陽射しが届いて暖かかった午前中でしたが、午後になって雲が広がり冷えてきました~
ポカポカ陽気の昨日!ぶらぶら~散歩で2019年に訪れて以来の雛飾りを観てきました
旧岡田家住宅には、正面に店舗、奥に酒蔵、その間に釜屋・洗い場が並んでいます。建立時期は、店舗が江戸前期の延宝2(1674)年、酒蔵は少し遅れて正徳5(1715)年頃と考えられています。釜屋・洗い場は江戸後期に建てられ、その後大きく改造されて今日に至っています。建立者は、江戸前期の酒造家松屋与兵衛であったことが、古文書と在銘礎石などから推測されます。蔵の所有は享保14(1729)年に鹿島屋清右衛門に移り、明治に入り安藤由松を経て岡田正造へと渡り、昭和59(1984)年まで(株)大手抦酒造の北蔵として酒造りが行われていました。ここで醸造されていた酒は、江戸時代には松緑、岡田家の所有となって以後は富貴長・大手抦が主要銘酒でした。
旧岡田家住宅は、伊丹の町家としてもっとも古く、全国的にも数少ない17世紀の町家のひとつです。また江戸時代に栄えた伊丹の酒造りを今に伝える遺構として大変貴重な建物です。(伊丹市HPより)
内部の様子はこのときに載せています。
なかへ・・・
「明治時代の雛飾り」
「大正時代の雛飾り」
「昭和時代の雛飾り」
毎年欠かさず訪れている雛飾りでしたが、コロナ過や改修工事で閉館されていたので久々に出会った雛飾りです。
「旧岡田家住宅」の東側に
「旧石橋家住宅」
「旧石橋家住宅」は江戸時代後期に建てられた町家です。正面は摺り上げ大戸やばったり床几(揚見世)、出格子がはめ込まれています。つし2階は4か所に虫籠窓を設け、軒まで白壁で塗り込めているなど、建設当初の店構えを残していることから平成13年に県指定文化財になりました。
石橋家は、17世紀後期に初代弥兵衛が昆陽口村で八百屋(よろずや)を開業したのが始まりであるとされています。そして4代目から北少路村(宮ノ前1)に移り住み、5代目より「古手屋茂兵衛」を名乗りました。明治以降は紙・金物等の小売業と酒造業を兼業し、その後、日用品の雑貨商を営みました。
旧岡田家住宅と旧石橋家住宅は、日本遺産「『伊丹諸白』と『灘の生一本』~下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷~」の構成文化財にも認定されています。
寂しい庭ですが枝垂れ桜が素晴らしいのです
北側から「旧石橋家住宅」のお二階を
いつもと角度を変えて撮ってみました~
お向かいのお家の水仙が綺麗に咲いていました、、、
ぽかぽか陽気に春がすぐそこに!と思わせるいいお天気の日曜日の昼下がりでした~