夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

感銘された映画の作品、自宅で鑑賞する時は、なぜかしら季節に応じて・・。

2013-06-29 16:21:55 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
若き時期のひととき映画青年の真似事をしたこともあったので、
読書が最優先であるが、ときおり居間で映画を観たりしている。

そして私なりのつたない鑑賞歴でも、魅了された作品は、何回でも観るタイプである。

例えば邦画の場合は、『二十四の瞳』、『東京物語』、『浮雲』、『雨月物語』等である。

洋画に関しては、『街の灯』、『市民ケーン』、『第三の男』、『逢びき』、『ライムライト』、
『ジョニーは戦場に行った』等は、10年ごとに観たりしている。

或いは最初の一ヶ月に於いて、少なくとも10回以上熱中して観る映画もある。
邦画の『七人の侍』、『用心棒』、『駅~STATION~』、
洋画の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『ディア・ハンター』、
『ゴットファーザ Ⅱ』などが鮮明に記憶に残っている。
               

私は1944(昭和19)年に東京郊外で生を受けて、
小学3年の頃から独りで映画館に行き、邦画に魅せられて、中学からは洋画にも魅了され、
これ以降は映画の愛好者のひとりなった・・。
やがて映画専門誌の『キネマ旬報』なども愛読し、シナリオにも関心をもち始めて、
シナリオライターになりたくて、大学を中退したのが、1964(昭和39)年の秋であった・・。

まもなく養成所の演出コースに入所して、アルバイトをしながら映画青年の真似事をしたりした。
その後は講師の知人の新劇のある長老のアドバイスにより、
契約社員をしながら、小説を書き始めて、文学青年の真似事をした。

そして、習作に励んだりし、純文学の新人賞に応募したが、最終予選の6編の直前で3回ばかり落選し、
あえなく敗退し、挫折した。

この後、1970(昭和45)年にある民間会社に何とか中途入社し、
35年ばかり勤めて定年を迎えた身である。
          
このように若き時代の一時には、映画館に通ったりして、程ほどに映画作品を鑑賞してきたので、
1966(昭和41)年頃までに上映された作品は知っているつもりであるが、
その後は数多くのサラリーマンと同様に多忙な時代を過ごしたので、余り鑑賞する機会がなくなった。

定年後は年金生活をして、ときおり居間の映画棚に保管してあるビデオテープ、DVDの1000作品ぐらいを
居間のテレビを通して鑑賞したりしている。

しかしながら、2000(平成12)年頃までに制作された作品が圧倒的に多いので、
古き良き時代の映画の愛好者のひとりかしら、と微苦笑する時もある。


私は定年退職の5年前頃の2000(平成12)年の当時は、
退職後にその時に観たい映画として、100作品前後の名作があればよいと考えていたが、
瞬(またた)く間に増えだした・・。
やむえず、250本収納できるビデオ・ラックを2本買い求め万全とした。

しかし、時代はビデオ・テープからDVDに移行期の上、
私のソフト販売店からの購入、或いはWOWOW、BS2からのコピーが増えて、
天上までとどく、幅広い大きなラックを買い増ましたりした。

そして今日は、邦画、洋画、映画以外のドキュメンタリー、音楽の四つの区分で、
ビデオ・テープ、DVDが並んでいる。


そして私はその時に観たい映画作品をラックの前で選定したりするが、
何故かしら、やはり季節に応じて観てしまうのである。
          
冬の季節の時などは、『アラビアのロレンス』、『プラトーン』、
『イングリッシュ・ペイシェント』等の砂漠、荒野、ジャングルの背景が多くなるのである。

そして夏の時節は、『ドクトル・ジバコ』、『カサブランカ』、『かくも長き不在』等の
寒冷地、静寂な戦争を背景にした選定が多くなるのである。

不思議なことであるが、猛暑の夏の時、『アラビアのロレンス』の砂漠、
『戦場にかける橋』の熱帯林の背景は、暑くて落ち着かないのである。

かといって、居間を寒いぐらいに冷房を冷やして、
鑑賞するのは映画の内容からして、おかしな事と思ったりしている。

このようにして私は鑑賞しているが、1950年代、1960年代の公開された作品が圧倒的に多く、
ときおり私は、どうしてかしらと微苦笑したりしている。


そしてここ10年、ハイビジョン映像をHD画質のままで記録できるBlu-rayに戸惑い、
身過ぎ世過ぎの年金生活なので、困ったなぁ、と苦笑したりしてきた。

一昨年の『地上デジタル放送』の7月24日の実施日に、やむなく対応して、
遅ればせながら、我が家でも3D機能のあるテレビの50型、
そしてブルーレイディスク・DVDレコーダーを設置した上、
従来から愛用していたビデオテープも再生専用として、接続した。

このような状況で、私が感銘させられた名画をテレビを通して鑑賞したりしている。


そして私の拙(つたな)いなりの観賞歴であるが、過ぎし年に私はベストテンを勝手に選定している。
映画専門雑誌の名高い『キネマ旬報』の1999年10月上旬特別号 として、
『映画人が選んだオールタイム・ベスト100の外国映画編』を購読し、
私なりに喚起させられて、まもなく選定した私の洋画のベストテンである。

『キネマ旬報』のベストテン《参考》1999年10月上旬特別号
               
①『第三の男』キャロル・リード監督 (1949年)

②『2001年宇宙の旅』スタンリー・キューブリック 監督(1968年)

③『ローマの休日』ウィリアム・ワイラー監督 (1953年)

④『アラビアのロレンス』 デイヴィッド・リーン監督(1962年)

⑤『風と共に去りぬ』ヴィクター・フレミング監督(1939年)

⑥『市民ケーン』オーソン・ウェルズ監督(1941年)

⑦『駅馬車』ジョン・フォード監督(1939年)

⑦『禁じられた遊び』ルネ・クレマン監督(1952年)

⑦『ゴットファーザー(三部作)』フランシス・F・コツポラ監督(1972・1974・1990年)

⑦『道』フェデリコ・フェリーニ監督(1954年)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私の選定は、

①『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』セルジオ・レオーネ監督(1984年)

②『ディア・ハンター』マイケル・チミノ監督(1979年)

③『イングリュシュ・ペイシェント』アンソニー・ミンゲラ監督(1979年)

④『ピアノ・レッスン』ジェーン・カンピオン監督(1993年)

⑤『かくも長き不在』アンリ・コルピ監督(1961年)

⑥『街の灯』チャールズ・チャップリン監督(1931年)

⑦『ゴットファーザー(三部作)』フランシス・F・コツポラ監督(1972・1974・1990年)

⑧『自転車泥棒』ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1948年)

⑨『ジョニーは戦場へ行った』ドルトン・トランボ監督(1973年)

⑩『逢びき』 デイヴィッド・リーン監督(1945年)

数多(あまた)の感動をもたらしてくれた作品の中より選定するのが、
もとより酷な作業で、『時』が人生にもたらす影響をヒントに選定しましたが、
上記のいずれがベストワンになっても良い作品です。

尚、選定の際に於いて、 『第三の男』キャロル・リード監督 (1949年)、
『市民ケーン』オーソン・ウェルズ監督(1941年)、『アラビアのロレンス』 デイヴィッド・リーン監督(1962年)、
『許されざる』クリント・イーストウッド監督(1992年) 、『カサブランカ』マイケル・カーチス監督(1943年)等は
最後まで検討した作品です。

《1999年9月29日、私の日記より》

小説、映画、音楽などの選定の結果、その人の性格、人格、思想を表わす、と改めて思った次第です。


この後も、キネマ旬報』の1999年10月下旬特別号として、
『映画人が選んだオールタイム・ベスト100の日本映画編』を購読し、
私なりに喚起させられて、まもなく選定した私の邦画のベストテンである。

『キネマ旬報』ベストテン《参考》1999年10月下旬特別号
               
①『七人の侍』黒澤 明・監督(1954年)

②『浮雲』成瀬巳喜男・監督(1955年)

③『飢餓海峡』内田吐夢・監督(1964年)

③『東京物語』小津安二郎・監督(1953年)

⑤『幕末太陽傳』川島雄三・監督(1957年)

⑤『羅生門』黒澤 明・監督(1950年)

⑦『赤い殺意』今井昌平・監督(1964年)

⑧『仁義なき戦い』シリーズ 深作欽二・監督(1973~74年)

⑧『二十四の瞳』木下恵介・監督(1954年)

⑩『雨月物語』溝口健二・監督(1953年)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私の選定は、

①『駅 STATION』降旗康男 ・監督(1981年)

②『用心棒』黒澤 明・監督(1961年)

③『人間の條件(全六部作)』小林正樹・監督(1959~61年)

④『東京物語』小津安二郎・監督(1953年)

⑤『七人の侍』黒澤 明・監督(1954年)

⑥『浮雲』成瀬巳喜男・監督(1955年)

⑦『雨月物語』溝口健二・監督(1953年)

⑧『飢餓海峡』内田吐夢・監督(1964年)

⑨『切腹』小林正樹・監督(1962年)

⑩『砂の器』野村芳太郎 ・監督(1974年)


洋画と同様に、【時】が人生にもたらす影響をヒントに選定しましたが、
上記のいずれがベストワンになっても良い作品です。

《2003年8月16日、私の日記より》

こうした選定作業の時、その人の人生を歩いてきた思考の全てが反映する、と改めて感じました。

このように当時の私は選定しましたが、邦画に関しては、ここ数年は、
小学5年生の時に、独りで映画館で観た『楢山節考』木下恵介・監督(1958年)が、
私のベストワンだ、と思い返したりしている。

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映画好きの方たちは、その作品を観た年代で評価は変貌する、と私は微苦笑し・・。

2012-04-22 00:34:02 | 映画・テレビ
私は齢ばかり重ねた67歳の身ながら、映画を観ることが好きである。
しかしながら感性は衰えた為か、殆ど20世紀に上映された作品を鑑賞することが多い。

私は小学4年生の頃から、独りで映画館に通ったりした映画少年で、
高校の時に遅ればせながら読書の魅力に取りつかれたりしたが、
脚本家の橋本 忍さんの『切腹』(監督・小林正樹、1962年)を観て、圧倒的に感銘させられ、
やがて大学2年の時に、映画の脚本家になりたくて、中退した。

そして専門の養成所に学び、この養成所から斡旋して下さるアルバイトをしたりして、
映画青年の真似事をし、シナリオの習作をした。

その後、養成所の講師の知人のアドバイスで、小説に転じ、
文學青年の真似事をして、契約社員などをしながら、小説の習作をしたりした。

純文学の新人賞に投稿していたが、三回ばかり最終候補6作品の寸前で敗退し、
落胆していた時、親戚の叔父さんから、
今は良いが、30歳を過ぎた時、妻子を養って家庭を持てるの、
と私は諭(さと)されて、
確固たる根拠もなく独創性があると自信ばかり強い私は、あえなく挫折した。

そして、やむなくサラリーマンに転職しょうと、軌道修正をした。
コンピュータの専門学校に一年ばかり学び、これを梃子(てこ)にした上、
ある知人のご尽力もあり、この当時は大企業のある音響・映像メーカーに、
中途入社できたのは、1970年の春であった。

この後、まもなくしてこの会社の一部が、外資系のレコード会社として独立し、
私もこの新たに創業された外資系のレコード会社転籍させられて、
本社に30年ばかり私なりに奮闘して務めた後、
音楽業界のリストラ旋風の中、私も出向を5年ばかり体験して、
定年退職となったのは2004年の晩秋であった。


私は定年退職後、その直後から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりしているひとりである。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、
たまたま作家・小池真理子さん著作の『恋愛映画館』(講談社文庫)、
そして作家の塩野七生さん著作の『人びとのかたち』を再読し、
映画批評を思い浮かべたりした。

私は映画批評の基本として、何年生まれで、何時鑑賞し、
何時に批評を書かれたかは最大の力点に於いている。

それぞれのお方なりに映画館に通って、
当時の映画を観たかは、社会の世相が当然加味されるから重要視している。

さしずめ私は1944年生まれであり、
小池真理子さんは1952年生まれ、
そして塩野七生さんは1937年生まれである。

こうした考えにたつと、例えば私が二十歳で封切館で鑑賞したとすれば、
もとより塩野七生さんは大人の風格があり、
小池真理子さんは少し大人びた中学生となる。

例えば、1964年の時代の名画のひとつの『かくも長き不在は』に関し、
塩野七生さんでしたら、明確な輪郭を持った筆力で表現でき、
私は背伸びしながら拙(つたな)いなりに表現が可能だが、
小池真理子さんの年齢を配慮すれば無理なことがわかる。

そして1966年の時代になれば、
たとえば『ドクトル・ジバコ』の映画となれば、
才気のある小池真理子さんは的確に批評が描き出される,
と思ったりしている。

この前提としては、当然それなりの情熱と知性、そして感性が必要であることは、
いうまでもないことである。

私は単たる映画批評といっても、それぞれの人なりに人生を歩まれてきた中で、
もとより主観も相違があるので、それなりに思想としての人生観の一部を
かいわ見ることが出来る。

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メリル・ストリープ、テレビに出演され、私は思いがけずに拝見し、改めて魅了され・・。

2012-03-16 15:35:17 | 映画・テレビ
私はいつものようにスーパーで買い物し、帰宅したら、
家内は居間でテレビを視聴していた。

私は何気なしにテレビ画面を見たら、
女優のメリル・ストリープさんが映し出されていて、
どうしてなの、と思いながら、
齢ばかり重ねた67歳の私でも、しばらく見惚(みとれ)れていた・・。
そして思いがけないプレゼントを頂いたので、
今日は『大吉』かしら、と私は勝手に解釈して、高揚しながら見たりした。

そしてテレビ朝日の『徹子の部屋』の番組に於いて、インタピューを受けられていると解った。
昨今、最新作の英国初の女性首相マーガレット・サッチャーを演じた『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で、
アメリカのアカデミー賞の主演女優賞に輝いたことは知っていたので、
この映画の宣伝で来日されて、
たまたま『徹子の部屋』に出演されている、と私なりに理解した。

私は映画を鑑賞するの好きなひとりであるが、
ここ10数年の作品は殆ど観ていないが、
古き良き時代の20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したりしている。

居間にあるビデオテープ、DVDの1000作品くらいある映画棚から、
ときおり抜き出して鑑賞している。

私は小学4年生の1955〈昭和30〉年の頃から、
独りで映画館に通い映画に圧倒的に魅了され、数多くの作品を鑑賞した映画少年で、
このことが原因で、やがて大学に入学しても熱愛が変わらず、
そして映画の脚本家になりたくて、中退し、映画青年の真似事をしたりした。

その後、文學青年の真似事に転じたが、数年後には挫折して、
やむなく民間会社に中途入社したのは、1970〈昭和45〉年の春であった。

数多くの方と同様にサラリーマンの多忙な生活を過ごし、
定年退職となったのは2004〈平成16〉年の秋であった。

私の映画青年の真似事を終わるまで、少なくとも邦画は2000作品、
洋画は3000作品を鑑賞してきたが、
その後のサラリーマンの多忙な時に少しは鑑賞してきたが、無念ながら激少した。

この激少した期間に、最も好感した俳優に於いては、男優だったならば、ロバート・デ・ニーロ、
女優はメリル・ストリープであった。

今回、テレビ番組に出演されたメリル・ストリープの容貌、しくさを拝見した後、
この方の出演され映画作品の中から、私が鑑賞してきた作品を思い重ねたりした。

◎『ディア・ハンター』 (1978年)
◎『クレイマー、クレイマー」 (1979年)
◎『ソフィーの選択」 (1982年)
◎『恋におちて』 (1984年)
◎『激流』 (1994年)
◎『マディソン郡の橋」(1995年)
◎『判決前夜/ビフォア・アンド・アフター」(1995年)
◎『ミュージック・オブ・ハート 」(1999年)

確かこのような作品だったと思い、この映画作品の数々のシーンを思い浮かべたりした・・。
もとより、メリル・ストリープさんは、これらの作品以外でも数多く出演され、
長らく第一線で活躍している状況・・20代から60代の今日まで人生を重ねると、
私は脱帽している。

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倉本聰(くらもと・そう)氏の幻の脚本『學』、テレビドラマ化されると知り、私は微苦笑し・・。【下】

2011-11-22 17:47:44 | 映画・テレビ
私が創作者・倉本聰(くらもと・そう)氏の脚本のひとつ『學(がく)』の作品を初めて読んだのは、
確か1993〈平成5〉年の12月の頃だった、と記憶している。

山岳を愛する専門誌として名高い月刊誌の『山と渓谷』の出版社(山と渓谷社)より、
別冊として『倉本聰の世界』(発行日・1993年12月20日)が発刊され、
私は敬愛している倉本聰(くらもと・そう)氏であったので、もとより購読したのである。

そして巻末に未発表のシナリオとして、この作品の『學(がく)』が掲載されていて、
私は精読した・・。
20年近く過ぎ去っている今であるが、
確か北アメリカの氷河をたたえる高山を背景に展開するドラマで、
読了後、テレビドラマ化、そして映画化でも、このような広大な背景で、人の心の深淵を描かれた内容は、
製作費を配慮すれば、とてもテレビドラマ、まして映画の作品で完成させるには困難な作品である、
と強く感じていたのである。

時は過ぎ、時代も変貌した今日、今回WOWOW開局20週年記念のひとつとして、
テレビドラマとして、2012年1月1日(祝・日)午後8時より放送されると知り、
WOWOWの英断もさることながら、何よりも氏の作品が視聴できることに悦んでいるひとりである。


私は無念ながら倉本聰氏にはお逢いしたこともないが、
数多くのテレビのシナリオを読んだり、放送されたテレビの作品を視聴したり、
映画の脚本、そして作品も観たりしてきた。
或いは随筆の数々の単行本を購読し、熱愛し読み始めたのは昭和が終る頃であった。

どなたでも作家の作品、シンガー・ソングライターの歌などで、偶然に接して、
ある日突然に心がざわめき魅了され、無我夢中に熱愛すると思われる。
私も創作家の倉本聰氏を書物で偶然に知り、
その後にある時から魅了されて、夢中に過去の作品を読んだり、観たりしたひとりである。

このサイトに於いても、私は創作家・倉本聰氏から、
数多く教示されたことがあり、投稿したりしているが、今回は省略する。


私が倉本聰氏の作品に初めて触れたのは、1975(昭和50)年1月過ぎであった。
映画の脚本家・橋本忍(はしもと・しのぶ)氏の『砂の器』のシナリオが読みたくて、
本屋で雑誌の『シナリオ』(シナリオ作家協会)の1月号を買い求めた。

その中に、東芝日曜劇場の『りんりんと』のシナリオがあった。
なんてシリアスなドラマを書く人、と倉本聰氏の作品に初めて知り、印象が残った。

この後、10数年後に私にとっては、倉本聰氏に信愛するひとりとなり、
現在まで続いている・・。

改めて、私は倉本聰氏からは、
作品はもとより、生活信条、創作の考え方、環境問題等で、多々ご教示を頂き、
人生は不思議な賜物(たまもの)がある、と深く思ったりしている。



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倉本聰(くらもと・そう)氏の幻の脚本『學』、テレビドラマ化されると知り、私は微苦笑し・・。【上】

2011-11-22 10:24:57 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
先ほど、ネットでニュースを見ようと、【YAHOO! JAPAN】の数々のニュースを読んだりしたいたが、
この中のひとつの見出しに、

《 倉本聰、“20年越し”ドラマは『北の国から』ネガティブ版 》

と明記されていたので、私が長年に敬愛している創作者・倉本聰(くらもと・そう)氏であるので、
どのようなことなのかしら、と思わずクリックした・・。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111121-00000317-oric-ent
☆【YAHOO! JAPAN】<==
     【オリコン】<==《 倉本聰、“20年越し”ドラマは『北の国から』ネガティブ版 》 ☆

そして、WOWOW開局20週年記念のひとつとして、
長らく幻の脚本と知られた『學(がく)』がテレビドラマとして、
2012年1月1日(祝・日)午後8時より放送されると知った。

この後、この下段に掲載されている関連記事のひとつで、
《倉本聰、最新作は「『北の国から』のネガティブバージョン」(cinemacafe.net)》
精読し、氏の『學(がく)』の創作意図を私は学んだりした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111121-00000026-flix-movi
☆【YAHOO! JAPAN】<==
     【シネマトゥデイ】<==《 倉本聰、幻の脚本がドラマ化!WOWOW開局20周年記念「學(がく)」は「北の国から」のネガティブバージョン! ☆



私がこの『學(がく)』の作品を初めて読んだのは、
確か1993〈平成5〉年の12月の頃だった、と記憶している。

この当時の私は、音楽業界のあるレコード会社の管理畑に努め、
外資の親会社の要請で、資本下にある日本のレコード会社のふたつが合併して、まもない時であり、
私なりに与えられた職責に奮闘していた時でもあった。

                            《つづく》

後編は、私なりのこの『學(がく)』の作品を含め、
創作者・倉本聰(くらもと・そう)氏に関しての思いを綴る。


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NHK Eテレ 『地球ドラマチック』、齢ばかり重ねた私は、地球と月の相関関係を学び・・。

2011-09-18 12:43:24 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であるが、
昨夕、家内が『7時から・・NHKのテレビで『地球ドラマチック』放送するの・・
興味津々だわ・・あなたも見ませんか?』
と私は言われたりしていた。

私は新聞のテレビ番組表を見て、
Eテレで『地球ドラマチック』シリーズに於いて、
『月と太陽の神秘(1)地球が月と離れる日』という番組と知った。

私はこの後、ネットでNHKテレビ番組案内表を検索して、
《・・
地球から月が離れてしまったら、一体何が起きるのか?
私たちの生活に様々な影響をもたらしている月は、毎年数センチ、地球から離れている。
その影響をシミュレーション。

月は毎年、数cmずつ地球から離れている。
計算上では、現在の距離の1割を離れると、地球を公転する軌道から外れてしまう。
月は、地球にどんな影響を及ぼしているのか? 
月が離れてしまった地球は、いったいどんな世界となるのか? 
調査研究で明らかになってきた地球と月の関係、そしてシミュレーションCGが描き出す、
月が遠ざかった後の地球の姿。
(2010年アメリカ Earth without Moon)
・・》
このように明記されていた。


私は宇宙とか科学の分野などは、恥ずかしながら無知であり、
中学の『科学』、高校の時の『物理』などの授業の時は興味もなく、劣等生のひとりであり、
高校の時などは新潮文庫、岩波文庫などで小説を読んだ一節を思い浮かべたりしていたので、
月は眺め愛〈め〉でるものである、と深く感じたりしていた。

その後、アメリカが月に探検した時は、とんでもないことをしてくれた、と思い、
心の純潔を汚されたような心境であった。

私は海辺の満潮、干潮の満ち引きは、月の影響でされていることは知っているぐらいで、
大型のタンカーなど荷物を満載した船が、どうして海に浮かび、走行できるのか、
いまだに解らないひとりである。


このような私は家内の誘いで、『月と太陽の神秘(1)地球が月と離れる日』を視聴したのであるが、
地球と月の関係は、限りなく重要な相関関係であり、
たとえば月の影響をなくした地球は、想像もできないほどの甚大な影響をもたらすことも学び、
動顚させられたりした。

そして太陽と地球、そして月、或いは太陽系の火星、金星などとの地球の相関も学び、
このようなことで私たちの住む緑と水の豊かな惑星の地球が、
このように維持されているのか、と齢ばかり重ねた私は、遅ればせながら、
初めて学んだのである。

天文を専攻した学者の人たちから、図説を含めて優しく解説して下さったので、
小学生から誰でも解りやすい初心者向けの良質な番組内容であったが、
私は番組を視聴しながら、一度で理解できなかった場合を心配し、同時録画したのである。

無知だった私は復習のように、先ほど録画した番組を再び視聴しながら、
このように地球は月、そして太陽系の太陽を中核とした惑星に支えられている、
ことが鈍〈にぶ〉い私でも、そうですよねぇ、心の中で呟〈つぶや〉いたりした。


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ここ一週間、読書よりテレビを視聴することが多く、学びながら改めて現実に悲しみを深めて・・。

2011-09-09 14:17:09 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


このような生活を過ごして年金生活7年生となっているが、
ここ一週間ぐらいは読書よりテレビを視聴することが圧倒的に多く、我ながら苦笑したりしている。

過ぎし3日の土曜日に、NHKのBS1に於いて、アーカイブスとして『BS1が見つめた9.11.テロ」の特集番組で、
午後の2時より、『なぜアメリカは戦うのか』、『翻弄された亡命イラク人 ~アメリカ ディアボーン~』を
私たちは4時間近く視聴した。

そして日曜日の4日の日曜日に於いても、午後の2時より、
『ジハードの返還』、『ハイジャク』、その後に『歴史学者J.ダワーが語る米テロとの戦い』を視聴した。

月曜日の5日の午前9時半になると、NHK BSプレミアムに於いて、
『9.11テロを撮ったカメラマン・衝撃の体験と迫真の写真』、
そして『テロを撮ったカメラマン~NYからアフガニスタンへ』を視聴した。

その後もNHK BSプレミアムに於いて、『アメリカ同時多発テロから10年』の特集番組を視聴し、
やむなく外出、庭の手入れの時は、録画して、
その後のひとときに視聴したりした。

ここ4日前頃から、読売新聞に於いても『9.11から10年 ~変わる世界~』として、
『9.11同時テロ』の関しての変貌するアメリカはもとより主要国の実態の記事が掲載され、
私は精読したりしてきた。


この間、過ぎし『東日本大震災』そして『福島原発』に関する問題も、
私は無力であるが深く関心があるひとりであるが、
NHKテレビの夜10時から、『明日へ 再起への記録』と題し『東日本大震災』に関連した
家族を主軸としたドキメンタリー連続番組を視聴したりした。
この番組は3月11日の被災された日から今日までの6か月の日常生活の状況はもとより、
その家族のひとりひとりの心の中までの深淵を描いた内容で、
私は圧倒的に感動させられて、涙ぐんだりしてきた。


こうした中で読書する時間より、テレビ番組を視聴してきた。
たまたま昨日は、日中は庭の手入れをしたが、夜の時間は私としては稀なテレビっ児となった。

夜の7時半過ぎから、NHKテレビで『クローズアップ現代』の番組に於いて、
『同時多発テロから10年』と題して、テーマは〈”テロ対戦争”続く戦場の悲劇〉、
〈アメリカの衰退・広がる不寛容〉、〈不気味なアルカイダの動き〉、〈中東の春〉、
〈世界はどこに向かうのか?〉を特例の1時間15分を視聴した。

その後は、殆ど毎日視聴している『ニュースウオッチ9』の番組後、
10時より、、『明日へ 再起への記録』を視聴した。

今回は、『家族は放射能の向こうに ~ある“原発避難者”の6か月~』であり、
番組の解説文をお借りすると、
《・・
津波によって3人の家族が行方不明となった木村紀夫さん。
しかし原発事故による放射能汚染が、家族の捜索を阻みその死を悼む機会さえ奪った。
「原発震災」の現実を伝える。

東京電力福島第1原発の1号機~4号機が立地する“グラウンド・ゼロ”福島県大熊町に住んでいた木村紀夫さん。
巨大津波によって家族3人が行方不明となったが、
未曽有の原発事故による放射能汚染によって、家族の捜索は困難を極め、
「死者を悼む」という尊厳さえも、踏みにじられてきた。

家族、自宅、そして仕事さえも失った木村さん。
“三重被災者”の姿を通して、「原発震災」が、人間にもたらした現実を見つめる。
・・》

主人公の木村紀夫さんは、妻と次女、そして父親が不明となり、
残されたち木村紀夫さんは長女と妻の妹、そして妻の実家の両親と共に、
半年の言動はもとより心情のうつろいを描いた概要である。
やがて父親が、そして妻が最後に乗っていた乗用車が見つかり、
あどけない長女の表情ながら、心の中は亡くなった祖父、お母さん、妹への思いが、
描かれて、私は圧倒的に心をしめつけられ、涙を流したりした・・。


この後、NHKのBS1に於いて、『ワールドWave トゥナイト 』に於いて、
『同時多発テロ9.11から10年(1)』と題して、
《・・
アメリカの9.11同時多発テロから10年ニューヨーク発の生中継・拡大スペシャル版
河野憲治アンカーがゆく「グラウンドゼロ」、そして青山学院大学・中山俊宏教授が見る10年は・・

と解説された内容を私は番組の途中から視聴したが、
中山俊宏教授がインタビューされた3名の方の発言を学んだりした。


このように、ここ一週間はテレビのドキャメンタリーの各作品を視聴してきたが、
『同時テロ』その後の世界の変貌、或いは『東大日本大震災』そして福島原発問題に関し、
少しばかり単行本、文庫新書、或いは総合雑誌、新聞などで読んできたが、
テレビの画像に於いて、登場されたそれぞれの人たちの心の中の深淵まで描いた作品を視聴すると、
改めて多々学びながらも、世界は混沌とし、日本は混迷を深めている現実を知り、
無力な私は悲しみを覚えた日々でもあった。


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小林正樹・監督の『人間の條件』、15日より昨夜まで毎夜、テレビ放映を視聴し、そして・・。

2011-08-21 14:08:30 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
NHK BSプレミアムで、『山田洋次監督が選んだ日本の名作100本 ~家族編~』に於いて、
小林正樹・監督の『人間の條件』が過ぎし8月15日の月曜日から昨夜の20日まで、
毎夜放送された映画を視聴した。

この作品は五味川純平・著作『人間の條件』の巨編を映画化し、
全6部構成として、第一部 ・純愛篇、第二部・激怒篇として1959年1月15日に同時上映され、
第三部・望郷篇、第四部・戦雲篇は、この年の1959年11月20日に同時上映され、
その後の第五部・死の脱出篇、第六部・曠野の彷徨篇は1961年1月28日に同時上映された大作である。

そして全6部の総上映時間は9時間半となり、この当時として空前の最長の映画作品となり、
後年に本作の全6部を一挙に上映したことが、
日本の映画館でのオールナイト興行の走りと話題にもなった巨編と知られている。


今回、NHK BSプレミアムで、放送した構成は、
各部を毎夜連続に放送したので、6日間に及び私は視聴したのである。


そして昨夜、最終の第六部・曠野の彷徨)を視聴した後、
感動を新たに深めて、ぼんやりと映画館で初上映された1959年の頃に思いを馳せたりした。

この当時の私は、中学2年生で、
小学3年の頃から独りで映画館に通い、映画に熱愛した映画少年であった。
小学生の頃は、東映の時代劇3本立の作品をこよなく見たり、
ときには市川崑(いちかわ・こん)の監督『ビルマの竪琴(1956年)』に感動に震えたりしたが、
この当時頃から流行った石原裕次郎の出演した作品は苦手となり、
殆ど洋画の作品を見ることが多くなった時代であった。

そして『人間の條件』第一部 、第二部が1959年1月に同時上映され年は、
私は洋画の『リオ・ブラボー』、『大いなる西部』、『騎兵隊』、『ワーロック』、『ヘンハー』など、
その後は高校生になると『アラモ』、『太陽がいっぱい』、『バファロー大隊』、『渚にて』、『栄光への脱出』、青春物とか、
リバイバル上映として『風と共に去れぬ』、『駅馬車』、『禁じられた遊び』などを観たりしていた。

こうした時に、黒沢明(くろさわ・あきら)監督の『椿三十郎(1962年)』、『用心棒(1961年)』の二本立てを、
映画館で観て、特に『用心棒』に圧倒的に感銘して、
日本の映画も凄い、と私は評価を改めて、
これ以降は、邦画も洋画も益々熱中したのであった。

こうした経過であったので、無念ながらリアルタイムで、『人間の條件』は見逃していたのであった。


この後、私は益々映画に深く魅了され、邦・洋の名作を映画館に通い鑑賞し、
東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の秋、
私はシナリオライターになりたくて大学を中退して、
映画専門誌の『キネマ旬報』の作品評論、シナリオを精読していた。
そして、ある養成所の演出科に通い始めた頃であった。

確か1964〈昭和39〉年の晩秋だったと思われるが、
池袋にあった人世座という名画を上映する映画館で、この当時に『人間の條件(全六部作)』を土曜日の夜に、
オールナイトで上映していた。

遅ればせながら私は見逃した作品であったので、心身気合いを入れて、この映画館に行き、
観賞し、その次週も観たのであった。

この当時の私は、小林正樹監督に敬愛を始めた頃であり、
少なくとも『あなた買います(1956年)』、『黒い河(1956年)』、『切腹(1962年)』を鑑賞した後なので、
この『人間の條件(全6部作)(1959~1961年)』は、
映画の作品を完成させるまでの、あらゆる執念を多々学んだりした。

この後は『怪談(1965年)』にも魅せられて、
東宝の宣伝部にも出入りしていた時期であったので、この『怪談』の大きなポスターを頂き、
実家の自室の四畳半の壁に貼り付けて、ときおり見惚(みと)れていた。


この後の私は、映画・文学青年の真似事も敗退し、
やむなく安定したサラリーマンの身に転向し、
その後は35年ばかり音楽業界のある会社の情報畑・管理畑などのサラリーマン生活をして、
2004(平成16)年の秋に定年退職を迎えた。

この間、小林正樹監督の作品としては、数多くサラリーマンと同様に、私も多忙の中、
『上意討ち 拝領妻始末(1967年)』、『東京裁判(1983年)』を鑑賞し、
もとより私にとっては、敬愛できる映画監督の10人の中のひとりある。


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小林正樹・監督の『人間の條件(全六部作)』、45年前の頃にオールナイトで観た頃の思いで・・。

2011-08-16 11:11:23 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨夜、NHK BSプレミアムで、『山田洋次監督が選んだ日本の名作100本 ~家族編~』に於いて、
小林正樹・監督の『人間の條件』の第一部(純愛篇)が放送され、視聴した。

この『人間の條件』は、6部作の9時半に及ぶ巨編であり、昨夜の第一部から毎夜連続放送して、
最終は8月20日の第六部(曠野の彷徨)までと知った。

私は若き頃に、映画青年の真似事をした時期もあり、
この作品を映画館でオールナイトで上映されたのを、2回ばかり鑑賞したことがあり、
その当時の頃を思い馳せたりした。


東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の秋、
私はシナリオライターになりたくて大学を中退して、映画館に通いながら名作を観たり、
映画専門誌の『キネマ旬報』などを精読していた。
そして、ある養成所の演出科に通い始めた頃であった。

確か1964〈昭和39〉年の晩秋だったと思われるが、
池袋にあった人世座という映画館で、この当時に『人間の條件(全六部作)』を土曜日の夜に、
オールナイトで上映していた。

私は見逃した作品であったので、心身気合いを入れて、この映画館に行き、観賞した。
客層は大学の映研と称される映画研究クラブ、映画熱愛者が多く、
私は小林正樹監督に敬愛を始めた頃であり、この監督から映画の作品に対しての執念を多々学んだりした。
そして徹夜明けの池袋の朝、感動しながら駅に向ったりした。

この後、翌週もこの映画館に行って鑑賞したが、
この日の日中は日比谷の映画館で、ふたつの映画館で2作品を鑑賞した後、
この巨編を徹夜で鑑賞したので、さすがに20歳の私でも疲れ果てて、
日曜日の朝、池袋の街を歩き、帰宅後は寝付いたりした。


その後は、養成所の講師の紹介で、ある新劇の長老から、
『映画は益々衰退していし・・ましてシナリオで飯(めし)を食べていくことは・・大変なことだょ・・
同じ創作をしたかったならば・・小説を書いた方がいいと思うよ・・』
このような意味合いのアドバイスを頂き、私は文学青年の真似事をして小説の習作を始めた。

そしてアルバイト・契約社員などをしながら、小説の習作に専念していた。
確かな根拠はなかったが、私には独創性がある、と独りよがり自信にあふれて、
純文学の新人コンクールの小説部門に応募したりした。

しかし当選作の直前の最終候補作の6作品に残れず、
三回ばかり敗退し、もう一歩と明日の見えない生活をしていた。
結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗北宣言を心の中でして、やむなく安定したサラリーマンの身に転向した。

その後は35年ばかり音楽業界のある会社の情報畑・管理畑などのサラリーマン生活をして、
2004(平成16)年の秋に定年退職を迎えた。


こうした拙(つたな)い私の映画・文学青年の真似事をした敗退の時期もあり、
今としては、限りなく愛惜がある時代でもあった、と苦笑している。


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『アメリカ映画ベスト100』選、古き良き時代の映画の愛好者の私は、思わず見惚れ・・。

2011-07-18 01:05:10 | 映画・テレビ
私は昨夜、ネットで偶然に『アメリカ映画ベスト100』選定を見たりし、
2時間ばかり見惚れたりしていた・・。

http://www.geocities.jp/yurikoariki/afi.html
☆アメリカ映画ベスト100 ~AFI(アメリカ映画協会)選出~
[1997 映画100年ベスト100] 
        [2007 映画100年ベスト100 10周年版] ☆

どなたが、AFI(アメリカ映画協会)選出された英文を日本語訳にして下さったのか不明であるが、
映画の研究者、或いは熱愛者のお方かしら、と思ったりしているが、私は感謝している。


私は1944年に東京郊外で生を受けて、小学3年の頃から独りで映画館に行き、
邦画に魅せられて、中学からは洋画にも魅了され、
これ以降は映画の愛好者のひとりなった・・。
そして、映画専門誌の『キネマ旬報』なども愛読し、シナリオにも関心をもち始めて、
シナリオライターになりたくて、大学を中退したのが、1964年の秋であった・・。

まもなく養成所の演出コースに入所して、映画青年の真似事をしたりした。
その後は講師の知人のアドバイスにより、小説を書き始めて、文学青年の真似事をした。

そして、契約社員、アルバイトをしながら、習作に励んだりし、
純文学の新人賞に応募したが、最終予選の6編の直前で3回ばかり落選し、
あえなく敗退し、挫折した。

この後、1970年にある民間会社に中途入社し、35年ばかり勤めて定年を迎えた身である。

このように若き時代の一時には、映画館に通ったりして、程ほどに映画作品を鑑賞してきたので、
1966年頃までに上映された作品は知っているつもりであるが、
その後は数多くのサラリーマンと同様に多忙な時代を過ごしたので、
余り鑑賞する機会がなくなった。

定年後は年金生活をして、ときおり居間の映画棚に保管してあるビデオテープ、DVDの1000作品ぐらいを
居間のテレビを通して鑑賞したりしている。

しかしながら、2000年頃までに制作された作品が圧倒的に多いので、
古き良き時代の映画の愛好者のひとりかしら、と微苦笑する時もある。


このような思いのある私は、改めてAFI(アメリカ映画協会)選出された『アメリカ映画ベスト100』、
そして初めて見るジャンル別の100選を2時間ばかり見つめたしたのである。

そして、いつものようであるが、アメリカ人はこうした作品が好感されるのか、
と思ったり、或いはやはり私と同じように上位につけて、作品に敬意を示している、
と微笑んだりしている。


私はかって洋画全般であるが、歴代のベストテンを『キネマ旬報』に喚起させられて、
選定したことがあった。
参照として、掲載する。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/c281dbb99f1b5a1c54539f62174ef984
☆【 年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~ 】
           【 私なりの歴代洋画ベストテンは 】☆


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デビット・リーン監督の名作のひとつの『戦場にかける橋』、鑑賞しながら・・。

2011-07-14 23:01:03 | 映画・テレビ
私は昼下がりのひととき、居間にある映画のビデオ、DVD棚から、
1本のビデオ・テープを取り出した。

デビット・リーン監督の『戦場にかける橋』(1956年)である・・。

英国軍の仕官を演じたアレック・ギネスの名演を観たく、鑑賞したのである。

もとよりこの作品は、第二次世界大戦中、日本軍によるビルマ~タイの戦場に於いて、
輸送物質等による戦線拡大を図る為、
この途上にあるクワイ川の鉄橋建設をめぐる作品である。

そして日本軍の将校(早川雪州)の指揮下の中、
英国軍の仕官(アレック・ギネス)等が捕虜収容所に置かれた状況、
そして米国人の水兵(ウィリアム・ホールデン)の3者の気質が明確に描かれた名作である。


この映画を私が最初に観たのは、
渋谷の映画館で座席に座れず満員の中、立ちつくし、
確か小学6年か中学1年の頃であった。

その後、20代の前半に名画を上映している映画館で、
そして50代でWOWOWで放映されていたのをビデオ・テープに収録しながら、
観たりしていたのである。

そして、恥ずかしながら2年前に初めて気付いたのは、
フランスの作家でピエール・ブールが第二次世界大戦の実話に基づいて、
創作されたベストセラー作品と知り、
この時は思わず苦笑させられたのである。

私は名画の場合は、小説、随筆と同様に、たとえば10年毎に観たりすると、
自身の感慨が深められるから好きなのである。


監督のデビット・リーンに関しては、秘かに敬愛する監督のひとりで、
『戦場にかける橋』(1956年)を初めて鑑賞した後、
高校生の時に『旅情』(1955年)、大学生の時『逢びき』(1945年)、
そして有楽座のロードショウの初日に『アラビアのロレンス』(1962年)を観たりしている。

その後は、『ドクトル・ジバコ』(1965年)、『ライアンの娘』(1970年)、『インドへの道』(1984年)を、
ビデオ・テープで自宅のテレビで観たが、
こうした大作は映画館のスクリーンで観るべきだった、
と後悔しているのが本音である。

余談であるが、私は家庭を持った時は、
『逢びき』(1945年)の女主人公の夫のような男性になってみたい、
と独身の20代の初めの頃に思ったりしていた。


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映画『シェーン』を鑑賞し、私の遠い昔の時代に、思いを馳せたりし・・。

2011-07-13 23:40:37 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昼下がりのひととき、居間で映画作品棚の中から、『シェーン』のビデオテープを取りだして、
鑑賞した・・。

もとよりジョージ・スティーヴンス 監督の作品で、昭和28(1953)年に初めて公開されたが、
私は後年の高校時代の終りの頃に、リバイバル興行として上映されたのを、
下校の帰路に、映画館に寄って初めて観たひとりである。

この作品が日本で初めて上映されたのは、確か昭和28(1953)年を過ぎた頃、
私は小学3年生の頃から、ひとりで映画館に行き、東映の時代劇を観はじめていた頃てあった。
この当時の私の住む近くの大きな町の映画館は、
週間ニュース、予告編などが上映されたり、
本編の合間、スクリーンの脇にあったきらびやかな厚手のカーテンが動き、そしてスクリーンは閉じられて、
華やかな銀幕となった情景となり、音楽が流れていたのである。

こうした中、雪村いづみの『遥かなる山の呼び声』、『青いカナリア』などの唄声が流れ、
本編の映画に期待を膨らましながら、
少年なりに華やかな都会のお姉さんの唄声の匂いを感じていたのである・・。

後年の高校生になった頃、『遥かなる山の呼び声』は映画『シェーン』の主題歌だった、
と遅ればせながら知ったのである。

その後、映画『シェーン』を真摯に観たのであるが、
主役のアラン・ラッドより、悪役のジャック・パランスに圧倒的に魅了されたりした。

この前後の時代は、映画館に於き、リバイバルを含め西部劇だけでも数多く上映されていた。
『駅馬車』、『荒野の決闘』、『真昼り決闘』、『大いなる西部』、
『OK牧場の決斗』、『リオ・ブラボー』、『アラモ』など満天の星空のように上映され、
私は高校の下校の時、日比谷とか新宿の映画館で観たりしていた・・。


今回、映画『シェーン』を45年以上振りに観賞したのであるが、
あのようなシーン、セリフがあったのかしら、と微苦笑させられたのである。

もとより私の青春期からサラリーマンの時代、そして年金生活の現在まで月日が過ぎているので、
忘れ去ることも多いが、やはり名作のひとつは、この齢になっても、
教示させられることがある。
そして、この作品は昭和28(1953)年の少し前に、
アメリカであの当時、西部劇のゆうしゅうが制作されたことに思いを重ねたりしたのである。

私は、ジョージ・スティーヴンスの遺〈のこ〉された作品は、
『陽のあたる場所(1951年)』、 『シェーン(1953年)』、 『ジャイアンツ(1956年)』、
『アンネの日記(1959年)』 、『偉大な生涯の物語(1965年)』とたった五本の作品しか鑑賞していないが、
最良の作品は『陽のあたる場所(1951年)』であり、
完成度が未熟であるが好きな作品としては『ジャイアンツ(1956年)』である。
しかし、あの時代に制作された『シェーン(1953年)』は名作と感じている。


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黒澤明・映画監督の選定した世界の名作品、私は再読しながら共感を重ねて、微苦笑し・・。

2011-06-08 18:21:40 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
午後のひととき、映画棚から一冊の雑誌を取り出して、読んだりした。

映画監督の『黒澤明』の生誕100年を記念して、
河出書房新社の文藝別冊で、『黒澤明 生誕100年総特集』である。

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309977300
☆河出書房新社『文藝別冊』 『黒澤明 生誕100年総特集』☆

この雑誌は、昨年の5月下旬から6月上旬に、
私たち夫婦の結婚して35年目となり、記念旅行と称して北東北を9泊10日で旅行した時、
活字に飢えた私は、旅の途中で、青森市の繁華街の新町のある本屋に立ち寄り、
買い求めた一冊であるので、正確には今回は再読となる。


私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に、
大学を中退して、映画青年のよう真似事をした時期あったので、
少なくとも邦画は3000作品、洋画は5000作品ぐらい、
大半は映画館で観たり、或いはビデオで自宅の居間で視聴したりしてきた。

そして映画雑誌の『キネマ旬報』とか映画批評・シナリオの単行本など買い求め、
愛読してきた拙(つたな)い身であるが、
昨今は数多い映画ファンのひとりとなっている。

たまたま今回の雑誌を改めて再読して、特に魅せられたのは、
ご令嬢の黒澤和子さんが編集された『黒澤明が選んだ百本の映画』である。

この記事の《はじめに》に明記されているとおり、
《一監督一作品》が前提であり、
黒澤明が選定したそれぞれの作品への思いなどのコメントが付記されていたので、
私なりに精読した。

そして、思わず共感したりて、微笑んだり、
或いはある監督への選定作品は、これ以外の作品が良いのに、と思ったりしている。

選定された作品は、もとよりサイレト時代の1919年から、トーキー時代を得て、
そして昨今の1997年に製作された作品まで、満天の星空のようにきらめく名画の数々である。
私としては無念ながら観ていない作品が10数作品があるが、
それなりに深く愛読し、特に共感させられた作品を列挙する。


☆『会議は躍る』 製作・1931年(ドイツ)

☆『綴方教室』 製作・1938年(日本)

☆『自転車泥棒』 製作・1948年(イタリア)

☆『道』 製作・1954年(イタリア)

☆『大人は判ってくれない』 製作・1954年(フランス)

☆『かくも長き不在』 製作・1960年(フランス)

☆『ジョニーは戦場に行った』 製作・1971年(アメリカ)

☆『ジャッカルの日』 製作・1973年(アメリカ)

☆『ゴッドファーザー PARTⅡ』 製作・1974年(アメリカ)

このような作品が黒澤明が選定した作品の思いと私が共感した作品である。

少なくとも百年間の歴史のある映画作品から、
その上に《一監督一作品》の前提規約もあり、黒澤監督にしても選定は困苦を極めただろう、
と思いながら微苦笑をさせられた。

こうした思いを作品と共に馳せたりすると、時がたちまち過ぎてしまう。

                        
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満天の星空を眺めるように、数多くの映画、つたない私が圧倒的に感銘を受けた作品は・・。

2011-06-04 10:21:38 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
一昨日の2日、このサイトに於いて、
【 それぞれの映画の作品は、つたない私には人生の教科書のひとつである・・。】
と題して投稿した。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/90a9f5e7803fd087b599f556d63d0671
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
    6月2日《 それぞれの映画の作品は、つたない私には人生の教科書のひとつである・・。》☆

そして、昨日に遅ればせながら、やむなく『地デジ』に対応させ、
私なりに魅了された3D機能のあるテレビの50型、
そしてブルーレイディスク・DVDレコーダーが配達され、即急に設置した。
そして、従来から愛用していたビデオテープも再生専用として、接続した。

その後、機能の学習を少しばかり学んだりした後、
映画専用棚を見たりした。
この映画専用棚の3本あり、殆ど映画作品であり、ドキュメンタリー作品もあり、
VCT、DVDで1000本前後あり、ときおり選定し、居間で観賞している。

そして新たなるテレビを目の前にした私は、
最初はどの作品から観賞しょうか、とぼんやりと思ったりした。

そして、この中のひとつの専用棚を開けると、
中段に一冊のファイルがあり、私は開きながら、
ワードで記した2枚の用紙を長らく見つめて、微苦笑した・・。


最初の用紙には、
【 私なりの歴代の洋画のベストテンは・・。 】
と題している。


映画専門雑誌の『キネマ旬報』による映画人が選んだオールタイム・ベスト100の外国映画編に対応し、
私なりに選定した。

『キネマ旬報』のベストテン《参考》1999年10上旬特別号

①『第三の男』キャロル・リード監督 (1949年)

②『2001年宇宙の旅』スタンリー・キューブリック 監督(1968年)

③『ローマの休日』ウィリアム・ワイラー監督 (1953年)

④『アラビアのロレンス』 デイヴィッド・リーン監督(1962年)

⑤『風と共に去りぬ』ヴィクター・フレミング監督(1939年)

⑥『市民ケーン』オーソン・ウェルズ監督(1941年)

⑦『駅馬車』ジョン・フォード監督(1939年)

⑦『禁じられた遊び』ルネ・クレマン監督(1952年)

⑦『ゴットファーザー(三部作)』フランシス・F・コツポラ監督(1972・1974・1990年)

⑦『道』フェデリコ・フェリーニ監督(1954年)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私の選定は、

①『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』セルジオ・レオーネ監督(1984年)

②『ディア・ハンター』マイケル・チミノ監督(1979年)

③『イングリュシュ・ペイシェント』アンソニー・ミンゲラ監督(1979年)

④『ピアノ・レッスン』ジェーン・カンピオン監督(1993年)

⑤『かくも長き不在』アンリ・コルピ監督(1961年)

⑥『街の灯』チャールズ・チャップリン監督(1931年)

⑦『ゴットファーザー(三部作)』フランシス・F・コツポラ監督(1972・1974・1990年)

⑧『自転車泥棒』ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1948年)

⑨『ジョニーは戦場へ行った』ドルトン・トランボ監督(1973年)

⑩『逢びき』 デイヴィッド・リーン監督(1945年)

数多(あまた)の感動をもたらしてくれた作品の中より選定するのが、酷な作業でした・・。

『時』が人生にもたらす影響をヒントに選定しましたが、上記のいずれがベストワンになっても良い作品です。

尚、選定の際に於いて、
『第三の男』キャロル・リード監督 (1949年)、
『市民ケーン』オーソン・ウェルズ監督(1941年)、
『アラビアのロレンス』 デイヴィッド・リーン監督(1962年)、
『許されざる』クリント・イーストウッド監督(1992年)
『カサブランカ』マイケル・カーチス監督(1943年)等は最後まで検討した作品です。

《1999年9月29日、私の日記より》

小説、映画、音楽などの選定の結果、その人の性格、人格、思想までを表わす、
と改めて思った次第です。

このように投稿しているが、ここ10年の公開された作品は殆ど観賞しておらず、
1999年9月29日に書き込んだ上記のベストテンの改定はなく、
その人の情念、深淵まで描いた作品が好みかしら、と私は微苦笑している。

尚、私が中学を卒業する1960(昭和35)年の3月までには、
『大いなる西部』ウィリアム・ワイラー監督 (1958年)に感動しながらも、
ジーン・シモンズに魅了され、こうした女(ひと)と結婚できたら
と夢を見た純粋無垢な少年であったことを付記しておく。

このように記載されていた。


もうひとつの用紙には、
【 私なりの歴代の邦画のベストテンは・・。 】
と題した内容であった。

前回の洋画と同様に選定した。

『キネマ旬報』ベストテン《参考》1999年10月下旬特別号

①『七人の侍』

②『浮雲』

③『飢餓海峡』

③『東京物語』

⑤『幕末太陽傳』

⑤『羅生門』

⑦『赤い殺意』

⑧『仁義なき戦い』シリーズ

⑧『二十四の瞳』木下恵介

⑩『雨月物語』

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私の選定は、

①『駅 STATION』

②『用心棒』

③『人間の條件(全六部作)』

④『東京物語』

⑤『七人の侍』

⑥『浮雲』

⑦『雨月物語』

⑧『飢餓海峡』

⑨『切腹』

⑩『砂の器』


洋画と同様に、【時】が人生にもたらす影響をヒントに選定しましたが、
上記のいずれがベストワンになっても良い作品です。

《2003年8月16日、私の日記より》


こうした選定作業の時、その人の人生を歩いてきた思考の全てが反映する、
と改めて感じたのである。


この2枚の私が綴った内容を見ながら、
満天の星空のようにきらめく名画の数々の作品・・どの作品から鑑賞しょうかしら、
と迷ったりしているのである・


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それぞれの映画の作品は、つたない私には人生の教科書のひとつである・・。

2011-06-02 10:18:53 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
私は小学3年生の頃から、独りで映画館に行き、その後も熱愛し過ぎて、
東京オリンピックの開催された1964(昭和39)年に大学を中退し、
映画、文学青年の真似事までした時代があった。

1970(昭和45)年の春、ある大手の企業に中途入社するまで、
満天の星空を眺めるように、数多くの映画を映画館で鑑賞した。

この後は、サラリーマンとなっていたので、
多くの人と同様に多忙な35年を過ごした。

このサラリーマン時代は、余り映画館に通うことなく、
ビデオ・テープ、DVDをソフト販売店で購入したり、
テレビのWOWOW、NHKのBSで鑑賞したりしていた。


私にとっては、それぞれの映画の作品は、自己形成に多大な影響をもたらし、
歴史、文化、風俗、信念などあらゆる要素を多々学び、
何よりそれぞれの主人公から人の理念から情念まで教示され、
人生の教科書のような存在であった。

私は小説、随筆などの読書と共に、
映画は欠かすことの出来ない私なりの大切な鉱脈である。


過日の5月に本の整理を大幅にしていた時、
映画に関する書棚から、数多くある『週刊20世紀シネマ館』の片隅みに、
【1981~2000年の名画グラフィティ 20世紀のラストを飾った名画100選】の一冊に、
懐かしげに長らく見たりした。

そして、この中にレポート用紙の書き込んだメモ書きがあり、
私は微苦笑しながら見たりした。


【・・
この中で、鑑賞した作品で、

感銘した作品《☆☆☆》、

ある程度感心作品《☆☆》、

まあまあ程度《☆》、

時間を無駄にした《★》、

と思った作品を列記する。


1981年【昭和56年】
☆『レイジング・ブル』
☆『エレファント・マン』
☆『レイダース 失われたアーク(聖櫃)』
☆『普通の人々』

1982年【昭和57年】
☆☆『黄昏(たそがれ)』
☆『炎のランナー』
☆『E.T.』

1983年【昭和58年】
☆☆『ガンジー』
☆『ソフィーの選択』
☆『フラッシュダンス』
★『ガープの世界』

1984年【昭和59年】
☆☆☆『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
☆『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説球』

1985年【昭和60年】
☆☆『アマデウス』

1986年【昭和61年】
★『エイリアン2』

1987年【昭和62年】
☆☆☆『プラトーン』
☆☆☆『アンタッチャブル』
☆『トップガン』

1988年【昭和63年】
☆☆☆『ラストエンペラー』
☆☆『ウォール街』

1989年【平成元年】
☆☆『レインマン』
☆『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』
★『バットマン』

1990年【平成2年】
☆『7月4日に生まれて』

1991年【平成3年】
☆☆☆『羊たちの沈黙』
☆『ダンス・ウィズ・ウルブス』
★『ターミネーター2』

1992年【平成4年】
☆☆☆『JFK』
☆☆『氷の微笑』

1993年【平成5年】
☆☆☆『許されざる者』
☆『ラスト・オブ・モヒカン』

1994年【平成6年】
☆☆☆『ピアノ・レッスン』
☆『スピード』

1995年【平成7年】
☆☆『ブレイブハート』
☆『ダイ・ハード3』
☆『アポロ13』
★『フォレスト・ガンプ/一期一会』

1996年【平成8年】
残念ながら、該当するのは無。


1997年【平成9年】
☆☆☆『イングリッシュ・ペイシェント』
☆『シャイン』
☆『インデペンデンス・デイ』
★『秘密と嘘』

1998年【平成10年】
☆☆☆『L.A.コンフィデンシャル』
☆☆『プライベート・ライアン』
☆『タイタニック』

1999年【平成11年】
☆☆『エリザベス』
☆『ライフ・イズ・ビューティフル』
☆『恋におちたシェイクスピア』
★『マトリックス』
★『シックス・センス』

2000年【平成12年】
☆☆『スペース カウボーイ』
☆☆『グラディエーター』

この雑誌の100選から洩れていると思える作品も数多くある・・。

たとえば、『インドへの道』、『ダイ・ハード』、『ゴッドファーザー Ⅲ』、『マディソン郡の橋』、『シン・レツド・ライン』。

いずれにしても、上記に羅列した作品の中の一部は、魅了される。
・・】

このようなメモ書きを見ながら、
こうした採点方式を明確に表示すると、
その人なりの人生観、思想まで解かる、と確信するので、苦笑したりした・・。


昨今の私は、映画館まで足を運ぶ魅力作品がなく、ときおりDVDを購入したり、
保存してある古き良き時代の名画を居間で鑑賞することが多くなっている。

このことは上映される作品の質の問題なのか、
或いは私の感性が衰え、齢を重ねた少しボケたのか、私には判らないのが本心である。


追記・6月3日 AM0時20分
   『週刊20世紀シネマ館』、
    そして『1981~2000年の名画グラフィティ 20世紀のラストを飾った名画100選』
   出版は下記の通りである。

http://www.bookclub.kodansha.co.jp/cinema/
☆【講談社ホームページ】<==『週刊20世紀シネマ館』☆

この出版企画をたまたま知った当時、瞬時に魅了されて、長らく購読していた。
私は映画ファンのひとりとなった今、ときおり書庫から取りだし、
優れた映画雑誌のひとつとして愛読している。



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