夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

作家・井伏鱒二さんの遺(の)された名言、再読して、改めて感銘させられて・・。

2020-05-31 13:17:19 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
ここ数日、購読してきた雑誌などを整理している。

こうした中で、5年前に発売されたビジネス週刊誌のひとつの『ダイヤモンド』があり、
どうして保存していたのかしらと思いながら、手に取ったりしていると、
栞(しおり)が挟んであったりした。

そして、小説家・料理人の樋口直哉さんの『長寿の食卓~あの人は何を食べてきたか』連載寄稿文で、
第13回として亡き作家・井伏鱒二さんの名言を記載されていて、
5年前に読んでいたが、殆ど忘れてしまい、やがて煎茶を飲みながら再読した・・。

          

《・・思い煩(わずら)うことなくうことなく酒を飲み、長生きした井伏鱒二

井伏鱒二【1898年(明治31年)~1993年(平成5年)】の小説は、教科書で初めて触れたという人も多い。
教科書に多く掲載されている短編『山椒魚』は井伏の代表作だが、個人的にも奇妙な味わいが記憶に残っている。

太宰治【1909年(明治42年)~1948年(昭和23年)】の師匠としても知られる井伏鱒二は、
戦前から戦後にかけて長い間、活躍した作家だ。
戦前には『ジョン萬次郎漂流記』(この作品で直木賞を受賞)、戦後の作品として『黒い雨』などがある。
            
          

「文士が通った店」という縁が語られる店は数多いが、作家では井伏鱒二の逸話が最も多いのではないだろうか。
神田のうなぎ店、大久保や中野の居酒屋、早稲田のそば屋、阿佐谷の中華料理店、西荻窪フランス料理店・・
さまざまな店に通い、請われれば店の命名もしている。

井伏鱒二の自宅は、東京の西側、荻窪にあった。

井伏鱒二が『荻窪風土記』に書き記したような自然は少なくなったが、
荻窪には今も井伏鱒二が書いた「昼間にどてらを着て歩いていても、
後ろ指を指されるようなことはない」という雰囲気は残っており、
商店街には「井伏さんはよく来たよ」という店がまだいくつもある。

作家は亡くなるまで、庶民の街で過ごし、その人柄は誰からも愛された。

          

昔、NHKのテレビ番組で見た僕の好きなエピソードがある。
ある日、小説家の開高健【1930年(昭和5年)~1989年(平成元年)】が、井伏鱒二の自宅を訪ねた。

50歳を過ぎ、小説が書けずにいた開高健は
「時代がデリケートで、モノを書く野蛮さが湧かない。
ホンマに言うんですが、書けないんです。先生、どうすればいいでしょう」と尋ねた。

井伏鱒二は酒を片手に、悠然とした態度でこう言った。
「書けない時は、何でも書くことですな。
書くことがなければ、いろはにほへと、と書けばよろしい」

その言葉を聞いた開高健は、参りましたとばかり、笑うしかなかった。
悩みがちなこの小説家は、井伏鱒二よりも先に逝ったが、
井伏鱒二の長寿の理由は、こんなところにあったのかもしれない。

ひょうひょうとして動じず、悩みもユーモアで、包み込む。
好きなものを食べ、酒を飲む。井伏鱒二は特にウイスキーを愛した。

                      

「飲んだ時は酔った方がいい。飲んで酔わないと体に悪い」とうそぶき、
二日酔いの解消法は、ぬるめの風呂に入り、ゆっくりと沸かしていくという体に悪そうな方法だった。

それで酔いが冷めたら、また飲みはじめる。
それでも95歳まで、作家は生きたのだ。

井伏鱒二が訳した「于武陵の勧酒」という詩は、特に知られる。
「この杯を受けてくれ、どうぞなみなみと、注がせておくれ、
花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」

人生は思い煩(わずら)うことなく過ごすべきだ。
誰かと酒を酌み交わす時間、今、この瞬間、瞬間を大事にしなければいけない。
そう、誰もがいつか別れるのだから。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くし、それぞれの作家の年表を補記した。

            

私は若き20代の前半期に文学青年の真似事をしていたので、
もとより井伏鱒二さんの作品は、殆ど拝読していた・・。

私は55年ぶりに《・・さよならだけが人生だ・・》に接したり、
そして《・・人生は思い煩(わずら)うことなく過ごすべきだ。・・
今、この瞬間、瞬間を大事にしなければいけない。》
とこのような秘められた思いを改めて読んだりした・・。

そして若き青年時代は、深みある人生教訓も知らず、うわべの文だけ読み、通り過ぎてきた。

今回、改めて作家・井伏鱒二さんの遺(の)された名言を再読して、かみしめながら、
やがて9月に76歳になる私は、確かにそうですよね、と深く教示されている。

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「新しい生活様式」における熱中症予防行動のポイント、高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2020-05-30 14:48:52 | ささやかな古稀からの思い
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過ぎし5月4日、新型コロナ対策として、専門家会議が提案した、
「身体的距離の確保」、「マスクの着用」、「手洗い」、
そして「3密(密集、密接、密閉)」を避ける等の対策を取り入れましょう、
と公報されてきた・・。

もとより高齢者75歳の私でも、苦手なマスクをして、外出の我が家の買物、
そして体力の衰えた私は、やむなく散策をしたりして自粛生活をしてきた。

やがて5月25日、緊急事態宣言が全国で解除されて、
私は過ぎし2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてきたので、
解放感に心身共に深く感じたりした。

しかしながら新型コロナウイルスは終息していなく、何かしら多くの御方が油断すると、
第二波が襲来し、ふたたび『緊急事態宣言』もありえるので、
私は困苦するので、これから当面は自粛生活の延長戦だよねぇ・・
と思いながら過ごしている。

          

こうした中、厚生労働省が、これからの熱中症を防ぐために、
「適宜マスクをはずしましょう」というニュースを知り、
高齢者の私は、戸惑ったりした・・。

先程、こっそりと厚生労働省のホームページを見ると、
『 「新しい生活様式」における熱中症予防行動のポイント 』、
と見出しされた記事があり、私は学びたく記事を読んだりした・・。

《・・「新しい生活様式」における熱中症予防行動のポイント

          

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、
「新しい生活様式」として、一人ひとりが感染防止の3つの基本である

1.身体的距離の確保
2.マスクの着用
3.手洗いや、
「3密(密集、密接、密閉)」を避ける等の対策を取り入れた生活様式を実践することが求められています。

これから、夏を迎えるにあたり、皆様には、例年よりもいっそう熱中症にもご注意いただきたく、
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための「新しい生活様式」における熱中症予防のポイントをまとめました。

          

(1) マスクの着用について

マスクは飛沫の拡散予防に有効で、「新しい生活様式」でも、
一人ひとりの方の基本的な感染対策として、着用をお願いしています。

ただし、マスクを着用していない場合と比べると、
心拍数や呼吸数、血中二酸化炭素濃度、体感温度が上昇するなど、
身体に負担がかかることがあります。


したがって、高温や多湿といった環境下でのマスク着用は、
熱中症のリスクが高くなるおそれがあるので、
屋外で人と十分な距離(少なくとも2m以上)が確保できる場合には、
マスクをはずすようにしましょう。


マスクを着用する場合には、強い負荷の作業や運動は避け、
のどが渇いていなくても、こまめに水分補給を心がけましょう。

また、周囲の人との距離を十分にとれる場所で、マスクを一時的にはずして休憩することも必要です。


外出時は、暑い日や時間帯を避け、涼しい服装を心がけましょう。


          

(2) エアコンの使用について

熱中症予防のためには、エアコンの活用が有効です。
ただし、一般的な家庭用エアコンは、空気を循環させるだけで換気を行っていません。

新型コロナウイルス対策のためには、冷房時でも窓開放や換気扇によって、
換気を行う必要があります。

換気により室内温度が高くなりがちなので、エアコンの温度設定を下げるなどの調整をしましょう。

          

(3) 涼しい場所への移動について


少しでも体調に異変を感じたら、速やかに涼しい場所に移動することが、熱中症予防に有効です。
一方で、人数制限等により屋内の店舗等にすぐに入ることができない場合もあると思います。
その際は、屋外でも日陰や風通しの良い場所に移動してください。

          

(4) 日頃の健康管理について


「新しい生活様式」では、毎朝など、定時の体温測定、健康チェックをお願いしています。
これらは、熱中症予防にも有効です。

平熱を知っておくことで、発熱に早く気づくこともできます。
日ごろからご自身の身体を知り、健康管理を充実させてください。
また、体調が悪いと感じた時は、無理せず自宅で静養するようにしましょう。


※令和2年度に必要な熱中症予防行動について、
環境省と厚生労働省において資料を作成いたしましたので、ご活用ください。・・》

          

このような記事を読み、高齢者の夏対策の健康には欠かせないなぁ・・、
と微笑みながら多々教示されたりした。

そして何よりも微笑んでしまったのは、図柄で解説されていた、

【 令和2年度の熱中症予防行動(リーフレット) 】であったりした。

これだったら小学生の学童から、我ら高齢者まで分かりやすい指針だよなぁ、
と感心させられたりした。



 
過ぎし日、初夏のような暑さの中で私は散策して、
いまからこのような暑さになって夏本番は、果たして・・と思ったりした・・。

こうした中、人出の多い駅前のスーパーで買い物をする時はもとより、
人出の少ない処を散策する時でも、やむえなくマスクをしているが、
いつになったら感染が終息化するのょ・・と戸惑ったして、過ごしてきた・・。

          

私は年金生活の中で、夏も原則として散策している。

こうした中で、私の夏模様として、容姿は制服のようになった半袖のスポーツシャツ、或いはアロハシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしている。

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。

          

こうした時、ときおり  ♪しあわせは 歩いてこない  だから歩いて ゆくんだね・・ 
と何かと単細胞の私は、1968年(昭和43年)の頃に流行(はや)った
【『三百六十五歩のマーチ』の歌を心の中で唄い、歩く時もある。

 このように私は、水前寺清子さんが唄った『三百六十五歩のマーチ』の歌に、
ときおり叱咤激励されて、 何とか健康寿命の範囲にいられるので、
作詞された星野哲郎さんに感謝をしながら、 私にとっては心身のビタミン剤だ、と思いを深める時もある。

やがて休憩ねぇ、と思いながら、小公園に寄り、幾重か大きな樹の下にあるベンチに座り、
コンビニで買い求めたペットボドルの煎茶を飲み、水分補給をしたりしている。

          

こうした根底には、高齢者は、脱水を起こしやすい要素をいくつも持っていて、
放置すると、寝たきりや認知症を招く結果になりかねない、と学んだりしてきた。

そして脱水にならないことは、やはり喉の渇きを感じる前に、
こまめに水分補給は大切だ、 と思いながら実施してきた

そして私は、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、

32度前後を超えた熱い時の場合は、やむなく利便性の良い路線バスに乗り、
バスの車内の冷気に甘えて、帰宅することもある。

もとより高齢者の私が、熱中症で倒れて救急車で搬送されて、
気が付いたら病院のベットの上だったことは、 私も困苦するし、
世の中の多く御方にご迷惑するので、私なりに自己防衛策としている。

          

こうした中で、猛暑が続く中は、私は自宅の近くを15分前後を歩くことが多くなっている。
そして帰宅後は、熱い季節の習性として、洗面所で水で顔を洗った後は、
エアコンの冷気に身も心もゆだねて、過ごすことが多くなっている。

このような猛暑に対して熱中症の対策をしてきたが、
新型コロナウイルスの感染拡大の防止に伴い、
マイク着用が国民のエチケットとなっているが、
口元はもとより、顔全体暑苦しいし、
たとえ涼しいと評判の良い夏マスクを買い求めて付けても、
果たして・・と思いながら危惧してきた・・。

          

今回の厚生労働省の国民にやさしい、
「新しい生活様式」における熱中症予防行動のポイントを学び、
新型コロナウイルスの感染拡大の防止に努めて、自粛生活の延長戦をしながら、
暑い夏を乗り切って、涼しい初秋まで頑張ろう、と微笑んだりしている。

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自粛生活の延長戦の中、いつものように75歳の私は独り愉しみ、享受して・・。

2020-05-29 16:02:29 | ささやかな古稀からの思い

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い
発令を継続している北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川の5都の『緊急事態宣言』を
25日に全面解除されたりした。

過ぎし4月7日に、政府は初めて宣言を7都府県で発令した。
そして16日に対象地域を全国に拡大し、5月4日に31日まで延長となったりした。

この後、5月14日に新規感染者数が大幅に減少した39県、21日に近畿3府県で解除した。
そして首相は、残る5都道県も感染状況次第で、期限の31日から前倒しして解除する方針を示している、
と報じられていた。

           

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、我が家の平素の買物専任者の私は、成るべく人出の少ない処を選定しているが、
家内が指定された処は、ときおり駅前の商店街にあるスーパー、ドラッグ・ストアであり、
家内よりマスクをして買い物するように厳命されたりした。

          

私はマスクが苦手で、これまでの75年に及びマスクをしたことはなかったが、
生まれて初めて極く一般の白いマスクを付けて、15分ばかり歩いて、
商店街に着いたりした。     

しかしながら、この後の3月になると、ドラッグストア、スーパー、コンビニなどで、
私たち夫婦のマスクを買い求めようとしたが、母を訪ねて三千里のように探し求めてきたが、
わずか6つばかり何とか入手できたが、マスク迷子の悲惨な時を過ごしたりした・・。
        
やがて4月23日、あるドラックストアーに寄った時、
たまたまマスクの入荷にめぐり逢えて、まもなく1箱(50枚入り)で5980円(税抜き)で、
久々に買い求めることが出来たりした。

          

こうした中、人出の多い駅前のスーパーで買い物をする時はもとより、
人出の少ない処を散策する時でも、やむえなくマスクをしているが、
いつになったら感染が終息化するのかょ・・と戸惑ったして、過ごしている・・。

そして新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
やがて政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されているが、
私は体力の衰えた高齢者の身であるので、散策を日々実行しないと益々衰えるので、
なるべく人出の少ない処を選定して歩いたりしている。

          

このように予期せぬ新型コロナウイルスの難題に、2月上旬の頃から何とか感染しないでねぇ・・、
と秘かに懇願して、何かと都民のひとりとして規制が多い期間を過ごしてきたので、
今回の『緊急事態宣言』の全面解除は、待ち焦がれていたのが本音であり、
バンザイをして、祝いたいなぁ、と微笑みをしたりした。

しかしながら西村康稔・経済再生担当相は
「宣言解除後も、一定の移行期間を設ける。
都道府県をまたぐ移動は、5月末までは避けていただく」と説明されていた。

もとより高齢者の私でも、国民のひとりとして、
ふたたび感染が拡大して、政府がやむなく『緊急事態宣言』され、
何かと規制されることは、困苦するので、程々の節度ある自主規制が必要であり、
ささやかに過ごして、終息化を懇願している。

          

このように自粛生活の延長戦の中、私は本日の午前中のひととき
、眼科医院に通院した。

過ぎし年の5年前に白内障の手術を左眼、そして右眼の受けて、
それまで酷い近眼の0.03であったが、手術後まもなく0.8前後の視力となったりした。

そして私は高校生よりメガネを愛用してきたが、メガネが55年ぶりに不要となり、
何かと酷い近眼で劣等感を感じてきた私は、人生観さえ変わったりした。

この白内障の手術を受けてきた眼科専門医院は、この前後を含めて、
少なくとも数10回通院してきたので、 医院長をはじめ10数名のスタッフとも、 顔なじみとなり、
私は少し遠慮しながらも談笑したりしている。

          

昨年は3回ばかり訪れて、眼科の多彩な検診を受けた後、
ドライアイ気味の私は、 いつものように眼を保護し、乾燥を防ぐヒアレインと名付けられた『点眼液』を頂き、
殆ど一日に3回ぐらい両眼に点眼している。

http://www.rad-ar.or.jp/siori/kekka.cgi?n=9721

☆  くすりのしおり 公式サイト・・私が点眼しているヒアレイン『点眼液』 ☆

過ぎし白内障の手術を受けて2週間後の当時、
眼科医院の中で、 若き30代の女性スタッフより、ヒアレイン『点眼液』の注(さ)し方を教えて下さった。

『点眼液は、たくさん付けても・・眼から外に出てしまいますので、
たった1滴が最適で、まばたきしなくて、静かに目をつぶって、 1分ぐらいじっとしておくのが良いですよ・・』、
と私は学び、これ以来忠実に守って、今日に至っている。

そして白内障の手術を受けてきた眼科専門医院より指定されたヒアレイン『点眼液』を 信愛して5年が過ぎている。

             

本日、通院したことは眼科全般の診察を受け、
そしてヒアレイン『点眼液』が残量が少しになっているので、新たに6本頂きたい、
ことであったりした。

そして開診時間9時を目指して、利便性の良い路線バスを避けて、
私は徒歩15分ばかりの道を歩いて、行ったりした。

やがて女性スタッフより、色々な検査を受けた中で、
視力検査があり、右眼、そして左眼も1.2と診断され、
生まれて初めて、良き視力になったことに驚いてしまった・・。

これまで白内障の手術後は、殆ど1.0、とか0.9が多かったが、
齢を重ねると身体全般は老化はしてきたが、視力は向上して、独り微笑んでしまった。

やがて医院長より、精密な検査を受けたが、異常なし、と診断されて、
お蔭様で・・と私は医院長に御礼を申し上げたりした。

          

この後、いつものように家内から依頼された食材を買い求めて、
青空の中、のんびりと歩いて帰宅したのは11時過ぎであったりした。

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『サラリーマン川柳』、つたない半生を歩んだ私は、人生の哀歓を感じながら、長年愛読して・・。

2020-05-28 13:28:02 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の75歳の身であるが、
ときおり『サラ川』と称せられている第一生命が主催されている『サラリーマン川柳』を愛読している。

先程、テレビのニュースを視聴していたら、
第33回サラリーマン川柳コンクールのベスト10を、
第一生命保険が28日発表しました、と報じていた。

何かしら第1位は、昨秋のラグビーワールドカップ日本大会を意識した句で、
「我が家では 最強スクラム 妻・娘」。

或いは昨年10月の消費税増税に伴うポイント還元制度で
普及が進むキャッシュレス決済への困惑を描いた句として、第4位には、
「おじさんは スマホ使えず キャッシュです」・・(略)・・、
と報じて、私は微苦笑を重ねたりした・・。

          

私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受け、
やがて大学を中退後、映画・文学青年の真似事をして、無念ながら敗退し、
その後は、何とかあるレコード会社に中途入社でき、やがて35年ばかり勤め、
2004年(平成16年)の秋に定年退職をした。


こうした中、私は中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に勤めたが、
幾たびかリストラ烈風を乗り超えたが、最後の5年半は遠い地に出向となったりし、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈があり、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。

          


このようなつたない私の半生であり、
何かと『サラリーマン川柳』が好きで、現役時代から愛読し、励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、
『サラ川 傑作選』の本を4冊を所有している。


そして私は『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつと思い、
限りなく人生の哀歓と確信し、ときおり年金生活の今でも本を開いたりしている。

       
        本棚から特に愛読している2冊を取りだして、たわむれに記念撮影


これまで数多くの優秀作品が公表されてきたが、

たとえば『テーマ別に見るサラ川 優秀作品』の中で、『夫婦・家庭』編を読んだりすると、
恐れ入りました、と絶賛させられる作品にめぐり逢ったりする。

◎ 出張を 見送る妻の 目が笑う
                 詠み人・松本松峰


◎ 株価より 妻の機嫌が 乱高下
                 詠み人・頑張るお父さん


◎ 妻子から 絵文字が並ぶ ボーナス日
                  詠み人・孫悟空


◎ 家族旅行 予算削減 パパ留守番
                  詠み人・弐個


◎ 家族との 会話のつもりが 独り言
                  詠み人・ちょいバテパパ

          

そして私は、齢ばかり重ねでも、独断と偏見の多いが、

『サラリーマン川柳』の史上に於いて、今でも心に残り、
不滅の作品であると感じたのは、二作品がある。


◎ 破れてる ジーパン繕い 怒られた
                  詠み人・優しいばあちゃん

◎ うちのパパ おとなのくせに ママとねる 
                   詠み人・めだかの学校のせんせい


私は小説、随筆を60年ばかり濫読してきた身であるが、
短かな言葉で人生の機敏を的確に表現する川柳の世界に於いて、
このおふたりの圧倒的な感性と文才に、ふるえる程に感銘して、思わず脱帽したりしている。

          

            
私は無念ながら短歌や俳句を詠(よ)む素養はなく、
人さまが詠(よ)まれたのを読ませて頂くのが、好きなひとりである。
          
もとより短歌は、もとより五・七・五・七・七の三十一〔みそひと〕文字の世界であり、
万葉の時代から日本の人々に愛されてきた叙情詩であり、
この内容も恋の歌・日常生活の描写・社会問題・子供の成長・物語や幻想まで、
どんなテーマでも自在である、と受け継がれている。

そして俳句は、五・七・五の三句十七音から成る定型詩であり、
「季語」さえ含めば、内容も自在であり、江戸時代から多くの方に愛されてきている。

或いは川柳は、五・七・五の十七音の定型で、
ユーモアに富んだ言葉使い、或いは世の中を風刺した作風で、
江戸時代に発生し、明治時代の頃から、多くの方たち慕われてきた。

          


つたない半生を歩んできた私は、せめて川柳ぐらいは・・と時折一句でも吐くことあるが、
やはり素養に乏しく感じ、やむなく『ブログ』の世界で散文のような拙(つたな)い綴りを
殆ど毎日投稿をしている。
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ある寺の墓地、税金滞納で国税局が差し押さえ、異例の公売、私は学び、驚嘆させられて・・。

2020-05-27 12:37:22 | ささやかな古稀からの思い
<article id="uamods"><header>
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ヤフーのネットで発信するニュースを見ていたら、
ある寺の墓地に於いて、税金滞納で国税局が差し押さえ、異例の公売がされた、
このような見出し記事を見て、どのようなことで・・と私は思いながら、
精読してしまった。

この記事は、公式サイトの朝日新聞デジタルから、5月27日に配信され、
無断であるが、転載させて頂く。

《・・名古屋・大須にあった古刹(こさつ)・久宝寺が、
税金の支払いを滞納したとして、名古屋国税局が寺が所有する墓地を差し押さえ、
公売にかけたことがわかった。

墓地の公売は、極めて異例のことだ。

          

国税局によると、公売にかけられた墓地は、名古屋市千種区の平和公園内にある。
面積は591平方メートルで、約50基の墓がある。
 公売の最低価格は6867万円。

開札は26日の予定だったが、新型コロナウィルスの影響で延期された。
新たな時期は未定だ。  

関係者によると、国税局は2017年、寺の税務調査を実施し、
住職(72歳)が、寺の資金約7千万円を個人的な投資に流用したことを確認。

このうち約5千万円について、寺が住職に支払った臨時賞与とみなして、
源泉徴収漏れを認定した。  

重加算税の追徴課税もあったが、寺は約2260万円の支払いを滞納し、
当時の財産は、墓地だけで、国税局が差し押さえた。

その後、一部納付された。
開札日までに全額納付すれば、差し押さえは解除される。

          

 国税徴収法は、礼拝などに直接使う神体、神具、仏具などの差し押さえはできないが、
本堂や庫裏は直接必要と認められず、差し押さえができるとしている。
墓地も不動産と同じで、差し押さえができる。  

住職は取材に、「檀家(だんか)に申し訳ないのひとことだ」と話している。
 全国寺院名鑑によると、久宝寺は1556年に創建され、その後、清洲から大須に移転。
住職らによれば、戦災で焼失後、3階建て建物を本堂と庫裏にしていた。(村上潤治)

          

■僧侶の鵜飼秀徳さん「寺は身の丈にあった経営を」

「寺院消滅」の著書があるジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんの話 
地方では、過疎や高齢化で消滅し、住職のいない寺は全国で1万5千~2万を数える。
都市部では、収益事業に失敗して、破綻(はたん)する寺も出てきている。

人口減に加え、葬送の簡素化で、寺の収入は減っている。
寺は過剰な投資をせず、身の丈にあった経営をする必要がある。
遺骨を守るためにも、檀家(だんか)は、住職に寺の会計の開示を求めることが大切だ。
トラブルが続くなら、別の寺に移ることも視野に入れた方がよい。・・・


          
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記事を読み終わった後、多々学んだりした・・。

私が今住んでいる近くに私の生家があり、
徒歩で15分ばかりの先にある程々大きな寺にある墓地に、
10何代か埋葬されている。

東京の郊外があり、檀家(だんか)は今でも多くあるが、
半減すれば寺院としての経営が苦しくなる、と私は風の噂で聞いたりしてきた・・。

今回の記事の住職さんは、寺の資金約7千万円を個人的な投資に流用し、
このうち約5千万円について、寺が住職に支払った臨時賞与とみなして、
源泉徴収漏れを認定した結果、寺は約2260万円の支払いを滞納し、
当時の財産は、墓地だけで、やむなく国税局が差し押さえた、と学び驚嘆させられたりした。

その上、更に学んだことは、国税徴収法は、
礼拝などに直接使う神体、神具、仏具などの差し押さえはできないが、
本堂や庫裏は直接必要と認められず、差し押さえができるとしている。

そして墓地も不動産と同じで、差し押さえができる、このようなことを学び、
驚いたりしている。

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『緊急事態宣言』が解除から一夜明けた本日は、高齢者の私でも、開放感を深めたり・・。

2020-05-26 13:50:12 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてきた・・。

          

昨日、政府より『緊急事態宣言』が解除され、高齢者の私でも、
実に長く感じられ、待ち焦がれていたょ・・開放感を深めたりした・・。

やはり密閉、密集、密接から名づけられた『三蜜』は、
水戸黄門様の紋章と同様に感じて、国民のひとりとして、非国民とならないように、
守ったりしてきた。

たとえば2月初旬より、家内の病院の通院日のボディガード兼お供が2度ばかりあって、
電車、路線バスに乗車した以外、私はすべて徒歩できたりした。

そして電車で、少し遠い遊楽地、デパートで買物も自主禁止とし、
知人と仲良しコミニケーションの『居酒屋』での交遊も、
当然ながら自粛したきたりした。

          

そして本日の午前中、私は散髪屋と称されている理容店に、
営業開始の9時を目指して行ったりした。

私は長らくサラリーマンをしてきた当時より、
清潔感が大切と思いながら、月に一度は散髪屋に行き、
年金生活17年目の今でも、このベースをしてきた・・。

しかしながら、新型コロナウイルスの三蜜を避ける為、
確か2月初旬の頃に散髪屋に行って以来、自主制限をして、
初めての長い髪の毛となり、外出の時は帽子を深く被り、誤魔化していた。

そして久々に髪の毛を手入れをして頂いた後、
帰宅した後、ふたたび独りで散策したりした・・。

          

どんよりとした曇り空であったりしたが、新緑の中、わずかな風を身体に受け、
颯爽と歩いたりすると、心の奥まで開放感でゆったりとし、
倖せのひとときを甘受したりした・・。

もとよりマスクをして、人出の少ない処を選択して、歩いているが、
何とか感染しないで、今日を迎えることができ、幸運な高齢者のひとりだよなぁ・・
と心の中で呟(つぶや)きながら、独り微笑んだりしている。

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『緊急事態宣言』の全面解除、待ち焦がれていた高齢者の私は、喜びながらも・・。

2020-05-25 14:02:48 | ささやかな古稀からの思い
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先程、テレビのニュースを視聴していると、政府は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い
発令を継続している北海道、埼玉、千葉、東京、神奈川の5都の『緊急事態宣言』を
25日に全面解除する方向で最終調整に入った、と報じていた。

そして専門家の意見を開き、新規感染者数の推移や医療提供体制を分析した上で、
安倍首相が総合的に判断する、と報じていた。

過ぎし4月7日に、政府は初めて宣言を7都府県で発令した。
そして16日に対象地域を全国に拡大し、5月4日に31日まで延長。

この後、5月14日に新規感染者数が大幅に減少した39県、21日に近畿3府県で解除した。
そして首相は、残る5都道県も感染状況次第で、期限の31日から前倒しして解除する方針を示している、
と報じられていた。

           

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、我が家の平素の買物専任者の私は、成るべく人出の少ない処を選定しているが、
家内が指定された処は、ときおり駅前の商店街にあるスーパー、ドラッグ・ストアであり、
家内よりマスクをして買い物するように厳命されたりした。

          

私はマスクが苦手で、これまでの75年に及びマスクをしたことはなかったが、
生まれて初めて極く一般の白いマスクを付けて、15分ばかり歩いて、
商店街に着いたりした。     

しかしながら、この後の3月になると、ドラッグストア、スーパー、コンビニなどで、
私たち夫婦のマスクを買い求めようとしたが、母を訪ねて三千里のように探し求めてきたが、
わずか6つばかり何とか入手できたが、マスク迷子の悲惨な時を過ごしたりした・・。
        
やがて4月23日、あるドラックストアーに寄った時、
たまたまマスクの入荷にめぐり逢えて、まもなく1箱(50枚入り)で5980円(税抜き)で、
久々に買い求めることが出来たりした。

          

こうした中、人出の多い駅前のスーパーで買い物をする時はもとより、
人出の少ない処を散策する時でも、やむえなくマスクをしているが、
いつになったら感染が終息化するのかょ・・と戸惑ったして、過ごしている・・。

そして新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
やがて政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されているが、
私は体力の衰えた高齢者の身であるので、散策を日々実行しないと益々衰えるので、
なるべく人出の少ない処を選定して歩いたりしている。

          

このように予期せぬ新型コロナウイルスの難題に、2月上旬の頃から何とか感染しないでねぇ・・、
と秘かに懇願して、何かと都民のひとりとして規制が多い期間を過ごしてきたので、
今回の『緊急事態宣言』の全面解除は、待ち焦がれていたのが本音であり、
バンザイをして、祝いたいなぁ、と微笑みをしたりした。

しかしながら西村康稔・経済再生担当相は
「宣言解除後も、一定の移行期間を設ける。
都道府県をまたぐ移動は、5月末までは避けていただく」と説明されていた。

もとより高齢者の私でも、国民のひとりとして、
ふたたび感染が拡大して、政府がやむなく『緊急事態宣言』され、
何かと規制されることは、困苦するので、程々の節度ある自主規制が必要であり、
ささやかに過ごして、終息化を懇願している。

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『お達者度』全国1位は静岡県、東京の田舎者の私は学び、多々教示させられて・・。

2020-05-24 13:17:56 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

先程、ときおり愛読している公式サイトの【 ファイナンシャルフィールド 】を見ている中、
『お達者度』と明記された記事があり、どのようなことなの・・、
と好奇心に負けて、記事を読んだりした。

この記事は、ファイナンシャル・プランナーの林 智慮さんの寄稿文であり、
記事の大半を転載させて頂く。

          

《・・(略)・・厚生労働科学研究によれば、
平成22年、25年、28年の静岡県の健康寿命の平均値は、男性72.15年、女性75.43年で、
全国2位です。

1位は山梨県で男性72.31歳・女性75.49歳、
3位は愛知県で男性72.15歳・女性75.30歳です。

 
健康寿命とは、健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間をいいます。
特に、65歳における平均自立期間を「お達者度」として表しています。

 
静岡県ホームページ「ふじのくに」によれば、静岡県民が健康長寿である理由に、
・地場の食材が豊富なので食生活が豊か
・全国一のお茶の産地で、お茶をたくさん飲んでいる
・元気に働いている高齢者が多い
・温暖な気候から来る穏やかな県民性

とあります。

          

 
健康長寿には、食生活・運動・社会参加が関係していることがわかってきたことから、
静岡県は、働き盛りを中心とした「ふじ33プログラム」という健康長寿プログラムを開発、
平成26年からは65歳以上対象の「シニア版ふじ33プログラム」も完成しました。
県民総合健康センターが普及支援しています。

 
厚生労働省「平成29年度 医療費の地域差分析(国民医療費ベース)」によりますと、
平成26年から平成29年の間では、1人当たり年齢調整後医療費の下位(医療費が少ない)5県に
静岡県がランクインしています。

平成29年度の場合、1位の福岡県は38万8620円ですが、
静岡県は30万8578円と約8万円も安いのです。

 
健康であれば病院に行かなくてすみます。
健康であることで、個人も自治体も医療費の負担が軽くなります。

          

☆20大都市で健康寿命日本一の浜松市

また、浜松市ホームページ「健康長寿日本一!」には、
20大都市で2010年、2013年、2016年と男女とも健康寿命1位であり、
その背景として、市民の就労率が高い、地域活動の参加が活発である、
温暖な気候、豊富な食材、浜松方式といわれる救急医療体制に恵まれていることが挙げられています。

 
ところで、浜松市には元気リーダー育成事業というものがあります。
地域住民に健康づくりに関する活動を、継続的に指導や普及促進できる人材を育成する事業で、
60歳以上の市民が対象です。

 
また、地域リハビリテーション活動支援事業もあり、
リハビリテーション専門職が地域へ出向いて、介護予防の話や体操等を紹介します。
派遣先は、65歳以上の市民により構成された団体です。

 
高齢者参加型の行事は、どの市町村でも行われていますが、
浜松市はそれだけでなく、高齢者が主体となって行事の計画・実行、指導者としての活動を支援しています。


          

☆根底にある「やらまいか」精神

高齢女性のお話では、長い年月の間には大変なこともあったそうですが、
常に「どうしたら良いか」を考え実行されていたそうです。

決して恨むこと、他人の所為にすることはなかったとか。
そして、いつも、より他人が幸せになることを選んで、行動されてこられたとのこと。

 
浜松市民の根底にある「やらまいか」精神。
「よし、やってやろう」という気持ちが行動につながり、
考え動くことが、いくつになっても心身ともに健康を保てるのかもしれません。》

          


記事を読み終わって、何かと無知なことが多い東京の田舎者の私は、
多々教示させられたりした。

私が多々の理由で年金生活を始めた2004年(平成16年)の秋の当初から、
我が家の平素の買物は、 私は自主的に買物専任者として宣言し、 家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、我が家より歩いて、スーパー、専門店など歩いて行き、 買物メール老ボーイとなっている。

この後は、やはり自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

          

こうした根底のひとつには、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活丸16年を過ごしてきた。

そして私は寝たきりなどは、日常のささやかな願いも制約されるので、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症とか心筋梗塞などは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。

          

今回、健康であれば病院に行かなくてすみます。
健康であることで、個人も自治体も医療費の負担が軽くなります。

このような主旨を学び、少子高齢化の時代、医療費の急増となっている今日、
『お達者度』全国1位は静岡県に対して、少なくとも厚生労働大臣として、
静岡県民に特別国家貢献と功労として、65歳以上の県民には、
金一封して表彰することが望ましい、と私は強く思ったりしている。

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高齢者の男性は、家族に『終活』を勧められても、気が進まない、75歳の私は学び、微苦笑をして・・。

2020-05-23 13:43:35 | ささやかな古稀からの思い
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私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてる。

          

こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
やがて政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されているが、
私は体力の衰えた高齢者の身であるので、散策を日々実行しないと益々衰えるので、
なるべく人出の少ない処を選定して歩いたりしている。

或いは昨年の上半期、年金生活16年目を迎えた私たち夫婦は、
お互いに年金生活の中で、初めて入院生活を体験してきたので、
外出自粛の中で、遅ればせながら『終活』を実行している・・。

昨夜、何かと愛読している【 現代ビジネス 】を見ている中、
高齢者の男性は、家族に『終活』を勧められても、気が進まない、
このような意味合いの記事が掲載されていたので、精読してしまった・・。

無断ながら転載させて頂く。

《・・「人間というやつは、いま死ぬという土壇場にならないと、気のつかないことがいろいろある」、
 作家・山本周五郎の言葉だ。

          

菅原脳神経外科クリニック院長・菅原道仁氏も、
「余命宣告を受けたり、寝たきりにならないと、死ぬということを意識して行動できない人が多い」
と話す。  

菅原氏によれば、人間の死に方には5つのパターンがある。 
(1)90歳過ぎまで元気で生きる「大往生」
(2)心臓疾患や脳疾患で突然死ぬ「コロリ」
(3)脳血管障害などで後遺症が残り、肺炎などで亡くなる「長期介護」
(4)がんで死ぬ「闘病」
(5)末期がんが見つかり、2~3ヵ月で死ぬ「末期」 

(3)「長期介護」や(4)「闘病」といったパターンであれば、
人は否応なく時間をかけて死を意識し、準備を迫られる。

しかし、(2)「コロリ」のように明日亡くなるとは、誰も予想できない。
健康な人が、死を前提に生きることはできない。
それほど人間は、悲観的には生きられない生き物だ。

          

「問題は、『正常性バイアス』です。
死という恐ろしいものとは向き合わず、『自分は大丈夫だ』、
『明日死ぬことはない』と思ってしまうのが、人間の考え方の癖なのです。

心筋梗塞
やくも膜下出血などの突然死は、
血圧や血糖値が高い生活習慣病の人ほどリスクが高くなります。

しかし自分の身体にリスクがあるとわかっていても、
明日死ぬことはないと信じこんで、何もしない人もいるのです。
死を直視することは、簡単ではありません」(菅原道仁氏)  

突然死の「ピンピンコロリ」を理想的な死に方だと言う人もなかにはいる。
最後まで元気で、闘病に苦しむこともなく死ねるからだ。
それは、死の準備をするのは、気が進まないことの裏返しでもある。

          

 一方で、元気なうちに死ぬ準備をする「終活」に手を付ける人も多い。
家族に迷惑をかけたくないという思いからだが、
どれだけ真面目に取り組んでも、やり切れる人はそう多くない。

「エンディングノートを買っても、最後まできちんと書いた人は、
たったの2%しかいないというデータもあります。

結局、死のイメージがわかないとか、この先何があるかわからないと思って、
手が止まってしまうのです」(葬儀・お墓・終活ビジネスコンサルタントの吉川美津子氏)  

妻や夫、さらには老親に、死の準備を進めてほしいと思っている人もいるだろう。
それにも、大きな壁が立ちはだかる。

「死を考えたくないという意識が強く、奥さんや家族が身辺整理を勧めても、
『何を言っているんだ』と癇癪を起こすような方もいます。

            

特に男性は、定年退職後も70歳くらいまでは、働こうという人が多いため、
死の準備を始めるのが遅くなりがちです。

80歳近くなってから、身辺整理をしようと思っても、
気力や体力が落ちていて、手遅れになってしまう可能性があります」
(老前整理コンサルタント・坂岡洋子氏)

かつては隠居という言葉があった。
それは次の世代に席を譲り、ゆっくりと死を受け入れることと同義だった。

しかし、「生涯現役」というフレーズが、当たり前になった現在、
死を前提に生きることは、ますます難しくなっている。
 『 週刊現代 』2020年4月11・18日号より・・》

          

こうした真摯な記事であり、多々教示させられたりした。

たまたま私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、一代限りとなる為、
葬儀、お墓、どちらかが遺(のこ)された方がするので、
私が40代の頃から漠然と思案したりしてきた。

やがて定年退職後は、私が亡くなった時、残された家内が生活に困窮しないように、
遺言書を公正証書にしたりしてきた・・。

しかしエンディングノートを65歳の頃に私は買い求めて、
少しづつ記載してきたが、半分ぐらいは空白となってきたのが実態であった。

そして私たち夫婦は、お互いに生死に関わる入院生活をしてきたので、
改めて『終活』を始めて、具体的に色々な終末生活、尊厳死、葬儀、お墓など、
考えられる要素を整理して、レポートにしている・・。

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買物メール老ボーイの私、過ぎし年金生活を始めた当初、戸惑い心は揺れて・・。

2020-05-22 13:26:09 | ささやかな古稀からの思い

午前中のひととき、我が家の平素の買物専任者の私は、
いつものように家内がスーパーのチラシに、赤丸を付けた必須の購入品を
買い求めに行ったりした。


たまたま最寄りのスーパーであったので、徒歩10分足らずであったので、まもなく到着した。
そして店内で必須の品をカートの上の籠(かご)に入れた後、
何か魅了された品をないかしら、と店内を私はカートを押しながら探したりした。

やがて野菜売り場で、ピーマンのバラ売りが、
めずらしく新鮮で大きく、ひとつ35円であったりした・・。

春先も天候が不順が多かったので、昨今のピーマンの多くは新鮮さが欠けてきたので、

値段の割に最上品と感じ、買い求めことを私は決意した。

そしてよく見ると、3つで1セットで95円と小さく明記され、
せめて好きな野菜ぐらいは感じながら、2セットを籠(かご)に入れたりした。

この後、店内でカートを押して品を探している50代風の女性の後に、
まとわりつくように60代風の男性が歩き、

私は年金生活を始めてまもないご夫婦かしら、と微苦笑したりした。
          
          

私は民間会社のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めた・・。

そして私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
            
家内は長年専業主婦として少なくとも洗濯、掃除、料理してきたので、
その間のささやかな息抜き・・趣味ごとを邪魔にするのは、
まぎれなく天敵と私は確信し、せめてながら平素の買物専任者を自主宣言をしたりした。

そして独りで最寄りのスーパー、駅前のスーパーとか専門店に往還したり、
買物メール老ボーイとなっている。

帰宅後は、独りで自宅付近の3キロ範囲の遊歩道、小公園を歩いたりして
季節のうつろいを享受してきた。


或いは私は両親から血液B型をさずかり受けたお調子者の為か、
家内が煎茶かコーヒーを飲みたいことを素早く察知して、茶坊主に徹し、
日に6回前後は淹れたりしている。

                    

2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
家内から依頼された特売セールの洗剤を買い求めに行った。

そして年金生活で貢献できるのは、せめて廉(やす)い価格の品を多めに、と思いながら、
5個ばかり買い求めて、意気揚々として帰宅した。

やがて帰宅後、家内に頼まれた洗剤を手渡すと、
『あら、違うわ・・ライオンのトップでも《部屋干し》をお願いしたはずょ・・』
と家内は言った。

『違った・・!?』
と私は言った。

『違っています・・うちはずっと《部屋干しトップ》なの・・
貴方・・よく仕事ができたわねぇ・・』
と家内は追い討ちをかけてきた。

『じゃ・・取り替えてくるよ・・』
と私は言った。

やがて洗剤はひとつの箱でも1・1Kgあり、5個買い求めていたので、少し重い洗剤を提(さ)げて、
再びスーパーに向かった。

こうした中、仕事は給料を頂いて緊張感の中で、責務を果たしてきたので、
気軽な買物と違うょ、と心の中で呟(つぶや)きながら歩いたりした・・。

          

          

或いはトマトを買い求めた当初は、苦い失敗談があったりした。
確か翌年の2005年(平成17年)の6月初旬の頃だった・・。

たまたまスーパーの店内に於いて、野菜売り場の近くにトマトの販売コーナーがあり、
家内はトマトが好きであり、少し高い値段であったが、
何より新鮮であったので、3つばかり買い求めたりした。


帰宅後、家内に手渡すと、
『わぁ・・立派なトマト・・美味しいそうだわ・・』
と家内は微笑みながら言ったりした。

やがて家内は、値段を訊(き)かれて、私は応(こ)えた。

『でもねぇ・・高過ぎるわょ・・我が家は年金生活ですから・・程ほどにして下さい・・
貴方は幼年期の頃、農家の児だったでしょう・・トマトの見極めぐらいは解っているでしょう・・
私は長い間、程ほど品をお廉(やす)く買い求めてきたわ・・』
と私は家内から叱咤されたりした。

『XXちゃんさぁ・・専業主婦25年選手でしょう・・
ボクは買物一年生だょ・・気を付けますょ』
と私は抗弁したりした。

これ以来、私は野菜、果実(くだもの)は、新鮮さを見極めながら、
程ほど品を廉(やす)く買い求めたりしてきた。
          
          

我が家の日常生活の実情は、私は家内のことを、
婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と名前を呼んでいる。

家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。

こうした時、私は現役サラリーマン時代の50代後半期に、年収は1000万円を少し超え奮戦していたが、
年金生活の中は、もとより大幅に生活は変貌となり、形無(かたな)しだよなぁ、
と心の中で呟(つぶや)きながら、
苦笑したりした。

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ときには傲慢と独断、そして偏見の多い私、秘かに戒(いまし)めの行いは・・。

2020-05-21 13:54:10 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨日の朝、洗面した後、いつものように、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向っている。
そして氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。

                         

私は曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつを氏の『日めくり ひとりしずか』に毎朝向って、
何かと気弱な癖に、ときには傲慢と独断、そして偏見の多い私を戒(いまし)めている。
     

世の中で著名な相田みつを氏を遅ればせながら学んだのは、
過ぎし1999年〈平成11年〉の5月中旬、私たち夫婦は家内の両親を誘い、
伊香保温泉に2泊3日で滞在した時、 ある民芸土産店で私はひとつの品に目がとまった・・。
               
『ひとりしずか』、と大きく題され、みつを、と署名されていた。

そして私は手に取り、ページを捲(めく)ると、
著名なこのお方の名は知っていたのであるが、
遅ればせながら初めて接した書物の言葉、そして書体であった・・。

               

この言葉を読み終わった後、瞬時に圧倒的に魅了された・・。
               
私は幾つになっても拙(つたな)い我が身を振り返り、
私の父は、無念ながら私が小学2年の時に病死された体験もあり、

私はこの『トイレ用日めくり』を買い求めた後、その日に応じたページに、
さりげなく深い人生の教訓の言葉を特有な平坦の書体で書かれていた。

そしてこの日以来、私はこの御方を秘かに慈父のように人生の師と掲げたりした。

               

私は民間会社の中小業に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、
長年サラリーマン生活を過ごす中、障害レースのように幾たびかリストラに遭遇して、
何とか乗り越え定年退職を迎えことが出来るまで、何かと卑屈と劣等感を秘めながら、悪戦苦闘が多かったりした。

そして何かと気弱な癖に、ときには自己顕示欲が強く、やがて反省しながら自己嫌悪となったりし、
つたないサラリーマンの人生航路を過ごしたりした・・。

やがて定年後、多々の理由で年金生活を始めた・・。

私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物メール老ボーイとなっている。

こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

               

午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この間、私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          
そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。

こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。

こうして年金生活を過ごしたりし、ときおり小庭の手入れをしたり、
家内と共通趣味のひとつである国内旅行を遊学している。

このように年金生活を過ごして、早や16年半が過ぎているが、
定年するまでの悪戦苦闘が多かった半生を思い馳せれば、
定年後の年金生活は安楽な歳月を享受している。


この間、私は相田みつを氏が遺(のこ)された『じぶんの花を』、『いのちいっぱい』、
『雨の日には雨の中を 風の日には風の中を』などの作品を拝読し、信愛を深めたりしてきた・・。

               


過ぎし年の2014年(平成26年)2月中旬に、
私たち夫婦は札幌市の郊外にある定山渓温泉の観光ホテルに、

13泊14日で滞在し、札幌市内、周辺を散策して、遊学してきた。

こうしたある日、小雪舞い降る中、積雪ある定山渓の温泉街を散策をした。

10時過ぎに宿泊している『定山渓グランドホテル端苑』を出て、
一時間ぐらい歩いたりした後、温泉町の中心街を歩いていた時、

観光旅館の『ぬくもりの宿 ふる川』で、私が敬愛している亡き相田みつを氏の特有な文体が視え、

          

どうしてなの、と思ったりしていると、

この館内に、氏の展示室があり、この館の了解を得て、拝見することとした。

2階のひとつの大きな展示室には、氏の遺(のこ)された数多くの書跡が掲げられていた。

          


私たち夫婦は過ぎし2016年5月19日より伊豆七島のひとつ大島に、
樹木葬の墓地(埋葬地)を視察する旅路を一泊二日で行った。

やがて樹木葬の墓地(埋葬地)を私たちは仮予約した後、元町港の街並みを散策した。
こうした中で、街通りに、扁額のような形で表現された文に、私は瞬時に深く魅了された・・。

            

まもなく歩くと、簡素な寺院が視え、浄土宗『潮音寺』ちょうおんじと読め、この『潮音寺』が、
掲げて下さった、と私は理解した。
            
私は中小業の民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、
痛いほど理解させられたりしてきた。

           
やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。

                       
                                 
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
            
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、
数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。

                      

私たち夫婦は、昨年は私は入院を2回ばかり体験し、家内も初めて入院したりして、
今日を迎えているが、
健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、と私は思い馳せたりしたりして、
ときおり私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。

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特別定額給付金の申請に伴い、75歳の高齢者の私は身分証明に、微苦笑を重ねて・・。

2020-05-20 14:10:27 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてる。  
 
こうした中、人出の多い駅前のスーパーで買い物をする時はもとより、
人出の少ない処を散策する時でも、やむえなくマスクをしているが、
いつになったら感染が終息化するのかょ・・と戸惑ったして、過ごしている・・。

          

昨夕、サラリーマン時代の友人のひとりから電話を頂く中で、
新型コロナウイルスに伴い、緊急経済対策で一律10万円を配る特別定額給付金の
話しをしている中で、申請書の話題となったりした。

何かしら市町村から各世帯に郵送されてくる申請用紙は、
本人確認のため身分証明書の写しを貼り付ける欄がある、
と友人が私に教えてくれた。

そして運転免許証、マイナンバー、パスポートの例示があるらしく、
この友人は、自動車を所有し、奥様と幾たびか海外旅行をされているので、
何らか問題がない、と話したりした。

しかしながら75歳の高齢者の私は、顔写真付きの身分証明するのが、
ないよなぁ・・と微苦笑をしたりした。

          

自動車の運転免許証に関しては、過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始め、まもなく自動車の運転を断念を決意して、
やがて更新時の2005年(平成17年)の秋に、漠然として見送り、
早や丸15年が過ぎている。

私は長きの期間のペーパー・ドライバーだった・・。

結婚する30歳の前は生家に住んでいた期間は、生家の自動車を利用して、
若気の勢いで、盛んにドライブし、軽井沢、蓼科、箱根、伊豆半島などの各地に行ったりした・・。

そして結婚して3年目に、生家の近くに一軒家を建てた後、
住宅ローンの返済、何かと家具などに費用が要して、
とても自動車を購入できる余裕はなかった。

やがて40代を過ぎても会社の業務が多忙で、家内とのんびりドライブすることなどは、
夢のひとつでもあったりした。

こうした思いが根底に秘めていたので、定年後には自動車を買い求めて、
家内と共に国内旅行を自在に、ドライブ旅行をしょうと思ったりしていた。
            
          

やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めたが、
無念ながら齢を重ね、瞬時の感覚、判断力も鈍(にぶ)ったことに、気付かされた・・。

そして今頃から、自動車を買い求めて、再び自動車を運転して、
人身事故でも起こした場合、何よりも相手方に対して、いつまでも心痛な思いが残ると思われた。

その上に何かと小心者の私は、慙愧に苦しみ、心身痛みを生じ、たとえ金銭上の賠償責任を終えても、
交通刑務所に服役の場合も考えられ、私の残されたセカンドライフの人生が大幅に狂うと妄想を重ねた結果、
やがて免許証の更新時に、自主的に更新を取り止めたのは62歳の時であった。

齢を重ね年金生活をする中、安楽な生活を望むなら、人それぞれ何かを断念して生活をされていて、
たまたま私の場合は、自動車の運転、やがて65歳に糖尿病と医師から明言され、
克服する為に愛飲していた日本酒を断念したりした。
                                                
          

しかしながら私は普通運転免許証の更新を中止した時、何かしらの身分証明証が欲しかった。
私は現役サラリーマン時代には、会社の旅行として台湾、或いはハワイに行ったりし、
もとよりパスポートは所有して遊学していた。

そして私は幾たびか家内に海外旅行を誘っても、
家内は何かと苦手意識があり、国内旅行の方は気楽だわ、と結論に達して、
やがて私のパスポートは期限切れとなったりし、これといった身分証明書がなくなってしまった。

年金生活の私たちは、お互いに『国民健康被保険者証』は所有していたが、
写真入りの証明証でなく、万一、『国民健康被保険者証』を落とした場合は、
悪用される確率が高くなる。

私が現役サラリーマン時代の頃は、外資系の会社であったので、定年の10年前の頃から
写真入りのIDカードを常時持たせられた。

このような状況であったので、市役所に問い合わせると、
『住民基本台帳カード』の写真入りであったならば、
市役所、公共施設、銀行、郵便局、パスポートの申請の際、本人の確認に使える知り、
私は即急に申請して、その後の私は『住基カード』を持ち歩いたりしてきた。

                                       

こうした中、私が自動車、自転車の交通事故に遭遇したり、散策、買物などで倒れた場合、
やがて救急車で病院に運ばれても、
『住基カード』がないと、身元不明者なってしまい、余りにも自分が可哀想なので、
たった一枚の『住基カード』が、確かなお守り代わりとしてきた。
                       
やがて総務省の鶴のひと声で、『住基カード』を廃止して、
『マイナンバー』となったりしたが、70代の私は、特にメリットを感じることなく、
写真入りの『マイナンバー』は加入していなく、今日に至っている。

このように運転免許証、マイナンバー、パスポートもなく、
私たち夫婦は過ごしている・・。

          

今回の特別定額給付金の申請に伴う自身の身分証明は、
やむなく『健康保険証』や『介護保険証』の写しで代用しょうかしら、
と私は微苦笑をしたりした・・。

ここ5年前後、公的機関を利用した時、『健康保険証』の写しで認められてきたので、
今回は75歳以上の特典の『後期高齢者医療被保険者証』が、
私にとっては身分証明証だよねぇ・・と私は微苦笑をしたりした・・。

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働いて下さる諸兄諸姉、年金生活の私は、改めて感謝を深めて・・。

2020-05-19 17:07:41 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
住宅街の中、雑木の多い小庭の中で古ぼけた一軒屋に住んでいる・

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や17年目となっている。

こうした中、本日の午後、本棚から一冊の本を取り出したら、
この本に栞(しおり)のように挟まれた新聞記事の切った一通が、
出てきて、漠然としながら記事を読んでしまった・・。

          

過ぎし2017年の5月に、購読している読売新聞の記事のひとつで、

『働く世代から集めたお金で成り立つ公的年金』と題された図表であった・・。

この記事は定期特集の『安心の設計』が連載され、
この中には『ニャるほど! 社会保障』があり、

今週は『公的年金って、どんな仕組みなの?』と題された記事であった。

読売新聞の安田武晴さんが綴られた記事であり、私が読み終えた後、
要旨は下記の通りとなる。

          


《・・公的年金は国が運営している年金制度で、
民間の保険会社が運営する私的年金と区別するため、こう呼ばれている。


2017年度は55兆円が公的年金として、国からお年寄りなどに支払われる見通し。

55兆円のうち約7割は、働く世代の人たちが納める保険料。
約2割は国が集めた税金、
残りの約1割は、公的年金のために積み立てているお金などが充てられる。
             
          

そして年金を受け取るのは、お年寄りが主だけど、障害がある人、大黒柱を亡くした遺族も受け取れる制度。

お年寄りへ支払われる公的年金は「老齢年金」と呼ばれ、原則65歳になると受け取ることができる。

年を取ると多くの人は、若い頃のように働いてお金を稼ぐことが難しくなるので、生活が成り立たなくなってしまう。
だから社会全体で支え合う仕組みとして公的年金が必要。
働く世代の人たちがみんなで、お年寄りに仕送りをしていると考えればいい。

そして若い頃から自分で貯金しも、貯金だけで老後の生活を送れる人は少ない。
それに、何歳まで生きるかわからない。
老齢年金は死ぬまで受け取れ、金額は人によって違うけれど、

そしてお年寄り世帯の年間平均所得のうち、7割近くは公的年金が占めている。
暮らしに欠かせないお金だね。

若い人にも、事故や病気で障害を負った時には「障害年金」、
一家の稼ぎ手が亡くなった時には「遺族年金」が支払われる。
公的年金は年齢に関係なく、人生のリスクに備える役割がある。

しかし保険料を納めないと、原則受け取れない決まりになっている為、
20歳になったら、きちんと保険料を納める必要がある。

いま年金をもらっているお年寄りも、若い頃は保険料を納め、その時のお年寄りを支えてきた。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

                       

私は民間会社に35年近く奮戦してきたが、定年退職を迎えたのは2004年の秋であったが、
最後の5年はリストラ烈風の中、私は出向となったのは55歳の時であった。
やがて
私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。

この当時は、大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。

そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、敗残者のような深情で年金生活を始めた・・。     

やがて年金生活を過ごすと、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。

          

         
今回の『働く世代から集めたお金で成り立つ公的年金』と題された図表を見たりし、
改めて55兆円のうち約7割は、働く世代の人たちが納める保険料、と知ったりした。

ここ数年、個人消費が延びない限りは、民間会社は剰余金が豊富でも、設備投資には積極的になれず、
結果として働いて下さる方の給与は、物価を上回る実質賃金の増加は困難となり、益々消費低迷となっている。

そして私は、何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。

そして年金も現役世代が払う保険料で、高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が65歳を過ぎた現在、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。
             
          

私も40代の頃は、給与から『厚生年金』が差し引かれて、

こんなに差し引かれるのかょ、と微苦笑したりしてきた。

或いはこの当時、たまたま家内の父と年金の話題になった時、
『お義父(とう)さんは、年金生活を始められたが、5人でひとりをささえる時代であるが、
僕たちが年金生活を始める頃は、3人でひとりをささえる時代と思われるので、大変ですょ・・』
このような意味合い言葉を、私は家内の父に苦笑しながら言ったりしたことがあった。
             

周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となっている。

そして大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。

或いは国税庁による「民間給与実態統計調査」に寄れば、
1人あたりの年間平均給与は、継続的に下がり続け、
平成16年には438.8万円だったのが、やがて10年過ぎた平成26年には415.0万円と知ったりした。
                   
こうした過酷の中で働いて下さる現役世代の諸兄諸姉の人たちは、このように熾烈な状況の中で奮戦する中、
「世代間扶養」の原則に基づいて、保険料のひとつ『厚生年金』を支払って下さり、
数多くの私たちの年金生活は支えられている現実がある。

更に私は、昨今学んだことは、《・・年収700万円世帯の手取り収入は、15年前に比べて50万円も減った。・・》
こうした現実に、無力な私は、瞼(まぶた)が熱くなってしてしまった。

                                    
まして今年は、新型コロナの悲惨な影響で、経済は激変している中、
このような働いて下さる諸兄諸姉に心情を深めてきた私は、
今回の古い記事を再読した後、年金生活をしている私としては、
改めて働いて下さる諸兄諸姉に感謝を深めている・・。

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小庭の手入れ、早朝型の家内に私は鼓舞されても、やがて儚(はかな)くも・・。

2020-05-18 13:04:21 | ささやかな古稀からの思い

私は民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた75歳の身である。

そして東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭で、
雑木の多い小庭に囲まれて古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

我が家の小庭の常緑樹、落葉樹の雑木は、体力の衰えた私は、さぼったりしてきて、
枝葉は伸び、剪定をしなければ、と思うばかり、何とか4月30日に少しばかり手入れをしたが
全般として30%ぐらいで、何とか剪定をしたりした。

            

もとより小庭の手入れは私の責務の範疇であったが、
私の体力の衰えで、年に数回は私より5歳若い家内の手助けを借りているのが実態である。

このような関係で5月3日に私たち夫婦は、樹木の剪定をしたりした・・。
そして当日の朝、私は5時半過ぎに目覚めて、ぼんやりと小庭を眺めたりした。

こうした中、家内はトレーナー姿の容姿でタオルを姉さん被(かぶ)り、
ウォーキング・シューズの万全な容姿で、滑り止めの軍手をして、
鋸(のこぎり)右手に持ちながら、伸びた枝葉を切り落としていた・・。

『少し早いじゃないの・・あと45分過ぎたら、駆け付けるょ』
と私は家内に言ったりした。

そして私は洗面して、朝食を食べた後、トイレに寄って、
ストレッチパンズの長ズボン、着古したスポーツシャツ、
ウォーキング・シューズ、帽子、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにして、
庭先に降り立った・・。

そして剪定された枝葉が散乱している小庭の中にいる家内に、
『何時から・・試合開始にしたの・・』
と遅れてしまった私は、家内に微苦笑しながら言ったりした。

『5時少し前からょ・・陽射しが燦燦と照らす前にしたいのょ・・』
と家内は私に言ったりした。

          

この後、私は切れ味抜群の鋸(のこぎり)右手に持ちながら、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としはじめた。

家内も鋸(のこぎり)右手に持ちながら、伸びた枝葉を切り落としたり、
或いは剪定鋏(バサミ)を器用に使ったりしていた。

私は75歳となり、家内は誕生日を迎えると70歳となり、高齢者夫婦に該当するが、
それぞれ奮戦すれば2馬力だよなぁ、と私は微苦笑したりした。

                   

やがて小庭にあるアカネモチ、ツバキ、モミジ、キンモクセイなどを剪定したりした。
            
しかしながら私は無念ながら体力の衰え、30分毎に簡易椅子に座り、用意した煎茶を飲み、
5分ぐらい休息としたりした。

こうした時、一昨年まではタバコを喫ったりしたが、
昨年の新年早々、断腸の思いで、タバコにさよならをしてきたが、
何かしら手持ち無沙汰で、やむなくガムをかんだりした。

そして40代の頃は、55分ぐらい剪定したり、草むしりをして、
5分ぐらい休憩で奮戦していたよなぁ、と思い浮かべて、
あの当時は体力があったなぁ・・と私は微苦笑をしたりした。

やがて私たちは3時間ぐらい樹木の剪定をした後、剪定は中断して、
散乱している枝葉を大きなビニール袋に入れ、
袋に破れないように入れる為、私たちは枝葉を適度に剪定鋏(バサミ)で切ったりした。

確か昨年の4月頃までは、市から指定されている『燃えるゴミ袋』のLLサイズ
(45リットル入り、有料・10袋入り、840円)に入れる条例であったが、
ごく普通のビニール袋に改定され、無料で回収されることとなったりしている。

この後、家内は剪定が終わっていない樹に、枝葉を切り落とし始めたが、
『XXちゃんさぁ・・疲れたから・・やめない?・・』
と私の方から家内に提案したりしたのは、午前10時過ぎであった。

           
       

そして昨日の夕食の中、明日は曇り空の一日みたいですから、
小庭の手入れをしませんか、と私は誘われたりした・

家内は陽射しが燦燦と照らすのは、樹木の剪定には眩(まぶ)しすぎて苦手であり、
曇り空は最良であったりした。

本日、予定通り私は5時に目覚めたりした。
そして家内が横で寝ていないので、何かと早朝型の家内は、
早くも手入れを始めたのかしら、と思いながら玄関の軒下に家内は居た・・。

そして剪定された枝葉が付近に散乱している近くにいる家内に、
『何時から・・試合開始にしたの・・』
と遅れてしまった私は、家内に微苦笑しながら言ったりした。

『5時少し前からょ・・』
と家内は私に微笑みながら私に言ったりした。

そして私は洗面して、朝食を食べながら、テレビで地元の天気情報を視聴したりした・・。
朝6時は19度前後、昼下がり20度前後、夕方の6時は20度前後で、
曇りで所により一時霧雨、と報じられていた。

私は気温は殆ど変わらなく、横一線の曇り日かょ・・と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。。

          

やがて私は6時少し前、庭先に降り立ち、
タオルを姉さん被(かぶ)りをしている家内と合流して、
お互いに鋸(のこぎり)右手に持ちながら、伸びた枝葉を切り落としていた・・。

やがて2時間が過ぎた頃、霧雨が降り出して、
『ところにより一時・・霧雨・・と報じていたが・・
少し早いじゃないの・・』と私は家内に言ったりして苦笑したりした。

そして霧雨を降ったり、やんだりする中、一時間か過ぎた頃、
『XXちゃんさぁ・・疲れたから・・やめない?・・』
と私の方から家内に提案したりしたのは、午前10時半過ぎであった。

今回も早朝型の家内に私は鼓舞されても、私は疲れを感じ、霧雨にしっとりと触れ、
儚(はかな)くも断念してしまった・・。

          

そして家内は朝5時少し前より、私は家内の奮闘に鼓舞されて、6時少し前より奮戦したが、
今こうして投稿文を綴っているが、けだるさを感じて、やはり齢だよなぁ・・
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

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買物メール老ボーイの私、初夏のような暑さの中を歩き、やがて疲れ果てて・・。

2020-05-17 16:34:51 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒家に住み、 ささやかに過ごしている。

過ぎし2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてる。  
 
こうした中、人出の多い駅前のスーパーで買い物をする時はもとより、
人出の少ない処を散策する時でも、やむえなくマスクをしているが、
いつになったら感染が終息化するのかょ・・と戸惑ったして、過ごしている・・。

          

こうした中、私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物は、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

本日は、我が家のより片道7分ぐらい歩いたスーパー、
そして帰宅後、最寄り駅の近くにある片道15分ばかり歩いたスーパーであった。

本日も初夏のような暑さの28度前後が予測されていたので、
今年初めての半袖のスポーツシャツ、長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、
サングラスを掛け、そして苦手なマスクをして、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けをしたりした。

やがて陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると
熱いじゃないの・・と思ったりして、
我が家のより片道7分ぐらい歩いたスーパーの買い物を終えたりした。

          

この後、家の洗面所で顔を洗った後、
最寄り駅の近くにある片道15分ばかり歩いたスーパーに向かった。

相変わらず陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりする途中、
コンビニに寄り、冷たいペットボドルの煎茶を買い求めて、
水分補給ねぇ・・と心の中で呟(つぶや)きながら、喉をうるほした・・。

やがて最寄り駅の近くにあるスーパーで買い求めたレジ袋を下げて帰宅後、
汗ばんだ服を脱ぎ、顔を洗った後、夏の半袖シャツに着替えたりした。

そして扇風機の微風に身を寄せたりした・・。


          

この後、家内と共に昼食をした後、本日の投稿文を思案していた時、
眠くなったりした。

そして私は自分に甘えて、昼寝をします、と私は家内に言ったりした後、
やがて布団にもぐり、近くの扇風機の微風を心地よく感じて、眠ってしまった。

一時間ぐらい眠り、ぼんやりと目覚めた後、
やはり初夏のような暑さの中を歩き、疲れ感じ、
齢をとったよなぁ・・と微苦笑したりした。

この後、今年に限り、新型コロナウイルスの感染拡大の防止に伴い、
マイク着用が国民のエチケットとなっているので、
本日も初夏のような暑さの中を歩くと、口元はもとより、顔全体暑苦しいし、
疲れを増したのかなぁ・・微苦笑をしたりした。

この後、ブログの投稿文、原則として一日一通を投稿した来たので、
本日は・・とぼんやりと思案して、やがて起きだして、
洗面した後、こうしてパソコンに向かって、書き始めている・・。

コメント (4)
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