夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

セカンドライフ、60代は安楽は当然、70代からの晩秋期こそが大切、と私は先輩から激励されて・・。

2016-10-31 12:38:25 | ささやかな古稀からの思い
私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、早や年金生活13年生となっている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

ときおり私は60代の10年間の年金生活を振り返る時は、
ここ7年前の頃から、世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、何かと安堵しながら、
セカンド・ライフに於いて、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
数多くの知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。
           
そして私も過ぎ去った60代の年金生活の10年間の日々は、
つたない定年まで半生から比べれば、私の人生の中で何より安楽な時代、
と思い重ねたりして享受し、大病に遭遇せず、70代も継続している・・。


過ぎし一か月の頃、会社時代のOB懇親会が開催されて、
私は現役サラリーマン時代に何かとお世話になった上司に、
『在籍中は、何かとご迷惑ばかりお掛けしまして・・』
と私は上司だった御方に挨拶を切りだしたりした。

やがて談笑をしたりした後、最後に、
『貴方が60代の年金生活は安楽だったことは、良く分かったが、
殆ど多くの60代の人たちは、それぞれ実感しているからねぇ・・
やがて70代からの晩秋期からは、いろいろあるから大切にねぇ・・』
と80歳を迎えた上司だった人から、72歳の私は激励されたりした・・。
            
           
私は年金生活を始めて2年過ぎた時、会社時代のOB懇親会が開催され、
私は御世話になった16歳の大先輩と談笑していた中、
『年金生活の中、病気になって病院にお金を運ぶか、
或いは自身の好きな趣味に使うか・・人それぞれだよねぇ・・』
と私は言われたりした。

そして私は『確かにセカンンドライフを過ごす中、天と地ですよねぇ・・』
と私は漠然としながら応じたりした。
             

私が現役サラリーマンで奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
           
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
  
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

もとより70代、80代の私より年上の御方でも、心身溌剌と過ごされている方達も、
近所にいる御方、知人に多くいることも、私は知って、少しでも学ぼうとしている。
            
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
             

このように不運にも60代で、この世とお別れをする御方はいるが、
殆ど人は、誰しも自身のそれぞれの願いを叶えたく、その人なりの自助努力で、
心身ともに自立して健康を配慮して過ごされ、セカンドライフをそれぞれ享受して過ごされている。
            

長寿社会の中、私は健康寿命と平均寿命に関して、
遅ればせながら過ぎし高齢者入門となった65歳の時から、強く意識を始めたりした・・。

厚生労働省の「平成25年簡易生命表」などによれば、
男性は健康寿命は71.19歳、そして平均寿命は80.21歳、
女性は健康寿命は74.21歳、そして平均寿命は86.61歳、と公表されてきた。

そして平均寿命と健康寿命の間には、男性で約9年、女性で約13年の差があり、
それぞれ人生の晩秋期として、何よりも悩ましい難関の期間となる。

もとより健康寿命は、健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間であり、
やがて要支援・要介護状態となり自立度の低下や寝たきり、終末期となる。

そして誰もが最後まで、健康で心身溌剌とした生活を送りたいと念願して、
自助努力されて過ごされている、と私は深く感じたりしてきた。

昨今、75歳以上の男女は 体力が過去最高に向上された、と私は感じ、微笑んだりした・・。
そして平均寿命が延びて、行動的な高齢者が増えつつある中、
20数年前より、多くの御方が5歳~10歳ぐらい若返りになっている、と私は感じたりしてきた。
            

私は年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、何よりもいつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

私たち夫婦は幸運にも、これまで大病に遭遇せずに、年金生活を過ごしてきた。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
            
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
                          
                                             
このように年金生活を過ごしているが、『生きがい』が最優先であり、そして『健康』であり、程ほどの『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

70代の後半か80代か判らないが、いつの日にか、この世とお別れになるが、
もとより自助努力も肝要であるが、こればかりは神様か仏様の采配に寄る、と漠然と思いながら、
過ごしている。

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繁華街でハロウィーンの仮装をされた人々の中、老ボーイの私は、サンタクロースの姿で、ゴミ拾いを夢想して・・。

2016-10-30 16:01:04 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、自動車もない稀(まれ)な家となっている。

たまたま昨日の夕食と時に、明日(あした)駅前で買物したい、と家内は要望されたので、
『はい、了解しました・・』
と私は若き自衛官に負けないように、明るく少し大きめの声で応じたりした。

私はボケてはいけないと、はっきりと言ったり、返事をする習性が、
65歳頃から体力の衰えを実感してきたので、せめて応対ぐらいは明確にする習慣となってきている。

本日、私たち夫婦は我が家を9時過ぎに、20分ぐらいを歩いて駅前に出たりした。
もとより私は家内のボディガード、お供そして荷物持ちとして、
スーパー、衣服専門店、ドラッグストア、ホームセンターなどを廻る予定で、商店街を歩いてたりした。

やがて家内は女性専用の衣服専門店に買物している間は、
私は駅前近くのベンチに座って、待機していた・・。

こうした時、どうした訳か判らないが、今朝7時過ぎにNHKテレビが報じていたニュースが思いだされた・・。
            

確かハロウィーン前に仮装した人で混雑に伴い警察が警戒した概要であった。

《・・31日のハロウィーンを前に、東京・渋谷では、29日から30日未明にかけて、
仮装した大勢の人たちで混雑し、警視庁が警戒に当たりました。
大きなトラブルなどはありませんでしたが、路上などに多数のごみが放置されたままになっていました。

29日は、土曜日ということもあって、東京の渋谷駅周辺では、
31日のハロウィーンにちなんで、仮装した若者や外国人などが大勢集まって混雑しました。
混雑は30日の未明まで続き、警視庁は機動隊を出動させるなど数百人の態勢で警戒に当たりました。

駅前のスクランブル交差点では、「DJポリス」として知られる機動隊の広報班などが出て、
信号が変わるまでに交差点を渡りきるよう呼びかけていました。

また、混雑が激しくなったため、ハロウィーンでは初めて、
29日午後8時半ごろからおよそ4時間にわたって、駅近くの車道の交通を規制して歩行者に開放しました。
警視庁によりますと、大きなトラブルはなく、けが人もいなかったということです。

一方で、歩行者に開放されていた車道や路上の植え込みなどあちこちに、
空き缶や飲食物の容器、それに仮装に使われた衣装などのごみが多数、放置されたままになっていて、
警察官がごみ拾いをしていました。・・》
            

このようなことが報じられていたことを思いだして、私はサンタクロースの姿に変貌して、
繁華街で圧倒的にハロウィーンの仮装をされた人々の中、歩きたいと思い馳せたりした・・。

私は笑顔を浮かべながら、純白トリミングのある真っ赤な服、
そして真っ赤なナイトキャップ姿で、白ヒゲを生やした太りぎみの老人に扮して、
背中には都民の象徴となってきた緑色に染めたゴミ袋を背に覆(おう)うように歩き廻る。

そして多忙で重責のある警察官の助太刀として、放置された空き缶や飲食物の容器、ごみを拾う・・。

全国の殆どの園児でも、ゴミは指定されたゴミ箱に捨てるし、空き缶なども指定された箱に捨てるのに、
ハロウィーンの名に借りて、いまどき若者は、中学校の義務教育を卒業しても、情操教育ができていない、
と呟(つぶや)きながら、ごみ拾いをする・・。
            

こうしたことを夢想していたら、まもなく家内が大きな手提げ袋を提げて、
笑顔を浮かべながら、私に近寄ってきた。

『良さそうなカーディガン、買えたわょ』
と家内は私に言ったりした。

やがて私はホームセンターで昨年の12月初旬に、サンタクロースの衣裳が売り場にあったことを思い浮かべて、
『島忠(注・ホームセンターのひとつ)で、サンタクロースの衣裳・・売り場に置き始めたかなぁ・・』
と私は家内に言ったりした。
            

『どうして・・』
と家内は私に言ったりした。

『心機一転・・街中のハロウィーンの仮装に賑わう中、私がサンタクロースの姿で歩く・・』
私は家内に言ったりした。

『おかしいわ・・だってハロウィーンと、クリスマス・・シーズンが、違いますから・・
もしかしたら、あなたは警察に補導されるかも・・』
と家内は微笑みながら私に言ったりした。

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夫婦2人で月19万円の年金、やがて団塊世代が75歳以上になった後、まさか年金が半分程度に削減、私は学び震撼させられ・・。

2016-10-29 13:25:55 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
一昨夜に続き、マネーコンサルタント、経済の専門家と知られる神樹兵輔(かみき・へいすけ)さんが、
【『縮小ニッポン国』のサバイバル突破思考!】と連載記事を寄稿されている記事を読んだりした。

こうした中、【 夫婦2人で月19万円の年金、半分以下に削減か・・受給開始年齢も75歳へ引き上げも 】
と連載記事を読み終わった後、溜息を重ねたりし、やがて震撼させられた・・。

特に思案させられた代表的なことは、現行の厚生年金平均受給額は夫婦で19万円であるが、
約10年後の2025年には、団塊世代(敗戦直後の1947~49年生まれ、約700万人)の全員が、
すべて75歳以上の後期高齢者となり、そして65歳以上高齢者の人口比率が、現在の27%から30%へ増加し
社会保障費の総額は、膨張する。

こうした中で、年金制度は莫大な負担に耐えきれず、やがて現行の年金平均水準は、やむなく5割以下の給付水準に
ならざるを得ない状況になる。

私は年金で年金生活の基盤とし、不足分はやむなく程ほどの貯金を下ろして、
生活しているので、肝要な基盤が崩れて、生活が困窮すると震撼させられたりした・・。
            

この記事は、『Business Journal』に於いて、2016年8月15日に配信されていたが、
無断ながら記事を転載させて頂く。

《・・
☆社会保障体制の崩壊の構図

あと約10年で、まず年金積立金が、底を突き始めます。

2015年9月時点で135兆円あった年金積立金(過去の余剰分)は、すでに毎年6~7兆円が取り崩され、
株式の運用損もあり、今後またさらに負けが込み、急速に減少していきます。
先進国は、いずれも戦後成長の限界に達し、経済停滞は常態化する兆候をみせているからです。

年金受給年齢も、現行の65歳以降から70歳、75歳以降へと繰り延べされるか、
現行受給額の半分以下の水準へと、急減せざるを得なくなるでしょう。
日本人のほとんどが、満足な貯蓄額もないまま、「老後貧困」地獄に陥る恐れがあります。
            
015年の医療費(薬剤費含む)は40兆円でしたが、あと10年で50兆円超に膨らみます。
医療機関に掛かった際の現行の3割負担では到底賄えず、5~6割負担になるともいわれています。

高額な医薬品も増えており、現行では年10兆円の薬剤費が、
大幅に増えていくと、50兆円以内にとどまるかどうかも懸念されます。

介護保険制度の報酬総額も、2015年の10兆円(税金投入2.8兆円)が、
10年後には25兆円になります。

保険料もアップされたうえ、現行の利用者1割負担などでは、到底制度は持たず、
3~4割負担の時代になるはずです。

生活保護費も2014年で3.8兆円を突破し、もはや限界で(国75%・自治体25%負担)、
8つの扶助のうち、すでに「生活扶助」「住宅扶助」の減額も始まっています。
            

年金受給者の半数が60歳以上ですが、現行の1人世帯で10万円弱、夫婦2人世帯で20万円弱の支給額も、
今後貧困者の激増が予想されますから、給付額は減らさざるを得ず、
現行水準の半分程度にまで圧縮される、との見通しも多いです。

いずれにしろ約10年後の2025年には、団塊世代(敗戦直後の1947~49年生まれ、約700万人)の全員が、
すべて75歳以上の後期高齢者となり、そして65歳以上高齢者の人口比率が、現在の27%から30%へ増加し、
社会保障費の総額は、現在の110兆円から150兆円規模になると推計されています。

なかでも年金制度は、莫大な負担に耐えきれず、現行の厚生年金平均受給額は夫婦で19万円ですが、
将来的には5割以下の給付水準にならざるを得ないのです。
            

☆今の若者世代は、今よりひどい老後地獄

日本では1990年代前半のバブル崩壊以降、少子高齢化の問題が浮上しつつありましたが、
政府は本腰を入れることなく、事実上の放置状態を続けてきました。

現役世代と65歳以上の高齢者世代の人口バランスが崩れれば、社会保障制度は、機能不全に陥ります。
子供の数は減る一方なのに、待機児童問題は一向に解決しないまま、
ただひたすら「少子高齢化・人口減少問題」は、放置され続け、もはや「手遅れ状態」となっています。

ところで問題は、社会保障体制が崩れ始める10年後だけではありません。

現在20~30代の人たちが65歳以上あるいは75歳以上の後期高齢者になる44年後の2060年には、
全人口に占める高齢者比率が、4割を超えてしまいます(全人口は9000万人弱)。

すなわち日本は、社会保障体制が崩れ始める10年後以降、
高齢者が人口の半分近くまでに増えていき、ますます厳しい事態を迎えるわけです。

日本人の平均寿命は男性80歳、女性87歳ですが、健康寿命は男性71歳、女性74歳です。
つまり、男性80歳、女性87歳時点で、半数が死亡し、
男性71歳、女性74歳時点で、半数が介護を必要とする状態になる可能性が高いということです。

民間の有料老人ホーム施設に入るとなると、リーズナブルな施設の平均でも毎月1人分で25万円程度かかります。
年金を1人で25万円分も受給できる人は、今でも少ないですが、今後はもっと少なくなっていき、
こうした民間の有料老人ホームですら、ビジネスモデルが成り立たなくなる可能性もあります。

そうなると、6畳一間に布団を敷き詰めた部屋に、高齢者を5人も6人も詰め込む「無届介護施設」が、
月4~5万円からありますが、日本の老人のほとんどが、こういう劣悪な施設で、哀しい余生を送ることにもなりかねません。

今の20~30代の人は、あと40年そこそこで、こういう施設で人生の終焉を迎えねばならなくなる可能性が高いわけです。
こうした事態を避けるためにも、拙著『老後に5000万円が残るお金の話』(ワニブックス刊)では、
現役時代からできるサバイバルの要諦を説き、自助努力を推奨しています。
            

☆現役若者世代こそが、政治に物申すべき

ところが現状では、世間の人々は、平穏な世の中がこれからも続いていくかのように、錯覚しています。

オリンピックなどやって浮かれている場合ではないのです。
7000億円の東京オリンピック予算が、2~3兆円に膨らみそうな一方、
社会保障体制が崩壊して、国民の命が危険に晒される可能性があるのです。


若者世代は、せめて次のようなことだけでも、声高に政治に訴えるべきではないでしょうか。

※3~4割も労賃をピンハネする労働者派遣業の全面禁止
       全労働者に占める非正規雇用労働者4割のうちの6%に相当。全労働者に占める割合は2.4%
 
※2人目の子供が生まれた世帯には、一括1000万円のボーナス支給
       毎年2人目の100万人分支給で毎年10兆円・消費税4~5%分に相当

※内部留保を一定額以上貯め込んだ大企業には、定員割り当てで、保育所施設の設置を義務付ける
       2016年3月末で366兆円とGDPの8割弱、うち現預金だけで181兆円に上る

※個人・団体とも、政治献金を禁止するか、政党助成金制度廃止
       大企業による政治支配を根絶し、国民がもつ1票の権利に基づく国民主権を確立する

※年間80日程度しか議会活動(しかも所要は1時間以内が大半)がない全国の地方議員を、
       諸外国同様に夜間議会のボランティア制にして、現行の年間報酬総額3600億円
       (県会議員は平均2000万円、市は800万円、町村は平均450万円で総数3万5000人)をカットし、
       低所得世帯の就学援助金に回す

少子高齢化・人口減少が加速するままでは、確実に今よりひどい老後地獄が襲ってきます。
将来「ゆでガエル」にならないために、若者世代こそが大きな声を上げるべきです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

記事を読み終わった直後、私は溜息を重ねたりした・・。

約10年後の2025年には、団塊世代(敗戦直後の1947~49年生まれ、約700万人)の全員が、
すべて75歳以上の後期高齢者となり、そして65歳以上高齢者の人口比率が、現在の27%から30%へ増加し
社会保障費の総額は、膨張する。

それまで期間は、年金でも見直しされるたびに数パーセント減額されると思い、
健康保険は私は二割負担であるが、少なくとも私が75歳以上の後期高齢者となった時でも、
現行制度の一割負担は夢と化して、よくても二割負担と思案したりしている。

そして2025年を過ぎた後は、やがて社会保障費の総額は膨張し、
政府はやむなく社会保障制度の破綻を避けるために、年金は現行水準より半減することは、
私にとっては悪夢であるが、受け入れるしかない。

私は何かと甘ちゃんの為か、2025年を過ぎた頃は、
年金は現行水準よりは最悪の場合は、20%ぐらい削減されると覚悟もあったりしたが、
まさか50%前後削減は勘弁してほしい、と思ったりしている。

こうした事態は少子高齢化社会の中、社会保障費は膨張し、
裕福な人を除き、殆ど人が先暗い社会となると思われ、私は震撼させられたりした。

或いは現役若者世代こそが、私たち世代より遥かに社会保障制度維持に負担があり、
今よりひどい老後地獄が襲来する、と教示されて、動顛させられたりした。
            

この2025年になった時は、この世に神様か仏様の采配か判らないが、
生かされていれば私は81歳であり、家内は76歳となり、後期高齢者夫婦となる。

そして体力も衰えて、年金支給は半減とされた中、かっては人生は気合だ、と自身を叱咤激励した私は、
ヨボヨボとしながら、果たしてどのような形で生活をしていくか、即答できず、思案ばかり重ねている・・。

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65歳時点で貯蓄3000万でも、長生きすると生活保護水準以下の「老後貧乏」、高齢者の私は学び、動顛して・・。

2016-10-28 13:55:09 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
昨夜、ときおり愛読しているネットのビジネスの”本音”に迫る『Business Journal』を見ている中で、
【 老後貧困の恐怖!貯蓄3千万でも破産の恐れ、年金のみでは月8万も生活費不足? 】と題された見出しを見た・・。

私は貯蓄3000万円でも、どうして破産の恐れがあるの、
と思いながらクリックして記事を読んでしまった・・。

やがて65歳時点で貯蓄3000万円でも、長生きすると生活保護水準以下の「老後貧乏」になると学び、
程ほどしか貯金のない私は、動顛させられたりした。

この記事は、マネーコンサルタント、経済の専門家と知られる神樹兵輔(かみき・へいすけ)さんが、
【『縮小ニッポン国』のサバイバル突破思考!】と連載記事を寄稿されている中、
今回の【 老後貧困の恐怖!貯蓄3千万でも破産の恐れ、年金のみでは月8万も生活費不足? 】は、
昨年の2015年7月16日に配信されていたが、 無断ながら記事の殆どすへてを転載させて頂く。
            

《・・先月、走行中の新幹線車両内でガソリンをかぶり焼身自殺した男性(71歳)は、
2カ月ごとに支給される年金額が24万円だったといいます。

年間144万円になるわけですが、この老人は「35年働いて月12万円では少ない」と不満を漏らし
「家賃も、住民税も払えない」とこぼしていたとされます。

「住民税が払えない」というのは、おそらく前年まで働いていた清掃会社での課税分と思われますが、
年金加入35年間の単身高齢者の年金受給額が、月額12万円というのは、本当に少ないのでしょうか。

というのは、老齢厚生年金・老齢基礎年金の月額12万円から逆算すると、
40年間払い込みのケースで月額生涯平均給与は、30万円レベルだったことが想定されます。

この男性は35年間という若干短い期間であり、生涯平均給与額は35万円前後であったと推定できます。
ちなみに生涯平均給与額は、一般的に38歳時点の水準といわれます。

給与が35万円だった場合、現時点での計算ですが厚生年金保険料は17.474%(2015年度)なので、
会社と本人分の合計で、月額6万1159円の年金保険料になります

(本人負担分は半額の3万579円)。月額6万1159円を35年間納めた場合の合計は、
年間73万3908円×35年=約2569万円になります。
            

男性は71歳なので昭和19年生まれとすれば、60歳時点から老齢厚生年金の報酬比例部分が全額支給され、
62歳からは定額部分(基礎年金額と同額)も受給していたはずなので、
60~70歳までの10年間で、すでに1350万円前後の年金を受給していたことになります。

ちなみに現在、厚生年金は65歳からの受給開始に、移行中です。

日本人男性の平均寿命(80.21歳)まで、あと9年生きたとすると、
さらに1296万円受給できるので合計では2646万円になり、
本人と会社が折半で支払った合計保険料(2569万円)は、元が取れます(金利計算は除外)。

なお、平均寿命は実際には、同年代の半分以上がまだ生き残っており、
男性の場合90歳でも21%の人が生き残っています(女性は47%が生存)。

今回焼身自殺した男性は平均寿命以上に長生きしていたら、払い込んだ年金保険料以上を受給でき、
かなりトクをすることになったでしょう。

また、仮に同年齢の専業主婦(無職)の妻がいた場合、35年加入で妻の老齢基礎年金額も67万円ほど加算されるため、
70歳までで約2000万円、80歳までには4110万円の合計受給額となり、
支払った保険料の総額(2569万円)をはるかに、上回っていたことがうかがえるのです。

このように、年金は、単身よりも夫婦世帯で受給するほうが、何かとトクをするのです。
            

妻が会社員だった場合には、妻も老齢厚生年金を受給でき、
妻が年下だと65歳になるまで、夫には年額39万円の加給年金も支給されます。
ちなみに、これは50歳以上の人に届く年金定期便の「65歳から支給される年金見込み額」に記載されていない金額です。

このように考えてくると、この男性の場合、
他の年金受給高齢者世帯と比べても、特段に年金が少ないとは、いえないのではないでしょうか。


単身の自営業者だった場合には、国民年金だけにしか加入できず、
月額1万5590円(15年度)を40年間払い込んで、65歳からの受給額はたったの月額6万5000円だけなのです。

妻が専業主婦の場合でも、国民年金は支払い義務があり、その場合、65歳以降は夫婦での合計受給額は13万円です。
ただし、国民年金も65歳以降の10年間受給(1人780万円)しただけで、
40年間の支払い総額(1人約748万円)の元は取れます。
            

☆年金より生活保護受給のほうが、高額のケースも

ところで、この焼身自殺した男性が住んでいた東京都杉並区の月額生活保護額は、
約14万円(生活扶助と住宅扶助)なので、この男性の年金額より、多くなってしまいます。

生活保護受給世帯になれば、税金も健康保険料も介護保険料も免除され、
医療費、介護費、都営地下鉄、都営バスも無料になります。

実は65歳以上高齢者世帯の4割が、すでにこの男性同様に、生活保護以下の「老後破産」状態にあるといわれます。

また、実際に貧窮度が高いために、生活保護を受給している世帯の約半数は、
すでに高齢者世帯になっている現実もあります(162万世帯中76万世帯が65歳以上の高齢者世帯)。

生活保護水準以下の老後破産状態であっても、なまじ貯蓄があったり、持ち家などの資産があるため、
生活保護を受けられずに暮らす65歳以上の高齢者世帯は多いのが現状です。
            

厚生労働省のデータによると、平均年金受給額は65歳以上の高齢者世帯で、約19万円です。
総務省の家計調査による無職の老後夫婦の最低生活費は、約27万円(年324万円)なので、
平均年金受給額との差額は、月8万円(年96万円)の不足になります。

少し余裕のある生活には、夫婦で合計約38万円(年456万円)が必要といわれており、
月19万円(年228万円)の不足となります。

65歳以降も10~20年と長生きすることを考えると、
貯金が3000万円あっても、安心できない状況であることがわかります。

65歳時点で3000万円の貯蓄があっても、長生きすると貯蓄が尽きた時点で、
生活保護水準以下の「老後貧乏」「下流老人」「老後破綻」の状態になるのは、確実なのです。

日本人の60歳時点における貯蓄(中央値)は約1400万円なので、
60歳以降働かなければ、65歳までは無年金のため、老後世帯の最低生活費27万円で暮らしたとしても
5年間で1620万円かかります。

この場合、65歳から老後破綻状態となってしまいます。
            

☆「人生の3大無駄遣い」をしない

年金は、今後約30年経過した段階で、公的年金支給額の伸びを賃金や物価の上昇分より抑えるマクロ経済スライドにより、
厚生年金が2割、国民年金が3割減らされる見通しです。
また、受給できる年齢も65歳からではなく、67~70歳に繰り延べされることも予想されます。

現在は130兆円ある過去の積立金も、これまでのように毎年4兆円ベースで取り崩されていけば、
30年後には、ほぼ枯渇します。
年金財政は、確実に先細りしていくわけです。

なにしろ2030年以降は、現役世代(15~64歳)1.3人で、65歳以上の高齢者1人を支える構造になりますから、
今以上に税金投入を増やしても、年金財政は綱渡り状態になるのです。

年金が破綻した場合、65歳時点で貯蓄が5000万円以上なければ、
安心して老後生活を迎えることが、できないという事態になりかねないのです。

老後資金を貯めるには、まず「人生の3大無駄遣い」をやめることが、貯蓄を成功させる要諦になります。
3大無駄遣いとは、「住宅ローンによるマイホーム取得」「生命保険への加入」「マイカーの保有」の3つです。
これらからすみやかに脱却し、貯蓄に励み、資金を複利・分散・長期に殖やしていく手立てが欠かせないわけです。

住宅ローンによるマイホーム取得は、ローン完済後に3500万円以上の損失を生みます。
生命保険への加入は、1世帯当たり1200~1500万円の損失を生みます。
そしてマイカー保有は、30年間で3000万円の損失を生みます。

住宅は、価値が大幅に毀損し、民間の生命保険は、代替手段(健保による傷病手当金制度や高額療養費制度、年金による障害年金、
遺族年金制度、企業の死亡退職金、格安の共済など)が充実しているため不要です。
また、マイカーはコストに含まれる税金が高額のため、できるだけ保有しないことが肝心です。

詳細は拙著『40代から知っておきたいお金の分かれ道』(フォレスト出版)をご参照いただければと思いますが、
この「3大無駄遣い」をやめれば、5000万円ぐらいの資金は簡単につくり出せ、
それをさらに大きく殖やしていくことも可能になるのです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私たち夫婦は、セカンドライフと称せられる私の定年後の生活の改めて話し合ったのは、
1999年(平成11年)の新春の当時で、私が54歳あった。

私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭であるので、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったりしてきた。

私は1970年(昭和45年)の春、この当時としては大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、やがてこのレコード会社で、制作に直接かかわらない情報畑、
経理畑、営業畑などで奮戦した。

この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、                                   
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤め始めた時であった・・。
            

こうした時に、私が定年退職を出来た後、どのような生活をしたいか、そして生活資金などを話し合った。
具体的には、私たち夫婦の第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
                     
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。
                                                  

こうしたことを実現するためには、現在の我が家の貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、
そして年金の推定額も算出し、収支概算表を年別に作表し、平均寿命までの年を総括表にしたりした。

そして、毎年の月別は、家計簿の応用で収入の項目、支出の保険、税金等を含め、
予定表も作成したりした。

この時の私は、幸いに住宅ローンを終えていたが、私は1944年(昭和19年)9月生まれであるので、
年金の満額の支給は62歳であり、それまでの2年間は、満額のほぼ半分となるので、このことも配慮した。

そして年金が満額となった62歳からの生活の収支は、
私たち夫婦の共通趣味である国内旅行費、そして冠婚葬祭など諸経費は例外として、
原則として生活費は年金を頂く範囲として、収支の概要を作成したりした。

                                                      
こうした中、不慣れな遠い勤務先の出向会社に私が奮戦している時、
出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたりした。

この間、経済にも疎(うと)い私が、信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。

このようにつたないサラリーマン航路を過ごし、せめて残されたセカンドライフは、
多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めたのは2004年〈平成16年〉の秋であり、
早や丸12年が過ぎ、年金生活13年生となつている。
            

我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ12年ばかり過ごしてきた・・。

こうした中で私たち夫婦は、月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している。

もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は目減りは減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。

私たち夫婦は年金生活をして13年目となるが、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、
安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。

そして年金生活を始めて数年は、200万円前後の赤字となったりしたが、
その後は毎年は120万円前後の赤字の実態なので、予定通り貯蓄の残額は減るばかりとなっている。
                         

今回の記事で、何よりも動顛させられたことは、
《・・65歳時点で3000万円の貯蓄があっても、長生きすると貯蓄が尽きた時点で、
生活保護水準以下の「老後貧乏」「下流老人」「老後破綻」の状態になるのは、確実なのです。・・》

或いは男性の日本人男性の平均寿命(80.21歳)、《・・平均寿命は実際には、同年代の半分以上がまだ生き残っており、
男性の場合90歳でも21%の人が生き残っています(女性は47%が生存)。・・》

過ぎし私たち夫婦がセカンドライフを思案した時は私が54歳であり、
私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。

この時は、友人、知人の死に遭遇したりし、私は漠然としながらも80歳までは想定外であり、
70歳を迎えて、やがてにあの世に旅立つ、と思ったりしてきた・・。

そして私は年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、何よりもいつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

このような生活を過ごしてきた私は、神様か仏様か解らないが、80歳の誕生日を迎えられる、
ひよっとすると80代なかばまで、体力は衰えながらも、生きていられるかしら、ときおり思い馳せることもある。
            

しかしながら男性の多くは、70代となれば体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には、介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

このように長生きすればするほど、お金が程ほどにあっても、やがて・・と思ったりしてきたが、
今回の記事で具体的に多々教示されたが、やはり私の晩年期の最大の難題かしら、と少しうつろになりながら、
気落ちしたりしている。

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1日全体を良くするような5分の朝活、日記か瞑想か運動、高齢者の私は学び、苦笑を重ねて・・。

2016-10-27 15:56:55 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
昨夜、ときおり愛読しているネットの『ライフハッカー[日本版]』を見ている中で、
【 5分の朝活で1日を底上げする方法 】と題された見出しを見た・・。

朝の5分で一日が快適に過ごせる方法かしら、と私は思いながら、
高齢者の私でも、好奇心に負けてしまい精読したりした。

この記事の原文は、『ライフハッカー』にJessica Stillmanさんが寄稿されて、
和田美樹さんが日本訳として、『ライフハッカー[日本版]』に10月27日に配信されていたが、
無断ながら記事の大半を転載させて頂く。

《・・5分の朝活で1日を底上げする方法
            

(略)実は、時間の投資においても、100倍になって返ってくるすばらしいアクティビティが存在するのです。
つまり、早い時間に時間をかけて、やっておくと、
後で大きなエネルギーと生産性が得られるというアクティビティです。

さて、そのアクティビティとは、いったい何でしょう? 
実名制の質問サイトQuora で、知りたがり屋のユーザーが
「1日全体を良くするような5分の朝活を教えてください」という質問を投げかけたところ、
効果が確実と思われる回答がいくつか寄せられていました。

以下に挙げるのは、多くの回答者が同じことを勧めていたり、
科学的根拠がリンクで明示されていたりした、簡単な朝のルーティンです。
            

1. 日記

ライティングと言うと、先生か仕事に強制されてやるもの、と考えている人は多いと思います。
しかし、これは非常に多くの科学研究で、証明されていることですが、
ほんの少しの時間を割いて、自分の考えていることを書き出すと、
メンタルヘルス向上に驚くべき効果があるのです。

毎日5分を費やして、思いを書き出すだけです。

「毎朝5分日記をつけると、よりポジティブで幸せな気持ちになれ、その日1日が良くなります」と、
起業家のChris Remusさんは提案しています。

「私は以前、6カ月間続けた後にいったん中断し、再開しました。
それは5年以上前のことですが、今回はずっと続いています」

あるいは、効果が科学的にも証明されている2つの幸せアップ術(日記と感謝)を組み合わせ、
感謝日記を書くのもよいと思います。

この回答を投稿したNela Canovicさんも起業家です。
「今日、あなたがありがたく思っていることを3つ書き出すのです。
あなたの人生で、すでに実現していることを挙げてください。

物質的なものだけ(車だとかコンピュータなど)に目を向けるのではなく、
よりシンプルで、基本的なことを考えるのがよいでしょう。

たとえば、温かいベッドで寝られること、住む場所がある、
冷蔵庫に食べ物があること、愛する家族がいる、ペットの犬猫がいることなどです。
            

2. 瞑想

瞑想は、修道僧だとかITエグゼクティブみたいに超人的な自制心がいる、
家事の手伝いをしてくれるリソースがある人にしかできない、
難しいこと、といったイメージがあるかもしれません。

しかし、たとえ1日数分でも、マインドフルネス瞑想の効果は得られるのだと、専門家たちは強調しています。
そしてその効果といったら、実にさまざまなのです。

瞑想には、集中力の向上から、血圧降下、利益向上に役立つなど、あらゆる効果が認められています。

瞑想の効用については、多くのQuoraの回答者たちが、熱烈に同意していました。
「自分の思考を断ち切って5分間座るだけで、その日に大きな影響を及ぼします」と、
起業家のAriel Banayanさんは主張しています。

「自分自身のネガティブ傾向も見えてくるし、自分の思考と距離を置くことができるようになるので、
その日1日、考えごとに振り回されずに、すべきことに集中できるのです」

エンジニアの Raviteja Chiralaさんは、始めるのは意外と簡単だと読者に教えています。
「本を読んで、やり方を学んだりする必要は、全くありません。
自分の呼吸だけに注意を向けて、5分間、何にも邪魔されずに目を閉じているだけ」と書いています。
            

3. 運動

運動の効果も、瞑想と同様、明快な科学的根拠に支えられています。
そしてこれも瞑想と同じですが、たとえ、いつもよりほんの少し激しく体を動かすだけでも、
思いがけないほど幅広い効果が見込めるのです。

運動の効果は、筋トレや健康促進だけでなく、
脳の機能向上、幸福度アップ、ストレス低減などにも役立つことが研究で示されています。

Quoraでも、多くの回答者が、これほどのプラス面があるのだから、
アラームを数分早くセットしない手はない、と主張しています。

「朝の運動は、体を目覚めさせてくれるだけでなく、アドレナリンを分泌させるので、
気持ちがすっきりし、集中力も上がります」
と言うのは、プロダクト・デザイナーのMinh Killy Leさん。

「朝のワークアウトは、他にも、気分が良くなる、ポジティブ思考、
より健康的な代謝など、多くの効果をもたらしてくれます」。
そして、こうした効果は、5分の運動でも実感できると、彼は断言しているのです。

「朝に、高強度のワークアウトをしてみるとよい」とChiralaさんも同意しています。
「限界まで自分を追い込むことができる運動なら、HIIT(高強度インターバルトレーニング)でも、他の運動でもよいです。

たとえば、ランニング、クランチ、プッシュアップ、スクワットなど、
限界の範囲内で無理なくできるが、決して楽ではない、というものなら、なんでも。
これをすると、体がアクティブになり、1日中調子良くいられるのです」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私は読み終わった後、働いて下さる現役世代の御方が、朝5分ぐらい日記か瞑想か運動をすれば、
1日が有意義に過ごせ、実りのある一日になると感じたりした後、
高齢者の年金生活の私は、もとより大きく変っているょ、と苦笑をしてしまった・・。

そして私は、平素の丸12年過ごしてきた年金生活を思い馳せたりした。

朝、布団の中で目覚めた後、ぼんやりと昨日の出来事を思い浮かべたりした後、
本日は・・今週は・・と予定事項を思い馳せたりして、15分過ぎた頃、起きだす。

そしてトイレでオシッコをし、洗面所で顔を洗った後、
居間にあるビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。

そして氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。
                   

世の中で著名な相田みつを氏を遅ればせながら学んだのは、
過ぎし1999年〈平成11年〉の5月中旬、私たち夫婦は家内の両親を誘い、
伊香保温泉に2泊3日で滞在した時、 ある民芸土産店で私はひとつの品に目がとまった・・。
               
『ひとりしずか』、と大きく題され、みつを、と署名されていた。

そして私は手に取り、ページを捲(めく)ると、
著名なこのお方の名は知っていたのであるが、遅ればせながら初めて接した書物の言葉、そして書体であった・・。
                   

この言葉を読み終わった後、瞬時に圧倒的に魅了された・・。
               
私は幾つになっても拙(つたな)い我が身を振り返り、私の父は、無念ながら私が小学2年の時に病死された体験もあり、
私はこの『トイレ用日めくり』を買い求めた後、その日に応じたページに、
さりげなく深い人生の教訓の言葉を特有な平坦の書体で書かれていた。

そしてこの日以来、私はこの御方を秘かに慈父のように人生の師と掲げたりした。
                            

私は氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向って、
何かと気弱な癖に、ときには傲慢と独断、そして偏見の多い私を戒(いまし)めている。
     

やがて私は朝食を家内と共に、本日の予定事項などを談笑しながら、頂いている。

10時過ぎに、いつもように家内から依頼された平素の買物専任者の私は、
独りで歩いて駅前か最寄のスーパー、専門店に殆ど毎日行ったりしている。

やがて帰宅後、やはり独りで自宅より3キロ範囲にある遊歩道、小公園、住宅街を歩き廻り、
ときおり情景に魅せられた時は、ネクタイように首回りから提げているデジカメで、
一期一会ねぇ、と思いながら記憶のかたみとして撮ったりしている。

こうした中で、一時間に一度ぐらいベンチに座り、
過ぎ去った日々に愛惜を深めたりし、やがて到来する日々に独り微笑んだりしていることが多く、
つたない半生を歩んできた私は、先苦後楽の人生かしら、と微苦笑したりしている。
            

やがて昼下がりからは、居間で本を読むことが多い。

何かしら作家・瀬戸内寂聴さんの随筆を読んでいた時、
本を読まない人は馬鹿になる、このような意味合いの言葉を学んだりした。

そして私はこれ以上バカになったら、世捨て人になると思い、
近現代史、随筆、ノンフィクションなど読むことが多く、
そして小説は殆ど読まなくなったなぁ、と独り微苦笑をしたりしてきた。

やがて読書を中断して、ブログは年金生活を始めてまもなく知り、
これ以来をパソコンの故障、旅行以外は日々一通を投稿してきた習性から、
さて本日の私なりのあふれる思いを綴ったりしている。

やがてブログで私が愛読している御方の投稿文を読ませて頂き、
多彩な人生の過ごし方を多々学んだりしている。
            

夕食後、やがてネットでニュースを見たり、読書をしたり、
ときには映画作品のDVDを取り出して、テレビを通して鑑賞するか、
音楽棚からCDを取り出して、視聴したりしている。

やがて11時過ぎると、今日も一日が早くも終わってしまったか、
となごり欲しく思いながら、洗面した後、布団にもぐるのは12時前後が多いのが実態となっている。

このように過ごすのが殆ど多く、今回の朝5分ぐらい日記か瞑想か運動をすれば、
1日が有意義に過ごせる名言に、愚図で実行力に乏しい私は苦笑を重ねたりしている。

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「寿命を延ばす食べ物」「寿命を縮める食べ物」検証、72歳の私は多々教示され、やがて微苦笑を重ねて・・。

2016-10-26 15:41:00 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 「寿命を延ばす食べ物」「寿命を縮める食べ物」検証 】と題された見出しを見た・・。

私は健康寿命の中で、ささやかな願いを叶えたく、歩いたりしているが、
やはり食事も、ここ10数年、通販とか市販で高齢者向けのビタミン剤など栄養補給、
ニンニクなどの食品加工ブームに惑わせられることなく、
日頃の程ほどの食べ物を頂くことが肝要と思ったりしている。

このような思いがある私は、どのような食べ物が、建康寿命を延ばすのか、
学びたく記事を精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年11月4日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の『NEWS ポストセブン』で2016年10月25日に配信されていたが、 無断ながら転載させて頂く。

《・・寿命を延ばすためには何を食べればよいのか
             

寿命を延ばすには、体に悪いものを避け、良いものを摂ることは大前提だが、
その「良い食べ物」「悪い食べ物」は口にする人の年齢や持病、生活習慣によっても変わってくる。
しかも食事と寿命に関わる情報は、あまりにも溢れすぎていて、何が正しいのか全く分からない。

そこで、本当に「寿命を延ばす食べ物」「寿命を縮める食べ物」とは、いったい何なのか。
思い込みにとらわれることなく、専門家らに最新の統計データとエビデンスをもとに検証してもらった。

歳を取ると、「肉は体に悪い」と、肉を食べることがいけないかのような思いにかられてしまうが、
実は間違いである。

2010月18日放送の『この差って何ですか?』(TBS系)では、
日本全国の100歳以上の高齢者100人に「1週間で3日以上食べている食べ物は何ですか?」
というアンケート調査を行なったところ、
第1位は「豚肉」、第2位は「豆腐」、第3位は「鶏肉」、第4位は「鮭」、第5位は「キャベツ」という結果が出た。

トップ3の食べ物のうち、2つが“肉”だったのだ(「牛肉」は第13位)。

高齢者は、肉(たんぱく質)に対する考え方を変えたほうが、いいとする疫学研究の結果がある。

米・南カリフォルニア大学長寿研究所のバルター・ロンゴ教授らは、
2014年に発表した論文で、中年における高たんぱく食の摂取と死亡率の増加を警告している。

50歳以上の男女6381人を対象に、たんぱく質の摂取割合によって、
「低」「中」「高」に分け、18年間追跡調査を行なったところ、
50~65歳の「高」群の全死因の死亡率は、「低」群より74%も高く、がんによる死亡リスクが4倍に増加したという。

ところが、65歳を過ぎた層では、逆に「高」群が他の群より、全死亡率もがんによる死亡リスクも、下がったというのである。

アンチエイジングを専門とする元順天堂大学教授で、白澤抗加齢医学研究所所長の白澤卓二氏はこう解説する。
「豚肉は、高齢者の認知症や神経障害を予防するビタミンBの重要な供給源になります。
鶏肉は、良質の動物性たんぱく質供給源になっていると考えられます」
             

ただし、同じ肉でも、ハムやソーセージなど加工肉については、
昨年、WHO(世界保健機関)が、発がん性があるとの調査結果を発表し、波紋を呼んだ。
毎日継続して1日当たり50g摂取し続けると、大腸がんのリスクが18%増加するというのだ。

これに対しては、日本食肉加工協会など関連業界が、「因果関係が明らかにされていない」などと反論した。

国立がん研究センターが公表した解説によると、
「日本人の摂取量は世界的に見ても低く、平均的な摂取の範囲であれば、
大腸がんのリスクへの影響は無いか、あっても小さい」となっている。
             

では、動物性たんぱく質ではなく、植物性たんぱく質摂取の代表的な食べ物である豆腐や納豆などの大豆食品はどうか。
長寿のための生活習慣を指導する秋津医院の秋津壽男院長は、
豆腐や納豆が健康によく、寿命を延ばす食べ物であることは間違いないという。

「豆腐は、豆乳を使用しているので、良質のたんぱく質、レシチン、
イソフラボンなど動脈硬化にいい成分が含まれているうえに、低カロリーです。
外国人が日本食をヘルシーだと羨むのは、大豆系の食材を上手に調理して食べているからです。

ただし、冷や奴が、醤油の中で泳いでいるような状態は、
塩分過剰になりがちなので高血圧、ひいては脳卒中や心臓疾患のリスクが高まります。

納豆も低糖質で高たんぱくなので、1日に5パックくらい食べても問題ありませんが、
納豆の場合、同時にご飯を大量摂取することになりやすいので、注意が必要です」
             

摂りすぎは、糖質過多を招くご飯だが、反対にまったく摂らないと、
今度は「寝たきりになることもある」と秋津院長は言う。

「『炭水化物抜き』が注目されていますが、三大栄養素の一つである炭水化物をとらなければ、
体の各部位に十分な栄養が行き届かなくなり、脳や内臓全般の働きにも支障をきたします。

糖質は、筋肉を動かすエネルギーのもとでもあるので、不足すると、筋力が落ちる。
加えて、糖質を摂らないと相対的にたんぱく質を多く摂ることになります。
そうなると腎臓に負担がかかって、カルシウムの排泄量が増え、骨粗しょう症になるという説もあります」

長寿者が普段食べている食品の4位に入っていた「鮭」について専門家はこう解説する。
「ビタミンやミネラル、抗酸化作用をもつアスタキサンチンが豊富なので、がんを予防する効果が期待されている。
高齢者の長寿を助ける魚です」(前出・白澤氏)・・。

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、微笑んだり、苦笑したりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
ここ三が月は、タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、
そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。
        
家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

昼食は私はアイス・コーヒーか冷茶を飲みながら、小さな塩フランスバンを三ばかり食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。

そして昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、
それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。
                                                               
やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
                          

ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしている。

このように私は真実一路のように余り変わることがなく、日々愛食してきたが、
今回の記事で多々教示されたりし、やはり朝食の時に納豆を食べることが必要だ、
と思いながら微苦笑を重ねたりした。

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定年前に思案した年金生活、やがて現実の年金生活の落差、年金生活13年生の私は微苦笑して・・。

2016-10-25 14:37:07 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む72歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、10月25日と明示されていた。

やがて過ぎし定年退職した記念日も過ぎて、早くも年金生活13年生に進級したか、と微苦笑したりした。

私は民間会社の中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて定年退職したのは、
2004年(平成16年)10月20日であった。

そして定年退職後、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めたので、
丸12年が過ぎて、早くも13年目となり、過ぎ去り歳月は実に早いょなぁ、と微苦笑してしまった。

昼食後、私は机の脇机の引き出しから、懐かしい1冊のノートを取り出して、
あるページを読んだりしていると、独り微苦笑したりした。

このノートは、私が定年退職の前の1年半の頃に購入したノートであった。
             

この当時の私は、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の6年はリストラ烈風が加速され、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

遠い勤務地で、自宅より付近にある路線バスに乗車した後、
最寄りの小田急線の『成城学園前』から『本厚木』まで45分前後、利用していた。

そして帰路の時は、疲れ果てていたので、出来うる限り、乗車の駅始発の『本厚木』からの電車を利用し、
ほぼ座れたりしていた。
この時に電車の中で、本を読んだり、或いはCDウォークマンで通勤バックからCDを取り出して聴いたりしていた・・。

こうした時の中で、ときおりノートに色々とメモったりした。

私が先ほど読んだのは、2003年(平成15年)1月30日『退職後の日常生活の目標』、
と題したメモ書きがあり、読んだりした。
             

☆パソコン
  Eメールの送受信
     エッセイ(文学的に日常、旅の寸評)
     音楽と映画

  インターネットの検索
     ただし、散歩を兼ねて、図書館に行くこと

 写真の整理

☆日曜菜園
    草むしり、植木の手入れをした上で、1メートル × 2メートルの菜園を作り、
   ピーマン、チソ、ダイコン、ニンジン、ショウガ、ネギ等

このような年金生活の日常生活の目標メモが記載されていた。
                      

こうして退職後の年金生活13年生に進級した今、微苦笑してしまった。

私は定年前の3年前にパソコンを改めて買い求めたし、机、椅子、脇机も新調して、
定年後の年金生活に備えていた私は、
遅ればせながら定年の数か月前に、我が家にインターネット回線を導入した。

そして年金生活を始めたら、電子メールと称されているEメールの送受信で、
知人、関係者などで交流をしょうと思ったりした。

或いは、この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

現実は、ホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。

そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の心の節度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、専門知識がない私でも、政治、経済、社会などの難題を私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。

結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
             

Eメールに関しては、殆ど利用していなく、知人、友人は相変わらず電話で連絡しあったりしている。

図書館を利用と思ってた私は、やはり本屋に寄り、
単行本、新書本、文庫本、雑誌を見たりして、魅せられた本を購入することが、
高校時代から習性であったので、買い求めたりしている。

写真の整理に関しては、定年退職の記念としてデジカメを買い求めて、
バソコンのハードディスクにそれぞれファイル名を付けて、管理しているが、
それ以前の長き時代のフィルムで撮った写真の整理が課題であった。

そしてフィルムを読み取りデジタルに変換する専用機を購入して、
時系列に整理しょうと思っていた私は、面倒さも感じ断念した。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかった為が、
私の独身時代、家内の独身時代、そして私たちが結婚してから私の定年まで、
3系統として家内と共にアルバムを改めて整理し、総計18冊となったりした。

何よりも変り果てたのは、菜園の予定であった。
この当時の8年前の頃から、雑誌の『サライ』を定期購読して、ある号で野菜の成長、花、色合いが載っていた。

或いは作家・曽野綾子さんの随筆の新書本のひとつに、
ご自宅の庭でも野菜を育成していると私は読んだりしてきたので、
生育のうつろいを眺めて、育成するのも良いと思案していた。

結果としては、小庭が更に手狭となり、小鳥が定期便のように飛来してくるので、断念した。

私は定年前に予定したこのようなささやかな事が、現実の年金生活を過ごしている今、
大きく落差があったよなぁ、微苦笑したりした。
             

そしてこのノートに記載していなく、現実の年金生活は色々と予想外のことがあったりしてきた・・。
たとえばパソコンは、ハードディスクなどの故障と進化に驚いて、やむなく3台を買い改めたりした。

或いはデジカメは、ともすれば忘れがちな情景を記憶のかたみ代わりに愛用してきたが、
ここ12年の進化の戸惑いながら、3台目となったりしてきた。

そしてブログに関しては、その日のあふれた思いを長らく文章だけの投稿文を綴ったりしてきたが、
無念ながら筆力が乏しく、やがて写真を添付できるようになり、
今や写真はイラスト絵柄のような代わりとしている。

人生は想定していないことは多々あると私は学んできたが、
ときおり私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活をしている。

家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
ここ11年の恒例となっていたが、これくらいは私にとっては気分転換で良好と思ったりしてきた。

やがて一昨年より家内が家内の母宅に宿泊数が多くなってきたことは、
私にとっては、まさかの出来事のひとつとなっている。
             

私たち夫婦は子供に恵まれず二人だけの家庭であるが、
独り住まいの家内の母が『要介護1』となり、長女の家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした事情で、我が家では私が『おひとりさま』の生活となり、
私たち夫婦の年金生活の予定事項が定まることが少なくなり、少し困苦してきたことも事実となっている。

『お義母(かあ)さんは・・娘ふたりに介護されて良いけれど・・
我が家では子供もいないので、頼れる人はいないし、お互いの頑張りだよなぁ・・』
と私は微苦笑しながら、ときおり家内に言ったりしている。

『そうよねぇ・・あたし達が晩年期まで・・しっかりとしないと』
と家内は苦笑しながら、私に言ったりしている。

こうしたこと以外は、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せずに、
ほぼ予定通りに、順調に年金生活13年目を迎えている。

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ときおり独りぼっちの『おひとりさま』になる私は、齢を重ねるたびに、独り遊びが上手になり・・。

2016-10-24 15:18:36 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
                              
我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に主人に病死され、
我が家より2時間は要する千葉県のある市で独り住まいの生活をされて、早や14年目となっている・・。
       
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
ここ11年の恒例となっていた。

そして家内は殆ど毎夜、家内の母の本日の出来事と安否状況を確認する為、
電話連絡をしている。
            
                                     
家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となってきた。

こうした中、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
           
たまたま本日の早朝、家内の母は生家の新潟県上越市に2泊3日で帰郷したい念願に基づいて、
家内は独り住まいの家内の母宅に行き、家内の母を付き添いながら、母と娘の旅路となり、
私は平素より2時間半ばかり早く、4時少し前に起床し、やがて私たち夫婦は朝食後、まもなく玄関の軒下に降り立った。

そして6時少し前、私は門扉の近い道路に降り立って、
『お義母(かあ)さんに、よろしく・・』
と私は家内に言った後、家内を見送くったりした・・。

こうした関係で、ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。
                        

このような私は『おひとりさま』の生活となった当初は、漠然としながらも、
私たち夫婦の安楽な日々が、いつまでも続くことは叶わなく、
無念ながら、どちらかが、いつの年には片割れとなり『おひとりさま』となる。

こうした状況を思案させられた時、私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。

しかしながら、この世は予期せぬことがあり、万一、家内に先立たれて、
私が独りぼっちの『おひとりさま』の生活になることも考えられるので、
特別予行演習かしら、と思いながら私は叱咤激励をして過ごしている。
                                     

こうした私が『おひとりさま』になる生活は、何かと単細胞の性格の為、余り変化はない。
            
平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしているので、
恥ずかしながら、いつまでも初心者の若葉マークのような身であり、
戸惑いながら行っているのが、実態となっている。

朝、最優先の実施事項は、台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりした。

ここ三か月に『おひとりさま』の生活になった時は、
台所で一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に10分後にセットし、
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、冷茶とアイスコーヒーを飲んだりする。

前菜は、新タマネギを野菜調理器の新兵器のサラダセットでスライスし、生ワカメとあえたり、
やがてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。

この後は、十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、焼きノリ、サバの味噌煮の缶詰かシャケの瓶づめとしてきた。

私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をし、
これが飽(あ)きたら日本人はやめるょ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

この間、ご飯の一合は多すぎるので、半分はラップに包んで、冷(さ)ました後、
こっそりと冷蔵庫の片隅に保存し、翌朝に電子レンジで温めて、頂いているので、
二日に一回だけ、お米を洗いのが実態となっている。
                                                 

やがて朝食後、台所で鼻歌を唄いながら皿洗いなどをして、水遊びをした。
          
昼食は小さな塩フランスパンを三つばかり食べながら、アイスコーヒーを飲んだりした。

そして夕食は、前菜として冷凍ブロッコリーを電子レンジで温めた後、
ミッカンぽん酢とお醤油をかけて、盛大に食べたりした。

こうした中、二日に一回、スーパーで買い物をし、野菜コーナー、肉類コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、冷茶を飲みながら食べたりしてきた。

しかしながら独りだと話し相手がいなく寂しいので、ウィスキーをオンザロックして数杯を呑みながら、
テレビのニュース、或いは映画棚から観たい作品のDVDを取り出して視聴したりした。
                            
日中のひととき、乾燥の機能がある洗濯機で、洗いから乾燥までしてくれるオール自動セットに頼り、
パジャマ、肌着、タオルなど2日に1回として、
あとはお願いねぇ、と洗濯機に向って、こっそりと呟(つぶや)いたりした。
                         

そして2日1回ぐらいの部屋の掃除日として、埃は多少あっても生活には困らないよなぁ、
と心の中で呟(つぶや)きながら、掃除機を曳(ひ)いて、各部屋を廻り、孤軍奮闘したりした。
                      
夜の9時過ぎなれば、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
いつものように、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

平素はこのような時は家内に、戸締り終了しました、と報告しているが、
『おひとりさま』だと、報告する相棒がいなくて、何かしら戸惑って、独り苦笑したりしている。

平素は朝食と夕食は殆ど定時で、私は家内と談笑しながら頂いているが、
私が『おひとりさま』の生活をしていると、自由気ままな食事時間となったりし、
更に読書、そして映画を鑑賞、或いは音楽を聴いたりしていると、深夜までなることが多い。
            
しかしながら朝は7時までは、起床することを厳守している。
こうした中、寝ぼけ眼(まなこ)で、人生は気合だ、と自身を叱咤激励して、
心の中で呟(つぶや)いたりしている。

たとえ独りぼっちの『おひとりさま』でも、これ以上フシダラな生活は、
心身良くないと思い、布団から這い出ていることも、多くなったりしている。
そしてブログの投稿時も、大幅に狂うこともあり、やむえないなぁ、と微苦笑したりしている。
            

私は平素は亡き母の遺伝を受けて、男の癖におしゃべりで、何かと家内とは談笑を重ねているが、
『おひとりさま』の生活をしていると、話し相手がいなく寂しいのが、本音である。

しかしながら、人は誰しも孤独を感じる時がある、と学んできた私は、
ひとりを愉しむ時を過ごしている。

こうした人生に対して楽観プラス思考を深めたのは、過ぎし2010年8月下旬の頃に、
医学博士で病院長の帯津良一(おびつ・りょういち)さんの本を読み、多々教示されたりしてきた。

やがて2011年〈平成23年〉の秋に、氏の『楽々往生 ~老いを輝かせる12の心得』(ベスト新書)を購読したりした。
                
               
そして精読しながら、私は何かと大いに励ましを受けた一冊であった。
               
この本の帯に明記されている『楽々往生のための心得』として、
《 ◎いくつになっても、ときめきをもつ
  ◎「定年」で終わりにしない
  ◎ひとりを愉しむ
  ◎自分なりの「養成法」をもつ
  ◎敗れることも必ず想定に入れる
  ◎できるだけ身軽でいる 》
このように記載されていることを私は多々教示されて、私のセカンドライフの格言としている。
(意味合いが想像して、ご理解できない方は、この本をお読みください。)
                                    

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めて、早や年金生活13年生となっている。

私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。

こうした根底には、歩きながら観える景観に良いし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。
何よりも歩けなくなった時は、もとより自由な時が制約され、何よりも困苦するのは自身だ、
と秘めながら殆ど毎日のように歩いている。
            
 
こうした中で家内は少なくても料理、洗濯、掃除などがあり、
私は現役のサラリーマン時代から、小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後の年金生活に於いては、日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

こうした後、私は高校生より都心で学び、その後も大半は都心の空気を共有してきた為か、
人出の多い都心は、定年後の年金生活で苦手となっている。

そして独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりしている。

こうした時は紳士バックを園児のように真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
           
それでも小心者の私は、引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーが飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回ぐらいは淹れたりしている。

このように家事に関しては、恥ずかしながら殆どしてこなく、
ときおり庭の手入れは、現役時代から私の専任者となっているぐらいである。

                             
平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、仲良し恋し、
と何と社交辞令を頂いている私たちでも、いずれは片割れとなり『おひとりさま』となる・・。

そして残された方は落胆し寂寥感を深める中、強い趣味があれば、やがて失墜感は薄らいで、
命果てるまで生きがいのひとつとなると思い、お互いの趣味の時は大切にしている。
          
そして時折、友人と居酒屋など逢ったり、家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
                       

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                              
このような家内と生活を過ごしてきた私は、ときおり『おひとりさま』となる生活は、
男の癖におしゃべりな私として、何かと家内とは談笑を重ねているが、
話し相手がいなく寂しく感じたりしている。

そして平素も買物とか散策で出逢ったり、或いは自治会の回覧板を廻す時、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑しているが、
『おひとりさま』を過ごすと、少し長話になったりし、後で独り微苦笑したりしている。

或いは私がブログを綴って投稿時間、そして愛読しているブログを読ませて頂く時間が、
まばらになったりしている。

買物する時間帯も午前中から、夕方になったりし、お惣菜コーナーの売り場などで、
探し求めたりすることが多くなっている。
              

このような年金生活を13年ばかり過ごしてきた私は、ときには独り愉しむ時を享受し、
独り遊びが上手になってきた、と独り微苦笑をしたりしている。

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クレーム老人、暴走老人の対処にも、「老老接客」 で増加している、72歳の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2016-10-23 16:00:14 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している『NIKKEI STYLE』を見たりしていた中、
【「クレーム老人」を止めろ! 増える「老老接客」 なぜ高齢者が活躍するのか?】
と題された私は見たりした。

私は2004年(平成16年)の秋に民間会社の中小業のある会社を定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めた。

そして当初より、平素の我が家の買物に関して、自主的に専任者を宣言して、
殆ど毎日、家内から依頼された品を求めてスーパー、専門店に行っている買物メール老ボーイとなって、
早や13年生となっている。

このした中で、私と同世代、或いは前後世代の男性、ときには女性でも、お店の販売員に、
血相を変えてクレームを言ったり、或いは暴言を吐いている人も私は見掛けたりしてきた。

このようなことに遭遇してきた私は、見出し記事を見て、クリックして記事を精読してしまった。
            

この記事の原文は、過ぎし日の日本経済新聞・夕刊に掲載された記事であり、
『NIKKEI STYLE』に10月20日に配信され、無断であるが大半を転載させて頂く。

《・・「クレーム老人」を止めろ! 増える「老老接客」 なぜ高齢者が活躍するのか?

☆雑談で心つかみ、無理難題には毅然と

高齢者が、働き手として輝き始めた。
特にモノを売る仕事で、経験に裏打ちされた接客技術を生かし、最前線に立ち続ける人の存在感が増している。

今どきの若者と異なり、マニュアルに頼らない臨機応変な語り口は、同世代の支持を集める。
高齢者が高齢者を接客する「老老接客」。
これからの日本には欠かせない。
            

「さあ岩手でございます。いらっしゃいませ」。
8月下旬の昼下がり、東京都狛江市にあるスーパー「Odakyu OX狛江店」。
男性の大声が響く。

声の主は、岩手など三陸地方の海産物を催事販売するマネキンの細矢毅さん(76歳)。
この道25年だ。

軽妙な口上につられて、78歳女性が、売り場に訪れた。
ワカメを薦める細矢さんに女性は
「我が家でワカメといえば味噌汁の具だけど、塩分が多いので控えているの」と答える。

「それならメカブがいいよ。
納豆と合わせるとカリウムがいっぱいだから、体にいいよ」と細矢さん。

女性はさらに「車いす生活の夫が、喜びそうだわ」と続ける。

それを受けて細矢さんは「ご主人、介護保険で要介護度いくつなの」。
2人とも20分近く、会話に夢中になった。

女性はやがて60グラム入りのメカブを1080円で買い、満足そうに売り場を後にした。

「常連客は私と同年代が多い。今までの経験で、お客が何を欲しいかわかる。
世間話をしたいという人もいる。話を聞くのも仕事」。

これが細矢さんの接客術。
細矢さんはOdakyu OXで狛江店を含め3店に、それぞれ1カ月のうち3~4日間登場する。
            

☆精力的で高度な商品知識もつ

細矢さんに催事販売のスペースを有償提供するイベント企画会社、モードアキ(東京都立川市)によると、
同社に登録する食品の高齢者マネキンは約100人。

「みんな精力的で、高度な商品知識を持つ。老老接客のプロ」と同社の担当者は話す。
ただ「後継者がいない」のが課題。
定年のないマネキンとして働く意欲のあるシニアを募集する。

一般の事業会社にも、老老接客にたけた人材がいる。
補聴器メーカー、リオンが東京都渋谷区に構える顧客相談センターで働く市村順子さん(68歳)は、そうした一人。
定年後も接客技術を見込まれて、会社から嘱託として、長く働いてほしいと依頼され、現在に至る。

聴覚特別支援学校の職員を経て1993年に45歳で入社後、一貫して補聴相談員をこなす。
「来店する高齢者は、不安でいっぱい。まずは何でも話してもらえるような雰囲気をつくる」。
その上で「しっかり聞いて、ゆっくりしゃべる。1人の相談で2時間費やすこともある」。
これが市村さんの老老接客だ。

話法も工夫する。「きょうは」「どのような」「ご相談ですか」などと文節で区切るしゃべり方だ。
中には聞こえにくいいらだちを怒りに、転化させる人もいる。
だが市村さんに、この話法で語りかけられると、おおむね冷静になるそうだ。
            

☆「暴走老人」を止めろ!

近ごろは「暴走老人」という言葉が登場したように、
小売店やレストランで店員に「いつまで待たせるんだ」など、自分の思うままにならないと、キレる高齢者が話題に上る。
その際、接客ノウハウの引き出しが少なく、マニュアルに頼りがちな店員は、おろおろする場合が多い。
そこで同じ高齢者の気持ちが分かるシニアの出番となる。

「同世代が無理難題を言ってきたら、毅然とした接客をする」。
神戸市を中心に貴金属店を展開するジュエリーカミネ(神戸市)のプレノ長田店(同市長田区)で、
主に時計を修理する藤本昌宏さん(76歳)はこう話す。

数年前のことだ。高齢の男性が、時計の修理に訪れた。

男性は「海外製の高級品だから、取り扱いに気をつけるように」と高圧的な態度。
だが、キャリア50年の藤本さんには、コピー商品と映った。

「当店は正規ルートしか扱わない。お断りします」。
正規商品と疑わない男性から非難されたが、引き下がらなかった。
後日、男性は謝罪に訪れ2人の間に信頼関係ができた。

高齢者の心をつかむ老老接客。
シニアライフコンサルタントの松本すみ子さんは、
「シニアはモノを買うだけでなく、店員と会話するのが楽しみ。
相手が若者では、話が合わないことも。
企業もこれに対応するため、高齢者の雇用を進めてほしい」と指摘する。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私は記事を読み終わった後、やはり高齢者は世の中はめまぐるしく進化して、
話し相手のいない人、相談できる人がいない人は、寂しいんだなぁ・・と感じたりした。

過日、私はパソコンの量販店で、相談コーナーがあり、
ある紳士風の容姿した私と同世代の男性が、何かしらこの店でスマホを購入したが、
使い方が判らず、執拗に若い20代の女性・販売員か技術員か私には解らなかったが、問い合わせていた。

私はプリンターの備品(インク)を探して、たまたま10メートル近くに居て、
スマホに殆ど無知でスマホを所有していない私でも、初歩的な質問で、私に判るように説明しろ、と私と同世代の男性が、
怒りを交えて、若い20代の女性に怒鳴っていた。

私はこの同世代の男性は、息子か娘は多忙で、孫にも相談てきず、
知人か友人にも教えを乞うことなく、プライドばかり強い不幸な人だ、と感じたりした。

今回の記事、クレーム老人、暴走老人には、「老老接客」 で対処するのが、
できうれば最上だなぁ・・と微苦笑をしたりした。

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「勝手に流行語大賞2016秋」発表!、何かと世間に疎(うと)い私は、こっそりと学び、やがて微苦笑して・・。

2016-10-22 15:15:25 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している『nikkei BPnet』を見たりしていた中、
【「勝手に流行語大賞2016秋」発表! 『豊洲の盛り土』『都民ファースト』など「小池物件」続々!】
と題された私は見たりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、家内とたった2人だけの家庭であり、
インターネットに関して、固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
私は据え置き型のパソコンを利用している。

こうした中、私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
家内だけは遅ればせながら昨年の春以来、携帯電話を買い求めて利用している。

私はフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
              
そして私は世の中の出来事に関しては、テレビに関してはNHKニュース、ドキュメンタリー番組を視聴したりしている。
或いは新聞、月間総合雑誌とかネットでニュースを読んだりしているが、
何かと世間に疎(うと)いひとりと感じたりしている。

このような事情を秘めている私は、流行語大賞2016秋、どのようなことなょ、
社会勉強ね、と思いながら、こっそりと記事を読んだりした・・。
            

この記事は日経新聞プラス1、アスキードットPCなどに寄稿されている福光 恵(ふくみつ・めぐみ)さんが、
『nikkei BPnet』の『トレンド・リテラシー講座ライフ』に寄稿されて、
9月30日に配信されていたが、無断であるが転載させて頂く。

《・・「勝手に流行語大賞2016秋」発表! 『豊洲の盛り土』『都民ファースト』など「小池物件」続々!

☆突如流行語に躍り出た小池劇場絡みの流行語

いったい何回やれば気がすむのよ。
というわけで今回は、2016年第3四半期、勝手に流行語大賞。

ベッキーの不倫騒動が正月気分を吹き飛ばして始まった2016年も、残すところ3カ月。
思い返せば、いろんなことがあった。

とくにスタートダッシュで多くの流行語が生まれたが、結局今年は流行語の当たり年となるんだろうか。

その命運を握る直近の第3四半期(秋)。
第1四半期(春)のベッキー、第2四半期(夏)の舛添氏と来て、
今期注目されたのは、何と言っても新都知事となった小池百合子氏だろう。

これまでのネガティブ系ヒロイン、ヒーローと打って変わって、
こちら今や飛ぶ鳥を落とす勢いのポジティブヒロイン。

かえってインパクトは弱いのだが、
年末の新語流行語大賞に選ばれやすそうな流行語もいくつか生まれている。

例えば選挙期間中のイメージカラー「百合子グリーン」。
支援者に何でもいいから緑のものを持って演説に集まってもらうという、よくできた仕掛けで、
キュウリとかブロッコリーとか、緑の野菜を手にした支援者まであらわれるなど、
選挙カーまわりの緑色は日に日に拡大していった。

当時、都内ターミナル駅に行くときは、支援者と間違われないように緑の服を避けたのは、
私だけじゃないと思う。
まあ、バブル時代じゃないんだから、緑の服なんて、普通の人はそう持ってないけどね。
            

☆小池知事物件では「なんとかファースト」も目白押し

こうして人気が可視化されたことで、小池支持のうねりはさらに大きくなり、約290万票を集めての大勝利に。
でも驚いたのは、当確をマッハの勢いで、ゲットしたあと、
選挙事務所にあらわれた知事が、早くも百合子グリーンを着ていなかったこと。
記者に問われ「あれは戦闘服ですから(もう今日からは着ない)」的なことを言っていた記憶がある。

ここが小池知事の一枚上手なところ。
普通のおばちゃん議員なら、得意になって、いつまでもグリーンを着てそうだけど。

就任後は着回しローテーションのひとつとして、たまにグリーンを身につけることがあるくらいで、
今では小池知事=グリーンというイメージは、日に日にそっくり度が増してきたお笑い芸人、
八幡カオルの物まねに残るだけとなった。

これじゃ「百合子グリーン」という言葉も、年末まで持つかどうかもあやしい。残念。

小池知事物件としては、「なんとかファースト」(都民ファースト、アスリートファーストなど)なんていう流行語も化けそうだが、
その後は築地市場移転問題絡みの流行語もいろいろ・・

いや、流行語というより、1日100回くらい聞かされている気がするのは、
「盛り土」とか、「モニタリング空間」とか、「A.P.+2mの砕石層」とか。

昼間のテレビを見ていないお父さんとかは知らないだろうが、
なんせ昼の情報番組で小池関連ニュースは、今や押しも押されもしないキラーコンテンツ。

昼間はどこの情報番組もワイドショーも、毎日、それも長時間豊洲市場問題を取り上げて、
豊洲市場の断面図や設計図を見せながら繰り返し解説。
ほんと、ずーっとやってるんだから。
            

☆豊洲系のマイ流行語「捨てコン」

本来ならば2メートル掘って砕石層を敷き詰め、きれいな土で埋め戻す。
さらにそこから2.5メートルの高さまできれいな土を盛り・・って、
自分もおかげさまで、暗記しちゃってるんですけど。

思い出したのは地下鉄サリン事件だ。
当時もワイドショーに理系の学者などがコメンテーターとして毎日出てきて、
サリンなど化学物質について、専門的な解説を展開。毎日聞かされるうち、
プチ化学者みたいな知識を身につけてしまった奥様も多かったっけ。

そんななか、現場感があって個人的に気に入っている豊洲系のマイ流行語といえるのがこれ。
「捨てコン」だ。

捨てコンクリートの意味で、工事をしやすいように足場として薄く敷くだけの、
構造上はあんまり意味のないコンクリートのことを言うらしい。

水びたしだった地下空間の一部で見られたものだが、このマイ流行語、重大な欠点がある。
今のところ日常生活で使う場が、皆無なのだ。

「実は、友達の●●クンが本命で、○○クンは”捨てコン”」
みたいに広く使われる日が来るように、がんばってほしいと思う。
            

☆「ポケノミクス」はどこまで伸びるか?

小池知事や東京都以外では、7月22日に公開されてメガヒットとなったスマホのゲーム「ポケモンGO」からも
流行語が出てきている。

「ルアーモジュールを焚く」とか、ゲームの専門用語ではない。
やっぱり来たかという流行語「ポケノミクス」または「ポケモノミクス」だ。

もちろんポケモンGOの経済効果のことを言う。
このゲーム、ほかのスマホゲームと違って、課金で散財している人は少なそうだが、
基本的に外を歩かないとゲームが進まないのがポイント。

暑い中、ポケモン目指して公園に行けば、アイスクリームの一つも食べるだろうし。
レアなポケモンの出る公園は、ドリンクの自動販売機も、すぐに全部売り切れになってしまう。

自分は会ったことはないが、自転車でやってきてスマホの充電を
1回100円でやってくれる「屋台の充電屋」なんていうビジネスも生まれたらしい。

いやいや、そんな細かい経済効果だけではない。
株価を動かすほどの経済効果もあった。

どうせ何か食べるなら、ポケモンGOとコラボしている涼しいマクドナルドでゲームをしながら、
と思うのが人情だ。

実際マクドナルドの8月の既存店売上高は、前年同月比15.9%もアップしていたりする。

ほかに今期は、リオ五輪の「安倍マリオ」とか、
裁判で実体が明らかになった「ブラックバイト」なんかもあったけど、
大賞級の流行語がボコボコ誕生した上半期に比べると、インパクトは弱い印象。

そんなわけでこの先年末までに、大賞級が出たとしてもたぶんひとつかふたつと踏んで、
例年11月~12月に発表される本家「ユーキャン新語流行語大賞」の顔ぶれを予測してみたい。
            

☆「卒論」「センテンススプリング」で盛り上がった上半期

ちなみに今年3月に紹介した第1四半期の流行語、今年6月に紹介した上半期のノミネート流行語をざっとおさらいしておこう。
第1四半期はやはり、ベッキー絡みの流行語が席巻している。

離婚届の隠語「卒論」や、不倫は不倫でも、しょーもない不倫のことを指す「ゲス不倫」、
ベッキーのお相手だった川谷クンのバンド「ゲスの極み乙女」と関わった人に災いが起きることをいう「ゲスノート」、

LINEのやりとり流出を可能にしたとされた「クローン端末」、
そして二人の関係を正月早々暴いた「週刊文春」の、ベッキー作のベタなニックネーム「センテンススプリング」と、
まさに豊年満作状態だった。

続く3月からの第2四半期、ベッキーに代わり、
流行語を量産したのが、当時、まだ現役だった舛添要一前東京都知事。
弁護士を雇って、「厳しい第三者の目」で「精査」すると言い出したり、
「ホテル三日月」とか「トップリーダー」なる言葉もはやった。

ただし、ベッキーにしても、舛添前知事にしても、どちらもネガティブニュースなところがミソ。
第一、流行語大賞の授賞式にどっちも来るわけないし、万が一来たとしても世間が引きまくるのが、目に見えている。

その点、文春の快進撃も称えられる「センテンススプリング」はトップテン入り確実。
と言うか、ベッキー、舛添関連では、これ1語しかトップテン入りしない気もする。
            

☆今年の大賞は「都民ファースト」で決まり!?

その点、明るい話題は、ハードルが低い。
DAIGOが北川景子との結婚式で歌ったオリジナル曲のタイトル「KSK」(結婚してくださいの意)とか、
破局報道がなければ、サッカー長友の「アモーレ」なんかは当確だろう。

一発屋で終わるというジンクスがある芸能人枠では、やっぱり原宿の林家ペー・パー子「ぺこ&りゅうちぇる」当たり。
ただし、流行語になるようなセリフがないので、
りゅうちぇるの出身地とされる「ちぇるちぇるランド」あたりがトップテン入りする可能性も。

ほかに明るい話題としては、「ポケノミクス」「ポケモノミクス」または「ポケモンGO」、「安倍マリオ」も有力だ。

そして大賞。
自分は、前評判は「センテンススプリング」で盛り上げておいて、実際は小池知事の「都民ファースト」が受賞するに一票。
まあ、年末の賞モノっていうのは、賞の内容に関係なく、
その年、一番話題を集めた人が取るのが常だし。
小池知事なら、きっと授賞式に出てきてくれそうだし。

ちなみに自分の推し語「捨てコン」は、今年はノミネートすらしない予想となっております。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私は読み終わった後、ニュースなどで学んできた舛添要一さん、小池百合子さん・・
後はニュースを見て、ポケモンGOという新ゲームを知り、私が散策している時、
住宅街で小学一年生ぐらいの女の子が、オジサ~ン見て・・と楽しげに見て下さり、私は微笑んぐらいであった。

これ以外の方たちは、無念ながら無知となっている。

世の中は急速に流れ去り、古人から人の噂も75日、と伝えられてきたが、
昨今の私は、舛添要一さんでも、前知事だったことさえ、ときおり忘却の彼方になっていて、
何かと世間に疎(うと)い私は、苦笑したりしている。

つたない私が今年活躍された中で、良き人は東京都を浄化する為に奮戦している小池百合子さん。

悪しき代表として、2020年東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会の森喜朗会長、
そして長年都政を閉ざしてきた都議会のドンと称せられる内田茂・東京都議。

この三人の御方が、突出した御方だ、と微苦笑したりした。

余談であるが、今回寄稿文を書かれた福光 恵(ふくみつ・めぐみ)さん、軽快なタッチで綴られ、
1960年に東京都生まれと知り、56歳の女性でも、若々しくかろやかな文体で綴られ、私は微笑みながら、
やはりプロですねぇ、と独り呟(つぶや)いたりした。

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「高齢者をカモにする詐欺師」から身を守るために知っておくべきこと、72歳の私は学び、やがて根源を重ねて震撼し・・。

2016-10-21 13:43:44 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
先程、ネットでニュースを見ようとパソコンを立ち上げたりした。

そして私はトップページとしては【YAHOO! JAPAN】に設定しているが、
まもなく『雑誌』コーナーを見たりしていた。

こうした中で、
【 「高齢者をカモにする詐欺師」から身を守るために知っておくべきこと 】と題された見出しを見て、
どういうことなのょ、と私はやはり高齢者の身であるので、こっそりと読んでしまった。

私が見た記事は【週刊SPA! 】が10月21日9時過ぎに配信された記事であり、
SPA!老人商法問題取材班が、利用者没後のインターネットの動きや、
社会におけるデジタル遺品の扱われ方などを追うフリー記者の古田雄介さんのアドバイスを受けて、
纏(まと)められた記事であり、無断ながら、転載させて頂く。

《・・パソコンやインターネットに疎い老人に、高額なサポート契約を結んだとして大炎上したPCデポ。
だが、それも氷山の一角。
趣味や財産運用、はたまた終活に絡んで老人たちからカネをむしり取ろうとする輩は、後を絶たない。
その実態に迫った。
            

☆終活市場は、詐欺師の優良な狩り場

老人の最後の仕事とは、自分の後始末かもしれない。
だが、昨今の「終活」事情に詳しいライターの古田雄介氏によれば、
老人たちを踏みにじるような事態が起きているという。

「身寄りのない高齢者の金銭管理や身元保証、死後処理などを行う公益財団法人『日本ライフ協会』が、
今年3月に破綻しました。

2600人から集めた預託金9億円のうち2億7000万円が、
理事の私物購入や職員のボーナスなどに流用されていました。
低所得の高齢者の駆け込み寺的な存在だったので、衝撃は大きかった」

同業界では、2010年に大手だった『日本FAN倶楽部』が苦闘の末に経営難となり、
東京海上日動コーポに吸収合併された事例もある。

マジメにやってもカネが回らない業界にあって、
貧しい老人から預かったカネを使い込む神経の太さは、ただごとではない。

一方、所得の少ない老人でも持ち家住まいであれば、
それを担保にして、年金のように毎月定額のカネを受け取れるリバースモーゲージ型のローンを利用できる。

「最後に残る財産が自宅という人は多く、このローンを望む高齢者は今後も増えそうです。
ただ、リバースモーゲージを騙った詐欺も横行しており、持ち家を担保にしたつもりが、
実は所有権が移されていたり、“年金”が支払われない場合があります。

条件がよすぎる怪しい案件を回避するためにも、判断の基準となる自宅の価値を把握しておくことが大切です」
            

また、古田氏によれば、「終活」とは、去る人と残る人のコミュニケーションの側面が強いという。
その貴重な時間に簡単に割り込み、家族の思い出や財産をぶち壊しかねないのが、
最近急激な進化を遂げている迷惑メールだ。

「2015年後半から『ご確認をお願いします』などのビジネス的な件名を使った、
ちゃんとした文面の迷惑メールが増加しています。

また、宅配便会社らしきドメインを取得してメールを偽装するという、
手の込んだものまで登場しています。
ネットに不慣れな高齢者がこうしたトラップを避けるのは困難でしょう」

迂闊にクリックしたその先には、詐欺被害やウイルス感染など、ろくでもないことばかり。
コツコツ積み上げた人生の最後に、余計なサプライズが起きないよう、
息子や娘による見守りは、必須だ。

気づけば遺産がなくなっていたのでは、目も当てられない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
                         

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であり、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、最後の6年はリストラ烈風が加速され、
まもなく私も出向となり、各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか出向先で、定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
            
このようにつたない定年までの半生を過ごし、せめて残されたセカンドライフは、
多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始め、まもなく年金生活13年生を迎える・・。
            
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

年金生活を始めた当初、我が家では無念ながら金庫がないので、
最寄の銀行の貸金庫を活用して、定期貯金通帳、厚生年金証書、土地・建物に関する登記事項証明書など、
重要な書類を保管している。

こうした時、うっかりした誤り、或いはどちらかがボケた時も配慮して、貸金庫を開ける時は、
必ず私たち夫婦が共に確認してきた・・。

そして生活費を引き出す以外の大金を動かす時も、私たちは共に確認して実行している。
            

過ぎし昨年の3月、私はネットの【ダ・ヴィンチニュース】で、
『圧倒的経済弱者である若者が、圧倒的経済強者である高齢者に反逆の刃を向けているという構図
           ~「老人喰い」の真実~ 』と題された記事を読み、動顛させられた。

この原文はノンフィクションライター・鈴木大介さんが、『老人喰い 高齢者を狙う詐欺の正体』(ちくま新書)を上梓され、
編集部と思われる増田美栄子さんが、紹介記事として、2015年3月5日に配信されていた記事であり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・『老人喰い 高齢者を狙う詐欺の正体』(ちくま新書)

警察庁のまとめによると、「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」「架空請求詐欺」といった「特殊詐欺」の年間被害総額が、
2014年、ついに500億円の大台を突破したという。

これは2004年に統計を始めてから最悪の数字で、被害者の約8割は60歳以上の高齢者である。
また催眠商法やリフォーム詐欺などの「悪質商法」で、
高齢者が契約当事者となった割合も全体の7割以上に上る。

こうした高齢者を狙う犯罪“老人喰い”の手口は、
日々巧妙化しており、今や「うちは大丈夫!」と自信を持って言える人などいない状況だ。
            

『老人喰い 高齢者を狙う詐欺の正体』(ちくま新書)は、
高齢者を騙して大金をむしり取る“裏稼業”に生きる犯罪者たちを取材し、
その実態をあぶり出した興味深い書籍である。

著者は『最貧困女子』(幻冬舎新書)や『出会い系のシングルマザーたち』(朝日新聞出版)など、
裏社会や触法少年少女にスポットを当てたノンフィクションで定評のあるルポライター・鈴木大介さんだ。
その衝撃的な内容を、少しだけ紹介したい。
            

☆“老人喰い”の犯人は「渇ききった若者の反逆」

本著によると、特殊詐欺をはたらく犯人たちのほとんどは、20代から40代の最貧困層の若者たちだという。
見た目はどこにでもいるサラリーマンそのもので、
高齢者を騙すために「(株)詐欺本舗」とでもいうべき組織をつくり、
やり手営業マンさながらの高いモチベーションで詐欺を行っているというのだ。

しかし「弱い高齢者が襲われている」という構図ではなく、
そこには「圧倒的経済弱者である若者が、圧倒的経済強者である高齢者に、反逆の刃を向けている」という構図があるのだという。

これを著者は、高度成長期の時のように、働けば豊かになれた時代と違い、
働いても将来に希望を持てない若者たち(=砂漠の中で水に飢えた者)が、
豊かな高齢者(=たくさんの水を持つ者)を襲うようなもの、と表現している。
            

☆一度ひっかかると、10年以上も狙われる!

ターゲットを選び出す方法としては、かつては「名簿屋」から買い取ったDM用などの名簿を使い、
かたっぱしから電話をかけまくっていたが、

今ではまず公的機関名をかたって下調べの電話をかけ、
「支払い能力があるか」「健康に不安があるか」といった情報を追加した“最強名簿”を作り上げてから、
組織的に落としにかかるというのだ。

特に狙われやすいのは言うまでもなく「資産があり消費・投資行動をしている人間」だが、
一度被害にあった人の名簿「ヤラレ名簿」も狙われやすく、
また合法的に営業展開しているDM系名簿業者の名簿に載っている人も、油断はできないという。

しかもこれらの大量に出回っている名簿はストックされ、ことあるごとに情報が強化されて、
将来的に使用される可能性があるというからゾッとする。

実際、すでに10年以上前の名簿に載っていたために詐欺にあったケースも出ているので、
まだ現役世代の人にとっても、老後の詐欺被害は他人事ではない。

筆者の両親のもとにも最近、「息子さんが事故で・・」という電話があったのだが、
幸い“息子さん”は在宅中だったため事なきを得た。

その後、しばらくは「どこぞのチンピラが電話してきたのだろう」と、家族間で話題になっていたのだが、
本著を読んで「その考えは、激甘だ」と分かった。

徹底的に・かつ能動的に“騙そう”としている集団から身を守るには、いったいどうすれば良いというのか・・?

本著には、様々な“老人喰い”の手口が、再現ドラマのようにリアルに描かれている。
そこには具体的な防御策は書かれていないが、裏稼業に身を置く若者たちの心理を知る、
手がかりが散りばめられている。

一読しておけば、自分や家族がターゲットになった時、
被害者にならずにすむきっかけを得られるのではないだろうか。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

この記事を読み終えた私は、根源には、
《・・圧倒的経済弱者である若者が、圧倒的経済強者である高齢者に、反逆の刃を向けている・・》と学び、
動顛したり、震源したりした。

こうした年代格差の難題を年金生活の私に、たとえ恫喝されても、困苦するばかりであり、
せめて体力が衰えた身でも、ボケないように、不明な事が遭遇した時は、安易な行動は避け、
慎重に対処するしかない、と強く感じたりした。

そして今回の『「高齢者をカモにする詐欺師」から身を守るために知っておくべきこと』を多々学び、
お互いに気をつけましょう、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

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朝、夕の一日二食が基本であった日本が、江戸時代の初期より一日三食になった理由を学び、私は微笑みを重ね・・。

2016-10-20 14:36:01 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『PHP Online 衆知』を見ている中、
【 江戸は外食天国だった! 】と見出しを見たりした。

私は幾つになっても好奇心が強く、ホントウかょ、と思いながら、クリックして記事を読んでしまった。

この記事は、歴史文化の水先案内と知られる堀口茉純さんが、『江戸はスゴイ』(PHP新書)を上梓され、
編集部が抜粋された記事であり、10月19日に配信されていた。無断ながら転載させて頂く。

《・・江戸の外食産業が異常に発達したわけ
            

江戸時代初期、新興都市である江戸の町は、男性があふれ、
女性が少ないという特殊な人口構成でスタートしたのだが、男女比が半々になるのは結局、幕末になってから。
つまり、江戸時代を通じて、慢性的に女性不足だった。

たとえば江戸時代中期、享保6年(1721年)11月の統計によると、
江戸の町方人口は、女178109 人(35.5%)+男323285 人(64.5%)= 501394 人(100%)。

これに寺社門前人口と、武家人口およそ50万人を加えたものが、江戸の総人口なわけだが、
こちらは残念ながら、正確な統計がない。

ただ、寺社地の住人は、基本男性だし、武家は各藩から単身赴任でやってきているケースがほとんどなので、
町方よりも、さらに男性比率が高かったことは間違いないだろう。

このような状況から、きわめて現実的な問題が発生する。
食事の問題である。
            

現代のような家電製品がない当時は、米を炊くだけで、そうとうな時間がかかった。
食事を作るのも大仕事で、寺社や武家では、専門の調理方を置くこともできたが、
町方では、なかなかそうもいかない。

紅のついたる火吹き竹長屋暮らしの庶民が、まともな食生活を送ろうと思ったら、
所帯を持って男が外で働くあいだに、家で女性が食事を作る、といった役割分担が不可欠だったが、

都都逸にも「九尺二間に過ぎたるものは 紅のついたる火吹き竹」
(解説・九尺二間とは、四畳半+土間の江戸庶民が暮らす裏長屋の一般的な間取り。
そこに紅をつけた奥さんがいて、火吹き竹を使って飯を炊いてくれるなんて贅沢な話だ、
リア充爆発しろ! という意味)とあるように、残念ながらそんな例は稀だった。

頑張って自炊したとしても、一人分の食事のために、薪や油などの燃料や食材、調味料を揃えるのは非効率的である。
このために発達を遂げたのが、外食産業だ。
            

その大きなきっかけになったのが、明暦の大火。

大半が灰燼に帰した江戸の町は、幕府の主導により、驚異的な勢いで復興するが、
実際に汗を流して現場で働いたのは、土木人足や職人たち(多くが地方から単身江戸にやってきた独身男性)である。

日中の過酷な肉体労働を乗り切るために、仕事の合間に、食事をとってエネルギー補給がしたい・・。
そんな彼らのニーズに応えるように、江戸の町には、大量の煮売り屋が軒を連ねるようになった。
煮売り屋とは、煮物や惣菜や団子などの軽食に、茶や酒をつけて出す、ファストフード店のような業態である。

当時、食事は基本的に、自宅で済ませるもので、
外食の機会は、旅などの特殊事情の際に限られていたから、
町中で誰もが、手軽に食事をとれる煮売り屋の出現は、そうとう画期的だった。

煮売り屋は、瞬く間に江戸中に広がるが、あまりに流行りすぎて、火災の原因になり、
明暦の大火から、わずか3年後の万治3年(1660年)には、
正月からの3カ月間で105回も火事が起こったというから、本末転倒な話である。

このため、幕府は煮売り屋の夜間営業を禁止する法令をたびたび出しているが、
たびたび出しているということは、たびたび破られていたということ。
焼けたら建てればいいじゃない、といわんばかりのたくましさだ。
            

復興のなかで、生まれたもう一つの飲食業が、料理茶屋。
料理を出すことを専門にした飲食店のことで、
茶を使って大豆や米を一緒に炊いた一膳飯と、豆腐汁、煮物、香の物をセットで提供する店が
浅草寺門前の並木町で生まれたのが、その始まり。

現在の定食屋のような業態だった。
このようにガッツリ昼食を食べさせる店というのは、実は当時は、世界的に見てもとても珍しく、
日本でも初めての事例だった。

というか昼食自体が、明暦の大火後のこのような外食産業の充実により、
定着した食習慣と考えられている。

それまでは朝、夕の一日二食が基本だったが、
出先で昼食をとるのが当たり前になり、一日三食が一般化したというのだ。

腹が減っては復興はできぬ、だったのかもしれない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私は読み終わった後、明暦の大火にも無知であったので、ネットで調べたりした。

そして振袖火事・丸山火事と称されている明暦の大火は、
明暦3年1月18日(1657年3月2日)から1月20日(3月4日)にかけて、
大きな火災であったので、江戸時代の初期の頃となる。

そして従来は朝と夕の一日二食が基本であったが、まもなく一日三食になったと私は初めて知り、
これ以来、日本の殆どの家庭では、一日三食が定着したと学んだりした。

こうしたささやかな事でも、72歳になって遅ればせながら初めて知り、何かと単細胞の私は、
何んとなく心が豊かになったように感じて、微笑みを重ねたりした。
            

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
ここ三が月は、タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、
そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。
        
家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

昼食は私はアイス・コーヒーか冷茶を飲みながら、小さな塩フランスバンを三ばかり食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。

そして昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、
それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。
                                                  

やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
            

ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしている。

余談であるが、私がサラリーマンをしていた現役時代、
コンピュータを活用して情報畑で奮闘していた時、外部のソフト会社とシステム開発を共にしていたが、
この中のシステム・エンジニアのひとりが、一日二食タイプと知り、私は驚いたりしていた。

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東京五輪、建物はほとんど「プレハブ化」せよ、私は多々学びながら、まぎれなく正論、と思い深めて・・。

2016-10-19 14:39:00 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン』を見ている中、
【 東京五輪、建物はほとんど「プレハブ化」せよ 
            ~建設費も問題だが、ヤバイのはムダな維持費~ 】と見出しを見たりした。

やはりこうした論説が出てきたかと思いながら、クリックして記事を読んでしまった。

この記事は、初めて知る投資銀行家のぐっちーさんの寄稿文であり、
『東洋経済オンライン』に本日の10月19日11時過ぎに配信されていたが、
無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・ご存知の通り、東京オリンピックの経費が、どんどん膨れ上がっている。

当初の「ザハ案」(建築家のザハ・ハディド氏、3月に死去)による「新国立競技場」だけはなんとか「廃案」にし、
切り詰めに成功したが、ほかの施設は「ダダ洩れ」状態に等しいようだ。

すでに当初の総経費7340億円は、このまま行けば、3兆円超とも言われる数字(東京都政改革本部調査チームの試算)に
到達する危険性がある。

10月18日に小池百合子・東京都知事は、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長と会談。
3競技会場(五輪アクアティクスセンター<水泳>、海の森水上競技場<ボート・カヌー>、
有明アリーナ<バレーボール>)の計画見直しを伝えた。

10月中にも方向性を出すという。
             

☆建設費も問題だが、膨大な維持費こそ問題

一体どうなっているんだろうか? ? 

一部には建設費・材料費の高騰などと言われているが、水泳会場のアクアティクスセンターなどは、
321億円から683億円と2倍以上の額になっている。
整備費という言葉を使っているが、ひらたくいえば建設費です。

投資家としてのわれわれの経験上、費用が倍になることなど、「第3次世界大戦」でも起きない限り、絶対にない。
あり得ない。
すなわち、テキトーに数字を出しておいて、あとで修正すれば文句は言われないだろう、と、
ほとんどすべての競技関係者が考えた結果の総体が、ここにあると言っていい。

さまざまなデータで明らかなのは、
建設費は「建物の今後約10年にかかるコスト」の「3分の1程度」にしか過ぎないということ。
つまり、メンテは建設費のおおよそ2倍、かかるのです。

この水泳会場の例でいうと、これを建設するとおよそ1200億円もの維持管理費(人件費を含む)が今後かかる、という事実があり、
問題は仮に建設費は、国に押し付けても(財政赤字はますます増えるが)、
東京都民はこのコストを払い続けることになる。

こうした説明が、政府からも東京都からも、ほとんどない。

作っても巨額の維持費が払えるわけがない
水泳会場一つとってもこのざまで、カヌーやボートの会場「海の森水上競技場」が69億円から491億円になっているなど、
もうあきれてものも言えない。
             

☆民間なら「逆算方式」で計算するのが、当たり前

これだけ日本全国で、無駄かつ維持費で、地方財政が疲弊している建物が乱立しているのに、
いまだにこういう話が出てくること自体が不思議だが、こうなれば取れる手段は一つだけ。

各競技団体に、この維持管理費とどうやってペイさせるのか、具体的なプランを出させたらよろしい。

もちろん「絵に描いた餅」ではだめで、もし結果的に赤字になったら競技団体全体で
その赤字を負担する(1人何千万になろうがそんなものは関係ない)という取り決めをすることだ。

「そんな巨額な金額は負担できない」、というのであれば、
では、いったいいくらなら維持費を稼ぐことができて、
それに見合う建物はいくらまでが限界か、と逆算するしかない。

この水泳会場の例でいうと、当初の683億円はなんとか負担するとしても、
維持費の1200億円を水泳会場の運営・営業で負担するなぞ、できるはずがない数字だ。

おそらく、毎週桑田佳佑さんやAKB48が水泳パフォーマンスコンサートなんぞをやっても、
この経費は絶対に出ない。
大赤字になる。

ということは、「水泳という競技で集められる集客数」をはかり、
その入場料、各種グッズ売り上げ、出てくるショップからのショバ代などを合計した収支、
「予測PL(損益)」がなければならない。

こんなことは民間事業であれば、当然であって、そこを無視しているから、
こういう壮大な経費の無駄遣いがなくならない。
             

われわれが岩手・紫波町の施設「オガール」で成功しているのは、まさにこの「逆算方式」を追求したからだ。

建物も含め欧州風の雰囲気がある、などと褒めてくれるメディアもあるが、
われわれからすると、正直、当初約50億円を想定した建物からすれば、
相当に切り詰めて「しょぼい建物」になったのは事実だ。

しかし、「当初の目的」(公民が連携し、図書館など公の集客力も利用しながら、
人が集まる、独自性のある楽しい複合施設にする)には、100%合致している。

開業から3年たったが、今も、「オガールは建物がしょぼいから行きたくない」、と言われたことは一切なく、
年間90万人以上の人に訪れて頂いている。
             

☆オリンピックはアスリートの祭典、建物の祭典ではない

人は、建物を見に来るのではない。
その中のコンテンツに興味があるからこそ、移動するわけであって、
それが世界最高のアスリートの祭典であれば、椅子が多少ボロくたって、何の問題もないはずだ。

つまり、国民が税金を払って赤字を被るのか、
黒字にできる範囲の施設で我慢するか、道は二つに一つしかないのだ。

私もブラジル五輪を見て来たわけだが、小池都知事もご覧になったはずだ。
カネがなかったために、「完全に新設の施設」は、ほぼゼロ。

国技のバレーボールは、サッカーで有名なマラカナンスタジアムの横にある古びた体育館で行われ、
男子トイレなどは、ただの溝にみんなで並んで放尿する、という失礼ながらトンデモナイ代物だ。

またビーチバレーボール会場は、完全にプレハブで、オリンピックが終われば取り壊すてはずになっていた。

そんな施設で協議をやって、リオ五輪が盛り上がりに欠けた、という評判を耳にされたか?
関係ないのである。

オリンピックはアスリートの祭典であり、建物の祭典ではない。
必要最低限の施設(例えば、国際基準のバレーボール専用のフロアなど)があればいい。
ファンは建物など見ていない。
競技を見ているのだから。
             

☆ほぼすべての建物は「プレハブ」で足りる

つまり、国立競技場を除けば、ほぼすべてプレハブでOKのはずだ。

日本のプレハブ技術は、それこそ世界に類を見ないほどのレベルであり、
それを「日本の売り」にしたって新たなビジネスチャンスの創出にもつながる可能性すらある。

あれほど頑丈で震災にも耐えるレベルのプレハブなら、
開発途上国は、それこそ恒久的な建物はいらない、と言い出すのではないか、とも考えられる。

プレハブ施設の方も、とんでもない予算に膨れ上がっているという話も出てきているが、
恒久建設物の維持管理費に、税金を投入することを考えるなら、それでもまだまし、というべきだろう。

考えねばならないのは、その施設のPL(損益)とキャッシュフロー。
黒字にならない施設は、オリンピックのあと取り壊す。

何百億円も使って、昔ここでオリンピックがありました、なんて記念碑を建てたら、それこそ墓石である。

今なら間に合う。
至急、必要最低限のもの以外のプレハブ化を急ぐべし。
いかにサステナブル(持続可能)なものが作れるか、これこそ、日本が世界に示すよいチャンスだろう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

過ぎし日、9月28日に小池都知事は、就任後初となる都議会本会議に臨み、所信表明を行った。
こうした中で、2020年東京五輪について「施設整備や開催経費について、説明責任を果たす」と明言した。
そして都は大会組織委への監督を強化するため、「監理団体」の指定に応じるよう要請を行い、
組織委の「財布の中身」を具体的にチェックを開始した。

私は政治にも疎(うと)く、過ぎし7月31日に都知事選には、都政を浄化して下さる御方は、
小池百合子さんだけだ、と期待して清き一票を投じたひとりである。

そして2020年東京五輪・パラリンピックに関し、
大会組織委員会の森喜朗会長、都議会のドンと称せられる内田茂・東京都議らは、
巨額な都の血税、そして国の血税をあたかも無限大のように策略し、喰いものにして、利権、名誉を勝ち取りながら、
強欲にも政治家として晩成期を飾ろうとする悪しき御方たち、と私は思い重ねたりしてきた。

或いは都の幹部の多くは、天下り先を模索しながら、肝要の職務を怠り、
そして責務も忘れて、頑(かたく)なに保身に慢心する恥知らずの御方たち、と私は感じ深めたりしてきた。

東京都の財政に豊かでなく、もとより国の財政も悪化している。

私は昨年の2015年(平成27年)5月初旬、
松谷明彦・著作の『東京劣化 ~地方以上に劇的な首都の人口問題~』(PHP新書)を購読し、
震撼させられたひとりであった。
               

新書のカバーにある解説として、
《・・地方の集落の消滅を危惧する声が高まっているが、
これまでの政策の方向性を変えれば、日本の農業や集落を維持する術(すべ)はある。

むしろ、地方よりも東京のほうが、より急激な変化に見舞われると考えられる。
東京の高齢化は、すさまじい。
2040年には、2010年に比べて高齢者が143.8万人増加する。
1.5万人減少する秋田県とは対照的だ。

その結果東京の貯蓄率は低下し、インフラが維持できず、都市がスラム化するおそれがある。
年金の給付水準は大幅に引き下げられ、その結果多くの高齢者が家を失い、
老人ホームが新たに100万床以上必要になると考えられる。

ならばどうするか。
人口減少問題の第一人者が、欧州の事例も参考にしながら、現実的な処方箋を提案する。・・》

そして帯カバーの裏面には、
■地方は「消滅」しない
■貧しくなる東京
■オリンピックの狂騒の後に残るもの
■日本経済を支えたビジネスモデルの終焉
■1950年代の産児制限が急速な高齢化の原因
■公共賃貸住宅を大量につくれ―――財政への影響は問題なし  ・・など9つ命題が明記されていた。

こうしたことを立ち読みした私は、やがて到来する東京劣化を学びたく、買い求め、精読した。
                    
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、生家も近く、
この地域に結婚前後の5年を除き、66年ばかり住んでいる。

このような関係で地元はもとより、都心には幼年期の頃から行ったりし、
そして学生時代、やがて社会人になってサラリーマンで精勤すると、都心にある本社で奮戦したり、
定年後の年金生活の中でも、ときおり都心に行ったりしている。

そして私は、《・・貧しくなる東京・・》は都民のひとりとして、
無力ながら悲嘆し、ため息を重ねて、著作者の松谷明彦さんから多々教示された・・・。
             

そしてここ数か月、小池都知事が、今まで閉ざされた都政の改革、そしてオリンピック、
これからの難題「東京大改革」を断行する為に、各調査チームを率いて、それぞれ奮戦している。

こうした心情を秘めている私は、今回の記事を読み、オリンピックに関して、都も国も過剰に財政悪化をすることがない論説に、
私は多々学びながら、まぎれなく正論、と思い深めている。

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「老後は1億円必要」におびえなくてもいい理由、年金生活13年生の私は学び、内容に余りにも楽観的と微苦笑して・・。

2016-10-18 14:46:51 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
昨夜、たまたま毎日新聞の公式ネットを見ている中で、初めて見る【経済プレミア 】を見たりした。

こうした中で、『くらし』と題されたコーナーに、『20年後の暮らしとお金』と副題があり、
【 「老後は1億円必要」におびえなくてもいい理由 】見出しがあり、
私はセカンドライフに要する資金と思いながら、やはり年金生活をしている私は、気になり精読してしまった。

この記事は、久留米大学商学部教授・塚崎公義さんが寄稿され、2016年3月18日に配信されていたが、
現代40歳前後のご夫婦の方が、『20年後の暮らしとお金』に対して不安を払拭するような内容目的と思ったりし、
これを現代に時代を置き換えて、セカンドライフに要する資金を明記されていた。

しかしながら年金生活まもなく13年生となる私としては、この内容は余りにも楽観的と感じ、
微苦笑させられた。無断であるが転載させて頂く。

《・・「老後は1億円必要」におびえなくてもいい理由 
            

☆知っておきたい公的年金

私たちの老後の生活は、大丈夫なのでしょうか? 
老後の生活費は、一体どれくらい必要なのでしょうか? 

世の中には、不安をあおるような本や雑誌が数多く売られています。
「老後は1億円必要だ」と言われて、「定年までに1億円もためるのは無理だ」
と不安におびえている人もいるかもしれません。

「老後の生活に1億円必要だ」というのは、その通りです。
しかし、心配いりません。

世の中に、「定年の時に1億円以上の貯金を持っていた高齢者」は、ほとんどいませんが、
高齢者の多くは、何とか暮らしています。
(政府の2014年版高齢社会白書によると、80歳以上の高齢者の暮らし向きについてのアンケートで、
「心配ない」と感じている人の割合は全体で80%となっています。 )

読者の多くも、老後は何とか暮らせるでしょう。
それは、年金や退職金や親からの遺産などが、見込めるからです。
            

はじめに、老後に必要な生活資金について見てみましょう。

90歳まで生きるとすると・・。

総務省の家計調査(「家計調査年報家計収支編」14年版)によれば、
2人以上の高齢無職世帯の1カ月の生活費は、60歳代で31万円、70歳以上で26万円です。

60歳代の10年間で3720万円、90歳まで生きるとすると、70歳以降で6240万円かかります。
合計すれば1億円です。

調査対象の世帯当たり人数が、2人より少し多いので、その分は割り引いてもよいのですが、
一方で今後はインフレになるだろうと考えれば、やはり1億円は必要だと考えておくべきでしょう。

一方の収入は、個人差が大きいです。
特に自営業者とサラリーマンでは、大きな差があります。

自営業者は退職金がなく、年金も不十分ですが(夫婦合計で最大で毎月13万円程度)、
定年がないので、元気な間は年齢を重ねても、収入を稼ぐ事ができます。

自営業者は個人差が大きいので、本稿では詳しく論じません。
ですが、とにかく健康に留意して、長く働けるように頑張っていただきたいと思います。
            

☆サラリーマンは年金が充実

サラリーマンは退職金があり、年金も比較的充実しています。
定年まで同じ職場で勤めた場合の退職金は、勤務先によって大きく異なりますが、
平均すれば大卒で2000万円強、高卒で2000万円弱といったところでしょう(厚生労働省の13年「就労条件総合調査結果」)。

年金は、現役時代の所得にもよりますが、夫が標準的なサラリーマンとして40年間働いて、妻が専業主婦の場合、
夫婦2人で毎月22万円程度を受け取れると言われています(厚生労働省の試算)。

年金は、原則として65歳から受け取ることができますが、
受取開始時期は60歳から70歳の間で選ぶことができ、
70歳からの受取開始を選ぶと毎月の受取額が42%増額されます。

そうなると、毎月31万円程度の受取額となります。
上に70歳以上の生活費は26万円と記しましたので、年金だけで十分に生活できることになります。

26万円というのが世帯当たり2.36人の家計の支出である事を考えると、更に余裕です。
もっとも、今後年金支給額が目減りしていく可能性を考えて、
70歳以降は年金でギリギリ生活できる、という事にしておきましょう。
            

☆「老後は何とかなる」の方程式をどう描くか

60歳で定年を迎え、65歳までは何とか働いて生活費を稼ぎ、
65歳から70歳まで預金を取り崩しながら生活するとすると、1500万円ほど必要です。
これは上記31万円という生活費が2.57人の世帯人数のものであることを勘案した試算です。

葬式代を500万円残すことを考えると、老後は2000万円必要だということになります。
これはおおむね退職金の金額です。
要するに「退職時点で住宅ローンの残高と金融資産残高が同じであれば、老後は何とかなる」という事になります。

最後に、期待するのは不謹慎かもしれませんが、親からの遺産を受け取れる人も多いでしょう。
高齢者の多くは、長生きした場合に備えて、結構な金額の蓄えを持っていますから、
そこそこの遺産相続が発生する事も多いのです。

本稿を読んで、それほど老後の生活資金についておびえなくてもよい、という事がご理解いただければ幸いです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私は読み終わった後、まず第一に定年とされる60歳まで、殆どの人は勤めている会社で迎えられるか、
と疑問がある。

少なくとも国家・地方公務員は論外であるが、民間会社はそれぞれの時代に淘汰、或いは飛躍する熾烈な競争の中、
ここ10数年でも、短期成果が求められ、正社員でも常時リストラ時代となっている。

こうした状況は20数年前から水面下で実施されてきて、再就職を出来たとしても、以前のように年収は低下して、
一部には不幸にも大病も加わり、下流に陥る人もいる。

或いは親御さんの介護で、やむなく離職し、やがて当人自身が下流に陥る人もいる。


年金に関しても、あくまで厚労省のモデル試算であって、高い人、リストラなどに遭遇して低い人もいて、
単純に平均されることは、平均値の怖さであり、
その上、実態としてはモデル試算より一割ぐらい低下している、と私は感じ入る。

私が危惧させられたのは、《・・「退職時点で住宅ローンの残高と金融資産残高が同じであれば、老後は何とかなる」・・》
相殺方法は殆ど年金生活をしている方の実態を知らない。
            

殆ど年金生活をしている家庭は、年金を基盤として生活し、不足した場合はやむなく貯金を取り崩しているのが、
実態である。

従って退職以前に住宅ローンの残高はゼロにして、
退職金などを貯蓄して生活予備金としてセカンドライフを始めなければ、
大半の人は長寿になればなるほど、貯金は底をついて生活が下流化していく、
と民間の中小業に勤めていた私、知人は話したりしている。

或いは70歳からの受取開始を選らべる人は、殆ど皆無に近い。
もとより65歳から就職できたとしても、突出した人以外は、低額で職務状況も悪く、
そして体力も衰え、余程の意志、事情のある方以外は困難である。

私は短絡的に思案したことを記したが、平素はプラス思考でも、
今回の塚崎公義さんの寄稿文は、余りにも楽観的と微苦笑させられた・・。

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昨今のメガバンクは、高齢者を相手に投資信託、外貨建て生命保険を売る『手数料ビジネス』実態、私は学び動顛して・・。

2016-10-17 16:34:20 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
先程、愛読しているネットの【現代ビジネス 】を見ている中で、
【 逃げるなら早めに!このままでは銀行が潰れる【最前線レポート】
               ~ まず信金、地銀、そしてメガバンクへ ~ 】
と見出しを見たりした・・。

そして私は金融とか銀行にも殆ど無知だったので、どういうことですか、と思いながら精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊現代』2016年10月15日・22日合併号に掲載された記事のひとつであり、
【現代ビジネス 】に10月17日の配信された記事のひとつであり、無断ながら転載させて頂く。

《・・有望な融資先を見つけることはできない上、マイナス金利で経営は逼迫・・
そんな苦境のなか、銀行にさらなる脅威が立ちはだかる。業界の最前線をレポート!
            

☆カネの貸し先が見つからない

「この国には銀行の数が多すぎる。しかも、担保を取って貸し出すだけで何の工夫もしていないし、知恵もない。
これだけ金融緩和をしているのに、融資を必要としている起業家たちに、カネが回っていないのはどういうことだ。
金融機関がまともに機能していないから、日本ではアップルのようなイノベーション(技術革新)が生まれないんだ。

自己保身しか考えない愚かな金融機関を潰さなければ、日本が滅びる。
そうなる前に、一刻も早い銀行の淘汰と再編が必要だ」
森信親金融庁長官はこう考えている。

その思いが形になったのが、9月15日に発表された「金融レポート」だった。
すでに本業(貸し出しや手数料ビジネス)で赤字になっている地域金融機関は4割もあり、
2025年度にはもっと増えて、実に6割超で本業が赤字になるという衝撃的な内容だった。

さらに同レポートは、「早期に自らのビジネスモデルの持続可能性について真剣な検討が必要である」とまで踏み込んだ。

このままでは信用金庫や地方銀行などの地域金融機関は潰れる。
私たちは警告を発した。それでも変わらないのなら、救う気はない。

金融庁はそう言っているのである。

「信金や地銀など中小金融機関は、人口減少で、融資や手数料収入は増えないうえ、
金利の低下で利ざやも減り、しかも体力がないから新しいサービスも始められない『三重苦』に陥っています。
将来を考えると、『死ね』と言われているに等しい」(SBI証券投資調査部シニアマーケットアナリスト・藤本誠之氏)

すでに地銀各行は、他の地域の地銀と広域提携を結び、生き残りを図ってはいる。
だが、衰退する地方経済で、有望な投資先など簡単に見つけられるはずもなく、ジリ貧から抜け出せていない。

一つの地域に第一地銀、第二地銀をはじめ、信組・信金がある「オーバーバンキング」状態は、
体力の低い金融機関から破綻を引き起こす。
            

☆メガバンクも危機的

そして、危機に瀕しているのは、地方金融機関だけではない。
むしろメガバンクのほうが危機的かもしれない。
その大きな要因は日本銀行が今年2月に導入した「マイナス金利」だ。

元々、日銀はアベノミクスの「第一のエンジン」として、
金融緩和で2%の物価上昇を達成し、経済を活性化させる役割を担っていた。
しかし、目論見は大きく外れた。

日銀はマネタリーベース(資金供給量)をアベノミクス以前の約7倍となる404兆円まで膨らませたが、
世の中には回らなかった。

百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏が解説する。
「銀行は融資先を見つけられない、もしくは貸したとしても、少ない利ざやしか取れないため、
銀行は余った資金で国債を購入したり、それを日銀に預けたりして運用してきました。
日銀と銀行の間で、国債と預金をやりとりするだけで、市中に資金が出回らなかったんです。

これに業を煮やした日銀が、マイナス金利政策を導入することで、
日銀に銀行が資金を預ければ、逆にコストがかかるようにした。
このため、メガバンクは大幅な減収減益に陥っている状況です。

背景にはメガバンクの図体が、大きすぎることが挙げられます。

すでに民間から資金を集めて、成長産業に貸し出すといった、
従来の銀行のビジネスモデルは成り立たなくなった。
それなのに、高給で多くの銀行員を抱え、駅前の一等地にある支店の維持などのコストが大きい。

今の利ざやでは、銀行経営は苦しい。現状の数の銀行が、生き残るのは厳しいでしょう」
            

☆老人相手の手数料ビジネス

実際、マイナス金利は、メガバンクの収益を直撃している。
金融庁の調査ではマイナス金利の影響で、3メガバンク合計で少なくとも3000億円の減益になると試算している。

もちろん、このような状況下で、メガバンクも必死だ。
顧客から手数料を搾り取ることで、生き残りを図ろうとしている。

たとえば、三井住友銀行は10月21日からATMで現金を引き出す場合、
平日昼間であっても1回につき、108円を徴収するようになる。
自分のカネを自分の銀行口座から引き出すのに、手数料を取るというわけだ。

「森金融庁長官は、『(ドラマの)半沢直樹になれ。企業を育てろ』、
『銀行の利益ではなく、顧客の利益を考えろ』と銀行の尻を叩いています。
顧客第一という姿勢に変わらないと、銀行は生き残れないという正論です。

ところが、実際の銀行は、顧客に損を押しつけて儲けようとしている。

最近も、銀行が窓口販売している外貨建て生命保険について、銀行が高い手数料を取っていることが問題化しました。
金融庁が銀行に手数料の開示を求めた結果、この低金利時代に、
約7%もの手数料を取っていることを渋々顧客に明かしました」(金融ジャーナリスト・浪川攻氏)

今も大学生の人気就職先ランキングトップ10に、3メガバンクすべてが名を連ね(マイナビ調べ)、
銀行員は花形職業と思われているが、実際には現場の銀行マンは、日々の業務にうんざりしている。
            

メガバンクに勤める30代の中堅行員がこう愚痴をこぼす。

「銀行は投資信託や保険を売る『手数料ビジネス』にシフトしました。
しかし、それも限界に近づいていると思います。

商品内容を理解していない老人に、リスクの高い商品を強引に買わせた上に、
損をさせているのですから、当然ですよ。

私だって手数料が高く、損をする商品など売りたくないのですが、
支店にいたとき、一度上司に文句を言ったら、
『嫌なら別の商品を売っても構わないが、売り上げ目標は、必ず達成しろ』と言われました。

手数料の安い投資信託を売っていたら、ノルマに届かず、こっぴどく叱られた経験があります。
自分の将来を考えたら、今は嫌でも従うしかないと諦めていますが」
            

こうした現状に、自身も信金で金融の最前線に立ってきた城南信用金庫元理事長の吉原毅氏が提言する。

「元々銀行の仕事とは、お客様の夢を実現し、困っている人を助けること。この根源的な役割に立ち返るべきです。
技術はあるが経営が苦しい人や、新しいアイデアがあっても起業の仕方がわからない人は大勢います。
そういう人を助けるために何ができるかを、銀行員も徹底的に考える。

そうしてお客様が成果を出し、新たなビジネスが生まれれば、
そこで初めて自分たちも利益を得られるという風に発想を転換するべきです。

そういう意味では、これから最も苦しいのは、メガバンクです。
彼らの取引相手の中心は大企業ですが、大企業ほどすでに成長が終わっているからです。
さらに成長しようとすれば、メガバンクもより大きなリスクを取らざるをえなくなる」

ところが、メガバンクは本業に立ち戻るどころか、新しい分野に進出し始めた。
フィンテックだ。

これは金融(ファイナンス)とIT技術(テクノロジー)の融合を指す。

AIを使って、小口融資の需要を掘り起こす。
ロボットに窓口業務を担わせる。海外送金を手軽に行えるようにする。
独自の仮想通貨を発行する、といったことが実現可能だと言われている。

みずほ銀行は、この取り組みに一番熱心だ。
ソフトバンクの人型ロボット「ペッパー」を銀行で初めて店頭に導入した。

さらに9月15日にはソフトバンクと合弁で消費者金融の新会社を設立することを発表した。
融資を受けたい人の個人情報をAIが処理し、適切な貸出金利で融資をするのだという。
            

☆高給な銀行員はいらない

新しい技術によって、顧客にもっと便利で手軽なサービスを提供し、収益の核にしたいとメガバンクは息巻くが、
経営コンサルタントの加谷珪一氏は、「認識の甘さ」を指摘する。

「海外でフィンテックは、銀行のビジネスを破壊する技術という認識です。
フィンテック企業は、銀行を滅ぼそうと考えており、銀行側は彼らを飲み込まないと、
自分たちは殺されるという強い危機感を持っています。

ところが、日本ではフィンテックと言うと、
資産運用へのアドバイスが、これまで以上に的確にできるとか、
家計管理が楽になるといった金融サービスの利便性が高まることだと捉えられています。

銀行側の人間でさえ、フィンテックの進歩を歓迎し、提携しようとしている。
実に楽観的です」

メガバンクが諸手を挙げて歓迎するフィンテックは、実は銀行にとって諸刃の剣だ。
銀行の主要な業務の一つ、顧客の資産運用もAIに取って代わられるからだ。
            

『人工知能が金融を支配する日』の著者で、東京銀行やソニー銀行で勤務した経験もあるRPテック取締役の櫻井豊氏が解説する。
「金融の仕事のほとんどは数字を扱うものですが、人間にミスはつきもので、色々なものを見落としますし、
思い込みの余地も入ってしまいます。

しかし、人工知能にはそういったヒューマンエラーはなく、
膨大な数字を瞬時に分析して、統計的なパターンを読み取り、適切な解答を導き出します。
金融業界は人工知能の活躍にうってつけの場なんです。

たとえば、どう資産運用をすればいいのかについて、
人間では24時間チームを組んで働いたとしても、たどり着けないほど緻密な分析が可能となります。
いくら優秀な銀行マンでも、商品知識には偏りがありますからね」

つまり、従来の「銀行員」も「銀行とその機能」もAIの時代には必要なくなる。
フィンテックは、メガバンクの行員にとっては、悪夢になりかねない。

メガバンクの海外事業担当の行員が話す。
「著名な投資家ウォーレン・バフェット氏の投資先として知られる米ウェルズ・ファーゴ銀行は、
いち早くフィンテックを導入しました。
その結果、同行の支店は、日本の銀行とは、まるで違うものになりました。

コンピューターが業務のほとんどを処理してしまうので、行員がやることと言えば、
訪れた顧客にスマホの使い方を教えたり、融資の書類を処理したりする程度。

このため、支店の広さは6畳間程度で、行員は2人ぐらいしかいません。
不動産の賃料は安く済みますし、行員の人件費も安く抑えられ、多額の利益を叩き出しています。

ウェルズ・ファーゴ銀行の支店長の給料は、日本円に換算して600万~700万円と聞いていますが、
一方の日本のメガバンクの支店長の年収は、2000万円ほどです」

メガバンクの経営陣にとっては、人件費のカットにつながるが、
一方で、これまでとまったく違った仕組み作りと維持・更新には、莫大な費用がかかる。
金融知識に加えて、ITに精通した新たな人材の確保も必要となる。

ただでさえ収益の悪化に苦しむメガバンクの経営を直撃するのは確実だ。
            

☆「食われていく」運命

加えて、システムのトラブルが発生したら、メガバンクがこれまで築いてきた顧客からの「信頼」という資産が
一瞬にして崩壊しかねないリスクもはらんでいる。

「これまでの銀行の最大の強みは、顧客からの信頼の上で、資金の流れを見られることでした。
カード決済をどれくらい使っているか、家賃はどう払っているか、金融資産はいくらあるかといったデータを蓄積していた。
これは銀行が決済に使われているから得ていた情報で、こういったデータを元に金融商品の売り込みなどを行っていた。

ところが、フィンテックによって、資金の流れが銀行に見えなくなるという事態が起こります。
すでに海外では、銀行の口座ではなく、スマホを通じて、給料を支払う仕組みができている。

グーグルやアマゾンが、決済のやり取りのすべてを抱え込むようになれば、銀行はおカネの流れの外に置かれる。
そうなると、銀行は『リアルなおカネを預ける金庫』という、さえない存在になってしまうのです。
銀行がいらなくなる日は、十分にリアリティがあります」(楽天証券経済研究所客員研究員・山崎元氏)

将来的には、銀行ではないところが銀行になる。
その動きはすでに始まっている。
            

前出の百年コンサルティング代表・鈴木氏が言う。
「金融機関は、数少ない融資先をフィンテック企業に奪われていきます。
たとえば、飲食店はこれまで銀行のお得意様でした。

ところが、フィンテックが会計アプリなどを提供して、飲食店の経営状況を把握するようになると、
優良店を判断することができるようになります。

銀行だけでなく、フィンテック企業にも『おいしい顧客』、
つまり資金需要があり、健全経営をしている会社の情報がわかるようになる。

そこに融資を持ちかけ、銀行から顧客を奪うといった状況が、すでに出てきています。
銀行の利ざやはますます減るので、体力のないところから、どんどん潰れていくでしょう」

メガバンクでさえ、このままでは3つも残らないだろう。
金融業界のドラスティックな再編は、もう間近だ。

現在、顧客の預金が保護されるのは1行1000万円まで。
虎の子資産を逃がす先を、一刻も早く考えたほうがいい。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
            

私は読み終わった後、怜悧な金融業界の銀行などのドラスティックなことを学んだりしたが、
昨今は、メガバンクでも、マイナス金利の中、投資信託、外貨建て生命保険を売る『手数料ビジネス』実態を学び、
やむなく殆ど無知な高齢者を相手に、損をさせてまで、販売していることに動顛したりした・・。

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職し、年金生活を始めた直後、私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、
銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。

こうした時、ある銀行の窓口で私の退職金を引き出した時、支店長から応接間のような広い部屋に招待され、
支店長から『一時払い終身保険』を私たち夫婦に説明して頂ながら、勧誘させられたりした。

しかし10年間の運用利回りが良いと言われても、長期に及び資金が固定されてしまうので、
魅力は感じることなく、対象外とした。

この直後、支店長から3分の2はある投資信託で高い金利、残りの3分の1を安全利回りで運用されれば確実に増えます、
と勧誘するように助言されたりした。

そして支店長が自分もしていますよ、と自身の投資額と金利の推移表のカードを
私たち夫婦に見せて、先月は5万少し・・と提示して、微笑みながら勧誘した。

しかし私たち夫婦は、もとより金利の変動は良いことあれば悪いこともあり、
悪化しマイナスになった場合は、残された人生に狂いが生じるので、安全な国債などした。

私は小心者のせいか株、投資信託などのハイリターン、ハイリスクで、
残された大切な人生に一喜一憂するのは、何よりも心身によくないと思ったりした。

そして、貯金関係は殆ど国債の元本保証プラスわずかな金利、そして定期貯金を選定したのである。
                                                         
こうした私たち夫婦の根底には、バブル期の終了まじかに、投資信託に失敗したことがあったことが主因であった。
バブル期、私は現役のサラリーマンであり、同僚たちが盛んに株の売買で、高揚していた。

そして私は基本的な私たちの生活資金として、この当時は預貯金は1000万に到達していない上、
小心者の為に株のハイリターン、ハイリスクは避けて、ボーナスを頂くたびに定期貯金に加算したりしていた。

やがてある証券会社より、投資信託の勧誘のパンフレットが郵送され、
何かしら四半期毎に8%~12%の利回りがあった、と直近の四半期実績推移表が添付していた。

こうした中で、私は天下のXX証券が、世界中の資金を運用するプロの集団だから、と信頼して、
取りあえず100万円だけ、我が家は投資した。

やがて一年過ぎた頃、結果として元本の100万円の消えて、精算は85万円にお詫び状が付いていた。
そして我が家は少なくとも15万円も損失したので、これ以来どのような証券会社、銀行より勧誘が来ても、
無視をしたりしてきた。
                                 

我が家は国債を二千万円足らずを購入しているが、絶対的に大丈夫、と問われれば、
『国債が駄目になった時は、日本が滅びる時である・・その時は私たちの生命財産はもとより保障されないので・・』
と私は今でも公言をしている。

このように我が家は預貯金に関しては、元本保証プラスわずかな金利主義となっている。
            

今回の記事、私は今後の金融業界の急速な変貌を学んだりしたが、
我が家が利用している地方銀行のひとつが、万一破綻すれば、やむなく生存しているメガバングのひとつを
活用すれば良い、と漠然と思ったりしている。

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