夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『禁煙“一服”、今度は喫煙商戦 コンビニが場所提供、マップも』のニュース、愛煙家の私は・・。

2011-02-28 17:30:13 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、

《 喫煙商戦、吸える場所アピール 》

という見出しがあり、愛煙家の私は、何よりの朗報かしら、と思いながらクリックした。

《 禁煙“一服”、今度は喫煙商戦 コンビニが場所提供、マップも 》

と題された記事がでて、

産経新聞から配信された記事て解かり、精読した。

産経新聞の道丸摩耶・記者の綴られた記事であり、無断ながら、この記事を転載させて頂く。

《・・
         禁煙“一服”、今度は喫煙商戦 コンビニが場所提供、マップも

値上げや全面禁煙の広がりで喫煙をやめる人を当て込んだ“禁煙商戦”が落ち着いた昨今、
今度は喫煙者を取り込もうという“喫煙商戦”が盛り上がりを見せている。

東京都港区のコンビニエンスストア「生活彩家 赤坂店」は、
店内の3分の1を「喫煙室」が占める。2年半ほど前、店舗を改装した際に新設したという。

「出入り口に灰皿を置くと、路上喫煙を助長することになりかねない。
だが、たばこもコンビニの売り上げの一部。
実験的に店内に部屋を設けた」
と、店舗を展開する「ポプラ」(広島市)経営企画室の桂木猛史さんは説明する。

店の周辺は、昼時は禁煙という飲食店が多い。
そのため、昼食を食べた後に同店で飲料などを購入し、室内で一服して帰る客が多いという。
もちろん、たばこを吸わない客が飲食できる場所もあり、店内では完全分煙が実現している。

「喫煙室が認知されるようになってから、来店客が増えた」と桂木さん。
同社は、都心部の他の小規模店舗でも喫煙室設置を検討している。


路上喫煙が難しい都心では、同店のような「吸える場所」を探すのが一苦労。
こうした声に応えて都内の喫煙場所をまとめたのが、
ヘビースモーカーの編集者が担当した「東京喫煙所マップ」だ。
発行元のPHP研究所(東京都千代田区)は
「たばこを吸う人のみという、狭い読者層を対象とする中、
昨年12月に出した初版1万9千部はまずまずの売れ行き」という。
同様に「喫煙スペース」を検索できるスマートフォンのアプリもある。


喫煙可能をウリにする喫茶店や飲食店も出てきた。
たばこメーカー「フィリップモリスジャパン」(同)によると、
都心部や昨年4月に「受動喫煙防止条例」が施行された神奈川県などで、
入り口に「禁煙」「分煙」「喫煙可」などのステッカーを掲げる飲食店が増えているという。
同社は「入店前に“煙”の状況が分かれば、喫煙者も非喫煙者も我慢しなくてすむ」
と、こうした動きを歓迎する。

「喫煙OK」という条件で店が検索できる飲食店検索サイトも現れた。

財務省の統計によると、値上げ以来、減少となっていたたばこ税収は回復傾向。
喫煙商戦は今後も続きそうだ。

産経新聞 2月28日(月)7時56分配信
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110228-00000114-san-bus_all
☆【YAHOO! JAPAN】<==
                 【産経新聞】《禁煙“一服”、今度は喫煙商戦 コンビニが場所提供、マップも》☆



私は1963(昭和38)年の春に大学に入学し、
ワンダーフォーゲル部の夏季の合宿以来、煙草をこよなく愛して、
48年は過ぎている愛煙家のひとりである。


私は定年後、身過ぎ世過ぎの年金生活で、現役のサラリーマン時代と違って、圧倒的に在宅が多いので、
煙草の喫煙は、こっそりと蛍族に入門して、
テラス、玄関の軒下などで、樹木を眺めたりしながら喫ったりしている。

そして、外出の時は、携帯の灰皿を持ち、指定されている喫煙場所で喫ったりしている。
或いは、遊歩道のベンチなどで喫う場合は、
人さまから少なくとも10メートル以上の離れた場所としている。

こうした中で、何よりも私が険悪するのは、路上に煙草の吸殻を見つけた時、
どなたか解からないが・・煙草を喫う資格がないょ・・
と心の中で怒りと悲しみをまじえて、やむえず私は持参している携帯の灰皿にしまうことも多い。


そして、ときおり国内旅行などで、東京駅などを利用する時、
喫煙場所に困り、新幹線の待合室から、わざわざプラットホームにある喫煙室に通ったりするが、
私と同じような思いの愛煙家の人で、狭い喫煙室は殆ど満室に近い・・。

私は片隅で何とか煙草を喫ったりす時、ときには世界は20数年前の頃は、
先進国の欧米の人たちの日常生活に於いて、確かに数多くの人々が愛煙していたはずであった、
と私は当時の映画のシーンを思い浮かべながら、微苦笑している。

そして、ときたま私は、世界の多くの人たちが急激に『禁煙』の風潮となったことを思い馳せることもある。


確か私の現役のサラリーマン時代で、たまたま会社が主催した『台湾 社内旅行』に行ったのは、
1993(平成5)年の秋であった。
そして羽田空港から台北空港の往復路の時は、
航空機の離着陸した後の水平飛行になると、
煙草を喫っても良い、とアナウンスされて、私は煙草を喫ったりしたひとりであった。

その後、1998(平成10)年の春に於いても、
会社が主催した『ハワイ 社内旅行』に行ったのであるが、一部の航空会社を除き、
やはり機内で喫煙可能となったりしていた。
私の場合は、日本航空の航空機であったが、たまたま私が煙草を取り出すと、
付近にいたアシスタントの客室乗務員の女性が、灰皿を持ちながら、片膝を床に着くように私に差しだして、
私は恐縮しながら灰皿を受け取ったりしていた。


昨年の初夏に、偶然に本屋で、『愛煙家通信 No.1』と題された単行本を見かけて、
購読したが、
この本には、喫煙の効果、そして禁煙の風潮はどのように発想されたか、
と明記されていたので、私は驚いたり、ため息を重ねたりして、精読したひとりであった。

この時の私の思いは、このサイトに於いて、
【 喫煙文化研究会・編集の『愛煙家通信 No.1』、時代のうつろいを学び・・。 】
と題して、昨年の2010年7月5日に投稿しているが、あえて再掲載をする。

【・・
私は愛煙家のひとりとして、あるサイトに2005(平成17)年の頃、
【 煙草は日本の文化のひとつである 】と題し、
昨今の嫌煙ブームの風潮に憂い、ブログのサイトで綴ったりした身でもある。

この程度のことは、この本の特集のひとつで、
《喫煙は日本の文化だ》と題され、数多くの著名人が綴られていたが、
私なりに学んだが、何よりも驚嘆したのは、
評論家の井尻千男(いじり・かずお)・著の『集団が生き残るための知恵』の寄稿文であった。

この中で氏は、宮澤政権の当時、
宮澤総理の辞令を受けて厚生省の審議委員になり、
毎月一回、禁煙派の医学関係者と論戦をたたかわせた、と述べられていた・・。

《・・
このときの同士は医事評論家の水野肇氏だった。

氏は当時人口に膾炙(かいしゃ)するようになったアルツハイマー病患者が
非喫煙者に多いという統計を挙げて、
自分は脳を病んで人さまに迷惑をかけて死ぬより、
肺ガンで死ぬことを選ぶと勇ましく宣言した。

(略)

その審議会で面白かったのは、
初回こそ10人ほどいた禁煙派が厳しい口調で愛煙家を非難したが、
毎回同じ非難をすることの愚を悟ったのか、
次第に愛煙家の弁に耳を傾けるようになった。

水野委員はもっぱら、
痴呆症になって人さまに迷惑をかけながら、
そのことすら認識できず一日でも長く永生きようとするのか
(タバコの煙の中のなんとかという成分がアルツハイマー病に予防効果のあることを繰り返し)、
それとも肺ガンになっても最期まで明瞭な意識をもって生(せい)をまっとうしょうとするのか。

要は死生観の問題であり、徒(いたずら)に永生きすること自体に意味があるわけではない、
と毎回熱弁をふるった。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。

この後、井尻千男氏は、
《・・
今日のように禁煙派の差配する文明は、
清潔だけを大事にする衰弱せる文明だと批判しつづけた。

(略)

私は一人でも多くの人に聞いてほしいから審議会の議論を公表してくれと
厚生省側に申し入れたが拒否された。
委員の身を守る(当然愛煙家の命)ためという理由だった。
・・》


私はこうした審議会の禁煙派、喫煙派の真摯な諸兄の討議内容を封印したのは、
時の厚生省が喫煙の風潮を更に増長させた諸因のひとつと確信したのである。


そして禁煙の風潮のはじまりをこの本から、学んだのである。
解剖学者の養老孟司、劇作家の山崎正和の両氏に寄る対談、
『変な国・日本の禁煙原理主義』と題され、初出は『文藝春秋』2007年10月号である。

《・・
山崎正和氏の発言
ベトナム戦争の後、アメリカをまとめていた愛国心やピューリタン的な道徳が根本から揺らぎ、
社会秩序も変った。

同性愛も妊娠中絶も、キリスト教以外の信仰も認めなければならない。
そのことに対して、皆、喉に何か引っかかったままだった。
そこで、誰もが一致して反対できる都合のよい”敵”を探し始めたのです。

あの当時、選択肢は二つありました。
たばこかエイズか。
ちょうどエイズが広まった時期でもありました。
しかし、結局はたばこが選択されました。

なぜなら当時エイズの原因とされていた同性愛を好むのは、
ハリウッドスターとか芸術家とか社会の上流層だけれども、
たばこを吸うのは社会の中流以下が多かったからです。

アメリカ人が大麻に寛容なのもまったく同じ理由です。

・・》
注)原文にあえて改行を多くした。


こうした禁煙の始まりがアメリカで発生し、何かとアメリカの属国の日本に飛び火し、
厚生省の音頭で学界の一部の論を拡大させ、日本の禁煙風潮をあおり、
終局的には世界保健機関の採択した『たばこ規制に関する枠組条約』に基づき、
2004年に日本の国会で可決され、
決定的な嫌煙ブームとなったと私は思いめぐらしたりした。

しかし、大麻、エイズの原因とされる同性愛などは険悪する私は、
ひと様の前では煙草を避けて、玄関の軒下、テラスなどで紫煙を楽しんでいる・・。
そして、あと何年か生きられるか判らないが、痴呆症だけは勘弁してほしいと思ったりしている。
・・】

このように投稿していたが、さきほど私は読み返して、苦笑したしたのである。

そして、このニュース記事に於いて、
《・・路上喫煙が難しい都心では、・・こうした声に応えて都内の喫煙場所をまとめたのが、
ヘビースモーカーの編集者が担当した「東京喫煙所マップ」だ・・》
と読みながら、
私は都心に出かける時は、「東京喫煙所マップ」のチエックは必須、と思ったりしている。

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『ひとりでも多くの人に伝えたい・・』と名言、内田樹・著の『街場のメディア論』より教示させられ・・。

2011-02-28 14:05:59 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
過日、駅前に出た時、いつものように本屋に寄った。
これといって購入したい本が決まっていないので、新刊の単行本の棚のコーナー、
そして文庫本の棚のコーナーを眺めていたが、購入するまで誘惑にかられた本がなかった。

やむえず、新書本の棚のコーナーを各書の背文字を見ていた時、
『街場のメディア論』と題された本が目に止まり、私は棚から取り出して、
目次のページを開き、この中の『第六講 読者はどこにいるのか』に魅了されて、
読んでみたいと購入したのである。

http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334035778
☆ 光文社新書ホームページ  内田樹(うちだ・たつる)・著の『街場のメディア論』☆


私は内田樹(うちだ・たつる)氏の書物に関して、まったく未知の上、氏の略歴も知らなかったが、
最初に読み始めたのが、『第六講 読者はどこにいるのか』からであったが、
この『第六講 読者はどこにいるのか』からでも、圧倒的に多々教示させられて、
私があやふやに思考していたことが明確化にさせられたのである。

私なりに、『第六講 読者はどこにいるのか』の一部を要約すれば、

◎なぜ書くのか

◎著作者の心構えと読書の関係

このテーマだけでも、私は深く洞察されながら、教示させられたのである。

◎なぜ書くのか

《・・
書くことの目的が「生計を立てること」てはなく、
「ひとりでも多くの人に自分の考えや感じ方を共有してもらうこと」だからです。

もし僕が書いていることの中にわずかなりとも世界が成り立ちや
人間のあり方についての掬(きく)すべき知見が含まれているなら、
それをできるだけ多くの人に共有してもらいたい。
(略)
僕には「言いたいこと」があり、
それを「ひとりでも多くの人に伝えたい」と思っています。

その基本姿勢は、ガリ版にこりこりと鉄筆で個人的なニューズレターを書いて、
自宅で印刷し、自費で友人たちに配布していた中学生のときから変っていません。

通信テクノロジーは進化しましたが、
ブログ日記を書いたり、ツイッターに短文を書き込んでいるときの心理状態は
中学生のときと少しも変りません。

(引用元ページ・135、136ページ)
・・》


◎著作者の心構えと読書の関係

《・・
「紙の本の印税だけによって生計を立てる」
という生き方は、この後かなりむずかしいでしょう。

けれども、それは圧倒的な利便性を提供するテクノロジーを導入することの代償として
受け容れざるをえないのではないかと僕は思います、

それで生計が立たない人は、別の仕事を探すしかない。
それに、紙の本の印税だけで生計を立てることは「むずかしく」なるだけで、
決して「不可能になる」わけではありません。
(略)
物書く人間がそれで安定的に生計を立てるようと望むなら、
まずなすべきことは、ひとり漏らさない課金システムをつくりだすことではなく、
ひとりでも多くの読者を得ることだ、と思うからです。

(略)

書いていてもさっぱりお金にならないで「専業物書き」が職業的に成立しなくなってしまうと、
一番困るのは実は読者自身だからです。

すぐれた書き手が書くことに専念ができて、
クオリティの高い作物が継続的に提供できるという出版環境は、
誰よりも読者の利益のためにぜひとも担保すべきものです。

(略)

本を書くというのは本質的には「贈与」だと僕は思っているらです。
読者に対する贈り物である、と。

そして、あらゆる贈り物がそうであるように、
それを受け取って「ありがとう」と言う人が出てくるまで、
それにどれだけ価値があるかは誰にもわからない。

その書きものを自分宛の「贈り物」だと思いなす人が出現してきて、
「ありがとう」という言葉が口にされて、そのときはじめて、
その作品には「価値」が先行的に内在していたという物語が出来上がる。

その作品から恩恵を蒙(こうむ)ったと自己申告する人が出てきてはじめて、
その作品には浴するに値するだけの「恩恵」が含まれていたということが事実になる。


著作者は書き手から読み手への「贈り物」です。
だから、贈り物を受け取った側は、それがもたらした恩恵に対して、敬意と感謝を示す。
それが現代の出版ビジネスモデルでは「印税」というすかたちで表現される。

けれども、それはオリジネイターに対する敬意が、
たまたま貨幣のかたちを借りて示されたものだと僕は考えたい。

すばらしい作品を創り上げて、読者に快楽をもたらした功績に対しては、
読者は「ありがとう」と言いたい気持ちになる。
(略)
それはいくばくかの貨幣のかたちをとってオリジネイターに向けて返礼される。

(引用元ページ・134~136、138、145、147ページ)
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。


私は氏は懇切丁寧に書かれていたが、力量に乏しい私なりに要約したのである。

そして、反復するように幾たびか読み返したり、そうですよねぇ、とうなずいたりし、
多々教示されたのである。

もとより、この本は、
この解説に明記されているように、
《・・
テレビ視聴率の低下、新聞部数の激減、出版の不調----、未曽有の危機の原因はどこにあるのか?
「贈与と返礼」の人類学的地平からメディアの社会的存在意義を探り、危機の本質を見極める。
・・マニュアルのない未来を生き抜くすべての人に必要な「知」のレッスン・・》
である。


私は中小業の民間会社を2004(平成16)年の秋に定年退職して、まもない時にブログの世界を知った。
そして私は、ブログ、ブログに準じたサイトに加入して投稿をし初めて、6年目となっている。

私は定年直後から年金生活を始めたのであるが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことを表現する手段として、
やはり心の中の思いを発露するには、何より言葉の力を信じて投稿してきたのである。

私は確固たる根拠もないが、私なりの拙(つたな)い感性と感覚を頼りに、
随筆であるエッセイ風、そしてコラム風に綴ってみようと、投稿文としている。

その日に応じて、簡単に言葉を紡(つむ)ぐ時もあれば、
言葉がなかなか舞い降りてこなくて、苦心惨憺とすることも多いのである。

このような時、言霊(ことだま)に対して自己格闘が甘いのかしら、
或いは幼年期からの甘さの多い人生を過ごしてきたから、
このような拙(つたな)い文章を綴るしか表現が出来ない、悩むことがある。

そして投稿文を綴りながら、私なりの思いを、『ひとりでも多くの人に伝えたい・・』
と思いながら悪戦苦闘する時もあるので、
今回、たまたま本書を読みながら、深く精読し、多々教示されたのである。


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文学の道を夢見る39歳の女性の『人生案内』の記事を読みながら、私は微苦笑させられ・・。

2011-02-27 22:37:27 | 真摯に『文学』を思考する時
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいて、思わず精読させられた記事があった。

21面の『くらし』に掲載されている『人生案内』で、

《 文学が夢、楽な仕事望む公務員 》

と題された『人生案内』の問いあわせされた方の見出しであった。

私も若い時に文学青年の真似事をした時期もあり、挫折した体験があったので、
心痛に思いで読んだりしたのである・・。

たまたま、この記事と同一が読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】にも掲載されているので、
無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
        文学が夢、楽な仕事望む公務員

39歳独身女性、地方公務員です。
電子化が進んで効率がよくなるはずなのに、なぜか仕事量は増えて苦しくなっています。
これではまるで映画のチャプリンです。
勤務態度を定めた接遇マナーも厳しくなるばかり。
まさに管理社会といった感じで、萎縮してしまいます。

私の夢は文学の道に進むこと。
読書や執筆の時間を増やしたいので、勤務日数や仕事量が少なく、難易度も低い職に就きたいのです。
けれど今の仕事を一度辞めてしまうと、
もう職は得られないのでは、という不安もあります。
辞めても賞は取れず、仲間もなくて引きこもる無職の自分が見える気がします。

親も公務員を辞めるのには反対で、
「仕事をしながら書くのでは駄目なのか」
「今は文学で食っていける状況じゃない」と言います。

でも、仕事が忙しくて消耗し、自分の趣味を侵食するような生活は、
しんどい。公務員を辞められないなら、せめてサボれる仕事をしたいです。
     
                              (I子)

回答に応じられた方(高橋 秀実・作 家)

実際に作家生活をしている私から言わせていただければ、
文筆業で生計を立てるのは極めて難しい。

原稿料は安いし、本の印税も微々たるもの。
ひたすら書き続けるしかなく、毎日締め切りに追われます。

職場が「まるでチャプリン」とのことですが、私などは頭の中が常にチャプリン状態で、
あなたのように職場のせいにできないので、自分で自分を追い詰めることになる。
クレームもじかに来るし、あなたのように萎縮する余裕もありません。
比喩ではなく本当に明日をも知れぬ我が身なのです。

お手紙を読む限り、あなたの文章からは
「楽な仕事で趣味を楽しみたい」という安易な思いしか伝わってきません。

これは公務員の心得としてもゆゆしき問題だし、
単なる愚痴話としても相手にされない内容で、これでは文学にはなりません。

本を買っていただくなど人を動かしてこその文学で、
今のあなたの文章にはその片鱗(へんりん)さえ見えません。

この際、職場の実態を作品のネタとしてじっくり観察してみてはいかがでしょう。
文学修業のつもりで。
そしてあなた自身のことも「いまだ夢見る39歳」として冷静に掘り下げてみては。

(2011年2月27日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


『人生案内』に寄られた39歳の独身女性で、地方公務員に勤務する方であるが、
つたない私からしても、このお方の勤務に望む言動は甘い。

まして文学の道をめざす人は、もとより生活を含めた確固たる覚悟が必要であるし、
その上、余りにも昨今の数多く作家、出版社を取り巻く環境は烈風も十二分に配慮した上で、
初めて文学に挑戦の道と私は感じたのである。

この相談された方は、うわべだけの単なる文学の道を夢見る39歳の甘ちゃんの女の子、
と私は瞬時に感じたのである。


私自身のことであるが、文学青年の真似事をした時期、挫折した体験、その後の人生の軌跡、
そして文学に対する今後の思いなどは、このサイトに於いて幾たびか投稿してきたが、
この中のひとつとして、

【 我が心の発露は、言霊(ことだま)の力を何よりも信愛し・・。】

と題して、昨年の2010年11月16日に投稿していたが、今回あえて再掲載をする。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
中小業の民間会社を2004(平成16)年の秋に定年退職して、まもない時にブログの世界を知った。
そして私は、ブログ、ブログに準じたサイトに加入して投稿をし初めて、6年目となっている。

私は定年直後から年金生活を始めたのであるが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことを表現する手段として、
写真に関しては高校時代に写真部で風景を専攻していたが、
やはり心の中の思いを発露するには、何より言葉の力を信じて投稿してきたのである。

古来、日本は人々の会話の伝達の時代が過ぎた後、
少なくとも飛鳥の時代から言葉を綴り, 日記、随筆、小説、詩、短歌、俳句、
川柳などは文字で表現してきたのである。

そして、その時代なりに数多くの人々により、
心を思いを満天の星空のように、数多くの遺(のこ)されて、現世に至っている。

私は確固たる根拠もないが、私なりの拙(つたな)い感性と感覚を頼りに、
随筆であるエッセイ風、そしてコラム風に綴ってみようと、投稿文としている。

その日に応じて、簡単に言葉を紡(つむ)ぐ時もあれば、
言葉がなかなか舞い降りてこなくて、苦心惨憺とすることも多いのである。

このような時、言霊(ことだま)に対して自己格闘が甘いのかしら、
或いは幼年期からの甘さの多い人生を過ごしてきたから、
このような拙(つたな)い文章を綴るしか表現が出来ない、
と深刻に考えたりすることがある。

このような時、私は文章を綴ったのは、少年期の何時頃であったのかしら、
そして、その後は・・と拙(つたな)い我が身を振りかえることがある。


私は1944(昭和19)年に、東京の郊外の農家の三男坊と生を受けた。

初めて文字を書いたのは、小学校に入学したからだった・・。
この頃は、私の住む村では幼稚園が出来たのは、私が小学校3年頃だったと思う。

私は最寄の託児所で2年ばかり通い、小学校に入学したが、
託児所は、文字などは教えることのない時代で、礼儀作法、お遊戯で過ごしていた。

小学校に入学すると、『こくご』の授業で初めて、文字を覚え、
真っ先にひらがなで、私の名前を升目の大きなノートに書いたりしていた。

そして、ひらがな、カナ字、そして漢字を学び、
3年生頃から『さくぶん』の授業で、今の時代で云うと粗雑な藁半紙(わらばんし)で書かされたのである。

この頃に家にある本と云えば、
農協の発刊する『家の光』ぐらい記憶していなかったので、
小学5年の時、近くに引っ越してきた都心に勤めるサラリーマンの宅に行った時に、
書棚に本が並んでいたを見たときは、
子供心でも眩暈(めまい)を感じたのである。

夏休みには、宿題として作文があったが、苦手な私は苦心惨憺で綴ったのは、
今でもほろ苦く覚えている。

私が都心にある高校に入学してから、
突然に読書に目覚めて、高校二年の夏に小説の真似事の原稿用紙に習作をした。


東京オリンピックの直前に、私は大学を中退し、
映画青年、文学青年の真似事を4年ばかり過ごした。

養成所の講師から、ある月刊誌の記事の取材、下書きを分けて貰い、
ノンフェクション・ライター気取りで取材し、指定された原稿用紙に綴り、
講師に手渡し、幾ばくかの金銭を受けたりしていた。

そして、ときおりシナリオとか小説の習作していた。
私は確固たる実力もないくせに、根拠のない自信があり、
感覚と感性は人一倍あると思いながら、独創性に優れていると勝手に思い込み、
独断と偏見の多い言動もしたりしてきた。

こうした中、純文学、中間小説の新人賞に幾たびか応募したが、
最終候補の6作品に選定されず、落胆をしたりしていた。

ある年のお彼岸の懇親の折、親戚の小父さんから、
『30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と素朴に叱咤され、私は30代の頃を想像し、とても妻子を養う自信も失くし、
明日のみえない文学青年の真似事を断念した。

この後、大手の企業に中途入社する為に、
コンピュータの専門学校のソフト・コースに一年通った後、サラリーマンの一員となった。


私はこの地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のように、
と思ったりしたのである・・。

私はこれといって、恥ずかしながら特技はなく、
かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、といった楽観にもなれず、
いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。

文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、もとより小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意したのである。

私はブログのこのサイトに於いて、
今後も随筆らしき散文、或いはコラムを綴り、投稿文を重ねながら文章修行している。

私の最後の目標は、残り許される歳月は今としては不明であるが、文章格闘の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨 長明が遺され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、本望と思っている。

こうした中でも、何よりも想像力の感性、独創性ある文体が必要とされるので、
果たして・・と思いながら、年金生活の身過ぎ世過ぎの中、過ごしている。
・・】

このように若き日に文学青年の真似事をし、敗残記でもあるし、
今後の死するまで意欲宣言でもある。


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『ムカツク』という言葉、ここ10数年流行(はやり)言葉のひとつであるが、私は険悪して・・。

2011-02-27 18:35:29 | 私が理解できない社会現象のひとつには
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ10数年、テレビ等で視聴したり、日常生活の外出などで耳にするたびに、
私は気になり、険悪する言葉のひとつがある。

『ムカツク』

この表現も険悪する。

このような言葉を口にだしたら、相手のお方は・・
こうした心情を思えば、少なくとも大人と思う人は使えないはずである。

私の現役のサラリーマン時代、10数年前に職場で若い方が使っていて、
初めて聴こえた時、
私は感性の乏しい人、人格形成の薄さを感じてしまったのである。

そして定年退職の7年前頃、街中で若き女性同士が立ち話しをして、
この『ムカツク』と蓮(はす)っ葉な言葉が聴こえた時、私は動顚しまったのである・・。


私の幼児の頃、農家で育ったのであるが、言葉が乱暴であったりした時、
祖父、父はもとより、近所の小父さん、小母さんから叱咤を受けたりした。

『その言いかたは何だ・・言葉を粗末にするなぁ・・』
と私はたとえ5歳の幼児であっても、小突(こづ)かれたりしてきた・・。

私は言葉ひとつとっても、貧富さとか社会の地位とかは関係なく、
そのお方の人格を表わす、と確信している。


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『はまる』という言葉、ここ10数年流行(はやり)言葉のひとつであるが、私は険悪して・・。

2011-02-27 08:24:26 | 私が理解できない社会現象のひとつには
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ10数年、新聞、雑誌、テレビ等で視聴したり、日常生活の外出などで耳にするたびに、
私は気になり、険悪する言葉のひとつがある。

『はまる』

若い人が使うのは、言葉の感性が乏しいと苦笑をしたりしているが、
少なくとも30歳以上の大人の人が使うのは、いかがなものかしら、と思っている。


私が中学2年生だった1959(昭和34)年頃、
いつものように同級生の仲良しグループのひとりの悪友と下校した帰り道で、
たまたま女の子の話となった。

私は悪友の間柄だったので、クラスで好きな同級生の女の子のことを、
『俺・・XXさんのことが好きだょ・・』
と私は悪友に云った、と記憶している。

悪友が秘かに笑いを浮かべながら、
『お前・・そいつに云ったの・・どこまで進んでいるの・・』
と追い討ちをかけてきた。

『俺は・・XXさんに・・何にも云えてないよ・・』
と私は悪友に云った。

『駄目だなぁ・・俺なんか・・XX知っているだろう・・』
と悪友が、やはりクラスで活発な同級生の女の子の名前を明言した。

『あいつの家に云ったら・・たまたまあいつしかいなくて・・
あいつの部屋で話したりしている途中・・おっぱいが少し見えたので・・
俺はムラムラとして服を脱がしてしまって・・あいつ抵抗しなかったから・・はめちゃたよ・・』

『本当かょ・・』
と私は心の中で動顚し、あの活発な女の子が抵抗もしないで身体を許して、
こいつと性交までするなんて、信じられない、と私の方がドキドキした。


後年、私は高校生になって、突然に文学の世界にに目覚めて、
『はめる』、『はまる』ということは。
江戸時代以来の男女間の性愛の中での、まぐあいと称した性交であり、
或いはこの間のみつまじい言葉のひとつかしら、と私は解釈したりした。


こうした私なりの解釈があり、確か1997(平成9)年の時だったと、記憶している。
私は50代の前半で、ある音楽業界のレコード会社に勤めていた。
多忙で残業して、夜食を会議室で食べたりしていた。
たまたま同じ部署の24歳の小柄で可愛らしく理知的な若き女性とふたりだけであった。

私達は食事処から配達してもらった天丼を食べたりしながら、
私は差しさわりのない音楽の話を話題にしたりした・・。
そして私は、ロックグループとして勢いのある『X JAPAN』の5曲ぐらいのタイトルを云いながら、
『最近・・帰宅後、殆ど熱中して聴いている・・』
と私は若き女性に云った。

『あらぁ・・XXさんは・・我が社で『X JAPAN』を一番聴いていると思います・・
はまって、いらしゃるんですねぇ』
と若き女性は私に云いながら、微笑んだりした。

私は聴きながら、ドキリとさせられた。
私は『はまって』なんていう言葉は、可愛らしく理知的な24歳の女性が言葉にするものでない、
『夢中になっている』、『無我夢中になっている』、『熱中している』、『熱愛している』
このような表現があるだろう、と思ったりした。
しかし、この当時は若い人の世代は、『はまる』という言葉の風潮が、流行(はや)っていたので、
私は黙って、微笑みを返したりした。


私が多忙だったサラリーマン時代を定年退職した2004(平成16)年の秋、
この頃からNHKのテレビ番組で、朝の7時過ぎからニュースを視聴する習慣となった。
こうした番組の中で、出演されたゲストスターの40歳前後の麗(うるわ)しき女性が、
『はまる』と言葉を発言して、私は動顚した。

何よりも高等教育の大学を卒業して、難関のNHKに入局された方が、
NHKの初心者研修のアナウンサー教育を終え、
その後はキャリアーを蓄えた小奇麗な27歳前後の女性キャスターの方さえ使ったりすると、
容姿に似合わず蓮(はす)っ葉な言葉で使うので、程度の低い人、と感じてしまうのである。

このような思いの私は、『はまる』と言葉は、
若い人が使うのは、言葉の感性が乏しいと苦笑をしたりしているが、
少なくとも30歳以上の大人の人が使うのは、いかがなものかしら、と思っている。

少なくとも敗戦後からは、『夢中になっている』、『無我夢中になっている』、『熱中している』、『熱愛している』
という適切な言葉があるので、
この程度の言葉を大人と自覚される方には、使って頂きたい、と思っている。

反論される30歳以上の大人と自覚されているお方たちは、
流行している言葉を使わないと、
時流から取り残されると危惧し、あえて使っている方も見られる。

もとより日常の言葉は、時代を写(うつ)す鑑(かがみ)と称されているが、
日本の古来より美しい言葉があり、日常生活の基本は、さりげない会話から成り立っているのに、
余りにも粗末にしていると感じるのである。


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『サラリーマン川柳』、つたない我が人生のまぎれない哲学書であり、幾たびも哀歓し・・。

2011-02-26 18:44:17 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ときおり『サラ川』と称せられている第一生命が主催されている『サラリーマン川柳』を愛読している。

私は1944(昭和19)年に農家の三男坊として生を受け、
大学を中退後、映画・文学青年の真似事をし、
民間会社に中途入社し、35年ばかり勤め、2004(平成16)年の秋に定年退職をした。

この間、最後の5年は出向となったりし、中小業の音楽業界のある会社に勤めていたので、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈があり、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。


このようなつたない私の半生であり、
何かと『サラリーマン川柳』が好きで、現役時代から愛読し、励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、
『サラ川 傑作選』の本を四冊を所有している。

そして私は『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつと思い、
限りなく人生の哀歓と確信し、ときには本を開いたりしている。


午後のひととき、2時間ばかり第一生命の『サラリーマン川柳コンクール』のサイトを開き、
2時間ばかり読んだりしていたのである・・。

http://event.dai-ichi-life.co.jp/company/senryu/theme/home.html
☆【第一生命】『サラリーマン川柳コンクール』
           <==『テーマ別に見るサラ川 優秀作品』 <== 『家庭編』☆

たまたま『家庭編』を読んだりしたのであるが、私達夫婦は子供に恵まなかったので、
たった2人だけの家庭であるが、理解できるのである。

毎回、五選が選定されているが、特に私が感動させられ、涙まで浮かべたのは下記の作品である。


第23回 出張を 見送る妻の 目が笑う     松本松峰

第22回 株価より 妻の機嫌が 乱高下    頑張るお父さん

第21回 妻子から 絵文字が並ぶ ボーナス日   孫悟空

第20回 家族旅行 予算削減 パパ留守番     弐個

第19回 家族との 会話のつもりが 独り言   ちょいバテパパ

第18回 寒いよネ ママ目で合図 動くパパ   マイコンパパ

第17回 ショッピング 昔、デパート 今百均   かぶと虫

第16回 “めし”“ふろ”に 下さいついて 妻動く  元威厳パパ

第15回 ぼく学校 パパは会社で ママゴルフ   小学生

第14回 服がなく 母のを借りたら 今ハヤリ  ダイヤホープ


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都心でエスカレーターを駆け上がる人たちに、私は長年に戸惑いを感じて・・。

2011-02-26 16:24:16 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ40年近く、エスカレーターを駆け上がる人たちに不思議に思っているひとりである。

私は都心に30数年勤めたり、定年後も国内旅行などで、
都心の駅の構内で、たとえば六本木、乃木坂、渋谷、新宿、東京駅などエスカレーター利用してきた。

朝の通勤の途上などに多く見られる状景で、
私は左側に足を進め、エスカレーターに乗ったりしていると、右側の空いたスペースに駆け上がる人たちがいる。
現役のサラリーマン時代の私は、
数多くの方と同様にスーツ姿で右手にビジネスバック提げていることが多かったが、
ときには駆け上がる人たちに触れることもある。

定年後の私は、体力も衰えてきたが、
70歳を過ぎた頃に、このように触れた場合、よろめき危ないと思ったりしている。

もとよりエスカレーターは、乗るものであり、駆け上がるものでない。

私は駆け上がる人たちを見ると、どうしてそんなに急ぐの、と思ったり、
5分ばかり家を早くでれば、駆け上がることもないのに、
と圧倒的に多い男性の通勤される見苦しい姿を見たりしてきた。

私といえば、エスカレーターに乗ったりしていた時、
本日の業務の必須業務のこと、そして優先順序を考えたりすることが多かったが、
ときには私の前に美麗と思える女性がいた時は、後姿の容姿から、
顔立ちを想像したり、或いはヒップラインの美しさに見惚(みと)れたりする時もあった。

昨今、殆どのビジネス諸兄諸姉は、私のサラリーマン時代より、
更に携帯電話、そしてノートパソコンを持ちながら出勤されると思ったりしているので、
どうか5分ばかり早めに家を出て、見苦しいエスカレーターの駆け上がる状況をやめて頂きたい、
と高齢者2年生の私は願っている。


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黒髪の美しさを忘れた日本の女性の一部の人たち、ご自分を余りに粗末にして・・。

2011-02-26 09:50:23 | 私が理解できない社会現象のひとつには
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ10数年に不思議に思っていることがある。
何故、日本の女性の一部の方たちが、ご両親から与えられた黒髪をわざわざ茶色系に染めている人が、
多くなってきたかである・・。

私は黒髪の美しさを知らない程度の低い女性が増えたのか、
或いは一時期のミニ・スカートのブームが一昔あったが、
あの状況と一緒なのか、とここ10数年に思い続けていた。

私は二十歳前の女性が一過性と染めるのは、何となく理解はできるが、
大人の女性のすることではないと、思っている。
欧米の数多くの知識人が、せせら笑っているのが明白に見え、
私の方が恥ずかしいとさえ思っているのである。

一体、女性の一部の方たちは、ご自分の美しさを本当に知ってる、
と疑いたくなる。
私はご自分の容姿を粗末にした茶色系に染めた日本女性には、
魅了されたことはない。


私は現役のサラリーマン時代に、たまたまあるレコード会社の管理畑を35年ばかり勤めてきて、
海外のアーティストが来社した時、ときおり私達のフロアーまで挨拶などに、来てくださり、
多くの方を見かける機会があった。
特にロック関係のアーティストの容姿、ヘアー・スタイルなどに、驚嘆するようなことも多々あったりしたが、
あくまでライブの舞台のひとつの表現と受け止めてきた。

定年退職した2004(平成16)年、多忙だったサラリーマン時代が終わり、
NHKのテレビでニュースを観ることが多くなったが、
こうした中でも、女性のアナウンサーの方でも茶色系に染めている人が多く、私は驚いたのである。


若き女性が結婚され、やがて『お受験ママ』の体験をさる機会が多くなると思うが、
この時のお受験合格のポイントとして、短い面接時間で効果的にアピールする為の注意点などを、
私は5年前頃に何かの雑誌で読んだことがある。

確か《化粧は、気合の入れた時のメークから、2段階控えめに》

  《座った時、面接官に膝が見えないように長めのスカートを》

  《紺色の服は、規律を守る人という印象を与えます》

と記憶しているが、この時に私が感じたことは、

私は若きママ達の切実な希望を叶(かな)えるのは、
ご自身の就職活動の容姿を思い浮かべ、
茶髪に染めているのであったならば、本来の黒髪に戻すべきと思ったりしている。

黒髪は薄化粧に映(は)える美点があり、
本来のご自分の魅力を取り戻す絶好の機会と確信している。

日本女性の容姿、顔立ちは、黒髪が似合っていることは、
欧米人の知識人は以前から知り尽くしている。

このように私は、ご自分の魅力を大切にしなさい、と思ったりしたのである。


昨今、私は駅前に出かけたりすると、40代以上の女性の一部に、
茶髪に染めている方を見かける時がある。
このような時、ご自身より若い世代が流行しているヘアースタイルを使わないと、
時流から取り残されると危惧し、あえてしているのかしらと思ったりしている。

或いは美容室業界のしたたかなビジネスにより、
染める方を頻繁に来店されるように、茶髪に染める風潮を計算し尽した結果で、
浅はかな40代以上の女性の一部が、同調したのかしら、と感じたりしている。


遠い昔、舟木一夫さんが唄った『高校三年生』があるが、この二番の歌詞に於いて、

 ♪ぼくら/フォークダンスの手をとれば
  甘く匂くにおうよ黒髪が

【『高校三年生』 歌詞・丘 灯至夫、作曲・遠藤 実、唄・舟木一夫 】

あったりした。


或いは、何年前か忘れてしまったが、NHKで『宮廷女官 チャングムの誓い』を放送されて、
たまたま視聴したことがあった。
朝鮮王朝の宮廷料理を主軸としたドラマであることは知っていたが、
この頃の時代に秘められた歴史、文化、風土が私には新鮮に観えたが、
女主人公の容姿、何よりも黒髪の美しさに、改めに私は魅了された。


昨年、NHKの朝の連続ドラマで、女主人公が昭和期の背景なのに、
うっすらと茶髪で出演されて、時代関係も無視されたことに唖然とさせられ、
演出家、この女優さんの感覚についていけず、困惑した。


ここ一年、たまたまNHKで、『歌謡番組』を視聴していた時、
ある演歌の50代の女性歌手が、素敵な和服を召されていたが、なぜか赤っぽく茶色に染める方が、
平然と名曲を唄っていたのに、私は唖然とさせられた。

そして、舞台衣装のひとつで思ったりしたが、一体どのような感覚で、
と私は感じ、テレビのスイッチを切った。


私は、日頃の思いを構成も配慮しないで思うまま綴ったが、ひとえに黒髪の美しさ、
そしてご自身を粗末にすることのないように、あえて投稿した次第である。


尚、特に女性の一部の方たちのは反発されて、ご不満な方、一部のお方には感情を害されることの内容もあるが、
偏屈な独創性の独りよがりの思いの投稿内容、と解釈して頂き、
ご容赦をお願い致したい。


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私のサイトに、新たなるカテゴリー『私が理解できない社会現象のひとつには』の新設に際して・・。

2011-02-25 22:26:24 | 私が理解できない社会現象のひとつには
私は東京郊外の調布市に住む高齢者2年生の66歳の身であり、
中小業の民間会社に35年ぱかり奮闘し、定年退職を迎え、
この後は多々の理由により、身過ぎ世過ぎの年金生活している。

そして日常生活の思い、思考したことなど心の発露として、
このサイトに真摯に、ときには楽しく綴って投稿を重ねてきている。

こうした中で、これまでの幼年期から昨今までのあらゆることをカテゴリー別に綴ってきたが、
しかしながら、少しためらって投稿文に出来なかったこともある。

この中のひとつとして、昨今のさまざまな社会現象で、
独断と偏見の多いつたない私の感覚と感性に於いて、どうしても理解できないことが数多くある。

数多くのお読み頂いた方たちから、それは社会として常識の範疇なの、どうして今頃・・
と反発されるのを承知の上、
私は新たなるカテゴリー『私が理解できない社会現象のひとつには』命名して、
今後ときおり投稿する。

もとより反発されて、ご不満な方、一部のお方には感情を害されることの内容もあるが、
偏屈な独創性の独りよがりの思いの投稿内容、と解釈して頂き、
ご容赦をお願い致したい。


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『関東で春一番、東京20℃』のニュース、私も4月下旬並みポカポカ陽気を享受しながら・・。

2011-02-25 15:36:26 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、

《 関東で春一番、東京20℃ 》

という見出しがあり、そうだよねぇ、とうなずきながらクリックした。

《 関東地方で春一番、4月下旬並みポカポカ陽気 》

と題された記事がでて、

読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】から配信された記事て解かり、精読した。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
        関東地方で春一番、4月下旬並みポカポカ陽気

気象庁は25日、関東地方で「春一番」が吹いたと発表した。

昨年の春一番も同じ日だった。

同庁によると、千葉市で同日午前10時47分に最大瞬間風速17・0メートルを、
横浜市ではその5分後に18・3メートルを観測した。

関東地方は、南部を中心に南からの風が強まった影響で気温が上昇。
東京・千代田区は、同日昼には20度となり、4月下旬並みの陽気となった。 .

読売新聞 2月25日(金)12時26分配信
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110225-00000479-yom-soci
☆【YAHOO! JAPAN】
        <==【YOMIURI ONLINE】 《関東地方で春一番、4月下旬並みポカポカ陽気》☆


私は今朝8時過ぎ、最寄の内科医院にメタボ対策訓練に伴う検査を受けていたので、
結果を聴く為に出かけたのであるが、
薄手の冬のスポーツシャツ、スリー・シーズンのフィールドジャケットでも寒さを感じることなく、
天気予報が昼下りには4月下旬のような陽気になる、と報じていたので、
ほんとうだよなぁ、と微笑んだりした、

川沿いの遊歩道を歩いたのであるが、ときおり風が強く吹いても、
なぜか風は甘く、心地良いのであった。

検査の結果は順調の推移で、やはり食事とウォーキングの成果がでた、
と微笑みながら帰宅した。

そして、昨日に『所得税の確定申告書』の『下書き用』まで記載していたので、
本書の『所得税の確定申告書』に転記して完成をさせて、
郵便局に行き、郵送の手続きを完了させたり、2月月末まで『固定資産税』、『国民健康保険』の振込みをした。

その後、スーパーに立ち寄り、買物を済ませた後、のんびりと帰宅したのであった。


この2月下旬で、突然に4月下旬のような陽気に、嬉しさ半分、戸惑いが半分が本音でもある。
明日より平年並みの陽気に戻るので、齢を重ねた私でも洋服をとっかえひっくり返したり大変なのである。

このように思ったりしていた後、このニュースを読んだりしたのである。

記事を読みながら、添付された写真を拝見し、
突然の陽気でコートを脱いで、都心を歩き春一番の強い風を受けながら出勤される美麗な若き女性・・
センスも良いし素敵だねぇ、と思いながら、恥ずかしながら見惚(みと)れたりしている。


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東京郊外は、突然に4月のような陽気に恵まれて、私は戸惑いながら夢幻のような日かしら・・。

2011-02-25 07:27:35 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
今朝、目覚めると何かしら暖かく、どうしたのかしら、と感じたりした。

地元の天気情報を見たりすると、
朝の6時過ぎ7度で、昼下がりには20度となり、夜の6時は14度前後と表示され、
4月下旬のような暖かい陽春と思いながら、2月の下旬なのに、
天上の気候の神々はどうしたの、と私は戸惑ったりしている。

こうした陽気になると、私は買物は最寄のスーパーに2店ばかり廻ったり、
そして川沿いの遊歩道を歩いたりするのも楽しいかしら、と思ったりしている。
この川沿いの道の片側は公園となって折、
季節に応じた樹木の花の彩(いろど)りを見せてくれる・・。


平年の3月上旬になれば、辛夷(コブシ)の白い花、桃の花、雪柳(ユキヤナギ)の白い花、
馬酔木(アセビ)は垂れた穂に五個前後の可愛らしい白い花をつけたりしている。
そしてサンシュウの黄色の小花が咲いている。

私は葉が出る前に黄色の小花が散形の花序となして折、数多く花の彩りに、
早春の中で温かみのあるこの花が、私の好きな花のひとつである。

こうした情景も微笑ましいが、何よりも私の心は、
雑木の芽吹きに関心を寄せている。

もみじ、コナラ、クヌギ、欅(ケヤキ)等の季節のうつろいを観せてくれる雑木に、
何よりも魅せられている。

昨今、食べ物など季節感が失われていることが多いが、
こうした雑木は四季折々の情景を観せてくれ、
何かしらほっとし私は眺め、この時節になると、今年も芽吹いてくれた、と心を寄せているのである。


このようにぼんやりと思ったりしていたが、3月の季節も飛び越えて、
突然に本日は4月下旬のような陽気は迎えているが、明日からは平年並みの気温が予測されているので、
瞬時の夢幻のような一日かしら、と空を見つめたりしている。


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『新燃岳(しんもえだけ)の降灰を活用され、レンガの商品化』のニュース、私は圧倒的に感動させられ・・。

2011-02-24 22:45:31 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
夕食前のひととき、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、

《 「困りもの」新燃岳の降灰使いレンガ、商品化へ 》

と題されて記事を読み、甲斐也智・記者の綴られた記事と思うが、圧倒的に感動をさせられた。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
新燃岳(しんもえだけ)の噴火で、
降灰が深刻な都城市にある瓦レンガ製造会社「宮崎高砂工業」(仙臺(せんだい)廼洋社長、35人)が
火山灰を使ったレンガを作った。

3月にも商品化し、売り上げの一部を被災者などに寄付する。
同市や隣の高原町では大量の灰の処理方法が大きな課題となっており、
同社は「灰を有効活用して地域貢献もできる。まさに一石二鳥」としている。

宮崎高砂工業は1970年に創業され、2010年2月期の売り上げは4億1900万円。
製品は長崎県佐世保市のハウステンボスなどで使われている。

仙臺社長らは火山灰が降り積もる状況を見て、
「灰をこのまま放っておけば、大変なことになる。会社として地域の役に立ちたい」
と考えた。

そこで着目したのがレンガ。
もともと、火砕流の堆積物からできた砂状のシラスを混ぜており、
性質が似た火山灰を代わりに使うことを思いついた。

これまでの原料は粘土が7割、シラスや砂が3割だったが、
灰を少し入れると、鉄分が多いからか、シラス使用時より強度が増したという。
現在、灰を3割混ぜたものを試作中だ。

灰は、社員らが、会社敷地や周辺の民家から集めたものを使っている。
レンガは1個(2・7キロ)当たり従来品と同水準の300円で販売し、
うち100円を県などに寄付する予定。

問い合わせは同社(0986・57・2172)へ。
(甲斐也智)

(2011年2月24日18時05分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110224-OYT1T00191.htm?from=main6
☆【YOMIURI ONLINE】 《「困りもの」新燃岳の降灰使いレンガ、商品化へ》☆


私はNHKテレビのニュースなどで、鹿児島、宮崎県境の霧島連山・新燃(しんもえ)岳の噴火を続ける状況を視聴し、
ただ驚きながら見つめたりしていた。

その後、宮崎県の都城市は、雨と火山灰の影響で土石流発生の危険が高まったとして、
数多くのお住まいの方たちに避難勧告などが発令されたニュースも見たりした。

突然の新燃岳の噴火で、付近の数多い方たちは多大な災難に遭遇し、
住宅、道路、そして農作物の畑などに火山灰が降り積もった状況のニュースも見たりし、
ただお気の毒と思ったりしていた。

今回、この降り積もった火山灰を活用されて、
降灰が深刻な都城市にある瓦レンガ製造会社の「宮崎高砂工業」が、レンガの商品化にこぎつけた、
とニュースを読み、
困り果てていた火山灰をこのような活用されることに、私は感動を受けたのである。

この「宮崎高砂工業」は、《・・レンガは1個(2・7キロ)当たり従来品と同水準の300円で販売し、
うち100円を県などに寄付する予定・・》
と明言されているが、
付近の自治体はもとより九州一帯、そして日本全国が購入すべき、と思ったりした。

その上、困り果てていた火山灰をこのようにレンガに商品化された「宮崎高砂工業」に、
降灰が深刻な状況の中で、切磋琢磨して完成された英知に、
環境省はもとより総理大臣が、少なくとも感謝状を差し上げるのが、心の礼節と私は深く感じるのである。

この後、私はこうしたささやかな感性が、現政権の閣僚諸兄諸姉にご理解できるかしら、
と私は微苦笑したしている。

尚、私は「宮崎高砂工業」に関して、親族も友人、知人も一切関係者がいないことを付記する。


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『所得税の確定申告書』は、齢を重ねた私は国税庁のHPの『確定申告書等作成コーナー』を頼りながら・・。

2011-02-24 17:04:11 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
1月下旬の頃に所属地域の税務署から、『所得税の確定申告書』の用紙等在中の郵送物が配達されていたので、
この時節に所得税の確定申告書を作成している。

現役のサラリーマン時代は、12月初旬に社内の担当部署に年末調整の書類を提出すれば、
医療控除、不動産等の用件がない限り、簡易であった。

年金生活の私は、厚生公的年金、企業年金、個人年金だけの収入なので、
先程のひととき、平成22年度の申告書を作成を開始した。


私は高齢者の少しボケた身なので、
関係先から昨年の12月頃に送付されてきた源泉徴収票を指定の封筒に入れているので、
これを取り出したりする。

この後は、国税庁のホームページの『確定申告書等作成コーナー』を開き、
源泉徴収票などの書類に基づいて、入力する。

そして、『所得税の確定申告書』の用紙の最後のページに添付されている『下書き用』に記入している。

私は幾年過ぎても『収入金額等』、『所得金額』、『所得から差し引かれる金額』、『税金の計算』などの各項目、
そして算出方法が解からないので、
この国税庁のホームページの『確定申告書等作成コーナー』を頼りにして、
項目、計算結果を転記している。

この後は、『下書き用』から本書の『所得税の確定申告書』に転記して完成をさせて、
添付するべき源泉徴収票などの書類を同封して、郵送したりしている。

つたない私は、殆ど毎年このようにしている。


もとより税金の問題は、幾数千年の古今東西のどの国家に於いても、
国民に対してどのくらい負担して頂くことは、最も悩ましい難題である。

しかし国家の形成維持、発展をするには、ある程度の税金を国民に負担しなければ、
社会インフラ、社会保障、教育、国防等は成立しないので、
国民は程ほどの負担の責務があると確信している。

問題はどの方に、どの世代に負担の増減が最大の問題となるのである。

私のような年金の方たちの世代を一方的に軽減すれば、
現役で働いて下さる肝要の多くの人々に加重負担となるので、
これは健全な生活を営む上で、絶対に避けなければならない。

むしろ私は、昨今の社会風潮で、
孫の世代が、祖父、祖母に何かしらの金銭にすがる状況、
或いは孫に懐(なつ)いでもらいたい余り、祖父、祖母が優先的に金銭を与える風潮をなくしてもらいたい、
と思ったりしているのである。

程ほどの年金を蓄えて、孫の世代に渡すより、
祖父、祖母は、生きた知恵を孫に教示するのが、望ましいと思考している。

ここ数年、国家の財政は益々悪化し、年金世代が一方的に国にすがるのは、
孫の世代に破綻をまねくのである。

私の日常の生活は、多くの高齢者と同様に、
年金の収入では足りないので、程ほどの貯金を取り崩している。
そして、清く貧しく美しくのモットーで日常を過ごしているが、
海外の諸国から見れば、日本の年金世代の人々は豊かである、と確信を深めたりしている。


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あるインドの主人、39人の妻と子供94人、孫33人の大家族167人、私は仰天しながら・・。.

2011-02-24 09:54:46 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨日のひととき、ニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、

《 インドで167人の超大家族、1日にコメ90キロ消費 》

という見出しがあり、どのようなことなの、と思いながら、
何事も好奇心を失くしたらこの人生は終わりだ、と信条している高齢者2年生の私は、
こっそりとクリックした。

【ロイター】から配信された記事であり、無断であるが、転載させて頂く。

《・・
[グワハティ (インド) 22日 ロイター]
インド北東部ミゾラムに住む66歳のジオナ・チャナさんには、
39人の妻と子供94人、孫33人がいる。

家族167人は全員が4階建ての建物内に同居しており、
1日にコメ約90キロ、ジャガイモ約60キロを消費するという。

「1年のうちに10人と結婚したこともある」と話すチャナさん。
17歳のときに3歳年上の女性としたのが最初の結婚で、
現在は一夫多妻を認める現地のキリスト教系団体を率いている。
今後さらに妻を迎え、家族をもっと増やすこともやぶさかではないという。

妻たちはチャナさん用の寝室近くにある共同部屋で寝起きし、
子供と孫らは建物内にある100部屋を使用。
ただキッチンは1カ所しかなく、妻たちが交代で調理している。

そのほかの「家事」については、女性が掃除と洗濯、
男性が農作業など屋外での仕事を担当。
生活は自給自足のほか、支持者からの寄付で成り立っているという。

ロイター 2月23日(水)10時31分配信
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は読み終わった後、仰天しながら、世界の中でこのような主人はいるのだ、
と少しばかりため息をしながら、苦笑させられた。

私達夫婦は子供も恵まれずたった2人だけの家族であるので、
遥かに遠い世界のひとつの出来事と思ったりしながら、
もとより現代の日本の社会は、一夫一妻の制度として確立されている。

日本の歴史を遡(さかのぼ)れば、たとえば江戸時代さえも、
各国の諸大名の藩主でも数名の側室と思い、将軍家で秘そやかな大奥でも、
程ほどの側室だった、と私は解釈している。

そして、昨今も富豪と称される一部の人で、
お妾(めかけ)と称される外妻を数名が限界、と私は想像する。

何よりも日本の社会に於いては、女性への人権が厳然とある中、
このようなあるインド人の主人の言動、そして軌跡は到底考えられないことであり、
国が異なるとこうした風習も一部に歴然として残っている事実に、
唖然とし、高齢者2年生の無力な私は読んだりしたのである。


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『最上川の船下り』は、東アジアの観光客にも大好評、と私は聞きながら、微笑んで・・。

2011-02-23 14:25:47 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
過ぎし2月13日より山形県の銀山温泉に4日ばかり滞在した後、
『最上川の船下り』を25年ぶりに乗船した・・。 

初めて『最上川の船下り』をした時は、1986(昭和61)年の2月下旬で、
私達夫婦は初めての団体観光ツアーに参加して、冬の時節に周遊したりした。


私達は、今回の旅の二ヶ月前の頃から、
『最上川の船下り』に関して、【最上峡芭蕉ライン観光(株)】のホームページを見たりしていた。

この『舟下り』、『施設案内』などを見たり、
あの当時よりも豪華な設備となった、と私は家内に云ったりしていた。

http://www.blf.co.jp/
☆【最上峡芭蕉ライン観光(株)】ホームページ☆


私達は舟下り乗船場の前の大きな建物の戸澤藩船番所に入り、
私は売店の一角にある日本酒のコーナーで、何か良き四合瓶はないかしら、と探した・・。
結果として、『純米吟醸酒 最上川』(小屋酒造)として、
サブタイトルには、『北国浪漫(きたぐにろまん)と明記され、
私は美味しいそうな純米酒で、心身の波長に合いそうな予感がした。


この後、この戸澤藩船番所で、担当カメラマンが私達夫婦の記念撮影し、
60代ぐらいの男性の案内人兼船頭さんに引率されて、舟下り乗船場への階段を下りて向ったが、
若い20代の男女、そして私達夫婦だけが乗船客だった。

船内は炬燵が四つばかり設置されて、定員25名と明記されていたので、
私は思わず微苦笑したりした。

案内して下さる船頭さんが、船首の最前列に座り、
炬燵の最前列に私達、最後方の炬燵には若い20代の男女、そして船尾に舵取りの男性で、
この舟は出航した。


私は炬燵の上のテーブルに、『純米吟醸酒 最上川』と頂いたプラスチックのぐい呑みを置き、
身も心もゆだねるように、川沿い、そして山里の雪景色を観ながら、呑みだしたのであるが、
偶然に私の心身の波長に合う日本酒のひとつとなり、
めぐり逢えた『純米吟醸酒 最上川』に、ひたすら感謝したりしていた。

この後、渋さナンバーワンとして有名な案内人兼船頭さんが、

♪私しゃ真室川の 梅の花 コーオリャ
 あなたまた このまちの鶯よ
 花の咲くのを 待ちかねて コーオリャ
 蕾のうちから 通って来る

と『真室川音頭』の歌を唄いだしたので、私も家内も最初から手拍子して、
私は聴き惚れていたのである。

この後、この有名な案内人兼船頭さんが、
『この『最上川の船下り』は、日本の各地からお越し頂いて・・感謝していますが・・
韓国、台湾、中国の方たちにも・・多くの方がご乗船頂き、嬉しく思っている次第です・・
昨年の秋、台湾の団体のお客様が・・山形空港や庄内空港に直行便のチャータ機でお越し頂きました』
とにこやかな笑顔で私達に教えてくれた。

この後、『おしん』に関する歌を唄ってくれた。

確か27年前頃、NHKのテレビ・ドラマの『おしん』が歴代第一位の驚異的な視聴率となり、
この中で少女のおしんが出稼ぎに行く時、最上川を筏(いかだ)に乗ったおしんが、
祖母、父、母らに別れシーンに於いて、最上川の情景は圧倒的に多くの人々に感動をもたらした。

このドラマは、その後、各国で放送されて、特に発展途上国の人々に勇気と感動を与えたのは、
周知の事実である。

このような思いで私は聴いたりしていたが、私は農家の児として育てられ、
小学生の半(なか)ばに、大黒柱の父、そして祖父に病死され、
我が家は没落し、生活に困窮した体験があったので、
『おしん』に関する歌を改めて聴き、私は涙がこぼれそうになったりした。


この後、この有名な案内人兼船頭さんは、最上川に関する小唄を、
日本語を中核に、韓国語、中国語もまじえて唄たわれたので、
私は微笑みながら、切磋琢磨し努力して覚えられた、と感心させられ、
思わず案内人兼船頭さんの顔を見たりした。

そして、確かに韓国、台湾、中国の観光客にすれば、
この最上川の四季折々の光景は、そして周囲の情景も本国にない圧倒的な美しい情景であり、
その上、周辺の温泉、宿・・なども感激させられるのは、自国の私は何となく理解できる。

私は国内旅行の旅先で、層雲峡、箱根などで、韓国、台湾、中国の観光客に出会った時、
カメラのスイッチを押したり、付近に観光案内書があった時は手渡したり、
片言の英語の単語をならべながら、微笑みながら接したりしてきた・・。

無力な私のささやかなインターナショナル・コミニケーションかしらと思いながら、
本来であれば、そのお方の自国の言葉で重ねるのが最良であるが、
つたない私は無念ながら、英語の単語さえ思い浮かばない時もあり、ただ微笑の時もある。

このような思いを馳せながら、私は下船した。


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