ごんつまのあかるく・たのしく♪

単調な毎日のなか・・・
嬉しかったこと、楽しかったことなど・・・

鶏ささみ磯辺焼き弁当と伊丹城(有岡城)堀跡遺構説明会

2013-09-09 10:12:06 | 近くへお出かけ

おはようございます

 

          

 

 

9/9(月)のお弁当        

 

・キンピラごぼう

・リサーラソーセージ

・レタス、ミニトマト

・若鶏ささみ磯辺串焼き(冷凍品)

・ブロッコリー

・葱入り玉子焼き

・味噌汁

 

お弁当になに入れようか~

なにも考えてなかったので・・・

まさかのときに買っていた「若鶏ささみ磯辺串焼き」で

串をさしたままでは入らないので抜きました~

 

 

 

 

昨日は、小雨の中をここへ

 

『有岡城跡・伊丹郷町遺跡 ~第352次調査~』の現地説明会へ行ってきました

 

城跡位置図  

 

有岡城の前身である伊丹城は、鎌倉時代末期から、在地武士の伊丹氏の居城でした」

「室町時代は細川家に、その後永禄11年(1568)織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、

伊丹親興(いたみちかおき)は織田信長方につき、「摂津三守護」に任じられますが、

信長と義昭が対立しはじめると、義昭方に付き信長に反します」

その後「荒木村重が、信長の命によって、天正2年(1574)に伊丹氏を追放し、入城!

『有岡城』と改めます。」

 

今回、遺構が見つかったのは 堀01

規模は、長さ38m以上、幅約3m、深さ1.5m。

 

有岡城内で見つかる、多くの堀は「侍町」から発見され、有岡城期の町屋の町割に並行しています。

しかし、 堀01 は、この町割に並行しておらず、また、この堀01の直上で、

有岡城期と考える建物を発見したことなどから、有岡城以前の伊丹城期の堀と考えられます

と、説明がありました。

 

 

そして、帰り道、いつも何も思わず通っていたこの大溝跡

 

有岡城跡

 

 

改めてじっくり見てきました

もっと知りたい!伊丹の歴史!これから調べて勉強します!