皆様は桜狩り(お花見)はどちらに行きますか? 平安時代お花見の時に着て行く女性の美しい衣裳の事を「さくらがさね」と言ったそうです。 表が白、裏が赤の 「襲(かさね)」のことをさくらがさねと言いました。 また、花びらが人に散りかかる様子を見て 「花衣」といったとか。 風流ですね。 桜狩りに早く行きたくなりました。 合掌
どんなものにも、染まったり、汚れたりしないという意味の言葉に 「不染汚(ふぜんな)」があります。 道元禅師の言葉です。 批判や悪口、誉められ たり、けなされたり金に貧乏に染まる。 役人も長くすると役人に染まる。 国会議員も肩書きに染 まり、地位や名誉に染まる。 人間はいろいろなもの に汚れてしまいます。 染まりも汚れもしない 心、それが不染汚です。 迷った時に思い出した い言葉です。 また、勇気が湧く言葉 だと思います。 「この世は自分で願っ たものではなく、無明 (苦の根源)を父とし て生まれてきたもの。 死もまた望みではない が、因業(いんごう) の鬼神がやって来て 私を殺すのだ」 (空海) 過去の悪業が原因となって鬼が我を殺すというなら、いまこの世でともに修業して、それを断ち切ればよいのだ。 過去にこだわるな。 鬼と戦う自分を作ればよい。 いまを生きよ。 と述べています。 心を奮(ふる)い立た せてくれる言葉です。 さて、鬼と戦うにはどうすればよいのだろうか。 どんな修業をすればよいのだろうか。 ここで、修行と修業の 違いを説明します。 「修行」とは神との通信を修めること。 (神との文通の技を修めること) 「修業」とは未熟な者が成熟するために修めることといわれています。 まずは未熟な私が修業 して、鬼に勝つにはどうしたらよいのだろうか。 私なら、まず鬼を恐が らず追い返してやる気迫を持とう。 それと前世や過去の悪業を問い詰められたら、「今を見よ!」と答えるだろう。 献身的な奉仕に無心に努めて入ればよい。 これを修業としてとらえよう。 自分の為に生まれたのではない。 人の為に生まれてきたのだと。 鬼退治になれると信じています。 自分を叱咤激励する時に思い出す言葉 「不染汚」 心に刻んでくれたら ありがたいです。 最近ある方からメールを頂きました。 偶然私の言葉に出会いじさつを踏みとどまりましたとのお礼でした。 これは有りがたかったです。むかし同僚のじさつを止められなかった悔しさがありましたから本当に嬉しいです。こちらこそありがとうございました。 合掌