夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

シニアに急増の脊柱管狭窄症 「脱力蹴り出し体操」で6割改善を学び、40代で腰痛で入院した私は・・。

2016-07-31 15:33:49 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、『都知事選』の清き一票と思い投票所に行った後、
いつもように家内から依頼された品を求めに最寄りのスーパーに向い、
路線バスも走る大通りの歩道を歩いていた・・。

まもなく前方の道路の彼方から、救急車がサイレンを鳴らしながら疾走してきた・・。
交差点の信号の近くは、少し減速したが、やがて私の近くを通り過ぎて行った。

やがて買物の責務を終えて、帰宅に向かう時、
私は若き40代の時に、救急車に三回ばかり、お世話になったよなぁ、と思いだされた・・。


この当時の私は、あるレコード会社の情報畑で、システムの開発、運営に従事して、
平日は15時間ぐらいの勤務は、当然のように感じながら、
ときには徹夜勤務して奮戦していた時代であった・・。

こうした中、突然にギックリ腰で三度ばかり入院した苦い体験がある。
                   

最初は土曜日も休日出勤した翌日の日曜日、自宅の和室でゴロコロと横たわって休んでいた時、
家内から、掃除機を取って下さい、と言われた私は、
近くの押し入れの下段に収納している掃除機を、かがんで取ろうとした時、
まもなく腰に激痛を感じて、横たわったりした。

翌日の月曜日の早朝、相変わらず腰回りに痛み感じていた。
そしてタクシーで病院に行き、治療を受けて出勤しょうか、と思いながら、
布団から這(は)いずりだして、トイレを終え、何とか洗面所で歯を磨こうとした時、
激痛がはしり、くずれ、床に寝転んでしまった・・。

家内に声をかけ、
『みっともないけれど、救急車を呼んでくれないか・・』と私は言った。
            

そして家内は、救急先に電話口で、
『ご近所の手前・・近くにきたら、サイレンを止(と)めて下さい! お願いしますね・・』
と家内は言った。

まもなくサイレンの音を響かせ、救急車が自宅に来た。

そしてタンカーを持ち、救急員のふたりが入ってきた。

救急隊員のひとりが、家内を見ると、
『奥さん・・サイレンを止めろ、と先程に言われましたが、
サイレンを止(と)めちゃ、救急車が走っていても、他の車は徐行してくれませんょ・・
奥さん・・救急車の役割がしませんから・・』
と救急隊員のひとりが怒った顔で、家内に言った。

怒られた家内は、呆然(ぼうぜん)としていた。

私は近くで聴いていたが、救急隊員のもうひとりの方に、
『それより・・私を早く病院に連れてって下さい!!』
と私は懇願したりした。

この後、家内は少し青ざめながらも、救急車に同乗した。
まもなく救急車は、サイレンをけたたましく鳴り響き、他の多くの車を徐行させ、
やがて病院の正面口に着いた。

そして家内が救急員のひとりの方に、寸志のつもりで、
『ほんのお気持ちですが・・』と手渡そうとしたら、
『奥さん、何をおしゃるんですか・・』と家内は、救急員に怒られたりした。
                    

私はタンカーに乗せられ、病院に入ったのであるが、
ロビーの椅子に入院患者の方たちが、数多くたむろしていた・・。
そして私を眺めていたのである。

『あれは、ぎっくり腰だなぁ・・間違いがねぇ・・』
とその中のひとりが言ったのである。

私の方は、腰は痛いが、頭のほうは正気だったので、
恥ずかしい思いであった・・。

そして診察室に向かう通路の中で、黄緑色の公衆電話が見えたので、救急員の方に私は言った。
『ちょうと、待って下さい・・会社に連絡するので、電話をしますから・・』

今度は私が、救急員から怒られたりした。
『ご主人、何をおしゃるんですか・・診察を受けるのが最優先ですから・・常識ですょ・・まったく・・』
と言われたりした。

こうしたことが私としては、生まれて初めての救急車に乗車した初体験である。
                    

そしてこの時は、入院直後、医師の人から、
『3日ぐらい容態を診ましょう・・』
などと私は云われ、私は多忙時期であったので、焦(あせ)った。

そして私は医師に、『早く・・職場に戻らないと・・痛くても緊急の処置をして下さい・・』
と私は懇願したりした。

結果的には、1泊2日の入院生活を生れて初めて体験した。
            

この一年過ぎた頃、やはり腰に激痛を感じて、身動きができず、
やむえず救急車に、お世話になった。

この時は、治療を受けながら担当医師より、
『1週間前後、容態を診ましょう・・それから具体的に・・』
このような意味合いを、私は言われたりした。

やがて私は、看護婦長の姿を見つけて、
『早く・・職場に復帰しないと、会社に影響します・・
担当の先生に、短期決戦のような治療をお願いして欲しい・・』
と私はひたすら懇願したりした。

そして入院生活は3泊4日で卒業した。
            

この後、二年過ぎた頃、 やはり腰に激痛を感じて、身動きができず、
やむえず救急車に、お世話になった。

さすがに3度目に病院に運ばれた時は、私は 観念し、
担当医師の指示に基づいて、28日間の入院生活となった。

そして病室のベットから何とか車椅子に乗り、公衆電話のある室に行き、
テレホンカードで会社に業務の連絡事項を、毎日のようにしたりした。

その後、上司と共に私の関連する業務担当の方たちが来院したりしたが、
入院という非日常生活の視線から、何かしら遠くなってしまった日常の社会の動きを見つめたりした・・。

病室のベットに休んでいても、周囲の社会は順調に動いて、
自分の存在は、一体どこにあるのか、と疎外感を感じ深めたりしていた。

このような困苦した体験があったが、退院後、数ヶ月が過ぎると、
入院生活のことなど忘れ、サラリーマンとしての業務に没頭した。
                    

こうして私は酷い腰痛で救急車に三回も、お世話になったり、入院生活も三度も体験した。

この時、担当医師に腰痛の原因を訊(き)いても明解な回答も得ず、
ただ具体的な検査をしながら、治療するばかりであった。

そして退院後、担当医師より、休みの日には、よく歩いて下さい、と助言を受けて、
この後、私は忠実に守り、自宅付近にある遊歩道、小公園を歩いたりしている。

過ぎし3年前、偶然に読んだ腰痛の原因のひとつには、
ストレスと疲労の蓄積、と海外の医師の発言を読み、そうかしら、と微苦笑したりした。
            

本日の昼下がり、ときおりネットで愛読している『NEWS ポストセブン』を見ていたら、
【 シニアに急増の脊柱管狭窄症 「脱力蹴り出し体操」で6割改善 】と見出しを見て、
私は40代に於いて、腰痛で三度も入院した私、そして家内の母は、ここ数年は腰、膝(ひざ)が悪化して、
要介護の身となっているので、真摯に学ぼうと精読した・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年8月5日号に掲載された記事のひとつで、
関連の『NEWS ポストセブン 』に於いて、7月30日に配信された記事であり、
無断であるが転載させて頂く。

≪・・厚生労働省の調査によれば、現在、日本では2800万人もの人が、腰痛に悩まされているという。
そのうち85%は原因がわからず、長期にわたって、痛みと付き合うことを余儀なくされている。
            

そうした慢性腰痛に対して、原因が特定できる腰痛を「特異的腰痛」といい、
なかでも近年、シニアを中心に患者数が急増中なのが「脊柱管狭窄症」だ。

日本整形外科学会の調査によれば、国内の患者数は約350万人にのぼり、50歳以上の腰痛の最大原因と考えられている。

脊柱管狭窄(せきちゅうかんきょうさく)症は、加齢に伴う背骨の老化などにより、
腰椎の脊柱管(背骨にある脊髄中枢神経の通り道。脳から尾骨までつながる)が狭くなることで、
内部を通る神経を圧迫。

それが原因で、腰や下肢に痛みや痺れなどが生じる病気で、高齢になるほど発症率は上がる。

一般的な治療法は、消炎鎮痛薬、血管拡張薬の服用による薬物療法や
神経ブロック注射(神経やその周囲に局所麻酔薬を注入)などだが、
これらの治療で改善しなければ、神経の圧迫を取り除く外科手術が行なわれる。

だが、メスを入れても、症状が軽減されないという声が後を絶たない。
            

日本整形外科学会専門医で『清水整形外科クリニック』院長の清水伸一氏の話。
「当院のデータでは、外科手術まで受けた患者の約8割が、下肢のしびれが残ったままでした。
実際にMRIで脊椎管狭窄症と診断されても、それは仰向け状態のもので、
日常生活の大半を過ごす立位や座位での狭窄とは違います。

その考えで診断をし直したところ、なかなか治らない脊柱管狭窄症に悩まされていた患者の大半が、
脊柱管の外にも問題があることがわかったのです」

例えば、腰椎から足先まで伸びる坐骨神経が、脊柱管を出た後、
加齢により衰え、硬直した腸腰筋や梨状筋(お尻の筋肉)などに圧迫されて、
痛みや痺れが生じていたケースがあるという。

脊柱管内の狭窄が、痛みの原因ではなく、神経を圧迫していた犯人は、脊柱管の外にあった。
そのため、MRIでは捕捉できず、間違った診断が下され、治療も功を奏さない──
そんな患者が、少なくないのである。

「他院で脊柱管狭窄症と診断され、当院を訪れた患者のうち6~7割が『管外タイプ』、
または『管内と管外の混合タイプ』と考えられます。
これらのタイプに通常の治療法は効きませんが、注射や手術をせずに、改善させる方法があります。

腸腰筋などをほぐす体操をすることで、約6割の患者に症状の改善が見られました」(同前)
            

大きな効果を生んでいるのが、清水氏が考案した「脱力蹴り出し体操」だ。
左右の足を片方ずつ、後ろに上げてから、前に蹴り出す。

足に力を入れず、脱力することで、腸腰筋がほぐれる。
左右5回ずつで、1セット。
朝晩各5セット行なう体操である。

腸腰筋とは、腰椎と骨盤、左右の大腿骨を繋ぐ筋肉群の総称をいう。
硬くなった腸腰筋が、ほぐれて柔軟になれば、骨盤の位置が正され、
その骨盤を通る坐骨神経の圧迫も、解消されるという。

脊柱管狭窄症の治療を施しても改善が見られない人は、脊柱管外のトラブルを疑ったほうがいい。
その見分け方を清水氏が教える。

「前屈姿勢になって、痛みや痺れが和らげば、管内タイプ。
お尻や太腿の筋肉が硬く、シコリがあり、押すと痛みなどを感じる人は、管外タイプの疑いがあります」

タイプを見極め、適切な治療を行なえば、完治も夢ではない。・・≫

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私はこ記事を読み終わった後、関連記事として、
【  シニア腰痛の脊柱管狭窄症 痺れ・痛み・残尿感・便秘の症状 】と題された記事も読んでしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2013年2月1日号に掲載された記事のひとつで、
関連の『NEWS ポストセブン 』に於いて、2013年1月22日に配信された記事であり、
無断であるが転載させて頂く。

≪・・「眼」や「歯」などシニア世代が抱える体の不調を特集する「ヘルスケア・レポート」。
今回のテーマは「腰痛」だ。

日本人の8割が、一生に一度は経験するという疾患は、放っておけば歩くのが億劫になり、
さらに筋力が低下して悪化するという悪循環に陥りかねない。
アクティブな生活を取り戻す最新治療を報告する。

一口に腰痛といっても、その原因はさまざま。
中でも、年々増え続けているのが、脊柱管狭窄(せきちゅうかんきょうさく)症だ。
シニア世代を悩ませる腰痛原因の代表的な病気である。
            

昨年退職した埼玉県のAさん(65歳)は、ようやく好きなゴルフ三昧の生活を満喫できると喜んでいた矢先、
以前からあった両脚太腿の痺れが悪化し、ゴルフどころではなくなった。

「歩くと痺れと腰の痛みが強くなり、グリーン上を移動するのも休み休みでした」
Aさんは整形外科を受診し、CT検査の結果、「脊柱管狭窄症」と診断された。

「脊柱管(背骨)は、神経の本幹(馬尾)が通るトンネルで、加齢と共に狭く変形していきます。
また、何らかの原因で脊柱管が狭くなることで、神経が圧迫され、
お尻から下肢にかけて、痺れや痛みなどが起こるのが、この病気です」

こう解説するのは、脊椎・脊髄の専門医である白石建・東京歯科大学市川総合病院整形外科教授だ。

脊柱管狭窄症の典型的な症状には、痺れや痛みに加えて、
一定の距離を歩くと、痛みが強くなり、少し休むと痛みが治まる「間欠跛行」という症状や、
重症化すると、残尿感や便秘などがある。

「症状が軽い場合には、経口プロスタグランジンE1、消炎鎮痛剤などの薬物療法や、
痛みの起こっている神経に、局所麻酔やステロイド薬を注入する神経ブロックなどでよくなります。

しかし、このような保存療法でも症状が改善しない場合には、脊柱管を広げる手術が必要です。
Aさんのようにゴルフを楽しむなど以前と同様の活動的な生活をしたい人には第一の選択肢となります」(白石氏)・・≫

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

今回、加齢に伴う背骨の老化などにより、
腰椎の脊柱管(背骨にある脊髄中枢神経の通り道。脳から尾骨までつながる)が狭くなることで、
内部を通る神経を圧迫する脊柱管狭窄(せきちゅうかんきょうさく)症を改めて学んだりした・・。

そして「症状が軽い場合には、経口プロスタグランジンE1、消炎鎮痛剤などの薬物療法や、
痛みの起こっている神経に、局所麻酔やステロイド薬を注入する神経ブロックなどでよくなります。

しかしこのような保存療法でも症状が改善しない場合には、脊柱管を広げる手術が必要です、
と学んだりした。

しかしながら「他院で脊柱管狭窄症と診断され、当院を訪れた患者のうち6~7割が『管外タイプ』、
または『管内と管外の混合タイプ』と考えられます。
これらのタイプに通常の治療法は効きませんが、注射や手術をせずに、改善させる方法があり、
腸腰筋などをほぐす体操をすることで、約6割の患者に症状の改善が見られた、
と多々教示された。

私は今はこのような病状は幸いにもないが、いつの日にか老齢になれば遭遇するかもしれない。
            

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、
年金生活を過ごしている。

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【都知事選】山口敏夫・立候補の石原親子に猛批判、都民の無力な私でも、的言と大笑いさせられ・・。

2016-07-30 15:42:13 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
結婚前後5年を除き、都民のひとりとして、この地に66年ばかり過ごしている。

私は政治にも疎(うと)く、今回の都知事選に於いて、数多く御方が立候補され、
何よりも驚いたのは、山口敏夫さんが立候補されたことであった。

私は新聞、雑誌、テレビなどから、山口敏夫さんに関しては、
失礼ながら小柄であるが、遠い昔に迫力ある言動を幾たびか感じていた御方であった。

そして改めて氏の略歴を読み、遠い日の記憶が蘇(よみがえ)った・・。、

過ぎし1976年、ロッキード事件を受けて、
自民党のリベラル派議員と称せられる河野、西岡、田川誠一ら自民党を離党し、
新自由クラブを結党する。

同年末の第34回衆議院議員総選挙では「クリーンな政治」を掲げ、一挙に12人もの新人を当選させ大勝するが、
その後は政党の独自色を明確にできず、既成政党に埋没して、やがて党勢は衰退した。

1979年には、党の中心人物であり、初代新自由クラブ幹事長の西岡武夫が離党。
1980年、田川幹事長の代表就任に伴い、後任の幹事長に就任し、
党の起死回生を図るべく1983年、中曽根康弘連立政権への参加を推進。

翌1984年発足の第2次中曽根改造内閣で労働大臣に就任し、初入閣した。

こうした歴任された御方であり、私はとっくに政界を引退されて、地元で穏やかに過ごされている御方、
と思っていたので、ここ12日前に、偶然にテレビのニュースを視聴していた時、
御歳を召された容姿に、今更どうして都知事選に立候補されたんですか、とびっくりさせられたりしてきた。
            

確か7月27日の朝、家内が居間でテレビを視聴していた時、
私は近くで、ブログで愛読してる数多くの御方の投稿文を読ませていただいたりしていた・・。

テレビからは、何かしら自民党本部で各種団体総決起大会を開き、
自民、公明などが推薦する増田寛也・立候補の支援が開催され、石原慎太郎・元都知事(83)が登壇し、発言されいた。

石原慎太郎さんは、野党統一候補として擁立された鳥越俊太郎・立候補について
「売国奴だよ、こいつは」と“こいつ”呼ばわりをされていた。

更に鳥越俊太郎さんが、尖閣諸島で中国と衝突し、人命が失われる事態になるようなら
「尖閣なんて、中国にくれたらいい」と発言しているとし
「こんなバカなことを言うヤツに、東京を代表できるか」と切り捨てたりしていた。
            

或いは小池百合子・立候補については、
「私はあの人は、ウソつきだと思いますよ。
私があの人に、選挙に出たらいいなんて言ったという。そんなこと毛頭ありませんから。
厚化粧の女に、任せるわけにはいかないよ」と発言した。

私は自民党の都連会長の石原伸晃さんは、自民、公明などが推薦する増田寛也・立候補が劣勢で危惧して、
父上の石原慎太郎さんの名声にすがった、と瞬時に感じたりした。

そして立候補している小池百合子元防衛相について、
「今日をもって小池氏は自民党の人間ではない。私はこのように思っている」と公言した。

私は園児のような発言に、相変わらずお坊ちゃんの言動にあきれ果てて、
父上のお陰で国会議員になれた癖に、困ったもんだ、と苦笑したりしてきた。

私は何よりも憂いことは、石原慎太郎さんは心の節度も欠け、御歳を召された、と深く感じたし、
今回の小池百合子・立候補についての発言の中で、・・厚化粧の女に、任せるわけにはいかないよ・・
こうしたことは、少なくとも都民の有権者のご婦人層が心害されることである、と瞬時に感じ深めたりした。
            

山口敏夫・立候補がジャーナリストの上杉隆・立候補ともに、7月29日に街頭演説を行った、
と私は新聞で読んだりした。

何かしら26日に、自民党本部で開かれた増田寛也・立候補の総決起集会で、「
石原慎太郎さんの小池百合子・立候補についての発言を問題視されていた。

≪・・この日午後、渋谷駅前の演説で、山口氏は、
慎太郎氏の長男で自民党東京都連会長の石原伸晃経済再生担当相(59)にも怒りの矛先を向けた。

「老いた慎太郎さんに、選挙の応援を頼んだのが、せがれの石原伸晃。
伸晃はもうすぐ60歳。大臣もやってる。

それが5歳や10歳の子供じゃあるまし、
『父ちゃん、俺たちの担いだ候補が負けそうだから、ぜひ応援して下さい』
と応援ベンチに引っ張り出した」
と都連会長の手腕に疑問を呈した。

「挙げ句の果てに、小池批判をさせた。
結果的に小池さんだけでなく、全国の女性を怒らせて、小池さんを応援するようなことになった。
慎太郎さんも親バカだから、せがれに頼まれたら、ひきうけちゃう。
しかし、頼むせがれは、もっと頭が悪い」と痛烈に批判した。・・≫

こうした記事を私は読みながら、山口敏夫・立候補の的言に、大笑いさせられた・・。

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日本の「ハンコ文化」は、なくならない理由、老ボーイの私は学び、やがて微苦笑して・・。

2016-07-29 14:35:46 | ささやかな古稀からの思い
私は家内と共に、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごし、まもなく年金生活を丸12年を迎える身である。
          
こうした中、私たち夫婦は、それぞれ『実印』を所有し、『認印』は5本、簡素な印鑑代わりの『シャチハタ』があるが、
『銀行印』を省略してしまったので、『認印』で代用してきたが、
ときおり郵便局、銀行などで使用する時に、どの『認印』だったかと戸惑う時もある。

本日の昼下がり、ときおりネットで愛読している『NEWSポストセブン』を見ていた時、
【 時に面倒もある日本の「ハンコ文化」はなぜなくならない? 】と見出しを見て、
私はクリックして精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年7月22・29日号に掲載された記事のひとつで、
関連の『NEWS ポストセブン 』に於いて、7月20日に配信された記事であり、
無断であるが転載させて頂く。

≪・・役所に書類を出す時も、車や家を買う時も、遺産相続の手続きにも必要な「ハンコ」──。
電子取引・電子申請が普及しても、なぜかなくならない。
            

それどころか、直筆サインよりも、目の前にいる本人よりも、「ハンコ」が信用されることさえある。
銀行などでは「これは登録されたハンコとは、違います」と書類を突き返されることもある。

全日本印章業協会の中島正一・会長は、ハンコ文化は、日本人の暮らしに深く根付いたものだと説明する。
「10年ほど前までは、中国や韓国、台湾にも印鑑登録制度がありましたが、今も続くのは、世界で日本だけ。

日本人は一生のうち、平均5本のハンコを持つといわれています。
結婚して夫婦で新しい人生を始める時に、実印、銀行印、認印の3点セットを贈る風習もありました。
車の車庫証明、マイホームの登記などはもちろん、親御さんが亡くなった時の遺産相続では
『遺産分割協議書』に各相続人の実印が必要になる」
            

ただ、ハンコ業界の先行きは、決して明るくないという。
中島会長が続ける。

「当協会に所属する会員は1200ほど。30年前は約4500でしたから、減少の一途にあります。
ゴム印の需要減に加えて、国際的な逆風もあります。
最も優れた手彫り印鑑の材料だった象牙が、1989年のワシントン条約で輸入禁止となった。

輸入再開に向けた取り組みを続けていますが、自然保護団体に
『密猟で象が殺され、その象牙が売買されている』というネガティブキャンペーンをネット上で展開されたりして、
うまくいかない。捕鯨と同じような構図です」

加えて、銀行や役所などでの“脱ハンコ”の流れもある。
中島会長はこういう。
「そうした動きは、もちろん把握しているが、ハンコをなくすと、不便があるのも事実です。
平日の日中、銀行の窓口に行けないサラリーマンが、
妻に代わりに行ってもらう時、静脈認証ではどうしようもない。

会社印にしても、社長の静脈を登録して手続きのたびに、
社長が銀行や役所に出向くのは現実的でない。
ハンコには、ハンコの利便性があるんです」
            

1971年に創刊された日本で唯一の印章業界誌『月刊現代印章』の真子茂・編集長は
「日本でハンコがなくなる事態は、考えにくい」とする。

「ハンコは本人認証というよりは、“確かにこれに同意した”という意思表示の証拠としての意味が大きい。
だから静脈認証や生体認証で、すべて代替はできない。

意思表示の証拠として、代わりうるのは『サイン』ですが、
法改正など膨大な手間をかけて、すべてサインに変えても、印章業界が損をして、得する業界はない。
だから、誰もハンコをなくそうと、本気では動かない」

世界にひとつだけの文化は、まだ当分廃れそうにない。・・≫

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

このような記事を読み終わった後、私は釈然としなかったが、
下段に関連記事として、【 自民党が推進したハンコ廃止 印章業界の猛反発で敗北の過去 】見出しがあり、
私は精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年7月22・29日号に掲載された記事のひとつで、
関連の『NEWS ポストセブン 』に於いて、7月14日に配信された記事であり、
無断であるが殆ど転載させて頂く。

≪・・(略)・・実は、国レベルで「ハンコ廃止」が、俎上に載せられたことがある。
その議論の辿った経緯は興味深い。
            

1997年、自民党行政改革推進本部は、各種申請・届出の電子化やペーパーレス化の推進のため、
「押印見直しガイドライン」を決定、政府に申し入れた。

資料閲覧や施設利用の申込書、履歴書、住所変更届など、
押印を求める必要性が乏しいと考えられる書類について、「記名のみ」にしようという内容だった。
ところが、これが印章業界の猛反発を受ける。

全国で反対の署名運動が起き、特に手彫り印鑑の生産量日本一を誇る山梨県の印章業組合連合会は
激しい“闘争”を繰り広げた。

連合会会長経験者が振り返る。
「見直しとなれば、県の印章業界は、壊滅的打撃を受ける。
その危機感があったから、県選出の代議士らに『押印見直し反対』の陳情を20回以上繰り返し、
3万5000人分の署名を自民党行革本部に提出した」

業界挙げての反対運動は、実を結んだ。
別の組合関係者が語る。
「陳情を受けた国が調べ直したところ、ハンコをなくすには、膨大な量の法改正が、必要だと判明したのです」
            

実際、各種法律に「押印」が出てくる例は、数え切れない。

たとえば刑事訴訟法では、召喚状や勾留状について、
〈裁判長又は受命裁判官が、これに記名押印しなければならない〉とあるし(63条、64条1項)、
地方自治法では、一般競争入札などに基づく契約を結ぶ際、
自治体の首長らが〈契約書に記名押印し〉なければならないと定めている(234条5項)。

結局、「当初の見直し対象の7割以上で、ハンコを使う手続きが残された」(前出・組合関係者)のである。・・≫

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は恥ずかしながら≪1997年、自民党行政改革推進本部は、各種申請・届出の電子化やペーパーレス化の推進のため、
「押印見直しガイドライン」を決定、政府に申し入れた。

資料閲覧や施設利用の申込書、履歴書、住所変更届など、
押印を求める必要性が乏しいと考えられる書類について、「記名のみ」にしようという内容だった。≫初めて学んだ。

そしてこうしたことには、電子取引・電子申請が普及している今日、相変わらず押印しなければならない、
風習はおかしなことである、と感じて、微苦笑してしまった。

そして私は、年に一度『所得税確定申告書』を多く方と同様に税務署に提出しているが、
こうした書類でも、本人の押印欄があり、私は『認印』を押したりしている。

こうしたささいなことでも、私は悪しき習慣と思い、廃止をしてほしい、と念願している。

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都知事選・都政を浄化できそうな立候補のひとりを教示され、無力な都民の私、やがて真摯に思いを重ねて・・。

2016-07-28 15:34:43 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
結婚前後5年を除き、都民のひとりとして、この地に66年ばかり過ごしている。

私は政治にも疎(うと)く、近現代史など歴史に興味あるひとりであり、
ここ20数年は、塩野七生、徳岡孝夫、櫻井よしこ、中西輝政などの各氏を読み、
根幹の私の思想は、塩野七生さんの真似事をすれば、現実的理想主義である、と思ったりしている。

そして政治家は権力と重責が収集するので、一般社会人より遥かに言動が注視され、功罪も追及される人であり、
在任中に功績が7割、罪悪が3割で有ったら、十二分に責務を果たした、と私は評価している。

そして私は25歳の頃から、自民党に投票をしてきた。

やがて2009年(平成21年)8月30日、第45回衆院選に於いて、
自民党が歴史的惨敗となり、民主党に政権が移行した時でも、
私は自民党の国家議員の諸兄諸姉の低落した言動に嘆きながらも、自民党に投票してきたひとりである。

こうして私は自民党を信愛してきたひとりであるが、今回の都知事選が実施されるが、
私は戸惑いながら、思案を重ねてきた・・。
            

私は新聞、雑誌、ネットでニュースを読んだり、テレビでニュースを視聴してきたが、
何かしら自民党の都知事の公認候補は、自民党本部ではなく、東京都連が決めると知り、
東京都連の会長は石原伸晃さんであるが、幹事長の内田茂さんが、実質の公認権を持っている、
と学んだりしてきた。

こうした中、東京都議会議員をはじめ、更に東京都選出の国会議員の公認権も、
幹事長である内田茂さんが、指示していると知ったりした。

東京都選出の国会議員は、選挙の時は都議会議員の多大な協力を得て、当選できることが圧倒的に多く、
こうした関係で、東京都連の幹事長の内田茂さんが、都政、そして国政の東京都選出の国会議員まで、
多大な権力を収集していると学んだりした。

そして内田茂さんは、幹事長のポストに2005年以来、10年以上もされながら勢力を拡大し、
都知事が交代したとしても、今でも継続している。

過ぎし日、舛添都知事が辞任された時は、都議会は与党の自民党(56人)と公明党(23人)の議員が圧倒的が多く、
内田茂さんは、都政、そして国政の東京地区のゴットファザーだねぇ、と悪しき妄想を重ねたりしてきた・・。
            

今回、都知事選に立候補の有力者として、自民党衆院議員の小池百合子元防衛相(63歳)、
自民、公明などが推薦する前岩手県知事の増田寛也元総務相(64歳)、
野党統一候補として擁立されたジャーナリストの鳥越俊太郎氏(76歳)とされている。

こうした中で、自民党では分裂し、自民党衆院議員の小池百合子元防衛相(63歳)、
自民、公明などが推薦する増田寛也元総務相(64歳)の戦いとなり、私は困苦したりしてきた。

そして自民党の東京都連が増田寛也さんの擁立を正式に決めた7月11日、
所属議員あてに出した文書を私は新聞で知ったりした。

「各級議員(親族等含む)が非推薦の候補を応援した場合は、
党則並びに都連規約、賞罰規定に基づき、除名等の処分の対象になります」などとして
親族の行為も処分の対象に含めるという異例の内容だった。

私はこれを読んで、北朝鮮の独裁体制の最高指導者の金正恩が発令した文書のようだ、
と動顛して、東京都連に失望した。

或いは7月26日、都連会長の石原伸晃さんが、党本部で開いた都連会合で、
立候補している小池百合子元防衛相について、
「今日をもって小池氏は自民党の人間ではない。私はこのように思っている」と公言した。

私は園児のような発言に、相変わらずお坊ちゃんの言動にあきれ果てて、
父上のお陰で国会議員になれた癖に、困ったもんだ、と苦笑したりしてきた。
            

この間も私は、都民の有権者のひとりとして、都知事に立候補された方たちを、
東京都選挙管理委員会が発行する新聞のような大きさの『東京都知事選挙選挙公報』を精読してきた。

或いはテレビのニュースを視聴したり、購読している新聞、月間総合雑誌などを読んだりし、
ときおりネットで数多くの記事を読んだりしている。

こうした中で、昨日の夕方、ネットで【 小池氏が都知事になったら、何をすべきか 】と見出しを見て、
小池百合子さんを支援される方の寄稿文かしら、と思ったりしたが、
読みに連れて、真摯に都政を浄化させる内容と感じ、最後まで精読し、感銘させられた。

この記事は、私が初めて知る【NewsPicks】に於いて、
慶応義塾大学総合政策学部教授・上山信一(うえやま・しんいち)さんが、
NewsPicks編集長の佐々木紀彦より、インタビューされる形式の記事であった。

7月27日に配信され、無断ながら転載させて頂く。
            
《・・
☆橋下・大阪改革のブレーンが語る「東京改革プラン」

東京は今、改革期を迎えている。
では、どんな改革をどう進めればいいのか。

その質問をぶつける、ベストな人物が“改革請負人”として知られる上山信一・慶応義塾大学教授だ。
上山氏は、運輸省、マッキンゼーの共同経営者を経て、
過去10年、ブレーンとして、大阪府・大阪市の改革に携わってきた。

新・都知事がやるべき改革、改革のためのゲームプラン、各候補者の評価、
橋下知事に学ぶ改革のリーダーシップ、東京のポテンシャルなどについて聞いた


上山信一(うえやま・しんいち) 慶応義塾大学総合政策学部教授/大阪府・市特別顧問
1957年大阪市生まれ。京都大学法学部、プリンストン大学大学院(公共経営学修士)。
運輸省、マッキンゼー(共同経営者)、米ジョージタウン大学研究教授等を経て現職。
            

☆増田氏と鳥越氏の評価

──各候補者に対する評価を教えてください。
「情報公開」「財政問題」「五輪問題」について、いちばん期待できる候補者は誰でしょうか。


今回の選挙は、意外と良い選挙だと思う。主要な候補者は3人とも意外といいと思う。

増田寛也さんは、絵に書いたような、極めて良心的な官僚。
ちょっとウィンドウズ95のような感じもするが、国士官僚のDNAを持った人物だ。

ただし、五輪の費用見直しなどの改革を進めるのは、増田さんでは無理だろう。
とても優しく、いい人なので、自公の背後にいる各種団体の既得権益を温存せざるを得ないのではないか。

おそらく、下から上がってくる改革案を採用していくという点では改革派だが、
自分から提案したり、下からの提案をはねつけたりして、
「もっとこうしろ」「ゼロから作りなおせ」と要求するタイプではないだろう。

増田さんが知事になった場合、無難に森さんとオリンピックをやり、
その後、赤字で、みんなで泣くというシナリオになる可能性がある。


鳥越さんは、正義派のジャーナリストという印象で好感は持っているが、やはり向いていないと思う。
(建築家の)黒川紀章さんの出馬と同じで、「都知事をやってみたかったんだね」という感じがする。
今の年齢だと、任期途中で辞めてしまうリスクもある。
            

──「情報公開」を進めるという点で、ジャーナリストの鳥越さんが向いている面はありますか?

基本的に、役所に情報を公開させるノウハウは、ジャーナリストが情報を取りに行くノウハウとは違う。
役所の場合、予算の査定のときに、「全部、情報を出せ」というふうにやっていかないとダメ。
要するに、膨大な情報を系統的に、どんどん出させないといけない。

鳥越さんでも、細かい、飛び道具的な情報公開は、できると思う。
ただし、本当の闇というのは、公共事業などの巨額なお金の動きだ。
これらの情報はすべてが、不正ではなくグレー。
役所に関する知識も含めて、高い質問力が必要になる。
            

☆小池氏に期待する理由

──では、小池さんに対する評価はどうですか?

小池さんは、適任でしょう。
まず女性知事であることの意味は、大きいと思う。
米国もヒラリー・クリントン氏が大統領になれば、ドイツも英国も韓国も女性がトップになる。
女性知事は、時代の流れに合っている。

そして、英語ができることも、五輪を迎える都市の都知事として、プラスに働く。

改革という点では、来年6月までの短期決戦だと思う。
情報公開と議会の浄化は、幸か不幸か短期決戦になる。

なぜ来年6月かと言うと、都議会議員の選挙があるので、
そこで知事を支持する勢力を作らないといけない。

都政は、都知事と都議会の二元代表制なので、議会に与党会派がいないと、改革を進めるのは難しい。

そして、来年6月の都議選以降は、五輪への準備で忙しくなるので、改革に時間を割くのが難しくなってしまう。
だからこそ、来年の6月までに、改革をやりきらないといけない。
            

改革を成功させるには、“相当な何か”がないと難しい。
たとえば、不祥事が起きると期待できる。

10年前、大阪市でも、職員の大きな不祥事があった。
メディアの注目が集まり、助役の大平さんが、私などを使っていろいろな改革をやった。

しかも、不祥事が枝葉末節なテーマだったのが、よかった。
「職員が手当をごまかしている」といった等身大の不祥事だったので、世論の関心がずっと続いた。
舛添さんに対するバッシングと同じ構造と言える。

今回も、外郭団体の天下り、福利厚生、議員報酬、政務調査費など情報公開で関心を引きながら、
来年6月まで持ちこたえ、都議選で実質的な小池新党をつくる。

新党の議員たちが議会で質問を始めたら、都庁はどんどん情報を提供し始めて、
いいサイクルに入っていくだろう。
これくらいの劇場型で小池さんが、都政を運営していったら面白い。

改革の過程では、怪文書が出たり、いろんな反発があるので、
リーダーは肝が座っていないといけないが、小池さんなら、やれるかもしれない。
            

小池さんに求められるのは、壊すところと、つくるところの両方だ。
そのためにも都知事は、8年間やったほうがいいかもしれない。

その後の都知事は、実務派であれば、誰でもいい。
増田さんのような人は適任だと思う。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

あくまでも政治は、多彩な施策などの目的を達成するための手段である、
と現実的理想主義の私は思ったりしている。

そして今回の記事で多々教示されて、都政はブラックスボックスが多いと称されている今日、
新知事のもとで、都政を浄化して頂きたい、と無力な私は念願している。

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「老害」という罵倒語を安易に使うべきではない、と老ボーイの私は学び、幾たびも微苦笑を重ねて・・。

2016-07-27 16:23:25 | ささやかな古稀からの思い
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦して、
2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

やがて最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
何とか定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
                        

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。

こうした中で、私たち夫婦は雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごし、
まもなく9月の誕生日を迎えると72歳となり、年金生活も早や丸12年となる。

そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
            

本日の昼下がりのひととき、ときおり愛読しているネットの『NEWSポストセブン』を見たりしていると、
【「老害」という罵倒語を安易に使うべきではない理由】と題された見出しがあり、
どのようなことなのょ、と好奇心に負けて、クリックして精読してしまった。

中年のコラムニストのオハダカズユキさんが寄稿された文であり、高齢者世代の心情が的確に表現され、
私は幾たびも微苦笑させられたりした。
この寄稿文は7月26日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

≪・・「老害」という言葉を口にする人がいるが、それは高齢化社会における本当の問題を見えにくくしている。
いま真剣に考えなければならない問題は何か。コラムニストのオハダカズユキ氏が考察する。
             

ネット上でも日常でも、よく目にしたり耳にしたりする「老害」という言葉。
自分が「若者」から遠ざかり、「老人」に近づきつつある中年だからかもしれないが、
それを軽口で使う者は、ほんと浅はかだと思う。

生産しないのに、消費する。
働かないのに、医療や介護などの金がかかる。
長く生きてきたぶん物知りどころか、情報技術社会に追いつけない面倒くさい落ちこぼれ。

そのくせ頭が固くて、後進に道を譲ることもしない。
公共マナーだって、謝れないし、勝手にキレるし、迷惑かけているのは若者じゃなくて老人のほうだろう。
こんな老害社会、もう、うんざりだ!

というアレコレの言い分を全否定はしない。
「団塊世代(1947~1949年生まれ)がひどい」とも、よく言われる。

たしかに、60代後半には、中年の私もときおりムカッと来る。
いい歳こいて、オレがオレが、と自己主張の強い老人が多いし、思いっきり既得権の甘い汁を吸いながら、
気分は反権力みたいなことをヌカしている老人も少なくない。
ああいう連中を「老害が!」と斬って捨てたい気持ちは、よくわかる。
            

しかし、である。
人は誰しも、同じペースで齢を重ねるのだ。
死ぬまで全員、老いていく。
歳をとれば、働けなくなるし、身体が弱るし、思考力も落ちて、どうしたって頑なになってしまう。

そういう存在に誰もが、いつか成り果てるのである。
今の老人の醜さは、未来の自分の姿にすぎない。
それを「老害」と斬り捨てた刃物は、ブーメランのように、〇〇年後の自分を斬りつけに戻ってくるのだ。

だから「老害」などという罵倒語は、安易に使うべきではない。
軽々しく口にしたり、書きこんだりするのは、浅はかだ。

そして、老人たちを「老害」視することによって、見えなくなる事実がある。
世代間対立の図式でものを考えると、ほんとうに唾棄すべき「敵」を見失いかねないのだ。
            

先日、博報堂生活総合研究所が60~74歳を対象に、実施した意識調査を発表した。
1986年から10年おきに実査してきた調査の4回目の結果である。

それによると、「何歳まで生きたいか」の問いに、
1986年の調査対象者たちは、平均で「80歳」と答えたが、2016年の今年は「84歳」だったそうである。

また、今年から新たに加えた質問の「あなたの気持ちは何歳くらいだと思いますか」の答えは、
平均「53歳」。
実年齢より14歳マイナスだった。

「自分は、体力もあるし、気持ちも若い」と答えたのは、
65歳~69歳が一番多くて、30%。
団塊世代、やっぱり健在である。

このデータだけだと、「だから老害は、自分のことを分かっていない」という声がわき上がりそうだが、
長寿の希望は医療レベルが、ここ30年で4歳分以上は発達しているのだから、それはそういうことだろうし、
体力や気持ちが、実年齢よりも若いのなら老人たちにどんどん働いてもらえばいい、と考えることもできる。

いや、すでに人不足の際たる介護業界を下支えしているのは、
労賃が安く3Kな仕事でも、厭わない高齢者層であったりもする。
元気な老人が多いから、超高齢化社会がなんとか持ちこたえている部分もある。
            

しかし、こうした調査結果がある一方で、こんな数字も出ている。
生活の見通しについて尋ねたところ、「先の見通しは暗いと思う」と答えたのが、
1986年は32%だったのが、今年は47%と、15ポイント跳ね上がっていた。

さらに、現在欲しいものについて尋ねたら、「お金」と答えたのが、1986年28%、今年41%。
「幸せ」と答えたのが、1986年31%、今年16%。

欲ボケが、増えたということだろうか。
違う。今現在の生活費の不安を、リアルに抱えている老人が増加しているのだ。

それが証拠に、厚生労働省の「所得再分配調査」などを見ると、
60歳以上は下の年齢階級に比べて、所得の格差をはかる指標のジニ係数が大きくなっている。

例えば、月に50万もの年金を受給している夫婦が、大企業OBを中心に一定数存在するが、
月に数万円の国民年金しか収入源がなく、老後崩壊している老人たちは、より大量に存在し、増えている。

            
いわゆる老々格差の問題だ。

同世代間格差はどの世代にもあるが、この国には歳をとるほど、その差が大きくなる構造がある。
金持ち爺さん婆さんと、貧乏爺さん婆さんの階層社会が、
実際に過酷であるからこその、現在ほしいもの「お金」41%なのである。

マズローの欲求階層ビラミッドをご存知の方は、あの三角形の図を思い浮かべてほしい。
一番上の三角形の部分が「自己実現の欲求」。
要は、真善美の追求を最大の価値として生きている状態である。

その直下の台形部分は、「承認(尊重)の欲求」。
他者から尊敬されることで、自信や達成感や地位を得たいとする気持ちである。
たいていの会社内の出世競争は、この欲求をエネルギー源にしている。

そのまた下のもう少し幅広の台形部分は、「所属と愛の欲求」。
ちゃんとした組織に雇用されていること、家族がちゃんといること、
友とか仲間とかいえる関係が、まわりにあることを欲している。

逆に言うと、孤立を恐れる気持ちだ。
べつに尊敬の対象なんかでなくてもいい、仲間と一緒にいられたらそれで満足、という群れの心理である。
            

マズローの欲求階層は5層に分けられており、以上の上位3層は「幸せ」のレベル分けと言えるかもしれない。
「所属と愛の欲求」が満たされていれば、「承認(尊重)の欲求」がわいてきて、
それも満たされてようやく人は「自己実現の欲求」に向かう。

このマズローの仮説には、科学的裏付けに乏しい、西洋的価値観に偏っている、などなどの批判もあるが、
ざっくりとしたところは納得ではないだろうか。

で、上位3層の下にある平べったい台形部分が2つ、それらは順に「安全の欲求」と「生理的欲求」だ。
「安全の欲求」には、身の安全、雇用の安全、健康面での安全などの他に、資産の安全も含まれる。
その下の「生理的欲求」は、呼吸、食糧、水、セックス、睡眠、排泄など、生き物としてごくごく基礎的な欲求のことである。


先の調査の話に戻るが、現在ほしいもの「お金」41%は、
こうした5階層のうち、下から2番目の「安全の欲求」の表れだろう。

呼吸、食糧、水……といった生存に最低限必要な欲求の上に、
ささやかながら求められる安心・安全、それらを手に入れるための「お金」。
そこに不安を覚えている60~74歳が、すでに4割強も存在しているということなのだ。
            

この4割強は、「いやあ、町内会の世話役に、犬の散歩にと、毎日結構やることが多くてねえ」と健やかに笑う、
同世代の金持ち爺さん婆さんと自分との格差の意味を知っている。

金持ち~は、真善美のボランティアに打ち込む自己実現老人で、社会的には成功者かもしれない。

だが、下から見上げたら「この不平等は、なんなんだ」である。

自分だって、懸命に働いてきた。
ただし、あちらは大卒で、自分は学費がなくて高卒、
たまたま大企業社員と孫請け社員に分かれたってことじゃないか。
つまり運の違いが、この老後の大格差となった。

それは不条理である、と。

金持ち~が、唾棄すべき「敵」であるかどうかは、意見が分かれるだろうが、
まずは、「老害」で一括りすると、こういう社会構造が見えなくなるよ、と言いたい。

それは他人事でなく、これから先はもっと格差がでかくなるよ、と老人予備軍の私は、
戦慄しながら同輩以下に伝えたい。・・≫

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

定年後の年金生活を始めた私は、平素の我が家の買物は、
家内から依頼された品をスーパー、専門店で求めて、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。

帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
        
こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。
                         

このように年金生活を過ごしているが、私は敬愛しているチャップリンの遺(のこ)された言葉のひとつに、
《 人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー。 》
という名言があり、人生の確かな格言ですねぇ、と程ほどの貯金しかない私でも、信愛しているひとりである。

そして恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、
年金生活を過ごしている。
            

今回、コラムニストのオハダカズユキさんの【「老害」という罵倒語を安易に使うべきではない理由】を
読みながら、幾たびも微苦笑させられたが、程ほどの貯金しかない私でも、
「老害」と世間から非難されないように、気を付けましょう、と改めて思ったりしている。

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「ポケモンGO」配信、ながらスマホの風潮が加速され、何かと気弱な老ボーイの私、戸惑い溜息をして・・。

2016-07-25 16:09:14 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

私はスマートフォンの使えない私でも、
過ぎし6年前の頃から、余りにもスマホ依存の実態の社会に憂いて、
やむなく使用場所を規制すへきだ、と深く感じているひとりである・・。
            

過ぎし2011年12月に於いて、平素の買物専任の老ボーイの私は、
駅前のスーパーに行った時、駅近くの人出の多い商店街を歩いていると、
若き20代の女性が前かがみで、何かを見ながら歩いていた。

その後、駅前の広場を足早に歩いていた若き30代の男性も、
やはり前かがみで、何かを見ながら歩いていた・・。

私は驚きながら周辺を見渡すと、10人ぐらいの方が前かがみで、何かを見ながら歩いていたので、
まるで江戸時代末期に農民の児として育った二宮金次郎(尊徳)のような方が増えた、と私は苦笑したりした・・。

もとより二宮金次郎は、貧困の少年時代を過ごし奮闘しながら朝から晩まで働き、
この間に薪(まき)を背負っての道中に本を読んで勉学に励んだ人で、
私が学んだ小学校の校庭の片隅に銅像があった。

私は注視しながら見ていると、何かしら携帯電話のような物に覗き込むように見ている人が多く、
無念ながら携帯電話も使えず、世の中の時流から取り残されている私でも、
ここ一年ぐらい話題となっている高性能携帯電話と称されているスマートフォンだ、と解った。

そして過ぎし日に雑誌などで教示され、従来の携帯電話はもとより、バソコン、デジカメ、
カーナビ、携帯音楽プレーヤー、ゲーム機、電子辞書なども有している機能もある、
と知り私は驚いているひとりである。
                                 

この後日、私は久々に電車に乗ろうと改札口に入り、
地下にあるプラットフォームに通じるエレベータ乗った時、
隣にいる若き20代の女性が、このスマートフォンを忙しそうに画面を変えていた。

そしてエレベータの降り口から平坦となったプラットフォームを歩いていても、
スマートフォンの画面から目を離さないので、人の多い所で危ないなぁ、と私は危惧したりした。
その後、やはりこの女性は40代ぐらいの男性にぶつかり、目礼しながら謝ったりしていた。

私は身体の衰えた高齢者、或いは構内のベンチとかに、ぶつかったり、
最悪の場合は電車が入線してきたら、と私の方がハラハラしてしまうのである。
                 
         
このように昨今は何かと慌ただしく、世の中は情報に溢れているが、
働いて下さる若き諸兄諸姉、せめて歩いている時ぐらいは、前方を見据えて颯爽と歩くのが何よりも美しい、
とサラリーマンを35年近く体験した私は確信を深めている。

このような私の提言としては、街中でスマホを使用する場合、ご自身の安全の為に「歩きスマホ」は自己抑制し、
やむなく使用する場合は、電車とかバスの中で自身が停止できる状態、或いは職場に早めに出勤して使用する。

ここ10数年、短期に職務の成果を求められる時代であるが、
この提言の範囲でスマホを時間以外に使用すれば、と思案したりしてきた。
                                 

そしてここ10数年、携帯電話が普及する中で、働いた下さる諸兄諸姉は、
通常の業務には必須の情報機器であり、そして6年前の頃からはスマホが急速に活用されてきている。

或いは第一線を退かれた60代、70代の殆どの方が、携帯電話かスマホを利用され、
ご高齢の80代以上の方たちも、家族間の連絡、緊急連絡で、
お守り代わりに利用されている状況となっている。

まして若き10、20代の世代の人の一部には、新聞も購読せず、パソコンも所有せず、
スマホだけを頼りに生活をされている現実がある。

このような情報があふれるような社会状況となっている今日、程ほどの利用は必要であるが、
たえずスマホを手にされて頼りにされるのは、いかがなものかしら、と私は憂いている。
          
まして私生活の貴重な時間に於いては、スマホの活用は程ほどの節度が必要と確信を深めている。
                                 

私が平素は自宅の近くの遊歩道を散策することが多く、
たまたま日曜日に散策していた時、若き30歳前後の男女が前方から歩いてきた・・。
仲良し恋しのおふたり、と私は好感しながら眺めながら歩いた。

そして20数メートルの前方の距離になると、
この男性の右手にはスマホと思われる情報機器を持ち、ときおり見ながら、
連れ合いの女性にうなずくような歩いてこられた。

私はすれ違った後、この若き男女の後ろ姿を見ながら、
たぶん休日の日と思いながらも、スマホなどは自宅に置き、
せめてこうした時ぐらいは情愛を深め、語り合うことをされたら、と思ったりしたのである。
                                

このようにネット、特に余りにもモバイル依存の実態の中、
「歩きスマホ」は、駅中や大通りの雑踏、さらには横断歩道など、非常に混雑した場所で、
メールやSMSと称せられる短い文章によるメッセージを送受信するサービスなどが活用されている。

或いはフェイスブックのステータス・アップデートをチェックするなど、
モバイルのコミュニケーション依存症に危惧しているひとりである。
            

過ぎし22日の夕方、ぼんやりとテレビのニュースを視聴していると、
世界中で爆発的な人気のスマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」の配信サービスが、
本日、ポケモン発祥の地の日本でも始まり、新たなスマホゲームの出現に列島は興奮と不安に包まれた。

スマホを手にゲームを楽しむ人たちが全国各地に現れ、社会現象の兆しが見える。
経済効果への期待も広がる一方、「歩きスマホ」でゲームに熱中する人のトラブルを心配する声も相次いでいる。

このように報じられ、「ポケモンGO」配信に伴い、ながらスマホの風潮が、益々加速されるのか、
と何かと気弱な私は戸惑いながら溜息をしたりした・・。
            

昨日、買物メール老ボーイの私は、最寄スーパーに家内から依頼された品を求めて行ったりした。
帰路、レジ袋を両手に提げて歩道を歩いていると、前方より10歳ぐらい男の児が若い母親と共に歩いてきた・・。

やがて近づくと男の児は、スマホを見ながら手を動かして熱中していた。
そして母親は男の児と並んで歩いてきたが、そんなにポケモン・・おもしろいの・・と優しくは、男の児に話しかけていた・・。

男の児はゲームに熱中して、少し母親に微笑み、そして画面を見つめ、
母親は微苦笑しながら、不用心と思ったらしく、男の児の片腕を握りしめ、
まもなく私たちは、すれ違った。
            

本日の昼下がり、テレビのニュースを視聴していると、
岐阜県美濃市の東海北陸自動車道上り線では、24日午後8時45分頃、
同県可児市のブラジル人の会社員男性(24)が路肩を歩いているのを通行車のドライバーが見つけ、110番した。

そして県警高速隊の発表によると、男性はポケモンGOに夢中になり、高速道路内に迷い込んだという。
通報を受けた同隊員が男性を保護し、厳重注意した。

或いは、徳島市安宅の歩道でも24日午前8時25分頃、スマホ画面を見ながら自転車で走っていた高校3年の女子生徒(17)が、
手押し車を押して前から歩いてきた無職女性(77)と衝突。
女性は転倒したが、けがはなかった。
徳島県警徳島東署によると、女子生徒は「ポケモンGOをしていた」と話したといい、口頭で指導警告をした。

このようなニュースを教示されると、何かと気弱な老ボーイの私、溜息を重ねたりした。
            

過ぎし一昨年の2014年の5月当時、「歩きスマホ」が社会問題となり、
この分野で詳しいバリアフリー論を専攻されている筑波大教授の徳田克己さんが、
規制するよりも、人々の意識改革の重要性を提唱されていた。

何かしら徳田教授は「スマホマナー5カ条」として、
※道の端に寄り立ち止まって使用
※階段では使わない
※電車を降りるときは見ない
※横断歩道では使わない
※見るときはイヤホンを外す

このような五か条を私は思い馳せたりした・・。

しかしながら「ポケモンGO」は、何かしら探し求めて歩き廻るゲーム、と新聞で読んで知ったりし、
いくら経済効果が大きいゲームでも、人には迷惑しないでょ、と小心者の私は、心の中で呟(つぶや)いたりしている。

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「長生き」が「貧困老後地獄」に直結する時代、年金生活のプラス思考の私は、戸惑いながら・・。

2016-07-24 15:58:25 | ささやかな古稀からの思い
私は家内と共に、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごし、まもなく年金生活を丸12年を迎える身である。
           
本日の昼下がり、ネットで愛読している【Business Journal】を見ていた時、
【 高齢者世帯の5割が年金収入2百万以下! 現在40代以下の人々は「死ぬまで貧困世代」 】と見出しを見て、
どういうことなのですか、と思いながら精読してしまった・・。

この記事は、マネーコンサルタントの神樹兵輔さんが、「『縮小ニッポン国』のサバイバル突破思考!」と題した連載記事と知り、
今回の【 高齢者世帯の5割が年金収入2百万以下! 現在40代以下の人々は「死ぬまで貧困世代」 】は、
過ぎし1月14日に配信された記事と判った。

やがて私は読み終わった後、何かとプラス思考の私は、
これからの日本の姿を余りにも悲観的な思考をされる御方、と感じたりした。
無断であるが記事の大半を転載させて頂く。
            

《・・(略)・・昔の考え方では、親が働けなくなった老後に、助けてもらうべく子供を産むというより、
農業に従事する家庭が多かったため、労働力確保の意味合いが強く、乳幼児の死亡率が高かったためともいわれています。
なにしろ、1950年の平均寿命は女性が61.5歳、男性が58.0歳なので、
働けなくなる「老後」という期間も短かく、そもそも老後の心配をする必要がなかった時代ともいえます。
            

☆「長生き」が「貧困老後地獄」に直結する時代

ところが、2014年の平均寿命は、女性86.83歳、男性80.5歳と大幅に伸びています。
うち、元気でいられる健康寿命も、女性は約74歳、男性は約71歳です。
病気になってからの平均年数も長く、女性が約12年、男性が約9年となっているのです。

また、この平均寿命はあくまで平均値であり、90歳時点でも、女性の48.3%、男性の24.2%は生きており、
95歳時点でも、女性の24.4%、男性の8.7%は生きています(14年簡易生命表による生存率)。

40兆円の医療費のうち、65歳以上が半分以上を占める現状もうなずけるでしょう。
このまま少子高齢化が進行すると、65歳以上高齢者の医療費はさらに拡大し、25年には約50兆円に達すると見込まれています。

日本は2013年、総人口に占める65歳以上高齢者数が25%を突破し、
国民の4人にⅠ人が高齢者という超高齢化社会になり、現役時代のようには働けない老後期間が異常に長くなったため、
今日さまざまな不都合な課題が、突きつけられるようになってきています。
            

☆社会保障のすべてがパンク

先進国の中には、人口置換水準を割り込む国が増えていますが、
なぜ少子化になったのかという原因については明確にされていません。

さまざまな原因説がありますが、日本では子供を産んでも保育園に預けられない、女性の職業キャリアが断絶される、
グローバル化による貧困化で、経済的ゆとりがないなど、経済的な影響が大きいという指摘がなされています。

そして少子高齢化は、将来の日本に重大な危機をもたらします。
年金・医療・福祉といった社会保障費増大の問題です。

たとえば、おなじみの年金問題では、2000年に現役世代3.6人で1人の高齢者を支えるかたちだった賦課方式
(現役世代の年金保険料を高齢者世代へ仕送りする形式)における年金負担比率が、
2025年には、現役世代1.8人で1人の高齢者を支えるかたちとなり、
2050年には、現役世代1.2人で1人の高齢者を支えるかたちになると推計されています。
これでは支えられないでしょう。
            

年金積立金(過去の年金財政の余剰分)は、2015年半ばに135兆円ありますが、
今後毎年10兆円近い取り崩しを続けると、2028年頃には枯渇が予想されます。

保険料の不足分を税金投入するといっても、予算の捻出は困難を極めます。
今後、マクロスライド方式で年金受給額は徐々に減らされていく予定ですが、
現行で65歳からという受給開始年齢は、70歳くらいに後ろ倒しされるどころか、受給できなくなる懸念すらあります。

預金や持ち家(現在、高齢者の持ち家率は6割)があると、それを費消してからでないと生活保護の受給対象にもなりません。
生活保護支給総額も、国家予算の約3%(2014年度は過去最高の2.8兆円、162万世帯217万人)にまで及んだために、
すでに減額措置が講じられています。

そのうえ、日本の財政は1000兆円を超える借金を抱えています。

現役世代の医療費自己負担額も、現行の3割負担から4割、5割負担へ引き上げられることも必至でしょう。
このままでは、年金も医療も福祉も、すべてがパンクするのは明白なのです。

実際に2014年時点で、65歳以上の高齢者世帯1221万世帯のうち、
全体の約40%が100万円以上・200万円未満、
約13%が100万円未満の年金収入しかなく、半分の600万世帯が、生活保護水準以下の暮らしを強いられているのです。
            

☆第2子出生世帯に1000万円支給

抜本的な少子化対策を緊急に行わなければ、現在20~40代の現役世代は、
十分な社会保障も受けられず、現役時代から老後を通じて死ぬまで貧困を強いられることになります。

現在、年間出生数は100万人程度にまで落ち込んでいます。
昨年の死亡者数は130万人でマイナス30万人の人口減でしたが、
やがてこれが毎年40~60万人の急激な人口減少期に突入してしまうのです。

地価が下がり、社会的インフラの維持ができなくなります。

すでに提唱されているように、第2子以降の出生に対して、
一世帯当たり1000万円を配るぐらいの大胆な政策を講じなければ、出生率の増加は見込めないでしょう。

仮に第2子が生まれた家庭100万世帯に配れば10兆円で、消費税額相当なら約5%分です。
            

ロクに税金を払ってもいない輸出大企業などへの法人税減税などやめれば、
約2兆3000憶円を確保でき、それ以外でも以下のような施策により、
ざっと8~9兆円の原資も生まれます。

※所得税増税(約2兆円確保)
※公務員給与カット(国と地方10%カットで、約2兆5000億円確保)
※国会議員の数を半分に削減(約180億円確保)
※3.5万人もいる無駄な地方議員を、すべて年間50万円以下のボランティアに置き替え(約3200億円確保)
※宗教法人に課税(約1兆円確保)
※放送局が国に支払う激安な電波使用料へのオークション制導入(約3000億円確保)

仮に少子化を止める大胆な抜本対策を講じても、生まれた子供が成人して、
税金や社会保険料を納められるようになるまでは、最低20年はかかります。

しかし、人口が少なくとも今と同水準に維持されることが、
日本社会全体の合意事項となれば、それが何よりの経済対策といえるのです。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は政治、経済にも疎(うと)いシロウトの身であるが、少し感じたことを記載する。

《日本の財政は1000兆円を超える借金》は誤報で、
過ぎし日にファイナンシャルリサーチ代表、ファイナンシャルプランナーの深野康彦さんの寄稿文を読み、
2014年度の「国の財務書類」の概要、「国の貸借対照表」を教示された。

そして国は679.8兆円もの資産を保有し、負債合計は1171.8兆円の負債があり、
この負債合計を取り出して、財政悪が声高に報じられている、と学んだりした。

結果的には、資産合計から負債合計を差し引いた「純資産額」は、
-492兆円になり、GDPの額とほぼイコール(1倍)の額にすぎない、と知ったりした。
            

上記の輸出大企業などへの法人税減税は、多々問題もあるが、
やはり総合的には大企業が中核に貿易(加工、商品、投資による金融)立国であり、日本経済の基盤であり、
法人税減税はともすれば萎縮させる恐れがあるから、守りより攻撃を尊ぶ私としては反対である。

そして『所得税増税』も国民の消費減退を招き、それよりも盛んに消費をうながす多彩な施策で、
結果的に所得税の増加を図る施策が肝要、と思ったりしている。

総合的には、経済復興をさせて、多くの国民が実感して、明日に希望が持てる日本を描く政府だったならば、
私は賛意して、支持する。

今回の《「長生き」が「貧困老後地獄」に直結する時代》と私は多々学んだが、
経済復興させれば、もとより税収は増加して、大半の難題は解決する、と無力な私でも感じ深めている。

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高齢者世代でも情報格差の時代、時代遅れの私は、やがて情報難民になるかしら、と苦笑して・・。

2016-07-23 16:28:12 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら、有線の据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。
          
このように無線のモバイル情報機器に、遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
            

世の中は夫65歳以上、妻は60歳以上の夫婦のみの無職世帯は、
高齢夫婦無職世帯と称しているが、我が家も同じだよなぁ、と私は漠然としながらも心の片隅にあるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、息子、娘もいなく、もとより孫もいないので、実感が乏しいが本音である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、昨年の春に遅ればせながら家内専用の携帯電話を買い求め、今日に至っている。

そして私は、過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなくブログの世界を知り、国内旅行とかパソコンの故障がない限り、毎日に一通は投稿し、
パソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。
                                     

今朝、配達された読売新聞の朝刊を読んでいる中、『経済』面に於いて、
ひとつの記事として【 2人に1人 スマホ所有 】と見出しされた記事があり、
やはり何かと時代遅れの私でも、気になって精読してしまった・・。

無断であるが、この記事を転記させて頂く。

《・・総務省が22日発表した2015年通信利用動向調査によると、
スマートフォンを持っている人の割合が53.1%となり、所有率が初めて50%を超えた。

前年比で8.4ポイント増加した。
各年代で所有率が上昇し、特に中高年層で大幅に伸びた。

従来型の携帯電話・PHSの所有率は、35.1%で0.5ポイント増にとどまった。

スマホ所有率を年代別に見ると、50歳代は前年比14.4ポイント増の56.9%で最も急増した。
40代は74.8%、60代は28.4%で、ともに10ポイント以上伸びた。
最も比率が高いのは20代で92.9%。30代は86.2%、13~19歳では79.3%だった。

調査は全国の4万592世帯を対象に、15年末時点の情報通信関連機器の保有状況などを尋ねた。
有効回収数は1万4765世帯(3万6402人)。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

この記事を読み終わった後、《スマホ所有率は60代は28.4%》と知り、
そして従来型の携帯電話・PHSの所有率は、35.1%と学び、
少なくとも高齢者である65歳以上の方達は、ふたりにひとりは携帯電話かスマホを所有している、
と思いめぐらしたりした。

そして若い世代は殆どスマホを活用し、高齢者世代でも情報格差の時代が到来している、
と思い馳せたりした。

私は携帯電話、スマホも興味がなく、そして息子、娘もいなく、まして孫もいないので、
電話は自宅に設置している固定電話で充分であり、
家内は独り住まいの家内の母が介護要の身であり、緊急連絡事項もあるので、携帯電話をしている。

そして私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せず、
健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる健康寿命の範囲で生活している。
            

しかしながら私は、程んど毎日、家内から依頼された平素の買物に行く買物メール老ボーイであり、
その後、やはり独りで自宅の3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩き廻ったりしているので、
この世は予期せぬまさかの出来事に遭遇するかしもしれない。

或いは首都圏大地震なとが万一に襲来した時、自宅か外出先か避難場所にいると思われるが、
こうした時は、緊急情報を知り、無力ながらも対処致したく、
やはりスマホのような情報機器が必要と思ったしている。

やがて、いつの日にか体力の衰え、或いは大病となり、要支援、そして要介護と身となると思われ、
こうした時はスマホのような情報機器が必要と思ったしている。

このように思い馳せると、スマホのような情報機器を所有していないと、
情報難民になるかしら、と心の中で呟いたりした。
            

私は情報難民という的言を学んだのは、作家・五木寛之さんが新聞に寄稿された文からであった。

昨年の2015年8月、読売新聞に於いて、[戦後70年 あの夏]と題した特集連載で、
各界の著名人の寄稿文が掲載されていた。

こうした中で、確か8月1日に、『引き揚げ 本当の戦い』という見出しで、
作家・五木寛之さんの寄稿文が掲載されていた。

私は新聞の切り抜くいた記事を保管しているので、無断ながら前半を転記させて頂く。

《・・[戦後70年 あの夏]<1>引き揚げ 本当の戦い 作家 五木寛之さん(82歳)

広島・長崎への原爆投下とソ連の対日参戦、そして終戦の玉音放送・・。
70年前、未曽有の惨状にあって人々はどう行動し、何を考えたのか。「あの夏」を語ってもらう。
       ☆
            

私が生まれてすぐ、一家は朝鮮半島に渡りました。
教師だった父母が新天地を求め、植民地だった半島の学校に赴任したのです。

子供の頃から「ぼくは軍人大好きよ」など時局の歌を好んで歌い、終戦の年は平壌(ピョンヤン)の中学1年生。
夢は戦闘機乗りになることで、夜になると布団の中で「敵の空母に突っ込む直前になって逃げはしないだろうか」と自問自答し、
「最後は目をつむってまっすぐに急降下しよう」と心に決めていました。

広島・長崎の原爆投下も大きなニュースにはならず、
8月9日に侵攻したソ連軍が燎原(りょうげん)の火のごとく迫っている事実も知りませんでした。

終戦の前日、父親が「明日重大発表があり、ソ連が日本と同盟して、米英に宣戦布告するらしい。これでもう大丈夫だ」
と話していたぐらいで、負けるとは思っていませんでした。

15日の終戦の詔書「玉音放送」は校庭で聞きました。

この先どうなるのか、予想はつきませんでしたが、
「治安は維持される。軽挙妄動を慎め。市民は現住所にとどまれ」
というラジオ放送を信じ、上からの次の指示を待っているだけでした。

軍上層部や官僚、財閥と家族が真っ先に、列車や飛行機で内地に向かっていたことを知ったのは、
戦後もだいぶたってからです。

しばらくすると満州(現中国東北部)からの難民が、平壌にも押し寄せて来ました。
女性は暴行されないよう顔を墨で塗り、頭を丸坊主にしている。

「あの人たち、かわいそうだな」と思いましたが、
間もなく自分も同じ立場になるとは夢にも思いませんでした。

8月下旬だったか、ソ連兵に踏み込まれ、私の家は接収されました。
「情報難民」だった私たち家族は、本当の難民となったのです。

そして、生き残るための新しい戦争、引き揚げが始まりました。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

やがてソ連軍進駐の混乱の中で、五木寛之さんの母は亡くなり、
この後は、父親と共に幼い弟、妹を連れて、苦難ながら38度線を越えて、
やがて開城に脱出し、何とか1947年に福岡県に引き揚げる状況であった。

敗戦の直前に、朝鮮半島に於いても、
《・・軍上層部や官僚、財閥と家族が真っ先に、列車や飛行機で内地に向かっていた・・》
情報にない殆どの方たちは、ソ連軍の侵入で初めて知り、やがて占領下に制約された難苦する生活になり、
亡くなわれた多かった実態であった。
            

こうした余りにも過酷で悲惨な歴史があり、こうしたことを学べば、
たとえば首都圏大地震なとが万一に襲来した時、住民はそれぞれの都県、或いは市町村から通報があるか判らないが、
自身でスマホのような情報機器で、緊急情報を知り、対処すると思われるが、保有していないと情報格差が歴然となり、
やがて情報難民になる恐れもある。

このようなことを私は妄想を重ねたりした・・。

やがて私は、スマホにも興味のない私は、不要と思っているが、情報難民になる恐れて、
掛け捨て保険のように、月々一万円ぐらいで保有する必要があるかしら、と思案したりしている。

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フェイスブックに熱中する中年男性が多い、時代遅れの私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2016-07-22 16:19:51 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの身であるが、
私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。
          
このように無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。

我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、もとより息子、娘もいなく、
モバイル情報機器に関しても疎(うと)く、昨年の春に遅ればせながら家内専用の携帯電話を買い求め、今日に至っている。

そして私はパソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。
                        
        
こうした中で、過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなくブログの世界を知り、国内旅行とかパソコンの故障がない限り、毎日に一通は投稿し、丸11年半が過ぎている。

私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          
そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。

こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。
            

今朝、配達された読売新聞の朝刊を読んでいる中、【くらし/家庭】面に於いて、
『今どきの男たち』と題された連載記事があり、第3回として、【 フェイスブック はまる中年 】と大きく見出しされ、
【 気安く「友達申請」に女性困惑 】と縦長でも見出しされていた・・。

恥ずかしながら私は、フェイスブックの世界は未知であったが、
小学2年生の頃から、何かと女性に憧憬してきたので、どのようなことなの、
と思いながら、好奇心に負けて、精読してしまった・・。

やがて読み終わった後、フェイスブックに熱中する中年男性の中で、勘違いも甚だしく、
若き女性などに迷惑させる方が多いと知り、微苦笑を重ねたりした・・。
無断であるが記事を転記させて頂く。
            

《・・「おじさんたちから、しょっちゅう友達申請が来るので、対応に困っています」。
フェイスブックを利用する東京都内の営業職女性(30)は、
半年ほど前、異業種交流会で50代くらいの大手企業の役員男性と名刺交換した。

翌日、「友達申請」が届いた。
自分の名前を検索して見つけたらしい。
これを「承認」すると、互いの投稿が自動的に表示されるようになる。

ささいな人脈が、仕事に結びつくかもしれないし、むげには断れないと、結局、承認してしまった。
以来、自分が何か投稿すると、相手はすかさず「いいね!」ボタンを押してくる。
「正直、監視されているようで気持ち悪い。感覚がどこかずれているというか・・」
            

ツイッターや無料通話アプリ「LINE」などSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が普及する中、
フェイスブックの利用を引っ張っているのは、中年男性だという。

ソフトウェア開発会社「ジャストシステム」が行ったインターネット調査(2016年6月度)によると、
フェイスブックの利用率は、50代男性で47%、40代男性で43%。

いずれも同年代の女性を大きく上回る。
10代男性の利用率が、この1年で急落して30%になったのとは対照的だ。

東京都内の会社経営の男性(46)のフェイスブックには、外食、旅行、仕事などの投稿が写真付きで並ぶ。
「カフェで、パンケーキのブレックファースト!!」
「(ダンスボーカルグループ)E―girlsライブへ。感動!」。

ほぼ毎日更新している。
「しばらく会っていない人との交流が復活するなど、同窓会のような感覚もある」と話す。
            

なぜ中年男性にフェイスブックが支持されるのか。

「乗り遅れるな!ソーシャルおじさん増殖中!」の著者、徳本昌大さんは
「普段の生活では、人間関係が会社に限定されがちな男性もいる。
ネットを介して幅広くつながれる点に魅力を感じるのでは。
実名でのやりとりも安心感がある」と説明する。

ネット上でのこととはいえ、実名で利用するだけに、友達申請や承認には、一定の現実感が伴う。
そのとらえ方に、世代間で違いがあるようだ。

ウェブマーケティングコンサルタントの松村潤二郎さんは
中年男性の積極性に驚かされるという。

フェイスブックでは、友達になった人の友達の写真が、見られる場合がある。
「写真を頼りに、見ず知らずの女性に、友達申請している方もいるようです」。
ネット空間だからこそ、積極的になっているようにも見える。
            

松村さんは「現実世界での戸惑いも反映されているのではないか」と指摘する。

今の中年男性は、職場環境の大きな変化を肌で感じてきた世代だ。
若い社員を飲みに誘うのにも気を使う。
パワハラと思われないか怖くて叱れない。

つまり、どう接したらいいかわからない――。
その点、ボタンを押すだけの友達申請は、非常に分かりやすい仕組みだ。

「女性からの相談を聞くと、フェイスブック上での中年男性からの果敢なアプローチを迷惑と感じている人は多い。
萎縮する必要はありませんが、節度を持って接したほうが、人脈も広がるのでは」と助言する。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私はフェイスブックにも無知であり、確か10数年前にアメリカで発生した後、
まもなくツイッターが、2006年夏の頃にアメリカでサービスの提供が始まり、
140文字以内の短い文をツイート(つぶやき=投稿)して、仲間と共有するというシンプルさが受け、
瞬く間に多くの利用者を獲得した、と記憶している。

やがて2008年4月には、日本語版が登場し、日本国内においてもツイッター旋風を巻き起こした。
私は急激に普及した『ツイッター』に関しては、
国家の動乱時、或いは災害などの緊急時ならともかく、と思ったりしてきた。

そして『ツイッター』などで《 つぶやき 》などが流行っている状況に、
おかしな社会になっている、と私は苦笑したりしてきた。
            

私は『ツイッター』は短い綴りで、つぶやくような文章と私は解釈しているので、
短い言葉で私の今の心情を発露するようなことは、無念ながら私には筆力がないので、
利用したことがない。

しかしながら、ある程度の長い文章の綴りであるならば、
つたない私なりに『ブログ』の投稿文として、日常の思い、或いは思索したいることなどを心の発露として綴ったりし、
ここ12年近く投稿している。

昨今の日本の社会に於いて、『ツイッター』の利用される方の一部で、
少し心の礼節を失くした方の発信文が問題となっている、と風の噂で聞いたりしている。
            

ただ、『ツイッター』こそは、まぎれなく日本人の古来から愛された『短歌』、『俳句』、『川柳』などに最適だ、
と思ったりしたのである・・。

短歌は、もとより五・七・五・七・七の三十一〔みそひと〕文字の世界であり、
万葉の時代から日本の人々に愛されてきた叙情詩であり、
この内容も恋の歌・日常生活の描写・社会問題・子供の成長・物語や幻想まで、
どんなテーマでも自在である、と受け継がれている。

俳句は、五・七・五の三句十七音から成る定型詩であり、
「季語」さえ含めば、内容も自在であり、江戸時代から多くの方に愛されてきている。

そして川柳は、五・七・五の十七音の定型で、
ユーモアに富んだ言葉使い、或いは世の中を風刺した作風で、
江戸時代に発生し、明治時代の頃から、多くの方たち慕われてきた。

このように私は思いながら、『ツイッター』を利用される方たちは、
短歌や俳句の一句を詠まれたり、或いは川柳の一句でも吐くことをされれば、
この上なく日本文化は隆盛し、何よりも当人は更に心が豊かになる、と確信を深めたりした。
            

しかしながら私は、無念ながら短歌や俳句を詠む素養はなく、
『ブログ』の世界で散文のようなつたない綴りを殆ど毎日投稿をしている。

そして若い方たちが、つぶやき、など安易な言葉よりも、
ご自身の心情の発露、或いは思考していることの表現は、
短歌、俳句の一句を詠むか、川柳の一句でも吐くことをされれば、或いは散文をブログで綴られれば、
貴重な時間の浪費にならないのに・・ときおり妄想を重ねたりしている。
                    

このように『ツイッター』に関して私は思ったりしてきたが、
今回の『フェイスブック』に熱中する中年男性が多い、と知り、微苦笑したりしている。

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都知事選、告示日後はネットより週刊誌の方が怖い、と無力な都民の有権者の私は、微苦笑を重ねて・・。

2016-07-21 15:06:52 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
結婚前後5年を除き、都民のひとりとして、この地に66年ばかり過ごしている。

私は政治にも疎(うと)く、近現代史など歴史に興味あるひとりであり、
政治家は権力と重責が収集するので、一般社会人より遥かに言動が注視され、功罪も追及される人であり、
在任中に功績が7割、罪悪が3割で有ったら、十二分に責務を果たした、と私は評価している。

こうした中で、新たな都知事を選出される『都知事選』は、立候補の告示日は7月14日で、
投票日7月31日となっている。

もとより都知事は聳え立つ都庁で、約13,574千人の都民をあずかる東京都の執行最高責任者として、
そして都の約16万5千人の職員の最高責任者として、都民の安全も責務とされる。

私は都民で有権者の身でありながら投票されない人は、
たとえ都政に対しての願い、或いは日常生活で不満があっても発言権がないと、信じているひとりである。

前提条件として、もとより日本は民主主義の国であるから、
立候補者に対して、多少の不満があっても、数多くの立候補された中から、選択をせざるを得ない。

しかし有権者の判断の結果、今後の東京都、そして首都の関係で日本のゆくえに影響するので、
有権者の責任も重いが、何より有権者から託(たく)された都知事の言動は重責である。
            

私も都民の有権者のひとりとして、都知事に立候補された方たちを、
東京都選挙管理委員会が発行する新聞のような大きさの『東京都知事選挙選挙公報』を精読してきた。

或いはテレビのニュースを視聴したり、購読している新聞、月間総合雑誌などを読んだりし、
ときおりネットで数多くの記事を読んだりしている。

告示日後は新聞は、何かしら報道する倫理規定が各社であるらしく、各立候補者の言動は、
理性を踏まえて、報じられている。

そしてテレビも、公職選挙法第151条の5で「選挙運動放送の制限」であり、
「何人も、この法律に規定する場合を除く外、放送設備
(広告放送設備、共同聴取用放送設備その他の有線電気通信設備を含む)を使用して、
選挙運動のために放送をし又は放送をさせることができない」と制約がある、と学んだりした。

ネットの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれのお方が自由に表現でき、日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
            

こうした中で、ネットで都知事に立候補された方たちに関しての記事は、
政治評論家、社会評論家などの専門知識を有した方たち、私も含めて無名で素人の身の方まで、
無限大のように投稿されてきた。

もとより評論家の方は、自身の評論家として地位があるので、それぞれ多彩な寄稿文が配信されている。
問題は専門知識のない方が、匿名をよいことに、きたない言葉で悪口を並べ立てる罵詈雑言もあり、
気弱な私は、たまたま少し読み、ネットは怖いよなぁ、と動顛することもあったりした。
            

今朝、購読している読売新聞を読んだりしている中、週刊誌の広告が掲載されていた。
たとえば『週刊新潮』7月28日号に於いて、野党統一候補として擁立されたジャーナリストの鳥越俊太郎さんに関して、
記載されていた。

《・・「鳥越俊太郎(76歳)」無節操の履歴書
業界の先達に対して甚だ失礼だが、演説は下手、政策もピンボケ、
健康や体力に不安の状況で、よくぞ都知事に手を挙げた。

ご本人は根拠なき自信に溢れているものの、ジャーナリストとしても
特に華々しい実績は見当たらない。

76歳にして衰えぬ上昇志向が晩節を汚すことにならないか。・・》

このように明記され、私は微苦笑を重ねてしまった。
            

そして『週刊文春』7月28日号に於いても、鳥越俊太郎さんに関して、記載されていた。

《・・鳥越俊太郎(都知事候補)
「女子大生淫行」疑惑
被害女性の夫が怒りの告白!

「君の誕生日パーティーをしよう」。
キスの経験もない20歳の大学生を富士山麓の別荘に誘い込んだ鳥越氏は
二人きりになると豹変したという。

都知事候補の資質を問う。・・》
            

このように明記され、私はネットより、週刊誌の方が怖い、と動顛してしまった。

こうした内容の記事は、『週刊文春』の掲載の判断は、編集部の意向で決めら、
文責は発行元の文藝春秋にある。

もとより真実と差異があったならば、鳥越俊太郎さんから名誉棄損などで告訴される。

果たして・・と思い、確証のない記事は『週刊文春』でも掲載されないと定評があるので、
鳥越俊太郎さんの評価は失墜した、と私は感じたりした。

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コンビニは24時間銀行の上、「お財布代わり」に活用する時代と学び、時代遅れの私は微苦笑し・・。

2016-07-20 17:37:18 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始め、
まもなく銀行、保険などを集約したりしていた時、
今後、私たち夫婦がボケた時が怖くて、クレジットカード、銀行などのカードを出来る限り一本化にしたりしてきた。

本日の昼下がり、ネットの『NIKKEI STYLE』を見たりしていると、
【 コンビニはもはや24時間銀行 支払業務は支店並み 】と見出しを見て、
どういうことなのょ、と好奇心に負けてしまい、こっそりと読んでしまった・・。

この記事は、消費生活アドバイザーとして名高い山崎俊輔(やまさき・しゅんすけ)さんの寄稿文で、
2016年7月18日に配信されていた。無断であるが転載させて頂く。

《・・(略)・・コンビニが私たちの「便利」につながっている要素として、「銀行代わり」の機能があります。
コンビニがあれば、ほとんどの支払いについては、銀行の窓口に行かなくてもいいほど、利便性が高まっているからです。
            

☆コンビニで、たいていの料金は支払える

21世紀に入ってから、コンビニの役割は大きく変化しました。
その要因として、銀行代わりの機能が、拡充されたことがあげられます。

各種公共料金については、以前からコンビニ店頭で支払えましたが、
今では社会保険料(国民年金保険料など)の支払いも対象となっています。

コンビニのホームページをみると、水道、ガス、電気、電話料金に始まり、
住民税(都道府県、市区町村)、自動車税、固定資産税、国民健康保険料、介護保険料、国民年金保険料、
NHK視聴料のほか、クレジットカードの料金、多くのネット通販の料金の支払いも、対象となっています。

かつては窓口が開いている時間に、銀行に駆け込む必要がありましたが、
今ではほとんどすべて、身近なコンビニで24時間での対応が、可能になったわけです。

かといって、コンビニ決済をすると割高ということはありませんので
(残念ながら電子マネーによる支払いは非対応のことが多く、ポイント加算の対象外になりますが)、
便利な支払いチャンスは極力使うのが、マネーハックといえます。
            

☆無店舗型の銀行にとって、コンビニすべてが「支店」である

もうひとつ今世紀のコンビニが革命的に便利になった要素があります。
そう、「ATM」です。

今ではATMを置かないコンビニは、むしろ珍しいくらいです。
大型店舗では、ATMを2台設置しているところも出始めました。

銀行によっては、コンビニATMを顧客に利用してもらうほうが、
自前のATMを各所に設置するより割安になるケースもあるようで、
自前のATMを増やさずに、コンビニATMの対応を拡充している銀行も増えてきました。

ネットバンクと呼ばれる無店舗型(あるいは少店舗型)の銀行の普及も、
コンビニATMあってのことです。

人的コスト削減だけでなく、インフラ維持コストもコンビニATMに、
アウトソース(外注)することで、高めの金利サービスを提供しているわけです
(今でこそ、マイナス金利の余波で横並びになってしまいましたが、かつてはネットバンクの金利は魅力的でした)。

ネットバンクの多くは、コンビニATMの利用について、一定回数無料もしくは完全無料としています。
ただし、セブン銀行系(セブン―イレブン)、Eネット系(ファミリーマート)、ローソンATMと、
それぞれのコンビニによって条件が異なる場合もあるので、チェックしておきましょう。
            

☆メガバンクであっても、24時間営業のATMはコンビニ

コンビニATMの利便性は、ネットバンクに限りません。メガバンクもそうです。
メガバンクは利用状況に応じて、コンビニATMが無料になりますが、
無料の利用回数の制限を設けています(月4回など)。

自分の利用条件をよく確認して、コンビニをあなたの「24時間営業の銀行」として使いこなしましょう
(金融機関によっては、週末の夜にメンテナンス時間を設けており、完全24時間営業といかない場合もあります)。

月4回無料ということは、週1度程度の利用については問題ないということです。
計画的に利用すれば、手数料を支払う必要はないはずです。
            

☆コンビニを「お財布代わり」にしてみよう

以前、財布に現金をできるだけ持たないことで、節約につなげる、という話をしましたが、
現金が必要なとき、時間制限がある銀行に走るようでは、マネーハックとしては失格です。

コンビニATMがあれば、不意の現金出費があっても、心配する必要はなくなります。
「24時間営業の銀行」はすなわち「24時間現金を下ろせる財布代わり」でもあるわけです。

私は現金は1万円以上持つことが、ほとんどありません。
しかし東京・秋葉原で買い物をするとき、思わぬコミックの新刊が出ていたりして、
いきなり現金が必要になることもあります
(現金特価であったり、現金支払いのみ会員カードのポイント付与率が高くなるため)。

こういうときも落ち着いて、コンビニに行くことで、買い物に困ることはありません。

そして平常時は現金を少なく持つことで、無駄づかいを控えることができています。
皆さんもぜひ、自分の生活圏のコンビニマップを頭に描いておき、
「24時間営業銀行」を使いこなしてみてください。・・》

この後、私は『マネーハック』の意味合いが分らないで、解説文を読んだりした。
《・・マネーハックとは ハックは「術」の意味で、「マネー」と「ライフハック」を合わせた造語。
(略)マネーハックはライフハックの手法を、マネーの世界に応用して人生を豊かにしようというノウハウや知恵のこと。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は日常の生活費の現金を下ろす時は、銀行か郵便局に配置しているATMを利用している。

我が家はコンビニに関しては、私は散歩の時に、ペットボドルの煎茶を買い求めたり、
愛煙者の私は、タバコを購入したりしている。
ときおり家内から依頼されたスイーツを私は戸惑いながら、探し求めて買い求めたりしている。

こうした時、店内は殆ど人出が多く、落ち着いてATMを利用できないし、
もとより小心者の私は不用心と思い、利用していない。

今回の記事で、コンビニは24時間営業で銀行の代わりに、多彩な振込、現金の入出金ができるので、
「お財布代わり」に活用する時代と学んだりした。

しかしながら何かと気弱な私は、コンビニの店内は人出も多く、私は落ち着いてATMを利用できないし、
現金の扱いに私は不用心と思い、時代遅れの私は微苦笑したりしている。

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人生は気合だ、ときおり独りぼっちの『おひとりさま』になる私は、心の中で呟(つぶや)き・・。

2016-07-19 17:14:31 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

世の中は夫65歳以上、妻は60歳以上の夫婦のみの無職世帯は、
高齢夫婦無職世帯と称しているが、我が家も同じだよなぁ、と私は漠然としながらも心の片隅にあるが、
私たち夫婦は息子、娘がいなく、もとより孫もいないので、実感が乏しいが本音である。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
                              

我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、我が家から遠い地で独り住まいをしている。

そして家内の母は自身の身の周りは出来ても、長女の家内は季節の変わるたびに、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、ここ11年の恒例のようになっていた。

やがて昨年の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内と家内の妹は交互に、家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。
            

たまたま本日の早朝、家内は独り住まいの家内の母宅に、3泊4日で介護に行く日であったので、
私は平素より2時間半ばかり早く、4時少し前に起床した。
やがて私たち夫婦は朝食後、まもなく玄関の軒下に降り立った。

そして6時少し前、私は門扉の近い道路に降り立って、
『お義母(かあ)さんに、よろしく・・』
と私は家内に言った後、家内を見送くったりした・・。

こうした関係で、ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。
            

このような私は『おひとりさま』の生活となった当初は、
私たち夫婦の安楽な日々が、いつまでも続くことは叶わなく、無念ながら、
どちらかが、いつの年には片割れとなり『おひとりさま』となる。

こうした状況を思案させられた時、私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。

しかしながら、この世は予期せぬことがあり、万一、家内に先立たれて、
私が独りぼっちの『おひとりさま』の生活になることも考えられるので、
特別予行演習かしら、と思いながら私は過ごしている。
                        

こうした私が『おひとりさま』になる生活は、何かと単細胞の性格の為、余り変化はない。
            
平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしているので、
恥ずかしながら、いつまでも初心者の若葉マークのような身であり、
戸惑いながら行っているのが、実態となっている。

朝、最優先の実施事項は、台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりした。

ここ三か月に『おひとりさま』の生活になった時は、
台所で一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に10分後にセットし、
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、冷茶とアイスコーヒーを飲んだりする。

前菜は、新タマネギを野菜調理器の新兵器のサラダセットでスライスし、生ワカメとあえたり、
やがてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。

この後は、十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、焼きノリ、サバの味噌煮の缶詰かシャケの瓶づめとしてきた。

私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をし、
これが飽(あ)きたら日本人はやめるょ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

この間、ご飯の一合は多すぎるので、半分はラップに包んで、冷(さ)ました後、
こっそりと冷蔵庫の片隅に保存し、翌朝に電子レンジで温めて、頂いているので、
二日に一回だけ、お米を洗いのが実態となっている。
                                    

やがて朝食後、台所で皿洗いなどをして、水遊びをした。
          
昼食は小さな塩フランスパンを三つばかり食べながら、アイスコーヒーを飲んだりした。

そして夕食は、前菜として冷凍ブロッコリーを電子レンジで温めた後、
ミッカンぽん酢とお醤油をかけて、盛大に食べたりした。

こうした中、二日に一回、スーパーで買い物をし、野菜コーナー、肉類コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、冷茶を飲みながら食べたりしてきた。

しかしながら独りだと話し相手がいなく寂しいので、ウィスキーをオンザロックして数杯を呑みながら、
テレビのニュース、或いは映画棚から観たい作品のDVDを取り出して視聴したりした。
                            
日中のひととき、乾燥の機能がある洗濯機で、洗いから乾燥までしてくれるオール自動セットに頼り、
パジャマ、肌着、タオルなど2日に1回として、
あとはお願いねぇ、と洗濯機に向って、こっそりと呟(つぶや)いたりした。
            

そして2日1回ぐらいの部屋の掃除日として、埃は多少あっても生活には困らないよなぁ、
と心の中で呟(つぶや)きながら、掃除機を曳(ひ)いて、各部屋を廻り、孤軍奮闘したりした。
                      
夜の9時過ぎなれば、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
いつものように、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

平素はこのような時は家内に、戸締り終了しました、と報告しているが、
『おひとりさま』だと、報告する相棒がいなくて、何かしら戸惑って、独り苦笑したりしている。

平素は朝食と夕食は殆ど定時で、私は家内と談笑しながら頂いているが、
私が『おひとりさま』の生活をしていると、自由気ままな食事時間となったりし、
更に読書、そして映画を鑑賞、或いは音楽を聴いたりしていると、深夜までなることが多い。
            

しかしながら朝は7時までは、起床することを厳守している。
こうした中、寝ぼけ眼(まなこ)で、人生は気合だ、と自身を叱咤激励して、
心の中で呟(つぶや)いたりしている。

たとえ独りぼっちの『おひとりさま』でも、これ以上フシダラな生活は、
心身良くないと思い、布団から這い出ていることも、多くなったりしている。
そしてブログの投稿時も、大幅に狂うこともあり、やむえないなぁ、と微苦笑したりしている。

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認知症は自力で食い止められる! 、高齢者の71歳の私は学び、やがて光明(こうみょう)を感じ・・。

2016-07-18 16:04:41 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳であるが、
本日もいつもように家内から依頼された品を求めて、スーパーで買物をする買物メール老ボーイの身である。

やがてレジ袋を両手に提げて、帰宅した後、
この後、いつもように独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを目指して歩いたりするが、
本日も燦々と陽射しが照らし青空の中、熱中症が怖くて、近廻りして帰宅した。
           
やがて昼下がり、居間のクーラーの冷気に身をゆだねたりした後、
ネットでニュースを見ている中、
【 認知症は自力で食い止められる! 「もの忘れ外来」の名医が教える脳活メソッド 】と見出しを見て、
どういうことなのょ、と思いながら精読してしまった・・。
            

この記事は【ダ・ヴィンチニュース】公式サイトに於いて、
3万人以上を診てきた「もの忘れ外来」の名医・奥村歩(おくむら・あゆみ)医学博士が、
『あなたの脳は一生あきらめない!』(永岡書店、価格:1,296円(税込))を上梓され、
編集部が一部を紹介された記事で、7月18日に配信されているが、無断であるが記事の大半を転載させて頂く。

《・・脳の持つ「認知予備力」について書かれた『あなたの脳は一生あきらめない!』が、
2016年7月13日(水)に発売された。

ボケる、ボケないは、「認知予備力」で決まる。
認知予備力とは、「脳の神経細胞の結びつきの強さ」のこと。
認知予備力が高い人ほど、ボケにくく、認知症のリスクを跳ね返せるのだ。

私たちの脳には、「あきらめない力」が宿っている。
認知予備力は、何歳からでも鍛えることができ、あきらめなければ、成長を続けていく。
同書では、3万人以上を診てきた「もの忘れ外来」の名医が教える「認知予備力を高める脳活メソッド」を紹介している。
            

<主な内容>

☆脳が若い人と老けた人は、脳細胞の「つながる力」の強さで分かれる

☆脳内にアミロイドβがたまっても、認知予備力が高ければ大丈夫!

☆朝から晩まで仕事に追われる忙しい人ほどボケやすい

☆脳は「ぼんやり」しているときのほうが活性化している

☆「気持ちを込める」と、新しい脳回路のつながりができやすい

☆週3回30分のウォーキングは「ボケない脳づくり」に不可欠

☆「懐かしい音楽」を聴きながら、ぼんやりすると記憶が呼び覚まされる

☆睡眠は脳のメンテナンスタイム! 日中は30分以内の昼寝がオススメ・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私は定年後、多々の理由で年金生活を始め、家内は私より5歳若く、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

年金生活を始め当初より、私は買物メール老ボーイの身となり、
この後、やはり独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
            
こうした根底のひとつとして、何よりも認知症になることが恐れているひとりである。

こうした中、私は70歳を過ぎた頃から、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑したりする時もある・・。

たとえば、家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
       
或いは一昨日より、小庭に咲き始めた『木槿(むくげ)』を見たりすると、
今年も咲いてくれたねぇ、と微笑んでも、肝要な『木槿(むくげ)』という名前が瞬時に出てこなく、
やがて『木槿(むくげ)』だった、独り微苦笑したりした。
                         
もとより認知症になれば、自分の意志で日頃のささやかな願いも叶わなく、
そして何よりも家内にも迷惑、負担をかけるので、こればかりは回避したい、と念願している。
            

このような心情を秘めている私は、今回の「認知予備力を高める脳活メソッド」の8箇条を学び、
多々教示を受けたりした・・。

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

私は無力な癖に、何かとプラス思考で年金生活を過ごしてきた。
            

今回の8箇条のひとつ《・・朝から晩まで仕事に追われる忙しい人ほど、ボケやすい・・》は、
サラリーマンを卒業した私は、対象外となっている。

或いは《・・脳は「ぼんやり」しているときのほうが、活性化している・・》は、
専門知識もない癖に、日本の殆どの方が倖せを実感できる社会を、ぼんやりと夢想したりしている。

そして《・・「気持ちを込める」と、新しい脳回路のつながりができやすい・・》は、
私は何かと単細胞の熱中タイプであり、たとえば家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、お互いの真心、思いやりが何よりも肝要だ、と思い、
誠意をこめて日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

このような私の状態なので、認知症だけは勘弁してほしい、と念願を深めながらも、
やがて光明(こうみょう)を感じたりしている。

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七転八起のサラリーマン航路を過ごした私は、定年後の年金生活の三種の神器は・・。

2016-07-17 15:48:22 | ささやかな古稀からの思い
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦して、
2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

やがて最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
何とか定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
            

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。

こうした中で、私たち夫婦は雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごし、
まもなく9月の誕生日を迎えると72歳となり、年金生活も早や丸12年となる。

そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
            

年金生活を始めた当初は、定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。

こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりした。

そして何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。

やがて私は定年後、年金生活をし62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
そして私が64歳の時、同世代のひとりの知人が奥様に病死されて、  
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
        
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
            

このような心情の片隅みに秘めながら、私は60代の年金生活は、つたない我が人生の中で、
最も安楽な日々を過ごして、享受してきた。

過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。

私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈した。

こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。

そして私は、25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。
            
        
定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、
平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求めている買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。
私は今住んでいる地域に、結婚前後の5年を除き、長らく住み、
戦後から今日まで急速に変貌してことに、愛惜感もある。

そしてイギリスの湖畔詩人と称されたワーズワースは、湖水地方の緩やかな谷と丘が連なる道、
或いは小さな町の田舎道を、何十キロでも平気で歩いたと伝えられているが、
私も少しばかり真似事をして、歩き廻ったりし、季節のうつろいを享受している。

帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
            

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。
            

このように年金生活を過ごしているが、私は敬愛しているチャップリンの遺(のこ)された言葉のひとつに、
《 人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー。 》
という名言があり、人生の確かな格言ですねぇ、と程ほどの貯金しかない私でも、信愛しているひとりである。

そして恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、
年金生活を過ごしている。

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延命治療を断るために宣言すべき3つの項目、初めて高齢者の私は、明確に学び・・。

2016-07-16 10:17:09 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇しないで、まもなく年金生活12年となる。

ここ10年、いつの年か判からないが、
どちらかが亡くなった時、葬儀、残こされた方の『おひとりさま』の生活基盤などを
ときおり話し合ったりしてきた・・。

或いは、どちらかが大病になった時、
私は自身で食事が出来なかった時は死ぬ時だから、まして延命治療まで施(ほどこ)して、生きるのは・・、
と私は家内に言ったりしてきた。

家内も、あたしも延命治療はお断わりょ、と私に言ったりしてきた。

このような心情を漠然としながらも、私たち夫婦は秘めたりしてきた・・。
            

昨夜、ネットでニュースを見ている中。
【 延命治療を断るために宣言すべき3つの項目 】と見出しを見て、
どのようなことなのですか、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年7月22・29日号に掲載された記事のひとつで、
関連の『NEWS ポストセブン 』に於いて、7月14日に配信された記事であり、
無断であるが転載させて頂く。

《・・延命治療を断るために宣言すべきこと

高齢になって点滴やチューブにつながれたような状態で、
長く生き続けたくない、という願いを叶えられる人は、実は少ない。

延命治療は医師にとって、診療点数を稼げるものであると同時に、
医療行為を行なわないことの責任が追及され殺人罪に問われるリスクもあるからだ。
そうしたなかで患者の家族が、延命治療を断わるにはどうすればいいのか。

医療問題に詳しい古賀克重弁護士は、
「自分の意思を明確にできるうちに『延命治療拒否の宣言書』を書くことが有効です」と語る。

意思表示の書面を事前に作成している人は、60歳以上の国民の約6%程度という調査結果もある
(前出の2014年・厚労省意識調査より)。
どのような内容を記せば良いのか。
            

「『この文書は私の精神が健全な状態にある時に書いたものです』と宣言したうえで、
3つの項目をおさえることが重要です。

1つ目は
『ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命治療はお断わりします』
と意思を明示すること。

2つ目は
『ただし私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行なってください』
と、緩和医療と単なる延命措置をきちんと区別しておくこと。

そして3つ目は
『私が回復不能な遷延性意識障害(植物状態)に陥った時は、生命維持措置を取りやめてください』
と、植物状態のまま生かされることを拒否しておくことです。

こうした宣言書は自分で作成することも、公証役場で専門家に作成してもらうこともできます。
ただし、いずれにしても法的な拘束力はなく、その意味では確実に延命治療を断わる方法はありません。
自分の意思を書類にまとめたうえで、家族や医師に考えを伝えていくしかありません」(古賀弁護士)

穏やかに旅立つための準備は簡単ではない。・・》

注)原文にあえて改行を多くした。
            

私は延命治療に関して、少し知ったのは、確か35年前の頃で、
私は民間会社のサラリーマンになって、賞与を頂くたびに、
母に衣服を買う時の足しにして、とある程度の額をお中元、お歳暮の時に手渡していた。

この頃、親戚の裕福のお方が、身体を壊して、長らく入院されていたが、
母が見舞いに行った時は、植物人間のような状態であった、と教えられた。

『あたし・・嫌だわ・・そこまで生きたくないわ』
と母は私に言った。

母は寝たきりになった自身の身を想定し、長兄の宅などで、下半身の世話をなるのは何よりも険悪して、
私が結婚前に同居していた時、何気なしに死生観のことを話し合ったりしていた。

容態が悪化して、病院に入院して、一週間ぐらいで死去できれば、
多くの人に迷惑が少なくて良いし、何よりも自身の心身の負担が少なくて・・
このようなことで母と私は、自分達の死生観は一致していたりした。

こうした母の根底には、敗戦後の前、祖父の弟、父の弟の看病を数年ごとに看護し、
やがて死去された思いがあったと思われる。

そして近日に植物人間のように病院で介護されている遠い親戚の方を見た思いが重なり、
このような考え方をされたのだろう、と私は思ったりしたのであった。
                       

やがて平成5年の頃、母は婦人系のガンが発見され、
それから1年に1ヶ月前後、都心の広尾にある日本赤十字医療センターで、入退院を繰り返していた。

結果的には、母の意志で、苦痛を和らげるために緩和医療を依頼し、5年後に亡くなってしまったが、
この間、母が気に入った個室に、幾たびか私が見舞いに行ったある時、
看護婦さんから、あなたのお母さん、自分でトイレに行っているの、と私は聞き、
お母さんらしいなぁ、と私は思いながら、安堵もしたりした。

ともすれば、回復の見込みがない大病となり、本人が延命治療はしてほしくない、と念願しても、
親族、親戚、知人などは、出来る限る長く生きていて欲しい心情に圧(お)されたりしまい、
結果的には本人の意志に背(そむ)き、酸素を吸入し、鼻から栄養を入れるなど延命治療がされてしまうケースが多い、
と私は聞いたりしてきた。

今回の記事を私は学び、私は延命治療を断るひとりであるので、こうした三カ条を明記しておけば、
自身の終末期の念願が叶えられる、と学び、作成しょうと思い深めたりしている。

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