、
と私は微笑んだりした。

そして帰宅後、家内に報告した後、
『胃潰瘍になる人は、何かとストレスの原因が多いらしいわょ』
と家内は私に教えてくれた。

私は現役時代のサラリーマンの時代は、職責を果たす業務の多忙の中、
プレッシャー、ストレスを感じてきたが、
年金生活の今、安楽な生活を過ごしているが、誰しもこの世で悩みの一つや二つぐらいはあるょ、
と微苦笑しながら、心配していた胃癌の初期状況でなくて、安堵したりした。
         

このように60代の10年間の中、二度ばかり障害を越えてきたりし、
身長は170センチが168.5センチと、1.5センチ縮〈ちじ〉んでしまったり、
体重も70キロから76キロと太ってしまったが、
多少太っていても、心身元気であれば良いではないか、と微苦笑を重ねたりとている。


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年金生活10年過ごしてきた中、やはり『健康』、『生きがい』、そして程ほどの『お金』と深めて・・。

2014-09-18 12:50:54 | ☆夢幻のような安楽な60代☆
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の身であり、
まもなく誕生日を迎えると古希と称される70歳となり、早や実質として年金生活は丸10年が過ぎている。

こうした中で、第二の人生と称せられる年金生活を過ごしてきた中、
やはり『健康』、『生きがい』、そして程ほどの『お金』かしら、と感じ深めている。

『健康』に関しては、もとより健康でなければ、それぞれの人の日頃のささやかな願いも叶わない。
私は現役サラリーマンの時代の時、50歳の頃に会社の懇親会で、
定年退職されたOBの65歳のひとりと談笑した時に、
年金生活になると、病院にお金を運ぶか、趣味でお金を使えるか、と教示され、
天と地の開きがありますね、と私は応(こた)えたりした。

そして大病は、ご自身の自助努力と幸運がなければ避けられない、と漠然と思ったりした。
          

私の中学時代の同級生の女性のひとりが、父上が中小業の創業者で成功され、裕福な家庭で育ち、
私たちのクラスでは、ひときわ目立った同級生であった。

やがて私は40歳になった頃、休日のひととき、家内から依頼されたケーキを求めて、
最寄駅のひとつの『成城学園前』の駅前の近くにある洋菓子店で、
偶然に逢い、誘われるまま、2階にある喫茶ルームで談笑した。

何かしら20代のなかばで結婚されて、相手の男性はある国立大学を卒業されて、
ある大手の民間会社で奮闘されて、国内はもとより海外の生産工場まで飛び回っているので、
休日も少ない、と私は聞いたりしていた。

そして高校2年、中学2年生の男の子、小学6年生の女の子がいるわ、
と明るく楽しげに私に話しかけられ、私はまぶしげに聞いたりしていた。

やがて近くに家があるから、と聞いたりしていたので、
送りながら私たちは中学時代の幾人かの同級生の話題をしたりし、
まもなく、ここが私たちの家、と言われて、門扉の前で私たちは別れた・・。

そして私は門扉を通して、広々とした敷地、豪壮な洋風の家を見ながら、
私のようなサラリーマンでは生涯の給与、ボーナス、退職金を合算を想定しても2億5000万円前後が限界だし・・
とても・・桁違いの裕福なご家庭だ、と羨望も嫉妬も超えてしまった。
          

この後、10数年過ぎた時、この主人が突然に亡くなり、
私は近くの寺院でお通夜に参列して、ある事業部の責任者に栄進されたので、盛大な葬儀が執行されていた。
やがて心筋梗塞で死去された、と私は聞いたりした。

そして現役時代は死ぬ気で働らくが、退職後は南太平洋でのんびりと過ごしたい、
こうした思いがあった、と私は聞いたりし、仕事に殉じた企業の戦死、と思いながら瞼(まぶた)が熱くなった。

やがて遺(の)された私の同級生、そして成人前後のお子様・・
こうした心情に思い重ねる、と人生は時には残酷なことを・・と思い馳せたりした。


私が定年退職して、まもない時に中学校のクラスの有志会に参加した時、
この女性の話題がたまたま成った時、仲良しだった同級生の女性から、
今は仙台に住んで、ご長男宅に同居しているが、あいかわらず裕福で生活には困らないが、
少し寂しそうだったわ、と電話連絡の時に感じられた、と私たちに教えてくれたりした。
          

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をしている。

私が現役サラリーマンだった58歳の時に、同僚の死去に接したり、
そして年金生活を始めて数年過ぎる中、先輩、同僚だった人たちの死去を知り、
余りにも若き60代なのに、と戸惑いながら、ご冥福を祈ったりしながらお通夜に参列したりした。

私は定年の5年前に、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。
          

こうした中で、私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。


私は定年退職後、年金生活を始めた当初から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりして、数冊を買い求めたりしている。
その後も独りで自宅から3キロ範囲の遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

        
        
定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなくなったのである。

そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

こうした中で、ときおり小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか重ねている。
          
      
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、と享受する時もある。

年金生活の我が家の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしているのが、
我が家の実態である。
          

このように年金生活を過ごしているが、私は敬愛しているチャップリンの遺(のこ)された言葉のひとつに、
《 人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー。 》
という名言があり、人生の確かな格言ですねぇ、と程ほどの貯金しかない私でも、信愛しているひとりである。

このような私であるので、もとより健康は大切である、と確信を深めながらも、
余りにも我が身を安住な環境ばかりこだわり安息な日々を過ごすと、この残された人生は狭い思考となるので、
ときには私たち夫婦は異郷の地に旅路を重ねてきた。

そして私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、
せめてと思いながら日本の四季折々の各地を訪ねてきた。

例えば北海道の各地、雪舞い降るマイナス10数度の中、
山里、街の外れなどの雪路を歩きながら、圧倒的な異郷の冬麗な美の情景を享受している。


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都議の諸兄、国の方針も理解できず、国際常識の感覚も欠けた人は、辞職を要望。

2014-09-17 21:42:02 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市の片隅みに住む年金生活の69歳の身であり、
昨夕、NHKのニュースを視聴していた時、
・・今年6月の東京都議会で、本会議中に女性都議が「早く結婚した方がいいんじゃないか」とヤジを受けた問題を契機に、
約5年半にわたって休眠中だった都議会の超党派でつくる「都男女共同参画社会推進議員連盟」の会合が16日開かれた。

そして会長に選出された自民都議は会合後、報道陣の取材に対しヤジ問題について、
「(議会など)公の場ではなく、平場(普通の場)なら『結婚したらどうだ』という話は僕だって言う」と語った。

この日、会長に就任したのは自民党の野島善司都議(65)。
報道陣から「どういう場で言ってもセクハラになるのでは」と問われると、
「平場は全くプライベートな場だ」などと説明。
私的な場であれば問題はないとの考えを示した。

ヤジ問題を巡っては、自民党の男性都議がその後、発言を謝罪し、会派を離脱している。
都議会は17日開会で、同僚の自民都議は「発言の真意はともかく、不用意な発言で、また議会が混乱しなければいいのだが」と語った・・

このような意味合いの内容(注・読売新聞を転載)を女性キャスターが報じて、
この女性キャスターは、この後に女性の蔑視が感じ、困惑しています、
と発言し、私でも東京都の議員でも、国の方針も理解できず、国際常識の感覚も欠けた人は、辞職して欲しい、
と強く感じたのである。
          

過ぎし6月、東京都議会本会議で晩婚化などについて質問した塩村文夏あやか都議(35)が、
自民会派に所属していた都議から女性蔑視のヤジを受けた問題で、
第2回定例会最終日を迎えた都議会は25日、
名乗り出た鈴木章浩都議(51)以外のヤジの発言者を特定できないまま閉会した時、
私はこのサイトに於いて、6月26日【議会の審議中の『ヤジ』、無力な私でも、悪しき風潮に憂い・・。】
と題して投稿した。
          

この時の私の投稿文に対して、コメントを頂いた方に、私は、
《・・(略)・・私も《複数のヤジ》に関し、調査案否決して、都議会幕引き図ったことに、
都議会の運営と進行の責任者の議長は、鈍感な人と感じている次第です。

特に今回のセクハラのヤジの場合は、東京都の議会の余りにもモラル低下が露呈され、
少なくとも今後の東京オリンピック開催都市として、何かと主要国から注視されているのが現状です。

そして当然ながら、海外メディアから批判されました。

今回の騒動の対処方法は、たとえヤジの悪しき風潮が蔓延している今日、
厳重に処分するのが、東京都の議会の失墜を回復する機会、と思っている次第です。

具体的にはヤジを飛ばした複数の人たち・・議員辞職させるべきです。

各都会議員の選出した各住民の有権者の方たちは、
私たちが選んだ議員先生は、余りにも心の節度が欠ける人だった、
と納得して、理解できる、と思ったりしている次第です。

そして今後、各自治体、そして国会もヤジが失くして、真摯に審議を願っている次第です。・・》
このように私はコメントの返信をした。
                    

この時の都会議会は一時紛糾したが、閉会後、舛添知事は
「女性の尊厳を傷つけるヤジは決してあってはならない」と苦言を呈し、
鈴木都議以外の発言者が特定されていないことに「それぞれの議員が、それぞれの責任感で対応してほしい」と述べた、
と私は新聞の記事で読んだりした。


そして今回の発言の結末として、『都議「結婚したら」発言謝罪…議連会長職は続投』、
と本日の夜、ニュースで知り、私は落胆した・・。
          

国政に於いて政府・与党は、安倍首相が最重要課題に掲げる「地方創生」や
「女性が活躍できる社会」の実現に向けた法案を提出している中、
たとえ東京都の都議会議員でも、
まして自民党の議員「女性が活躍できる社会」の実現に向けた察知する能力が求められる。
こうした察知能力の欠けた議員に、私は唖然とする・・。

その上、8月の外国人旅行者は過去最高の111万人が来日されて、前年実績を上回るのは19か月連続、
と社会状況となっている今日、
やがて2020年に於いて東京オリンピックが開催される社会的な状況となっている。

こうした背景の中、東京都の都議会議員でも、数10年以前の悪しき女性蔑視の風潮を今でも、
心の片隅にあるオヤジ議員は、今回を機に、議員を辞職して頂きたい、と都民のひとりとして要望する。


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