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丹波篠山市立「武家屋敷 安間家(あんまけ)史料館」

2022-04-13 10:21:59 | お出かけ・兵庫県 丹波篠山市

雲が広がった朝の空ですが、午後にはの予報~。

最高気温は26℃らしい・・・

 

それでは・・・篠山城跡で満開の桜で大満足~ 十分のお花見を楽しんだあと・・・

御徒町武家屋敷群で「武家屋敷 安間家史料館」を見学してきました~

◆施設概要/丹波篠山市立 武家屋敷 安間家史料館

安間家史料館は天保元年(1830)以降に建てられた武家屋敷で、平成6年(1994)10月から翌年3月にかけて全面的な改修を行い、史料館として一般に公開したものです。

江戸時代、篠山城の外堀の周縁には、その身分によって武家屋敷が配置されていました。安間家は篠山藩主青山家の家臣で、「高12石3人扶持」の禄を得る下級武士の一家でした。その住宅は通称「御徒士町」と呼ばれる武家屋敷群の一角にある標準的な徒士住宅で、茅葺で曲屋形式の母屋と瓦葺の土蔵が残っており、当時の武家の暮らしを伝えています。

内部には、安間家に伝来した古文書や日常に用いられた食器類や家具をはじめ、 のちに寄贈を受けた篠山藩ゆかりの武具や史料を展示しています。 旧安間家住宅は、平成6年5月20日に市指定文化財となっています。(HPより)

高十二石三人扶持の武家住宅

安間家は篠山藩主青山氏の家臣で、禄高は天保八年(1837)の状況を伝える絵図によると「高十二石三人扶持」と 記されており、篠山藩の標準的な徒士住宅であったことがわかります。

母屋は正面を東に向け、間口六間半(約13メートル)、奥行七間半(約15メートル)あり、部屋割は正面に向かって玄関、右奥に庭園に面した八畳の座敷を配置し、 玄関奥には台所、座敷の奥に仏間、居間が続いています。(HPより)

「土間」

「台所」

 

「次の間」に丹波かいばら雛めぐりで出会った「稲畑人形」が!

陣笠でしょうね?

弓や槍などが!

甲冑も!

ここにも「稲畑人形」

 

塗りが素晴らしい~我が家の重箱とは違う渋くて品があります

お椀も

茶釜がありますが・・・

IH調理器の上に!

 

「丹波水琴窟」甕は丹波焼!

庭へ出てから近づくと水が無くて・・・

 

庭へ出てみます。

蔵があります。

蔵の内部に

 

此方も満開~

下級武士の営みが感じられるような・・・質素な佇まいです。

明治の廃藩置県によって、江戸詰めの家臣を中心として多くの家臣が丹波篠山から引き払いましたが、

御徒町の武士のほとんどは丹波篠山に留まりました。

以後も手入れを怠らなかったことが、かつての武家屋敷の面影をよく今に伝えることになったのです。(パンプレットより)

 

御徒士町にはいまなお数戸の武家屋敷住宅が存在していて、当時の面影をよくとどめています。現存する御徒士町の特徴は、下記のとおりです。

  • 武士の住宅である
  • 建築年代が天保元年(1830)の火災後、ほどなく建てられたものである
  • 各屋敷の間口は八間である
  • 各住宅は禄高・扶持数など大きな差がなかったにもかかわらず、規模や部屋の構成などに自由さが見られる
  • 屋敷の出入り口は築地塀に門を開き、土間には格子戸を用いている
  • 「右ずまい」住居で、座敷が北にくることから床の間は北にしつらえられた。縁を東につけたことで日照は東側からえた。 一方、曲屋の部分は座敷の西側を伸ばしてつくられ南側に開口部を設けて日照をえている。
  • 町並みとしては、篠山における最も古い景観をいまに伝えている

これらの特徴は全国的にみても素晴らしい文化遺産であり、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。 御徒士町の武家住宅は堀端や馬出周辺の武家屋敷と一体となって、篠山城を中核とする城下町の一角を形成し、 すぐれた歴史的景観をみせています。(観光サイトより)

 

御徒町を歩いてみたかったのですが・・・歩き疲れたので 次の機会に訪れることに・・・

篠山の佇まいと雰囲気が好きで何回か訪れていました。その度に篠山の歴史を色々知ることによってまた一段と興味が湧いてきました

一度に吸収することは体力的にも知力的にもできません~

訪れるたびに、すこしずつ・・・知識を深められたらいいな~と・・・戻ります~

 

帰り道の「渡瀬橋」手前(車内から)

見納めの桜🌸満足するまで目に焼き付け・カメラに収めてきました~

今年は長く楽しめたお花見🌸を思う存分愉しめて~



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