「えっ!」
三木は定食屋[おかど]に初めて入って、その品書きに驚かされた。
《 味噌汁定食 百二十円 》
と、大きく書かれた品書きが、私が主役! とばかりの大きな墨書き札(ふだ)で左右の側壁中央に、ドッカ! と貼(は)られていた。
この店の売りなんだろうな。まあ、いいか…と、三木は受け流し、見回して他の品書きを探した。だが、壁に貼られた品書きは、主役の左右二枚のみで、脇役札も端役(はやく)札も貼られていない。こりゃ、おかしいぞ…と、三木は思った。
「あの!! すみません! 注文したいんですがっ!」
「は~~い」
大声とともにフラフラと奥から現れたのは、年の頃なら八十半ばの老人である。呼んですぐに出てきたのだから耳は大丈夫そうだが、目が駄目らしく、三木のすぐ傍(そば)まで近づき、間近(まじか)まで顔を擦(す)り寄せた。そして、ド近眼の、瓶の底のような眼鏡(メガネ)を弄(いじ)り、ようやく三木が客だ…と理解した。
「ああ! お客さん、でしたか!」
遠目で分かるだろうがっ! と少し怒れた三木だが、そこは抑(おさ)えて、口に出さなかった。
「注文したいんですが…」
「ああ、注文ですか。はい、どうぞどうぞ」
「あのう…、アレしか出来ませんか?」
「はあ?」
「だから、そこに貼ってある以外は出来ないんですか、って訊(き)いてるんですが…」
「ええ、うちは、それだけです。それだけのもんです」
三木は馬鹿にされているようで腹立たしくなった。
「あのね! 味噌汁定食って、どんなんです?!」
「えっ? 味噌汁定食は味噌汁定食ですよ」
「だから、その味噌汁定食は、どういうのですか?」
「どういうのって? …定食ですよ。お客さん、分からない人だな」
「分からないのは、あんたでしょうよ!」
三木は少し語気を強くした。
「いやぁ~、分からないのはお客さんでしょ。味噌汁定食は味噌汁の定食です!」
「… … あんた、分からないんだ!」
三木がそう言ったとき、老人は奥へ素早く戻(もど)ると、トレイに味噌汁入りの椀(わん)と八分目ほど盛った丼(どんぶり)飯(めし)を乗せて、ふたたび現れた。
「お客さん、いいですか! これが味噌汁定食!」
確かに味噌汁が付いた定食だ…と、三木は文句が言えず、思った。
「あの…オカズは?」
「オカズ? オカズは味噌汁でしょうが。ははは…おかしなお人だ」
「…」
三木は言い返せず、押し黙(だま)った。
完