『キリスト様が亡くなられた日。 勝利の日であり、敗北の日のようでもある。 だれの勝利か、だれの敗北かと言うと、その判断はあなたに任せます。 でも私に言わせたら、 キリストの大勝利だとしか思わない。 一見反対者たちの勝ちのようです。 前から彼らがキリスト様を狙っていたから。 だから、彼等の勝利のように見えます。 ところが、福音を調べてみると、キリスト様は大声を出して亡くなりました。 ヨハネは、 「イエスは・・・成し遂げられたと言い、頭をたれて息を引き取られた」とだけ書き残しました。 この「成し遂げられた」という言葉は決して敗北者の言葉ではない。 「やった!ヤッタぞ!」という勝利者のような叫びでした。 自分が与えられた使命を全うしました。 他の三つの福音を見ましょう。 「イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた」(マタイ27:50)。 マタイ福音です。 「イエスは大声を出して息を引き取られた」(マルコ15:37)。 マルコの福音です。 「イエスは大声で叫ばれた。 父よ、私の霊をみ手に委ねます。」 こう言って息を引き取られた。 (ルカ福音です)。 最後まで自らの務めを果たし、最後まで信頼して、最後まで力いっぱい生き抜かれましたキリスト様! そして言われました。 「父よ、彼らをお許しください」 (ルカ23:34) すごいではないでしょうか。愛の勝利です! 愛は憎しみより強い! 万歳主よ、万歳! そして、私たちのために命を捧げてくださったことを深く感謝します。 「実るほど 頭をたれ る 稲穂かな」 "A RICE POD SO FRUIT FUL IT BOWS ITS HEAD" またお会いしましょう。』 ~ペトロ神父~ そういう意味がある 金曜日なのですね。 今日もありがたい お言葉に感謝しています。 ★クリスチャンの読者よりメッセージが届きましたので紹介します。 度々聖書からの引用がございますが キリスト教のいう『愛』がどのようなものかご存知でしょうか? 与える愛だの尽くす愛だのいわれ『アガペーの愛』と呼ばれるソレのことですがあれは好き嫌いの感情のものではありません。 他者を愛するという強い意志のことをいうのです。 他人のことを自分のことのようにとらえ 誰彼わけへだてなく接することが愛なのです。 時々信仰者であっても誤解をし、好きになれないことが罪であるかのように苦しむ人がいますが 好きになれなどとは一言もいっていません。 そうではないのです。 嫌いなものは嫌いなのです。 何かの機会にアガペーの愛について 日記ででも説明いただけると幸いです。 好いたはれたはもちろん 感情をこえた所にある愛であるからこそ 人間は愛することができるのです。 アーメン ありがとうございます。 よく分かりました。 ありがたい教えに感謝です。 良い金曜日をお迎えください。 アーメン
桜の花のころの、暖かい曇り空のことを 「花曇り(はなぐもり)」 といいます。 天気が変わりやすい時期でもあります。 春の嵐でも吹いたら、 一夜にして散ってしまう。 「花曇り」はそんな 桜の花を美しく 咲き続けさせてくれる 優しい空模様です。 「満たされている はずなのに、不安に なるのは何故でしょうか。 花曇りの日に浮かぶ おぼろ月のように 幸福がぼやけている」 そんな心の内を 心の花曇り と呼ぶのかもしれない。 「盃かわす 色香漂う 桜顔」 そんな光景が浮かぶ 花見酒、月見酒が楽しみです。 合掌