残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《剣聖②》第十七回
その時、今し方まで晴れていた空から大粒の雨が落ちだした。外にいた丁稚は慌てふためいて店内へと駆け入る。時折り雷鳴が轟き、梅雨の到来を告げる生暖かな風が暖簾越しに店内へと吹き込んでくる。そして、雨音は少しずつ激しさを増した。左馬介は外の様子が幾らか気になったが、委細構わず奥へと押し通った。雨音を気にするようでは剣聖への道は程遠いと、不意に思えたのである。
廊下を進んでいくと居間があり、障子戸が開け放たれている。そして、茶を悠然と座って啜る喜平の姿があった。左馬介は声を掛けるでなく、喜平へ軽く会釈した。当然、足は止まる。
「あっ! …これは。入られましたな。お部屋は、そこを左へ曲がられた所の四畳半を支度させてございます」
「これは、どうも…」
そう、ひと言だけ声を返し、左馬介は、ふたたび動き出した。流石は旅籠だけのことはあり、よく掃除が行き届いている。滑りそうな廊下が光沢を放つ。
暫く直進し左へ曲がると、なるほど、喜平が云ったとおりの手頃な四畳半の間が戸口を開けて左馬介を待ち構えていた。一般客を泊めるにしては客を受け入れる大仰さがなく、薄汚れて小ざっぱりとした落ち着き感もない。