夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

知らないうちに陥る『デジタル依存症』は『脳過労』となり、やがて認知症に、私は学び、震撼させられて・・。

2020-06-30 13:18:17 | ささやかな古稀からの思い

昨日、ときおり愛読している公式サイトの【 介護ポストセブン 】の『健康』面を見ている中、
『 デジタル画面の見過ぎで『脳過労』のチェックリスト 脳疲労の解決法 』
このような見出しを見たりした。

まもなく私は喚起させられて、
『デジタルによる『脳過労』のチェックリスト、時代遅れの高齢者の私でも、受診して、苦笑し・・。』、
と題してブログの投稿文を認(したた)めたりした。

今回は、この記事の続編として、
“脳過労”は、認知症につながる危険性大!? 知らないうちに陥る「デジタル依存症」、
と題された掲載されていた。

この記事の原文は、『女性セブン』2020年6月25日号に掲載された記事のひとつで、
関連の
公式サイトの【 介護ポストセブン 】に6月24日に配信され、
無断であるが記事の後半部分を転載させて頂く。

          

《・・
●目や首の痛みの原因「脳過労」とは

前回のデジタルによる『脳過労』のチェック項目にある現象の多くは、
中高年になれば、経験するものだと思う人もいるかもしれないが、その原因は老化だけではない。

24時間途切れることなく情報が流れる現代。
便利な半面、私たちの目や首は、酷使されている。

と同時に、脳には処理能力の限界を超えたゴミ(不要な情報)がたまっていく。
これにより、心身の不調が生じるというのだ。

「毎日テレビやスマホをよく見る人の目や首の痛みは、『脳過労』が原因の可能性があります」
そう言うのは、脳のエキスパートである脳神経外科医の奥村 歩さん。

「たとえば、首が痛いと思っても、実は痛みを感じているのは、脳なので、
脳過労で誤作動が起こると、悪くもないのに体のあちこちが痛くなったり、イライラする。

目や首、姿勢などにいくら気をつけても、
脳の体調管理システムが疲れていては、不調は解消されないでしょう」(奥村さん・以下同)

          

●脳にゴミがたまり認知症につながる可能性も

特に、忙しい女性は、要注意だという。

「家事や子育て、近所づきあいと、女性は男性よりマルチタスク
(複数の作業をこなす能力。
一見効率がよさそうだが、実は効率が低下し、脳の疲労度を高めるといわれている)に長けています。

いまは働く女性が増え、昔以上に脳は、クタクタ。
息抜きのつもりで見ているテレビやスマホが、さらに脳や体を疲れさせているのです」

脳の処理能力が落ちると、記憶力、思考力、集中力、判断力、コミュニケーション力、
体力などが低下。

脳のゴミは40~50代から、たまり始めるため、その先の認知症につながる危険性も高まる。
さらに恐ろしいのは「とりあえず見る」という行為が、依存症の一種であるとの指摘。

「脳は、疲れると手っ取り早く快感が得られるものに依存しがちです。
たとえば、飲酒やギャンブルが代表的ですが、デジタル依存も同じ性質です。
ハードルが低いという点では、むしろ飲酒などより危険かもしれません」

          

☆目と首をデジタル情報のシャットアウトで守る!「ぼんやり」して脳を活性化

●ぼんやりする時間を作る

そんな怖い脳過労を軽減するには、どうしたらよいのか。

「20年ほど前に発見された『デフォルト・モード・ネットワーク(以下DMN・詳細は下段図)』が
機能する時間を作ることが大切です」

かつては、脳は活動しているときにのみ、働いていると思われていたが、
この発見により、ぼんやりしているときにこそ、
脳内では、ものすごい勢いで情報の取捨選択や優先順位付け、
さらには心身を安定させる働きまでもが行われていることが解明されたのだ。

「現代人は、視覚から得る情報が多いため、目や首が酷使され、疲労に直結しやすい。
そのため、過労を助長させるテレビやスマホ、ラジオなどの人工的な視覚・聴覚情報を遮断し、
ぼんやりと何も考えないDMNの時間を作ることが大切なのです」

          

意識的にぼんやりするには、皿洗いやぞうきんがけ、青竹踏みなどのリズミカルで単純な作業、
散歩などがおすすめだ。
その際、歌詞のないクラシック音楽なら流してもOK。

「衰えがちな嗅覚や聴覚を鍛えるためにも、季節を鼻や耳で感じながら、歩くのも効果的。
電車の窓から過ぎゆく景色を眺めたり、入浴もいいですね。
いずれも目的を持たず、無心でいることが重要です」

テレビやスマホを見る前に、「いま、必要なのか」を自問することも忘れてはいけない。

「私はDMNを、デジタルから離れて“我に返る行為”だと思っています。
DMNが活性化されれば、脳は何歳になっても進化を続け、心身の健康につながるのです」

【デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)とは・・・】

 

人間の脳をイラスト化したもの

脳について知ると脳疲労を減らすことができる(写真/koti/PIXTA)

脳内あり、無意識にぼんやりとしているときに働く機能で、
脳が使うエネルギーの75%前後が、ここで消費されているという。

前頭葉の内側前頭前野や後帯状皮質、その他の脳領域から構成されている。
情報の整理整頓や傷ついた脳を修復するほか、
DMNのハブ(集積機)である前頭葉では、心身の体調管理も行われている。

リンゴが落ちるのを見たニュートンが万有引力を発見し、
山中伸弥教授がシャワー中にiPS細胞のアイディアを思いついたなど、
クリエーティブなひらめきにも、かかわっているといわれている。・・》

          

私は記事を読みながら、知らないうちに陥る『デジタル依存症』は、
『脳過労』となり、やがて認知症につながる危険性がある、と学び震撼させられたりした。

私が多少救いのある日常生活として、スマホは使えず所有したいない、
そしてテレビの番組は、ニュース、天気情報、ドキュメンタリ番組を視聴するくらいで、
私の知人には、テレビがお友達、或いはスマホが片時も
放さない人もいるが、
私は無縁となっている。

          

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住んでいる身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、私は健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活16年半を過ごしてきた。

          
私は民間会社の中小業に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、
定年後、多々の理由で年金生活を始めた・・。

私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物メール老ボーイとなっている。

こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

          

午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この間、私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

          

そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。

こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。

こうして年金生活を過ごしたりし、ときおり小庭の手入れをしたり、
家内と共通趣味のひとつである国内旅行を遊学している。

このように年金生活を過ごしてきたが、今年の2月の上旬の頃から、
新型コロナウイルスの烈風に伴い、私の日常生活は影響があったりしたが、
何とか以前のような修復している。

          
今回、「現代人は、視覚から得る情報が多いため、目や首が酷使され、疲労に直結しやすい。
そのため、過労を助長させるテレビやスマホ、ラジオなどの人工的な視覚・聴覚情報を遮断し、
ぼんやりと何も考えないDMNの時間を作ることが大切なのです」、
と私は学びながら、のんびり屋の私は、微苦笑しながら、そうですよねぇ・・同意を深めたりしている。

 

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デジタルによる『脳過労』のチェックリスト、時代遅れの高齢者の私でも、受診して、苦笑し・・。

2020-06-29 12:56:16 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 介護ポストセブン 】の『健康』面を見ている中、
『 デジタル画面の見過ぎで『脳過労』のチェックリスト 脳疲労の解決法 』
このような見出しを見たりした。

私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話は、
半年前の頃より、受信、発信の電話機能だけ使えるようになったが、
スマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。

このように無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。

我が家は、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、家内とたった2人だけの家庭であり、
もとより息子、娘もいなく、モバイル情報の諸情勢も疎(うと)く、
2015年の春に遅ればせながら、
家内専用の携帯電話を買い求め、今日に至っている。

そして私はパソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。

          

このような身なので、《・・
デジタル画面の見過ぎ・・》って、どのようなことなのょ、
と思いながら、記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『女性セブン』2020年6月25日号に掲載された記事のひとつで、
関連の
公式サイトの【 介護ポストセブン 】に6月24日に配信され、
無断であるが記事の前半部分を転載させて頂く。

《・・
家にいる機会が増え、パソコンやテレビ、スマホを見る時間が激増。
「目が疲れた~」、「首がカチカチ~」などと体が悲鳴を上げている。

この、デジタル画面の見すぎは、老眼に追い討ちをかけ、
頭が前に傾く「ストレートネック」を引き起こす。
すると、眼精疲労や首痛が慢性化して・・・。

放っておいて認知機能を低下させないために、目と首の痛みの改善法を教えます。
まずは、その元凶かもしれない「脳の疲れ」についてのチェックリストから始めましょう!

          

☆あなたのデジタルによる“脳過労”度は?

つらい目や肩のコリ、ほおっていませんか?

目と首のコリのもとは、脳疲労かもしれません。
まずは、3つのチェックリストで疲労度をチェックしてみましょう。

          

【行動チェック】

□家事の間もテレビはつけっぱなし

□気がつくとテレビ・スマホを見ている

□出てこない言葉はスマホで即検索

□備忘録としてスマホで写真を撮っている

□スマホなしでは目的地へ行けない

□いつも時間に追われている

□世の中の情報に乗り遅れたくない

          

【脳チェック】

□人の名前がすぐに出てこない

□何かを取りに来て、その目的を忘れる

□3日前何をしていたか思い出せない

□最新ニュースを3つ挙げられない

□以前より漢字が書けなくなった

□簡単な計算を間違えることがある

□道順が覚えられなくなった

          

【心身健康チェック】

□頭も体も、常に疲れている

□慢性的に睡眠不足だ

□体のあちこちに不調がある

□集中力がなく凡ミスが増えた

□ものごとに興味がなくなった

□家事や仕事の段取りが悪くなった

□最近あまり笑っていない

14項目以上当てはまる人は、「脳過労の危険度大」、
7~13項目当てはまる人は、「脳過労の危険度中」です!
7以下の人は、危険度が上がらないよう、注意しましょう!・・》

          

このデジタルによる『脳過労』のチェックリストを私は受診しながら、微苦笑をしてしまった・・。

【行動チェック】に関しては、私はスマホが使えず所有していないので、
気がつくとテレビ・スマホを見ている、出てこない言葉はスマホで即検索、
スマホなしでは目的地へ行けないなどは無縁であり、時代遅れのアナログ派と思ったりしている。

【脳チェック】に関しては、無念ながら、人の名前がすぐに出てこない、時がある。

そして【心身健康チェック】に関しては、体のあちこちに不調がある、
70歳を過ぎた頃より、体力の衰えを実感させられて、内科は定期検査を受けたり、
今や整形外科に右脚の膝(ひざ)の痛みで通院している。

集中力がなく凡ミスが増えた、と関連すると思われるが、
継続力が衰え、ある程度で安易に妥協するようになってる。

          

このように総計3箇所に該当して、
危険度が上がらないよう、注意しましょう!、判定させられ、
これから齢を重ねるたびに、要・注意事項が増えていくだろう、と苦笑したりしている。


尚、この記事の後半には、
脳疲労の解決法に記載されていたが、これに関しては後日に投稿する。

コメント (4)
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日本人が世界的に長寿である『10の秘密』、こっそりと高齢者の私は学び、やがて微苦笑して・・。

2020-06-28 14:30:15 | ささやかな古稀からの思い
先程、ヤフーより配信さけたニュースを見ている中で、
日本人が世界的に長寿である『10の秘密』、
このような見出しを見たりした。

私は75歳の年金生活の身であるが、どのようなことなの、と思いながら、
好奇心に負けて記事を精読してしまった。

この記事は、内科医である奥田昌子さんの著作の『日本人の病気と食の歴史』(KKベストセラーズ)より一部を抜粋し、
「昭和時代~現代の食生活の変化」に焦点を当て、解説された内容となっている。

そして配信元は、【 幻冬舎ゴルードオンライン 】に6月21日に配信され、
記事の前半部分を無断であるが、転載させて頂く。
          

《・・古代から現代まで、日本の食文化は多様に変化してきました。
昭和時代~現代の食生活の変化」に焦点を当て、解説していきます。

☆戦国時代から続く日本人の「ストレス管理」

21世紀の食養生をめざして 日本人の食養生の考えかたは、
戦国時代までに、ほぼ固まっていたと考えられます。

そのエッセンスをわかりやすくまとめたのが、横井也有の『健康十訓』です。

横井也有は、『養生訓』で知られる貝原益軒より70年ほどのちの時代の人で、
尾張藩の重臣でありながら、俳人としても活躍し、81歳まで生きました。

『健康十訓』
1 少肉多菜(肉より野菜を多く食べる)
2 少塩多酢(塩より酢を使う)
3 少糖多果(砂糖を減らし、果物を食べる)
4 少食多噛(食べ過ぎず、よく噛んで食べる)
5 少衣多浴(薄着にし、風呂によく入る)
6 少車多歩(車をあまり使わず、よく歩く)
7 少憂多眠(くよくよ悩まず、しっかり眠る)
8 少憤多笑(あまり怒らず、よく笑う)
9 少言多行(あれこれ言うより行動する)
10 少欲多施(欲ばらず、人に与える)

1番から4番が食事、5番、6番が生活に関する注意です。
あとの4つは、心の持ちかたについての助言で、
ひと言でいうと、おおらかで前向きな考えかたを良しとしています。

          

益軒の『養生訓』にも、
「心穏やかに、怒りを抑え、心配の種が少なくなるようにするのが心の健康法で、
これが養生の第一である」と書かれています。

現在でいうストレス管理でしょう。・・・》

          

記事を読みながら私は微苦笑を重ねたりした。

過ぎし年の2011年〈平成23年〉の晩秋に、
田沢湖の北方にある観光ホテルに3日ばかり滞在して、乳頭温泉郷めぐりなどをした。

そして滞在している観光ホテルに於いて、露天風呂に向う館内の廊下り壁面に、
数多くの季節ごとのスケッチ絵が掲げられる中、
ひとつの手拭(てぬぐい)に書かれた教訓を読み、私は微苦笑されられた・・。

そして館内にある売店に、お土産品として『健康十訓』が有ったので、
記念に私は購入したことを思いだした・・。
          
まもなく机の引き出しより、折りただんだ手拭(てぬぐい)が出てきて、
たわむれに記念写真を撮ったりした・・。



過ぎし年に、日本人の平均寿命は、ここ30数年、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
2015年(平成27年)には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
2013年(平成25年)の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

こうした中で難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する御方が多いと学び、
私たち夫婦は、頼れる人もいないので、介護・要となった時は、 やむなく介護施設に思ったりしているが、
身体は衰えても、ボケないで晩年期を過ごしたいと念願したりしている。

そして私は、健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活16年半を過ごしてきた。

          

しかしながら、新型コロナウイルスの烈風が2月頃から発生して、
やがて不要不出の中、私は電車、路線バスも出来うる限り避けて、
マスクをしながらひたすら歩いたりした・・。

こうした中で、ときには10キロ前後歩いたりした為か、
軟弱な私は、右脚の膝(ひざ)を痛めて、今や整形外科に通院しいる身となっている。

そして平地の遊歩道を3キロ以内を限度として散策しているが、
いつの日にか健康寿命も終焉となり、やがて介護を受ける身となると思われ、
今回の『10の秘密』を復唱しながら、微苦笑をしたりしている。

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新型コロナウィルスの心構え、身構え、改めて高齢者の私は学び、多々教示させられて・・。

2020-06-27 12:07:29 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、ヤフーで配信されているニュースを見ている中で、
新型コロナウィルスの心構え、身構えについて、
何かと無知な75歳の高齢者の私でも、やさしく解説されていた記事があり、精読してしまった。

この記事は医療法人社団悠翔会理事長・診療部長の佐々木 淳さんが、
『 介護者が新型コロナにかかったらどうするか? 』と題された寄稿文であり、
この後半部分に明記されていた。

そしてこの寄稿文は、公式サイトの読売新聞の【 ヨミドクター 】で6月26日に配信され
読売新聞を購読して51年目に甘えて、無断であるが、一部を転載させて頂く。

          

《・・
☆新型コロナウィルスは日常のリスクの一つ

特別に身構える必要はないと思います。
新型コロナウィルスは、私たちにとって日常のリスクの一つに過ぎません。
そして、そのリスクは、交通事故死よりも小さいのです。

 もちろん、家族や社会を守るために、
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐことは、とても大切です。

しかし、「絶対に感染したくない!」と思うと、疑心暗鬼になってしまいます。
目の前の人が、みんな感染者に見えるし、マスクをしていない人が、敵に見えます。

あそこにも、ここにもウイルスが付着しているかもしれないと思うと、
素手でモノを触ることができなくなります。  

しかし、感染の確率をゼロにすることはできません。
ウイルスは目に見えませんし、無症状の潜伏期間中でも、感染力があります。

そして状況によっては、空気感染が発生する可能性もあります。
そうなるとマスクをしていても、防ぎ切ることはできません。

          

☆うつされるのは防げないが、うつすのは防げる

でも、安心してください。
感染拡大から社会を守るために、もっと簡単で確実な方法があります。

それは「他の人には、絶対に感染させない!」と思うことです。
「うつされるのを防ぐ」ことはできませんが、
「うつすのを防ぐ」ことは、実は難しくないのです。  

ウイルス感染は、自分の体液が、相手の目鼻口から入ることで起こります。
大きな声で会話をしたり、せきをしたりすると、飛沫(ひまつ)が飛ぶかもしれません。

だから人と会って話をするときは、マスクをちゃんと着用します。
せきでマスクが間に合わないときには、せきエチケットを確実にします。

そして手に自分の体液(唾液や鼻水など)が手についたら、
何かを触るまえに、手をきちんと洗う、または手指の消毒をします。

これを確実にできれば、仮にあなたが新型コロナに感染していたとしても、
他の人に、感染させることはないはずです。

          

☆一番の症状は不安と恐怖

私は新型コロナウイルスの一番の症状は、「不安と恐怖」だと思います。
そして、これは感染していなくても、起こります。

さらに、この症状は、ウイルスとは関係なく、社会全体に伝染していきます。
PCR検査をどれだけ増やしても、抗原検査・抗体検査ができるようになっても、
たぶんこの症状は、治療できません。  

この困った症状の唯一の治療法は、「思いやり」だと思います。
みんなが「自分の身を守る」のではなく、「相手の身を守る」。

みんながそう思って、日常生活を送れば、
一人ひとりがそこまで神経質にならなくても、安全な社会生活が継続できるはずです。・・》

          

記事を読み終わった後、新型コロナウィルスの心構え、身構えに関して、
やさしく判りやすい内容だ、と思い深めたりした。

ともすれば小心者の私は、未知の新型コロナウィルスが怖くて、
ある程度は警戒してきたが、今回の記事で少し安堵をしたりしている。

もとより新型コロナウィルスに対して、効力有るワクチンは開発中であり、
接種がままならず世界の多くの人が恐怖の的となっているが、
今回、新型コロナウィルスの心構え、身構えの基本を多々学んだりした。


そして世の中は、自粛から自衛の風潮に変貌し、無力な私でも大切な社会経済の復興を願いながら、
新型コロナウイルスのワクチンが開発され、やがて沈静化するまで、お互いに自分の身は自分で守りながら、
程々に自粛生活の延長戦のような日常生活を過ごせば良いかしら、と微笑んだりした。
 

          

こうした中、人出の多いスーパー、ドラックストアー、ホームセンターなどではマスクを付け、
遊歩道、公園などはマスクを外して開放感を満喫したりするが、
人が2メートルに近づいた時は、国民のエチケットだよなぁ・・と思いながらマスクを付ける。

こうした思い、しぐさこそ、お互いに新型コロナウィルスに対しての心構え、身構え、
と少しボケた私でも思い深めたりしている。

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感染は抑え、活性化ある社会をめざす風潮の中、老ボーイの私は、とりとめなく過ごすことが多く・・。

2020-06-26 11:08:36 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、私は健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活16年半を過ごしてきた。

          
     ☆今回、掲載した写真のすべては、昨日の散策の時に撮った情景である☆


私は民間会社の中小業に35年近く勤めて2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、

長年サラリーマン生活を過ごす中、障害レースのように幾たびかリストラに遭遇して、
何とか乗り越え定年退職を迎えことが出来るまで、何かと卑屈と劣等感を秘めながら、悪戦苦闘が多かったりした。

そして何かと気弱な癖に、ときには自己顕示欲が強く、やがて反省しながら自己嫌悪となったりし、
つたないサラリーマンの人生航路を過ごしたりした・・。

やがて定年後、多々の理由で年金生活を始めた・・。

私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物メール老ボーイとなっている。

こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。

          

午後からの大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この間、私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

          

そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。

こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。

こうして年金生活を過ごしたりし、ときおり小庭の手入れをしたり、
家内と共通趣味のひとつである国内旅行を遊学している。

このように年金生活を過ごして、早や16年半が過ぎているが、
定年するまでの悪戦苦闘が多かった半生を思い馳せれば、
定年後の年金生活は安楽な歳月を享受してきた。

          



しかしながら、今年の
2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてるが、
いつになったら終息なるの、と思いながらマスクをして、人出の少ない処を選定して、
独りぼっちで散策している。

                         

こうした中で、私はマスクが苦手で、2月の中旬まで、これまでマスクをしたことはなかったが、
生まれて初めて極く一般の白いマスクを付けて、歩いたりしてきた。     

しかしながら、この後の3月になると、ドラッグストア、スーパー、コンビニなどで、
私たち夫婦のマスクを買い求めようとしたが、母を訪ねて三千里のように探し求めてきたが、
わずか6つばかり何とか入手できたが、マスク迷子の悲惨な時を過ごしたりした・・。
        
やがて4月23日、あるドラックストアーに寄った時、
たまたまマスクの入荷にめぐり逢えて、久々に買い求めることが出来たりした。
        

          
                 

昨今、『緊急事態宣言』が解除されて、何かしら重苦しい日常から解放されて、
安堵しながら微笑んだりしている・・。

そして世の中は、自粛から自衛の風潮に変貌し、無力な私でも大切な社会経済の復興を願っているが、
新型コロナウイルスが沈静化するまで、自分の身は自分で守りながら、
程々に自粛生活の延長戦する、と微笑んだりした。
 

しかしながら私の心の片隅では、覇気がなく、とりとめなく過ごすことが多くなっている。

          

たとえば昨日などは、午前中は小雨が降り、ぼんやりとブログの投稿文などを綴った後、
雨あがりの昼前に、いつものように自宅の周辺を歩いたりした・・。

新型コロナウイルスが報じられる2月以前には、
路線バスを活用して、都立の神代植物園を幾たびも訪ねてきた。

そして2月からは、我が家より往復8キロばかり歩き、
園内で3時間ぐらい歩き廻り、うつろう情景を取ったりしてきたが、
やがて無念ながら右脚の膝(ひざ)を痛め、昨今は整形外科に通院している。

          

或いは2月より、路線バス、電車も避け、
家内の病院の通院日の時だけは、ボデイガード兼お供で乗車してきたが、
これ以外は我が家の3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き廻ったりしている。

雨上がりの野川の両岸にある遊歩道、付近の住宅街、やがて小公園を廻り、
やがて帰宅後、読書をしたりした・・。

たまたま読んでいる本は、
三日前に本屋で偶然に見た石原慎太郎さん、曽野綾子さんの対談集『死という最後の未来』(幻冬社)、
そして沢木耕太郎さん著作の『旅のつばくろ』(新潮社)を購読している。

いずれも敬愛している三氏であり、表示された一行でも、読み返すように読んでいる。

          

私は新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が、
各地で解除され、早やで1カ月経ち、コロナと共存する生活は始まり、
感染は極力抑え、活気ある社会をめざす今日、このように私は、とりとめなく過ごすことが多くなっている。

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日本製のコロナワクチンは来春か、開発者が明かす最前線の苦悶、無学な私は学び、動顛させられて・・。

2020-06-25 11:09:00 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ヤフーで配信されているニュースを見ている中で、
『 日本製のコロナワクチンは来春か、開発者が明かす最前線の苦悶 』、
と題された見出しを見たりした・・。

過ぎし5月4日、新型コロナ対策として、専門家会議が提案した、
「身体的距離の確保」、「マスクの着用」、「手洗い」、
そして「3密(密集、密接、密閉)」を避ける等の対策を取り入れましょう、
と公報されてきた・・。

高齢者の私は、苦手なマスクをしながら、我が家の買物でスーパーに行ったり、
そして体力の衰えた私は、やむなく散策をしたりして自粛生活をしてきた。

          

やがて5月25日、緊急事態宣言が全国で解除されて、
私は過ぎし2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてきたので、
解放感に心身共に深く感じたりした。

          

しかしながら新型コロナウイルスは終息していなく、何かしら多くの御方が油断すると、
第二波が襲来し、ふたたび『緊急事態宣言』もありえるので、
私も困苦するので、これから当面は自粛生活の延長戦だよねぇ・・と思いながら過ごしている。

そして昨今、
自粛から自衛の風潮に変貌し、無力な私でも大切な社会経済の復興を願うが、
もともと
年金生活の私でも、自分の身は自分で守る、大切な生活指針としているので

私は
新型コロナウイルスが沈静化するまで、程々に自粛生活の延長戦する、
と微苦笑したりしている。

こうした根底には、新型コロナウイルスの難題に対しては、新たなワクチンしか、解消できないと学び、
世界の主要国で、それぞれ専門分野の御方が英知と鋭意で開発して下さり、
やがて私たち国民が誰しも安心して接種できるまで、
それぞれの多くの人は、大なり小なり自粛生活の延長戦が余儀なくされる、と私は思い深めてきた。

          

このような深情を私は秘めているので、どのような実態で開発されているのですか、
と思いながら、今回の記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『女性自身』の2020年7月7日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【 女性自身 】で6月25日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・世界中で日夜、研究開発が続けられている新型コロナウイルスへのワクチン。

          

日本も来年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向け、
安倍晋三首相は、開発が順調に進んでいることをアピールしていた。
実際、日本での新型コロナのワクチン開発の状況はどうなっているのか。

【写真】抗体依存性感染増強(ADE)が重大な問題となる可能性も……

「いま最も注目されているのが、DNAワクチンです。
これは、弱毒化したウイルスなどを使うワクチンとは異なり、
ウイルスの遺伝子情報を体内に注入して、抗体を作らせようというもの。
英米などで開発しているワクチンにくらべて安全性が高く、製造のスピードも断然速いといいます」(医療関係者)

このDNAワクチンの開発に実際に携わるなど、日本のワクチン開発の最前線にいるのが、
大阪大学大学院の臨床遺伝子治療学・森下竜一寄附講座教授だ。

取材を申し込むと、「抗体依存性感染増強(ADE)のリスクについて、僕に聞きますか?」
と苦笑いしつつも、真摯に応じてくれた。

          

そもそも、ワクチンとは、発症や重症化を予防するために投与する、弱毒化または無毒化した抗原のこと。
あらかじめ投与して、病原体に対する抗体を獲得しておき、
病原体が侵入してきても、感染あるいは重症化を抑えられるという仕組み。

しかし、本来はウイルスから体を守るはずの抗体が、
逆に細胞への感染を促進し、重症化を引き起こしてしまう現象がADE(抗体依存性感染増強)だ。

「ADE(抗体依存性感染増強)というのは、どのワクチンでも、起こるリスクはあります。
デング熱のワクチンでは、後に重症化することがわかり、使えなくなりました。
ただし、実際に開発されたワクチンでは、ほかにあまりそういった事例はありません。

今回の新型コロナワクチン開発においても、ADE(抗体依存性感染増強)の懸念はあります。
厚労省も含め、ワクチン開発している研究者は、みんな気にしています。

ADE(抗体依存性感染増強)のリスクは、事前にはわからないのです。
動物実験段階では、ワクチンを打った動物を新型コロナウイルスに感染させますが、
そもそも動物での感染モデルでは、大きな症状がないので、重症化するかどうか確認できないかもしれません。

少なくとも、従来行われたDNAワクチンの臨床試験では、
ADE(抗体依存性感染増強)が懸念されるデータは、今のところないです」

          

■まずはハイリスクの人に、ワクチンを

次のステップとなる人間への臨床試験はワクチン投与だけで、
実際に感染させる実験は困難だ。

「つまり、ワクチンが開発できても、投与した人が自然に感染するまで、
ADE(抗体依存性感染増強)が、起きるかどうかわからないということです。

ADE(抗体依存性感染増強)のリスクは、0.0何%といわれていますが、
新型コロナの場合、高齢者や基礎疾患を持つなどハイリスクの人の致死率は、10%を超えます。

どちらのリスクを選択するか。
危険性を十分認識したうえで、接種する人のリスクを検討する必要があると思います」

          

現在、森下教授らが開発中のDNAワクチンは、
ADE(抗体依存性感染増強)以外の安全性は、既存の医薬品としての実績もあり、
「基本的には、安全性に関する問題は少ないと思います」と語る。

「しかし、開発が成功しても、早くて来春です。
東京五輪まで、ワクチンを国民全員が接種することは難しいと思います。
到底、数が足りません。

ですから、個人的にはハイリスクの人に、まずは接種すればいいと思っています。
たとえば、クラスターの起きやすい介護施設や医療現場で、使えばいいのではと思っています。
最終的には、国が判断する話ではありますが・・・。

          

今後、海外から人を受け入れ始め、大流行が起きたら、医療崩壊のリスクもある。
だからこそ、それまでに一つの選択肢として、ワクチンは用意しておかなければいけません。

そのため、本来ベストにするには3年ほしいですが、
それでは遅いので、ベストに近いベターにしようと努力しています」
現在、開発状況は「7合目」だという。

東京五輪に向けワクチン開発を急ぐあまり、国民の安全を置き去りにしてはいけない――。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

           

私は記事を読み終わった後、改めて新型コロナウイルスへのワクチンに対して
開発されている御方の誠意、使命などに敬意したりした。

今回、何かと無知な私は、《・・本来はウイルスから体を守るはずの抗体が、
逆に細胞への感染を促進し、重症化を引き起こしてしまう現象がADE(抗体依存性感染増強)・・》、
と学びながら、震撼して、動顛させられたりした。

こうした難題を克服しながら、安全で効力あるワクチンを開発して下さる御方たち、
そして世界の多くの人が、待ち焦がれている現実・・

こうした中、無力な私は、息を潜(ひそ)めて、私なりの自粛をしながら、
待ちわびるしかないよなぁ・・と溜息をしたりしている。

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男性は女性に比べて、病状は重症化しやすい、75歳の男性の私は学び、やがて震撼させられて・・。

2020-06-24 13:56:14 | ささやかな古稀からの思い


                 

 

     

『 コロナ死亡者は7割が男、 誤嚥性肺炎や脳出血も男が重症化 』

記事の原文・・『週刊ポスト』の2020年5月1日号

《・・日本での新型コロナの死者は7割が男性──
この偏りに不安を抱く男性は多いだろうが、実はほかにも、
男性のほうが、重症化しやすい病気がある。

その原因は、飲酒・喫煙など男性に多く見られる生活習慣リスクだけとは限らない。
世界各国の医学研究によれば、他にも気になるファクターが隠されているという──。

          

◆喉の筋肉が衰えやすい

2018年の厚労省の人口動態統計を見ると、
誤嚥性肺炎にかかった男性の人口10万人あたりの死亡率は35.8で、
女性の死亡率26.4を上回る。

「誤嚥性肺炎における男女の死亡率の違いは、喉仏の筋肉とかかわりがあります」
そう指摘するのは、『肺炎がいやなら、のどを鍛えなさい』の著者で、西山耳鼻咽喉科医院院長の西山耕一郎医師だ。

「飲食物や唾液を飲み込む際、
食道行きと気管行きを仕分ける『フタ(防波堤)』となる喉頭蓋を動かすのが、喉仏の筋肉です。

この筋肉が衰えると、喉の『フタ』の動きが悪くなり、飲食物などが気管に入って、
誤嚥しやすくなります。
こうした喉仏の筋肉の衰えは、女性よりも男性に顕著です」(同前)

喉仏の筋力低下に男女差が生まれるのは、「言葉によるコミュニケーション量」が一因、
と西山医師は指摘する。

「喉仏の筋肉は、加齢によって衰え、早ければ40代から衰退が始まります。
60代以降の男性は、女性に比べて喋る機会が少なくなる傾向がある。
筋肉は使わなければ衰えるので、高齢男性ほど喉仏の筋肉が衰え、誤嚥性肺炎を招きやすくなります」

誤嚥性肺炎の初期症状は、発熱やたん、咳など風邪と似た症状のほか、
食事中にむせる、食後にたんが増える、錠剤が飲み込みにくい、食事に時間がかかるなどがある。

「大切なのは、日常生活でできるだけ会話をすることです。
シニアでも仲間とワイワイ楽しんだり夫婦でお喋りするなど、オーラルコミュニケーションを心がけてほしい」(同前)

家で一日中“だんまり”は危ないということだ。

          

◆男は脳出血、女は脳梗塞

死亡者数が多い『がん』、『心臓病』、『脳卒中』の3大疾病では、
それぞれに男性が重症化しやすい傾向が見られるものがある。

『心臓病』で男性の死亡率が高いのが、狭心症や心筋梗塞などの虚血性心疾患だ。
心臓病の専門医である銀座泰江内科クリニック院長の泰江慎太郎医師が指摘する。

「冠動脈が狭くなり、血流が滞る狭心症の場合、女性よりも男性のほうが冠動脈の狭窄度が高くなったり、
冠動脈の根元で狭窄が起きるケースが多く、重症化しやすい。

冠動脈が完全に塞がれて、心筋細胞が壊死する心筋梗塞でも、
男性が発症したときには、手遅れという人が少なくありません」

泰江医師が続ける。
「狭心症や心筋梗塞の主な原因は、動脈硬化です。

女性ホルモンのひとつで、卵巣から分泌されるエストロゲンには、
動脈硬化の原因となる血中の悪玉コレステロールの増加を抑制し、
動脈硬化を防ぐ善玉コレステロールの増加を手助けする働きがあるとされます。

男性は、こうしたホルモンをほとんど持たないため
女性よりも重症化しやすいと考えられます」

          

ストレスも動脈硬化の原因になる。
「仕事の負荷を感じやすく、かつ社会に出ると、友人関係が希薄になりやすい男性のほうが、
ストレスを溜めやすい傾向にあります。

ストレスを受けると、覚醒・興奮を司る交感神経の活動が高まって、
心臓に負荷をかけるだけでなく、副腎からのホルモンが盛んに作られるようになります。

これによってコレステロール濃度が高まり、血糖値が上昇し、血液もドロドロになって動脈硬化が起こる」(同前)


高齢になるほど発症率が高くなり、寝たきりを招く原因疾患の1位とされる『脳卒中』。
そのうち、脳の内部で出血する脳出血は、
2018年の厚労省の人口動態統計によると、10万人あたりの女性の死亡率は23.6だが、
男性の死亡率は29.8だ。

くどうちあき脳神経外科クリニック院長の工藤千秋医師が語る。
「男性ホルモンと女性ホルモンには、血管への作用にそれぞれ特徴があり、
男性ホルモンは、運動やとっさに力を発揮するために、血圧を上げるため、
血管が破裂して、脳出血にいたりやすいとされています。

反対に女性ホルモンは、生理があるため少しでも出血を抑えて血液を固める働きがあり、
血管が詰まって脳梗塞になりやすい傾向があります」

脳出血は、頭痛、吐き気などの症状が起こり、
重症の場合は、片麻痺や失語症などの後遺症が残ったり、数分で意識を失って死に至ることもある。
                         『週刊ポスト』の2020年5月1日号・・》

          

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
今年の2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてるが、
いつになったら終息なるの、と思いながらマスクをして、人出の少ない処を選定して、
独りぼっちで散策してきた。

こうした私はマスクが苦手で、2月の中旬まで、これまでマスクをしたことはなかったが、
生まれて初めて極く一般の白いマスクを付けて、15分ばかり歩いたりしてきた。     

しかしながら、この後の3月になると、ドラッグストア、スーパー、コンビニなどで、
私たち夫婦のマスクを買い求めようとしたが、母を訪ねて三千里のように探し求めてきたが、
わずか6つばかり何とか入手できたが、マスク迷子の悲惨な時を過ごしたりした・・。

やがて4月23日、あるドラックストアーに寄った時、
たまたまマスクの入荷にめぐり逢えて、久々に買い求めることが出来たりした。        


                 

昨今、『緊急事態宣言』が解除されて、何かしら重苦しい日常から解放されて、
安堵しながら微笑んだりしている・・。

こうした中、
健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、

歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活16年半を過ごしてきた。

そして世の中は、自粛から自衛の風潮に変貌し、無力な私でも大切な社会経済の復興を願っているが、
新型コロナウイルスが沈静化するまで、自分の身は自分で守りながら、
程々に自粛生活の延長戦する、と微笑んだりしている。
 

そうした中、今回、コロナ死亡者は7割が男、と読みながら、
いまだに新型コロナウイルスは終息していないので、どうして男性が7割なの・・、
と思い憂いたりした。

或いは、誤嚥性肺炎や脳出血も男が重症化しやすい、と読み、
どうしてなのょ・・何かと無知な私は記事を精読してしまった。

          


私は中小業の民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、

そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、
痛いほど理解させられたりしてきた。

やがて私は2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。

まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。

          

やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、
数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、私は震撼させられたりしてきた・・。

          

過ぎし年に、日本人の平均寿命は、ここ30数年、食生活の改善や医療の進歩などで延び続け、
2015年(平成27年)には、男性が80.79歳、女性が87.05歳と私は学んだりした。

そして介護の必要がなく、健康的に生活できる「健康寿命」も、
2013年(平成25年)の時点の推計で、男性が平均で71.19歳、女性が74.21歳と知ったりした。

こうした中で難題は『健康寿命』と『平均寿命』の間で、介護を要する御方が多いと学び、
私たち夫婦は、頼れる人もいないので、介護・要となった時は、 やむなく介護施設に思ったりしているが、
身体は衰えても、ボケないで晩年期を過ごしたいと念願したりしている。

          

私たち夫婦は、昨年は私は入院を2回ばかり体験し、家内も初めて入院したりして、

今日を迎えているが、健康寿命、やがて逝去も余りにも格差がある、と私は思い馳せたりしたりして、
ときおり私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。

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『沖縄慰霊の日』、戦争を知らない75歳の私、私なりの沖縄のささやかな思いは・・。

2020-06-23 13:04:04 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む75歳の身であるが、
洗面した後、玄関の軒下に下り立ち、襟を正して南の空に向かい、
黙祷したのは朝の7時過ぎであった。

私は1944年〈昭和19年)9月下旬に東京の今住んでいる近くで、農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年〈昭和20年)8月15日に、日本は敗戦となった。

そして敗戦時は一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代に属するが、
少なくとも沖縄戦が事実上集結したこの日の6月23日は、
『沖縄慰霊の日』と命名された厳粛な日として認識している。

          

先程、テレビのニュースを視聴したりした・・。

沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた。
最後の激戦地だった糸満市摩文仁(まぶに)の平和記念公園では、
「沖縄全戦没者追悼式」が行われた。

終結から75年の節目となったが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、
主催する沖縄県と県議会は規模を大幅に縮小し、安倍首相や関係閣僚を招待しなかった。

 式典には、玉城
知事のほか、県内の市町村長や遺族代表らが出席。
例年は約5000人が参列してきたが、新型コロナ対策として約200人の招待者らに限定し、
参列者は約2メートルの間隔をとって並んでもらうことにした。

 玉城知事は「平和宣言」で、沖縄戦の教訓を次世代に継承し、国際平和に貢献する決意を述べる。
 安倍首相はビデオであいさつし、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす方針を示す。
(略)
 沖縄戦などの戦没者の名前を刻んだ同公園の「平和の礎(いしじ)」には新たに30人が刻銘され、
総数は24万1593人になった。

このように報じて、改めて《・・終結から75年の節目となった・・》、私は深くかみ締めて、
やがて私なりの沖縄のささやかな思いを馳せたりした・・。

          

たまたま過ぎし2018年10月21日より、
沖縄本島のブセナ岬にあるリゾートホテルに4泊5日で滞在旅行をして、
こうした中で、私なりの沖縄のささやかな思いを投稿してきたので、あえて再掲載をする。

『 新北風(ミーニシ)の吹く爽やかな中、沖縄本島のブセナ岬にあるリゾートホテル滞在記 』
(2018.10.21.~10.25.)

第5章 とりとめなく館内で沖縄のささやかな思いを馳せれば


滞在している『ザ・ブセナテラス』の室内のベット、窓際の安楽椅子、

そしてバルコニーにある安楽椅子で、ときおり持参した本を読んだりした・・。

              

この本は、昨年の1月下旬、平素の買物で駅前に行った時、本屋に寄った時に見かけて、
瞬時に読みたくなり、講読した一冊であり、感銘を受けて、改めて今回再読したく持参したりした。

そして館内のゆったり休息処の安楽椅子に座りながら、再読した・・。

              

私は1944年〈昭和19年)9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年〈昭和20年)8月15日に日本は連合国のポッタム宣言を受け入れて、敗戦となった時、
一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代のひとりである。

しかしながら少なくとも沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』には沖縄本島に向い、
対戦中のアメリカが、人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下された8月6日の『原爆の日』には広島市に、
その後まもない9日の長崎にも原子爆弾が投下された『原爆の日』には長崎市に向い、
そして8月15日の敗戦なのに『終戦記念日』称している日には皇居に向い、黙祷を重ねたりしてきた・・。

こうした根底には、かの大戦に於いて、余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、ここ50数年、黙祷をして尊い命のご冥福を祈っている。

そして私はいつも感じることは、若き10、20代の諸兄諸姉に対して、
少なくとも日本の過去には、こうした現実があった、と認識して欲しい、固く願っているひとりである。

          

沖縄に関して、恥ずかしきことを告白すれば、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の当時、
私は大学2年で中退し、映画、文学青年の真似事をしている中、
たまたま中野好夫、新崎盛輝の両氏による共著『沖縄問題二十年』(岩波新書)を読んだりした。

そして高校時代以来、何かと時事に関心を抱き、ベトナム問題と同様に
まとまりつかない沖縄問題に思考が整理できず、深く悩んでいた・・。

そしてこの本に出会ったのは、21歳の時だった。

若き私は感受性が豊かな時であったので、知識人の確かなアドバイスを頂いたようになり、
この本の言葉に導かれて、私は沖縄に対しての理論整然と見方として教示され、基軸となった・・。

これ以降、やがて社会人となり、そして定年退職後の生活を送っている今でも、
沖縄、オキナワ・・ことばを読んだり聴くたびに、
何かしら今だに、後ろめたい気持ちを引き摺(ず)っている。

私はこの一冊の本に寄り、沖縄に於いては、安易な観光気分で訪れることが出来なくなり、
この後30年後の50代に初めに、家内と共に初めて沖縄諸島の土を踏み、更に思いを深めたりした・・。

この後、名嘉正八郎、谷川健一両氏の編集に寄る『沖縄の証言 ~庶民が語る戦争体験~』《上》、《下》(中公新書)を
1977年11月に購読してきた。

そして太田昌秀・著作の『沖縄の帝王 高等弁務官』(朝日文庫)を1996年2月に購読して、
敗戦後の沖縄にアメリカ軍政下の実態を多大に学んだりした。


もとより太平洋戦争で、日本の国土である沖縄列島が直接に戦闘地域となり、
軍人の死もさることながら、一般の人々までが戦場の中で多大な犠牲の上、沖縄戦は事実上集結した日である。

そして沖縄県は『慰霊の日』として、戦没者追悼式が毎年行われている。

          

何よりも戦時中、日本の本州の防波堤となり、
直接にアメリカ軍との激戦地となり、民間の住民まで戦禍にまみれ、
尊い犠牲の上で、今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
せめて『慰霊の日』は、沖縄に向って黙祷を重ねたりしてきた。


私よりご年配の方はともかく、私より若き世代の人たちの一部に、
『沖縄慰霊の日』の由来を誰でも解り易く、簡潔に記した書物は、
私が知る限り、知識人の藤野邦夫(ふじの・くにお)氏の書かれた『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)であり、
この中で、この『沖縄慰霊の日』を明記されている。

そして私は若き人たちと共有致したく、今回もあえて転記させて頂く。
《・・ 太平洋戦争が最終段階に入った1944年(昭和19年)3月、
本土決戦を引き延ばす目的で、沖縄に第32軍(牛島満・司令官)が配備された。

そして全島を要塞化する計画が推進されたが、
10月10日の大空襲で守護隊は大きな被害を受けて、那覇市は全焼。
548人の一般市民の死者をだした。

この後、守護隊の主力部隊が、フィリピン作戦、に狩り出された為、
軍首脳部は県民の中から、人員を補充せざるを得なかったのである。
沖縄戦が始まった時点の兵力は、約10万人とされるが、その3の1は、前記のような補充兵だった。

これに対し、ミニッツ太平洋艦隊司令官の基に、バックナー中将の率いるアメリカ軍の艦船は、約1500隻。
兵力は17万3000人で、後方支援部隊も合せると、実に44万人に達したという。

兵器と爆薬の面でも、心もとない守護隊に対して、アメリカ軍は圧倒的に優位にたっていたのである。

このアメリカ軍が、1945(昭和20年)年3月23日、沖縄諸島に激しい艦砲射撃をくわえた。

彼等は、26日に慶良間列島を確保した後、4月1日から沖縄本島に対する上陸作戦を開始した。

日本軍の主力が、首里を中心に配備されていたので、アメリカ軍はさほどの抵抗も受けずに上陸を完了し、
沖縄本土は南北に分断した。

この後、アメリカ軍は、南部にいた日本軍に対する総攻撃を開始。
両軍の激戦は40日におよび、劣悪な条件で戦った日本軍の抗戦には、すさまじいものであった。
しかし、この戦いの為、守護隊の主力は壊滅した。

残った約4万人の兵力は、5月22日に、更に南部に撤退した。
ここには推定で約10万人の県民も避難した為、沖縄戦は過酷な様相を呈することとなった。

勢いに乗るアメリカ軍の激烈な攻撃にさらされる極限状況の中で、
日本軍による一般人の虐殺、食糧の強奪などが発生。

更に、女子学生で組織された看護隊『ひめゆり部隊』の悲劇にみられるような、
県民達の凄惨な事件が続発した。

          

そして6月23日、牛島司令官の自決。
ここで日本軍の組織的な抗戦は終結した。

しかし、引き続き行なわれたアメリカ軍の掃討作戦で、6月末までに、約9000人の日本兵が犠牲となった。

この三ヶ月間の戦闘死者は、日本軍6万5908人、県出身の軍人2万8228人、
アメリカ軍1万2281人で、計10万5417人。 
そして一般の県民は、推定で9万4000人が亡くなった。

軍人よりも一般人の犠牲者が多い所が、沖縄戦の非人道的な面が如実に現れている。

沖縄県では、沖縄が事実上終結した6月23日を『慰霊の日』とし、1951年(昭和26年)から祝祭日に指定。
糸満市の『平和記念公園』で、戦没者追悼式が行なわれている。 ・・》

注)原文よりあえて改行を多くした。

私は転記しながら、改めて再確認しながら、戦争とは、かくも果てなき残虐の行為である。
          

                         

私は50代に初めに、家内と共に初めて沖縄諸島の土を踏み、初めて沖縄諸島を観光で訪れたが、
この中のある時、海原を観ていた時、ガイドさんが、
『あの海の彼方は・・アメリカの艦隊でいっぱいだった・・とご年配の方から教えて貰いました・・』
と私はガイドさんから教えて頂いた。

そして私は、前方の海原にアメリカの艦隊がひしめき、
そこから艦砲射撃がされ、沖縄本土が被弾する状況を想像した時、
私は胸が熱くなり、そして涙があふれていた・・。

          

私は『沖縄慰霊の日』、そして原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、8月9日の『長崎被爆』、
そして 敗戦となった8月15日は、
たった一枚の赤紙(召集令状)で徴兵され、戦場で亡くなわれたお方たち、
或いは戦時下、空襲などで亡くなわれた多くの人々に哀悼の意を表して、
毎年この日に黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。

                     

そして今回、掲載した数々の写真は、過ぎし2007年〈平成19年〉10月29日から8泊9日間で、
私たち夫婦は家内の母と共に、沖縄本島の一部を訪れた時に撮ったものである。

家内の母は、1930年〈昭和5年〉生まれであり、
この数か月前に、死ぬまでに一度は沖縄の《ひめゆり塔》を参拝したい、と家内に言ったりした。

家内の母は、戦時中は(新潟県)高田の女学校時代に於いて、
軍事工場の支援に強制従事させられた体験を含めて、
何か平和祈念公園の中で、沖縄戦で亡くなれた新潟県の墓地にも花をささげたい、
このような慰霊の旅路を、この沖縄の前半の時に私たち3人は巡礼した。

この後、佐野眞一・著作の『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(2008年、集英社インターナショナル)、
『僕の島は戦場だった 封印された沖縄戦の記憶』(2013年、集英社インターナショナル)を読み、
沖縄の光と影を学んだりしてきた。

或いは福永文夫・著作の『日本占領史 1945-1952 東京・ワシントン・沖縄』(2014年、中公新書)、
改めて敗戦後の怜悧な国益に基づいた実態史を多々教示されたりしてきた。

そして大久保潤、篠原章・共著作の『沖縄の不都合な真実』(2015年、新潮新書)、
ロバート・D・エルドリッヂ著作の『オキナワ論』(2015年、新潮新書)、
高良倉吉・編著作の『沖縄問題 ~リアリズムの視点から~』(2017年、中公新書)、
篠原章・著作の『外連の島・沖縄 ~基地と補助金のタブー~』(2017年、飛鳥社)、
沖縄の現実の難題を多々学び、無力な私は憂いたりしている。

この間、改めて沖縄戦の過酷な実態は、ユージン・B・スレッジ・著作(訳・伊藤 真、曽田和子)の
『ペリリュー・沖縄戦記』(講談社学術新書)を読み、戦地でそれぞれ置かれた人が、
狂気のふるまいに、映像では表現しずらい多くのことに、震撼させられてきた。

          

私は沖縄問題にも専門知識がない浅学のひとりであるが、時代に翻弄される沖縄県民に、
ときには深く感傷させられる時もあるが、
長い展望でそれぞれの家族ひとりひとりが少しでも豊かさを求めて欲しい、
と政治の思惑より現実経済向上を願うひとりである。

このような思いを重ねて、今日に至っている。

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『フレイル健診』、体力の衰えた75歳の私、こっそりと受診して、やがて微苦笑をして・・。

2020-06-22 16:12:22 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot.】に於いて、
何かしら『フレイル健診』に関して、記事が掲載されていた
・・。

本来は医師や看護師、保健師などの専門家が評価する健診だが、自分で、または家族や友人とともにチェックしてみては

本来は医師や看護師、保健師などの専門家が評価する健診だが、自分で、または家族や友人とともにチェックしてみては

(イラスト/林 けいか)

(イラスト/林 けいか)

新・名医の最新治療 2020 (週刊朝日ムック)

朝日新聞出版

2020年4月、後期高齢者を対象とした「フレイル健診」が始まった。
フレイルを予防できれば、将来寝たきりになるリスクを下げることも可能だ。

フレイルの危険性とフレイル健診について、
週刊朝日ムック『新「名医」の最新治療2020』では2人の専門家に話を聞いた。

          

フレイル──どこかで耳にしたことがある人もいるだろう。
日本老年医学会が2014年から提唱している、
高齢者に特有の状態を指す言葉で、英語のfrailty(虚弱、弱さ)からつくられた言葉だ。

厚生労働省が2020年4月にスタートした「フレイル健診」は
75歳以上の後期高齢者を対象に、フレイル状態かどうかを評価して、
必要な場合は改善をおこなう目的で実施される。

健診自体は、15の質問に答えるだけだ。(表参照)
 



これで一体、どのようなことがわかるのだろうか。
そもそも、フレイルとは、どのような状態を指すのだろうか。


フレイルとは、「加齢によって心身の活力が、徐々に低下してくる状態」を指す。
これまでは「虚弱」「老衰」などといわれてきたが、可逆性をもつ、つまり元の状態に戻る可能性がある、
希望がもてる言葉として「フレイル」が提唱された。


年をとれば、ある程度の衰えはしかたがないことだが、フレイルが進行するままにしていると、
その先には寝たきりなど、要介護状態が待っている。
フレイルは健康と要介護の中間にある状態ととらえてもいいだろう。

          


フレイルにはいくつかの側面がある。

身体面では、歩く速度が遅くなって横断歩道が渡り切れない、
ちょっとした段差につまずくなどがフレイルのサインとなる。
質問票では、(1)、(7)~(9)が該当する。


また、オーラルフレイルと呼ばれる、口腔機能の低下の有無も重要だ。
自分で噛んで食べることが、健康寿命を延ばすために必要であることはよく知られている。
質問票では(4)、(5)で評価される。


精神や認知機能の健康度もフレイルに含まれ、
認知症やうつを防ぐための大切な評価ポイントとなる。
質問票の(2)、(10)、(11)にあたる。

そしてもう一つ重要なのが、質問票の(13)、(14)でみる社会性の評価だ。
外出や人との付き合いで社会性を保つことも、心身の健康につながるからだ。

これらに、生活習慣や体重変化、サポートの有無などのチェックが加えられている。

          

東京大学高齢社会総合研究機構機構長の飯島勝矢医師はこう話す。
「本来は、医師や看護師、保健師などの専門家が評価する健診ですが、
自分で、または家族や友人とともにチェックしてもいいでしょう」

その際、何点以上ならフレイル、という判定ではなく、
マイナス方向の答えになった項目を改善して、
次の機会には、すべての項目がプラス方向の答えになることを目指すのが重要だという。

「『はい』が三つだから、フレイルのリスクなし、という評価ではないのです。
マイナス方向の答えのゼロを目指してください」(飯島医師)

          

■プレ・フレイルなら元の状態に戻ることも

フレイルの要素は、それぞれが関係し合っている。
例えば、一度転んでしまうと、また転ぶのではないかと不安になり、散歩をやめてしまう。

引きこもり気味になって、徐々に足腰が弱ってくる、からだを動かさないので食欲が落ちる、
友人にも会わなくなり、ぼんやりしていることが多くなってきた・・・
このように、一つのフレイルから次々に、そのほかの面でもフレイルが起きてくる。


東邦大学医療センター大森病院リハビリテーション科教授の海老原覚医師は次のように話す。
「小さなことがきっかけになって、ドミノ倒しのように、フレイルが進むケースは少なくありません」

では、フレイルに気づいたときには、もう手遅れなのだろうか。
そうではなく、重要なのはフレイルには可逆性がある、つまり努力次第で元に戻れることだと、
両医師ともに強調する。

あと少しでフレイルになってしまいそうな段階(プレ・フレイル)であれば、さらに戻りやすいという。
フレイルを放置して要介護になってしまうと、元の健康な状態に戻るのは難しくなる。

          


■運動、栄養、社会参加、口腔ケアで脱フレイル

フレイルは一つだけを改善するのではなく、複数の側面からアプローチすることが大切だ。
それぞれのポイントごとに解説する。

▼運動=筋肉を増やそう
   フレイルの要因として重要なのが、サルコペニア(筋肉減弱症)だ。
   加齢によって、筋肉量が徐々に減っていく。

   歩く、走るなどの日常の動作が不自由になるだけでなく、筋肉量の減少で消費エネルギーが減り、
   食が細くなって体重が減少する。
   また、免疫力が低下することも明らかになっている。

   指輪っかテストでおおよその筋肉量を測ってみよう。
   指輪っかとふくらはぎの間に隙間ができていたら、サルコペニアの可能性が高い。

  【指輪っかテストで筋肉量を測ってみよう】

   「サルコペニアは、フレイルの最大の要因です。
   高齢者が2週間、からだを動かさず寝たきりのような生活を続けると、
   7年分の筋肉を失うことがわかっています。たった2週間で要介護にぐんと近づいてしまうのです」(飯島医師)

   しかし、筋肉量は次のような工夫で、回復させることができる。
    (1)こまめにからだを動かし、代謝をよくして食欲を取り戻す。
    (2)歩くなどで足を使う。
    (3)たんぱく質を積極的にとって、筋肉を育てる。

          


▼栄養=たんぱく質をしっかりとろう

    筋肉を増やすために不可欠なのが、たんぱく質だ。
    どんなに運動を頑張っても、筋肉のもとになる栄養素であるたんぱく質が不足していては、
    筋肉は増えない。

    また、筋肉や骨に栄養素を運んでくれるビタミンDも意識してとりたい。
    日光に当たることも、体内でのビタミンDの活性化には不可欠だ。

    食習慣についての考え方を、ぜひ変えてほしいと、両医師は口をそろえる。
    中年期はメタボリックシンドロームを防ぐために、
    低カロリー、低脂肪、野菜中心の食生活が勧められていたが、
    老年期になると、それではいけないという。

    「老年期になると代謝も変わり、生活習慣や環境も変化します。
    『おなかの脂肪を落とそう』と考えるのではなく、しっかりたんぱく質やカロリーをとって、
    フレイルの予防に努めることを第一にしてほしいです」(飯島医師)

                            (文・別所 文)

≪取材協力≫
東京大学 高齢社会総合研究機構機構長・ 未来ビジョン研究センター教授 飯島勝矢医師
東邦大学医療センター大森病院 リハビリテーション科教授 海老原 覚医師

※週刊朝日ムック『新「名医」の最新治療2020』より  ・・》

          

記事を読み終わった後、多々教示させられた・・。


私は年金生活17年生であり、健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を過ごしてきた。

しかしながら70歳を過ぎる頃から体力の衰えを実感している上、
ここ数週間は右脚の膝(ひざ)の痛みを感じることもあり整形外科に通院しているが、
今回の記事の中て、『フレイル健診』があり、こっそりと受診してしまった。     


やがて現時点では、特に問題がないよなぁ・・と微笑んだした・・。


私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。

こうして歩く時の私は、紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりして、記憶のかたみとしている。
             
そして私は殆ど毎日歩いているので、 家内より日焼けしているわょ、
と私は毎年3月頃から言われたりした。

そして私は洗面所で顔を見ると、日焼けした顔立ちを見て、
クロちゃんだねぇ、と微笑んだりし、高齢者は元気が何よりだよねぇ・・と微笑む時もある。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は幾たびか重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしてきた。

          

しかしながら、今年の2月の上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、重苦しい閉塞感に、戸惑いながら過ごしてるが、
いつになったら終息なるの、と思いながらマスクをして、人出の少ない処を選定して、
独りぼっちで散策している。

このような不用不出の外出自粛の風潮で、私は日常生活のペースは戸惑い、
昨今は自粛の解消の中で、開放感に満ちたりしているが、
ある面は新型コロナウイルスは終息せず、心が幾分晴れないのが本音となっている。

          

やむなく私は、昨年の今頃は・・青空の陽射しが燦燦と照らす中を歩いたり、
或いは大きな樹の下でベットペトルの冷茶を飲み、水分補給をして、再び歩きだす。

やがて帰宅後は、着替えたりした後は、エアコンの冷気に甘えて、
読書をしたり、ブログの投稿文を綴ったり・・このような昨年の今頃のような平常心に・・
と思い馳せたりした。

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シャツの裾は、ズボンに入れるべきか、高齢者の私は学び、やがて独り微苦笑をして・・。

2020-06-21 15:32:19 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ヤフーが配信されているニュースを見ている中、
シャツの裾は、出すべきか 出さざるべきか・・、と題された見出しを見てしまった。

この記事は、ファッションエディター&ライターの池田保行さんの寄稿文で、
ときおり私は迷ったりしている私は、学びたく記事を読んでしまった。

この記事は、ときおり愛読している【 日刊ゲンダイDIGITAL 】が6月10日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

  •  
シャツの着丈で判断(C)日刊ゲンダイ
シャツの着丈で判断(C)日刊ゲンダイ
拡大する

 
《・・現役の頃、スーツを着る時は、ワイシャツの裾は、ズボンに入れるのが正解だったハズ。
だが、リタイアしたシニア世代にとって、シャツの裾をどうすべきかは大問題だ。


なんとなく、いままでのクセで、ズボンにしまってベルトをしているかもしれない。
しかしこれが、やぼったく見えることがある。

ベルトを締め付ける必要がなく楽だからと、裾出しで着る方もいることだろう。
これが単にだらしなく見えてしまうこともあるから、シャツの着方は大変に難しい。


いたずらに悩ませるのは失礼なので、先に正解を言っておくと、
シャツの裾を出すか否かは、スタイルと同時に、シャツの着丈によって変えるべきだ。
どういうことか詳しく説明しよう。


まず手持ちのシャツを、床に広げて並べて欲しい。
裾が丸く弧を描くタイプと、水平にカットされているものがあるだろうか。

アロハシャツのように水平裾のシャツは、
裾を出して着るべきシャツなので、悩む必要はない。

          

問題は弧を描くタイプだ。


裾が弧を描くシャツは、昔この裾の下にボタンが取り付けられていて、
股下で閉じて着ていた頃の名残といわれる。

裾が長いぶん、背中を丸めて裾が飛び出さないという利点もあり、
ビジネススタイルなど、礼節を求められる着こなしにおいては正解といえる。

しかしカジュアルにシャツを着る際、裾出しで軽く羽織るように着たいこともある。
そんな時、出す、出さない基準はシャツの着丈(=裾丈)で判断する。

          


■着丈の長いシャツ、大きすぎるシャツを羽織るのはNG

鏡の前でシャツを裾出しで着たら、後ろを見ていただきたい。
この時、お尻が半分ぐらいのぞくシャツは、「裾出しOK」なシャツだ。

お尻がすっぽり覆われる着丈のシャツは、裾出しで着てはいけない。
胴が長く、短足に見えてスタイルが悪い印象に映るからだ。


付け加えると、サイズの大きいシャツを裾出しで羽織るのもNGだ。

「羽織るように着るシャツは大きいサイズがいい。それに大きいほうが楽だ」
と思われるかもしれないが、絶対にやめたほうがいい。
ブカブカでシワだらけのシャツは、かえってみすぼらしく不潔にも見える。・・》

          

記事を読んだ後、私は微苦笑を重ねてしまった・・。

私は民間会社を2004年の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めたりした・・。

こうした中で、心身とも開放感に満たされて、スポーツシャツの裾も、ズボンの中に入れず、
楽だよなぁ・・独り微笑んだりしてきた・・。

しかしながら冠婚葬祭の黒のダブルの正装の時は、もとよりワイシャツの裾は、
ズボンの中に入れて、颯爽とし、知人、友人に応対したりしてきた。

或いは懇親会などの場合は、長年お世話になった御方がいる場合は、
ブレザーにおしゃれなワイシャツにネクタイを締めて、談笑を重ね、
当然ながらワイシャツの裾は、ズボンの中に入れてきた。

          

そして仲良しの知人、友人だけの懇親会は、
スポーツシャツの上に、ジャンパー風のフリースとかフィールド・ジャケットを着たりして、
こうした時は、スポーツシャツの裾も、ズボンの中に入れず、歓談を重ねてきた。

こうした中で、平素の買物、散策の時は、何かとスポーツシャツを愛着して、
裾も、ズボンの中に入れず、颯爽と歩き廻ったしている。

或いはスポーツシャツを水平裾に直したりして、ときにはアロハシャツを着て、
楽だよなぁ・・と微笑み時がある。

今回の服装に関して、私はその時に応じて失礼にならない程度にしてきたが、
お逢いした御方に対しての礼節、会話、しぐさが何よりも大切かしら、
と微苦笑したりしている。

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『父の日』、少子高齢化の中で、私は罪人(つみびと)のように感じながらも、多岐に思い馳せて・・。

2020-06-20 14:55:26 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
昨夜、机の脇机の引き出しを整理していたら、
古びた新聞の記事の切り抜き記事があったりした・・。

私は手に取ったら、過ぎし2006年6月15日の読売新聞であり、
【父の日 川柳】の記事であったりした。

何かしら
デパートの新宿タカシマヤが、
父の日を前に一般から募った『父の日 川柳コンテスト』の

入賞作品の発表記事だった。

          

こうした中で
大賞に選ばれたのは、
    アルバムの 父娘の割合 一対九
解説に寄ると、家族内で存在感の薄い父親の現状を嘆いたものでなく、
「写し手」になることが多い父親の娘に対する愛情を表現した作品。

そして入選作品として、

20作品が紹介されているが、私が瞬時に魅了されたのは、下記の3句であった・・。
   父さんの 愚痴をきいている 発泡酒
   父の日も 父は手酌の 背を丸め
   母の日は ホテル父の日は ファミレスで

或いは私がいつの日にか晩年になった時、
   年ごとに 無垢(むく)なこどもに 還る父
このような父親に羨望したりした。

          
      
私の父は、私が小学2年の時の1953年〈昭和28年〉の春に42歳の若さ病死され、
家内の父は、私のサラリーマン定年退職の直前の2004年〈平成16年〉の秋に、
入退院を繰り返してきたが77歳で他界された。

そして私たち夫婦は、無念ながら子供に恵まれなく、
私たち夫婦生活の44年間の中で、最大の誤算となっている。

もとより夫婦であれば子供をさずかり、子供を育てる重責の一面を果たしていないことを思い浮かべ、
ときおり後ろめたさを感じたりする時もある。

このようなことで少子高齢化の中で、罪人(つみびと)のひとり、と思う時もある。

そして私は毎年『父の日』を迎えても、子もなく、もとより孫もいなく、寂しい日となっている。

                              

このような事情で、私としては父親の資格もなく、語る資格もないが、
何かしら父親が存命している、ご愛息(あいそく)・ご愛嬢(あいじょう)に、
秘かにお願いをしたいことがある・・。


子供の立場として、男子たる場合は幾つになっても『母親』を何かと慕(した)い、感謝し、
『父親』は何かと二の次になることが多いと思われる。

特に成人した頃からは、父親が現役で奮闘している場合は、
息子は何かとライバル視する傾向が多く、素直な父と息子の親子の心情のふるまいや会話ができなく、
やがて父が高齢者になり、しぐさが衰えたり、或いは死去されたりする。

そして 初めて父親が家庭を守る為に、孤軍奮闘してきた長年の言動に気付き、
遅ればせながら父の人生航路に感銘を覚えることが多いと思われる。

女の子の場合も『母親』を日頃から何かと纏(まと)いつきながら重視しがちであり、
父親からすれば、自身の愛(いと)しき妻よりも、遥かにご自分の娘がこの世界で一番可愛い、
と私の多くの知人から聞いている。

                    

こうした深情、或いは情念もさることながら、
未成年、成人した子供を問わず、たとえプレゼントする品がなくとも、
『お父さんのお陰で・・』
と何かしら感謝の言葉を父親に労(ねぎら)いの一言を切に願っている。

或いは直筆のメッセージを綴られることを願ったりしている。

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あなたの血管年齢はいくつ・・『血管老化度チェック』、75歳の私は、こっそりと受診して、やがて微苦笑して・・。

2020-06-19 14:04:25 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ヤフーに掲載されているニュースを見ていたら、
血管の老化が原因で起こる「血管病」で亡くなる時代と明記されていた。

これに伴い、血管老化度チェックテストが添付され、
私は過ぎし昨年の新年早々に心臓の痛みで8泊9日で入院した体験もあり、
どのようなことですか、と思いながら真摯に記事を読んだりした。

やがて『
血管老化度チェック』が添付されていたので、
こっそりと果敢に受診して、微苦笑してしまった・・。

この記事は新小山市民病院理事長の島田和幸・病院長の寄稿文であり、
【 婦人公論.jp 】に3月26日に配信され、無断ながら記事の大半を転載させて頂く。

          

《・・(略)・・日本人の4人に1人が脳出血や心筋梗塞など、
血管の老化が原因で起こる「血管病」で亡くなる時代です。

医療関係者も今、「血管ケア」の重要性に注目しています。
私たちが突然死から身を守るためにできることは──

          

☆40代、50代で血管病を発症する人が増えている

突然死とは、どのように起こるかご存じでしょうか。
いわゆる脳卒中(脳梗塞/脳出血)や心筋梗塞により、脳もしくは心臓の機能が停止することが原因です。

ではなぜ、心臓や脳が一瞬にして、機能停止してしまうのか。
その原因は、すべて「血管の老化」にあります。

血管が破裂、あるいは詰まることで引き起こされる病気を「血管病」と呼び、
最近では40代、50代で血管病を発症する人が増えています。

要因は、食べ過ぎや偏食、運動不足にあります。
実は、地球上の動物で、血管病を発症するのは、人間だけ。
便利な生活や乱れた食生活で、血管を蝕まれた結果と言えるでしょう。

しかし、生活習慣を見直すことで、血管を強くすることはできます。
次の血管老化度チェックテストで、自分の血管年齢を把握し、今からできる「血管ケア」を始めましょう。

          

☆こんな症状にご用心!

●激しい頭痛・吐き気がある

●ときどき動悸がする

●胸に違和感がある

●軽い動作でも息が切れる

●ろれつが回らない

●言葉が理解できない

●手足にしびれがある

***

◆脳梗塞
   硬化が進んだ脳動脈に血栓が詰まり、血流が途絶え、その先の細胞が壊死する

◆脳出血
   脳の細い動脈が硬く厚くなり、こぶ状の動脈瘤ができ、破裂する

◆心筋梗塞
   冠動脈に血栓が詰まり、心臓への血流が完全に途絶えて、心臓の筋肉が壊死する

◆大動脈瘤破裂
   腹部や胸部の太い動脈が硬化してこぶ状の膨らみができ、それが破裂して体内で大出血が起こる

          

☆あなたの血管年齢はいくつ?

〈血管老化度チェックテスト〉
40歳を過ぎれば、血管も徐々に衰え始めます。
まずは現状を把握し、必要なケアを始めましょう。 あてはまる項目をチェックしてください

□1  早食いである。または満腹になるまで食べることが多い

□2  肉や揚げ物が大好き

□3  野菜をあまり食べない

□4  魚をあまり食べない

□5  外食や市販の弁当が多い

□6  丼もの、カレー、パスタなど単品料理で済ますことが多い

□7  ラーメンが好きでよく食べる。汁も飲み干す

□8  インスタント食品やスナック菓子をよく食べる

□9  毎日のようにお酒をよく飲む

□10 運動はほとんどしない

□11 ちょっとした移動にも車を使い、あまり歩かない

□12 以前と比べて、明らかに太った

□13 仕事がいつも忙しい。または、介護など家族のことで忙しい

□14 寝不足の生活が続いている

□15 イライラすることが多い

□16 ストレスが多いほうだと思う

□17 趣味がない

□18 血圧が高い

□19 血糖値が高い

□20 LDLコレステロール値が高い

□21 家族に脳卒中や心筋梗塞になった人がいる

□22 長年たばこを吸っている

チェックをつけた項目を、Q1~17は各1点、Q18~22は各2点で計算しましょう

          

☆判定結果
 

《3点以下の人》
    実年齢+5歳以内 血管病の心配はありません 実年齢に近い状態の血管です。
   生活習慣病のリスクは、年齢とともに増加するので、
   現在の良い生活習慣を続けて、元気な血管を維持できるようにしましょう

《4~7点の人》
   実年齢+10歳 現在の生活習慣を見直そう 
   実年齢よりも血管の老化が進んでいる可能性があります。

   食生活などを改善し、老化を食い止めましょう。
   血管ケアは早く始めるほど、確実な効果を得やすいですよ

《8~12点の人》
   実年齢+15歳 放置するのは危険です!
   血管の老化が実年齢よりも進んでいます。血管ケアを開始しましょう。

   高血圧、糖尿病、脂質異常症の人は専門医に相談し、治療方針を作ってもらうことをおすすめします

《13~17点の人》
   実年齢+20歳 数年後、血管病に襲われる危険あり
   動脈硬化が進んでいる可能性があります。

   血管病年齢を知るための検査を受け、専門医に相談して生活習慣病の改善など、
   必要なケアを早期に始めましょう

《18点以上の人》 実年齢+30歳以上 深刻な状態。
   今すぐ治療を開始して 全身の血管で動脈硬化が、かなり進行していると考えられます。
   血管病年齢を知るための検査を受け、専門医のアドバイスのもと、今すぐ血管ケアを始めましょう・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

          
この記事を読み終わった後、
あなたの血管年齢は いくつ・・『血管老化度チェック』に小心者の75歳の私でも、
こっそりと受診してしまった・・。

恥ずかしながら正直に告白すれば、《・・血糖値が高い・・》しか該当しないので、
総計2点となり、判定の結果として、《3点以下の人》のグルーフに属し、微笑んだりした・・。

          

しかしながら、
過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は66歳の健康診断の時の結果、
『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。

私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。

そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。

私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。
このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。

やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、 軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。

この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。

そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。

          

こうした中、私は最寄の内科に8週間毎に定期検査日、そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。

そしてこうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。

          

或いは昨年の1月3日の深夜、救急車で搬送されて、循環器専門の『榊原記念病院』に、

1月4日より8泊9日の入院したりした。

3日の夕食を家内と共に頂いた後、
やがて私は9時過ぎに布団にもぐり、本を読だりしている中、寝付いたりした。

そして10時過ぎ頃、左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
『玉川病院』の医師のアドバイスに基づき『ニトロペン錠』を舌先で舐(な)めたりした。

やがて20分過ぎても鎮静化しなくて、やむなく2錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりし、
今回果たして『ニトロペン錠』鎮静化がするのだろうか、と思いながら、
痛みに耐えたりしたが、効果なく3錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりした時、
私は家内を起こして、救急車で病院に行く、と決意したのは11時半過ぎであった。

やがて救急車が我が家に到着して、救急スタッフの御方が昨今の私の状況を把握し、
循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』を進言して下さった。

そして『榊原記念病院』に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、そしてCTスキャンなどの精密検査、或いはレントゲン終えたのは、
早朝3時半過ぎであった・・。

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、しばらく経過観察したく・・
と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。

こうした中、痛みは当日の4日の夕方には解消したが、
集中治療室の専門部屋より、3名部屋、やがて4名一般部屋に移動したが、
予測した以上に、遥かに快適な部屋であった。

            


こうした中、私は自身の健康に関して、タバコの喫煙に自身に甘えてきたが、

遅ればせながら禁煙を決意した。

私は大学一年、ワンダーフォーゲル部に所属して、夏の合宿の休息日の時、
先輩が美味しそうにタバコを喫っていたので、まもなく真似事をして以来、
タバコを愛煙してきたので、56年以上となっているが、今回の担当医師よりも禁煙を勧められた。

やはりタバコは心臓にも良くないし、まして身体にも良くないし、
入院前の1月3日の夕食後にタバコを一本喫って、これ以来禁煙しているので、
何日になるのかなあ・・・と指をおりながら微苦笑したりしている。

          

私は、60歳までの現役サラリーマン時代は、辛口の純米酒が大好きな呑兵衛のひとりであったが、
ここ10年はウィスキーの濃いめの水割りか、ビールを冠婚葬祭、懇親会、旅行以外は、
5日ごとに我が家で呑んでいるのが実態となっている。

そして心臓の悪化で退院後は、タバコにお別れして、禁煙となったりした。

このように何かと拙(つたな)い私でも、齢を重ねるたびに、
何かを断念しないと、人生の晩秋期を迎えられない、と心も身も鍛えられ、微苦笑を重ねたりしている。

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『 ひざ・腰・肩の痛みがとれる! 関トレ 』、75歳の私は学び、やがて多々教示させられて・・。

2020-06-18 13:10:37 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
ここ数週間
、私は手の親指周辺の痛み、
或いは右脚の膝(ひざ)の痛み、そして椅子などに長く座り続けると腰の重さを感じるようになり、
やむなく最寄り駅の近くにある『整形外科』の病院に週に一度のサイクルで通院している。

そして右脚の膝(ひざ)の痛みに関しては、買物、散策などは数キロぐらいは歩けるが、
ただ階段を下りたり、足を高めに上げたりすると痛みが感じて、
齢を重ねるとこうした老化が始まるのかょ・・戸惑いながら微苦笑をしたりしている。

          

治療としては、右脚の膝(ひざ)ヒアルロン酸注射を週一度のサイクルで5回、
この間に各種リハビリ機器の腰痛牽引、マイクロ波など
療法を受けて、
自宅では
湿布の経皮吸収型鎮痛・抗炎症剤の『ロキソプロフェンNaテープ』を貼ることとした。

そして関節において、潤滑の働きをしている関節液や関節軟骨に痛みが発生しているので、
定期的に注射したヒアルロン酸で、痛みの物質を抑えたり、痛みを感じる部分を覆うことで
膝の痛みを改善させる治療方法と学んできた。

そして私は来週の火曜日が第三回目となり、少なくとも5週連続で・・
と医院長と私は言われたりしている。

          

このような深情を秘めている私は、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot.】に於いて、
『 ひざ・腰・肩の痛みがとれる! 関トレ ビジュアル版 』、
と題された出版された本の紹介が、2019年11月12日で配信されていた。

 そして私は少しでも学ぼうと思い、こっそりと読んでしまい、多々教示され、
ひざ・腰・肩の痛みのある御方と共有致したく、あえて記事を転載させて頂く。
      

《・・加齢とともに、関節の悩みは増える。

          

しかし、筋トレを試してみたものの、あまり効果を感じられないという声も多い。
『ひざ・腰・肩の痛みがとれる! 関トレ ビジュアル版』の著者であり、
理学療法士の笹川大瑛(ささかわ・ひろひで)氏によると、関節のトラブルには、筋トレとは違う、
ふだん働かない筋肉=サボリ筋を鍛えることが大切だと指摘する。

サボリ筋とは何か、どんなトレーニングが効果的なのか、同書より一部紹介する。

【サボり筋がわかる3つの歩き方はこちら】

          

■あなたの「サボリ筋」はここだ!


私がサボリ筋の存在に注目したのは、理学療法士として高齢者のリハビリに携わっていたときです。

80代や90代の人には、サボるどころか
根本的に働いていない筋肉が存在することに気がつきました。

筋肉は、脳からの指令を受けて動くのですが、
あまりに長くサボっていて指令が届かない筋肉があるのです。
その筋肉とは何か、徹底的に調べました。


やり方は、関節に作用している筋肉を一つ一つ動かすことです。
Aという筋肉だけを1週間動かし、効果がなければ次はBという筋肉を1週間動かします。

それを繰り返した結果、トラブルのある関節には、
それぞれ2つのサボリ筋があることがわかったのです。

ひざにも2つ、腰にも2つ、肩甲骨にも2つ・・・。
最終的に、6つの関節に作用する12の筋肉が重要であることがわかりました。


これらは普段の筋トレで積極的に鍛えるような筋肉ではありませんが、関節を守る重要な筋肉です。

          

■寝たきりのおばあちゃんが翌日からスタスタ


そのサボリ筋だけを集中的にトレーニングしたところ、
股関節が動かせず寝たきりだったおばあちゃんが、翌日にはスタスタ歩き始めました。
衝撃でした。

そして関トレの重要性を確信したのです。
以来2000人を超える人が、関トレで健全な動作を取り戻しています。


「私には、まだ関節の痛みなんてないわ」と思っている人もいるかもしれませんが、
私に言わせれば、多くの人が関節痛予備軍です。
サボリ筋を放置していることが、日常の動作の中に表れているからです。

私たちは無自覚のうちに、使いにくい筋肉を使わないで生活しています。
使いやすい筋肉ばかり使うため、同じ部分が筋肉痛になったり、
かたくなって血行が悪くなったりします。

          


■まずは体のクセを知ることが大事


それが姿勢や動きのクセになって表れることを、
専門用語で「トリックモーション(代償動作)」と言います。

「トボトボ歩き」、「ガニ股歩き」、「巻き肩歩き」といった3つの歩き方は、
そのわかりやすい例です。

どの筋肉がサボっているかによって、歩き方に違いが出ます。

たとえば内ももの内転筋が弱ると、
外ももの筋肉が過剰に働き、ひざがのびなくなって、トボトボ歩きます。

これだけなら歩き方のクセで、すませられますが、
徐々に「歩くスピードが遅くなる」、「正座ができない」、「階段が下りられなくなる」など
日常生活の動作に制限がかかってきます。


高齢者であれば、ロコモティブシンドローム(運動器障害による要介護リスクが高い状態)の始まりです。


若い人や筋骨隆々な人にも、トリックモーションは起こりますから、
日頃から自分の動きのクセを知っておくことは、とても大切です。・・》
     

                    





   
                
                            
『ひざ・腰・肩の痛みがとれる! 関トレ ビジュアル版』より                        
            

『ひざ・腰・肩の痛みがとれる! 関トレ ビジュアル版』より

        
 
        
        

ひざ・腰・肩の痛みがとれる! 関トレ ビジュアル版

このような紹介記事を私は読み終わった後、
上図の『6つの関節を守る12の筋肉』を見ながら、多岐な動きに教示させられて、
やがて右脚を動かしたりした・・。     

 

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いつの日にか、私たち夫婦は終末期を迎えた時、それぞれ尊厳死を選定して・・。

2020-06-17 13:53:00 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、過ぎし35年近くのサラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
15年近く過ごしてきた年金生活は、予測した以上に安楽な生活を享受している。

しかしながら、誰しも高齢者になれば、いつの日か自身が亡くなる時を思い馳せる時があると思われ、
何かと単細胞の私でも、漠然としながらも思案する時がある。

          

私の父は、肝臓を悪化して、町の医師に来宅して頂き、自宅治療をしていたが、
まもなく私が小学2年生の時に、42歳の若さで病死した。

こうした時、私は兄妹の5人の中、母は大黒柱を失い生活が困窮して、
やがてモルタル造りのアバートを経営して、実家から別居していた。

やがて私が20代の終わりの頃の結婚前に、母と一時同居していた時、
遠い親戚の裕福の女性の御方が、身体を壊して、高級な介護施設に入居されていたが、
たまたま母が見舞いに行った時は、植物人間のような状態であった、と私は母より教えられた。

『あたし・・嫌だわ・・そこまで生きたくないわ』 と母は私に言った。

母は寝たきりになった時の自身の身を想定し、実家である私の兄の宅などで、
下半身の世話をなるのは何よりも険悪して、何気なしに死生観のことを話し合ったりしていた。

そして容態が悪化して、病院に入院して、一週間ぐらいで死去できれば、
多くの人に迷惑が少なくて良いし、何よりも自身の心身の負担が少なくて・・
このようなことで母と私は、自分たちの漠然としながらも、死生観は一致していたりした。

こうした母の根底には、敗戦後の前、祖父の弟、父の弟の看病を数年ごとに看病し、
やがて死去された思いがあったと思われる。

          

そして近日に植物人間のように状況で、介護されている遠い親戚の方を見た思いが重なり、
このような考え方をされたのだろう、とこの当時の私は思ったりした。

やがて母は私が50代の初め、婦人系のガンで、都内の病院で幾たびも入退院された後、
私が53歳の時、母は78歳で亡くなった。

しかし母が懸念した下半身の世話をなることがなかったので、私なりに安堵したことは確かであった。

          
 私は年金生活を始めて、3年過ぎた頃から、
いつの日にか認知症、脳梗塞など、そして寝たきりになる前に、
ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしていた・・。                   

過ぎし10数年の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろど)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。

そして、いつものように木のベンチに私は座り、ペットポドルの煎茶を飲みながら、少し休息をした・・。


この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。


この遊歩道で、独りで歩き、好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、 といった状況を願ったりした・・。

          
            
                                                            
しかしながら、この5年を過ぎた頃、私は「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。
がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でも、そう簡単なことでは、ありません。

現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、
心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、 救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、苦笑したりした。

          

そして『急性心筋梗塞』の場合は、
《“バットで思い切り、胸を叩かれた感じ”、 “熱した鉄棒を、左胸のあたりに、突き刺されたみたいだった”
と口にしていた。 ・・
手足をバタつかせて、もがきながら、救急車内で搬送中に、心肺停止するケースもありました」・・》

このような『急性心筋梗塞』のことを学び、
何かと小心者の私は怯(おび)えながら、 勘弁してほしい、と思ったりしてきた。

このような終末期を私は思いめぐらしてきた・・。 

                                    

この後、親戚の叔父さん3名も、終末期に3年から5年も入院され、
こうした中、ふたりの叔父さんは御自身の意思はなく、多大な手厚い延命治療を受けて、
やがて病院で亡くなってきた。

こうした話を私は聞いたりしてきたが、 自分で食物を口に運び、食べられなかったら、
もとより延命治療は断り、 痛みだけを執(と)って下さる平穏死を選ぶょ、
と私は家内に幾たびも言ったりしてきた。

家内も胃ろうや人工呼吸器などの延命治療は、お断りですから・・ と私に言ったりしている。
このような話を私たち夫婦は、幾たびも話し合ってきた・・。

          

こうした中、人が人としての尊厳を保ちながら亡くなる『尊厳死
』を知ったりした。

《・・医学が進歩したことで、かつては助からなかった多くの命が、救われるようになりました。
しかし、一方で、不治で末期となっても、何らかの治療措置を行うべきとされ、
負担の大きな医療行為を受けることに苦しんでいる患者もいるのです。


そのような患者が自分の現状を受け入れて延命処置を断り、
自然経過の死に臨んで亡くなる方法を尊厳死と言います。

不治で末期とは、治療による回復をまったく見込むことができず、
死への進行が止められない状態のことです。

ひとつの判断が大切な命を絶つことに直接つながるため、
尊厳死は患者本人の健全な判断が重要となります。

延命処置を行わない尊厳死を選ぶことで、病気が進行し、
体に痛みやけだるさを感じるようになったり、
病気への強い不安を感じたりしてしまうケースは少なくありません。

このようなことから、尊厳死を選択する際には、
患者の肉体的・精神的負担を少しでも和らげるための緩和医療を施されることが一般的です。


緩和医療とは、延命処置をしないで死を迎えるにあたり、
病気による痛みや疲労感・倦怠感などの苦痛を取り除くことを目的とした医療を言います。

苦痛を軽減し、最期まで生きがいや生きる活力を持ちながら、
人間として自分らしい生活を送り最期のときを迎えるためにも、
尊厳死と緩和医療は切っても切れない関係とされているのです。


また、緩和医療は科学的な裏付けをもった医療であり、患者の症状を改善させるだけではなく、
患者を支える家族を支援することも目的となっています。・・》

          

こうしたことを厳粛に私たち夫婦は学んだりしてきた・・。

そして新型コロナウィルスで不用不急の外出自粛の今年の春、
私たち夫婦は『終活』をしている中、葬儀、墓地などに関しながら、
終末期の『尊厳死』の手続きをしたりした。

こうした中、尊厳死についての活動を行う団体に「尊厳死協会」があり、
尊厳死の定義やリビング・ウィルなどの普及啓発を目的として設立された団体と知っりした。

          

《・・
日本尊厳死協会では、延命治療を続けないことを希望する患者の「リビング・ウィル」を登録管理し、
不治で末期の状態となったときを想定して、事前に患者の尊厳死の意思を明確に残しておくための書類で、
あらかじめ、終末期医療に対する希望を書き残した医師らへの指示書を用意しておく、と学んだりした。

そして日本尊厳死協会では、リビング・ウィルとして尊厳死宣告書を発行し、
尊厳死宣告書は、自分が不治の病で末期の状態となってしまったときに、
終末期の医療について患者自身の意思表示をするための書類です。

尊厳死宣告書には、「リビング・ウィル-終末期医療における事前指示書」と、
その補完として「私の希望表明書」が提供されています。

本人の希望表明とは、たとえば、回復不能な植物状態が継続するような状態となったときには
延命処置を止めてほしいといった内容です。

また、苦痛を和らげるような措置については、
できる限り受けたいといったような希望を表明することもあります。

本人が記載した原本と併せて、原本証明付きのコピーも2枚送付されるため、
いざというときに備えて家族などに預けておくことも可能です。

決断のときに、どのような医療を受けたいか、医療を受けることを望まないかを自分で決めることは、
憲法に保障された基本的人権のもとである自己決定権です。

また、最期のときまで自分らしく生きるための過ごし方を選択することは、
患者自身の存在を尊重することにもつながります。・・》

          

こうした「尊厳死協会」に入会申し込みを、それぞれ私たち夫婦はして、
まもなく
『正会員』として、ぞれぞれ年会費2000円を振り込んだりした。

やがて私たち夫婦は、終末期の治療に関して、それぞれささやかな希望が叶(かな)い、
あの世に旅立てるかしら、と私は空を眺めたりした。

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齢を重ねると足腰の老化が始まる、改めて75歳の私は戸惑いながら、微苦笑させられて・・。

2020-06-16 14:11:05 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、私は本日の午前中のひととき、
最寄り駅の近くにある『整形外科』の病院に行ったりした・・。

先週に続いて通院している病院であり、医院長を始め、10数名の女性スタッフも、

笑顔を浮かべながら溌剌(はつらつ)としたしぐさに私は好感している。

一週間前、初めてお逢いした医院長と問診を5分ぐらい重ねる中、
私は、左手の親指周辺の痛み、或いは右脚の膝(ひざ)の痛み、
そして座り続けると腰の重さの問題箇所を私は訴えたりした・・。

やがてデジタルレントゲン装置で、これらの部分を女性スタッフが丁重に撮影して下さった後、
まもなくこのレントゲン撮影のフィルムを医院長が私に説明して下さり、
今後の治療内容を提示して下さったりした。        

そして私の要望を配慮して下さり、右脚の膝にヒアルロン酸注射を週一度サイクルで5回、
この間に各種リハビリ機器の腰痛牽引、マイクロ波など
療法を受けて、
自宅では
湿布の消炎鎮痛薬を貼ることとした。

          


過ぎし70歳の頃から、朝、二階にある寝室の和室で布団の中で目覚めて、
やがて起き上がろうと思うと、膝(ひざ)が衰えた為か、数秒を要したりしている。

まもなく一階の居間に向かおうと、階段を下りる時、注意したりして、
その後、居間から洗面所に歩いている時は、60代の正常だった状態に戻ったりしている。

或いは知人宅に行き、和室に通されて、畳の上で、最初は正座、 まもなく胡坐(あぐら)をかいて、
30分ぐらい談笑した後、 立ち上がろうとすると、膝(ひざ)に痺(しび)れのような痛みを感じて、
やがて10秒後に苦笑しながら、 立ち上がったりしている・・。

更に一昨年の秋、私は小庭の草むしりをしていた時、樹の下の草を取ろうとして這いずっている中、
右脚の膝(ひざ)を小石があったのに気づかず、結果的には正座する時、
或いはデジカメで草花を撮ろうとして、しゃがんだりする時、右脚の膝(ひざ)が痛み、困苦したりしている。

このようなことは60代の時は感じたことはなかったが、 無念ながら老化現象で齢なのかしら、
と独り苦笑したりしてきた。

このように深情を秘めている私は、ここ数年は和室が苦手っている。

          

今回、私は医院長より診察を受け、二週目なる
ヒアルロン酸注射を受けた後、
各種リハビリ機器の腰痛牽引、マイクロ波など療法を受けたりしたが、
私と同様に通院されている多くの御方は、70代、80代と思われ、
女性が8割ぐらいとなっている。

私はリハビリの各種の療法を受けながら、齢を重ねると殆どの御方は、
肩や腰、膝などの足腰が弱くなる、と我が身の衰えも重ねながら、微苦笑したりした・・。

          

私たち夫婦の両親は、今や家内の母だけとなっている。
私が
2004年(平成16年)の秋に定年退職する直前に、 家内の父が病死され、
家内の母は我が家より遠い地で、独り住まいとなったのは74歳であった。

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