夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

”のど老化”の原因、そして自己チェックリスト、こっそりと私は学び、微苦笑して・・。

2021-07-31 13:56:00 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 介護ポストセブン 】の『健康』コーナーを見ている中で、
『 「声が出にくい」「むせやすい」は”のど老化”のサイン
             原因と自己チェックリスト【医師解説】 』
と題された見出しを見たりした。


私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 
こうした中、私は朝食、夕食の時、家内と共に頂いているが、
私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖におしゃべりが好きで、

何かと家内と談笑したりしている。

そして私は、食べながら家内に話したりしていると、一か月に一度ぐらい、
食物が食道へ入るべきものが気管に入ってしまうらしく、

一分ぐらい、むせたり咳き込んだりすることがある。

こうした時、家内は

『高齢者になると誤嚥(ごえん)になる人が多いから、気を付けてねぇ・・』
と私は言われたりしている。

私は5年前の頃までは、こうした体験がなく、

やはり高齢者になると食べ物がのみ込む力の嚥下(えんげ)の力が衰えたのかしら、
と戸惑いながら不安を秘めたりしている。

そして家内も、数か月に一度ぐらいあるから、私も気を付けるわ、
と私に微苦笑しながら言ったりしてきた。



こうした私たち夫婦は、誤嚥(ごえん)について、
少しばかり体験をしてきたので、やはり注意1秒で食べる時、お茶を飲む時は、
ゆっくりと頂くことが肝要だなぁ・・と思い深めてきた・・。

このような嚥下(えんげ)の力衰え、そして誤嚥(ごえん)に関しても、
一歩間違えると死のリスクがあると学んだりしてきたが、
今回、《・・「声が出にくい」・・「むせやすい」 ”のど老化”のサイン・・》、

具体的にどのようなことなの・・と私は学ぼうと精読してしまった。

この記事の原文は『女性セブン』の2021年7月22日に掲載された記事であり、
関連の【 介護ポストセブン 】に7月27日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。



 
《・・いまだマスクを手放せない状況が続いている。

外出や会食の自粛が引き続き求められる中、
「声が出にくい」、「むせやすくなった」などと訴える人が増えている。

これは、会話する機会が減り、声を出さなくなったことによる
“のど老化”が進んでいるサインかもしれない。


☆声が出づらくなった人が増えている3つの原因

「運動不足による体の不調とともに、のどの運動不足も進んでいる」
と言うのは、音楽・音声ジャーナリストで「声・脳・教育研究所」代表理事の山﨑広子さん。

「20~70代まで、幅広い年齢のかたから、
『最近、声が出づらくなった』という話をよく聞きます。
その主な原因として考えられることは、3つあります」(山﨑さん・以下同)


【原因1】

会話をすることが減ったため、のどや声帯を使うことも減り、のどが運動不足に陥っていることだ。

「手足などの筋肉を使わないと弱っていくように、
のどの筋肉も使わなければ衰えていくので、動かして鍛えることが必要です」

【原因2】

マスクをしている影響で、呼吸が浅くなっていること。

「呼吸は、声のエネルギー源。
しっかりと呼吸をして、新鮮な酸素を肺に取り入れなければ、
吐く息が弱くなり、力強い声を出すことができません」

【原因3】

マスクをすることで、口の動きが封じられてしまい、
口を大きく開けずに、“もごもご”としゃべっていること。

「声を出すときは、口からのど、声帯にかけて、たくさんの筋肉が連動しています。
意識して声を出すように心がければ、のどの運動不足の解消につながり、
ある程度は元に戻ると考えられます」



☆日常生活での「のど老化」のチェックリスト

□最近、会話が減った

□食事中にむせることが増えた

□声が弱く、かすれたりしゃがれたりする

□のどに違和感がある

□せき払いをよくする

□たばこを吸う

□毎日、たくさん飲酒する

□脂っこいものが好き

□野菜をあまり食べない

□血圧が高い

□いびきや睡眠時無呼吸の症状がある

□胸やけがする(胃酸の逆流)


<判定>

1つでも当てはまる人は、のど老化のリスクがある。
数が多いほど老化は進行している。

上から5項目は、のどの筋力低下リスク、
その下の7項目は、のどを老けさせる生活習慣と症状を示している。



☆食事中の「むせる」は、のど老化の始まり

声の違和感に加え、「むせる」、「せき込む」などの回数が増えてきたら、
「のみ込む力(嚥下(えんげ)力)が衰えている可能性がある」と言うのは、
呼吸器内科の専門医で、「池袋大谷クリニック」院長の大谷義夫さん。

「食事中に、食べ物や飲み物が気管に入って、むせたりせき込んだりすることが、
40代頃から少しずつ増えていきます。
これは、のどの老化の始まりで、誤嚥しやすくなってきたサインです」(大谷さん・以下同)

食べ物や唾液、逆流した胃液などが、口からのどと食道を通って胃に送られるはずが、
誤って気管や肺に入ってしまうことを誤嚥という。
このとき、細菌が含まれていると肺で炎症を引き起こし、誤嚥性肺炎になってしまうのだ。



☆のどの衰えから誤嚥性肺炎にも…

厚生労働省が発表した「2020年人口動態統計月報年計(概数)の概況」によると、
昨年の誤嚥性肺炎による死者数は4万2746人で、3年連続で増加している。
それ以外の肺炎による死亡者は7万8445人で、
両方を合わせると12万1191人となり、死因別死者数の第4位に位置する。

※厚生労働省「2020年人口動態統計月報年計(概数)の概況」より
※厚生労働省「2020年人口動態統計月報年計(概数)の概況」より

「肺炎を予防するには、肺炎球菌ワクチンを接種することと、
歯磨きやうがいなどの口腔ケアをして、
口の中を清潔に保つことが有効というエビデンスもあります。

これに加え、のどが衰え始める40代から、
のみ込む力やせき反射(※)が衰えないように、口腔内のストレッチなどに取り組み、
誤嚥性肺炎のリスクを下げるように心がければ、健康寿命を延ばすことにつながると思います」

(※)せき反射とは、異物がのどの奥まで侵入すると
気道の表面にあるセンサーが察知し、脳に伝え、のどに吐き出すよう指示を出し、せきを起こさせること。


☆教えてくれた人

山﨑広子さん/音楽・音声ジャーナリスト

  「声・脳・教育研究所」代表理事。
  著書に『声のサイエンス あの人の声は、なぜ心を揺さぶるのか』(NHK出版新書)などがある。

大谷義夫さん/池袋大谷クリニック院長。

  呼吸器内科のスペシャリスト。
  著書に『肺炎を正しく恐れる』(日経プレミアシリーズ)などがある。 

                             取材・文/山下和恵・・ 》 

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 
 
今回、”のど老化”の原因、「声が出にくい」、「むせやすい」に関して、
改めて多々教示されたりした。

そして自己チェックリスト、こっそりと私は受診したりした。

□食事中にむせることが増えた
    一か月に一度ぐらい、食物が食道へ入るべきものが気管に入ってしまうらしく、
    一分ぐらい、むせたり咳き込んだりすることがある。

□血圧が高い
     平均男性より少し高い。

この2つが該当して、やはり76歳の齢は隠せないよなぁ・・と微苦笑したりしている。
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老後の幸せは「家事」にあり? 、76歳の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2021-07-30 15:16:32 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot. (アエラドット) 】に於いて、

『 老後の幸せは「家事」にあり?
                              おちぶれ老人にならないために!
 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後41年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『働らなくても、何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりする。

『そうだよねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。

                 

私はある民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となり、
多々の理由で
年金生活を始めたりした・・。

そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。

或いは昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

そして午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。

こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、

日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。



今回、《・・老後の幸せは「家事」にあり? ・・》と見出しを読み、
私は微苦笑しながら、記事を読んだりした。

この記事は、赤根千鶴子さんの寄稿文で、『週刊朝日』に2018年12月7日号に掲載され、
関連の公式サイトの【 AERA dot. (アエラドット) 】に2018年12月2日に配信されていたが、
少し古い記事であるが、もとより「家事」は日常生活に欠かせない基盤のひとつであり、
無断ながら記事の大半を転載させて頂く。

《・・「零落れる」と書いて「おちぶれる」と読む。

老後、貯金もゼロ、用事もゼロ、やる気もゼロ・・・と、
すべてが「零」に急落しないようにするためには、どうしたらいいのだろうか。



有識者・先達のアドバイスを紹介する。


大江英樹さん(66歳)は、大手証券会社を定年退職後、経済コラムニストに転身。
書籍執筆や講演会等で、慌ただしい日々を送っている。


「私の場合、定年前に大がかりな準備はしていないんです。
ただ、定年前後に意識的に行ったことはあります。
それは『会社以外の友人』を増やすことです」


会社の仕事上のつながりは、
あくまでも自分が「社員」でいる間のつながりかもしれない。

そこで大江さんは、さまざまな場所へ出かけていった。
フランス語の勉強を始めたり、ジャズのアルトサックスを習い始めたり。

そしてそういう場で、親しくなった人たちとのつながりが、
実際にいまの仕事に役立っているという。



「定年退職後に自分の事務所を立ち上げたとき、
まず私に経済セミナーの依頼をしてくれたのは結局、
会社以外の場所(個人投資家の集い)で知り合った方でした。

いくら『元・○○勤務』といっても、『元』はあくまで『元』なのです。
今日に至るまで、現役時代に仕事でつながっていた方々とは、
新しい仕事のご縁はまったくありません(笑)。
世の中ってわかりやすく、シビアにできているんですよ」


できれば50代に入った時点で、
自分の人間関係は、外に広げていくようにしたほうがいい、と大江さんは語る。

そして50歳過ぎたら、いつまでも出世に固執しないこと。
もうあきらめなさい、そんなこと。


「役員になったら、エライんですか。社長になったら、エライんですか。
役員になっても、その後の人生がみじめな人を、私はいくらでも見てきました。

私は50代向けのセミナーで、いつも言うんです。
『早く成仏しなさいよ』って。

ここで気持ちを切り替えて、
セカンドライフを充実させたほうが、はるかに幸せです」



そして家事のできない方々よ。
定年後を豊かにするには、まず家事がひと通りできるようになることだ。


「配偶者に寄りかかって生きないこと。
これは老後の人生の、幸せの基本です」


(略)

慶応義塾大学大学院教授で、日本における「幸福学」研究の第一人者である前野隆司さんによると、
高齢になっても、幸せになれる人は、
やはり「利他的」で社会貢献に生きている人だという。

「第二の人生は、利他的に生きるか、利己的に生きるかで、幸せ度は全然違います。
しかし普段、会社という組織の中で働いていると、
どうしても外とのつながりを作る力が弱まってしまう。

でも定年後いきなり地域社会にとけこむのは、とても難しいことです。
できれば50代のうちから地域活動やボランティア活動などを始めたほうがいいと思います」


そしてマウンティング合戦( 注・自分の方が相手よりも立場が上であること、
また優位であることを示そうとする、行為や振る舞いのこと )の癖を早々にやめること。


「ビジネスの場では勝ち負けがありますが、
ひとの幸せに『勝ち』、『負け』なんてないのですから」


結局定年前にすべきことは、勤め人の根底にある意識の改革なのかもしれない。
                             (赤根千鶴子)・・ 》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 

今回、定年後の男性が、家事に関することに、 微苦笑させられたりした。

私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなっている。

私の父は、私が小学2年の時、肝臓を悪化して、42歳の若さで亡くなり、
母は、婦人系の癌で1998(平成10)年1月中旬に亡くなり、私は53歳の時であった。

そして家内の父は、私が定年退職後、年金生活を始める直前に、腎臓を悪化して、亡くなり、
家内の母は独り住まいとなったりした。

この当時の家内の母は、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行ったりし、この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となったりしてきた。

いつの日にか私たち夫婦は、どちらかが無念ながらも片割れとなり『おひとりさま』となるが、
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
私は特別演習だ、と自身を叱咤激励して過ごしてきた。



しかしながら、私としては当初の『おひとりさま』の生活には、戸惑ったりしたことは事実であったりした。

家事の三冠王と思われる料理、洗濯、掃除などは、家内が長らく専業主婦だった為か、
私は家内にお任(まか)せで、私としてはもとより家計の責務でサラリーマンで奮闘してきた。

そして私はサラリーマン時代は、単身赴任した経験もなく、我が家と会社を往復してきた生活が長く、
年金生活を初めて一年生で『おひとりさま』の生活かょ・・、迷子のように戸惑いながら感じたりした

こうした時、敬愛している作家の曽野綾子さんの随筆を読んだりしていた・・。

              
 
             


私は遅ればせながら曽野綾子さん・著作の『近ごろ好きな言葉 ~夜明けの新聞の匂い』(新潮文庫)を読み、
多々教示を受けたが、この中のひとつに定年後の男性の生活者としての在り方について、
明記されていたので、私は微苦笑させられながら、読んだひとりである。


本書の初出は、総合月刊雑誌の『新潮45』で、この内容は『暗がりの夫族』と題された一部であり、
掲載されたのは、1995年(平成7年)8月6日である。


《・・(略)・・私たちの同級生の配偶者たちが、もうほとんど定年になる年になった。
私は毎年恒例になっているイスラエル旅行にでかけたが、 その年は大学の同級生の一人がボランティアに来てくれた。


旅の途中で、彼女は、今、真剣に夫に家事をしこもうと思っている、と言った。
もうこの年になると、どちらが先にどうなるかわからない。

死なないまでも、長期入院ということになったら、家に残った方が、一人で生活しなければならない。              


彼女の家ではまず子供たちが、お父さんにエプロンを贈った。

長いこと社長業をしていたような人で、台所に入ったらどういうことになるか想像がつかない。

優しい子供たちは、何とかそれをユーモラスな出発として励ますことができないかと考えたようだった。


私は彼女の賢明さに打たれた。

もういいの悪いのという選択をしている時間がない。

明日にも、夫婦は一人で生きて行く必要が生じるかもしれない。
配偶者が入院したらその日から、或いは死亡したらその夜から、誰がご飯を作るのだ。                         


息子や娘たちは、皆忙しい年齢である。
離れて住んでいるケースの方が多いだろう。
嫁にご飯を作りに来いなどと呼びつけられると思ったら、それは大変な時代錯誤というものだ。



(略) 私たちの世代の夫族の中で、どれほど生活者として無能な人がいるか、
長い間、私たちはそれこそ笑いの種にして来たのである。


妻がでかけようとすると「何時に帰る?」と聞く。
愛しているから、妻が誰と会うのか、どこへ行くのが心配なのではない。
心配の種は「俺の夕飯はどうなるのだ」ということだけだ。


大学を出ている癖に、夕飯を作る能力も、出前を取る才覚もないから、
奥さんが少し遅れて帰ってみると、電気もつけない薄暗がりの中でじっと座っている。

と言って皆笑うのである。

これはどうしても侮蔑の笑いてしかない。

              

暗がりの夫族の中には、東京大学の出身者、ことに法学部の卒業生も多かったので、
私たちは自分たちの出身校が秀才校でもないのを棚に挙げて、改めて幼稚な優越感を覚えることにした。

(略) どうして秀才の夫たちは、ああも能がないのか。

今どきは、炊いたご飯そのものだって、「大盛りですか、普通ですか」という感じで、マーケットで売っているではないか。


デパートや商店街のおかず売り場で、適当に焼魚と野菜の煮ものでも買えば、
それほど栄養が偏(かたよ)るということもなくて済むのに、それができないのである。              


昭和初年代の夫族の中に、おかずも自分の靴下も買ったことのない人は結構いるのは、

彼の母の責任だろうか、それとも妻の責任だろうか。


台所に入っても、お湯の沸かし方一つ手順がわからないからうろうろしている。
薬罐(やかん)がどこにあるかも知らないのだ。

洗濯機のボタンを押したこともないし、炊飯器の目盛りの読み方など、わかるわけもないから、
ご飯ぐらい炊けるでしょう、などと言われると、恐怖で不機嫌になる。

(略) しかし彼らが、人間としたら、生存の資格に欠けていることには、間違いがないのである。
つまり自分はご飯の心配もしなくて生きることが当然と思うのは、 実はとんでもない不遜な男かもしれない。


それは「お前作る人、俺は食べる立場」みたいな男女の性差別を容認し、
自分はそういう仕事をしなくて当然の、もっと高級な人間だと思い上がっている証拠なのだ、

と私もこのごろ悪意に解釈することにした。・・》

注)329ページ~332ページから抜粋。原文にあえて改行を多くした。

              
 
                       


本書は曽野綾子さんの定年後の男性の生活者としての命題のひとつのテーマであるが、
この作品は1995年(平成7年)8月に公表され、
《 私たちの同級生の配偶者たちが、もうほとんど定年になる年になった。・・》 と綴られて、
私たちの世代より15歳前後、ご年配の人たちとなる。


曽野綾子さんご自身は、聖心女子大学を1954年〈昭和29年〉に卒業された御方であるが、
あの当時に女子大学を通うことができたのは、若き女性のほんの一部であり、
クラスの同級生の多くは、中央官庁、大企業のエリート、そして中小業の会社を創業された成功者、
或いは老舗の商店などに嫁がれた方が多いと思われる。


こうした嫁ぎ先のご主人が、第一線を退かれて、関係先の要職を務めて、
第二の人生を歩み、家庭人となった現状・・。

このようの中で、一部の人は現役時代の栄誉も、食事のことで困惑する状況を的確に表現されているが、
私たちの世代、そして私のような中小業で奮闘した身となれば、苦笑してしまう。


しかし、私の場合も、まさかの予期せぬ出来事で、家内に先立たれて、
本当に『おひとりさま』になることもあるので、
単純に笑ってばかりは、いられない時もある。


これ以降、私は何かと『夫族の中で、生活者として無能な人がいて・・』と銘言を学び、
家内が里帰りした時、『おひとりさま』となった私は、叱咤激励されながら原動力となり、過ごしてきた。



そして、私は恥ずかしながら食事、洗濯、掃除などを若葉マークと称される初心者なりに、
手抜きをしながら過ごしているが、こうした家事は何かと大変だよなぁ・・と改めて感じ深めたりしてきた。                         

やがて9年前の頃より、家内の母が要介護の身となり、
家内と家内の妹は交互に、 大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活が増えて、多少なりとも料理、洗濯、掃除などを習得して、
これも人生だよねぇ、と私は独り微苦笑したりしている。



過ぎし2年前の5月、家内は生死に関わる大病をして、
入院して手術をした後、我が家で安静をしている。

家内の母の介護は、家内の妹が専任となり、
やむなく月の25日間ぐらい、家内の母は介護施設にお世話になっている。

こうした中、我が家の朝夕の食事は家内が料理し、やがて私は受け取って、
居間にある食卓テーブルに持って、並べる『お運びさん』で、
そして食後の後『かたずけ役』となっている。

私は食後、居間に有る食卓テーブルから台所に大皿、小皿、御飯茶碗などを運び、
やがて私は懇切丁寧に皿洗いをしたりしている。

こうして過ごしているが、いつの日にか・・と思いながら、

私たち夫婦は過ごしたりしている。

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熱中症が疑われるとき、すぐにとるべき行動とは?、76歳の私は学び、多々教示されて・・。

2021-07-29 15:18:42 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 ウェザーニュース 】を見ている中で、
『 熱中症が疑われるとき、すぐにとるべき行動とは? 』
と題された見出しを見たりした。


私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸16年半を過ごしてきた。



そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、

殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。
        


こうした中で、私の夏模様として、容姿は制服のようになった半袖のスポーツシャツ、或いはアロハシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしている。

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。



        
やがて休憩ねぇ、と思いながら、小公園に寄り、幾重か大きな樹の下にあるベンチに座り、
コンビニで買い求めたペットボドルの煎茶を飲み、水分補給をしたりしている。

          
こうした根底には、高齢者は、脱水を起こしやすい要素をいくつも持っていて、 
放置すると、寝たきりや認知症を招く結果になりかねない、と学んだりしてきた。

そして脱水にならないことは、やはり喉の渇きを感じる前に、
こまめに水分補給は大切だ、 と思いながら実施してきた。

やはり高齢者の私が熱中症で、遊歩道か公園などで倒れて、
気が付いたら病院のベットの上だった・・
余りにも多くの見知らぬ御方に御迷惑をお掛けする・・。

最悪の場合は、遊歩道か公園などで倒れて、
あの世に旅立つのは、つたない人生航路を歩んできた私でも、
可哀そう・・思ったりした・・。



このような心情を秘めている私は、遅ればせながら、
《・・熱中症が疑われるとき、すぐにとるべき行動とは?・・》学びたく、
【 ウェザーニュース 】に於いて、7月28日に配信された記事を、
無断であるが、殆ど転載させて頂く。    

《・・ 梅雨が明け、本格的な夏がやってくると、急な暑さに体が追いつかない人も多い。

特に、高齢者の熱中症は、命にかかわる危険があるので、注意しておきたい。

これからさらに暑さが厳しくなると、熱中症が急激に増えてきます。
政府は昨年まで7月を「熱中症予防強化月間」と定めていましたが、
今年から4~9月を「熱中症予防強化キャンペーン」と改め、
より一層啓発に力を入れることになりました。


「熱中症による死亡者数、年1,000人以下を目指すなど、
顕著な減少傾向に転じさせる」をキャンペーンの中期的目標に掲げたことからも、
熱中症の怖さがわかります。


そこで夏本番の熱中症対策について、
横浜鶴見リハビリテーション病院(横浜市鶴見区)の吉田勝明院長に伺いました。



☆こんな症状は要注意

「熱中症は、暑熱障害による症状の総称です。
暑熱環境にさらされた状況下での体調不良は、
すべて熱中症と考えなければなりません」(吉田院長)


そのうえで吉田院長は、日本救急医学会が2000年以降採用している
重症度Ⅰ度~Ⅲ度の分類を頭に入れておくようにとアドバイスします。


▼重症度Ⅰ度:現場での応急処置で対応できる軽症

▼重症度Ⅱ度:病院への搬送を必要とする中等症

▼重症度Ⅲ度:入院して集中治療の必要性のある重症
box1
 

☆熱中症が疑われるときにとるべき行動

では、自分や周囲の人が熱中症を疑われる場合、
どんな行動をとればいいのでしょうか。


「まず意識があるかどうかを確認し、
意識がなければ、すぐに救急車を要請してください。
意識があれば、急いで涼しい場所へ移動させます。


次に行うべきことは、脱衣と冷却です。
衣服をゆるめて、熱を体から放散させてください。
露出した皮膚に濡らしたハンカチを当て、うちわで風を送るといいでしょう。

自動販売機で冷たいペットボトルを買い、
首の両側、脇の下、太ももの付け根に当てて冷やすのも効果的です。

救急車を呼んでも、到着するまではこのような方法で、
体温の冷却に努める必要があります」(吉田院長)


その後、行うのは水分と塩分の補給になります。

「大量に汗をかいていたら、汗で失われた塩分の補給も必要になるので、
水より経口補水液か、スポーツドリンクが適しています。

意識が不明瞭で自分で飲めない場合は、
無理に飲まそうとせず、医療機関に運んで点滴を打ってもらいます」(吉田院長)



☆応急処置をまとめると

こうした初動の対応は、熱中症にかかった人の命を救えるか、どうかを左右します。
『熱中症環境保健マニュアル2018』(環境省)をもとに、応急処置をまとめるとこうなります。

box4
この中で緊急を要するのは、呼びかけても、意識がない場合です。
近くの人に協力を求めて、最低2人でチームを組み、
1人は、AED(自動体外式除細動器)を探しに走り、
もう1人は、救急車を要請しながら、本人に付き添ってください。


普段通りの呼吸がなかった場合、
救急車が到着するまで、心肺蘇生(心臓マッサージ)を行わなければなりません。


毎年多くの人が熱中症で亡くなっています。
十分な水分補給と暑さ対策で自分の身を守る一方、
万一熱中症が疑われる人に出会ったら、適切な行動がとれるようにしたいものです。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 
 
今回、横浜鶴見リハビリテーション病院(横浜市鶴見区)の吉田勝明院長に導かれて、
熱中症が疑われるとき、すぐにとるべき行動とは?、
多々教示されたりした・・。

私は一昨年までは、熱中症対策をして熱い夏を乗り越えてきたが、
昨年の2月の頃より、新型ウィルスの烈風より、
買物、散策、病院の通院など外出の時は、生まれて初めてマスクを付けてきた。

こうした中で、口の周りが熱く汗ばむようで息苦しくなり、
人影のいない遊歩道、公園などで、こっそりとマスクをはずす時もある。

まもなく私は、コロナ対策と熱中症対策の二重苦で、
紳士用の日傘を買い求めて、せめて散策をする時は日傘を差して、
少し涼しいかしら、ときおり独り微笑んできた。



やはり自分の意識のあるうちは、自分の身は自分で守る・・
今まで通りに徹して、気合を入れて歩こう、と思ったりしている。

そして帰宅後には、
天国のような世界が私を待っている・・。
エアコンの冷気の中で、冷やした煎茶、アイスコーヒーを飲んだり、
冷やしたトマトを食べたり、ときには冷やしたスイカを家内と共に食べたりしている。

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都心に人出する若者「感染の恐怖感なくなってきている」、高齢者の私は学び、解決策を夢想して・・。

2021-07-28 14:03:46 | ささやかな古稀からの思い

先程、ヤフージャパンより配信されたニュースを見ている中、
『 若者「感染の恐怖感なくなってきている」・・・都心の人出、
                    30歳代以下が7割 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市に片隅に住む76歳の身であり、
結婚前後の5年を除き、この地に71年ばかり住んでいる。

過ぎし昨年の2月より、新型コロナウィルスの烈風に伴い、
幾たびの緊急事態の中、何かと制約が多く、戸惑いながら、
無力な私でも、苦手なマスクをしながら、感染が怖くて我が身大切に、
「三密(密集、密接、密閉)」を守ってきた・・。

こうした中、体力の衰えを補(おぎな)う為に、我が家より3キロ以内にある公園、遊歩道など、
殆ど毎日のように歩いたりしている。

しかしながら本音として、私なりに長らく自粛してきた為か、
新型コロナ疲れとなっているが、やがて感染が激少するまでは、
自粛の延長戦だ、と自身を叱咤激励をしているのが実情でもある。


このような深情を重ねている私は、今回の記事を読んだりした・・。

この記事は、読売新聞の主幹ネットの【読売新聞オンライン】が7月28日に配信された記事であり、
私は読売新聞を購読して51年目で、よしみに甘えて転座て頂く。

《・・
新型コロナウイルス新規感染者が27日、
過去最多の2848人に達した東京都では、若い世代の感染拡大が鮮明になっている。
最近1週間の感染者に占める30歳代以下の割合は約7割。

感染者増加の要因とみられる人出も多くを若い世代が占めており、
都は危機感を募らせる。

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 
ここ3日前、私はテレビのニュースなどで、都心に行き来する若い世代の情況を見たりして、
左手に携帯の可愛らしい扇風機、右手にスマホを持ちながら、
若い女性グループが、楽しそうに3人で歓談している情景を見て、
微苦笑させられたりした・・。


過ぎし昨年の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、ときおりテレビのニュースを視聴したりすると、
新型コロナウイルスの感染の終息をさせる為に、
事前に公的機関による国民全員にPCR検査が実施した上、
予防としてのワクチンの接種も迅速に行う。。

こうした中で、政府は感染学の専門家の総合的なアドバイスの施策を取り入れて、
迅速に対処すれば、国民の大半は納得して、やがて終息させる・・。



この間に、私は『緊急事態宣言』が、東京都にされるならば、
もとより首都圏(東京、千葉、神奈川、埼玉の1都3県)一帯に実施しなければ、
効力がないと、思い深めているひとりである。

もとより社会情況からして、通勤、通学、或いは買い物、娯楽などで、
都心に行き来している御方も多く、こうした実態を政府の首脳部が無視して、
感染を終息させることは、無理難題である。

このようなことを昨年の夏の頃に、無学の私でも、思い願ってきた。




過ぎし日、菅首相は、東京や大阪など9都道府県に発令している。

新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言を6月20日まで延長すると決めた、
テレビのニュースで私は知ったりした。

しかしながら、会見した菅首相は
「度重なる延長は・・心苦しい限り」と理解を求め、
オリンピック開催への反対論には、「安全、安心の大会に向けた取り組みを進めている」
と発言されていた。

しかし約3週間という延長幅についても、解除の要件についても、
明確な根拠や基準は示されず、幼稚園のクラス会のような中途半端であった。

延長は、やむを得ないとしても、国民にさらなる負担を強いる以上、
どうすれば日常を取り戻せるのか、収束に向けての出口戦略を示すのが、
国の最高責任者の責務である。


そして何かと無知な私は、
菅首相は単なる「五輪ありき」の7月23日開幕の東京オリンピックを見据え、
その1カ月前まで宣言を維持して、感染を可能な限り抑え込む危うい姿勢に、
落胆したりした。

昨今も感染者数が高止まりし、病床の逼迫(ひっぱく)が続く中、
感染者が下がりきらない中で解除した場合、
対策を緩和すれば再度の感染爆発を招きかねない。

そしてオリンピックの日程に縛られることなく、
指標に基づいたリスク分析と評価が必要だ、と新聞から学んだりした。

こうした中、感染のリスクを負うのは私たち国民であり、
菅首相は国民の健康と命を守る責務を放棄したら、
総理大臣の資格はない、と動顛しながら、思い重ねたりしている。

このような状況に、私は政府に失望してきたが、
『どんなメッセージを題しても、共感は得られない・・ 』、と政府か都の要人が嘆いたが、
若い人たちからは、幾たびの日中を含めた不要不急の外出・移動の自粛、報じられるたびに、
またかょ・・と苦笑しながら、あきれ果てて、政府の発令も無視されている、と私は感じている。


今回、都心に人出する若者「感染の恐怖感なくなってきている」に関して、
解決策として、私が瞬時に思い深めたことは、ためらいながら劇薬しかない、
と夢想したりした・・。

ある20代の若い男女5名ぐらい、感染してしまい、病苦に苦しんでいる状況・・、
このようなことを、ある政府の要人が、あえてネットで流す・・。

これを見た若者が動顛して、多くの御方に拡散し、
初めて多くの方たちに、感染の恐怖感を認識して、ワクチン接種を積極的に受け、
やがて「三密(密集、密接、密閉)」を守りながら、終息化に向かう。

無力な高齢者の私は、こうしたことも、終息化のひとつの手段、
と夢想したりしている。
 
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【東京五輪卓球】混合ダブルス決勝  勝者と敗者の光と影、私は改めて深く学び・・。

2021-07-27 15:02:56 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
卓球に関して、中学時代にピンポンを同級生と、年に数回した程度であった。

ここ20年、家内と滞在旅行をした時、観光ホテルなどでの館内に卓球コートがあった時、
たわむれに家内と、ビンポンねぇ・・と言いながら、一時間ぐらいする時もあったりする。

このように卓球に殆ど無知な私は、平素はテレビでスポーツ・ニュースで視聴するぐらいで、
今回、『東京五輪』の卓球の混合ダブルス決勝戦をテレビで昨日、視聴したりした。



視聴した根底には、何かしら世界世界ランク2位の水谷 隼さん(32=木下グループ)、
そして伊藤美さんん(20歳=スターツ)の“じゅんみま”ペアが、
準々決勝では最終セット、6ー10とマッチポイントを握られながら、逆転勝ち、
とテレビのスポーツ・ニュースで知り、断崖絶壁のような中、
よくぞ勝ち進んだ、と驚いたりした。

やがて準決勝に於いても、第1ゲームを11-9で取ったが、
第2ゲームは6-11で落とす一進一退の展開。

それでも第3ゲーム。9-9からの長いラリーを制して得点し、
第3ゲームを11-9で取ると、流れをつかむ。
第4ゲームは11-6、第5ゲームも11-6で制し、決勝戦に進出、
と報じていた。

こうした熱戦を制してきた“じゅんみま”ペアは、
第1シードの中国の強豪の許昕(きょ・きん)、劉詩雯(りゅう・しぶん)組と対戦と知り、
やはり健闘しながらも、惜しくも敗退し・・銀メダルに・・、と思いながら視聴した。



結果的には、日本サイドからみれば、
4-3(5-11、7-11、11-8、11-9、11-9、6-11、11-6)、
の熱戦を制して、五輪史上初めて日本に金メダルをもたらした。


こうした中て、第1ゲーム、そして第2ゲームをテレビ観戦をした限り、
中国の許昕(きょ・きん)、劉詩雯(りゅう・しぶん)組は、圧倒的な強く、
これじゃ・・日本サイドは手も足もでなくて完敗だなぁ・・、
と私は思ったりした。

しかしながら第3ゲームから、“じゅんみま”ペアの底知れぬ力量が蘇(よみがえ)り、
中国の許昕(きょ・きん)、劉詩雯(りゅう・しぶん)組を圧倒して、
金メダルをもたらした。




  • 中日スポーツ
こうしたことを私は学び、勝者と敗者の光と影、私は改めて学んだりした・・。
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“私の死”は存在しない、でも死後の世界は存在する、私は学び、やがて共感を深めて・・。

2021-07-26 12:16:05 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot. (アエラドット) 】に於いて、
『 “私の死”は存在しない、でも死後の世界は存在する 
                  帯津先生の考え方 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、いつの日にか、私があの世に旅立つか、
或いは私を残して、家内は死去してしまい、私は独りぼっちり『おひとりさま』になってしまうか、
ときおり思案する時もある。



こうした根底には、幾人かの知人、友人がここ10年、病死されたこともあり、
家内の突然の生死にかかわる大病に遭遇したりしてきた・・。

或いは私自身2019年は予告もなく、

新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、 心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
 しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。

もとより仲良し恋しの御夫婦でも、いつの日にか、
どちらが先に旅立つ怜悧なこの世の習わしとなっている。



このような深情を秘めている私は、
《・・“私の死”は存在しない、でも死後の世界は存在する・・》、

真摯に学びたく、記事を精読した。

過ぎし2010年8月下旬の頃に、
医学博士で病院長の帯津良一(おびつ・りょういち)さんの本を読み、多々教示されたりしてきた。

やがて2011年〈平成23年〉の秋に、
氏の『楽々往生 ~老いを輝かせる12の心得』(ベスト新書)を購読したりした。



そして精読しながら、私は何かと大いに励ましを受けた一冊であった。

この本の帯に明記されている『楽々往生のための心得』として、
《 ◎いくつになっても、ときめきをもつ
  ◎「定年」で終わりにしない
  ◎ひとりを愉しむ
  ◎自分なりの「養成法」をもつ
  ◎敗れることも必ず想定に入れる
  ◎できるだけ身軽でいる 》
このように記載されていることを私は多々教示されて、私のセカンドライフの格言としている。

私が敬愛している帯津良一(おびつ・りょういち)さんが、

『週刊朝日』の2018年6月15日号に掲載された連載されている寄稿文のひとつであり、
関連の【 AERA dot. (アエラドット) 】に
古くなった記事であるが、死に関してはすべて超越し、
無断ながら記事を転載させて頂く。

《・・西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、
人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。
死ぬまでボケない「健脳」養生法を説く。

今回のテーマは「死後の世界」。


*  *  *

【ポイント】
(1)一人称(自分)の死は、実は存在しない

(2)死後の世界があるものとして、死を考える

(3)あの世で再会できる人を、思い浮かべる


前回、死を見つめ、死に対する覚悟を深めていくことが
ボケの予防につながると書きました。

死を見つめれば、見つめるほど気になるのが、死んだ後はどうなるのかということです。
それによって、死に対する覚悟も変わってくるでしょう。


その死後の世界について、まだご健在だった落語家の立川談志さんに聞いたことがあります。

「そうよなぁ。誰も帰(けえ)って来た奴は、いねえからなぁ・・・
余程、好いところなんだろう」

というのが答えでした。

言い得て妙というのはこのことです。
いくら思案しても、これ以上の答えは出てきません。

あの世に行ってしまわれた談志さんに、どうでしたかと聞いてみたいものですけれど。



解剖学者で『死の壁』(新潮新書)の著書がある養老孟司さんは、
死についてもっと、はっきりした考えを述べられました。

死には一人称(自分)の死と二人称(他人)の死があって、
一人称の死は、みんなあると思っているけれど、実はないのだというのです。

その死は出現した瞬間、それを問題とする自分はいないのだから、
自分にとって、そんなものは存在していないのだというのです。



なるほど、と思います。
自分にとって自分の死は存在しないのであれば、それについて考えても意味がありません。
死について考えて意味があるのは、死後の世界がある場合だけになります。


ですから私は、死後のことは誰もわからないけれど、
死後の世界があるものとして考えることにしています。
そう考えると、都合がいいのです。



ホリスティック医学の追求も、体を成すにはあと20年、30年は必要だろうし、
大好きな太極拳も、とてもこの世だけで極めるのは無理です。

あの世で続けたいことがたくさんあるのです。


作家の遠藤周作さんは、こういうことをおっしゃっていました。
70代の前半ともなると、もう一つの大きな世界からの囁きが聞こえてくる。
その囁きに耳を澄ますのが、老いというものなのだ。


私は80歳を超えたのに、まだこの囁きが聞こえてきません。
でもいつかは聞こえてくるという予感を、掌中の珠のように大事にしています。


あの世があると考えると、こころがときめくのは、
先に行って私を待っていてくれる人たちへの思いが、膨らむからです。



両親や家内は、言わずもがな、
まず思い浮かぶのが、太極拳の師であり、酒仙李白にも匹敵するような無類の飲み手である楊名時先生。
再び一献酌み交わすのが楽しみです。


次に手術の名手で東大第三外科、都立駒込病院外科を通しての同僚だったKさん。
盃を傾ける姿が忘れられません。
さらに中国は内モンゴル自治区ホロンバイル大草原の友人たちと、
挙げていくと枚挙にいとまがありません。


皆さんも、あの世で再会できる人たちを思い浮かべて、こころをときめかせてください。
それがボケの予防につながります。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、敬愛している帯津良一さんの寄稿文より、
“私の死”は存在しない、でも死後の世界は存在する、私は学び、多々教示された後、
そうですよねぇ・・と共感を深めたりした・・。

私は70歳を迎えた頃から、ときおり夢の中で幾人かの病死された知人、友人が、
談笑した時の言葉、しぐさが現(あらわ)れて、
私は違和感なく歓談したりした。

こうした中で、ある日は20代の終わりの頃に、職場を共にし、
この後、長らく交流した友人の時もある。

或いは年金生活を始めてまもなく中学校の同級生と再会して、
数年交流した中で、脳梗塞で突然にあの世に行ってしまった同級生・・、
お互いに元気そうだねぇ・・と私たちは歓談した。

やがて、朝、布団(ふとん)の中で目覚めた後、

ぼんやりと微睡(まどろみ)ながら微苦笑したりする時もある。




そして朝のひとときまどろむ時、夢と現(うつつ)の世界を往還するように、
今日はどこを散策しょうか、
駅前の本屋に行き、あの本を買い求めようか、
などを思い馳せたりしてきた。


或いは家内と国内旅行に行き、
旅先のロビー、食事処で隣席して談笑した人たちを思い浮かび、

たとえ一期一会でも、人生の微笑みひとときを過ごせた、と走馬灯ように感じたりしてきた。



このように私は過ごしているが、たとえ家内に先に旅立たれても、
あの世で、いつの日にか、お逢いできれば・・と念願して、
独り微苦笑したりしている。

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サランラップの「サラン」って何のこと? 、高齢者の私は学び、やがて微笑みを重ねて・・。

2021-07-25 14:08:09 | ささやかな古稀からの思い
 

《・・ラップには「クレラップ」などもありますが、
ラップの代表格と言えば「サランラップ」ですよね。

でもこれって、そもそも何語なんでしょう?

Photo by iStock

 

☆フィルム製造メーカーの技術者が

答え:
サランラップの「サラン」は、発明者二人の奥さんの名前をあわせたもの

三ツ星レストランから家庭の台所まで、料理を作る場所なら、
どんな所にもあるのが、食品包装用ラップだ。

その中でも代表的なのが、サランラップ。

このサランラップの「ラップ」が包むという意味の英語なのは、よく知られているが、
では「サラン」とは何であろうか? 

実は「サラン」という名称には、この商品の誕生秘話が隠されている。

サランラップを開発したのは、アメリカのフィルム製造メーカーの技術者である
ラドウィックとアイアンズの二人。

ある日、妻を連れてピクニックに行った彼らは、
ラドウィックの奥さんが、レタスを夫の会社の製品であるフィルムで包んでいるのを見る。

そのレタスが、みずみずしいままだったことに驚いたラドウィックたちは、
早速、開発に着手し、商品化に成功。

そして、ヒントを与えてくれた二人の妻に感謝の気持ちを込めて、
彼女たちの名前サラとアンを合わせてサランラップと命名した。

つまり、サランは、二人の開発者の妻の名前サラとアンを合わせたものなのである。

漫画/森下えみこ
 

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、サランラップの「サラン」って何のこと? 、私は学びながら、
微笑みを重ねたりした・・。

ともすれば年金生活は、惰性のように過ごすこともあるが、
一日にひとつでも学ぶことがあれば、高齢者の私としては、
ボケ防止に良いかしら・・と微笑んだりしている。
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東京五輪「呪われた開会式」大手メディアが決して書かない“舞台裏”をドキュメント、高齢者の私は学び、微苦笑して・・。

2021-07-24 14:54:47 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイデジタル 】を見ている中で、
『 東京五輪「呪われた開会式」大手メディアが決して書かない“舞台裏”をドキュメント』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
昨日の夕食は、いつものように家内と共に談笑しながら頂いた後、
まもなく午後8時を迎えたりした。

『オリンピックの開会式の日だから・・テレビで観戦しょうょ・・』、
と私は家内に言ったりした。

私は1964年(昭和39年)の秋に、東京オリンピックが開催された時は、
大学2年で中退をした頃で、家内は中学3年生であり、
それぞれあの当時の日本は、経済を含めて躍動していた中で、
国民の祭典としてふさわしく、殆どの国民の多くが共感認識していた。

この後、1970年(昭和45年)の春より、『大阪万博』で日本の各地で熱狂し、
やがて1972年(昭和47年)の2月、『札幌・冬季オリンピツク』が開催された後は、
殆どの日本国民が熱愛した国民の祭典は、この三つの祭典で終わりを告げた、
と私は思ったりしてきた・・。



このような心情のある私は、今回の日本のオリンピックの開会式は、

23日午後8時から国立競技場で始まり、NHKは実況中継をすることを知り、
私たち夫婦は視聴したりした・・。

最初に、国立競技場の空から撮影され、
男性のアナンウサーが『スタンドに観客の姿はありません。
東京にとって57年ぶり、2回目のオリンピックは異例の大会になりました・・』
と言ったりしていた。

そして女性のアナウンサーは『開会式を巡っても・・担当者の変更が相次ぎました』
と報じていた。

そして『開催地東京は、4回目となる緊急事態宣言のさなかです。
世界でも深刻な感染拡大に苦しんでいる国は、少なくありません。

こうした状況での開催について、誰のための何のための大会なのかと
日本国内だけでなく海外のメディアからも・・様々な声が上がっています』
と言ったりしていた。

この後、男性のアナンウサーは『一方、多くのアスリートにとって・・
生涯をかけて目指してきた場所です。

4年に1度の特別な舞台で、ひたむきにプレーするアスリートの姿に、
わたしたちは心を動かされ、時には明日への活力にさえなってきました』と報じたりした。

そして女性のアナウンサーは『オリンピックの意義が問われている難しい状況の中、
開会式では・・国民や世界に向けてどのようなメッセージが発信されるのでしょうか』、
このように少しボケた私には、聴こえてきた・・。



この後、オープニングとなる第1章では、

2013年の招致成功から史上初の1年延期までの8年を映像で振り返った、
と解説され、やがて多数の花火が明治神宮外苑の夜空を彩ったりした。

この後、何を表現して伝えたいのか、私としては解からずは、
何かしら式典責任者は日置貴之さんという御方と学んだりした。

やがて天皇陛下と国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が、
競技場に姿を見せた後、かっての名選手だった御方を中核に、
日本国旗をフィールドへ運こばれて、掲揚された。

こうした中、歌手のMISIAさんが国歌を独唱した・・。

この後の式典の内容、目的も理解できず、うつろな状態で視聴していた。

やがて大会の本命である、各国の選手の入場行進となったが、
確かアルゼンチンの選手団の入場を終えた頃には、
眠くなり、明日の東京オリンピックの概要番組で視聴すればよい、
と寝室に向かったりした。



このように少しだけテレビで視聴してきた私は、
《・・大手メディアが決して書かない“舞台裏”をドキュメント・・》、
好奇心に誘惑されて記事を読んでしまった。

この記事は、【 日刊ゲンダイデジタル 】に於いて、
7月24日 11:41に配信され、無断であるが、
記事を転載させて頂く。

《・・7月23日、東京五輪の幕が開いた。

「大会の華」と言われる開会式はしかし、
演出を担当する制作チーム関係者のスキャンダルによる辞任、解任が相次いだ。
祝祭ムードとは程遠い「呪われた開会式」の“舞台裏”をドキュメントで追った。

東京五輪の開会式会場に北朝鮮の金正恩総書記が? 周辺が一時騒然!  



【午後3時13分】

日刊ゲンダイ本紙記者は、
報道陣の拠点となる有明の東京ビッグサイトに設けられたメインプレスセンターから、
バスで千駄ケ谷の国立競技場に移動。

組織委員会が用意する大型の観光バスに、外国人メディア約40人と同乗した。
車内の密が気になるうえ、彼らの半数以上がマスクをしていない。

前の席では、中東からやってきたというノーマスクの記者が、
結構な声量で隣の同僚と延々と話している。

それを睨みつけていたのは、通路を挟んだ席に座る中央アジアからのカメラマン。
感染予防に対する意識の差を感じ、メディアによるクラスターの懸念が頭をもたげた。



【午後3時42分】  

国立競技場に隣接する日本青年館前の降車場に到着。
首都高は、ガラガラだった。
大会期間中、交通渋滞緩和のため、料金が1000円も上乗せされているからだろう。

高樹町出口から国道246号線に出ると、至るところに警察車両が配備され、
外苑前交差点付近には、車線規制がしかれていた。

秩父宮ラグビー場から国立競技場へと向かう道路は、関係車両以外通行禁止。
信号に止まることなく走るバスに乗って、束の間の“五輪貴族”気分を味わった。

IOC(国際オリンピック委員会)委員が、特権意識を持つわけだ。



【午後4時2分】  

バスを降りると、国立競技場周辺は、黒山の人だかり。
「五輪反対!」のプラカードを掲げるデモも。

報道陣受付には、100人以上の行列ができ、
セキュリティーチェックと顔認証によるID確認を済ませて、
記者席に着くまで、30分近くを要した。


【午後8時】  開会式がスタート。



【午後8時13分】  

IOCのトーマス・バッハ会長の案内で、天皇が貴賓席に臨席。

続いて国旗が入場し、人気歌手のMISIA(43歳)が歌う、君が代独唱に合わせて国旗が掲揚された。

「無観客開催で、スタンドからの歓声はない。
異様な雰囲気だったのは確かだね。

緊急事態宣言下の開催強行に対する批判を受けて、
大会主催者は、出席者を950人程度まで削減したとはいえ、
貴賓席とその周辺のスタンドには、いわゆる五輪貴族が陣取った。

組織委は、開会式を前にセレモニーの内容を知ろうと
ヘリを飛ばすなどした日本のメディアに取材規制をしいたと聞いている。

でも、当日にはラインアップの多くが報道されていた。
どうなっているんだ? 

開会式の演出家や音楽担当が、次々にスキャンダルで消えた。
組織委は、メディアを規制する前に、やることがあったんじゃないか」
と、米国のネットメディア関係者は皮肉たっぷりに言っていた。


 

日刊ゲンダイDIGITAL

バッハ会長のダラダラ演説にアスリートも辟易

<picture><source srcset="https://news-pctr.c.yimg.jp/uUzvQ3lML_bkIqyakc1vFhcD1LjPo8yt_iUb5dR3d8r5m8rSD2r1Nf-NxZJIuHs6As83geY42PNJHDADgU3Ka4o7b5WvUBSjtGCOnk_e6nne-v1SVvBqONgRqcNJqDjZ5szDruAWMWWwn8DIZISEDuFKV-U6FamDhl90KhuYnhw=" type="image/webp" /><source srcset="https://news-pctr.c.yimg.jp/uUzvQ3lML_bkIqyakc1vFhcD1LjPo8yt_iUb5dR3d8r5m8rSD2r1Nf-NxZJIuHs6As83geY42PNJHDADgU3Ka4o7b5WvUBSjtGCOnk_e6nne-v1SVvBqONgRqcNJqDjZOUHVs-8YKrjmtBmLHaLl9cGTiWQPGItJxrcBscdh0zM=" type="image/jpeg" /></picture>

夜更けに何度も打ち上がった花火(C)真野慎也/JMPA・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、私は寝てしまった後に、
陸上男子100メートルの山縣亮太(29歳)、卓球女子の石川佳純(28歳)らによる選手宣誓、
私は真摯な石川選手に、秘かに好感しているので、見逃して残念、と思ったりした。

そして、漆黒の空に、1824台のドローンがつくる地球などが浮かび上がった・・、
これは実況中継で見たかった・・。

バッハ会長の
「ニホンノミナサマノオカゲデス、ココロカラカンシャモウシアゲマス」
と片言の日本語を交えての演説が、13分の演説、
私は多少想像できるので、聞いている多くの御方は、お気の毒と苦笑している。



何より驚いたのは、聖火が入場の際、
巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(85歳)が、
愛弟子の松井秀喜さん(47歳)に、シャツの後ろをグッと掴んで支えられ、
横には、盟友の王貞治ソフトバンク球団会長(81歳)が登場したことである。

私たち世代の多くは、長嶋茂雄さんの雄姿を幾たび、後楽園の指定席、
或いはテレビで観戦してきて、感動させられたひとりであるので、
こうした御姿は、公式の場には避けるのが、心の節度であり、
森喜朗前組織委会長は、罪な御方だ、と思い深めたりしている。
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イカ・海苔・黒ゴマで「腎」を強化して加齢臭を消す、76歳の私は学び、微笑んで・・。

2021-07-23 12:58:02 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、ときおり愛読している公式サイトの【日刊ゲンダイヘルスケア】を見ている中、
『イカ・海苔・黒ゴマで「腎」を強化して加齢臭を消す』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
70歳の頃から体力の衰えを実感して、殆ど毎日、散策をしたり、
家内より食べ物にも好き嫌いを言わず、食べてよねぇ・・と言われたりしている。

こうした心情を秘めた私は、
今回の《・・イカ・海苔・黒ゴマで「腎」を強化して加齢臭を消す・・》、
どのようなことなの・・と思いながら記事を読んでしまった。



この記事は、薬膳アテンダント・食文化ジャーナリストの池田陽子さんの連載寄稿文のひとつで、
【日刊ゲンダイヘルスケア】に7月22日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・薬膳における体臭対策は、タイプ別の食養生が必要で、4つのタイプに大きく分かれます。

今回は「腎の弱りタイプ」の対策です。
このタイプの臭いは、ズバリ「加齢臭」! 中年期以降に発生する、
いわゆる「オヤジ臭」が腎の弱りからくる体臭なのです。


腎は、人間の成長や発育、老化をつかさどり、全身のエネルギーをためておく臓器。
腎は、まさにアンチエイジングの要となる臓器といえます。



腎が弱ると、白髪が増える、
足腰が曲がって弱くなる、記憶力が低下する・・・と一気に老化が加速して、
加齢臭も発生してしまいます。

老化により腎は、誰しも弱ってきますが、もともと腎が弱いタイプの人は、
いよいよもって、あの「すえた臭い」が、ひどくなりやすいので要注意です。


腎が弱いタイプの特徴として、腰痛あるいは腰痛ほどでもないけれど、
足腰がだるい、夜間尿、頻尿、下半身がむくみやすいなど、
とにかく「下半身トラブル」が多く見られます。

また、骨や歯との関係が深く、腎の働きが悪くなると、骨が折れやすくなったり、
歯が弱くなりがちです。
髪にも腎の状況が表れやすく、若白髪の人はもともと腎が弱い傾向があります。


若い頃から疲れやすい、虚弱体質という人も、
生まれもって腎のパワー不足であることが多いので気をつけましょう。


加齢臭をストップするためには、とにかく腎をパワーアップする食材を取り入れることが大切です。



おすすめは、イカ。
腎の働きを高める効果に優れています。

ちなみに、イカスミも、腎のパワーアップに効果絶大。
イタリアンのお店に行ったら、ぜひイカスミパスタをチョイスしましょう。


海苔、黒ゴマも、腎に働きかけ、老化によるパワー不足を補い、
枯れた臭いの撃退に役立ちます。

ちなみにこれらは、いずれも血を増やし、抜け毛と増毛にも効果がある食材です。
加齢臭を撃退するとともに、髪の毛もフサフサを目指しましょう。

そのほか魚介では、イワシ、ホタテ、
野菜は、ナガイモ、ブロッコリーも改善によい食材です。


飲み物なら、杜仲茶がおすすめ。こまめに飲んで消臭を。



■腎の弱りタイプの体臭改善薬膳レシピ

ブラックイカそうめん
ブラックイカそうめん(提供写真)



腎の弱りタイプの体臭改善薬膳レシピ

ブラックイカそうめん

腎の働きを高めて加齢臭撃退に役立つイカ、海苔、黒ゴマを組み合わせた薬膳レシピ。
イカそうめんを使えば、包丁いらずで完成。
黒ゴマでコクが加わり、焼酎のおつまみにもぴったりです。


醤油をプラスして、丼にするのもよし。

【材料】2人分
●イカそうめん  80グラム
●黒すりゴマ  小さじ2
●もみ海苔 適量
●わさび  適量
●刻みネギ  適量
●レモン汁  少々

【作り方】
  ボウルにイカそうめんを入れ、レモン汁をふってから、
  黒すりゴマ、もみ海苔、わさびを加えて全体を和える。
  器に盛り、刻みネギをちらす。・・ 》

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「蕎麦は腸にいい」日本人は簡単、最高の食べ方4つ 、私は学びながら、微笑みを重ねて・・。

2021-07-22 13:04:32 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 東洋経済オンライン 】の『ライフ』を見ている中で、
『 「蕎麦は腸にいい」日本人は簡単、最高の食べ方4つ 
      実は「腸活効果」抜群!夏バテ解消にも効果アリ 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 
こうした中、昼食に限り、お互いに制約することなくフリーとしているが、
月に数回、蕎麦の時はお互いに談笑しながら食べたりしている。

そして私たちは、国内旅行が共通の趣味のひとつであり、
何かと旅先の昼食は、お蕎麦屋さんでその地の蕎麦を頂いている。

こうした心情を秘めている私は、《・・「蕎麦は腸にいい」・・》誘惑されて、
記事を読んでしまった。

麺のなかでも「蕎麦」は「腸活」におすすめの食材です。
これから暑くなる季節にぴったりの「腸活」をご紹介します(写真:プロモリンク/PIXTA)

この記事の画像を見る(5枚)

世界的に著名な自然療法士でオステオパシストのフランク・ラポルト=アダムスキー氏。
19992年に発表された「アダムスキー式腸活メソッド」は、
Google.itの食事法(ダイエット)部門(2017年)で「最も検索されたキーワードのベスト3」に選出されるほど、
本国イタリアのみならず、ドイツ、フランス、スペイン、ポルトガル、ベルギー、トルコなど、世界中で話題になっている。

日テレ系列「世界一受けたい授業」(5月22日放映)でも紹介され、
「アダムスキー式腸活メソッド」をすべて解説した『腸がすべて:世界中で話題!アダムスキー式「最高の腸活」メソッド』は、
日本でも7万部を超えるベストセラーになっており、大きな反響を呼んでいる。

訳者の森敦子氏が、本書の翻訳を通して感じたのは、
「食べ物は『何を食べるか』ではなく、『何と組み合わせて食べるか』が大事」ということ。


では、アダムスキー氏の提唱する「最高の腸を手に入れるための組み合わせ」は
どうやって食卓に取り入れればいいのだろうか? 

今回は、本書の翻訳を手掛けた森敦子氏が「腸の調子を整える蕎麦の食べ方」について解説する。



☆「蕎麦」は麺そのものが「腸活」にいい

暑くなり、冷たい蕎麦やうどん、そうめんなどが美味しい季節になりました。

実は、麺のなかでも「蕎麦」は、「腸活」に特におすすめの食材です。

「そば粉」には、便を押し出すために必要な「食物繊維」が、小麦粉よりも、豊富に含まれています。
そのため、「蕎麦」には便秘を解消し、腸内環境を整える効果が期待できるのだそうです。

『腸がすべて:世界中で話題!アダムスキー式「最高の腸活」メソッド』
(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。
紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら


また、今話題の「アダムスキー式腸活法」では、
「消化管を通過する速度」によって、食品を「ファスト」と「スロー」に分け、
それぞれを混ぜないように食べることが大事だと考えられています。

そば粉10割で作られる「十割そば」を除き、一般的に私たちがよく口にする「蕎麦」は、
「そば粉」とつなぎの「小麦粉」などで作られているので、
「アダムスキー式腸活法」では「スローの食材」に分類されます。

一緒に食べる「海苔」、「ねぎ」といった和の食材は、その多くが「スロー」ですので、
蕎麦料理には「腸を詰まらせない食事例」がたくさんあります。

今回は、そのなかでも特に「腸にいい蕎麦の食べ方」を4つ紹介します。

おすすめは「ネバネバの食材」と組み合わせる食べ方です。
「山芋」、「なめこ」、「納豆」といったネバネバの食材には、
それぞれに「腸を整える効果」があるといわれています。

【1】食物繊維が豊富な「山芋」を使った「とろろ蕎麦」
「とろろ蕎麦」は、食欲の落ちる夏にぴったりの「腸活」食材(写真:nozomin/PIXTA)


つるつると食べられる「とろろ蕎麦」は、
食欲の落ちる夏に、特に美味しく感じられますね。
「山芋」は「食物繊維」が豊富で、「腸活」にもおすすめの食材です。

また、山芋のぬるぬる成分には、「たんぱく質」を無駄なく活用させる効果があるため、
「虚弱体質の改善」、「体力回復」に有効だと古くから考えられているそうです。

しかも、生ですりおろして食べるのが、最も効果的なのだそう。
「とろろ蕎麦」は、夏バテで弱った体に、ぴったりの食べ方なんですね。

 

山芋」には「2種類の食物繊維」が含まれている

「とろろ」は、「長芋」や「大和芋」をすりおろして作りますが、
できれば「長芋」よりも「大和芋」を使うのがおすすめです。

どちらも「食物繊維」が豊富な「山芋」の仲間なのですが、
大和芋には長芋の1・5倍の食物繊維が含まれているといわれています。

また、「食物繊維」には「水溶性」と「不溶性」の2種類があり、
腸活のためには、この2種類の食物繊維をバランスよく摂ることが大切だといわれています。

「山芋」には、「水溶性」と「不溶性」の食物繊維が両方含まれているのも、
腸活中の人にはとても嬉しい食材です。

とろろ蕎麦には、「生卵」を落として「月見蕎麦」として食べることもありますが、
「アダムスキー式腸活法」では、「卵」も「スローの食材」と考えられていますので、
これもOKの組み合わせです。

卵は、「良質なたんぱく源」として、アダムスキー博士もおすすめしています。
博士は「新鮮なものほど消化にいい」と話しているので、
衛生面だけでなく栄養面からも、
「月見蕎麦」には、なるべく新鮮な卵を使ったほうがいいんですね。

また、月見蕎麦には、「うずらの卵」が使われることもありますが、
アダムスキー博士によれば、うずらの卵は特に栄養価が高いので、おすすめの食材なのだそうです。


 

同じく「ネバネバ」の「なめこ」も、腸によい食材のひとつです。
「大根おろし」とセットで「なめこおろし蕎麦」になっていることが多いですが、
これは胃腸が疲れているときに、特におすすめです。

【2】「なめこ×大根」で相乗効果!「なめこおろし蕎麦」
なめこのぬるぬる成分は消化吸収促進効果も。
蕎麦と一緒に(写真:kuro3/PIXTA)


腸内環境を整え、腸内細菌を増やすためには、
乳酸菌やビフィズス菌などの「菌」を摂取することが大事だといわれています。

「きのこ」は、「菌類」で腸内の善玉菌を増やしてくれる存在ですので、
腸活中の人は積極的に取り入れたいものです。

「なめこ」のぬめりには、山芋と同じ成分が含まれ、消化吸収を促進する効果もあるそうです。

 

「大根との組み合わせ」が、さらにいい

また、「大根」には消化を助ける「消化酵素」が豊富に含まれていて、
胃もたれや胸やけによいといわれています。

酵素は熱に弱いので、胃腸の調子が悪いときには
「大根おろし」のように生で食べるのが効果的なのだそうです。

さっぱりとしていて食欲のないときにも食べられる「なめこおろし蕎麦」ですが、
実は栄養面から見ても、おすすめの食べ方なんですね。


【3】スーパーフードの「大豆」が効率よく摂れる「納豆蕎麦」
「納豆」と「蕎麦」もぴったりの組み合わせ。
納豆蕎麦で「腸活」を(写真:しまじろう/PIXTA)

日本を代表する健康食品のひとつである「納豆」。
その原料となる「大豆」は、「アダムスキー式腸活法」でも
「スーパーフード10」のひとつに挙げられています。

大豆は、定期的に摂取すると「悪玉コレステロール値」を下げる効果が
期待できるとアダムスキー博士は話しています。

和食にはたくさんの大豆製品がありますが、
なかでも「納豆」に含まれる「納豆菌」は、熱や胃酸にも強いため、
口から摂取しても「生きたまま腸に辿りつくことができる善玉菌」なのだそうです。

食品から摂った善玉菌は、腸内では1日ほどしか定着しないので、
毎日摂取することが大切だといいます。
納豆ご飯だけでなく、納豆蕎麦で「腸活」するのもいいですね。



蕎麦には「薬味」も欠かせませんよね。
腸のことを考えると、薬味なら「海苔」や「しょうが」が特におすすめです。

【4】薬味は「腸活効果」の高い食材が揃い踏み
「腸活」食材である海苔。
ちょい足しして腸活効果を高めましょう(写真:june./PIXTA)


海苔には、「水溶性食物繊維」が豊富に含まれていますので、
海苔は、食事にちょい足しして、腸活効果を高めるにはぴったりの食材です。

この「水溶性食物繊維」は、海苔だけでなく「わかめ」、「めかぶ」などの海藻類にも
豊富に含まれています。

わかめやめかぶの入った蕎麦を食べたり、付け合わせで海藻サラダを添えたりするのも、
とても腸によい食べ方だと思います。

また、もうひとつのおすすめである「しょうが」は、
消化を促進し、炎症を和らげる効果のあるスーパーフードとして
アダムスキー博士も絶賛しています。

博士は「少量でもしっかりと効果があるのが、しょうがのよいところ」だと話しています。
しょうがは、栄養面でも薬味にぴったりの食材なんですね。


☆暑い夏こそ、しっかりと「腸のケア」を

暑い夏には食欲が落ちますが、食事のバランスが崩れると、
腸内細菌のバランスも崩れ、腸の働きも低下してしまうそうです。

『腸がすべて』の監修をつとめた澤田肝臓・消化器内科クリニック院長である澤田幸男医師は、
腸には「生命の維持に必要な、栄養素と水分を吸収する働き」とあわせて
「病気から生命を守る、人体最大の免疫システムの働き」があると話しています。

「腸の乱れ」は、便秘や下痢といった「便のトラブル」だけでなく、
「夏バテを悪化」させたり、他の病気や体調不良を招いたりする可能性もあります。

みなさんも、「アダムスキー式腸活法」を学び、
食事のバランスを整えながら「腸のケア」をすることで、暑い夏を元気に乗り切りましょう。

(医学監修:澤田幸男/医学博士、澤田肝臓・消化器内科クリニック院長)‥ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、「蕎麦は腸にいい」日本人は簡単、最高の食べ方4つ 、私は学びながら、
微笑みを重ねたりした・・。

熱い季節に、独りでお蕎麦屋さんに入った、ささやかながら、
思いでを秘めている・・。



1980年(昭和55年)の初夏、私はあるレコード会社で、コンピュータを活用したシステム担当をしていた・・。

私の直接に関わった商品の物流を委託のシステム対応も予定通り軌道に乗り、
そして販売の受託のシステム対応も順調に乗り、
この会社からは谷村新司さんのシングル盤『昴(すばる)』、そしてアルバムも大ヒットとなり、
その後はアリスのアルバムも発売されて、私の勤めていた会社の業績が大幅に伸長した。

私は7月になると、何とか多忙で土曜休日の出勤からも開放された・・。

こうした中で、確か土曜休日だったと記憶しているが、
家内がデパートに買物に行っている時、
私は昼の時に、浴衣(ゆかた)に下駄(げた)の容姿で近所の蕎麦屋に行った。

そして、日本酒の冷酒を二合ばかり呑み、笊(ざる)蕎麦を昼食代わりとしたりした。

この後、帰路に向う途中の大通りで、信号待ちしていた自動車の車内から、
大きな音で『ダンシング・オールナイト』が流れてきて、私は思わず微笑んだりした。

このように私なりに、このもんた&ブラザーズ の『ダンシング・オールナイト』の歌は懐かしく、
1980(昭和55)年に於いては、谷村新司さんの『昴』の歌と共に、
私の心の片隅には『ダンシング・オールナイト』は忘れなれない曲となっている。



この当時の私は、冷酒を一合ばかり呑み、笊(ざる)蕎麦を頂くのが好きで、
家内と共に旅先のお蕎麦屋さんでも、日本文化のひとつだよねぇ・・、と思いながら、
昼食とすることが多くなっている。

或いは、とろろの名産地では、もとより『とろろ蕎麦』を頂いたり、
60代の旅先では『十割そば』を愛食したり、
お蕎麦には限りないほど、ささやかな想いでを秘めたりしている。

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定年後は“習慣”で居場所を見つける、年金生活17年生の私は学び、やがて微笑み返しをして・・。

2021-07-21 14:27:09 | ささやかな古稀からの思い

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot. (アエラドット) 】に於いて、
『 ネット上で楽しむシニアも 定年後は“習慣”で居場所を見つける 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後41年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『働らなくても、何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりする。

『そうだよねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。

                 

私は音楽業界のあるレコード会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えたが、
この間、幾たびかリストラがあったりしたが、何とかくぐり抜けたりした。

やがて1998年(平成10年)の当時の私は、営業本部に勤めていたが、 
この数年前の頃から、音楽業界はリストラの烈風となり、
私は1999年(平成11年)の初春に、各レコード会社が音楽商品の物流を委託している会社に出向となった。
        
勤務した職場は、音楽のCD、DVDなどの商品を、
ソフトの販売店に出荷、返品など取り扱う物流会社の中のひとつの商品センターで、
私を含めた管理の正社員の5名の基で、契約・パート社員の男女120名前後で対応した。

こうした中、音楽のCD、DVDなどの商品棚が並ぶフロアは、
東京ドームより広い商品センターで、 連絡事項などはマイクを通して拡声器、もしくは電話などで通達し、
携帯電話も要求されない現場で奮闘し、 この出向先で5年半ばかり勤め、
2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。

          
     
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。

そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、年金生活を始めた・・。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在である。

                 

世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。

そして私でも、過ぎ去った60代の10年間の年金生活の日々は、
定年退職時までは何かと悪戦苦闘が多かった為か、
私の人生の中で何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
                        

2004年(平成16年)の秋、年金生活の当初は、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

                 

私たち先輩、そして私たち同世代、少し若い団塊世代のサラリーマンの多くは、
もとより職務、そして家計の責務で、睡眠時間を削り奮戦してきた。

私も職務を果たす為に、奮闘して、平日は睡眠時間を削ることが多く、
休日のひとときに昼寝などをした補(おぎな)ってきた。

或いは若き40歳前後は、コンピュータ自社導入のシステム開発、運営業務などで、
徹夜も幾たびもして、今働くなくていつ働くょ・・、と自身を叱咤激励したりしてきた。

やがて最後の5年半はリストラ烈風の中、あえなく出向となったりし、
従来の都心の本社勤務地より、遠方となり、朝の4時45分に起床して、帰宅できたのは午後9時前後が多く、
出向先の不馴れな物流センターで、自分の敵は自分だ、と奮(ふる)い立たせたりした。

                           

やがて年金生活の当初は、朝、布団(ふとん)の中で目覚めた後、
もう会社に行かなくてよいんだ、と安堵感に微睡(まどろみ)ながら微笑んだりした。

そして二度寝などを甘享したりすると、夢の中で職務上の成功体験の出来事より、失態した出来事が多く、
目覚めた後、独り苦笑したりしてきた。


やがて数年後はサラリーマン時代の夢は激減し、
朝まどろむ時、夢と現(うつつ)の世界を往還するように、今日はどこを散策しょうか、
駅前の本屋に行き、あの本を買い求めようか、などを思い馳せたりしてきた。

或いは家内と国内旅行に行き、旅先のロビー、食事処で隣席して談笑した人たちを思い浮かび、
たとえ一期一会でも、人生の微笑みひとときを過ごせた、と走馬灯ように感じたりしてきた。

                                  

たまたま今回『・・ 定年後は“習慣”で居場所を見つける・・』に私は喚起されて、
記事を読んだりした・・。

この記事は、『 週刊朝日 』にライターの澤田 憲さんが2021年7月23日号に寄稿された記事で、
関連の公式サイトの【 AERA dot. (アエラドット) 】に7月19日に配信され、
無断であるが、記事を転載させて頂く。

☆定年後は、もはや「余生」ではない。

【自分から居場所を「抜き出す」3つのポイントはこちら】

65歳男性の平均余命は、約20年。
その間の3次活動時間(食事や睡眠、家事、介護などの生活維持に要する時間を除いた自由時間)は、
6・8万時間ある。

23歳から65歳までの総実労働時間は、8・6万時間だから、
現役時に働いた時間の8割に相当する自由時間を、定年後に過ごすことになる(※)。

中島敦の「山月記」の一節ではないが、「定年後は、何事をも為さぬには余りに長い」のだ。


では、会社に代わる居場所を、どこに見いだせばよいのか。



まず思い浮かぶのは、もう一度「働く」ことだろう。


静岡県在住の中嶋康博さん(70歳)は、
40年近く勤めた産業機械の販売会社の営業職を63歳で退職した。
3年前からマンションの管理人として働いている。

「同級生から『やらないか』と誘われて始めました。
今は週4日、1日6時間勤務しています。

仕事の内容は、エントランスとか廊下とかの共用部分の清掃や備品交換、
あとは、たまに住人同士のクレーム対応とかですね。
時給は800円台でだいぶ安いですよ(笑)。

ただ、家にいてもやることないし、
家計にあんまり負担をかけたくないっていう思いもありました」


以前勤めていた会社では、60歳を機に「定年後再雇用制度」が適用され、
1年単位の雇用契約に切り替わった。

業務内容は変わらないが、正社員だったときと比べると、給料はかなり減り、
ボーナスも支給されなくなった。


ただ中嶋さんの場合、経済的な不安以上に、
「人や社会と関わりを持ち続けたい」という気持ちが、働く原動力となっているようだ。


「元々営業マンだったこともあって、人と話すのが嫌いじゃないんです。
今の仕事も向いていると思う。

住人の方からお礼を言われたり、世間話をしてるときなんか、
特に楽しいなと感じますね。

定年後も、社会に出て働いたほうが、交流が増えて僕はいいと思いますよ」




中嶋さんのように、仕事に「やりがいや社会参加」を求めるのは、
シニア世代の特徴のひとつだ。

年間約7千人のシニアが就労相談等に訪れる
「東京しごとセンター」を運営する公益財団法人東京しごと財団の國生哲郎さんによると、
意外にも就労相談に来るシニアからは
「自分がどんな仕事に向いているか、アドバイスがほしい」という声が多いという。


「その場合、これまでの経験を“棚卸し”すること、
また一つの職種にこだわらず、幅広く検討してみることを勧めています」


現役時代は生活のために、がむしゃらに働いていたが、
いざ会社を離れてみると、その仕事が本当に自分に向いていたのか、
ほかに合った仕事があるのではないか、と悩む人も少なくないようだ。

そうした課題に応えるため、
東京しごとセンターでは55歳以上を対象とした「シニアコーナー」を設置。

医療・介護・調理など、各業界で働くために、
必要な知識やスキルを無料で学べる「就職支援講習」や、
65歳以上を対象に就職を希望する企業の職場体験ができる「しごとチャレンジ65」などの取り組みを講じている。


國生さんは、最近のシニアの就職状況について、
「事務職を希望する方が多いが、求人が少なく、
マンション管理員や清掃員、警備員など、職種転換して未経験の仕事に就く方も多い」と話す。


定年後の再就職にあたっては、現役時代の職種ではなく、
「営業職→人と話すのが好き&得意→接客業もあり」といったように、
今までの経験から得た“職能”に注目して考えることが、
満足度を高めるポイントとなりそうだ。




☆一方で、「趣味」に居場所を見いだすシニアもいる。


埼玉県在住の鍋島和郎さん(66歳)は、
50代中盤からシニア向けのネットコミュニティサービスを活用し、
これまで延べ1000人以上と交流を深めてきた。


「私が使っているのは『趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)』というサイト。
同じ年度に生まれた人が集まる『やっぱり同級生』っていうコミュニティで、
知り合った人とサイトの中で会話したり、
年に数回、九州や京都に旅行に行ったりしてました。

全員同い年なので話題も合うし、すぐに意気投合できるんですよ」


現在は、新型コロナの影響で、直接会うイベントは控えているが、
代わりにZoomを使ったオンラインコミュニティに参加。

それだけでなく、自分でオンライン勉強会を主催して、
同世代のシニアにZoomやYouTubeなどの使い方を教えたり、
コロナワクチンに関する勉強会を開いたりしているという。


「コミュニティに入ってから、かなり社交的になったと思います。
ネットだと、居住場所に関係なく、いろんな人と知り合えるのが楽しいですね」


ひと昔前であれば、シニアの余暇活動は、
地域の老人クラブや公民館に集まって、楽しむのが定石だった。
しかし最近は鍋島さんのように、ネットを駆使して活動の場を広げるシニアも増えている。


シニア向けコミュニティサイト「趣味人倶楽部」を運営するオースタンスCEOの菊川諒人さんによると、
同サイトの会員数は現在35万人。

50代後半~60代前半の定年退職を意識し始める年代の利用者が多く、
「旅行」、「カラオケ」、「ゴルフ」、「グルメ」など、
同じ趣味仲間で集まるコミュニティの数は、4万5千件にも上る。


「参加者数が多いのは、『挨拶』『早起き』『しりとり』など、
誰でも気軽に参加できるコミュニティ。



一方で、会員同士の交流が活発なのは『ツーリング』や『家庭菜園』など。
ちょっと変わったものでは、『Zoom演劇』や『ハワイ移住』のコミュニティなんかもあります」


同社では、会員同士のつながり方を定量的に分析しているが、
趣味の仲間をつくるのがうまい人は、
共通して「自己開示」と「自己発信」を積極的にやっているそうだ。


「サイトには、個人の日記や写真をアップできる機能があるのですが、
それらが充実している人は、自分の価値観や嗜好が正確に相手に伝わります。

そのためコメントをもらいやすく、自分から声をかけたときも信頼を得やすい。
手当たり次第にコミュニティに入るよりも、深く話し合える仲間を数人見つけることに
価値を置いて活動したほうが、趣味を長く楽しめると思います」


こうした日記や写真による情報発信は、生活のルーティンをつくるうえでも有効だ。


「会社員は時間を拘束されますが、
見方を変えれば『やることが明確化されていた』とも言える。

ところが退職後は、自分で習慣をつくらないといけません。
実はこの“習慣づくり”が、定年後の自由な時間を楽しむためにはとても大切。

そのためには自分から発信して、
日々他人に見てもらう刺激があったほうがよいと思いますね」


※平均余命は「令和元年簡易生命表」(厚生労働省)、
3次活動時間数は「平成28年社会生活基本調査」(総務省統計局)、
総実労働時間数は「2020年労働時間等実態調査集計結果」(経団連)の資料にそれぞれ基づいて計算‥ 》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、《・・ 定年後は“習慣”で居場所を見つける・・》、
それぞれの御方の定年後の実情を私は学び、人それぞれ10人10色だよねえ・・、
と微苦笑させられたりした。

私は定年後は年金生活となり、働くことを卒業した身だし、
年金生活の中で趣味などの団体行動は、やはりある程度の制約があるので、
出来る限り自身の自由な意志で過ごしたく、生活しているのが実情となっている。



私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。

或いは昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。

そして午後から夜の大半は、私は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、 或いは音楽も聴いたりしている。

こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、

日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。



こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、
午前中のひととき、自宅の周辺にある公園、遊歩道、住宅街の歩道を歩いたりして、
四季折々のうつろう情景を享受している。

そして無念ながら忘れることもあり、ときおりデジカメで撮ったりして、
記憶のかたみとしている。




過ぎし年金生活を始めた当時、ネットの世界は私は殆ど無知な癖に、
この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げようと思ったりした。

そして自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

                      
           
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来してきた。

この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
そして掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。

こうした結果として、私は自在に私の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露できる上、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。

そしてブログの世界を知って丸16年が過ぎて、早や17年生となっている。
結果的には、パソコンの故障、国内旅行、入院などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

              
                                              
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)として残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                    
私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情を大切にしているひとりである。

恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。

こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、数多くの綴ってきたりした。

そして70代になると、自身の体力の衰えを実感した為か、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文となり、独り微苦笑する時もある。
           



こうした中で、数多くの諸兄諸姉の投稿文を読ませて頂くと、
ここ10年ぐらい殆どの方が、心ある写真を添付されたりしてきた。

そして私は、いつまでも言霊(ことだま)を信愛し、散文のような文章だけでの表現は、
時流に残されてしまうかしら、と私なりに憂慮してきた。

特に旅行関係の投稿文に関しては、散文を綴りながら危惧してきたのが本音でもある。

過ぎし2012年(平成24年)の『文化の日』の翌日の4日から、
私は遅ればせながら写真添付を始めて、投稿文を重ねているが、
昨今、写真を添付しないと、何かしら寂しい心情となり、我ながら独り微苦笑したりしている。
               
                 

こうした中、私は特に数多くの50代以上の皆様の投稿文を読ませて頂きながら、
いつも感じられることは、日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその御方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが圧倒的に多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生航路の軌跡に思い馳せながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、つたない私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ哀歓を学びながら、年金生活を過ごしたりしている。

             
               

こうした数多く投稿文を読ませて頂く中、たとえたった一行の綴りでも、
私は瞬時に心の中の琴線(きんせん)が静かに奏(かな)でり始めて、
やがてその御方のブログに魅了されて、愛読者のひとりになってきた・・。

或いはコメントを頂いたり、或いは私は数多くの方の投稿文を読ませて頂き、
感きわまってコメントをしたりしている。

何よりもこの広い空の下で、お逢いしたこともない御方に投稿文の上で、
めぐり逢えたことに秘かに感謝を深めたりしている。
             

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東京五輪、五輪史上最大級の猛暑に警戒、高齢者の私は学び、選手は余りにも過酷・・。

2021-07-20 07:38:14 | ささやかな古稀からの思い

こうした心情を深めている私は、《・・・・》、
競技に参加してくださる選手は、余りにも過酷な中で、

と思いながら記事を読んだりした・・。

この記事は、【 CNN.co.jp 】に於いて、7月19日に配信され、
無断であるが、記事を転載させて頂く。

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 


こうした中で、私の夏模様として、容姿は制服のようになった半袖のスポーツシャツ、或いはアロハシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしている。

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。



        
やがて休憩ねぇ、と思いながら、小公園に寄り、幾重か大きな樹の下にあるベンチに座り、
熱中症、脱水症が怖くて、コンビニで買い求めたペットボドルの煎茶を飲み、
水分補給をしたりして、休息している。



こうしたささやかな体験から、オリンピックに参加する選手は、

もとより強靭で底力のある選ばれた諸兄諸姉であるが、
特に炎天下の中で競技をされる御方は、過酷だろう、と思い馳せたりした。

てきれば10月のさわやかな秋晴れの中、
日頃たゆまぬ人一倍の訓練された成果を発揮してほしい、と私は願っているが、
こればかりは日本開催を夏季でもと、安易に承諾してしまった日本の代表団の思惑は、
罪は重い、と私は無力ながら、オリンピックに参加する選手に同情したりしている。

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熱中症予防に心がけたい6つの生活習慣、改めて高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2021-07-19 11:21:24 | ささやかな古稀からの思い


先程、ときおり愛読している公式サイトの【 介護ポストセブン
】の『健康』コーナーを見ている中で、
『 熱中症予防に心がけたい6つの生活習慣、
             入浴で『暑熱順化』を 』
と題された見出しを見たりした。


私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸16年半を過ごしてきた。



そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。
        


こうした中で、私の夏模様として、容姿は制服のようになった半袖のスポーツシャツ、或いはアロハシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしている。

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。



        
やがて休憩ねぇ、と思いながら、小公園に寄り、幾重か大きな樹の下にあるベンチに座り、
コンビニで買い求めたペットボドルの煎茶を飲み、水分補給をしたりしている。

          
こうした根底には、高齢者は、脱水を起こしやすい要素をいくつも持っていて、 
放置すると、寝たきりや認知症を招く結果になりかねない、と学んだりしてきた。

そして脱水にならないことは、やはり喉の渇きを感じる前に、
こまめに水分補給は大切だ、 と思いながら実施してきた。
     



このように一昨年までは、熱中症対策をして熱い夏を乗り越えてきたが、

昨年の2月の頃より、新型ウィルスの烈風より、
買物、散策、病院の通院など外出の時は、生まれて初めてマスクを付けてきた。


こうした中で、口の周りが熱く汗ばむようで息苦しくなり、
人影のいない遊歩道、公園などで、こっそりとマスクをはずす時もある。

まもなく私は、
コロナ対策と熱中症対策の二重苦で、
紳士用の日傘を買い求めて、せめて散策をする時は日傘を差して、
少し涼しいかしら、ときおり独り微笑んできた。


やがて帰宅後は、エアコンの冷気の中で、冷やした煎茶、アイスコーヒーを飲んだり、
冷やしたトマトを食べたり、ときには冷やしたスイカを家内と共に食べたりしている。



このように昨年の夏は過ごしてきたが、
改めて今回の《・・熱中症予防に心がけたい6つの生活習慣・・》、
改めて学びたく、記事を精読してしまった・・。

この記事は『女性セブン』の2021年7月1・8日号に掲載された記事であり、
関連の公式サイトの【 介護ポストセブン 】に於いて7月15日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。


《・・ 梅雨が明け、本格的な夏がやってくると、急な暑さに体が追いつかない人も多い。
特に、高齢者の熱中症は、命にかかわる危険があるので、注意しておきたい。

そこで、熱中症にならない生活ポイントを、
高齢者の在宅診療を行う「医療法人社団ときわ」理事長であり、
医師の小畑正孝さんが教えてくれました。

毎日のさまざまなシーンで予防と対策をして、元気に暑さと付き合いましょう!

1.室内…エアコンをつける気温の目安は?

「熱中症は、真夏にだけ起こるものではありません。
梅雨入り、梅雨明けの蒸し暑い時期は、
体が暑さにまだ慣れておらず、熱中症に陥ることも多々あります。

エアコンをつける目安としては、気温が25℃を超えたら使用を検討し、
28℃を超えたら、必ずつけるようにしてください」(医師・小畑正孝さん・以下同)


2.食事…摂るべき食品は?

「食事は1日3食、栄養バランスのとれたものが望ましいですが、
暑くなってくると食欲が減退します。

麺類等、食べやすいものに偏りがちですが、
たんぱく質不足になると、体力も弱まります。
卵や豆腐、納豆、肉や魚などを意識して食べましょう」

汗で失われるカリウムには、トマトやほうれん草が◯。


3.入浴…39度の風呂に10~15分

「コップ1杯の水を飲んでから、39℃程度のぬるめの風呂に、
約10~15分ほど、肩までゆっくりつかるのがオススメ。

現代人は、汗をかく機能が落ちています。
シャワーではなく、湯船にしっかりとつかることで、
汗腺機能を整え、暑さに体を順応させていく『暑熱順化』を鍛えられ、熱中症対策になります」


4.外出時…水分補給をマメに

「不要不急の外出は避け、どうしても必要な用事の際は、
『暑さ指数』(WBGT値)をチェックし、涼しい時間帯を選んで、短時間ですませる。

帽子や日傘を忘れずに持参し、衣類は木綿や麻など通気性のよい自然素材や、
スポーツウエアなどに使われる吸汗、速乾性に優れた素材のものを。
水分補給もマメに」


5.運動…ウオーキングは早朝や夜間に

「適度な運動は健康維持のために大切ですが、夏場の屋外運動はとても危険です。
気温が30℃でも、湿度が高いと、体調を崩しやすくなります。

特に高齢者や肥満の人は注意。
ウオーキングなら早朝や夜間に。
できれば涼しい屋内でできるストレッチや筋トレ、ヨガなどを行うようにしましょう」


6.睡眠…7~8時間快適な睡眠を

「睡眠不足は、大敵。
寝苦しい夜は、エアコンや除湿機能を活用して、快適な睡眠をとれるように心がけて。

風が直接当たるのを避けたければ、隣室のエアコンをつけ、扇風機で循環させるのも手。
睡眠時間は個人差がありますが、7~8時間がベスト。
日中に眠くならないかどうかが熟睡度の目安です」


☆教えてくれた人

医師 小畑正孝さん
「医療法人社団ときわ」理事長。専門は内科、総合診療科。

取材・文/加藤みのり  ・・ 》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 
今回、高齢者の在宅診療を行う「医療法人社団ときわ」理事長であり、
医師の小畑正孝さんより、熱中症にならない生活ポイント《・・6つの生活習慣・・》、
多々教示されたりした。

我が家は、エアコンに関しても、最悪の場合は熱中症などで救急車に運ばれて、
気付いたら病院のベットだった・・
こうしたことは避けたくて、室内が熱いと感じたら、エアコンの冷気に享受している。

体調を崩して、病状になるより、
高齢者を大切にしょう、と私たち夫婦の合言葉で、エアコンに甘えている。




睡眠に関しては、現役サラリーマン時代は多くの御方と同様に、
睡眠時間を削って奮闘してきた・・。
 
やがて年金生活の今は、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡し、
殆ど7時間ぐらい寝てている。

ときおり深夜まで読書をした場合、昼食後に一時間前後、昼寝を甘授し、
いつでも寝ることが出来るのは年金生活の特権のひとつかしら、
と微笑み時がある。
 



私は、お風呂は大好きなのひとりであり、
何かと心身とも、ほぐれて癒やれ、全身全霊に開放感が増すので、
原則として毎夕入っている。

過ぎし年、国際医療福祉大学熱海病院検査部・〆谷直人部長より、
秘訣をネットより学んできた・・。

「湯舟に浸かると、1日の疲れが癒えますよね。
疲労回復や血行促進にも効果が期待できますから、
健康を保つ意味でも毎日しっかり入浴することは必要です。
ただし、湯舟に浸かっている時間が長すぎるのは、いけません」

たとえば30分以上湯舟に浸かると、
肌の角層が、大量の水分を吸収してしまう。

そのため、肌の保湿成分となる“油分”を失い、
乾燥肌を招く原因となる。

また、長湯をすると、体内から水分が汗として流れ出てしまう量が増加し、
頭痛やめまいなどの脱水症状を引き起こしかねない。

このようなことを私は学び、湯舟に浸かっている時間は、
10分前後となっている。




そして今年の秋に私は77歳を迎え、
健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間、
と称せられる健康寿命で、漠然としながらも80歳の誕生日を迎えることが出来たら、
と秘かに念願したりしているが、果たして・・、空を見上げたりしている。
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コロナ対策!  病気知らずの医師が教える3つの免疫力アップ法 、高齢者の私は学び、多々教示させられて・・。

2021-07-18 06:36:13 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、ときおり愛読している公式サイトの【 日刊ゲンダイヘルスケア 】見ている中、
『 冬瓜は9割が水分で熱中症予防に最適  抗酸化作用もあり 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸16年半を過ごしてきた。


こうした中で、健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間、
と称せられる健康寿命で、漠然としながらも80歳の誕生日を迎えることが出来たら、
と秘かに念願したりしている・・。

このように念願している私は、《・・コロナ対策!  ・・3つの免疫力アップ法 ・・》って、
どのようなことなの、と思いながら記事を読んでしまった。

この記事は、【 日刊ゲンダイヘルスケア 】に於いて7月17日に配信され、
無断であるが、記事を転載させて頂く。

 

《・・ 東京オリンピックの開会が、いよいよ来週に迫っている。

東京都は、12日から4回目となる緊急事態宣言の期間に入ったが、
インド発のデルタ変異株の影響もあり、
新型コロナの感染状況が急速に悪化するのではないかと、
戦々恐々としている人は多いだろう。


「三密を避けて、ウイルスとの接触機会を物理的に断てば、
感染拡大は一時的に防げるかもしれません。

しかし、非感染者は、ウイルスへの免疫ができていないから、
半永久的に感染する機会を持ち続ける。

ワクチン接種をしても、ワクチンが効かない変異ウイルスや別のウイルスが出現したら、
感染する。
コロナ対策で最も有効なのは、免疫力を高めることです」


こう指摘するのは、
最近『コロナは怖くない 怖いのはあなたの「血の汚れ」だ』(青萠堂)を出版した
イシハラクリニック院長(東京・森下)の石原結實医師。

免疫力を上げる方法として、次の3つを提案する。



近年、注目を集めているのが「マイオカイン」だ。
「マイオ(myo)」は「筋」、「カイン(kine)」は「作動物質」のことで、
骨格筋から物質されるホルモン物質の総称が、マイオカインになる。


「マイオカインには、非常にたくさんの種類があり、
NK細胞の働きを高めて免疫力を上げるほか、
がん細胞の増殖を抑制する、
心臓の動きをよくする、
血圧・血糖・コレステロール・中性脂肪を下げる、
うつ・自律神経失調症を防ぐなど、
さまざまな効果があることが分かっています」(石原医師=以下同)



何もしなければ、加齢とともに筋肉量は減っていくが、
逆に言うと、トレーニングによって、何歳になっても筋肉量を増やすことができる。

下半身に多くの筋肉が集まっているので、効率よく筋肉量を増やすには、
スクワットのような下半身を鍛えるトレーニングがいい。



【体温を上げる】

「体温が1度上昇すると、免疫力は一時的に4〜5倍になると言われています。
運動で体温は上がりますし、
入浴を20分すれば、1〜2度体温が上昇します。
サウナを活用するのもいい」



【食べ過ぎ、をやめる】


「『ネイチャー』や『サイエンス』など世界的権威のある学術誌に次々と掲載されているのが、
空腹や断食の最新研究結果です。

空腹状態が続くと、細胞の中の不要なたんぱく質やウイルスなどを集めて分解、
消化する『オートファジー』が働きます。

オートファジーは、自然免疫応答の制御にも関与しており、
食べ過ぎで、オートファジーが機能しないと、免疫が十分に働かないのです」



石原医師は、食事は夜の1食のみで、
朝と昼は、生姜と黒砂糖を紅茶に入れた生姜紅茶、あるいは人参ジュースで過ごす。
定期的に断食も行っている。
結果、長年病気らしい病気をしたことがないという。


いずれも、すぐ始められる。備えあれば憂いなし、だ。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 
今回、イシハラクリニック院長の石原結實医師より、
免疫力を上げる方法として、3つのアドバイスを教示させられた。

◎さまざまな体に良いとされる「マイオカイン」を大切にするには、
 効率よく筋肉量を増やすスクワットのような下半身を鍛えるトレーニングが必要。

 新ウィルスの烈風に伴い、幾たびの緊急事態の中、何かと制約が多く、無力な私でも、
 苦手なマスクをしながら、「三密(密集、密接、密閉)」を避け、
 体力の衰えを補(おぎな)う為に、我が家より3キロ以内にある公園、遊歩道など、
 殆ど毎日のように歩いたりしている。

 しかしながら本音として、私なりに長らく自粛してきた為か、
 新型コロナ疲れとなっているが、やがて感染が激少するまでは、
 自粛の延長戦だ、と自身を叱咤激励をしているのが実情でもある。



◎体温が1度上昇すると、免疫力は一時的に4〜5倍になるので、
 運動、入浴、サウナなどが良い。

  私はお風呂大好きなタイプで、夕食前にはゆったりと入浴しているので、
  このことは実行できている。

◎食べ過ぎをやめる

  空腹状態が続くと、細胞の中の不要なたんぱく質やウイルスなどを集めて分解、
  消化する『オートファジー』が働きます。

  オートファジーは、自然免疫応答の制御にも関与しており、
  食べ過ぎで、オートファジーが機能しないと、免疫が十分に働かない。

  こうしたことは私は難題で、美味しい食事は、残すのは忍び難く、食べたいし、
  やはり食べてしまい、恥ずかしながら、
  身長169センチ、体重は小太りの73キロ前後の実体となっている。
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「100年に1度咲く」リュウゼツラン、76歳の私は初めて学ぶ、心穏やかに・・。

2021-07-17 11:19:57 | ささやかな古稀からの思い
 
先程、パソコンを立ちあげて、ニュースを見ている中、
『「100年に1度咲く」リュウゼツラン、
      71年前の株開花・・・男性が高1時代に植える 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
四季折々の樹木、花を鑑賞して、季節のうつろいを享受している。

このような深情のある私は、今回の《・・「100年に1度咲く」リュウゼツラン・・》って、
どのような花なの・・と思いながら、記事を精読してしまった。

この記事は、読売新聞の主幹公式サイトの【 読売新聞オンライン 】が、7月17日に配信され、
読売新聞を購読して51年のよしみに甘え、記事を転載させて頂く。

《・・ 「100年に1度咲く」リュウゼツラン

約7.5メートルまで伸びて黄色い花を咲かせたリュウゼツランと、見上げる萩原さん(12日、伊勢原市で)

© 読売新聞 約7.5メートルまで伸びて黄色い花を咲かせたリュウゼツランと、見上げる萩原さん(12日、伊勢原市で)


神奈川県伊勢原市高森の農業萩原博文さん(87歳)方で、
71年前に植えたリュウゼツランが黄色い花を咲かせ、話題になっている。

萩原さんによると、1950年に平塚農業高1年だった時、
学校から30センチ大の株をもらって育てたという。

リュウゼツランは、酒のテキーラの原料で、
花は50年から100年に1度咲くといわれている。

5月初めに突然、1本の幹が7・5メートルまで伸びると、
約30個の花房を付け、今月10日頃に花を咲かせた。

萩原さんは「人生の終末に、いい花を見せてもらった」と陽気に笑っていた。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


☆掲載した写真は、過ぎし日に散策の時に、木槿(ムクゲ)にめぐり逢えて撮った☆


今回、「100年に1度咲く」リュウゼツラン、76歳の私は初めて学ぶ、
このような花木があったのか・・と驚ろいたりした・・。

この神奈川県伊勢原市に御住いの農業をされている萩原博文さん(87歳)が、
1950年に平塚農業高1年だった時、
学校から30センチ大の株をもらって、端正に育てられた成果として、
今年に5月初めに突然、1本の幹が7・5メートルまで伸びると、
約30個の花房を付け、今月10日頃に黄色い花を咲かせた、学んだりした。

71年前に植えたリュウゼツランが黄色い花を咲いたのは、
この御方の人生航路の於いて、お人柄の良さを感じ、
私は良きニュースを学び、何かしら倖せを感じながら、心穏やかにさせて下さった。
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