蝉しぐれが喧(やかま)しい夏の昼下がりである。病院内の一室で重体の鮭熊(さけくま)は昏睡(こんすい)状態に陥(おちい)りベッドの上に横たわっていた。ベッドの周囲には医者の皮毛(かわげ)と鮭熊の家族が取り囲んでいる。
「お気の毒ですが、ダメですな。手遅れです」
皮毛は手首の脈を取っただけで、鰾膠(にべ)もなくすぐ言い切った。
「ええっ! そんな馬鹿なっ! 気絶しただけですよっ!」
「いや、ダメなものはダメですっ! 医者の私が言ってるんですから…」
皮気はどういう訳か、すごく興奮していた。そんな皮毛を訝(いぶか)しそうに案じながら、付き従うインターンの炭火(すみび)は鮭熊の胸に手を当てた。
「先生! しっかりとした拍動が認められますが…」
立場上、炭火は小声でボソッと皮毛へ耳打ちをした。
「そんなことは分かっているんだよっ! いやなに…じきに止まる」
「ぅぅぅ…あなたっ!」
妻の美佐江は思わずしゃがみ込むと、ベッドの夫に縋(すが)りついた。
「では私はこれで…。あとは君が診(み)なさいっ!」
どういう訳か、皮毛は急(せ)いて病室を出ていった。霊感が鋭い皮毛には死神の姿が見えていたのである。そんな皮毛の後ろ姿を炭火は怪訝(けげん)な表情で見送った。
「いや、大丈夫ですよっ! すぐ意識は戻(もど)られると思います!」
皮毛が出てガチャリ! とドアのノブが閉じられると、炭火は鮭熊の家族を見回し、皮毛の前言を撤回(てっかい)した。
ドアの外である。皮毛は数歩歩くと、呻(うめ)いて倒れた。そして、苦しそうに事切(ことき)れた。傍(かたわ)らには死神が立って皮毛を見下ろしていた。死神は鮭熊に立っていたのではなかった。手遅れなのは皮毛だった。
完
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