夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

さて、新型MPUは・・。

2005-02-28 17:24:53 | 時事【政治・経済】等
過日、旅行先で、次世代MPU『セル』について、開発元の一社であるソニーの久多良木 健・副社長が日経新聞のインタビューに答弁していたので、興味があったので、手元に残した。
今後のパソコン、その周辺をくまなく全世界に影響をあたえるので、あえて転記します。



米インテルが圧倒的な強さを誇る超小型演算処理装置《MPU》の世界に新顔が登場する。
ソニー、東芝、米IBMの三社連合は次世代MPU『セル』を開発、年内に生産に入る。
用途はゲーム機やデジタル家電にとどまらず、コンピューターにも広がる。

セルはこれらをどう変えるのか。ソニーの久多良木健・副社長に聞いた。

問い
現行のMPUは半導体の頭脳に当たる『中核回路(コア)』が一つ。セルは複数搭載が特徴だ。

回答
今までコンピューターは一台でどれだけ早く計算できるかという方向で進化してきた。
だが、消費電力の急増などが起こり、限界が見えてきた。
コンピューターの半導体チップの集積度は一年半から二年で倍増するという《ムーアの法則》が仮に続いても、今のままでは飛躍的な処理能力増加は期待できない。

そこで発想をかえてみた。
複数のコンピューターの能力を一つの総和として使えれば、能力は台数分に高められる。
セルは一つのチップ内で複数のコアを持ち《マルチコア》型としたことで搭載機器が一台で複数の情報処理能力を持つことになる。

最大の特徴はセルを搭載した機器同士が連携することを想定して設計している。
例えば、家庭内に十台のセル搭載機器があってネットワークで結ばれていれば、その十台の能力を一つにまとめて使えるようになる。
この結果、機器の機能や性能はとどんどん進化していく。


問い
我々の生活に何を引き起こす。

回答
パソコンを生んだウィンテル《マイクロソフトとインテル》はコンピューターに革命を引き起こしたが、それはインターネットを想定していない時代のもの。
セルはネットワーク時代のコンピューターの概念を変える。

問い
具体的には。

回答
今のパソコンのMPUをインテル製からセルに変えても、使い道が同じならおもしろくない。
《コンピューター並みの能力を持つテレビ》などを作りたい。
パソコンの検索エンジンのように、世界中の番組など様々な大容量映像コンテンツ《情報の内容》を検索できるテレビはコンピューター機能なしにはできない。

テレビの場合、薄型にシフトしても、価格が毎年、年間三割以上下落している。
《絵がきれい》なことは新機軸ではなくなった。
ハイビジョン放送を受信するだけでなく、ブロードバンド映像などすべてを映す統合的なディスプレーになる。
ソニーとしては、セルを使った新型テレビの試作品を今秋ごろに披露したい。


問い
セルは低迷するソニーをけん引できるのか。

回答
大きな可能性はあるが、セル自体は技術革新のために開発した。
情報技術《IT》産業はスランプ気味だし、
家電も今のデジタル多家電があきられたら、そこで停滞感が出る。
デジタル機器に新しい機能を加えられたセルが広がれば、ソニーのみならず、これまでにないハードを開発する動きが活発になるはずだ。



上記がインタビューの全てであったが、発想事態はちょつと驚きました。
普及の具体的な商品は、・・・・。
マイクロソフト、松下、日立、インテル、富士通、NECがどの様な対抗策をとられるのか、興味は尽きません・・。

尚、ソニー、東芝はIBMと三社連合にしたのが、良い施策と思われます。

国益重視のアメリカに立ちはだかることは、アメリカのGE、マイクロソフトそしてIBMを除外することは容易ではありませんから・・・。

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明日から6泊7日、温泉滞在。

2005-02-19 15:05:15 | 旅のあれこれ
三週間前の事でした。
蔵王で雪上車に乗り、樹氷めぐりを直前の日でした。

家内は旅行が好きであるが、私の定年退職を終えた秋頃から、旅行のパンフレットを集めてくる頻度が高くなった。
その上、滞在型で3泊以上が原則である。


今回の場合、6泊7日のを見つけてきた《泣く》

以前にも綴ったことがありますが、私の理想は2泊3日である。
家内は『旅行の準備、全て私が準備していますよね・・行ったからには、ゆっくりしませんと気が休まりませんわ』と常々言っている。

今の私にとって、ブログで綴ったり、皆様方のHPを拝読したりするのが、生き甲斐さなのです。

『6泊7日かょ・・』私はびっくりしました。

『前から行きたかった所なのよ。お母さんも、どうかしら・・』と家内は言った。

家内の父は、昨年の9月に亡くなり、今は母の一人住まいで生活している。
そうした理由から、四十九日の供養の時、付近の所で、家内と母と三人で、3泊4日で温泉地に滞在している。

私の家に、ときたま泊まりに来て頂き、年末年始にも泊まって頂いている。
私と家内の母とは、感覚的にあっているので、差しさわりがなかった。

私にとって、6泊7日であった。
十数名の恋しい女性のHPを見られなくなる《泣く》
塩野七生・女史も重要だが、この人の場合は本を持参すれば解決できるけど・・。

私はノートパソコンで無線セットまでして、送受信する気はない。
旅先は、旅先の景観なり、日頃から非日常の開放感、思索の時に充てている。


私は煙草を取りだし、喫いながら、ちよっぴり考えました。

『美は断絶なり、か・・お母さんと一緒だったら、高めの部屋を予約してくれ』と家内に言った。

人生には、妥協が必要です《泣く》

従って、明日より十数名の恋しい女性のHPは、拝読出来ません《泣く》
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うちの奥さん・・。

2005-02-18 15:26:44 | 定年後の思い
今から十六年前でした。
お茶事を気の許す仲間同士で行っていた頃でした。

ある時『テニスを少しやってみようかなぁ・・』と言いました。
これには、私の方がびっくりしました。
家内は小学校から短大までの学生期間、スポーツらしい部活に所属した事がなかったのでした。
もっとも、家内の妹、弟、母は、スポーツ大好きで、国体に出た位で、家内だけが取り残されていました。

『いいじゃ、ないの・・ラケット、どうするの・・』と私は言った。
『クラブにあるから・・買わなくても、大丈夫だって・・』
よくよく訊いてみると、短大時代の友達が近くに越してきて、テニスに誘われたらしい。

『習うからには、ラケットぐらい、きちっとした物を買ったら・・』と私は言った。
『必要になったら、安い物を買いますから・・』と家内は明るく言った。


それから三ヶ月が過ぎました。
初級クラスの入門コースから、少し上になったらしい。
まずテニス・シューズ、ラケット、テニス・ウェアのトレーナーのピンク、黄色、黄緑色が増えていきました。

テニスから帰ると、白紙の画用紙を取り出し、マジックでコートの図面を書き、
『球出しからボールがこうくるでしょう・・そうしたら、こうふうにラケットの角度で返す・・かなぁ・・』と家内はマジックで書いている。

『相手からのボールを素直に返せば・・』と私は言った。

『うう~ん。違うのよ・・』と家内は考え込んでいる。
これがA型の典型だなぁ、と私は理解した。
自分が納得しない、と先に進まない。

その点、私はB型であるので、ボールがきたら、打ち返せば良い。その時の思い込みで動けば良い、と考える人である。

それから、半年が過ぎました。
中級になったらしく、
『コーチに相談したら、今のラケットでは駄目らしいの・・』と言った。
結果として、ラケット、シューズそしてトレーナも高級化になりました。

ある時、『チューブって、知っている・・』と家内は言った。
『三年前頃、いいって俺、褒めていたじゃないの・・』と私は言った。
『それ欲しいなぁ・・』と家内は言った。

家内が音楽CDが欲しい、と言ったのは初めてでした。
私の方は、レコード、カセット、CD等で2,000枚を超えていましたので、
『どんな曲だった・・』
『テニスのクラブでよく掛かっているの・・』と家内は言った。
『じゃ、最新盤をとりあえず、買ってくるから』
私が47歳で家内が42歳の時でした。

それから、家内の音楽はTUBEでした。
外で着れなくなったテニスのトレーナーで家の中を動いていました。
掃除、洗濯、料理している時、TUBEの前田の声が部屋中に鳴り響いていました。
平日の時はともかく、私の休みの時も、相変わらずでした。

♪もう一度 二人戻れるなら
♪抱きしめる跡が残るほど
♪君を離さないよ
♪十年先でも
♪ラブストーリー最後は君と

休みの時でも朝から晩まで、14枚のTUBEのCDをひっくり返しながら聴いていました。
『俺、ちょつと散歩に行って来るから』と家内に言った。

遊歩道を歩きながら、A型でも・・ああかょ・・女は物狂いの時もあるし・・と思った。
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美人歯科医のその後・・。

2005-02-17 17:59:58 | 定年後の思い
四日前でした。

こぎれいなシャツと新しいセーターを身に付け、歯科医院に行きました。
冬のあいまの小春日和のような爽やか昼下がりでした。

何時ものように、受付の女性と軽くジョークを飛ばし、診察時間を待っていました。
診察時間が来たので、治療室に入りました。

『あれ・・』と私は小さな声で言いました。
定例からすると、黒木瞳を若くした女医さんですが、目の前いるのは、三十五、六の男性の医師でした。

『いかがしましたか。その後、痛みましたか・』と男性の医師は言った。

『いや、別に痛みませんでした』と私はうつろに言った。

私は、この前に帰るとき、あの女医さんとおしゃべりした時、顔は見ていましたけれど、チラッと胸元を見てしまった・・あれで、嫌われたかなぁ、と治療を受けている間、しばらく考えていました。

帰りがけ、受付の女性に
『どうでもいいんですが、いつもの先生は・・』と訊いた。

『あの先生ですか・・大学病院で特別研修とか、当分こちらには見えません・・』と言った。

帰路、家に向っているとき、
『特別研修はどうでもいいけど、何時になったら、あの先生に逢えるのかなぁ』と思った。

家に帰ると、
家内は『早かったじゃないの、お茶でも呑みますか。貴方、少し、元気ないみたい』と言った。

『別に・・』明るい声で答えた《泣く》

本当のことは、言えねえょ、と内心つぶやいた。



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夢の中で・・。

2005-02-16 16:41:51 | 定年後の思い
本日、原則を破り、昼寝をした。本年に於いて、初めての事である。

朝、遅い朝食を九時過ぎにとった後、ブログに少し書き込む。

主庭は冷たい雨が降り注いでいる。樹木の枝先は雨の水滴をいだき、光っている。
こんな時、暖かい布団の中で、本を読み、疲れたら眠る・・。

と思っているうち、パソコンの前に座っているのが辛くなり、文庫本の一冊を携えて、寝室に行く。
今、読み出しているのは、塩野七生・女史の『サイレント・マイノリティ』である。
三十分ぐらい読んだとき、眠りについた。


私は日頃よく夢をみる。

夢は日頃思い込んでいること、しばしばカラーで二本立て、ある時は三本立てで観ることもある。

家内にこのようなことを言うと『あなたの願望が夢に出て、良かったわね』と言う。

私は、夢は誰しも観るが、その人が日頃から強く思い込んでいる事の上、たくましい想像力が有るか無いかであり、その上のたまものである、と信じている。
したがって、生まれ、育ちの環境、今おかれている収益の差異を超越したものである。

この十年、男性の著名人でしたら、立原正秋、山口瞳、宮脇俊三、倉本聰・・。
女性でしたら、香川京子、高橋恵子、藤堂志津子・・たくさんあって書けません《笑う》

といったようにお逢いした時、どのようにお相手するが、どのような振る舞い、会話をしたら良いか、思うわけです。
そうした後、夢の中でお逢いできます・・。

もっとも、塩野七生、中島みゆきは、更なる洞察力のある方ですし、私の勉強不足で、気軽にはお逢いできません《笑いと涙》

本日の昼寝の中に夢に出てきた人は、高橋恵子でして、ホテルのロビーの中を急ぎ足の私を呼び止め、立ち話をしたシーンでした。
その後、握手してお別れしました。

この事は家内には言えませんでした《笑う》。
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野に咲く花のように・・。

2005-02-15 11:32:57 | 定年後の思い
家内と結婚し、二年後に家を構え、茶室も造った。
家内はお茶事については、高校時代のときからある先生に師事していました。

しばらくすると、先生がお弟子さんを伴い、茶室を拝見したいわ、という事で来宅してくださいました。

それから五年の歳月が流れました。

家内がお免許状を頂くに当たって、先生方に謝礼を出すことになりました。

私は、段が昇格する度にそうした事が慣例だったことに不満でした。

前年の夏、家内とリゾート・ホテルで夏季休暇を取り、滞在していました。
ある日の午後、ホテルの庭園の一角で茶事があったので、同席させてもらい、さりげないたたずまいに私は感心した。
にじり口を出た後、ひろびろとしたホテルの庭園で、
『良かったね。まるで野に咲く花のようだったね』と家内に言った。

その後、家内はこの先生に謝礼を出した後、師事するのを止めて、気の許す友達間で茶事をしています。

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底値(そこね)で買物を・・。

2005-02-14 12:30:33 | 定年後の思い
定年退職後、買物の担当となった。

家内が、スーパーのチラシに《 ◎印 》を付け、私が買ってくる。

私は、◎印のついたものを、スーパーの各フロアーの各棚で捜す。
『ちょつと、教えてください』
と私はパート店員さんに訊く。

『男の人では、解かりわかりずらいですもの・・』
とパート店員さんは、所定の棚から、商品を取り出してくれる。

『助かります。ありがとう・・』
と私は言う。


ある時、商品を捜したが、見つからず、何時ものパータンで、
パートの店員さんに、
『この商品、探しているんですが・・』とチラシを見せた。

『・・おかしいわねぇ・・確か、この辺にあっても、いいのですが・・』
と棚の周辺を捜してくれた。

『お客様、少々お待ちください』と言った。

そして『XXフロアー店長、XXフロアー店長、二階のレジまでお越しください!!』
マイクを握り、連呼した。

まもなく三十前後の男性が現れた。

私は、この人にチラシを見せた。
この男性は棚の所に行った後、奥に消えた。
まもなくして、この男性が私の前に来た。

『お客さま、もう一度、チラシを見せて下さいますか・・』と言った。
この男性、しばらくチラシを見ていた後、微笑んで
『お客様、申し訳ございませんが、日付が違っております。この商品は明日です・・』

私はチラシを見ました。
よくよく見ると、確かにこのバーゲン商品の日付は、明日でした。
『申し訳ございません・・失礼致しました・・』
とこの男性とパート店員さんに聞こえるように、大きな声で言った。


インスタント・コーヒーが切れかかっていたので、買って帰宅した。

『XXちゃん、あのXX、明日がバーゲンだったょ。まいったょ・・』と家内に言った。

『そうだったかしら・・間違えたのね、御免なさい』と家内は言った。

そして『このインスタント・コーヒー、お願いしたかしら・・』と言った。

『切れ掛かっていたから、買ってきたのょ』と私は言った。
私は原則として、煎茶ばかりでコーヒーは、めったに飲まない。

『このコーヒー、高いわょ・・・いつも底値の時、まとめ買いしているじゃ、ありませんの・・』
と家内は言った。

『底値・・?』と私は言った。

『底値・・一番安いと思われる時よ』と家内は言った。

それからの買物の時、私は『この品、底値だったかなぁ』と家内に言う。

我が家の流行語、底値、いまだに家内との会話で続いています・・。《笑う》
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千台・・。

2005-02-12 10:31:33 | 定年後の思い
ある大手の宅配便の会社が、燃費と効率のテストを小型トラックを使い、十五年前に行いました。

名古屋市から五百台を出発させ、青森市からも同じ条件で五百台を出発させた。

この企画担当責任者は、どこの市で合流させよう、と考えたか?!

他部門の中年社員たちが、この企画担当者を取り囲み、それぞれの方が意見を言った。

『距離的に言って、福島市かな・・?』

『距離からすれば、郡山市だろう・・』

『いや、道路の込みぐわいから言って、もうちょうと東京がわだろう・・』

と意見がまちまちでした。

『こう意見が別れちゃ、話になるめぇ・・』と最年長の社員は言った。

『一体、どこで合流させる気だ・・』と言った。

企画担当責任者は『皆さん、全部違っていますよ』と明るく言った。

そして、おごそかに『仙台市【千台】に決まっています。常識ですよ・・』

その日の午後、中年社員達は、業務の効率が、ガタ落ちとなりました・・。
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マッカーサー元帥。

2005-02-11 18:09:34 | 幼年・少年時代の想いで
朝鮮戦争前の私が幼児の時だった。

いたずら子だったので、父親、祖父から
『そんないたずらばっかしてると、マッカーサーの所にやるからなぁ』
と言われた。

私にとってのマッカーサーとは、
幼児からの想像はナポレオンが赤いマントを羽織ったようなイメージを描いていた・・。


小学校六年の時、授業中、マッカーサーが戦後直後、
厚木飛行場でタラップからサングラスでコーンパイプを咥えた人の写真を先生が、『マッカーサー元帥です』
と言った。

『先生、嘘だぁ~い』
と私は言った。

『何を言うだ、君・・マッカーサー元帥に対して失礼だ』
と先生から怒られました。


私は、その晩の夕食は
『ご飯いらない・・』
と母に言った。

マッカーサーがあんなかっこうだ、と今更言われても、
あのマントはどおしてくれるんだょ、と
涙をためました・・。
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秋から冬への普段着・・。

2005-02-10 12:12:10 | 定年後の思い
昨年の秋、定年退職後、日常生活で身に着けているのが、一定化している。
ズボンは、アウトドア用のくたびれたのを履いている。秋には薄手であり、冬には厚手を愛用している。
上のかっこうは、現役時代のワイシャツの上に、秋用か、冬用のセーターを着ている。

足元は、秋は素足で、冬になると足袋を履いている。
従って、近所までの範囲であったら、もっぱら下駄ですませている。

ワイシャツは、現役時代、デスク・ワークの主体だったので、何となくしっくりしている。
今は家内の手洗いで済ませているが、肌触りが良い。
お陰で、クリーニング屋さんが『近頃、少なくなりました』と嘆く。

今日、郵便局に所用があったので、このかっこうの上、マフラーを首に巻きつけて出かけた。
住宅街を歩き、下駄と足袋はやはり落ち着く、と暖かな冬の陽射しの中を歩いた。

郵便局を出た時、
『あらぁ・・』と声を掛けられた。

歯科医の清楚な美人だった。

私は、このような普段着であったので、恥ずかしかった・・。
内心、着替えてくれば、良かった・・後悔した。

『穏やかなお天気・・この辺の梅も咲きましたね』と清楚な美人は語尾をちょこんと上げ言った。

『そうですね・・』と私は言葉少なく言った。

『近くの公園の椿・・綺麗に咲いていましたよ』

『そうですか・・』

『では・・急ぎますので・・失礼いたします』と語尾を上げた。

私は見送った。
清楚な美人は茶色のコートを身につけ、ハイヒールを履いていた。
若いっていいよな、と私はつぶやいだ。

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叔父さん、またきてねぇ!!

2005-02-09 10:49:26 | 現役サラリーマン時代の想いで
私が三十歳の頃でした。
あの時代もそれぞれの人々は、猛烈な勤務体制をしていました。
私の先輩もそうでした。
朝、七時には机に座り、十一時にやっと『ぼちぼち、終ろうか・・』
と言っていました。
あの頃のセブン・イレブンでした。

帰る途中で、先輩は珍しく『ここ数ヶ月、子供の寝顔しか見てねえ・・』
と弱音をはきました。

『この前の土曜日、会議は十時だったろう・・。珍しく家を遅く出たんだ』
『下の子供、三つ何だけれど・・俺になんと言ったと思う・・』
と先輩は言いました。

『叔父さん、またきてねぇ・・』


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『おくやみ』欄を・・。

2005-02-07 09:07:52 | 定年後の思い
朝、NIKEEI NETをインターネットで検索しているが、『主要ニュース』に続き、『おくやみ』欄を検索してしまう。

お世話になったご高齢の人が、不謹慎ながら、万一のためだった・・。

その時は、下足番をさせてもらう、つもりである。

本日も無事で安堵した。
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あれからの美人の歯科医

2005-02-04 17:45:01 | 定年後の思い
昨日、予定通り歯科医院に行きました。

今回の歯科医は、新しい人でした。

宮崎美子、の若い頃にそっくりな人でした。従って、大きな目でグラマー容姿をしていました。
声は甘く、治療の合間に度々『痛みませんか・・』と私に言う。

私の方は、女医さんが治療しやすいのか、私の右側の腕元に覆いかぶさるように診察をしてくれる。女医さんの胸元を感じ、『大丈夫です・・』と答えるのが、やっとでした。

この歯科医院は、最初は清楚な人、次には、黒木瞳、若いときのような人、そして今回は、宮崎美子、若いとき時に似ていました。

このような事は夢のような事ですし、うっとりしていましたら、『麻酔しますから・・ちょっと痛みますから、我慢して下さい』と女医さんは言った。

私は『注射ぐらい、大丈夫です』明るく言った。

帰路、今週も大安つづきだなぁ、と思った。
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真夜中の豆まき・・。

2005-02-03 16:25:04 | 現役サラリーマン時代の想いで
十年前の頃だった。

帰宅したのが、夜の11時30分過ぎだった。

洗面所で顔を洗い、パジャマ姿になると、12時近かった。

家内が『深夜ですので、年の数だけ豆を、頂きましょうね』と言った。

私ももっともだ、と思ったが、仕事で遅くなったんだから、と素直に納得出来なかった。

『今からでも、遅くない』と私は言って、戸を開けた。

『福はう~ち! 鬼はそ~と!』と私は大きな声で庭に向って連呼した。

周りの一軒が台所の窓が開き、もう一軒はベランダのガラス戸が開いた。

XXさんの所、今頃何をやっているんだ、いうような仕草が遠くからも解かった。

よきことの行事に対しては、近所からはクレームが有りませんでした・・。
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言葉の遊び・・。

2005-02-03 08:42:27 | 定年後の思い
旅行に行った時、夕暮れ時に地酒など呑みながら、言葉の遊びをする。
少し乙女チックで恥ずかしいが、

暮れなずむ かなたの山の 静けさや

ブナの樹の 春のおとずれ 待ちわびる

杉林し 風雪に耐え 今の日に

みぞれ雪 冬のさなかの ひとときよ

雪がやみ 春のおとずれ 明日かしら

こんな拙い遊びをし、ぐいのみの酒をほす時もある。
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