夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

九月が終わって・・♪

2005-09-30 18:55:00 | 定年後の思い
猛暑の季節も初旬頃まで続いていたが、
東京の郊外にしては短時間で、記録的な豪雨の日もあった。

親戚の叔父が亡くなったり、
NHKで成瀬巳喜男・監督の特集映画が放映されたのを観たりした。

そして衆院選の投票日が11日、実施されたが、
それ以前は選挙の宣伝カーが私の家の周辺でも走り廻っていた。
開票後、色々とテレビ・ニュースを観たり、新聞を読んだりして、
色々と興味が尽きなかった。

アメリカン芙蓉、紫露草、玉すだれ等の花を観て、
日々を共に過し、この九月は終わった。


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次期、首相の確定?!

2005-09-30 10:27:27 | 時事【政治・経済】等
今朝の読売新聞で政治資金が採り上げられていたが、
その中で「ポスト小泉」候補の収入額の記事があった。
転記させて頂きます。

「ポスト小泉」候補のうち、
自民党有力者4氏の資金管理団体や後援会の収入総額を比較した結果、
安倍・幹事長代理が抜群の資金力を示していることがわかった。

読売新聞の調査では、安倍氏は2億200万円を集め、
前年より20%増やした。
収入の58%は、パーティーによるもので、
医療、製薬関係の業界系政治団体の購入が目立った。

続く麻生・総務相の収入は、1億3000万円で、前年より10%減。
政治献金が1600万円だったのに対し、
パーティー収入が1億1100万円を占めた。

福田・前官房長官は、前年比15%増の5400万円。
90%がパーティー収入だった。

谷垣・財務相は、前年比8%減の3700万円で、
パーティー収入が2800万円、献金900万円。

小泉首相の収入は、昨年より8%減の5100万円だった。

以上が新聞記事の全文です。

集金力から観れば、安倍氏がダントツであり、
この面からして次期首相は、安倍氏となる。

私は2010代初頭までにプライマリー・バランス(基礎的財政収支)を
黒字化を具体的な改革スケジュールを提示し、実施させる意欲の方に
次期首相を望みます。

以外案として、政界の経験の少なく、垢の少ない人、竹中・経済財政相が
清新として期待するのも一つの方法と思える。
ただ、経済関係は良いが、国際間、外交等には未知が多いのであるので、
副首相として安倍氏を起用して、二人三脚が望ましい。

こんな思いつきを考えた。

尚、小泉首相には任期の期間まで、
死ぬ気で改革を前進させる責務があることは、いうまでも無い。
コメント (4)
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朝の陽につつまれて・・♪

2005-09-30 07:24:00 | 定年後の思い
早朝、庭先に出ると、澄み切った青空の中に、わずかな雲がゆったりと流れていた。

朝陽がゆっくりと、庭先を照らしてきた。
私の身体は、限りない優しい陽の光につつまれて、陶然した。

月末か、と思い出したように、自分に言い返す。

退職後の今の生活に馴染むと、ともすれば曜日の感覚が失くしてしまう。

現役の時は、第三四半期の締日なので、
休日前の金曜日に当たると尚のこと忙しかった、と想い出した。

定年後を一年近い今、こうした業務の多忙時代があったことは、遠い世界のことに思われた。

陽が高く昇り、この居間は朝陽につつまれている。

秋の朝、朝の陽が限りなく優しさを感じた、ひとときです。



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秋の夕闇(ゆうやみ)・・♪

2005-09-29 19:57:00 | 定年後の思い
東京の郊外も爽やかな秋晴れの一日でした。

日中、庭で煙草を喫っいたら、
陽差しが射している方に身体が、何となく行く。
ついこの前の夏の間は、樹木の木陰で立ち竦んでいた・・。

暑い時は木陰に、爽やかな秋日和になると、陽差しのある方に本能的に行ってしまう季節となった。

先程、夕闇になった庭先に立つと、
玉すだれの白い花とサフランの黄色い花が、夕闇に浮んでいるように観えた。

鈴虫の鳴き声は聴こえ、しばらくすると合唱するかのように、右辺の塀付近からも聴こえて来た。

秋たけなわの夕闇のひとときでした。





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見苦しい、国会議員達・・♪

2005-09-29 10:17:00 | 定年後の思い
昨日の衆議院の『代表質問』の国会中継を観ていたら、
見苦しい限りと思い、

私の別日記【続・極楽とんぼ】に綴りました。

お読み頂けましたら、幸いです。

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見苦しい、国会議員達・・♪

2005-09-29 10:10:42 | 時事【政治・経済】等
昨日の日中、NHKで衆議院の『代表質問』を観ていたが、
私は何時も不思議な面持ちとなる。

自民党、民主党を始め、国会議員の人々は、
演説席で述べられている人に対して、ヤジを飛ばす。
テレビの座談会でも、発言者に対し、ヤジる。

発言者に対して、静観し拝聴する言動が何故取れないか、
という事である。

私は日本の国会の歴史は無知であるが、
吉田茂首相の時代から、お互いにヤジっていた、
と記憶する。

少なくとも国会議員は、国民から選出された方であるので、
心に節度、を取るのが論争以前の話である。

小学生の人が、これらを観ていたら、
大人のひとりとして、恥ずかしい限りである。
情操教育など、とても子供に対して大人は言えなくなる。

国会の答弁、テレビの座談会など
発言される方に静観した上で、反論するのが常識である。
悪き習慣を持ち合わせた国会議員は、見苦しい限りである。

ヤジる暇があるなら、ご自分の政治信条、政策課題を深めなさい、
と私は思います。

野球などのスボーツの世界と違い、
少なくとも国会議員は真摯な態度の言動で望むのが、
国民に信託された最低限の責務である。

小泉首相は、国民の声を聴きたい、とこの前の衆院選の時、
述べられていたが、
私は国会議員たるものは、真の大人の言動をとれ、
と私は国会議員の全員に言いたい。
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サフランの咲く朝・・♪

2005-09-29 08:54:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、澄み切った秋晴れの爽やかな朝です。

庭先に出ると、朝の陽を受けたサフランが数多く咲いている。

25年前頃、春の花のクロッカスとチューリップ、
そして秋のサフランを家内が買い求め植えたものである。

それぞれ5粒であったが、今や100以上に増えている。

ここに二日程前から、サフランは咲き始めている・・。

我が家のサフランは、紫色や白い花でなく、黄色い花である。

この家の主(あるじ)の性格にふさわしく、変わり者である。

玄関庭と主庭に咲いているが、黄色い花が微風にわずか揺れており、
可愛げな情景をもたらしてくれる。

洋花の嫌いな私でも、こうした光景を見ると、
いとおしさにつつまれる。
それだけ私が歳を重ねたせいか、と思った。

清々しい朝のひとときでした。


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柚(ゆず)の香り・・♪

2005-09-28 17:21:00 | 定年後の思い
私の庭に一本の柚の樹がある。

以前に綴ったことがあるが、伊予柚である。
小振りな実であるが、昨年の秋は、百以上をたわわに実をつけて、
秋から初冬にかけて、夕食に彩りをもたらしてくれた。

今年は、白い花が五月ごろに見出すことができず、
結局たった二つの実を付けているだけであった。

柿の実と同様に柚の実も、一年置きであったのかしら・・。
或いは、今年から私の隠居生活の姿を見て、
私も実を付けるのはやめよう、と思ったかは定かでない・・。

今年の秋は、買い求め、夕食の時に添えよう、と思った。
暖めたお酒を呑み、柚をスライスにしたのを口に含むと、
香りが口の中に広がり、秋が受容できた想いが強まる。

やはり柚の香りのない秋の日は、寂しく侘(わび)しいものである。



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二極化の社会と生活・・♪ ④

2005-09-28 12:37:00 | 定年後の思い
今回は、富裕層に対しての私の思いを、

私の別?E①畋魁Χ乏擇箸鵑棔曚膨屬蠅泙靴拭?br>
お読み頂だいた上、ご笑話頂けましたら、幸いです。
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二極化の社会と生活・・♪ ④

2005-09-28 12:02:25 | 時事【社会】
昨夜の読売新聞の特集連載記事で、
【あっと ほーむ ケイザイ】に於いて、
今週は、《富裕層向け金融サービス 活性化》であった。

この中の記事で、個人金融資産の分布があったので、
ある所にはある、と素直に思った。
記事を引用させて頂きます。

野村総合研究所の推計によると、
2003年度には、78万世帯が負債を除いた純金融資産が1億円以上に上がった。
5000万円以上は、324万世帯となるという。

こうした世帯に金融機関が着目している背景には、
大口金融や広く一般に向けた小口金融など、
従来型の事業が頭打ちになりつつあるという事情がある。
裕福な層を顧客にすることで、
金融商品の販売などで生じる手数料収入の増加が見込める。
また、こうした人々は企業の経営者である場合が多く、
個人と企業の双方を一度に顧客に獲得できる利点もある。

そして、別表で、

 純金融資産・・・・5億円以上・・・・6万世帯
          1億円以上・・・72万世帯
       5000万円以上・・246万世帯
       3000万円以上・・614万世帯
       3000万円以下・3882万世帯

と個人金融資産の分布表が載っていた。

私はサラリーマンであったので、昭和45年頃、
銀行に生涯のマネー・プランのパンフレットが置いてあった。
サラリーマンの主人、そして結婚して妻との間に、息子と娘の
四人家族となり、住居を購入する。
やがて教育を受けた子供は、結婚し、自分達は老後の生活を
迎える・・。

日本の家族の理想像を描かれていた。

5、6年前に何かの雑誌で見たが、
サラリーマンは生涯働いても、2億3000万円前後しか取れないので、
先が見えて嫌になった、
とある一流会社に勤めている35前後の人が、起業した、
談話が載っていた。

確かに私の現役時代は、数多いサラリーマン同様に、この程度の収入である。
世間一般の生活をし、働いて家庭を営なんだ結果、
純金融資産は想像できる。

サラリーマンで栄達し経営層に携わった方、
裕福な親の資産を相続された方、
或いはサラリーマンを脱皮して成功するか、
自営業で成功するか、各界で成功された方、
こうした数少ない人々が富裕層を形成していると思えます。

私は現役を退いた今、個人金融資産の分布表を観て、
この程度に属しているのか、と思っている。

堺屋太一・氏が綴っていたが、
ある高級住宅街で豪壮な家にぽっんとご年配の方が
お1人で住まわれている、
と読んだことがある。

負け惜しみの私は、程々の庭があり、家内と話し合いを出来て
生活している今、
人生は負けるのも勝ちだ、と呟いている。

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数年、懸(か)けて・・♪

2005-09-28 09:43:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、どんよりとした曇り空です。
ちょっと肌寒く、昨日より温かめの長袖のスポーツ・シャツをきている。

気温は20度前後で、落ち着いた一日となりそうです。

昨夜、11時に寝たが、深夜の1時過ぎに目覚めた。

神経が不思議と高ぶり、創作の小説を書かなくちゃ駄目だょ、ともうひとりの私が問いかけている。

題材は、夢の中でヒントが与えてくれたので、書き出そうかなぁ、と思った。

若き頃、小説の真似事を綴ったこともあるが、
体力の衰えた今、60を過ぎた時の蓄積で書くのもひとつの方法かなぁ、と感じた。

時を数年ついやして、つづり終われれば、これに越したことはない、と別プログに概要を書き始めた・・。
当面、ある程度の形になるまで、非公開とした。

このような事をしていたら、朝の5時になり、新聞が配達されたので、読み込んだりした。
6時になり布団にもぐり、8時過ぎに目覚めた。

今はぼんやりと、庭先を見詰めている。

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9月27日に生まれて・・♪

2005-09-27 19:27:00 | 定年後の思い
私は昭和19年9月27日に生を受けた。

この頃、東京の郊外でも、軍事工場が近くにあったので、ときたま空襲があり、
私の生まれた家でも近くにあり、多少の影響を受けた。

私の家では、農家であったので、宅地の外れに大きな防空壕で備え、
母屋と防空壕、そして田畑を行き来していた、
と後年になった時、聴いた。

こうした敗戦濃厚の時代に生を受けたので、
小学校の高学年の時、一葉の写真を見た時は、
その夜は子供ながら、浅い眠りとなった。

この写真は、天皇陛下の横で悠然とたたずむマッカーサー元帥の姿であった。

そして私の生を受けた一年後であったので、なおさら印象深く、私の心に残った。

今朝の読売新聞の『編集手帳』にも綴られていたので、引用させて頂きます。

昭和天皇が東京・赤坂の米国大使館に
マッカーサー元帥を訪問したのは、
1945年(昭和20年)9月27日であった。

2日後に新聞各紙に写真が残った。
モーニング姿で直立する陛下の隣で、
開襟シャツの元帥が腰に両の手を当てて悠然とたたずむ。
勝者と敗者の違いを伝えて、余すところがない。

以上、新聞記事から引用しました。

私は小学校より、アメリカに対して複雑な思いで昭和50年を迎えた。

この頃までは、敗戦の間際にソ連が北海道占領プランがあった、
とおぼろげながら何かの本で読んだりしていた。

昭和50年のなかば、一冊の本に出会った。
『ドキュメント昭和史』(平凡社・発行)の全8巻を購入し、読み耽っていた。

この中で、第6巻目に《占領時代》を読み、この敗戦直後の状況を教示してくれた。

【日本分割占領案】が歴然と存在していた。
各国の国益をかけた外交が行なわれ、
最終的にはアメリカのトルーマン大統領の国益の基に、
アメリカ人の連合国司令官の下で統治された。

この書物のお陰で、アメリカを静観した形で、アメリカを観ることが出来た。

あの敗戦の一年後に近い9月27日は、陛下と元帥の写真を蘇るたびに、
勝者から観た歴史の背景を知り、より一層鮮明な日の想いとなった。




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爽やかな微風で想う・・♪

2005-09-27 13:37:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、薄日の射す爽やかに落ち着いた秋の日です。

長袖のスポーツシャツで過ごすのに快適な気候となりました。

四、五十代の女性が、ワンピースに巻きスカートを召していたら、
美はここに極(きわ)めり、と余計なことを思っています。

庭の樹木には、爽やかな微風が吹き抜けて折り、煙草を喫っていましたら、
岩崎宏美の『思秋期』が脳裏を掠(かす)めた。

♪心ゆれる秋になって 涙もろい私
 青春はこわれもの 愛しても傷つき 
 青春は忘れもの 過ぎてから気がつく

作詞家の阿久 悠・氏の書かれた詞であるが、
やはりこの人の感性は、娘心の想いを的確に掬(すく)い上げた才能の持ち主、
と改めて思った。

時代は過ぎ去っても、良い詞は心に長く残る・・と思ったりした。

微風は相変わらず、樹木の間を吹き抜けています。





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真夜中の鈴虫・・♪

2005-09-27 02:18:00 | 定年後の思い
昨日の日中、庭の手入れをいていたので、
夕食後、しばらくするとだるくなり、8時過ぎに布団にもぐった。

先程の1時前に目覚め、こうしていても鈴虫の鳴き声が居間まで聴こえて来る。

庭先に出たら、三方から鈴虫の鳴き声が聴こえて来た。
鈴虫には、朝方、昼方、夜方があり、
フレックス・タイム制度でいうコア・タイムは真夜中と思われる。

鈴虫の全員総出で鳴いているように聴こえる。
秋たけなわのひとときです。

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昼の鈴虫・・♪

2005-09-26 15:54:00 | 定年後の思い
先程まで、庭の手入れをしていた。
草むしりを主体に行なって、ときたま休憩を兼ねて、煙草を喫っていたら、
鈴虫の鳴き声が聴こえてきた・・。

朝と夕方、そして夜に鳴くのは、この夏からの風物詩であるが、
昼の間に鳴くのを聴くのは稀である。

この鈴虫は、何時お休みになるか、気がかりである。
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