夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

世界で一番恥知らずの人は・・!?

2009-01-31 09:03:42 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外に住む年金生活の無力な身であるが、
昨年の秋、投資派生経済の根幹のアメリカ経営責任者の多くは、
破綻させたあげく、ご自分たちは膨大に報酬を受け取り、
その上、公的資金を注入させたりしたニュースを視聴した。

私はこうしたニュースを視聴するたびに、憤りを感じていた。
余りにも無責任の上、世界中に経済の衰退をさせた波紋元の上、
アメリカ国民を無視したかのように、ご自分だけ信じられない程、
身勝手に優遇したのである。

私は最初は心の節度を失くした人々と思ったりしていたが、
アメリカはもとよりヨーロッパ、アジア等に深刻な経済悪化をもたらした張本人は、
世界で一番恥知らずの人たちと確信したひとりである。

私はこのような思いで、新年を迎えたのである。


私は昨夜、テレビのニュースを視聴したり、
【YOMIURI ONLILE】を読んだりしていて、
アメリカの最高権力者である新大統領が、この大きな問題に公言され、
私のわだかまりが少しは解消されたのである。

【 オバマ大統領「恥ずべき」、金融トップの巨額ボーナスに 】

という見出しである。

無断であるが、【YOMIURI ONLILE】の記事を転載させて頂く。

【・・
【ワシントン=岡田章裕】
「無責任の極みで、恥ずべきことだ」。
オバマ米大統領は29日、公的資金を注入された金融機関の経営者らが
巨額のボーナスを受け取っていたことを厳しく批判した。

ガイトナー財務長官らと経済問題への対応を協議した後、記者団に述べた。

米紙ニューヨーク・タイムズは29日、
金融機関のトップらが08年に受け取ったボーナスは、
合計約184億ドル(約1・6兆円)と推計され、過去6番目の高さだったと報じた。

オバマ大統領はこれを受け、
「金融機関は崩壊の瀬戸際で、納税者に助けを求めた。
自制心、規律、責任感を求めたい」と述べた。

さらに、「金融機関が高い収益を上げるには時間がかかる。
経営者らがボーナスを受け取れるのにも時間が必要だ」と述べ、
今後、経営者らの報酬制限を行う考えを示した。

(2009年1月30日10時38分 読売新聞)
・・】

注)記事の原文より、あえて改行を多くした。


このニュースを私は読みながら、
やっとアメリカの最高権力者である新大統領が公言されたか、
と少しは安堵しながら、果たして具体的な今後の施策は・・
と無力ながら深夜考えさせられたのである。



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我家の年金生活で、私なりの家内への対応は・・♪

2009-01-30 17:06:07 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生であり、
少し体力の衰えた64歳の身である。

私達は子供に恵まれなかったので、家内と2人だけの家庭で、
古惚けた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして、共通の趣味は、国内旅行なので、
ときおり日本の各地を旅行したりしている。

私は大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした後、
遅ればせながら25歳で民間会社に中途入社したので、
団塊世代の新卒の方たちと数年は机を並べることが多かったので、
自然と友人となったりした。

昨今、彼らも無事に定年退職を迎えた方もいたりし、
喫茶店、懇親会、そして二次会などで、
退職後のまもなくして、戸惑った日常生活を過ごされている方がいたりすると、
私はおしゃべりなタイプであるので、余計なお節介と知りながら、
年金生活で自身の自由な時間が欲しかったならば、
ともかく今までの現役時代と変貌させた態度で奥様に望む必要がある、
とさりげなく笑いながら云ったりしている。


具体的な内容については、このサイトで、
【 定年後、この世で最も恐い本・・♪ 】
と題して、2007年1月31日に投稿しているので、再掲載をする。

【・・
今朝の読売新聞の新刊本の広告を見て、私は微笑んでいたが、
よく中味を見てると、定年直後の男性人達にとっては、この世で最も恐い本のひとつと思っている。

小川有里・著の『定年オヤジのしつけ方』(講談社 定価1470円)の広告記事である。

ああ、うっとうしい! 毎日家にいる夫。

家庭内2007年問題を解決する痛快エッセイ!

「定年迷子」を
      かかえた妻たちよ。
           今立ち上がれ!


【定年オヤジの特徴!】

①テレビがお友達

②お昼は作ってくれるものと思っている

③毎日、ごろごろ居間にいる


このように綴られて折、私は著作者に関しては無知であるが、
定年後の迷子のような心が定まらない男性を正鵠に把握していると思い、
微笑んだり、苦笑したりしている。

私の多少知っている定年後の先輩の中の一部の方がいた。
『定年退職後・・何をしていいか・・分からなんだょ・・』
その方の歓送会の帰路、私に云われた事があったりした。

私は現役の55歳の時、社内はリストラの第二波が行われ、
早期退職優遇制度と称され書類に捺印し退職された人達、
大幅に社内の人事異動で配置転換になった人達、
私のように出向になった人達・・

こうした激動期の時、私達夫婦は人生設計を改めて話し合った・・。
60歳を過ぎてから、どのような生活をしたいのか、
これと同時に我家の資金のことも話し合った。

この結果、私は定年退職後、自分の趣味を生きがいとし、退職後の三年生とをなっている。

この本に明示されている「定年迷子」のような男性は、
ご自分にふさわしい生きがいを見つけることに限る。


そして、何より長年に寝食を共にした愛妻に対して、思いやり、
その上にともかく一日にひと言、誉(ほ)める。

『今日・・一段と・・きれいだょ・・』

『えぇ! こうしたことも出来るんだ・・凄いね・・』

『今日の・・この料理・・特に美味しいよ・・』


デパート、美容院、友達と会いに出かける時は、

『せっかくだから・・ゆっくり・・昼食は(冷凍の)チャーハンでも食べるから・・
たまにだから・・ゆっくりね・・』


そして帰宅した時、デパートで買物した場合、
『この服・・よく似合うょ・・』


美容院から戻った時、
『その髪型・・お似合いだょ・・』

ともかく私は、女性に対しては誉める。
古今東西の歴史に於いても、特に女性は誉められて嫌だわ、と感じる人でも、
表面は照れながらも、心の中は嬉しいのが圧倒的に多いのである。

サラリーマンの数多くは、長年にわたり、人間関係で揉(も)まれ、鍛(き)たい上げられたので、
簡単なことと私は思っている。

そして一日、一回は外出し、愛妻の自由な時間を作ることである。
現役時代の時は、多くの方達は多忙な会社人間であって、
日中の家庭では妻のペースで長年過ごしてきている。
このペースを出来る限り、乱さないのが秘訣と思っている。

具体的には、日常生活として洗濯、掃除、料理など最低限あるので、
その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは天敵と思っている。

私はお調子ものだから、茶坊主に徹し、
朝は家内より早めに起き出して、家内用のコーヒーと牛乳をそれぞれのマグカップに淹れて、
家内の枕元に置いたりしている。

そして、日中は買物の担当を引き受け、その前後、散策などをしている。

こんな他愛ない生活を私は過ごしている。

・・】


このようなことを私は2年前に投稿したりしているが、
昨今でも買物をした後、ときおり、
『貴方・・この品・・いつもののメーカーと違うわ・・ボケチンねぇ』
と私は家内から云われたりしている。

私は明るく大きな声で、
『本当・・これから気を付けるょ・・』
と家内に詫びたりしている。



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私の昨夜の夢は、碩学の方から叱咤され・・♪

2009-01-30 09:52:26 | 定年後の思い
私の住む東京郊外の調布市は、小雨の降る朝となっている。

今朝方、地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時過ぎは6度、日中は10度前後となり、
夜の6時過ぎは9度前後、と予測されて、
明日の深夜まで降り続く、報じられていた。

私は久々の2日間の雨と知り、何かしら暖かな雨と感じ、
早春の雨、と思いながら微笑んだりした。

このような思いで、主庭のテラスの隅で、
煙草を喫いながら、小雨の降りしきる中の白梅の3分咲きの花、
純白の花の白玉椿、そして日本水仙の膨らんだ莟(つぼみ)を眺めたりしていた。

この時、どうしたわけか解からないが、昨夜の夢が思いだされたのである。


何かしら80代の細身の男性から、
『君ねぇ・・お前さん、最近、生意気なことを書いたんだって・・』
と私は云われたのである。

『・・』
私は思いあたることがなかったので、返事のしようがなかったのである。

ご高齢の方は、国文の上代文学専攻した大学教授を長年されて、
隠居された碩学であり、私の近くに住まわれている人である。

『お前さん・・何か奈良の名所めぐりについて・・
《少なくとも市内を中心に50日以上は宿泊し、各地の名所を訪ねる旅路となるのである。》
と書いたと友人から連絡があったよ・・』
と云われて、私はやっと思い当たったのである。


私はブログ系のサイトに、
【 私の夢のかけらの奈良大和路の旅は・・♪ 】
と題して、昨日に投稿していたのである。

【・・
過日、家内が、一度は奈良の『若草山 山焼き』を観たいわ、
と要望したので、私としては50年ぶりに、
家内と共に奈良に1泊2日のある旅行会社の企画された団体観光ツアーで訪れたのである。

わずか『西大寺』、『若草山 山焼き』、『長谷寺』、『室生寺』と観た限りであり、
こうした私の思いは、このサイトに、
【 冬の大和路、短かな旅は夢幻と現(うつつ)のなか。 【2009.1.24. ~ 1.25】 】と題して、
6回に及び、投稿している。

私は日中のひととき、ぼんやりと奈良大和路を思い馳せると、
やはり奈良大和路は、一日に一ヶ所の名所を訪れるのが、理想と思ったりした・・。
私は歴史と文化が好きであり、日本の場合は奈良時代から現世までは、
魅了させられている。


奈良市内の近くの名所であれば、必ず徒歩で訪ねて、鑑賞する。
過ぎ去った歴史のかなたの人々の営みが、視(み)えなくなるからである。
そして、『東大寺』、『興福寺』、『薬師寺』、『唐招提寺』、『秋篠寺』などを観て、
ひたすら歩くのである。

郊外であれば、やむえず自転車に乗り、大和路の道を走ったり、止まったりしながら、
『法隆寺』、『慈光院』、『長谷寺』、『室生寺』などを鑑賞し、古人に思いを馳せる・・。

このような思いになると、少なくとも市内を中心に50日以上は宿泊し、
各地の名所を訪ねる旅路となるのである。

・・】

このようなことを投稿していたのである。



私は大学時代より国文学を専攻され、上代文学の飛鳥・奈良時代にお詳しい人の前では、
返す言葉がなくて、
『・・あのように大和をめぐれたら・・夢の話ですよ・・』
と私は云うのが、精一杯であった。

私はこの碩学者が、かって1週間ぐらい日程、
たびたび御独りでとか、学生を引率して大和路をめぐっていた、
と近所の方たちの風の噂で聞いたりしていた。

そして私はこうした方に、しばらくの間、うなだれたのである。



このような夢のひとときであった。

私は東京の郊外で農家の子として生を受け、
何の確固たる根拠もなく、自己格闘しながら、
拙(つたな)い感性と感覚を頼りに、のような随筆らしき散文を綴っているので、
小雨降る中の樹木を眺め、苦笑している。



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年金小父さん、ここ数年の歌で魅了された曲は・・♪

2009-01-29 16:45:51 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であり、
少しボケて体力の衰えた64歳である。

私は殆ど毎日、買物・散策をしたりしている。
こうした日常生活の中ではやはり読書の時間が多いが、
綴ることが好きで、ブログ系のサイトなどに投稿したりしている。
そして、ときたま居間でビデオ、DVDの映画作品を鑑賞したり、
CD、DVDで音楽を聴いたりしたいる。

私の現役時代は、たまたまレコード会社に勤め、
制作に直接係わる部門でなかったが、管理部門の各部を体験してきたので、
それなりにカセット、CD、DVDをある程度は保有している。

定年退職後の年金生活になると、
その日の心情により、適当に聴いたりしているが、
オペラとジャズは苦手であり、これ以外の分野は何でも聴いたりしているが、
やはり中島みゆき、井上陽水、X JAPAN、ミーシャなどは、
現役時代から引き続いて多く聴いたりしている・・。

そして、年金生活になると、読書が最優先となり、投稿文を綴ったりしているので、
音楽の興味は薄れているが、年金生活で初めて知り、私なりに夢中になり、
少なくとも百回以上聴いたアーティトがいる。

『絢香』ちゃん、『コブクロ』、そして『いきものがかり』の吉岡聖恵ちゃんの歌声に魅了されたのである。

私は魅了された方には、小説・随筆などの作者への思いと同様に、
物狂いのように夢中に熱愛するので、
この時の熱き思いを数多く投稿しているので、あえて再掲載をする。


絢香ちゃんに関しては、
【 秘かに、絢香という歌手に魅了・・・♪ 】
と題して、2006年11月5日に投稿している。

【・・
この三ヶ月、ラジオなどで絢香という歌手の歌声に魅了されている。

私は定年退職後の年金生活をし、歳を重ねた62歳の身である。

私は日頃から音楽も好きであるが、ここ5、6年は若手の音楽には興味を薄れている。

平成9年の秋、小柳ゆきの『あなたのキスを数えましょう』を偶然にテレビで観た時は、
仰天し、それ以来『愛情』、『be alive』を初めとするCD、DVDなどライブ盤を含め、
熱愛ファンの期間が2年ほど続いた。

その後は、元 ちとせ、平原綾香には少し感心したが、魅了されるところまで心が響かなかった。

先程、ヤフーの無料動画で、絢香(ayaka)の『I believe』、『Real voice』、『三日月』の三曲を視聴したが、
歌詞と歌声に改めて魅せられている。

何が好いかといわれても、男女の間の恋しさと同様に、感覚、そして感性の問題である。

62歳の歳を重ねた身であるが、
ブームなどという浮ついた時代を超える名曲のひとつ『三日月』を
改めて毎晩視聴するつもりだ。

尚、余計なことであるが、私が勤めいていたレコード会社とは、
上記の4名の歌手はすべて他社であり、少しため息をついている事も事実である。

・・】


この後も、2007月1月1日に於いて、
【 私の注目している絢香(あやか)ちゃんの言葉・・♪ 】
と題して、投稿している。

【・・
以前にも数回このサイトで私は、
『三日月』などを唄っている絢香というシンガー・ソングライターに魅了されている、
と綴っている。

昨夜、NHKの『紅白歌合戦』に絢香ちゃんが出演される頃に、
テレビを視聴した。

中央のせりの高い舞台から登場され、
唄いながら下りてきて、中央の前方の位置に定めた時、
安堵したかのような表情を浮かべ、伸びやかな声質を増した。

やはり実力のある新人女性であるが、旬の勢いが感じられたりした。

このように好感して、元旦を迎えた。


読売新聞の元旦では、通常版として第一部があって、
第二部としてテレビ番組、芸能関係の特集で20ページで構成されていた。

この16ページ目に於いて、絢香ちゃんの全面の広告となっている。
メッセージが綴られて折、自筆の字が大きく躍(おど)っている・・。

ひとりのアーティストで全面記事は、旬を感じさせる場合は、
よく利用される広告形式であるが、
私はアーティスト自身のメッセージの言葉、
何より自筆であるので絶賛している。

退職後の3年生の身であるが、
齢を重ねた私さえ、絢香ちゃんの感性と感覚、そして声質に魅了されている。


無断であるが、このメッセージを転記させて頂きます。


【 もっと笑顔が咲きますように。

Peace loving people。

デビューしてこの一年。いろいろな出会いがありました。
『人は一人では生きていけない』と強く感じる、
大きな出会いが幾つもありました。

”出会いに感謝”この言葉は言っても言い切れない。忘れちゃいけないこと。
その出会いを大切に、心からの声で歌えば、届く。つながる。
すごいパワーが生まれる。

私は今、大好きな歌の力をもっと信じてみたいと思っています。
辛くても、寂しくても、大切な人達とは、しっかりつながっています。
とても幸せなこと。

遠い国では、何の罪もない子供達が傷つけられたり、
憎しみあって争ったりしている現実。
丸い地球に住む、人を好きになる、みんな同じ人間です。
その現実を知る度に、涙を流すことしかできなかった。
何もできない自分がもどかしかった。

私には歌うことしかできません。
願って、歌って・・。そこから始まる気がする。
『Peace loving people』平和を愛する人の輪が、
どんどん広がりますように・・。
笑顔の花が、いっぱい咲きますように・・。

2007年も、私は歌を歌います。愛する人達の幸せのために。

          絢香 2007.1.1


以上、無断であるが、転記させて頂き、改行を多くしました。


絢香ちゃんは17歳前後の女性であるが、
この世代の歌詞、そして文章の綴りは私は久しく接していないが、
やはり私が魅了されたお方に相応しく、しっかりとご自分の言葉で表現されている。

私は絢香ちゃんを最初に聴いた時は、
感性として五輪真弓・女史の『少女』を思い浮かべたが、
中島みゆき・女史の初期の頃の路線の感覚かしら、と思ったりしている。

時代こそ、社会背景などで大きく差異があるが、
才気ある若き女性の登場に喜んでいるひとりである。

・・】


この後も、2008年5月9日に於いて、
【  私の最近の心に寄せる歌・・♪  】
と題して、投稿していた。

【・・
昨年の9月頃からは、
若き女性の『三日月』などを唄っている絢香(あやか)ちゃんに魅せられ、
百回以上は聴いている・・。

この方については、昨年の秋頃からこのサイトでたびたび綴っているので、
省略する。

正月を過ぎた頃、遅ればせながら『千の風になって』を聴きこんでいる・・。
そして秋川雅史さんの歌声に魅了されている。

このことに関しても、以前このサイトで綴っているので、省略する。

過日、NHKで『千の風になって』の特集番組で作詞・作曲された新井 満さんの歌を視聴し、
更に心が揺さぶられるように魅了されたりしている。
そして、涙ぐんだりしている・・。

定年退職後の3年生は、こうした2つの名曲に心を寄せ、過ごしている。

今日の日中、買物を最寄のスーパーでしていた時、
店内から『三日月』が流れてきた・・。

私は買物の品定めの手を休め、
『絢香(あやか)ちゃんだ・・』
と呟(つぶや)いたりしている。

・・】



コブクロに関しても、数多く綴っているが、
この中のひとつとして、2007年11月18日に於いて、
【 コブクロの『赤い糸』、感銘を受けたひとりとして 】
と題して、投稿している。

【・・
私は定年退職後の年金生活の4年生の身であるが、
ときおり音楽を聴いたりするのが好きである。

私は現役時代は音楽関係の会社に勤めていたが、
制作畑でなく管理畑であったので、制作関連には全くの素人であり、
ただ私なりの感覚的好きな曲は数多くある。

私は齢を重ねたせいか、2000年以降からは、
正直な云えば素直に聴いて、感銘を受けた曲は少ないのである。
《小柳ゆき》には熱愛した時期、昨年は《絢香》の『三日月』には魅了されたりした。
《元 ちとせ》、《平原綾香》には感心はしたが、感銘まではしなかったのである。

退職後の音楽情報は、現役時代と同様にオリコン、日本レコード協会のサイトより、
最新のヒット状況は判っているつもりであるが、
実際、アーティストと歌が一致していなく、第一に歌声も聴いたりしていないことが多いのである。

一年に数度ぐらいは、テレビで放映される音楽の番組を視聴するが、
私の日常生活の音楽は、私の音楽棚からCD、DVDから取り出して視聴しているが、
圧倒的に2000年以前の作品である。

この程度の素人の身であるが、一昨日の夜に、
NHKでプレミアム10『恋うた2007 autumn&winter』という番組を視聴した。

ときには、最近の若い方たちが、どのような音楽に魅了されているか、
テレビ放映であるので具体性があり、視聴した次第である。


徳永英明》、《ユーミン》は、同時性で聴いていたので、論外であるが、
ただ《徳永英明》の『まちぶせ』、『恋におちて~Fall in Love』は、
彼の特有の声質で、女性歌手が唄われた過去の名作に改めて魅了された。

《中島美嘉》の『STARS』、『WILL』、『雪の華』、
《BoA》の『メリクリ』、
《大塚 愛》の『恋愛写真』、
これらは私の苦手であり、どうでもよい、と世代の差を感じるのである。

《Mr.Chidren》に関しては、
私の現役時代から音楽市場を制覇ひとりとして判っているが、
《レミオロメン》はデビュー当時の方が良かったかしら、
と感じたりしていたのであった。

《コブクロ》に関しては、
ミリオン・セラーを獲得している最近では数少ない人達であることは、
サイト等で知っていたが、歌そのものをじっくりと聴いたことがなかったのである。

『赤い糸』は初めて聴く歌であったが、
恋情を真摯に綴られた作詞で、何より独創性がありながら余情があり、
文学性にあふれ昇華された作品である。

遠い昔、シャンソンの分野では、
こうした作風は何気ない情景、情感があったような感じを思い出したりし、
現世の時代に独創ある上で発露させた彼等に私は絶賛する。

彼等のコメントに寄れば、
結成まもない9年前に路上、その後のライブで唄い、
好きな歌のひとつです、と語っていた。

作詞、作曲、そして歌声に久々に歌の世界から感銘を受けたのである。

そして、彼らが無名の時、自分達を信じて、夜の路上で唄った時の心情を思い、
私なりに胸が熱くなった・・。

『赤い糸』は、私なりに63歳の身でありながら、
残された歳月に数少ない心に沁みた名曲と確信したりしている。

尚、この後『蕾(つぼみ)』は、今年発表された曲であるが、
私の今年度の最も好きな曲である。

余談であるが、コブクロに関しては、
私が勤めていたレコード会社とは、残念ながら他社のアーティストである。

・・】




『いきものがかり』の吉岡聖恵ちゃんに関しても数多く綴っている中で、
【 心の中で、『帰りたくなったよ』を唄い・・♪ 】
と題して、2008年6月29日に投稿している。

【・・
東京の郊外は、小雨の降る朝であり、
日中も雨の降り、明日の早朝まで降りしきる・・。
そして朝、昼、そして夕方も20度前後という変わった状況なので、
少し肌寒いかしら、と暑さに苦手な私は微笑している。

玄関庭で、小雨の降る空を見つめたり、
樹木の枝葉がしっとりと濡れている情景を眺めていると、
私の心は深夜に視聴した『いきものがかり ライブ』が甦(よみがえ)ってきた・・。


昨夜、NHK総合を視聴していたら、
BS2の11時より、『いきものがかり ライブ』の予告スポットを偶然見て、
深夜を1時間半の番組を視聴したのである。

私は彼等のグループ『いきものがかり』と女性ボーカルの吉岡聖恵の歌声に魅了された、
と5度前後このサイトに投稿している。


私は5月の中旬に富山市の呉羽山に温泉滞在旅行に行く途中で、
高速道路にあるサービス・エリアのスピーカーから、
徳永英明の歌に続いて、未知の歌声が流れてきたのである。
のびのびとした爽(さわ)やかな歌声に瞬時に魅了されたのである・・。


♪帰りたくなったよ 君が待つ街へ
 大きく手を振ってくれたら 何度でも振り返すから

【『帰りたくなったよ』 作詞・水野良樹 】


偶然に彼等を知り、たまたまその歌声に魅了され、
後日、水野良樹と山下穂尊、そして同級生の妹・吉岡聖恵によるスリーピース・バンドで、
『いきものがかり』というバンド名で、
『帰りたくなったよ』という曲を知ったのである。


私はその後『花は桜 君は美し』、『SAKURA』、『うるわしきひと』等も知り、
ときおり聴いたりしている。


私は齢を重ねた63歳の年金生活の身であるが、
『・・ライブ』を視聴した後は、少し昂奮し、余韻にしたりながら、
ネットで彼等のサイトを見つけて、1時間ばかり見ていたりした。

http://www.ikimonogakari.com/

そして彼等の全貌が少し解かり、
深夜の2時過ぎに布団にもぐったのである。


今朝、ぼんやりと玄関庭の軒下で煙草を喫っていたら、
心の中で、彼等のライブの表情が甦(よみがえ)り、
そして『帰りたくなったよ』のメロディーが流れてきたのである。

そして私の心の中で、


♪帰りたくなったよ 君が待つ街へ
 大きく手を振ってくれたら 何度でも振り返すから

【『帰りたくなったよ』 作詞・水野良樹 】


唄いだしたのである・・。


そして、彼らが無名時代に夢に向かって路上ライブを長年した後、
メジャー・デビューして3年過ぎ、各地のライブ・コンサートは賞賛を受けている、
と『・・ライブ』で改めて知ったのである。


私は偶然に、遅ればせながら彼等の音楽を知り得たのであるが、
すれ違うことの多い人生の中で、
秘かに63歳の身を夢中にさせてくれたことに感謝をしている。
・・】



このように綴っているが、偶然に聴いた中で、拙(つたな)い感性なりに
綴ったのであった。
私は熱愛した期間が過ぎると、平常心の平熱となるが、
日中のひととき、買物でスーパーの店内を歩いていた時、
コブクロの『赤い糸』が流れていたので、思わず聴き惚れてしまうのである。

尚、私なりの音楽の思いは、このサイトのカテゴリの『音楽』に於いて、
200通ばかり投稿しているので、お読み頂いた上、ご笑話願えれば幸いと思ったりしている。



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私の夢のかけらの奈良大和路の旅は・・♪

2009-01-29 08:27:39 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であり、
少しボケて体力の衰えた64歳である。

過日、家内が、一度は奈良の『若草山 山焼き』を観たいわ、
と要望したので、私としては50年ぶりに、
家内と共に奈良に1泊2日のある旅行会社の企画された団体観光ツアーで訪れたのである。

わずか『西大寺』、『若草山 山焼き』、『長谷寺』、『室生寺』と観た限りであり、
こうした私の思いは、このサイトに、
【 冬の大和路、短かな旅は夢幻と現(うつつ)のなか。 【2009.1.24. ~ 1.25】 】と題して、
6回に及び、投稿している。

私は日中のひととき、ぼんやりと奈良大和路を思い馳せると、
やはり奈良大和路は、一日に一ヶ所の名所を訪れるのが、理想と思ったりした・・。
私は歴史と文化が好きであり、日本の場合は奈良時代から現世までは、
魅了させられている。


奈良市内の近くの名所であれば、必ず徒歩で訪ねて、鑑賞する。
過ぎ去った歴史のかなたの人々の営みが、視(み)えなくなるからである。
そして、『東大寺』、『興福寺』、『薬師寺』、『唐招提寺』、『秋篠寺』などを観て、
ひたすら歩くのである。

郊外であれば、やむえず自転車に乗り、大和路の道を走ったり、止まったりしながら、
『法隆寺』、『慈光院』、『長谷寺』、『室生寺』などを鑑賞し、古人に思いを馳せる・・。

このような思いになると、少なくとも市内を中心に50日以上は宿泊し、
各地の名所を訪ねる旅路となるのである。


このようなことを家内に話したら、
『それは・・貴方の夢でしょう・・
私達の旅行は奈良でしたら、3泊4日程度で観光バスで周遊するのが、
現実的ですわ・・』
と家内は私に微笑みながら云った。

私は光明正信、塚本珪一・共著の『カラー版 奈良の散歩みち』(山と渓谷社)の
本を思い浮かべながら、
『僕達の年金生活だったら・・残念ながら・・そうだよねぇ・・』
と私は苦笑しながら、家内に云ったりした。

尚、光明正信、塚本珪一・共著の『カラー版 奈良の散歩みち』は、
昭和58年(1983年)の初夏の頃に、
私は本屋で偶然に見かけて、購入した美麗な本である。
この頃は、奈良にあこがれ夢中になっていた頃で、思い出の一冊でもある。



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冬の大和路、短かな旅は夢幻と現(うつつ)のなか。 【2009.1.24. ~ 1.25】 最終

2009-01-28 09:11:49 | 
    最終章  旅の終わりは、同行グループのご夫婦と談笑し・・。


今回の短か奈良の旅も名古屋駅で、東京駅行きの新幹線の『こだま』に乗車する為、
駅の構内で時間調整をしていた。
団体観光ツアーだったので、所定の集合場所と時間を決められていたが、
早めに所定の場所に私達夫婦は行った。

私達が参加した今回のツアーは40数名で、何かしらキャンセル待ちの人々がいた、
と聞いたりした折、旅行会社の企画としては成功部類かしら、
と私は微笑んだりしていた。

このような思いでいたら、家内は私達と同じツアーのご夫婦と談笑していた。
私は今回の団体観光ツアーの人たちとは、
観光バスで休息地、観光先、ホテルのチェック・アウト後のひとときなどで、
同行グループとは余り会話をすることがなかったことに改めて気付き、
異例のことでもあった。

家内とご夫婦の方と、以前に旅行した思い出話をしていたが、
奥様が私の方を見て、微笑みながら、
『ご主人さま・・あなた方を見ていて・・羨ましいわ
だって・・ご主人は奥様のことを・・XXちゃん・・とお名前を呼ばれるんですもの・・
最初・・聴こえた時は・・びっくりしたわよ・・』
と云われたのである。

『・・婚約する前から・・呼んでいましたので・・』
と私は少し戸惑い、そして照れながら云ったりしたのである。

この後、私は主人と旅のこぼれ話を談笑したのである。

私より5歳ぐらい齢上の方の主人であったが、
私達夫婦は40代の頃から、団体観光ツアーに参加した折、
ご夫婦の方たちのしぐさ、言葉、そして会話をしたりし、
人生の教科書として、多くを学んだりしてきた。
そして、私達もあのように60,70代を迎えたいね、
と私は家内の話したりしてきたのである。


東京駅から自宅に着くまで、1時間で有ったので、
日曜日のせいか10分早かったね、と私は家内に云いながら、
門扉を開けた。
そして玄関までの薄暗い中、石段を上がる途中、
玄関庭の白梅が5輪ばかり咲き、私達を出迎えてくれた。


                             (終わり)


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冬の大和路、短かな旅は夢幻と現(うつつ)のなか。 【2009.1.24. ~ 1.25】 ④

2009-01-27 17:41:19 | 
    第四章  秘かに私は恋していた『室生寺』は・・。


観光バスが『室生寺』の近くづくと、周辺の山なみはなだらか状景から鋭角な風景に変貌した。

『室生寺』を参拝する前に、昼食として『山菜料理』を頂くことになって折、
私達は『橋本屋旅館』に入った。

http://www.jtb.co.jp/kokunai/Sight.aspx?bookid=A3903180&categorytype=4

2階の大広間の私の座った処からは、
『室生寺』の門前に架けられた太鼓橋と称された朱色の橋が観え、
そして、室生川は清冽な水が流れ、山里の情景であった。


http://www.mapple.net/spots/G02900020703.htm

サイトの解説に明記されているとおり、
ワラビ、タラの芽、ゼンマイ、ウドなど室生で採れた山菜が小鉢に盛られ、
山菜づくしの料理であり、
素朴な食材を丁重に味付けをしていたので、何よりの私好みの料理であった。


この後、私達は初めて訪れる『室生寺』の大きな仁王門を通り、
鎧坂の自然石の石段を登り上がると、忽然と金堂が観えたのである。

http://www.murouji.or.jp/



私は無念ながら仏像を視(み)る素養がないので、
少しばかり見たりした後,
本堂を通り過ぎ、石段を昇ると、杉木立の中に、五重塔があった。

大きな杉木立の中、森厳につつまれ、優美で気品を秘めた姿であった。
しばらく私は見惚(みと)れて、ため息をした・・。
私は20代のなかばより、いつの日にか、この方にお逢いしたい、
と片思いを続けてきた男のひとりであった。

そして、まぎれない美を目の前にすると、
私は心が高まり、少し照れながら、塔の全貌を眺めたりしたのである。


この後は、奥の院に向う歩道は、
樹齢何百年か定かでないが、杉の巨木が山の斜面に限りないほどあり、
その間の空間からは前方の山なみが観え、広大な一幅の絵となり、
圧倒的な存在の光景となり、確固たる森厳の中、
山林仏教を求道した古人の僧侶たちの思いが、少し解かったような思いとなったのである。


帰路、お守りなどを販売している所で、
一冊の本に目が止まり、買い求めたのである。
『女人高野 室生寺』と題された美麗な本で、表紙には五重塔であり、
《 国宝 室生寺五重塔  落慶記念 》と帯に明記されていた。

私は2500円と見本品の隅に書かれていたが、
この『女人高野 室生寺』の本は、どこにも定価は印刷されておらず、
私が高校時代より数多くの本を買い求めてきたが、初めての経験であり、
私は微笑しながら、昔の女子学生のような大切に本を抱(かか)えながら、
観光バスの駐車している集合場所に向ったのである。


                            (つづく)



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冬の大和路、短かな旅は夢幻と現(うつつ)のなか。 【2009.1.24. ~ 1.25】 ③

2009-01-27 12:23:54 | 
    第三章 『長谷寺』は限りなく優(やさ)しく


観光バスが『長谷寺』の近くを走ると、車窓からは里の情景となった。

私は『長谷寺』は初めて訪れるので『仁王門』を見上げた後、
ゆるやかな昇り廊を歩き始めが、
歩幅は和服の裾が乱れることなく歩ける、と余計なことを思ったりした。

そして、左右に牡丹(ボタン)園となって折、幾重にも牡丹が植えられて、
寒牡丹がひっそりと10数輪が彩っていた。

http://www.hasedera.or.jp/

『花の御寺』として名高く、四季折々、花木と草花で彩(いろど)られ、
この時節には、寒牡丹、山茶花(さざんか)、蝋梅(ロウバイ)、福寿草、雪割草、
と解説書に明記されているが、
私は花がなくとも、それなりの時節を想像できるので、
あればそれに越したことはないと思う程度である。

本堂にある大きな『十一面観世音菩薩』、
金文字で大きく『大哀閣』と明示された額などは興味はなく、
ただ山の中腹に張り出すような板の間からの前方の雄大な展望は、
遠方の空を眺めたりすると、それぞれの時の権力者の姿が浮べ、
歴史に埋もれた人たちも浮かび上がってくるように思えたりしたのである。

この後、早春の暖かな陽射しにつつまれた中、
『弘法大師御影堂』を観たり、『五重塔』を眺めたりした後、
歩道を下り、休み処で椅子に腰掛けて、温かいペットボトルの煎茶を飲んだりしていた・・。

そして、煙草を喫いながら、前方の傾斜の落葉樹を眺め、
見上げると『五重塔』が観えて、視界全体が一幅の絵のように私は観えたのである。
私は少しため息をしながら、見惚(みと)れていたのである。

私はこの寺院全体は、限りなく優(やさ)しい情景に思え、
まるで6歳ぐらいの少年が母親の胸元に顔を近づけて甘えているしぐさ、
とも感じられたのである。


長谷寺を辞去すると、土産売り場の店並みがあり、
この中で『奈良漬』の店に家内の後に続いて入ったのである。
私はお酒大好きな呑兵衛のひとりであるので、奈良漬は苦手である。

店内のうり、きゅうり、すいか、かぶら、しょうが、守口大根の種類の多さに驚き、
家内の勧めで、しょうがをひと口を頂いたのであるが
まぎれなく美味で、私は思わず、
『晩酌の・・付け出しにぴったり・・』
と私は家内に囁(ささや)いたのである。

結果として、しょうがを2袋、ネギのように細長い守口大根を1袋を買い求めたのであるが、
このひと味でも、私は少なくとも一日は幸福感をかみ締めることができたのである。

家内と店先を去るとき、
《 本家 白酒屋の奈良漬 》
と私は垂れ幕が見えたりした。


                            (つづく)


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冬の大和路、短かな旅は夢幻と現(うつつ)のなか。 【2009.1.24. ~ 1.25】 ②

2009-01-26 23:59:53 | 
    第二章 『若草山 山焼き』の後には


『西大寺』を観た後、宿泊する『日航ホテル 奈良』に観光バスは向ったが、
市内の道路は、『若草山 山焼き』を観に行く方たちで、
自動車で渋滞であった。

そして、予定時間より遅れ、『日航ホテル 奈良』に到着した。

http://www.nikkonara.jp/

ホテルに入室後、窓べから市内の街並み眺めた後、
私達夫婦は『山焼き』を観る為に、4時半過ぎに三条通りを歩き始め、
春日大社の方面を目指した。

私は途中で『猿沢池』に立ち寄り、
私が敬愛している亡くなわれた作家・立原正秋氏を偲(しの)ぶ為、
しばらく湖面や周辺の情景を眺めていた。

作家・立原正秋氏が若き頃に、大和路を歩かれた折、

馬酔木(あしび)さく奈良公園に
   たたずむもなみだながせし二十歳(はたち)のなつかしき

                     作・立原正秋

このような短歌を私は想いだし、亡き作家に愛惜を重ねたのである。

そして、前方の状景を改めて見上げた時、『興福寺』の五重塔がひっそりとたたずんでいた・・。


この後、私達は春日大社の長い表参道を歩いたが、
無念ながら大社の門は時間が過ぎて閉門なり、
『山焼き』を観る場所は、視界の開けた飛火野の地が最良と思い、
『山焼き』の開始前の合図として花火を打ち上げるのを待ちわびたのである。

http://www.kasugano.com/wakakusayama/

暗くなった夜空に、星が10数個がまばたいて折、
私の住む街よりも美麗であった。
そして、花火の打ち上げの音(ね)の後、数秒後に夜の空を彩(いろど)ったのである。

この後は、若草山は予定通り点火され、山裾から燃え始めたのであるが、
過日に雨が降ったためか、期待したより燃え上がらず、
私達は諦(あきら)めて、『東大寺』に行ったが、
やはり閉門と知り、宿泊先のホテルに戻ったのである。


風呂を上がった後、ぼんやりと純米酒を呑みだし、

  秋篠の名をなつかしみ
      そのかみこの道を行きし

               正秋

と捺印された一枚の色紙を想いだした。


この一枚の色紙は、
角川書店が立原正秋三周忌記念出版として『立原正秋 全集』(全24巻)を
昭和59年に発刊した時、
予約した中で希望者に抽選で配布された稀な色紙である。

私は敬愛している作家であったので、即急に予約し、
幸運にも頂けたひとりであり、私のカラス戸のある本棚で
いつでも拝見できるようにし、早くも25年が過ぎようとしている。


                           (つづき)



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冬の大和路、短かな旅は夢幻と現(うつつ)のなか。 【2009.1.24. ~ 1.25】 ①

2009-01-26 16:00:06 | 
    第一章 みゆき舞い降る『西大寺』


新幹線の『名古屋駅』を下車後、指定の観光バスに乗車する寸前、
晴れ渡った中、ひとひら、ふたひらと小雪が舞ってきた。

奈良市の街中の『西大寺』まで、小雪が降ったり、晴れ間となったりし、
うつろいやすい冬の情景が変貌したりした。

無学な私は『西大寺』が街の中で、ひっそりと程々の規模であったのはあったので、
私は少し驚いたのである。

奈良時代の天平期に創建された頃は、
東の東大寺と対応するように西の大寺として西大寺があったが、
平安時代には衰退し、鎌倉時代の中期の頃に、
ひとりの名僧の叡尊により復興した、と伝えられている。

http://www.naranet.co.jp/saidaiji/


端正ですこやかな『釈迦如来立像』、
つぶやな瞳で何かを訴えるような『善財童子』はさることながら、
私はやはり西大寺を復興させながら、多くの僧侶からはもとより、民衆からも尊敬され、
親しまれた叡尊に心を寄せられたのである。
そして、このお方の『興正菩薩叡尊坐像』に見惚(みと)れたのである。

家内と多くの人たちは、『愛染明王坐像』の秘佛特別開扉で、
説明を聞き入っていたが、私は興味がなく、
小雪の舞う中、境内を歩き廻ったり、しばらく土塀を眺めたりしていた。

そして、遙かかなたの時代、民衆の貧しくも苦楽の営みの中、
天皇はもとより、時の権力者に対し、仏教による民衆の救済を武器に、
毅然と求道しながらも、確かなひとつの権力者への軌跡をたどった人に思いを馳せた。


                               (つづく)



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本日より、奈良の『若草山 山焼き』観る短かな旅行に・・♪

2009-01-24 03:53:45 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
家内と共に、本日より奈良の『若草山 山焼き』を観る為に、
奈良に1泊2日のある旅行会社の企画された団体観光ツアーで訪れる。

『東京駅』から『名古屋駅』まで新幹線の《こだま》に乗車した後、
観光パスで、大和路の『西大寺』に寄り、
『若草山 山焼き』観た後は奈良市内のホテルに宿泊する。
翌日は、『長谷寺』と『室生寺』を鑑賞した後、帰路する短かな旅行である。


私達夫婦の共通の趣味は、国内旅行であり、
子供に恵まれなかったせいか、若い頃から四季折々各地を訪れているが、
読売新聞が過日に『平成百景』の候補の300の候補地を見たりしていると、
まだ半分程度である。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/heisei100/


私はB型の思い込みの激しく、魅了されたことには熱中するが、
平素の多くは、きまぐれ言動をしたりしている。
家内は何事も整理整頓好きなA型の几帳面タイプであるので、
私のことをときおり戸惑いながら、35年近く過ごしている。

そして私と同世代の熟年夫婦を見かけ、仲良し恋しのご夫婦の言動に接すると、
私は微苦笑したりしている。

このような多少風変わりな私達夫婦であり、
今回の旅に於いて、『若草山 山焼き』は家内のお好みで、
私は何より未知の『室生寺』にあこがれがあるので、
小雪が舞い降る中で『室生寺』の情景が観られれば、
無上の悦(よろこ)びと思っている程度の男である。

さて、今宵は奈良市の郊外は、雨降ることなく『若草山 山焼き』が予定通り施行され、
そして私の秘かな願いである『室生寺』を訪れた時、小雪が舞い降るかしら、
と私は暗い早朝の空を見つめながら、天上の気候の神々に祈願したりしている。




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齢を重ねた私に、優(やさ)しい『奈良の歴史・文化』の教科書は・・♪

2009-01-23 09:28:23 | 旅のあれこれ
東京郊外の調布市に住む私は、
ここ数日、4日ばかり『カラー大和路の魅力 ~寧楽(なら)~ 』という本を、
ときより読んだりしていた。

昨日は霧雨降る1日であり、散髪屋(理容店)、買物に行ったぐらいで、
居間から霧雨降る主庭の樹木を眺めたりしていた。

そして、近日中に、奈良のほんの1部を中学の修学旅行以来ほぼ50年ぶりに訪れるので、
少しボケた年金生活5年生の私は、
改めて『奈良の歴史・文化』を学ぼうとして、
『カラー大和路の魅力 ~寧楽(なら)~ 』を読んでいたのであるが、
ネットでも色々と検索していたのである。
5分ぐらい検索していた時、これなら私にびったり、と私は思わず微笑んだのである。


【 なら修学旅行ガイト 奈良の歴史文化 】

というサイトで、

http://www.narasyugaku.jp/

四つのエリアに区分された地域で、
この中から訪れたい名所、旧跡が見られのである。
何より私にとって心強いのは、解説はもとより、
『ゆかりの人物、文物』、『関連ある仏像』などが優しく解説されている。

私は少年が、やったぁ、と歓声をするように、
しばらくの間、検索したのである。


尚、過日にこのサイトで、
【 『カラー大和路の魅力 ~寧楽(なら)~ 』を再読しはじめて・・♪ 】
と題して、投稿しているので、
今回の付録として、再掲載をする。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
家内と共に、近日に奈良の『若草山焼き』を観る為に、
奈良に1泊2日のある旅行会社の企画された団体観光ツアーで訪れる。

『東京駅』から『名古屋駅』まで新幹線の《こだま》に乗車した後、
観光パスで、『西大寺』を観た後は、奈良のホテルに宿泊する。
翌日は、『長谷寺』と『室生寺』を鑑賞した後、帰路する短かな旅行である。


昨日、朝のひととき、私は奥の書棚で奈良に関して、何かと探していたのである。
まもなく、ひとつの懐かしい本の一冊を抜き出したのある。

『カラー大和路の魅力 ~寧楽(なら)~ 』(淡交社)と題された美麗な本で、
大和の情景を写した入江泰吉氏のそれぞれの名所の一葉の写真に、
美術史学者の杉山二郎氏の綴りを寄せた大和路の風土、歴史、文化を醸し出した一冊である。
そして、発行日は昭和47年9月20日と印字されていた。

この本は、私が30代のなかば、作家・立原正秋氏に魅了されて10数年過ぎた頃、
本屋で偶然に見かけて購入した本である。


私は二十歳まもなく大学を中退し、映画・文学青年の真似事をしていた時期に、
作家・立原正秋氏の小説、随筆、そして短歌も熱愛しながら、
多少の私なりに濾過し、古都の奈良にも思いを馳せたりしていた。

私は奈良に関しては、中学時代の修学旅行の時に、
京都・奈良の名所を鑑賞したりしたが、
京都は大学を中退する前後に2回ばかり各名所を観たり、
そして新婚旅行の時に桂川に隣接したホテルに2泊したが、
何かと古都に気後れて西芳寺と桂川の遊歩道を散策した程度であった。

特に奈良については、整然とした歴史と文化を学んだ後で、
鑑賞しなければ単なるうわべの観光客に過ぎないと、
東京の郊外の田舎者の私は、伝統の前に怖気づいたのである。

そして私は、拙(つたな)いなり学べば学ぶ程、
古都・奈良と京都は、遠のいたのである・・。


このようなことであったが、今回たまたま奈良のわずかな名所を訪ねるので、
この本『カラー大和路の魅力 ~寧楽(なら)~ 』を35年ぶりに開いたのである。

私は風邪気味であったので、朝の10時半にこの本を布団の中に持ち込んで、
『西大寺』、『春日神社』、『東大寺』などを読んだりしているうちに、
眠り込んでしまったのである。

夕方の5時過ぎに目覚めたが、夢の中か、現(うつつ)か定(さだ)かでないが、
奈良の旧跡の情景がぼんやりと現れたのである。

・・】





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私が家内と結婚して、秘かな誤算は・・♪

2009-01-22 07:35:57 | 定年後の思い
私は昨年、一昨年・・この時節、どのような思いで年金生活を過ごしていたのか、
このサイトで、読み返したりしていた。

そして一昨年に於いては、本棚のことを綴ったりしていたが、
先ほどの背後の本を眺めていたら、配置の順番が変わっていなく、
永久欠番かしら、と微苦笑したのである。


2007年1月21日の投稿文のひとつとして、
【 私の本棚の上には・・♪ 】
と題して、投稿しているが再掲載をする。

【・・
私は小説、随筆、歴史書、現代史が好きなので、
同世代の人々に比べれば、本は多く持っている方と思っている・・。

私は居間に4本、書庫に4本、2階の洋間に2本、
そして溢れて捨てるのが惜(ほ)しまれるのが、押入れに入っている。

居間にあるのは、たびたび読み返す本を置いている。
本棚のひとつには、最上段には最も敬意している本を置いている。

『世阿弥芸術論集』(新潮日本古典集成)、
栗山理一・編の『日本文学における美の構造』、
北 一明・著の『ある伝統美への反逆』、
上田三四二・著の『この世 この生~西行・良寛・明恵・道元~』、
安田章生・著の『西行』、
中野孝次・著の『西行の花』などが並んでいるが、
ここ10年は変らない。

友人に上げたり、月刊の雑誌などは捨てるようにしてきたが、
結果として高校時代より買い求めた5000冊前後の本となっている。

この中には、私の青年期に定職に就かず、食事を抜いて買い求めた本もある。

先程の居間の本棚の上に、
家内がディズニー・ランドで買い求めたキャラクターのミッキー・マウスを、
家内が置いて、ちょこんと居座っている。

私は苦笑しながら、私の苦手のディズニーのキャラクター品を見詰めたりすることもある。

私は人生を過ごすには、生活を共にする人でも、ときには妥協も必要と思ったりしている。

・・】

このように綴っていたが、
遠い昔、私が若かった頃、家内と婚約する前、
家内は茶事を中学生から習い続けていたことに好感していた・・。


結婚日が近づくと、
新居の賃貸マンションの一室に、私達は荷物を運び入れたりしていた。
この時に何故かしら、家内の荷物の中から、
10センチぐらいの背丈のミッキー・マウスを見た時は、
私は驚きながら、
『俺・・知らなかったよ・・聞いてもいなかったし・・』
と心の中で呟(つぶ)やき、そっとため息をしたのである。


私は家内と結婚して、まもなく35年になるが、
何より最大の誤算は、家内がディズニーのキャラクター品が好きである、
という現実である。
そして、毎年少なくともひとつは、増えているのである。




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アメリカ新大統領の就任について 《下》

2009-01-21 16:07:10 | 時事【政治・経済】等
前回は、オバマ新大統領の就任演説を読売新聞のサイトより転載し、
少しボケた政治も無知な私の思いをわずかに綴って程度であり、
これまでオバマ氏への私なりの思いを多少綴ってきたのがありので、
再掲載をする。


昨年の11月7日にこのサイトで、
【 オバマ次期大統領の関係した記事で、私が一番感銘を受けたニュースは・・。 】
と題して、投稿していた。

【・・
周知の通り、アメリカ合衆国の次期大統領は、オバマ氏となり、
私は日本の年金生活の無力な身ながら、期待しているひとりである。

私は読売新聞の11月6日の朝刊に掲載された、
『オバマ氏の勝利演説要旨』を精読したした。

【・・
我々の前に立ちはだかる試練は極めて大きい。
(イラクとアフガニスタンの)2つの戦争、気候変動、そして経済危機。
道のりは長く、上るべき坂は厳しい。
1年や1期(4年)では、成し遂げられないかもしれない。
だが米国が今夜ほど希望に満ちたことはない。
約束しよう。我々は、必ずそこにたどり着くと。
・・
世界を破壊しようとする者は打ち倒し、
平和と安全を求める者を支えよう。
米国の真の強さは武力や経済力ではなく、
理想を実現する力--民主主義と自由、機会、決して朽ちることのない希望にある。
・・


以上、読売新聞より無断であるが、引用させて頂いた。
注)新聞記事の原文より、あえて改行を多くした。


私はこの記事を読んだり、オバマ次期大統領の関係したニュースを
NHKのテレビ・ニュース、特集番組を視聴したり、
読売新聞、ネットの数多くの記事を読んだりしたのであるが、
深くため息をしたりしたのである。

アメリカの国民はもとより、各国の人々から期待と希望を託されたオバマ氏であるが、
余りにも未知数が多く、国際間に於いて、それぞれの国の国益に基づく怜悧な政策方針、
そして価値観も差異があるので、
果たしてアメリカの今後はどのように変貌するのか、
何よりオバマ氏は大統領として、どのような形で対応した言動をされるか、
私なりに今後も注視しょうと思っているのである。

このような時、私がここ数日で、オバマ氏に関係したニュースは数多くあるが、
たったひとつ私は感動し、そしてまもなく感銘を受けた記事があった。

やはり読売新聞の11月6日の朝刊に掲載された記事で、
香港の竹内誠一郎氏が報じたきじである。

【・・
コリン・パウエル前米国国務長官は5日、訪問先の香港で報道陣に対し、
米大統領選で黒人として初めて当選を果たしたオバマ氏について、
「おめでとうと言いたい。
有能な彼は、たまたま黒人だったというだけ。
選挙戦では黒人、白人、中南米系すべてと対話し、取り込んだ」
と語った。

ブッシュ政権の1期目で黒人として初めて国務長官を務めたパウエル氏は、
共和党員ながら、同じ黒人のオバマ氏に投票すると表明していた。

オバマ新政権の主要閣僚として登用されるとの見方も出ていたが、
「ノーだ。
若い世代に引き継がれるべきで、
私は政府に戻るつもりはない」
と否定。

一方で、「求められれば助言はする」
と述べた。
・・】

以上が記事の全文を掲載させて頂いた。
注)新聞記事の原文より、あえて改行を多くした。


私は国務長官を務めたパウエル氏について、初めて注視したのは、
遅ればせながら湾岸戦争であった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%AB

時のジョージ・H.W.ブッシュ大統領の指示に基づき、
アメリカ軍はもとより、各国が参加された国連軍の実質上、
指揮を取られた方がパウエル氏と知り、
私はこのお方の略歴を見たりし、驚いたひとりであった。

これ以来、周知の通り、世界各国の人々から注視されながら、
私はこのお方の言動を何かと好感していたひとりであった。

今回の発言も多難な決断事項が待ち構えているオバマ氏にとっては、
パウエル氏が従来のように慈父のような思いのまなざしで暖かく支援し、
そして今後もさりげないアドバイスをされ、
オバマ大統領が真摯に受け止めれば、
『イエス・ウィ・キャン(そうだ、我々にはできる)』
とふたたび明るいまなざしで、オバマ大統領はアメりカ国民に呼びかけることができる、
と私は確信したりしている。
・・】



この前には11月5日にこのサイトに於き、
【 何故、オバマ氏は大統領になれたか・・!? 】
と題した綴りを投稿していた。

【・・
私は年金生活5年生の身であり、政治には疎(うと)いが、
読売新聞や総合月刊雑誌で、初めてオバマ氏を注視しはじめたのは、
今年の年始の頃からであった。

民主党の予備選に於いて、クリントン夫人との加熱した記事を読んだり、
テレビのニュースを視聴したりし、
遅ればせながら、労苦の末の経歴を知ったりしたのである。
知性に満ちた演説され、人を包み込むような言動があり、
私は秘かに期待していたのである。

しかし、クリントン夫人の背後には、
クリントン元大統領が軍師となれば、選挙戦に馴れた前には、
残念ながらオバマ氏は惜敗するだろう・・。
そして、何よりオバマ氏は黒人であるので、
根強い白人社会の一部からは賛意は得られないだろう、
と私なりに思えたのである。

このような思いで、私はこのサイトで、2008年2月6日に於いて、
民主党の代表予備選が過熱している時に、
【アメリカの次期大統領は、ヒラリー女史・・!?】
と題して、投稿したのである。

大半を再掲載すると、

【・・
ここ数ヶ月のニュースで、殆ど毎日アメリカの次期大統領のニュースが報じられたいる。

私は日本人のひとりで年金生活の4年生の身であり、
日頃は山川草木を主軸に、季節の移ろいを何よりも享受できるように生活をしているが、
何となくアメリカの次期大統領が気になるのである。

現在は、大統領の予備選に於いて、
民主党の指名争いがヒラリー・クリントン上院議員(60歳)と
バクラ・オバマ上院議員(46歳)の間で過熱を帯びている。

こうした状況をニュースなどで視聴していたら、
最終的には、アメリカ国民は共和党より、民主党を選び、
そしてヒラリー女史が大統領に、と何となく感じたのである。

そして、ヒラリー女史は、副大統領としてオバマ氏を選び、
このお2人で次期のアメリカの進路を決める・・
何の根拠もなく、全くの政治には素人であるが、
このように感じたのである。

バクラ・オバマ氏の経歴、演説の一部を聴いて、
涙ぐましく感銘を受け、私は20代の若さであったならば、
オバマ氏に大統領、と熱く期待もしたと思う。

しかし、明日のアメリカを託(たく)すのは、
アメリカの選挙民のすべての人々であり、こうした心情を配慮すると、ヒラリー女史かしら、
と思ったのである。

果たして、どの方が選定される未知であるが、
東洋の片隅にある日本に多々影響をもたらすので、
日本の国民のひとりとして、少しボケた私でも注視したりしている。

・・】


このように投稿したのであるが、周知の通り、
熱戦の末、オバマ氏が民主党の予備選を勝ち抜いたのである。

この後は、アメリカを中核とした投資金融経済の破綻があり、
肝要な実体経済を脅かして、
各国の経済はもとより、社会、政治まで混迷をもたらしている。

このように投資金融経済の神話が崩れ去る中に於いて、
共和党の代表・マケイン氏、そして民主党の代表・オバマ氏で、
次期大統領選が渦中と入ったのである。

昨今のニュースに於いては、オバマ氏が優勢、
と読売新聞、テレビの特集記事で報じられていた。


選挙の結果は、今日の昼ごろまで大勢が判明する、
とニュースが報じて折、私なりに注視しているひとりである。

そして私は、
『オバマ氏が優勢と伝えられているが・・
俺はマケイン氏にどれだけ大差で票を獲得するか・・
注目しているよ・・』
と家内に云ったりしていたのである。

その後、私は買物で外出し、帰宅したら、
オバマ氏、次期大統領に確定、と知った次第であった。

改めて、何故オバマ氏は大統領になれたのか、
と私なりに考えたのであるが、これ以上適切な理由はないと、
確信したサイトの記事があった。


読売新聞のアメリカ総局長・岡本道郎氏が、
【YOMIURI ONLINE】11月5日13時49分に於いて、
配信された記事であった。

タイトルは、『「変革」の夢、結実なるか…オバマ氏勝利』
と題されて、記事は下記のように綴られていた。

【・・
アメリカ新時代の幕開けを告げる偉大な風が吹いた。
超大国のかつてない威信低下を招いた「ブッシュの8年」との決別を期し、
米国民は、民主党の若き黒人政治家バラク・オバマ氏に、
米国の変革と再生を託した。

初の黒人大統領誕生は、1776年の独立宣言ですべての人の平等をうたいながら、
奴隷制を廃止せずに建国した“原罪”を持つ米国が、
232年を経てたどり着いた歴史的道標だ。
しかし、それ以上に、2001年の9・11同時テロ、
それに続くイラク、アフガニスタンの二つの戦争、
そして、「経済の9・11」と言われた金融激震という危機と混迷の複合が、
米国民に劇的な政治変革への渇望を生んだ側面が大きい。

米国が悪い方向に進んでいると考える国民は8割に達する。
米国の誇る民主主義が、中東やアジアで、恐怖と混乱をもたらすものとみなされ、
米国自身、テロとの戦いの中で、
人間の自由と尊厳をないがしろにする行為に手を染めた。
そんな幻滅と自省が、白人支配の続いてきた米国にあって、
「黒人大統領」という未体験の選択を実現させる誘因となったことは否めない。

だが、オバマ氏がこの歴史的選挙を制したのは「黒人だから」ではない。
白人を母に持ち、黒人差別撤廃を目指した公民権運動の指導者とも世代が二回り違うオバマ氏は、
怒りを捨て、知的でハンサムな黒人として、
白人に優しくほほ笑み、端正な発音で希望の言葉を投げかけた。
これが白人社会に受け入れられた。
何より、人種や性、年齢の差、また、この8年間に亀裂を深めた共和・民主、保守・リベラルという党派の対立を超え、
国民全体に手をさしのべたからこそ、
アメリカが輝きを取り戻すための最良の指導者と判断された。

一つのアメリカ――すべてを「包含」しようとするそのメッセージは、
「(黒人に限らない)すべてのアメリカ人のための、
より包括的な21世紀版公民権運動」(ロナルド・ウォルターズ・メリーランド大教授)とも言える。
共和党のマケイン陣営が逆に、「真のアメリカ」の結束を訴え、
「我々(白人、保守)」と「他者」との区別を図ろうとしたのとは対照的だ。

オバマ氏の呼びかけは同時に、単独行動主義に走ったブッシュ時代の米国に不安を抱き、
多極化の様相を濃くする世界への協調と和解のメッセージでもある。

しかし、まだ、オバマ氏の理念は「言葉」だけに過ぎない。
氏を待つ現実の厳しさは、歴代のどの大統領就任時と比べても引けをとらない。
金融危機の足かせは重く、テロとの戦いも続く。
黒人だからこそ、ミスは白人以上に指弾されよう。
オバマ氏が掲げた夢が米国を救う「革命」に結実するのか、幻に終わるのか。
ドラマの続きはこれからだ。
・・】

以上、無断であるが全文を掲載させて頂いた。
注)記事の原文より、あえて改行を多くした。


私は記事を読みながら、深くため息をついたりしたが、
読売新聞のアメリカ総局長・岡本道郎氏の専門家の正鵠な記事に、
数多く学んだのである。

そして、氏がこの記事の最後に指摘された通り、
就任後のオバマ氏には現実の重責が待って折、アメリカ国内はもとより、
海外諸国、特に日本の影響は、少しボケた私は考えたりしている。

・・】


私なりの思いも、このように投稿していたのである。
私は日本の一部の方たちが、
日本は憲法の第9条があったから敗戦後の平和が保たられた、
という余りにも国際の怜悧な世界観から逸脱した園児のような見解に賛意できないが、
果たして、オバマ新大統領はアジアの特に日中に対して、
アメリカ自国の国益に基づいて、どのような政策と戦略がとられるのか、
そして日本にどのような具体的な要求、協力要請をしてくるのか、
政治の世界も疎(うと)く無力な日本の年金生活の私なりにハラハラしているのが本音である。




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アメリカ新大統領の就任について 《上》

2009-01-21 11:50:18 | 時事【政治・経済】等
私は東アジアの片隅にある日本で、
少しボケた年金生活の5年生であり、日頃は山川草木を基軸とした日常生活を過ごしているが、
今朝は『アメリカのオバマ大統領の就任』ニュースを盛んに報じていたので、
テレビで視聴していた。

私はNHKの衛星放送で各国の報じるニュースを観て、
それぞれ国の視点から放映される事象を学んだりしたのである。

もとより国家は、怜悧な国益に基づいて言動される現実、歴史があるので、
国家の代表される方たちは、たとえコメントであろうとも、
発言される内面には、自国の国益が息付いているのである。


この後、読売新聞社に寄るネットの【YOMIURI ONLINE】を見て、

【 オバマ米大統領、就任演説全文(和文) 】

の見出しを見て読んだりしたのである。


【・・
オバマ新政権
 【ワシントン支局】オバマ新大統領の就任演説全文は次の通り。


 ◆危機への決意◆
市民の皆さん。
私は今日、我々の前にある職務に対して厳粛な気持ちを抱き、
あなた方から与えられた信頼に感謝し、
我々の祖先が支払った犠牲を心に留めながら、ここに立っている。

私は、ブッシュ大統領の我が国への奉仕、並びに大統領がこの政権移行期間に示した寛容さと協力に感謝する。


これで44人の米国人が大統領就任宣誓を行った。
宣誓は、繁栄の高まりのときや、平和で静かなときに行われたこともあった。
しかし、しばしば、宣誓は、暗雲が垂れこめるときや荒れ狂う嵐のときに行われた。
こうした時、米国は、指導者たちの技量や理念だけに頼ることなく、
我々人民が祖先の理想に忠実で、建国の文言に正直であることによって、乗り切ってきた。


ずっとそうやってきた。この世代の米国人も同様にしなければならない。

我々が危機の最中にいることは、現在では明白だ。
我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。
我々の経済は、ひどく弱体化している。
一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、
厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である。

家は失われ、職はなくなり、ビジネスは台無しになった。
我々の健康保険制度は金がかかり過ぎる。
荒廃している我々の学校はあまりにも多い。
さらに、我々のエネルギーの消費のしかたが、
我々の敵を強化し、我々の惑星を脅かしているという証拠が、
日増しに増え続けている。


これらは、データと統計に基づく危機の指標だ。
予測は困難だが、間違いなく深刻なのは、
我々の国土に広がる自信の喪失や、米国の凋落(ちょうらく)は避けがたく、
次の世代はうなだれて過ごさなければならないというぬぐいがたい恐怖だ。

今日、私はあなた方に告げる。
我々が直面している試練は本物だ。試練は深刻で数多い。
試練は容易に、または、短い時間で対処できるものではない。
しかし、米国よ、わかってほしい。これらの試練は対処されるだろう。


この日、我々は、恐怖ではなく希望を、
紛争と不一致ではなく目標の共有を選んだため、ここに集った。

この日、我々は、我々の政治をあまりにも長い間阻害してきた、
ささいな不満や偽りの約束、非難や言い古された定説を終わらせることを宣言する。



 ◆国家の偉大さ◆
我々の国はまだ若いが、聖書の言葉には、
子どもじみたことをやめるときが来たとある。

我々の忍耐に富んだ精神を再確認し、より良い歴史を選び、
貴重な才能と、世代から世代へと引き継がれてきた尊い考えを発展させるときが来た。
尊い考えというのは、すべての人は平等で、自由で、
あらゆる手段により幸福を追求する機会を与えられるという、
神からの約束のことである。


我々の国の偉大さを再確認するとき、
我々は、偉大さが決して与えられたものではないことに気づく。
それは勝ち取らなければならないのだ。
我々の旅は、近道でも安易なものでもなかった。
我々の旅には、仕事より娯楽を好み、富と名声の喜びだけを望むような、
臆病者のための道筋はなかった。

むしろ、我々の旅は、危機に立ち向かう者、仕事をする者、創造をしようとする者のためのものだ。
それらの人々は、著名な人たちというより、しばしば、無名の働く男女で、
長い、でこぼこした道を繁栄と自由を目指し、我々を導いてきた人々だ。

我々のために、彼らは、わずかな財産をまとめ、新たな生活を求めて大洋を旅した。

我々のために、彼らは、劣悪な条件でせっせと働き、西部に移住し、むち打ちに耐えながら、硬い大地を耕した。

我々のために、彼らは、(独立戦争の戦場)コンコードや(南北戦争の)ゲティスバーグ、
(第2次大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンのような場所で戦い、死んだ。


しばしば、これらの男女は、我々がより良い生活を送れるように、
手の皮がすりむけるまで、もがき、犠牲になり、働いた。
彼らは米国を、個人の野望を合わせたものより大きく、
生まれや富や党派のすべての違いを超えるほど、偉大であると考えていた。



 ◆米国を作り直そう◆
これが今日、我々が続けている旅なのだ。
米国は依然として地球上で最も繁栄し、力強い国だ。
我々の労働者は今回危機が始まった時と同様、生産性は高い。
我々は相変わらず創意に富み、我々が生み出す財やサービスは先週や先月、昨年と同様、必要とされている。
能力も衰えていない。

しかし、同じ手を用いるだけで、
狭い利益にこだわり、面倒な決定を先送りする、そんな時代は確実に終わった。
今日から我々は立ち上がり、ほこりを払って、
米国を作り直す仕事に取りかかろう。


なすべき仕事は至る所にある。
米国経済は、大胆かつ迅速な行動を求めている。
そして我々は新規の雇用創出のみならず、新たな成長の礎を整えることができる。

道路や橋を造り、電線やデジタル通信網を敷き、商業を支え、
我々を一つに結び付ける。
科学を本来あるべき地位に戻し、
医療の質を引き上げながら、そのコストは減らす。
太陽、風や土壌を利用して自動車を動かし、工場を動かす。
新時代の要請に合うよう学校や単科大、大学を変えていく。
我々はすべてのことを成し遂げられるし、行っていく。


我々の野望の大きさについて疑念を抱く人がいる。
我々のシステムは多くの大きな計画に耐えられないと指摘する人もいる。
だが、彼らは忘れている。
彼らはこの国が何を成し遂げたかを忘れている。

想像力が共通の目的と出合った時、必要が勇気と結びついた時、
自由な男女が何を達成できるかを忘れているのだ。

皮肉屋が理解できないのは、彼らがよって立つ地面が動いたということだ。
長い間、我々を疲れさせてきた陳腐な政治議論はもはや通用しない。

我々が今日問うべきなのは、
政府の大小ではなく、政府が機能するか否かだ。
家族が人並みの給与の仕事を見つけたり、負担できる(医療)保険や、
立派な退職資金を手に入れることの助けに、政府がなるかどうかだ。

答えがイエスの場合は、その施策を前進させる。
ノーならば終わりとなる。
公的資金を管理する者は適切に支出し、悪弊を改め、誰からも見えるように業務を行う。
それによって初めて、国民と政府の間に不可欠な信頼を回復できる。


問うべきなのは、市場の良しあしでもない。
富を作り自由を広げる市場の力に比肩するものはない。
だが、今回の(経済)危機は、監視がなければ、
市場は統制を失い、豊かな者ばかりを優遇する国の繁栄が長続きしないことを我々に気づかせた。

我々の経済の成功はいつも、単に国内総生産(GDP)の大きさだけでなく、
我々の繁栄が広がる範囲や、機会を求めるすべての人に広げる能力によるものだった。
慈善としてではなく、公共の利益に通じる最も確実な道としてだ。



 ◆我々の安全とは◆
我々の共通の防衛については、安全と理想とを天秤(てんびん)にかけるという誤った選択を拒否する。
我々の想像を超える危機に直面した建国の父たちは、
法の支配と国民の権利を保障する憲章を起案した。
憲章は、何世代もの犠牲によって拡充された。

これらの理想は、今日でも世界を照らしており、我々は都合次第で手放したりはしない。
今日(の就任式を)見ている他国の国民や政府ら。
巨大都市から私の父が生まれた小さな村まで。
米国が平和と尊厳の未来を求めるすべての国々、すべての男女と子供の友人であり、
我々がもう一度、指導力を発揮していく用意があると、知ってほしい。


前の世代は、ファシズムや共産主義と、ミサイルや戦車だけではなく、
強固な同盟と強い信念を持って対峙(たいじ)したことを思い出してほしい。
彼らは、我々の力だけでは我々を守れず、
好きに振る舞う資格を得たのではないことも理解していた。

代わりに、慎重に使うことで力が増すことを理解していた。
我々の安全は、大義の正当性や模範を示す力、謙虚さ、自制心からいずるものだ。


我々は、この遺産の番人だ。
こうした原則にもう一度導かれることで、
我々は、一層の努力や、国家間の一層の協力や理解が求められる新たな脅威に立ち向かうことができる。
我々は、責任ある形で、イラクをイラク国民に委ね、苦労しながらもアフガニスタンに平和を築き始めるだろう。

古くからの友やかつての敵とともに、核の脅威を減らし、
地球温暖化を食い止めるためたゆまず努力するだろう。



 ◆変わる世界◆
我々は、我々の生き方について謝らないし、
それを守ることを躊躇(ちゅうちょ)しない。

テロを引き起こし、罪のない人を殺すことで目的の推進を図る人々よ、我々は言う。
我々の精神は今、より強固であり、壊すことはできないと。
あなたたちは、我々より長く生きることはできない。
我々は、あなたたちを打ち破るだろう。

我々のつぎはぎ細工の遺産は強みであって、弱みではない。
我々は、キリスト教徒やイスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、それに神を信じない人による国家だ。

我々は、あらゆる言語や文化で形作られ、地球上のあらゆる場所から集まっている。

我々には、南北戦争や人種隔離の苦い経験があり、
その暗い時代から出てきて、より強く、より団結するようになった。
我々は信じている。
古くからある憎しみはいつかなくなり、民族を隔てる線も消えると。
世界が小さくなる中で、我々に共通の人間愛が現れることになると。

米国が、平和な新しい時代の先駆けの役割を果たさねばならないと。

イスラム世界よ、我々は、相互理解と尊敬に基づき、新しく進む道を模索する。
紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を
西洋のせいにしたりする世界各地の指導者よ、
国民は、あなた方が何を築けるかで判断するのであって、
何を破壊するかで判断するのではないことを知るべきだ。

腐敗や欺き、さらには異議を唱える人を黙らせることで、権力にしがみつく者よ、
あなたたちは、歴史の誤った側にいる。
握ったこぶしを開くなら、我々は手をさしのべよう。

貧しい国の人々よ、我々は誓う。
農場に作物が実り、きれいな水が流れ、飢えた体に栄養を与え、乾いた心を満たすため、
ともに取り組むことを。

我々と同じように比較的満たされた国々よ、
我々が国境の向こう側の苦悩にもはや無関心でなく、
影響を考慮せず世界の資源を消費することもないと言おう。
世界は変わった。
だから、我々も世界と共に変わらなければならない。


我々の前に広がる道について考える時、
今この瞬間にもはるかかなたの砂漠や遠くの山々をパトロールしている勇敢な米国人たちに、
心からの感謝をもって思いをはせる。

彼らは、アーリントン(国立墓地)に横たわる亡くなった英雄たちが、
時代を超えてささやくように、我々に語りかけてくる。
我々は彼らを誇りに思う。
それは、彼らが我々の自由を守ってくれているからだけではなく、
奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かの中に進んで意味を見いだす意思を体現しているからだ。

これこそが時代を決するこの時に、我々すべてが持たねばならない精神だ。



 ◆新しい責任の時代◆
政府はやれること、やらなければならないことをやるが、
詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。

堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、
暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、
自らの労働時間を削る無私の心である。

我々の運命を最終的に決めるのは、
煙に覆われた階段を突進する消防士の勇気であり、子どもを育てる親の意思である。

我々の挑戦は新しいものかもしれない。
我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。
しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠実、愛国心といった価値観にかかっている。
これらは、昔から変わらぬ真実である。
これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。
必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。


我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。
米国人一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、
その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。

困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。

これが市民の代償であり約束なのだ。
これが我々の自信の源なのだ。
神が、我々に定かではない運命を形作るよう命じているのだ。

これが我々の自由と信条の意味なのだ。
なぜ、あらゆる人種や信条の男女、子どもたちが、
この立派なモールの至る所で祝典のため集えるのか。
そして、なぜ60年足らず前に地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、
最も神聖な宣誓を行うためにあなたの前に立つことができるのか。



 ◆自由を未来へ◆
だから、我々が誰なのか、どれほど長い旅をしてきたのか、その記憶とともにこの日を祝おう。
米国誕生の年、酷寒の中で、愛国者の小さな一団は、
氷が覆う川の岸辺で、消えそうなたき火の傍らに身を寄せ合った。

首都は見捨てられた。敵は進軍してきた。雪は血で染まった。
我々の革命の結末が最も疑わしくなった時、
我が国の祖は、この言葉を人々に読むよう命じた。

「酷寒の中、希望と美徳しか生き残ることができない時、
共通の脅威に気づいた町も田舎もそれに立ち向かうために進み出た、
と未来の世界で語られるようにしよう」


アメリカよ。我々自身が共通の脅威に直面している時に、
我々自身の苦難の冬に、時を超えたこれらの言葉を思い出そう。
希望と美徳を抱き、このいてつく流れに再び立ち向かい、どんな嵐が訪れようとも耐えよう。

そして、我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか。
我々が試された時、旅を終わらせることを拒み、後戻りすることも、くじけることもなかった、と。
そして、地平線と、神の慈しみをしっかりと見つめ、
自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と。

ありがとう。神の祝福が皆さんにあらんことを。
そして、神の祝福がアメリカ合衆国にあらんことを。

(2009年1月21日02時50分 読売新聞)
・・】

注)記事の原文より、あえて改行を多くした。



私は読みながら、オバマ大統領の真摯な就任演説を拝読し、
もとよりアメリカ国民から期待されるあまり、アメリカ国民自身が新大統領に寄せられたメッセージを、
何より具体的にどうように今後ふるまうか、注視する必要がある、と感じたのである。

なぜならば日本は、余りにも敗戦後から今日まで、
最も政治、外交、軍事はもとより、経済、社会、教育、文化まで影響を与えられ、
好悪は別として、もたらしたのはアメリカからである。
こうした現実と過ぎ去った歴史が明示されているからに他ならない、
と少しボケた政治に無知な私でも思ったりしているのである。


                            《つづく》

次回は、私なりにオバマ大統領が誕生するまで、色々と綴ってきたのがあるので、
再掲載をする。



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