生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

鬼神に勝つ力

2021-03-10 00:57:38 | 日々の暮らし

「この世は自分で願ったものではなく、無明(苦の根源)を父として生まれてきたもの。死もまた望みではないが、因業(いんごう)の鬼神がやって来て私を殺すのだ」              (空海) 

過去の悪業が原因となって鬼が我を殺すというなら、いまこの世でともに修業して、それを断ち切ればよいのだ。過去にこだわるな。鬼と戦う自分を作れば良い。いまを生きよと述べています。

心を奮(ふる)い立た
せてくれる言葉です。
さて、鬼と戦うにはどうすればよいのだろうか。どんな修業をすればよいのだろうか。
「修業」とは未熟な者が成熟するために修めることといわれています。まずは未熟な私が修業して、鬼に勝にはどうしたらよいのだろうか。私なら、まず鬼を恐がらず追い返してやる気迫を持とう。それと前世や過去の悪業を問い詰められたら「今を見よ!」と答えるだろう。献身的な奉仕に無心に努めていればよい。これを修業としてとらえよう。
また、イエス様は12使徒に悪霊を制する言葉を授けました。そのひとつに「天の御国が近づいた」と宣(の)べなさいがあります。
いかなる苦も気にならない心も鬼退治になれると信じます。 皆様も「鬼神に勝つ力」がつきますように。           

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春だなあ

2021-03-09 17:28:35 | 日々の暮らし

「春なれや(春だなあ)
名もなき山の
薄霞(うすがすみ)」
(野ざらし紀行・芭蕉)
朝や夕方に雲に日が当たって赤く見える現象を霞(かすみ)といいます。
冷え冷えとした「霧」は秋であり、やさしくたなびく「霞」は春そのもの。
「霧」は深く立ち込め
「霞」は夕方遠くに淡く見える。
夜になると「朧(おぼろ)」と表現が変わります。桜も咲き始めました。身も心も温かくなる春がやって来たなあ。

 

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大切な宝物

2021-03-08 03:41:34 | 日々の暮らし

あなたにとって大切な「宝物」は何ですか?
イエスはその宝物が自分の命が終わった時に意味がなくなるような物ではないですか?そうではなく、永遠に続くものを求めるようにそれを宝物にしなさいと述べています。「地上ではなく、天に宝を積みなさい。あなたの宝あるところに、あなたの心もあるからです。」
(聖書マタイ・4-4)

お釈迦様も「四人の妻」を取り上げて説いています。死での旅についてきてくれるのは財産でも、肉体でも、愛する家族でもない。それは自分の煩悩というほこりにまみれた魂だと。大切な宝物を見つけて天に持っていきましょう。天の神様に祝福されますように。
       祈願

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望みが叶う言葉

2021-03-07 02:57:41 | 日々の暮らし

江戸時代中期の儒学者に滝鶴台(たきかくだい)がいました。
 彼の言葉に
「善い事と努力が
 人生を創る」があります。
妻の「たけ」はこの言葉を実践していたといいます。
 たけがある日、着物の袂(たもと)から紅白の糸で巻かれた鞠(まり)を落としました。
 「たけよ、鞠を何のために持っておるのか?」
 「あら、お恥ずかしいです。
実は毎日何かの善いことをすれば、白い糸を鞠に巻き、善くないと思う事があれば、赤い糸を巻いております。
 最近は白い糸が赤い糸と同じ位になりました。
白い糸をもっと増やしたいのです。」
 鶴台は毎日自分の行いを自己採点するたけの
 純粋な行いに恐れ入ったという。
 この「たけ」には面白いエピソードがあります。
 正直いってとても醜い顔したハイミスだったといいます。
 彼女が有名な学者になっていた滝鶴台の妻になりたい!
と宣言しました。
 封建時代の女性の言葉としては思い切った発言だったので世間が驚いた。
 それを伝え聞いた鶴台は、「ああ、それこそわたしが妻にしたい女性だと」結婚を申し込んだという。
 内助の功の鏡として語り継がれたといいます。言葉に出せば望みは叶うものです。

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2021-03-06 01:31:37 | 日々の暮らし

「毎日の中で、一番むだに過ごされた日は、笑わなかった日である。」
 (シャンフォール)
「一日誰かを笑わせた日は、良き日である。」
   (私)
笑いのない生活は寒々としている。
「言葉よりも豊かな表現力があるのが笑い」言葉が通じない人、認知症で心配事やものとられ被害妄想で悩んでばかりいる人、そんな老人介護現場。私は「笑う介護士」一日一回は皆に笑ってもらおうと踊ったり、パントマイムをする。
「あんたは本当にバカだね」「あんた大丈夫?」と笑ってくれる。託児所を経営していた時は全身で笑う赤ちゃんが大好きでした。皆さんはもう苦労を一杯して来たんだから、これからはすべて忘れて笑って過ごそうよ。
モナリザの微笑みや観音様、お地蔵様のように微笑み返ししてください。

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