「憎しみを越える橋」があるのをご存知でしょうか。 戦国時代、豊臣秀吉が小田原征伐で天下統一を果たしましたが、その戦に出征した、尾張(愛知県)の堀尾金助という18歳の少年がいました。 金助の母は出陣の日、熱田宿近くの精進川に架かる裁断橋(名古屋市熱田区伝馬町)まで見送りました。 これが金助との最後の別れになりました。 金助は陣中で病死したのです。 母は戦に出した事をいつまでも後悔し嘆きました。 しかし、母は仏に頂いた命は誰もが同じであり、憎しみを乗り越えるのは平等の心であると知り、敵も味方も犬も猫も渡る、別れの地になった裁断橋をいつまでも残そうと決心しました。 古くなった橋の修築にと、亡くなる33年間蓄えたお金を寄進したそ うです。 現在は橋の跡とし て史跡が残ってい るようです。 皆が損得ではなく平等に生きる喜びを橋に託したのです。 『憎しみを越える橋』としていつまでも語り継がれることでしょう。 何か心にとめて置きたい橋だと思います。 何か不条理とか、憎しみを抱く事があったら この橋の教えを思い出して欲しいと思い幾度も紹介させて頂きます。 合掌
神様にお願いしたのに何故応えてくれないの? と感じている方がいると思います。 そこで、「神の時間」の表現は私たちのものとは違うといいます。 クリスチャン・インターナショナルのビル・ハモン博士が次のように述べています。 「直ちに」は 1日から3年を意味する。 「すぐに」は 1年から10年を意味する。 「今、この日」は 1年から40年を意味する。 と述べています。 「見よ。私はすぐに来る。」 (イエス・キリスト) 1年から10年の間に来るということなんだ。 しかし、気づくことがあります。 「今」という概念はもうそのプロセスに入っているのだと。 違った救いのステージに進んでいることに気づくのです。 「神の時間を知れば救いのステージに導かれているのに気づくはずです。」 (聖母マリアさまの声) 願いを聴いて下さってありがとうございますと常に感謝しましょう。 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」 (聖書) アーメン