水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

生活短編集 39 インスタント社員 

2014年04月17日 00時00分00秒 | #小説

 岡倉製菓は古びた工場で菓子の製造を行う小さな会社である。株式会社とは名ばかりで、従業員数は全員で40人足らずだ。
「社長! 弱りましたよ。田所が俄(にわ)かな腰痛で休みたいそうです」
「なんとか、ならんのか? 三崎君…」
 社長の岡倉は額(ひたい)の汗を手拭(てぬぐ)いで拭(ふ)きながら手を止めた。炭が赤々と燃えて熱を放ち、網の上の煎餅(せんべい)をほどよく焼いている。
「はあ…、私も、そういったんですが、どうも、いかんようです」
「辛抱強い田所君のことだから、よほど悪いんだろう。まあ仕方がない、臨時社員募集の求人広告を出してくれるか。やっと取れた特注だ、キャンセルはできん。上手(うま)くすると、皆の給料がアップできる! 田所君の持ち場は、とにかく家内にやらせるよ」
「分かりました。では、さっそく広告を!」
 給料アップが効いたのか、名ばかり専務の三崎は走るように去った。
 数日後、新聞に小さな広告ビラが入った。岡倉製菓の求人募集もその中のガイド紙面に掲載されていた。むろん、その大きさは他の広告と同じで、ほんの僅(わず)かだった。
「ほう! 君か。今度、来てくれるのは」
「はい! よろしくお願いします。インスタント社員の神坂です!」
「インスタント社員?」
 岡倉は採用予定の神坂を間仕切りだけで名ばかりの事務室で面接していた。自分でインスタント社員と言う臨時雇いは初めて経験する岡倉だった。これでは、どちらが面接しているのか分からない。
「はい! 私、こう見えて、いろいろと工場を回らせていただいてるんです。お蔭(かげ)さまで、どの工場でも喜んでいただきました、はい!」
「… そうなの? じゃあ、よろしく頼むよ。詳しいことは、あそこでタレ桶(おけ)を回している三崎専務の方から聞いて下さい」
 聞こえていたのか、少し離れたところにいる三崎は笑顔で軽く頭を下げた。
「はい、分かりました…」
「あっ! ちょっと待って! インスタント社員って、どういう意味なの?」
 事務室を出ようとした神坂を岡倉は止めた。
「ああ、その意味ですか。それなりに、なりきれるんですよ、私」
「えっ!? どういうこと?」
「つまり…まあ、明日になれば分かると思いますが、それなりに休まれている田所さんになりきれる・・ということです」
「誰が?」
「ははは…私ですよ、社長」
「今日来た君が、知らない田所君に?」
 岡倉は、妙なことを言う奴だ…という怪訝(けげん)な表情で神坂を見た。
「ええ、田所さんには一度、出会ってきました。それと、いろいろな情報とかも入手しております」
「といってだよ。経験のない君が、田所君のような熟練者と同じツケ焼きは出来んだろ?」
「はあ、同じとはいきません。ただ、一日間は、じぃ~~っとお待ちください。待っていただければ、それなりには近づけられます。だから、インスタント社員なんですよ」
 次の日、社長の岡倉以下、全員が目を疑った。神坂のツケ焼きの姿は、まるで田所そのものだった。焼き上がった煎餅も、ほどほどの仕上がりだったから、誰も文句を言えなかった。岡倉と三崎はインスタント社員の神坂を、ただ茫然(ぼうぜん)と眺(なが)め続けた。

                                 完


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