水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

生活短編集 46 落としどころ

2014年04月24日 00時00分00秒 | #小説

 物事には[落としどころ]というものがある。これを逃せば、結果が惨憺(さんたん)たるものになる、その分かれ目だ。
「あいつ、まだ付き合ってるそうだぜ」
「そうそう。もう、かれこれ20年だろ。よく続くよ…」
「ははは…。俺達ゃ数年で落としてるのにな」
「ああ。同期はみな、所帯持ちなのにな。いやぁ~なにか、訳ありなんじゃないか?」
「ああ、それは言える。20年と言やぁ~、ひと世代だぜ。きっと、なにかある」
「ああ…」
 社員食堂で二人が少し離れた一人をチラ見しながら話しては食べている。これは、落としどころを失った恋愛の場合である。食堂を出て階段を降りると、各階の踊り場にトイレがある。男子トイレで大の用を足している男がいる。朝の出がけに子供に先を越された。幸い、便意は遠退いたので出勤したのだが、昼の定食を食べ始めたところで俄(にわ)かに催(もよお)したのである。ウンチや小便の我慢も、ある程度のところで見切り発車しないと、…まあ、こうなる。
『… なかなか出んなぁ~』
 この男、そう思いながら、いきんでいるのだが、固くなってしまったのか、なかなか出づらい。これ以上いきむと、また痔の肛門が切れるから、それもままならず、数十分、格闘している訳だ。[落としどころ]を逃(のが)すと、食べられず、出せずという惨(みじ)めな結果になってしまう。この会社の窓越しに国会議事堂が小さく見える。その中の某委員会の風景である。
「賛成の諸君の起立を求めます!!」
 ドタドタと野党議員が委員長席へ詰め寄り、委員会は怒号、野次雑言が飛び交い、騒然となった。どうも、強行採決に反対する光景のようだ。これは、わざと[落としどころ]を早めた結果、生じたトラブルだ。与党側の委員長は、恐らくこうなるであろうことを予見していたのだろう。その覚悟を背負わされた男の哀愁こもる声が切ない。
「▽◎※! き、起立多数! &%# …よって、本案は…%&”#…可決されましたっ!」
 細く、弱く、小さい声はよく聞きとれないが、そう告げると委員長は、ソソクサと委員会をあとにして退席した。与党委員に守られながらの逃避(とうひ)場面である。そんな国会議事堂をあとにして、街並みを越えると築地(つきじ)である。築地の朝は早い。
 競りが始まっている。
「…###、&&&、”””、&&&、$、$!」
 訳の分からない早口の競り専門語で落札額が決まった。この男は[落としどころ]を心得ている。この築地を離れ、しばらく街並みを迂回する。とある警察署が見えてきた。中の取調室では、若い刑事と年老いた刑事が犯人と思(おぼ)しき容疑者を取り調べている。
「いい加減にしろ! アリバイは崩れたんだっ!!」
 若い刑事が机を叩き、椅子に座って黙秘を続ける容疑者に迫った。
「… …」
「ははは…。お前さん、子供がいたな。父ちゃん、帰ってこないの? って、泣いてたぞ。可哀そうにな…」
 静かなしみじみとした声で老刑事は囁(ささや)いた。次の瞬間、容疑者は机へ泣き崩れた。
「ぅぅぅ…や、やる気はなかったんだぁ~!」
 この老刑事は[落としどころ]を心得ている。“落としの○さん”と呼ばれる警視庁きっての名刑事らしい。犯行は自転車の空気入れを自転車屋から盗んだ単純窃盗だった。
「初犯だっ! まあ、今後は心を改めることだな。ははは…示談にするとさ」
 老刑事が容疑者の肩をポン! と叩く。容疑者は、ふたたび泣き崩れた。さすがは上手(うま)い[落としどころ]である。

                                   完


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