夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金の『実際の平均受給額』を学び、年金生活の私は微苦笑を重ねて・・。

2011-10-31 12:15:43 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨夜に小雨が降り、今朝は雨上がりの清々しい中、陽射しが射し込む穏やかな日を迎えている。

いつものように購読している読売新聞を読んでいたら、思わずひとつの記事を精読した・・。

25面にある【社会保障】面にある一つの記事で、
『年金のきほん』の連載と思われ、第二回として明示とされ、
《  いくら受け取れる
      モデル世帯 月23.2万円  》
と見出しされていた。

そしてイラスト付で『厚生労働省のモデル世帯の年金額』、そして『実際の平均受給額』を、
夫と妻と区分しながら、月別の概算額が表示されていたので、思わず読んでしまったのである・・。

社会情勢に疎(うと)い私でも、『厚生労働省のモデル世帯の年金額』は程ほどに認識しているが、
『実際の平均受給額』については無知であった。


この記事は、読売新聞の社会保障部の所属と思われる林真奈美さんが綴られた記事であるが、
無断であるが、二十歳以上の方であれば誰でも解り易いので、あえて転記させて頂く。

《・・
日本の公的年金制度は、全国民共通の『基礎年金』は1階部分とし、
その上に会社員を対象とする厚生年金が乗る2階建ての仕組みです。

会社員は老後に、『基礎年金』と『厚生年金』の両方をもらえます。
厚生年金に加入したことのない自営業者などは、『基礎年金』だけです。


まず、『基礎年金』の金額から見ていきましょう。

国内の20歳以上60歳未満の人は、年金制度への加入が義務づけられていて、
基礎年金の受給額は、基本的に保険料を納めた期間に比例します。
40年間すべて納めた場合の満額で、年78万8900円(今年度)。
月額で約6.6万円です。

保険料の未納期間があれば減額されます。
例えば10年未納で納付期間が30年だと、満額の4分の3で月約4.9万円。
所得が低くて保険料を免除された場合も減額されますが、
未納と違い、その期間の分も年金が一部支給されます。


次に、2階部分の『厚生年金』を見ていきましょう。

厚生労働省は、平均的な賃金(年収560万円)で40年間働いてきた男性と、
その間ずっと専業主婦だった妻の夫婦を『モデル世帯』と位置づけています。
この場合の夫の『厚生年金』が月に約10万円です。

世帯として見ると、
夫の受給額は、『基礎年金』加わって、月に16.6万円。
妻は、『基礎年金』だけで6.6万円。
合計23.2万円となります。


ただ、現実は『モデル世帯』と異なります。
実際の受給額の状況を見ると、『基礎年金』の平均額は月5.4万円。
厚生年金受給者の平均額は、『基礎年金』を含めて月15.7万円(本人分のみ)です。

なお、公的年金の受給には、加入期間が原則として25年以上があることが要件です。
今後短縮される可能性もありますが、要件を満たさないと1円ももらえません。
・・》
注)記事の原文に、あえて改行、カッコを付けた。


この記事の中で、イラストが付けられて、
『厚生労働省のモデル世帯の年金額』
        夫・・・『基礎年金』6.6万円、『厚生年金』10万円
        妻・・・『基礎年金』6.6万円

この下段には、『実際の平均受給額』として、
        夫・・・厚生年金受給者15.7万円(『基礎年金』含む)
        妻・・・『基礎年金』5.4万円
と月額の受給額が明記して、描かれている。

私は『厚生労働省のモデル世帯の年金額』を確認した後、
『実際の平均受給額』を見て、この人生は多事多難であり、新卒された方が長らく勤めて、
やがて定年退職時まで無事に勤めあげられる方は、100%ではないよねぇ、苦笑させられたのである。

そして私は音楽業界のリストラ烈風の中、関係取引会社で定年の五年前に出向となり、
何とか定年退職を迎えられたので、サラリーマンの悲哀は深く理解しているひとりである。


このように長らく執拗に転記してきた私の理由のひとつとして、
私の小学4年生の頃から映画好きな映画少年、
高校生に突然に読書の底知れぬ魔力に取りつかれて、
やがて大学を中退し、映画・文学青年の真似事をして、あえなく敗退し、
やむなく民間会社に中途入社した。
そして35年近く勤めて、定年退職を迎え、
直後から年金生活を過ごしてきた偏屈な軌跡を歩んできたからでもある。

もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに38年勤め邁進し栄達されたエリートとは、
遥かに遠い存在であり、
中小業の音楽業界のあるレコード会社の管理、情報畑などに35年近く勤めてきたが、
中流家庭の多くの方たちが大学卒業後に程ほど民間会社に入社し、
38年勤めて定年退職を迎えるケースの人たちに、
遅ればせながら何とか追いつきたい、と私なりに奮闘し、年収なども含めて秘かな願望があった。

こうしたことが根底があったので、年金生活に入る前には、
『厚生労働省のモデル世帯の年金額』を強く意識させられたのである。


私は2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、年金生活をしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


私の現役時代は、サラリーマンの身であったが、もとより生計の責務もあり奮闘する中、
30代の半(なか)ばに一軒家を建て、
この後3年ばかり家内はデパートなどに勤めて、強力な支援を受けたが、
家内は後方支援として家庭の多岐に及ぶ専業主婦として長らく努めてきた。

私たち夫婦の年金生活後も、家内は洗濯、掃除、料理などしているのが現状であり、
せめて日常の買物ぐらいは、私がすると自主的に実行している。
このことの背景には、私の現役時代の平日は会社で勤務し、
この間の日中は家内のペースで家事、趣味を過ごしてきた。

こうした家内の生活リズムをできる限り崩したくなかったので、
私は独りで買い物、散策をしている。


年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、本年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。


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秋麗(あきうらら)の昼下がりの後、谷村新司さんの『残照』の歌を私は心の中で唄い・・。

2011-10-30 16:41:00 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨日の昼下がりのひととき、川沿いの遊歩道を散策しょう、と自宅を出た。

朝夕は肌寒く感じられるが、昼下りの秋の陽射しはまばゆく、
秋麗(あきうらら)のひとときとなっていた。

ハナミズキのたわわな葉も早くも朱紅色に染め、陽射しを受け、
秋の深まりを感じたりした。

住宅街を通り抜けようとしていた時、知人宅の若き奥様がベビー・カーに乳児の乗せ、
昼下りの散策を愉しまれ、こちらに向かってきた。
私は若き奥様の高校生の頃から幾たびも見かけて挨拶を交わしてきたので、に微笑みながら、
『赤ちゃんも・・心地よさそうに眠っていますね・・』
と私は微笑みながら、言ったりした。

『私も陽だまりのような中・・心地良いですわ・・』
と若き奥様は微笑みながら私に言った。

この後、私は若き奥様を見送った後、遊歩道沿いにあるベンチに腰掛けて、
煙草を喫ったりした。

私は年金生活の身なので、こうした秋の陽射しに恵まれ、
昼下がりのひとときを散策できるのは、何よりも贅沢の時と思っている。


そして秋の陽射しは夕刻に近づくと、つるべ落としのように暮れ、
人生のたそがれを感じたりし、何か過ぎゆく時の愛惜感を受けたりする、
と思ったりしたのである。

このような秋の夕暮れに思いを馳せると、
突然、ひとつの歌が浮び、私は心の中で唄った・・。


♪足早に暮れてゆく 秋の夕陽のいさぎよさ
 久しぶりに散歩する父と二人での遠まわり

【『残照』 作詞・作曲 谷村新司、 編曲・青木 望、 唄・谷村新司 】


私は1944〈昭和19〉年に農家の三男坊として、長兄、次兄に続いて生を受けた。
何か父たちは三番目の子は、女の子を期待されていたような感じで、
私は幼年期ながら、何となく感じて受けたりしていた。

その後、妹が誕生し、祖父、父が溺愛するように私は感じてしまい、
私は身勝手にいじけたようふるまいをして、幾たびか叱咤されたりしていた。

そして私が小学2年の三学期が終了する前、父は病死された。

私の幼年期を思い馳せても、父親に甘えたりした記憶がないが、
その後に歳月を重ねる時、父恋し、心の片隅にある。

私たち夫婦は子供も恵まれなかったので、もとより私は父親になったこともないが、
若き父親と男の子を見かけたりすると、いいよねぇ、と思ったりして過ごすこともある。


この谷村新司さんの『残照』の歌は、父と子、そして人生の愛惜感があり、
私が好きな曲のひとつである。

この曲を知ったのは、1980(昭和55)年に谷村新司さんが、
アルバム『昴(すばる)』のタイトルでアルバムを創られて、8曲の中のひとつの曲である。

私は『昴(すばる)』のアルバムを買い求めて盛んに聴いたりしたが、
最後に収録された『昴』の名曲よりも、
この中のアルバムに収録された『残照』、『玄冬記~花散る日~』の方が私は好みであった。


♪”人生は祭りのよう”何気なく貴方は言った
 その後の淋しさにたえる勇気が出来ました

【『残照』 作詞・作曲 谷村新司、 編曲・青木 望、 唄・谷村新司 】


この歌詞にあるように、私なりに幾重にも思いを重ねながら、
私は心の中で唄ったりしたのである。


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曽野綾子さんの『夫族の中で、生活者として無能な人・・』と銘言に、私は叱咤激励され・・。《再掲載》

2011-10-30 09:49:29 | 定年後の思い
・・・・・ 再掲載の理由 ・・・・

私のブログサイトに於いて、昨日に上記の投稿文がたまたま数多くのお方にお読み頂いた。
この投稿文は過ぎし8月28日に投稿したのであるが、私は望外の喜びとなっている。
異例であるが、あえて再掲載をさせて頂く。
映画の世界では、リバイバル上映もあるので、ご了解の程を・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は遅ればせながら曽野綾子・著作の『近ごろ好きな言葉 ~夜明けの新聞の匂い』(新潮文庫)を読み、
多々教示を受けたが、この中のひとつに定年後の男性の生活者としての在り方について、
明記されていたので、私は微苦笑させられながら、読んだひとりである。

本書の初出は、総合月刊雑誌の『新潮45』で、
この内容は『暗がりの夫族』と題された一部であり、
掲載されたのは、1995(平成7)年8月6日である。


《・・(略)・・
私たちの同級生の配偶者たちが、もうほとんど定年になる年になった。
私は毎年恒例になっているイスラエル旅行にでかけたが、
その年は大学の同級生の一人がボランティアに来てくれた。

旅の途中で、彼女は、今、真剣に夫に家事をしこもうと思っている、と言った。
もうこの年になると、どちらが先にどうなるかわからない。
死なないまでも、長期入院ということになったら、
家に残った方が、一人で生活しなければならない。

彼女の家ではまず子供たちが、お父さんにエプロンを贈った。
長いこと社長業をしていたような人で、
台所に入ったらどういうことになるか想像がつかない。
優しい子供たちは、何とかそれをユーモラスな出発として励ますことができないかと考えたようだった。

私は彼女の賢明さに打たれた。
もういいの悪いのという選択をしている時間がない。
明日にも、夫婦は一人で生きて行く必要が生じるかもしれない。
配偶者が入院したらその日から、或いは死亡したらその夜から、誰がご飯を作るのだ。
息子や娘たちは皆忙しい年齢である。
離れて住んでいるケースの方が多いだろう。
嫁にご飯を作りに来いなどと呼びつけられると思ったら、それは大変な時代錯誤というものだ。

(略)

私たちの世代の夫族の中で、どれほど生活者として無能な人がいるか、
長い間、私たちはそれこそ笑いの種にして来たのである。

妻がでかけようとすると「何時に帰る?」と聞く。
愛しているから、妻が誰と会うのか、どこへ行くのが心配なのではない。
心配の種は「俺の夕飯はどうなるのだ」ということだけだ。

大学を出ている癖に、夕飯を作る能力も、出前を取る才覚もないから、
奥さんが少し遅れて帰ってみると、電気もつけない薄暗がりの中でじっと座っている。

と言って皆笑うのである。
これはどうしても侮蔑の笑いてしかない。
暗がりの夫族の中には、東京大学の出身者、ことに法学部の卒業生も多かったので、
私たちは自分たちの出身校が秀才校でもないのを棚に挙げて、改めて幼稚な優越感を覚えることにした。

(略)

どうして秀才の夫たちは、ああも能がないのか。
今どきは、炊いたご飯そのものだって、「大盛りですか、普通ですか」という感じで
マーケットで売っているではないか。
デパートや商店街のおかず売り場で、適当に焼魚と野菜の煮ものでも買えば、
それほど栄養が偏(かたよ)るということもなくて済むのに、それができないのである。

昭和初年代の夫族の中に、おかずも自分の靴下も買ったことのない人は結構いるのは、
彼の母の責任だろうかそれとも妻の責任だろうか。
台所に入っても、お湯の沸かし方一つ手順がわからないからうろうろしている。
薬罐(やかん)がどこにあるかも知らないのだ。
洗濯機のボタンを押したこともないし、炊飯器の目盛りの読み方など、わかるわけもないから、
ご飯ぐらい炊けるでしょう、などと言われると、恐怖で不機嫌になる。

(略)

しかし彼らが、人間としたら、生存の資格に欠けていることには間違いがないのである。
つまり自分はご飯の心配もしなくて生きることが当然と思うのは、
実はとんでもない不遜な男かもしれない。
それは「お前作る人、俺は食べる立場」みたいな男女の性差別を容認し、
自分はそういう仕事をしなくて当然の、もっと高級な人間だと思い上がっている証拠なのだ、
と私もこのごろ悪意に解釈することにした。
・・》
注)329ページ~332ページから抜粋。原文にあえて改行を多くした。


私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私は中小業の民間会社を35年ばかり勤め2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、
年金生活をしている。


日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


私の現役時代は、サラリーマンの身であったが、もとより生計の責務もあり奮闘する中、
家内は後方支援として家庭の多岐に及ぶ専業主婦として努めてきた。

私の年金生活後も、家内は洗濯、掃除、料理などしているのが現状であり、
せめて日常の買物ぐらいは、私がすると自主的に実行している。
このことの背景には、私の現役時代の平日は会社で勤務し、
この間の日中は家内のペースで家事、趣味を過ごしてきた。

こうした家内の生活リズムをできる限り崩したくなかったので、
私は独りで買い物、散策をしている。


今回の作家・曽野綾子さんの定年後の男性の生活者としての命題のひとつのテーマであるが、
この作品は1995(平成7)年8月に公表され、
《 私たちの同級生の配偶者たちが、もうほとんど定年になる年になった。・・》
と綴られて、私たちの世代より15歳前後、ご年配の人たちとなる。

曽野綾子さんご自身は、聖心女子大学を1954〈昭和29〉年に卒業された方であるが、
あの当時に女子大学を通うことができたのは、若き女性のほんの一部であり、
クラスの同級生の多くは、中央官庁、大企業のエリート、そして中小業の会社を創業された成功者、
或いは老舗の商店などに嫁がれた方が多いと思われる。

こうした嫁ぎ先のご主人が、第一線を退かれて、関係先の要職を務めて、第二の人生を歩み、家庭人となった現状・・。
このようの中で、一部の人は現役時代の栄誉も、食事のことで困惑する状況を的確に表現されているが、
私たちの世代、そして私のような中小業で奮闘した身となれば、苦笑してしまう。


しかし、私の場合も、『おひとりさま』になる日々もあるので、
単純に笑ってばかりは、いられない時もある。

私達のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
家内の母は我が家から2時間ばかりの地で、一戸建ての独り住まいの生活をされている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職日の直前に主人に死去され、
一戸建ての独り住まいの生活をされて、7年近くなっている・・。

家内の母は友人たちのグループで、国内旅行、買い物などを楽しんで過ごしたり、
ときおり自身の故郷の新潟県の上越市に里帰りし、同期の人たちと交流を深めたりしている。
確かに80代の初めとしては、身体は衰えても心は元気である、と私は感じたりしている。

このような中で、身の廻り程度はある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて、年に5回ぐらい6泊前後で、母宅に泊りがけで行っている。

この間は私は『おひとりさま』の生活となり、のんびりと気ままな独り住まいをしている。


過ぎし8月13日(土)より18日(木)まで、家内は5泊6日で、
家内の母宅で家内は孤軍奮闘していた時、私の大半は下記のように日常を過ごしたりしていた。

起床は5時半過ぎが多く、雨戸、アルミのガラス戸を開け、簾(すだれ)越し外気を取り入れ、
この後に着替え、洗面をする。
そして、連日の猛暑なので、やむなく主庭、玄関庭にある樹木、草花、そして地面に水撒(みずま)きをして、
朝涼のひとときを享受する。

この後は、私は台所にある市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、『ペットボトル』、『古紙』、『ビン』の日を確認して、
指定された道路に面した門扉に置く。

そして、読売新聞の朝刊を読みながら、冷茶とアイスコーヒーを飲んだりしている。

食事に関しては、夏場であるので家内の料理は事前に辞退し、
私はスーパーで買い物をし、野菜コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、
食べたりしている。

肉類などの主食の前に、私は小さめのキャベツを四分の一ぐらい千切りし、
その脇にセロリ、トマト、ニンジン、キュウリを大皿に盛り合わせ、
この特選の野菜の盛り合わせだけは、朝、昼、晩と食べて、
この熱い夏の時節には、身も心にも良いと大量に頂いたりしている。

そして、洗濯に関しては、たまたま昨年の早春に乾燥の機能がある洗濯機に買い改めたので、
オール自動セットとし、
日中のひととき、きまぐれに手抜きの部屋の掃除をしたり、台所で皿洗いをしたり、
夜の入浴の時間も、平素より遅かったりしている。


このような生活を過ごしてきたが、料理に関しては素材から焼いたり、煮たりすることは無く、
掃除も簡略に済ませてしまうので、家内のいる平素から落第生となっている。


今回、私は曽野綾子さんから、よき叱咤激励を受けたと解釈している。
遠い昔の大学時代、ワンダーフォーゲル部に大学を中退するまで所属し、
もとより食事に関しては、略式ながら料理をした体験があるので、
遅ればせながら我が家で始めるのも、何よりも自身のためだ、と身震いしながら思ったりしている。


尚、余談であるが曽野綾子さんのご主人・三浦朱門氏は、
芸術院の院長をはじめ要職を勤められる中、家庭内では料理もされる達人であることを付記する。


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シニア世代の昨今のエンタメ趣向を学び、同世代の私は偏屈者かしら、と微苦笑し・・。

2011-10-29 13:20:24 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
先ほど、パソコンを開き、【YAHOO! JAPAN】の【雑誌】コーナーに於いて、
ひとつの記事を精読し、思わず微苦笑させられた・・。

《 親にオススメしたいお手軽エンタメ活用法 》

と見出しされた記事で、リクルートが発行している25歳以上の男性ビジネスマン向けのフリーマガジンで、
この雑誌の記事をウェブサイトとして、
【web R25(ウェブ アールニジュウゴ)】を命名されたサイトから配信された記事である。

たまたま私はこの《 親にオススメしたいお手軽エンタメ活用法 》と記事を読んだのであるが、
私と同世代のシニア世代の方たちでも、昨今のエンタメの趣向が違うみたい、と微苦笑をさせられたのである。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111018-00000002-rnijugo-ent
☆【YAHOO! JAPAN】<==
     【web R25】<==《 親にオススメしたいお手軽エンタメ活用法 》 ☆

呉 琢磨さんの綴られたこの記事に寄ると、
《・・
今年に入って60代のシニア世代のレンタル利用率が急増しているという。
・・
「現在の60代は、若い頃から多くの名作映画やドラマに接していて、映像文化を好む世代です。
定年で余暇時間が増えたことをきっかけに、昔懐かしい名作をあらためて観直したいというニーズが増えているようです。
人気タイトルとしては、男性ではスティーブ・マックイーンの『パピヨン』やショーン・コネリーの『理由』といった往年の名優の主演作、
女性にはチャン・グンソク主演の『美男<イケメン>ですね』をはじめとする韓国ドラマが根強い人気ですね」

・・たまに実家で両親と話すと、ドラマや映画の話題が出ることが多い。今の若者がネット世代と呼ばれるように、
両親は映像世代ということかも?

「最近はレンタルした商品を最寄りのポストに返却できる『郵便返却サービス』や、
ネットで借りて自宅にDVDが届く『TSUTAYA DISCAS』も好評です。
もともとシニア世代からは“レンタルは返しに行くのが面倒”という意見が多かったのですが、
これらのサービスが整備されたことで、多くの方に利用していただけるようになったのかもしれません」

その一方で、文芸書をはじめとする文字コンテンツを耳で聴く「オーディオブック」のネット配信も、
昨年からシニア世代の利用者が急増しているんだとか。

「オーディオブックの特徴は、目に負担をかけず本に触れられること。
パソコンやインターネットの利用に抵抗のないシニア世代が増えたことで、
老眼や肩こりなどでお困りの方の新しい"読書法"として広まってきているようです」と教えてくれたのは、
オーディオブック配信サービス『FeBe!(フィービー)』を運営するオトバンクの中川真実さん。

「人気の高いタイトルは、やはりビジネス書ですね。
60代以上のダウンロードランキングでは、
意外にもAKB48のメンバーが朗読したことで昨年話題になった
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』が1位なんですよ。
また、太宰治や夏目漱石といった文豪の作品をはじめ、長編の歴史小説や古典文学の講釈などもよく聴かれています」

親世代とデジタル系エンタメの親和性は、思った以上に高いのかも。
悠々自適に暮らしている親にこそ、こういったサービスを教えてあげると喜ばれそうだ。
(呉 琢磨)
(R25編集部)
・・》

私は『TSUTAYA DISCAS』のネットで借りて自宅にDVDが届くのも利用したこともなく、
オーディオブック配信サービス『FeBe!(フィービー)』も無知であった。
そして定年後の年金生活に於いては、ビジネス書は殆ど読まなくなっているし、
まして『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』も無知である。


私の日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
書庫、居間にある本棚より2000冊前後から選定したり、
或いは本屋、古本屋に行って、魅了されそうな単行本、新書本、文庫本、雑誌を買い求めたりし、
あくまで活字を読むひとりである。

或いは居間にある映画棚から、1000作品前後のビデオテープ、DVDを取りだして、
20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したりしている。

ときには音楽棚から、2000前後のアルバムのカセット、CD、DVDを選定し、
聴きたい曲を取りだして聴いたり、視聴したりしている。

たまたま昨夜は、私が圧倒的に魅せられているマイケル・チミノ監督の『ディア・ハンター』(1978制作)の
作品を、深夜の1時過ぎまで鑑賞したりしていた。
この作品は定年の10年前に遅ればせながら【WOWOW】で視聴し、ビデオテープに収録し、
そして定年退職時の直前にDVDを買い求めたひとつである。
私は魅了された作品は、何10回も鑑賞するタイプなので、購入してきたのである。


こうした私の根底には、自動車も持てなく、海外旅行、ゴルフなど苦手な上、
高級なホテルに宿泊したり、銀座のバーにも行けなかったので、
せめて好きな本、映画、音楽のソフト作品だけは、何とか工面して買い求めて、
50年が過ぎているだけである。

このように偏屈な私は、昨今の60代のシニア世代の同世代のエンタメの趣向は、
異質かしら、と苦笑をしたりしている。


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読書の好きなあなたは、どの『読書週間標語』に魅了されますか、と思わず私は思い・・。

2011-10-28 19:36:08 | 時事【社会】
10月27日より、本年も『読書週間』を迎えているが、
先ほど、たまたまこのサイトを開いた。

http://www.dokusyo.or.jp/jigyo/dokusyo/top.htm
☆【読書推進運動協議会】ホームページ☆

そして今年の2011年の第65回の読書週間標語は、
『 信じよう、本の力 』
と知った・・。

私は遅ればせながら高校生になり、読書の底知れぬ魔力に取りつかれて50数年過ぎ、
何よりも言霊(ことだま)の力を信じて、ブログの投稿文も準拠し、
つたない散文を綴って早や7年になっている。

このように読書の好きなひとりとして、『 信じよう、本の力 』も確かに魅力的であるが、
私として、過去に圧倒的に魅了される読書週間標語はなかったのかしら、
と余計なことを思ったりした。

そして偶然に、この下段に、『過去のポスター・標語一覧』があり、クリックした。

http://www.dokusyo.or.jp/jigyo/dokusyo/postertop.htm
☆【読書推進運動協議会】ホームページ <==『過去のポスター・標語一覧』☆

そして満天の星のような過ぎ去った年の標語があるが、
私として魅了される標語は、と見たりしたのであった・・。

1985年の『キラリ知性 秋の一冊 』、2004年の『落ち葉をしおりに 読書の秋 』は、
素敵なフレーズであるが、文学少女に相応(ふさわ)しいの標語かしら、と感じたりしたのである。

そして齢ばかり重ねた67歳の私が、最も魅了されたのは、
1987年の『心に刻もう 確かな一冊 』であった。

数多くの読書の好きなあなたは、果たしてどの年の標語に魅せられるか、
と余計なことを思い、私は微笑んだりしている。


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読書好きな私は、定年後の年金生活の今でも、相変わらず本屋、古本屋で買い求めたりし・・。

2011-10-28 11:34:29 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳となった身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のように最寄りのスーパー、専門店に行ったりし、ときおり駅前で買物をした時は本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


このように定年後からの生活を過ごしてきたが、
遅ればせながら高校生の時に、読書の魅力に取りつかれて、本屋、ときには古本屋に行き、
50数年過ぎている・・。

私の住み地域は、調布市の片隅で世田谷区と狛江市に隣接した処で、
小田急線であったならば、自宅から数分のバス停から『成城学園前』駅の駅前まで、
長年、通学・通勤に利用してきたので、定年後の今でも都心に買物、旅行に行く時は利用し、
帰路に本屋に寄ったりしている。
或いは散策、スーパーに買物に行く時は、『喜多見』駅、『狛江』駅まで歩いたりし、
本屋、古本屋に寄ったりしてしまう。

京王線の場合は、『仙川』駅、『つつじが丘』駅などの場合も、
やはり散策を兼ねたり、スーパーに買物に行った時は、殆ど本屋に寄ったりしている。


たまたま一昨日は、京王線の『仙川』駅の商店街で、買物をする前に本屋に寄ったりした。
そしていつものように雑誌コーナーで月刊誌、季刊誌、臨時特別号を眺めた後、
単行本、新書本、文庫本のコーナーを見たりした。

そして購入した本は、この日は三冊であった・・。
藤原正彦・著の『管見妄語 始末に困る人』(新潮社)である。

http://www.shinchosha.co.jp/book/327408/
☆【新潮社ホームページ】<== 藤原正彦・著作 『管見妄語 始末に困る人』☆

この本は、解説に明記されている通り週刊誌の『週刊新潮』に掲載されているコラムであり、
藤原正彦(ふじわら・まさひこ)氏の愛読者の私は、『管見妄語』に続いて、待ち望んだ単行本の第二弾となる。
平素、週刊誌に掲載されているが、連載の場合は単行本になってから買い求める私の長年の習性から、
待ちわびた一冊なのである。


この後は、曽野綾子・著の『人生の第四楽章としての死』(徳間書店)を書棚で見たので、買い求めた。
http://www.tokuma.jp/book/bungei/4eba751f306e7b2c56db697d7ae0306830573066306e6b7b
☆【徳間書店ホームページ】<== 曽野綾子・著作 『人生の第四楽章としての死』☆

この本は5月中旬に発刊されたが、たまたま私が本屋に寄った時は、店頭で品切れで、
曽野綾子(その・あやこ)さんに熱愛人の私は、この方の未読の著作を数多く購読して過ごしてきたので、
遅ればせながら買い求めたのである。


そして書棚に懐かしい作家の本があり、《単行本未収録 エッセイ集》と帯に明記されていたので、
買い求めたのが、山口瞳・著の『山本さんのいいつけ』(河出書房新社)である。

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309020372
☆【河出書房新社ホームページ】<==山口瞳・著の『山本さんのいいつけ』☆

山口瞳(やまぐち・ひとみ)氏に関しては、ときおり私は20代の頃から氏の作品を読んだりし、
特に深く愛読させられたのは1980〈昭和55〉年の頃からであり、
氏が1995〈平成7〉年8月に亡くなわれた後も、店頭に本を見かけるたびに、購読してきた。


このように藤原正彦・著の『管見妄語 始末に困る人』を買い求めて本屋に寄ったりすると、
たまたま曽野綾子・著の『人生の第四楽章としての死』、山口瞳・著の『山本さんのいいつけ』を見かけ、
購入できたりすると、
やはり散策の時、買物に行った時、本屋に立ち寄ってしまう悪い癖が、年金生活の今でも続いているのである。


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AKB48『2作連続“初日ミリオン”』、齢ばかり重ねた私でも、秘かに微笑んで・・。

2011-10-27 12:08:23 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
先ほど、パソコンを開くと、トップページに設定している【YAHOO! JAPAN】に於いて、
トピックス・ニュースが掲載されているが、このひとつに思わず微笑んだりした。

《 AKB新曲 初日だけで104万枚超 》

と見出しされ、私はクリックしたニュースの詳細を読みはじめた・・。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111026-00000328-oric-musi
☆【YAHOO! JAPAN】<==
     【オリコン 】AKB48、2作連続“初日ミリオン” 初日売上歴代最高の104.6万枚 ☆

私はこの音楽を中核とした情報サイトが、配信された記事を精読を精読した・・。

《・・
人気アイドルグループ・AKB48の東日本大震災復興応援曲「風は吹いている」(26日発売)が初日に104.6万枚を売り上げ、
10月25日オリコン・デイリーシングルランキングの首位に初登場した。

オリコン・デイリーランキング史上初の“初日ミリオン突破”を記録した前作「フライングゲット」(初日売上102.6万枚/累積売上157.0万枚)に続き、
2作連続で初日ミリオンを達成。
初日売上は前作を2万枚上回り、歴代最高記録を更新した。

AKB48のシングルミリオン突破は、「桜の木になろう」(2月発売・累積売上108.1万枚)、
「Everyday、カチューシャ」(5月発売・同158.0万枚)、
「フライングゲット」(8月発売・同157.0万枚)に続き、
4作連続通算5作目。
今年これまでに発売したシングル全てがミリオンを突破した。

本作は、復興応援ソング「風は吹いている」のほか、新曲「君の背中」などを収録する。

オリコン 10月26日(水)19時31分配信
・・》


私は現役時代には、音楽業界のあるレコード会社の管理畑、情報畑などに35年ばかり勤め、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職したた身であり、
この配信して下さった【オリコン】に関しては、もとより多少は知っている。

私は1971〈昭和46〉年の頃から、音楽専門の週刊業界誌として愛読し、特にベストランキングに注視し、
その後は音楽を中核とした週刊情報誌として発刊され、数多くの音楽愛好者が購読され、
定年後の私でも、ときおりネットで【オリコン】サイトを見たりしているひとりである。


レコード業界は1998(平成10)年、CDを中核とする売上げのピークとなり、
この前後から、違法な音楽配信、社会の趣味の多様化の中、CDの売上も急速に下降した。
その後、音楽配信が正常に普及したが、社会はデフレ風潮の中、売上げは下降している。

しかし決定的なことは、2003(平成15)年に於いて、
世界最大の音楽サイト「iTunes(アイチューンズ)」がサービスを始め、
私が瞬時に、音楽業界のパンドラの箱が開けられた、と強く感じたりした。

アメリカ市場に於いては、有料として1曲当り1ドル前後の割安で、利用者は購入できた上、
何よりも無料で視聴でき、主要国に急激に普及したことである。

日本も準拠した割安で、急速に拡大し、音楽配信全般として権利関係の整備が不十分な配信が続いている中、
一定の収入が見込めるCDが急減している。
こうしたことは
YMOのサウンドプログラマーを務めた松武秀樹さんが、過日に明言した言葉をお借りすると、
《・・
ミュージシャンが音楽を創造し、リスナーから対価を得て、
再び創造にあたるという音楽活動のサイクルが崩れてしまった面もある。

著作権で守られた作詞家や作曲家を除けば、ミュージシャンらの権利保護は不十分なままだ。
放置すれば、プロの音楽家が育たないことにもなりかねない。
・・》

このように音楽業界は烈風の中、無力な私は憂いたりしている。


こうした中で、現在最も勢いのあるアイドルグループ「AKB48」のCD販売、人気に驚いたりしている。

私の勤めたレコード会社とは、無念ながら「AKB48」は他社であるが、
私は音楽業界のCD販売の低迷の中、健闘していると喜んだりしている。

たとえCDを購入した特権として握手券があると騒がれたりしてきたが、
中学生か高校生が念願のアイドル・スターと握手もできる、
と期待にときめきながら数多くの方がCDを買い求めた、としても良いではないかと私は思っている。


過ぎし6月の初旬、私たち夫婦は地上波デジタル対応のテレビを買い求めに、
家電の最大手の量販店に行った。
テレビのフロア―には、各メーカーの各種が並んでいる中、すべての画面には、
AKB48の『Everyday、カチューシャ』のプロモーション・ビデオが映し出されていた・・。

私は健気(けなげ)に唄い、踊るAKB48のメンバーに、
熱気を感じながら、ひとつの時代の制覇を感じ、微笑んだひとりである。


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東京郊外の片隅に住む私は、ほんのりと黄色、朱紅色に色づき始めた落葉樹に微笑み・・。

2011-10-26 09:34:51 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、結婚前後の5年を除き60年を超えている。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨日の日中は、いつものように朝から冬の薄手のスポーツシャツを着ていたら、
熱いじゃないの、とスリーシズーンのスボーツシャツに着替えたりし、
夏の余情のような26度の陽気に戸惑ったりしていた。

今朝は澄み切った青空の快晴を迎えたが、北風が吹き、冷たい風だなぁ、
と感じ、木枯らし一番かしらと思いながら地元の天気情報を視聴した。

朝の6時は14度、昼下がりは17度前後、夜の6時は14度前後、
秋晴れに恵まれた一日ですが、北風が強く、昨日より9度ばかり下がりますので、
特にお子様とご高齢者は、体調にご注意をお願い致します、
と齢ばかり重ねた私は、このように聴こえたのである。

この後、本日は平年並みの陽気です、と報じられ、
私は少し驚きなながら、これまでの初秋の日々は温暖化のせいか、
平年よりも高かったの、と空を見上げたりした。

私は主庭のテラスに下り立ち、ほんのりと黄色、朱紅色に色づき始めた落葉樹を眺めたりしていた。
そして私は秘かに待ち焦(こ)がれた錦繍(きんしゅう)の季節が始まった、
と微笑んだりした。

私の住む地域は、11月3日の『文化の日』の頃から、
11月23日の『勤労感謝の日』の頃まで錦繍(きんしゅう)の時節となる。

私は平素はスポーツは苦手であるが、散策は好きで、ときおりウォーキングをしたし、
季節のうつろいの情景を享受している。

そして、初春の芽吹き、そして秋たけなわの錦繍(きんしゅう)の時節に、
幼年期より魅せられている。

こうした秘めたる私は、この深まるいく錦繍の時節から
晩秋の黄色、朱紅色の葉が舞い散る時節までの季節は、少しばかりそわそわとしてしまう。

私の散策の好きなコースのひとつとして、近くに流れる野川の川沿いの遊歩道がある。
そして自宅の近くの野川は、片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所がある。

錦繍の時節になると、桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、
ぼんやりと、時が止まったように静寂なひとときを過ごすのが、この世の最良の時かしら、
と定年退職後から深め過ごしてきた・・。


このような心情の私は、これからの日々は、
どれくらい色合いを深く染めたのかしら、と心を躍(おど)らせながら、独り歩いたりしている。


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山口百恵ちゃんの『秋桜(コスモス)』、齢を重ねた私でも、心の中で唄いながら・・。

2011-10-25 09:15:45 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
今朝は曇りの合間、ときおり淡き陽射しが射し込む穏やかな日を迎えている。

先ほど、主庭のテラスに下り立ち、ほんのりと黄色、朱紅色に色づき始めた落葉樹を眺めたりしていた。
私はぼんやりと、時が止まったように静寂なひとときが流れ、
心の中でひとつの歌が流れたのである・・。

♪淡紅(うすべに)の秋桜(コスモス)が秋の日の
 何気ない 陽溜(ひだま)りに揺れている
 
【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】


このような心の中で呟(つぶや)きながら唄ったのであるが、
この後、私は『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃を想いだされたのである・・。


確か『秋桜(コスモス)』が発売されたのは、1977(昭和52)年の秋で、
私は前年の春に家内と結婚し、千葉県市川市のはずれにある国府台に住んでいた。
周辺は住宅街の中で、中学、高校、大学の四校があり、
付近の丘には由緒る寺もあり、表通りから数分奥まると、それなりに静寂な住宅街で、
全般的におちついた文化が香る街並みであった。

こうした中で私たち夫婦は、賃貸マンションを借りて新婚生活を過ごしていた。
そして一年半を過ぎようとした頃、この『秋桜(コスモス)』の歌が商店街の歩道を歩くと流れていた。

私は、音楽業界のあるレコード会社に1970(昭和45)年から勤めていたが、
この歌が流れていた当時の私は、本社のコンピュータ専任として孤軍奮闘し、
前年のシステム改定が終り、何とか乗り切れたと安堵していた頃であった。

そして私は住居のことで、いつまでも狭い2DKの賃貸マンションを住むことなく、
分譲のマンション、或いは私の実家に近くに一戸建てにするが、
家内と話し合った結果、一戸建て用の土地の取得と家の建設会社の選択、
そして住宅ローンの交渉などで多忙となり始めた時てあった。

結果としては、私の若気の至りで家の内部に茶室を設けて、私の実家に近くに一戸建てが完成し、
住みはじめたのは翌年の1978(昭和53)年の春であった。

そして計画していた以上の借金をしたので、それまで専業主婦をして茶事などを学んでいた家内は、
働きに出て、共働きとして私達夫婦は悪戦苦闘が数年続いたのである。


この『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃は、今から振り返っても歌の全盛期であり、
名曲が揃った時代だった、と改めて思ったりした。

ピンク・レディの全盛期の中で、
岩崎宏美さんの『思秋期』、中島みゆきさんの『わかれうた』、河島英吾さんの『酒と涙と男と女』等が想い出される。

もとより『秋桜(コスモス)』の名曲は、さだまさし氏の作詞であるが、
良き詞を提供してくれたと思っている。
そして翌年の秋に発売された『いい日旅立ち』は、谷村新司氏が作詞しているが、
この曲も双璧の名曲である。

改めて山口百恵ちゃんは、恵まれたというより、唄いきったこの方も素晴しいが、
何よりも作詞で綴られたこのお二人の感性に、私は脱帽する。


過ぎ去れば時の流れは早いが、その時代に唄われ心に残る名曲は、
その時代のそれぞれの方の思い出を蘇(よみがえ)る力が存在する確かなことである。
私はこのようなことを思いながら、心の中で、

♪こんな小春日和の 穏やかな日は
 あなたの優しさが 浸みて来る

【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】

と唄ったりした・・。


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iPodに始まった”音楽革命”は、果たして私たちに、幸福をもたらしたのか 【下】

2011-10-24 17:49:16 | 時事【社会】
レコード業界は平成元年の1989年の頃から、
世界のレコード市場でアメリカに続いて第二位の日本に注視してか、
特に外資の親会社から利益が追及されて、それぞれの各社は利益管理を厳しくなった、
と聞いたりしていた。

こうした中で、1990〈平成2〉年に於いて、
日本におけるポリグラムグループ(ポリドールと日本フォノグラム)の統括会社であるポリグラムとして創立し、
その後、1992(平成4)年にの3月に、ポリグラム(現・ユニバーサル・ミュージック)として本稼動したので、
私も転籍した。

その後、1995〈平成7〉年に8月24日 ウィンドウズ95が世界で同時発売され、
そして11月23日「ウィンドウズ95」日本語版が発売された後、
日本で発売され、数多くの方たちが、パソコンを購入しはじめて、
その後のネット社会が実質的に始まった・・。

このことはアメリカの音楽業界はもとより、日本でも音楽業界にも多々影響があった。
一部の熱狂的な音楽愛好者、或いは悪質な利益を追求する方たちが、
違法な音楽配信を普及し始めたのである・・。


そしてレコード業界は1998(平成10)年、CDを中核とする売上げのピークとなり、
各社が合併、大幅な業容の見直し、組織の改定、そして人員整理が行われ、
リストラ旋風となった。
私の勤めていた会社は外資で、早期退職優遇制度と称され退職の奨励、人事異動が行われ、
私も翌年の1999(平成11)年の早春に同じ業界の関連会社に出向勧告をされた。

私は30年近い本社勤務から、出向となり、私も都落ちの失墜感を感じたりし、
そして業界内の関連会社に5年勤め、定年退職日を迎えた。
この間も私の先輩、同僚、後輩の一部の方達は業界から去っていった。

このような中、違法な音楽配信、社会の趣味の多様化の中、CDの売上も急速に下降した。
その後、音楽配信が正常に普及したが、社会はデフレ風潮の中、売上げは下降している。


しかし決定的なことは、2003(平成15)年に於いて、
世界最大の音楽サイト「iTunes(アイチューンズ)」がサービスを始め、
私が瞬時に、音楽業界のパンドラの箱が開けられた、と強く感じたりした。

有料として1曲当り1ドル前後の割安で、利用者は購入できた上、
何よりも無料で視聴できることがアメリカをはじめ、主要国に急激に普及したことである。

なぜスティーブ・ジョブス氏が、このような安価でレコード各社を説得し、妥結させることができたのか、
と私なりに思案したのであるが、この当時も主要国で違法な音楽配信がはびこり、
そして有料音楽配信があっても中小の規模であり、
やむなくレコードのメジャー各社は妥協してしまった、と複雑な思いで結論したりした。


その後も一部の違法な音楽配信が数多く存在しているし、
圧倒的に割安感の「iTunes(アイチューンズ)」は普及、拡大する中、
CDの売上は更に低迷し、ここ数年はCD販売店の閉店、縮小が見られたりし、
音楽業界は烈風の中、存在している。


2004〈平成16〉年の秋に、何とか定年退職を迎えた後、
念願の年金生活をしている私が、音楽業界に憂い危惧していることは、
売上はもとより、利益も激減し、衰退化していることである。

音楽の専用誌も廃刊が相次ぎ、
CD販売店の閉店、縮小に伴いジャンルの専門分野の店員さんも激減し、
何よりもアーティストを取り巻く環境である。

このことはYMOのサウンドプログラマーを務めた松武秀樹さんが、
コメントで明言している通り、
《・・
曲の流通主体は、一定の収入が見込めるCDから、安価で権利関係の整備が不十分な配信に変わった。
このため、ミュージシャンが音楽を創造し、リスナーから対価を得て、
再び創造にあたるという音楽活動のサイクルが崩れてしまった面もある。

著作権で守られた作詞家や作曲家を除けば、ミュージシャンらの権利保護は不十分なままだ。
放置すれば、プロの音楽家が育たないことにもなりかねない。
・・》
この明言に尽きる。

このことは、昨今の『電子書籍』の問題も同一と私は深く憂いている。


そして私情を重ねれれば、デジタル携帯音楽プレーヤーに関してである。

私は携帯音楽機種としては、CD携帯プレイーヤーのウォークマンしか持っておらず、
デジタル携帯プレーヤーに寄る250曲以上、収録できると聞いたりすると、
私なりに眩暈(めまい)を感じている。

ときおり私は、散策の時など、音楽棚のCDアルバム1000枚ぐらいから、
ある程度選定し、簡易バックに入れて、CDプレイーヤーで聴いている。

CDアルバムは、アーティストが曲を創作され、
一曲の曲が生まれ、曲の編成順にこだわり、色々な思いも加味され、
音源制作会社、レコード会社のおもわくの上、完成され発売となる。
そのアーティストにとっては、その時代に創作活動の発表となるので、
ある面に於いて、自己存在を掛けたアルバム作品となる。

このような心情が私なりにあるので、
一枚、一枚のアルバムを深い思いで聴いている。
今度のアルバムの中の曲は・・
何故、この曲は三曲目に・・
とそのアーティストの心を思い馳せながら聴いているのであるる。

デジタル携帯プレーヤーの250曲前後収録といっても、
どのように編成して収録し、利用されているのか、
古い感覚の私としては、理解出来ないでいる。

まして昨今、音楽有料配信で、シングルとして収録された曲であるならば理解できるが、
アルバムの中の曲をバラ売りに配信されている、
と知った時は、アーチィストの心情を思い重ねると、涙ぐんだりしたひとりである。


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iPodに始まった”音楽革命”は、果たして私たちに、幸福をもたらしたのか 【中】

2011-10-24 15:37:43 | 時事【社会】
私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をした後、先の見えないつたない才能に無念ながら断念し、
何とか大企業に中途入社する為に、コンピュータの専門学校に入学したのは1969(昭和44)年の24歳の時であった。
たった一年ばかりソフトコースの学科を専攻して学び、近所の家電販売店の紹介で、
ある大手の音響・映像の会社の首脳陣のお方を知ったりした。

日本ビクターという会社で、中途入社の募集があり、確か経理、情報分野の要員であった。
私はこのお方のご尽力もあり、入社試験、そして面接を二回ばかりした後、ほぼ内定となった。

この当時の日本ビクターは、確かビジネス情報誌のひとつ『週間ダイヤモンド』に於いて、
民間企業の申告所得ベスト100位以内に常連する大企業であり、
私は内定する直前、このお方から会社に来るように云われた。

私は大企業の重役の役員室は初めて訪れ、内定の確定ができるかどうかの瀬戸際であり、
緊張したのである。
『情報畑も良いけれど・・経理畑はどうかしら・・』
とこのお方は柔らかな視線で私に言ったた。
『経理関係は・・どうも不得意の分野でして・・』
と私は言った。

このお方にしてみれば、事業本部単位の独算採算制もを経営方針のひとつでにあり、
経理本部は何かと昇進などで有利、と私は学んできたので、あくまでご好意の上、私に言ったのである。

『私は情報分野でも苦手で・・できましたら音楽事業本部に入れて下されば、最も嬉しいことでして・・』
と私は厚かましいことを懇願して、このお方に申し上げたのである。

『君がどのように想像しているか解からないが・・レコード分野は決して華やかな部署ではないょ・・
音楽の管理畑でいいねぇ・・』
とこのお方は私の要望を受け入れて下さった。

この頃の私の根底には、ハード製品のテレビ、ステレオ、ラジオなどの事業本部より、ソフト商品の方が波長に合う、
同じ働くなら音楽事業本部の方が何かと刺激があると思い、
無理難題を申しあげたのである。

このような状況で何とか日本ビクターに中途入社が出来たのは、
1970(昭和45)年4月であり、25歳の時であった。

私は日本橋にある本社に初出社後、音楽事業本部の仮正社員となり、
ともかく現場を学べと指示されて、いきなり横浜工場にある商品部に配属となった。
製造部でレコード、カセット、ステレオ8(エイト)の商品を製造された後、
商品の中央拠点であり、各営業所の商品在庫までコントロールする部署の商品部であった。

この当時の音楽事業本部は、レコード市場に於いて、圧倒的な首位の座であった。
本体のビクターレコードの森進一、青江三奈など、RCAレコードで内山田洋とクールファイブ、藤圭子など、
フィリップスレコードからは森山良子をはじめ、前年に『黒ねこのタンゴ』などが、ヒットを多発していた。

私は入社早々、商品部の音楽テープ課で商品センター働き始めた時、
森進一、青江三奈などの曲名も知らず、
君は何も知らないんだねぇ、と私の音楽に無知にあきれていた。
私は程ほどに文学、映画には詳しいと秘かに自負していたが、音楽は映画音楽分野しか知らず、
殆ど無知であった。

やむなく私は退社後、自宅の近くのスナックでジュース・ボックスで、
ビクターの販売している歌手の曲を学んだり、
そして音楽月刊誌のクラシック専門誌の『レコード芸術』を購読した。

数ヶ月した頃、フィリップスレコードが親会社のフィリップスの要請により、
レコード会社と独立すると知ったのである。
この当時、数年前にCBSがソニーと折半でCBS/ソニーのレコード会社が設立され、
外資の資本参加のはじまりでもあった。

私はこのフィリップスレコードが独立した日本フォノグラムというレコード会社に転籍の辞令を受けて、
もとよりレコード会社の各社は中小業であり、苦楽の大波、小波をまともに受けたした。

こうして新レコード会社で商品管理の現場を学び、
半年過ぎた頃に中途入社の対象の正社員登用の3泊4日の研修を受けた後、
翌年の1月中旬に本社のコンピュータ専任者の辞令を受け、私なりに奮闘がはじまった・・。

システムの運用、開発に関しては、既にビクターの音楽事業本部の情報関係者で完成していたので、
枝分かれのように部分独立させて、私は企業システムの運用に未知、不慣れもあり、
この情報関係者の先に出向き、教示して頂き学んだのである。
このような関係でビクターの音楽事業本部の本社の要員と業務上で、交流を重ねたりした。

こうした中で、改めて企業のサラリーマンは、甘くないと悟ったのである。
一人前の企業戦士になるために、徹底的に鍛え上げられる中、私なりに孤軍奮闘したりすると、
休日に小説の習作をする気力もなくなったのである・・。


まもなくビクターの音楽事業本部もレコード会社として独立し、その後RCAレコードも分離独立したので、
ビクターのレコード会社はCBS/ソニーに首位の座を明け渡した。

こうした中で、それぞれレコード会社として独立したビクター、RCA、フォノグラムは、
日本ビクターからの資本関係の比率は多少は違いがあったとしても、
兄弟会社のような存在となり、共同システムを開発しあったりし、お互いに交流を重ねたりした。

そしてレコード会社の情報責任者が集結した日本レコード協会の情報システム部会などで、
業界としての共通のシステム考案し協議したり、研修旅行なども毎年一回を繰り返し、
各社の情報責任者とも淡き交流を重ねていた。

こうように過ごしている間、貸レコード店が各都市に出店し、
特に街にある中小レコード店が売上が低下し、廃業したりし、
やがて日本レコード協会と貸レコード協会の論争は、ビジネス的に締結したりした。

この当時の私の心情は、入社前の映画・文学青年の真似事をしていた時でも、
欲しい本、レコードは、たとえ食事を抜いてお金をためて、やっと念願の本、レコードを購入できた時、
レコード(LP)の場合は30センチより少し大きめのジャケットを抱きしめるように帰宅した。
そして実家のステレオ装置の前のソファーに座り、真剣に聴いたりしていた。
こうした時に、名曲を聴いたりしていると、確か2000円ぐらいと記憶しているが、
決してレコードは高額な品とは感じなかったのである。


私は入社してから、給料を頂くたびに、もとより自社のレコード・アルバムを購入したり、
他社のレコード・アルバムも盛んに購入したりした。

そして、銀座の山野楽器、ヤマハ銀座店、渋谷の道玄坂にあるヤマハ渋谷店などで買い求め、
特にクラシック、シャンソンなどのジャンルで、探したりしりした時、
担当の店員さんから、いろいろとアドバイスを頂いたりした。

このようにレコードを少なくとも毎月数枚を購入していると、
特にポピューラー、ニューフォーク、そしてロックなどの場合は、魅了されたアーティストに関して、
初期のアルバム作品から収集してしまう。

もとよりアルバムは、アーティストが曲を創作され、
一曲の曲が生まれ、曲の編成順にこだわり、色々な思いも加味され、
音源制作会社、レコード会社のおもわくの上、完成され発売となる。
そのアーティストにとっては、その時代に創作活動の発表となるので、
ある面に於いて、自己存在を掛けたアルバム作品となる。

このような心情が私なりにあるので、
一枚、一枚のアルバムを深い思いで聴いている。
今度のアルバムの中の曲は・・
何故、この曲はA面の2曲目であり、B面の三曲目には・・
とそのアーティストの心を思い馳せながら聴いている。

このような思いで、その後にCDの時代になっても、
私は変わらない思いで、30数年聴いたりしてきたのである。

                           《つづく》

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iPodに始まった”音楽革命”は、果たして私たちに、幸福をもたらしたのか 【上】

2011-10-24 10:17:03 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

今朝、いつものように配達された読売新聞の朝刊を読んでいたら、
2ページの【総合】面にあるひとつの記事に、私は注視しながら精読した。

《 iPod革命10年
            音楽160億曲販売  CD激変 》

と見出しされた記事である。

読売新聞の経済部の河野越男、佐俣勝敏、両記者の綴られた優れた記事であり、
数多くの方たちに知って欲しく、無断であるが、転記させて頂く。

《・・
米アップルの携帯型音楽プレーヤー「iPod(アイポット)」が24日(米国時間23日)、
発表から10周年を迎える。
iPodは、アップル躍進のきっかけとなっただけでなく、
音楽業界の構図を塗り替えた。


スティーブ・ジョブス氏は当時、「音楽を聞く行為を、全く違った体験に変える」と、宣言した。

今年9月時点のiPodシリーズの累計出荷台数は3億台を超え、
ソニーの携帯型音楽プレーヤー(約3000万台)の約10倍に達した。
2003(平成15)年には世界最大の音楽サイト「iTunes(アイチューンズ)」がサービスを始め、
これまで160億曲を販売。
1曲当り1ドル程度と割安で、聞きたい曲だけを購入できる点が受け入れられた。

一方、米国でのCDの販売額は、2006〈平成18〉年の約55億ドル(約4180億円)から
2010〈平成22〉年には約20億ドル(約1520億円)に激変し、
ニューヨークなどの主要都市の大型レコード店がほぼ消滅した。

日本のCD生産数量も1998〈平成10〉年の約4億6000枚をピークに、
2010〈平成22〉年は約2億700万枚まで減った。

アスキー創業者の西和彦・尚美学園大教授は、
「コンテンツ(情報内容)のデジタル化を大きく進めた。
ソニーが大成功したCDを完全にやっつけた」と、iPodの衝撃度を振り返る。


CD販売枚数の急減で、100万枚以上売れた「ミリオンセラー」は、
2001〈平成13〉年の28タイトルから、2010〈平成22〉年は4タイトルに減った。

音楽をネットを通じて楽しむようになり、サイト発の音楽家も生まれている。
動画投稿サイトに投稿した歌声の回覧回数が200万回を超え、
今年7月にデビューした島根県の女子大生・山根万里奈(22歳)は、
「どこからでも世界中の人に歌を聴いてもらえる」と、
iPodに始まった”音楽革命”のメリットを説明する。
・・》
注)記事の原文にあえて改行し、和暦などを加えた。


こうした記事の全文であるが、この後にYMOのサウンドプログラマーを務めた松武秀樹さん(60歳)のコメント、
《プロとアマ 垣根下がる》と見出しで、続いて記事が掲載され、無断ながら転記させて頂く。

《・・
iPod登場をきっかけに音楽配信が普及した。
世界中の人に曲が届けられるようになったことは、ミュージシャンの可能性を広げる出来事だ。
誰でもネットで演奏や曲を投稿できるようになり、プロとアマチュアの垣根も下がった。

曲の流通主体は、一定の収入が見込めるCDから、安価で権利関係の整備が不十分な配信に変わった。
このため、ミュージシャンが音楽を創造し、リスナーから対価を得て、
再び創造にあたるという音楽活動のサイクルが崩れてしまった面もある。

著作権で守られた作詞家や作曲家を除けば、ミュージシャンらの権利保護は不十分なままだ。
放置すれば、プロの音楽家が育たないことにもなりかねない。
(談)
・・》
注)記事の原文にあえて改行した。

以上、長々と記事を転記させて頂いたが、
私は最初に読んだ後は、正鵠な記事を綴られていると思い、微苦笑をした。

そして、再読しながら、このiPodに始まった”音楽革命”は、
私たちの音楽愛好者にとっては、果たして幸福をもたらしたのか、
確かな文化の一面が失ったのではないか、と深く感じながら強く考えさせられた・・。


私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の秋、
大学を中退し、映画・文学青年の真似事を4年ばかりし、明日の見えない世界に彷徨(さまよ)い、
やがて敗退した。
やむなく民間会社に中途入社して、まもなく音楽業界のあるレコード会社で、
管理畑、情報畑などで35年近く勤務し、定年退職をした身である。

もとより音楽の制作に直接携わる部署ではなく、レコード会社の片隅に在ただけであるが、
定年後の今でも文学、そして映画に続いて、それなりに音楽に関しては熱い思いをある。

こうした不十分な資格であることは承知の上であるが、私なりのiPodに始まった”音楽革命”に関し、
この後に、過ぎ去り日々に思いを重ねながら、綴ることとする。

                                  《つづく》

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『好きな作家・著者』、齢ばかり重ねた今の私は、大いに変貌を感じ、微苦笑を重ねて・・。

2011-10-23 13:12:07 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨日の朝、読売新聞の朝刊を読んでいた時、12面に於いて、
27日より読書週間が始まるのに際して、『読書週間世論調査』の特集記事が掲載されていた。

この中の記事のひとつとして、『好きな作家・著者』のコーナーがあり、
1位・・東野圭吾、2位・・司馬遼太郎、3位・・宮部みゆき、4位・・五木寛之、5位・・赤川次郎
このように20名の作家名が明記されていた。

私は見ながら、昨今の多くの読書の多くの方とは、違うかしら、と苦笑をしたりした。
そして、ぼんやりと過ぎ去った日々に思いを馳せたりした・・。

私は若き20代の前半に、大学を中退し映画・文学青年の真似事をしたので、
小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻は基盤として精読した上、
純文学、中間小説の月刊雑誌を購読し、そして興味のある数多くの単行本、文庫本を乱読した。

こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上靖(いのうえ・やすし)、
そして立原正秋(たちはら・まさあき)の両氏であった。

この後、文学青年の真似事を敗退した後、やむなく民間会社に中途入社し、
音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
水上勉(みなかみ・つとむ)、庄野潤三(しょうの・じゅんぞう)、
城山三郎(しろやま・さぶろう)、松本清張(まつもと・せいちょう)、山口瞳(やまぐち・ひとみ)、
向田邦子(むこうだ・くにこ)、宮脇俊三(みやわき・しゅんぞう)、倉本聡(くらもと・そう)、
浅田次郎(あさだ・じろう)の各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが特に多かった。

そして2004(平成16)年の秋に35年近く勤務し定年退職した後、
塩野七生(しおの・ななお)、佐野真一(さの・しんいち)、藤原正彦(ふじわら・まさひこ)、
嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)、曽野綾子(その・あやこ)、各氏の作品に深く魅了され、精読している。


このように愛読した作家名を思いだしたりしたが、
もとより睡眠時間を削り、アルバイトをしながら明日の見えない映画・文学青年の真似事をした時代は、
各作家の作品を読み、読書量が多かったのは明記するまでもない。

昨今は66年の歳月が過ぎ、過ぎ去った人生を思い重ねて、
特に塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、各氏の作品を購読して、
多々教示されたり、或いは、そうですよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。


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大泉高原の山里に、錦繍の情景、そして満天の星空を求めて・・。【10.16.~10.19.】最終回

2011-10-22 18:03:05 | 
        最終章  旅の終わりには『森の散策路』

私たち夫婦は、初めて宿泊した『八ヶ岳ロイヤルホテル』に到着後、
このホテルは小高い丘のような上に建ち、正面の前方以外は、森の中に囲まれた建物と解った。

この後、このホテルの所有する森には、『森の散策路』と称せられ、
一周約30分と明記されていたので、旅の最終日の19日にゆっくりと散策しょう、
と私は家内と話し合ったりしていた。

ホテルのご好意で『小渕沢』駅までの送迎車は、
ホテル前の集合時は午後1時半に伴い、チェックアウトの午前11時まで、
私たち夫婦は旅の終わりなので、部屋でのんびりとしょう、
と窓辺から観える八ヶ岳の主峰の赤岳を見つめたりしていた。

チェックアウトを終えた後、私たち夫婦は『森の散歩道』を歩き出した・・。

この森は程ほどに手入れをされて、モミ、スギ、アカマツなどの常緑樹の中、
ミズナラ、コメズカ、コナラなどの落葉樹は色づきはじめ、
ヤマウルシのたわわな葉は紅色に染められる光景を眺めながら、小路をゆっくりと歩いた。

この森には、時折リスが小路を渡ったり、アカゲラ、コゲラの鳥たちも生息している、
とハードウォチングの方から私は教えを受けたりしていた。

私は落葉樹の四季のうつろいに限りなく魅了されるひとりなどで、
ミズナラ、コナラ、ヤマウルシなどの色合いに見惚れながら歩き廻っていた。

この後、少し上りつめると、大きな松が聳える下の付近に水音を感じ、
窪(くぼ)んだ地表には、湧水が観られ『油川水源地』と小さな札があった。
私は幼年期に農家の児として育てられ、生家の田んぼの一角に湧水があったので、
私としては故郷の原景として愛惜する情景であり、長らく湧き出す水の流れを見つめたりしていた。

この湧水から清流が流れ、やがて小さな小川となり、
私はこの森の中の沢沿いに、ゆっくりと下った。
そして紅色、朱紅色、黄色に染められたヤマモミジなどを観ながら、
過ぎゆく時の流れの情景を確かに享受した。


この後、私はロビーの外れでの喫煙所で、煙草を喫いながら、
一昨日は『清泉寮』の周辺の『カラマツ林の小径』、『富士山とせせらぎの小径』を散策をし、
昨日は『八ヶ岳倶楽部』で雑木を中核とした庭園を歩いたりした。
そしてホテルの正面以外を取り囲んだ『森の散歩路』を歩き廻ったりしていた。

やはり『八ヶ岳倶楽部』は、柳生博(やぎゅう・ひろし)氏の人生観と哲学を集積した美の結晶である。
数多くの雑木を中核とした庭園で、小路は枕木の木道で歩きやすく、
ゆるやかな傾斜地に四季折々のそれぞれの雑木が彩(いろど)っている。

私は初めて拝見した時、柳生博氏の人生観に於いての思想と哲学を発露された庭であり、
特にレストランの前のテラスで観る雑木の美景は、まぎれなく氏の美学が感じられる。
このように瞬時に感じたりし、氏の強い意志と感性で創底され、
昨今は専門知識を有したご子息の真悟氏の基で、運営発展している。

これに対して、程ほどに管理された森が『清泉寮』の周辺の『カラマツ林の小径』、『富士山とせせらぎの小径』、
そしてホテルの『森の散歩道』であり、
私は好感しながら、どちらが好きかと問われても、
美の結晶と程ほどに管理された散策路は比較できないなぁ、と心の中で微苦笑したりした。

                                    《終わり》
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旅行業界の通販大手3社の利用者たちが、偶然にホテルで共にし、思わず私は微苦笑し・・。

2011-10-22 15:25:20 | 旅のあれこれ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
家内と共通趣味のひとつには国内旅行であるが、子供に恵まれなかったこともあり、
新婚時代から国内の各地に四季折々訪れている。

私の現役時代は民間のサラリーマンであり、数多くの人と同様に多忙な身であった上、
住宅ローンなどの返済もあり、世に言われるセレブのような高級な旅には程遠かったが、
それなりに短かな旅をきた。

2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、直ちに念願通りに年金生活となったので、
現役時代と違い、少しは長い7泊8日前後の旅、
或いは海上の遥か彼方の小笠原に訪れた時は12泊13日をしたりしてきた。

私たち夫婦は海外旅行は、何かと苦手な身であるので、夫婦としての旅路は国内旅行ばかり重ねてきた。
そして点在した観光地を周遊するコース、
或いは観光地のホテル、旅館などで滞在し周辺を観るコースに大別される。

いずれにしても、私は定年後は自動車の普通免許書を放棄した身なので、
個人旅行、団体旅行に関わらず交通機関は電車、バス、飛行機、フェリーなどに頼って旅行を重ねてきた。


こうした旅行の時は、個人旅行で家内と共にする時は、JTBの旅行代理店に依頼することが多いが、
団体旅行の周遊型、滞在型の場合に於いては、
購読している読売新聞の広告に掲載されている通販のクラブツーリズム、阪急交通社、
ANAの旅行計画、JTBなどを見たりし、圧倒的に私たち夫婦はクラブツーリズムを利用してきた。

過日、ここ2年は家内と共に変則な旅行を重ねて、JTBの旅行代理店に依頼してきたが、
過ぎし16日より、団体の滞在型の旅行を3泊4日で家内と共に参加した。

この時に利用したのは、クラブツーリズムから郵送されてくる月刊誌を見て、
『美しき高原の中! 八ヶ岳ロイヤルホテル3連泊』と題されたプランを見たりしていた。


そして、このリゾートホテルは、星空が観やすいところ、と何かの雑誌で私は読んだりしたこともあり、
その上、この地域は10月中旬の頃から、朱色、黄色などに染め始める錦繍(きんしゅう)の情景が展開するので、
私は家内に、
日中は錦繍の情景、そして夜には満天の星空を眺められる・・
独断と偏見の多い私でも、三日間宿泊すれば、一日ぐらいは煌々と輝く数多くの星が見られる、
と家内を勧誘したのである。

新宿駅に集合し、特急『あずさ』を利用して、小淵沢駅で下車し、
ホテルからの送迎バスに乗車し、ホテルに3連泊する間、それぞれ好きな所を見てきて下さい、
滞在の自由プランである。

そして驚くことに、特急『あずさ』で新宿から小淵沢の往復を利用し、
ホテルからの送迎車で小淵沢とホテルを往復して下さり、
『八ヶ岳ロイヤルホテル』に3連泊し、朝夕の食事付で、
おひとりさまの旅行代金は、たった29800円であった。

私たち夫婦は、このような旅行代金で食事は大丈夫かしら、と家内は言ったりし、
どうしてこのような料金で出来るの、と私も感じたりしていた。
そして私は、私たち夫婦でも6万円足らずで、
小笠原の父島を訪れた時のひとりの片道の『小笠原丸』料金とほぼ同額であったので、
私は家内に言ったりして、微苦笑を重ねたりした。


私たち夫婦は今回の旅行は40名前後と方たちと集合の場所、
宿泊したホテルのロビー、送迎車、『あずさ』の待合の時などで談笑を交わしたりが、
何よりも驚いたのは、夕食の食事処は結婚式の披露宴の会場で、
私たちのクラブツーリズム、そして阪急交通社、JTBの方たちと同じ会場であった。

私は家内と共に食事処の指定場所に行った時、
入口の立札が、それぞれ明記されていたので、
『大手の旅行会社が・・偶然に並んだょ・・』
と私は家内に微笑みながら言ったりしたのであった。

4人席、6人席のテーブルがグループ毎に並び、私たちのクラブツーリズムは20前後のテーブル、
私たち夫婦は4人席テーブルに案内され、ゆったりとふたりで食事できたりし、
このような配列で、阪急交通社、JTBの方たちと同様であった。


その後、ロビーの近くに、この3社が簡略された旅行企画名称で明示され、
私たちと同様に3連泊プランと知ったのである・・。

もとより昨今の旅行業界は熾烈な競争を強いられ、宿泊のホテル、観光ホテル、旅館、
そして交通機関の鉄道、バス、航空の各社も大幅な値下げの結果として、
私たち旅行客は料金の面、サービスなどを享受している。

このような現象は、いつ頃から始まったのかしら、と私は改めて思ったりした。
ひとつとしては、宿泊先のホテルも旅行会社から厳しく低価格を提示が予測できたので、
せめて私のできることは、館内でビールをたくさん吞み、ホテルに貢献するしかない、
と思いながら、ビールをおかわりね、とオーダーしたりした。


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