後期高齢者の旅とひとりごと

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タイへ

2007-01-13 17:10:25 | 旅行記

平成15年一月三日から妻と二人でタイバンコクへ行く。バンコク市内のバイヨークスカイホテルに4泊しアユタヤパンパイン離宮~アユタヤ日本人町跡~アユタヤワットプラシーサンペット~バンコク水上マーケット(舟に乗り運河を巡る)~プラバトムチェデイー
~エメラルド寺院~ローズガーデン(象に乗る)を観光する。

アユタヤはバンコクからバスで約一時間半ぐらいかかる。ユネスコの世界遺産に登録されているところで、その昔西暦1,350年から400年にわたって栄華を誇ったアユタヤ王朝の廃墟の町である。ビルマ軍により破壊された寺院や仏塔が無残にのこり当時の華麗なる都の様子が偲ばれる。木の根にはさまれた仏塔はすごく印象的であった。

アユタヤ_079には山田長政で_052_1ご存知の日本人街の遺跡がのこっていた。ただ石碑と記念館、お土産やさんがあるのみであったがその店1でタイシルクの織物が比較的康かったのでシャツとテーブルクロスを買い求める。

    パンパイン宮殿はタイ王室の離宮で中国風の華麗な建物が建ち池の中に立つ建物(見晴台)はすばらしい。タイ在住の華僑たちが寄進したという豪華な中国風の建物も目を楽しませてくる。池のそばに生えていた大きな菩提樹の木がいまでも印象に残る。

水上マーケットは水の都タイの雰囲気のある活気みなぎる運河を小船で果物や野菜、日用品、種々さまざまな食品や商品を売るマーケットである。観光客の観光小船の発着場は舟でごったかえしていた。特に日本と違い果物の豊富さと値段の安さはうらやましい。果物の女王と言われるマンゴースチンを買って食べたがおいしくて廉かった。パパイヤ、ランブータン、ドリアン、リンチー、ドラゴンフルーツなど又大きなジャックフルーツにはびっくりする。

エメラルド寺院(ワット・プラケオ)はさすがバンコクのメーンスポットだけあってかなりの観光客で混雑していた。1782年にラーマー一世が建てた寺院で中央に金色に輝く仏舎利塔が目に飛び込んでくる。寺院の本堂の外装はキンキラキンに綺麗に装飾がほどこされ素晴らしい景観である。本堂の中も見学できたが写真撮影は禁止になっていた。中央_001_1にエメラルド仏が安置されていたが、エメラルド仏といっているが実際は翡翠でできているらしい。寺院を出て歩いていると目の前を若者が警官に追いかけられて逮捕されるその瞬間を見たがタイはすりが多いと聞いていたがビックリした。

ところが翌日バンコク市内のショッピングセンター伊勢丹で、買い物をしてホテルへ帰る途中、舗道に露天が並ぶ人込みの中を歩いていたところ、男の人が突然前かがみになって、私の靴をつついて何かしきりに話すので、びっくりしてうつむいたところ、おかしいと思って買い物袋を持ったままズボンのポケットを押さえていたところ、後ろから突然手がポケットの中に入ってきて、財布を取ろうとするのを、妻が発見し大きな声をだした_023_2ので、私を取り囲む形でいたらしい3~4人の男が逃げていった。財布は盗られず無事であった。

ローズガーデンでは象の背中に乗ることができた。ここでは象ノショーやタイの民族舞踊やムエタイ、などのショーがあり結構楽しむことができた。

タイ料理はタイすきなど日本人好みのものが多く満足した四日間であった。


旅の思い出(旅と写真その四)

2007-01-06 15:02:14 | 旅行記

古い写真を整理しているとその時々の色んなことが思い起こされる。今年で70才国内外色んなところへ旅したことが懐かしく又旅先で知り合った人のことが偲ばれてくる。写真は人生の縮図と言うべきかタイムスリップの玉手箱か?写真を見ながらその時々の旅を思い浮かべ自分の生きてきたあかしとして記してみたい。

1995年(平成7年)7月仕事仲間とオーストラリアへゴルフと観光に出かける。

第一日目(7月28日)

関西空港21時40分の直行便でブリスベンへ翌朝7時5分着

第二日目(7月29日)

観光バスでブリスベン市内観光に出る。ブリスベンを見下ろせる小高い丘の上にあるマウント・クーサ展望台へ、ここからはブリスベン川を挟んだ町並みが一望できる。碁盤の目のように作られた町並みは見事なたたづまいである。その後、ローンパインコアラ保護区へ行き代わる代わるパンダをダッコして記念写真におさまる。この公園にはコアラ以外にもオーストラリアのいろんな動物が飼われておりかなり広い公園になっている。_030 _042

昼食後バスでゴールドコーストに向かう。役一時間ほどでゴールドコーストの宿泊予定ホテッル ハイアットリージェンシーサクチュアリーコープにチェックインする。

ホテルでくつろいだり、繁華街を散策したりと気ままに過ごし、夕方夕日を見ながら海岸べりのレストランでシーフードや焼肉バーベキュウで乾杯し夜遅くまで酔いしれる。日本と違いオーストラリアは乾燥しているためかビールは格別旨い。

第三日目(7月30日)

朝からPARADISE SPRINGUSE GOLF場へ行きゴルフをして楽しむ。フラットなコースで池とバンカーを多くとりいれたレイアウトである。日本と違い空気が乾燥しているせいかボールがよく飛ぶ。ゴルファーは比較的少なくプレーの途中で適当に休んでコーヒーや_0051 _007_1 ジュースを飲みながらの、のんびりとしたゴルフであった。日本のようにスタート時間が何時何分と決まっているのでなく適当な時間にプレーし楽しむことが出来た。夜ホテルで入浴後シーフードレストランで食事してからカジノへくりだす。

カジノはコンラッド・ジュピターズホテルに併設されており24時間営業している。スロット、ブラックジャック、ルーレットなどさまざまな遊びができる。少し小使いを増やした人も損をした人もいたが楽しく遊ぶことが出来た。夜が更けるのも忘れてしまう。

第四日目(7月31日)

朝ホテルで昼食後バスでブリスベンのクーランガッタ空港へ行き国内便でシドニーへ向かう。シドニー着後マッコーリ岬やオペラハウス、ロックス地区などを観光とショッピングで楽しむ。シドニーは世界三大美港のひとつ(香港・リオデジャネイロ・シドニー)と言われるだけあって本当に美しい港である。シドニーブリッジやオペラハウス、マッコーリ岬など素晴らしい橋や施設に目を楽しませる。国際都市だけあって大変多くの観光客で賑わっていた。ロックス地区にあるシドニールネッサンスホテルにチェックインしくつろぐ。夜はシドニーの夜の街を探索しオージービールとワインでシーフード料理に舌ずつみ、酔いしれる。_015_1 _018_1 _023_1 _026

第五日目(8月一日)

朝ホテルのレストランで朝食をすませて、歩いていると、MさんMさんとわたしを呼ぶ声がするので、振り返ると、昔いた会社の人であった。久し振りに出会ったのが、シドニーとはびっくりする。観光でこのホテルに泊まっている、とのこと、偶然の出会いに、二人とも奇跡かな???

この日は一日シドニータワーに昇ったり、シドニー湾のクルーズや水族館を見物したりショッピングしたり、のんびりとシドニーの街を散策し過ごす。シドニー泊

第六日目(8月二日)

シドニー11時5分初JALにて関西空港へ20時20分帰国


旅の思い出(旅と写真その三)

2007-01-05 18:37:27 | 旅行記

1990年(平成2年)8月夫婦でシンガポールへ行く。

第一日目(8月24日)

大阪空港12時30分シンガポール航空にて17時45分シンガポールチャンギ空港着。チャンギ空Exteriorが昔来た時よりも大きく立派になっていたのには驚く。入国手続き後オーチャード通りにあるマンダリンホテルにチェックイン、夕食はマンダリンホテルの35階にある北京料理店パインコートで食べる。なにはともあれパインコートでの一番の料理ペキンダックを食べる。パリパリに焼けた鴨の皮がとても香ばしく、いろんな香草を巻いてたべたががおいしかった。食後ホテルの周辺(オーチャード通り)をぶらついたが、16年前(1974年)に初めて来たときよりも大きなビルやホテル、ショッピングセンターなど沢山立ち並び観光客も多くすっかり街並みかわっており、びっくりした。マンダリンホテル泊

第二日目(8月25日)

ホテルで朝食後市内観光にバスで出かける。マーライオン(頭が獅子で胴体が魚の変わPhoto06 った像)公園周辺やアラブ人街、中国人街、マウントフェーバー(小高い丘の上にあり眺望がよくセントーサ島へのケーブルカーの発着駅がある)などを観光.し昼食は飲茶料理を食べる。その後オーチャード通りのショッピングセンターや伊勢丹などでショッピングしたりお茶を飲んだりしてすごす。夕方友人家族がペナン島からの観光帰路シンガポールに立ち寄りマンダリンホテルでデートする。 マンダリンホテル泊

第  日目(8月26日)

朝からマンダイ蘭園へランの観賞に行く。日本にない素晴らしいランが数多く栽培され見事であった。その後マレーシアのジョホールバルへバスで 行く。シンガポールからマレーシアの最南端の町ジョホー_045ルバル_048に行くにはシンガポールとマレーシアの間に流れるジョホール水道にかかる長い橋(コーズウエー)を渡りマレーシアに入国する。橋の真ん中あたりが国境になっていたように思う。マレーシアへ向かう車で道はかなり渋滞していたが橋を超えたところでマレーシアへの入国手続きを済ます。

マレーシアはシンガポールの街と違いイスラム国家だけあって街の雰囲気がちがう。王宮やイスラム教寺院、王宮博物館などを見学する。王宮博物館に広い日本庭園があり赤い鳥居を見たとき18年前に友人と初めて来た時偶然にも別のツアーで来られていた友人の親父さんにバッタリ出合ったことを思い出しその当時が懐かしくよみがえってくる。夕刻ホテルで入浴後夕食にニュートンサーカスへ行く。ニュートンサカスとはホーカーズセンターのことで屋台村のようなものである。中華料理や中国料理が中心であるが廉くて結構おいしい。昔来たときはまだ舗道のそばに夕方になるとさまだまな屋台を立てていた。その頃はカーパークと呼んでいたように思う。いつの頃からかしらないが固定式の屋台村に変わっていた。カニやエビのチリソースいためがおいしかった。

第四日目(8月27日)

ホテルで朝食後ホテルをチェックアウトしベルカウンターに荷物を預けてクス島へデイクルーズに出かける。このクルーズは世界貿易センターからクス島~セントジョーンズ島を回り約2時間ほどで世界貿易センターへ帰ってくる。乗船してしばらくすると中国のお菓子と飲み物のサービスがあった。

クス島に上陸すると池があり、池の真ん中を中国風の橋がかかり、亀の像があった。亀はクス島の守り神で、クスは中国語で亀の意味である。30分ほど島を散策後セントジョーンズ島へ向かう。この島にはココナッツ、マグローブなどの亜熱帯植物や花がさいており、バンガローやキャンプ場、海水浴場などがありみどりにおおわれた島であった。_049 _050 _051 _052

クルーズを終えて世界貿易センターのすぐ近くにあるタイガーバーム・ガーデンへ行く。この公園は香港でもおなじみの万能薬タイガーバームで億万長者になった胡文虎が作ったことで有名である。日本の大相撲の若乃花と栃錦の土俵入りの人形があったのには驚く。その後クロコダイルパラダイスでワニの飼育とショーを見学しすぐ近くにある野鳥園のヂュロンバードパークでオームやインコなどの鳥を見学しマンダリホテルへ帰る。

夜シンガポール最後の夕食はマンダリンホテルの39階にある回転展望レストランでシンガポールの夜景を見ながら食べる。深夜1時頃チャンギ空港を飛び立ちまもなく妻のお腹の具合がおかしくなり夕食に食べたものがよくなかたのか食中毒にかかたようだ。スチュアデスに薬をもらい飲むが一向に良くならず頻繁にトイレに通うこととなる。朝8時ごろ大阪空港に到着すると検疫にまわされて空港にしばらく、かんづめとなる。

ようやく検疫治療も終わり昼過ぎ自宅に帰ったが、まもなく保健所から検疫結果が出るまでどこへも外室しないで下さいと言われ2,3日自宅に監禁状態となる。結果単なる食中毒でセキリ等のうたがいもなくほっとする。この旅の最後がいやな記憶に残る旅になった。


旅の思い出(旅と写真その二)

2007-01-02 17:34:28 | 旅行記

1992年1月夫婦二人でオーストラリアへ行く。大阪空港(12.50全日空)を昼頃離陸し成田(19.20全日空)経由シドニー(6.40着)にて入国手続きを済ませ国内便(アンセット航空)でブリスベンに翌朝(11.00)く。

オーストラリア第一日目

ブリスベンは亜熱帯気候のため過ごしやすい、到着後服を着替えてブリスベンの市内観光にでかける。まず、一番にコアラにお目にかかりたく、ローンパインコアラパークに行き家内が念願のコアラをダッコして写真におさまる。_008_1  Pwomstep PgrayrooPkoalawink コアラの語源はオーストラリアの原住民アポリジニ語で水を飲まない とのこと一日に約2kgのユーカリを食べて水分を補給する。この公園にはカンガルー、ワラ ビー、カモノハシなども放し飼いされ手に触れたり餌をやったりする事が出来_010_011たり楽しいひと時であった。その後、植物園へ ハイビスカスやブーゲンビリアが咲きみだれていて素晴らしい公園である。昼食にレストランで食事した時料理にかけるソースを頼んだところキッコーマンと言って日本の醤油を出してきたのにはビックリする。午後バスにてゴールドコースト(30KMに渡って続く黄金海岸)に向かう。バスの右側に雄大な南太平洋が見える。バスの車窓から見える信号機が日本の雪国にある縦並びになっていたので、雪が降らないのにナンデヤとおもう。ブリスベンから約1時間ぐらいでゴールドコーストの中心リゾート地サーファーズパラダイスに入る。白砂の海岸ではサーフィンや海水浴客が見られ、高層ビルやホテルが立ち並び、美しい南太平洋随一のリゾート地である。ホテルにチェックインし、夕方までシーワールドでイルカやアシカ、シャチなどのショーを見たり、特に水上スキーのショーは素晴らしかった。夜ホテルで入浴後、街を散策、シーフードレストランで食事し、ビールで乾杯ゴールドコースト泊(HYATT REGENCY SACTUARY COVE)

オーストラリア二日目

この日は一日ゴールドコーストを観光する。シーワールドで遊び、またヘリコプターで遊覧飛行し、上空から見る景色は、まさに絶景であった。昼食はシーワールドの近くにあるフィッシャーマンズワーフでシーフPlorifeed1ード料理を食べる。Lorikeet午後はカランビン野鳥園へ行く。ここにAccom_ool_resort09_01 Gc はロリキート(オームの一種)に餌付けをいており、自分の手から餌がやれる。大変多 くのロリキートが飛び交って おり、まさに野鳥の楽園である。野鳥のほかにコアラやウオンバット、カンガルーなども餌付けしており自然とのふれあいに心が癒された。

夜はサーファーズパラダイスを散策やショッピングしオーストラリアで知り合った夫婦(大阪から来ていた)とシーフードレストランに食事にはいった。素晴らしい雰囲気のレストランでメニューをImg10111275449のもつかのま、おYumcrab_1勘定の値段を見て愕然とする。なんと忘れもしない値段、950A$(当時の日本円で約9万円)であった。説明によるとメニューリストのマッドクラブやロブスターの値段は100グラム当たりの値段であるとの事で了解したがメニューをみて一匹の値段と思ったのが間違いであった。一人当たり2万円余の晩餐となった。素晴らしい店の雰囲気とその味に満足するが後味の悪さが残ることとなった。このレストランの名はサーファーズパラダイスのオーキッド通りにある老舗のレストランでキャプテンズ・テーブルである。値段は高めだが味も雰囲気も一級品の五つ星レストランである。ゴールドコースト泊

オーストラリア三日目

ホテルで朝食後バスでブリスベンの空港に行き空路シドニーにお昼頃到着する。昼食は機内食をとったのですぐに市内観光のバスに乗り王立_023植物園やオペラハウスを見学し繁_002_1 _015 _014 華街でショッピングしホテルに入る。夜は久し振りに日本食が食べたくてケントスト リートにあるジャパニーズレストランの日光で寿司で乾杯、板前は焼津から来ているとの事で酒もありマグロのトロも日本よりやすくて旨かった。シドニー泊(THE ROYAL GARDEN)

オーストラリア四日目

今日はブルーマウンテンに行くために家内と二人でシドニー中央駅から列車に乗って車窓からの景色を見ながらのんびりと列車の旅を楽しむ。周りの乗客は外国人ばかりで日本人は見当たらなかった。ツアー客は観光バスで行くようだ。まもなくカツンバ駅で下車しタクシーでブルーマウンテンのエコーポイントまで15分ぐらいで到着した。帰りはTELしたら迎えに来ると言って名詞を渡されたのでもらっておく。エコーポイントから眺める眺望は青く霞がかかったようなブルーである。一面にユーカリの森が広がりその葉っぱから発散する樹脂らしい。ブルーマウンテンとはこのことなのかと納得する。目の前にはスリーシスターズと言われる三つの奇岩が聳えていた。_003 _006_1 がけの上を行く観光空中ロープウエー(高さ300メートル)に乗り断崖から流れ落ちる滝に虹がかかり幻想的な景色は今も目に浮かぶ。ユーカリの香りまでもが・・・・展望台にはおみやげ店やレストランがありお昼はそこで食べる。いろいろなオーストラリア料理がカウンターに並び自分の好きなものを何種類かプレートに取りレジでお金を払うシステムである。どれも比較的廉くおいしいかった。食後おみやげを買ってカツンバ駅までタクシイーで行きシドニー行きの列車に乗る。夕刻シドニー中央駅に下車すると同じ帰りの列車に乗っていた中年の日本人夫婦と出会い、話するうち夕食を一緒にしようと言うことになり、待ち合わせ場所をシドニータワーの入り口で、ということで別れる。約束の時間にシドニータワーの入_006_2 り口で、まてどくらせど待ち人来ず。一時間ぐらい待ったが待ち人来ず。後でわかったことであるが入口は何箇所もありお互いに違う入り口で待っていたのかなと思い残念な思いをした。知らない土地でデートするときははっきりとした場所を指定すべきであると後悔する。夕食後(シドニーブリッジを眺めながら日本食レストランですき焼きを食べる)明日は帰国するのでシドニーの夜の街をショッピングしながら散策する。おみやげに買ったタスマニアのレザーウッドの蜂蜜は気に入り今でも時々取り寄せて食べている。レザーウッドの木の花は咲くのに100年かかるらしい。翌朝9時ごろシドニーから空路成田へ入国手続き後大阪空港へ


旅の思い出(旅と写真その一)

2006-12-24 11:18:53 | 旅行記

昭和49年(36才時)初めて海外旅行をする。友人と二人で香港、シンガポール。マレーシア、フィリッピンのマニラへ行った。仕事を通じて知り合ったその時の友人とは今でも家族同士の交際が続いてている。若い頃はマージャン、玉突き、飲み歩きと一緒によく遊んだ。晩年はもっぱらゴルフである。その当時のシンガポールはイギリスから独立宣言(1963年)してまだ10年しかたってなく観光客も比較的少なかった。

今賑わいを見せるオーチャード通りも当時はまだ静かな町並みであった。

マレーシアでは不思議な出会いがあったのを思い出す。それは友人の親父さんとある観光地でバッタリ出会ったことである。別のツアーで来られていたのだが

マニラでは街を歩くと貧しい裸足の子供たちがお金の無心に付きまとわれた記憶がよみがえってくる。夜は戒厳令がしかれていた。街中をジプニーと言う乗り物が空き缶を沢山ぶらさげて騒々しい音を立てて走っていた。などが

街中の汚さや闘鶏場、サンチャゴの要塞などが目に浮かぶ。<frameset rows="80,*" border="0">
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旅の思い出(旅と写真)

2006-12-17 17:02:55 | 旅行記

平均寿命まであと10年余 光陰矢のごとしと言うけれど本当に今までがむしゃらに生きてきたように思う今日この頃である。人は生老病死の宿命の中、喜怒哀楽の人生を送っているが病気や苦しかった事よりこれからの余生を楽しかった事に思いをめぐらせながら、ふとアルバムを見ているとその当時の楽しかった事、人との出会い、その時々の情景や

その香りまでもがタイムスリップして来るようだ。

写真をみていると頭の中の古い記憶がよみがえってくる。特に楽しかった過去の旅した時の思い出日記を書こうと思う。ボケ防止に役立つかな?・・・・

どこまで記憶しているかな?
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パリの思い出

2006-12-10 09:46:05 | 旅行記

  数年前夫婦二人でヨーロッパを旅した時のチョットいやな思い出Tower03 <iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=ocnblog060c-22&o=9&p=13&l=ur1&category=books&banner=160AC4NJV4ENC5AEDY82&f=ifr" width="468" height="60" scrolling="no" border="0" marginwidth="0" style="border:none;" frameborder="0"></iframe>

その一

ロンドンからドーバー海峡を横断する(ユーロトンネル)ユーロスターに乗り、パリ北駅に着き、観光バスに乗り、市内観光に向かう途中、急にお腹の具合が悪くなり、添乗員にお願いし、バスを停車してもらSn2097200075_1い、近くのお店に飛び込んで、やむなきを得る。が、パリのトイレは有料になっており、ユーロの小銭のもち合わせが無くて困った。

ユーロスターの中で食べた昼食の弁当が悪かったか、昨夜ロンドンで飲み過ぎたせいなのか?トイレを済ませ一安心 バスに戻り乗客に平身低頭、初めてのパリは失敗からのスタートとなった。

その二

夕食後、パリ郊外のホテルからシャンゼリゼ通りを散策するため家内と二人でタクシーで出かけショッピングしたり食べたり飲んだりして夜遅くなり凱旋門から地下道を通って舗道へ出ようとして地下道の入り口へ来たところ門が閉まり通行出来なくなっていた。

よく見ると閉門時間は23時となっており、凱旋門への通路は凱旋門の真下からの地下道のみで困ってしまった。(凱旋門の周囲はロータリーの車道で車が絶えることなく走っていて横断出来ない)T235142a_1

しばらくすると、おまわりさんがパトロールに来たので、なんとかお願いして、門を開けてもらって、危機脱出 おまわりさんありがとう。パリに入って二つ目の失敗 パリは鬼門か?

その三

凱旋門の地下道を出てホテルへ帰るため、タクシーをひらおうとして手を上げるがだれもとまってくれない かなりの時間、手を上げてようやく一台のタクシーが止まってくれた。

後で分かったがパリではタクシー乗り場がきまっておりそれ以外で客を乗せると違反らしい。やっとの思いでタクシーに乗りホテルの名前を言うがアラブ系の運転手はノン ノン・・・とくりかえすばかりで知らないらしい  困った 困った どうしよう と妻は泣きべそ ところが強い味方がポケットから出てきた。夕方

ホテルを出るときにホテルのアドレスカードをもらっておいてので、それを見せて何とかホテルまで無事到着  パリの一日目はサンリイボーであった。夜中の1時であった。http://astore.amazon.co.jp/ocnblog060c-22


八方尾根ウオーク

2006-12-09 11:52:20 | 旅行記

2006.7.29~2泊3日の予定でいつものメンバー4人で(2夫婦)信州方面へドライブと八方尾根のトレッキングに出かけた。<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=ocnblog060c-22&o=9&p=13&l=ur1&category=software&banner=1WE6BBZ979NVFYAW9582&f=ifr" width="468" height="60" scrolling="no" border="0" marginwidth="0" style="border:none;" frameborder="0"></iframe>

一日目

自宅(滋賀県)をAM6時頃出発し名神、中央自動車道、長野自動車道、と高速を走り、途中恵那SAでバイキング朝食(こちら方面へ来たときはいつもここで朝食をとる。)

長野インターを降りて善光寺を見学する。善光寺は宗派を定めない寺として信仰が厚く毎年全国から600万人の観光客が訪れるらしい。善光寺の名は昔本田善光と言う人の名前から採ったとのことである。_007

その後善光寺に隣接する城山公園にある東山魁夷館を見学してから戸隠バードラインをドライブしながら約1時間で戸隠高原に着く。

丁度お昼であったので戸隠神社(中社)の近くで戸隠そばを食べたがおいしかった。

神社ではこの日はお祭りで、大変多くの人が集まっていた。_024_1 _029 _027 _018

戸隠は天岩戸伝説で有名な所であり、山岳信仰の修行の場である。

中社には樹齢800年と言われる有名な三本杉が聳えていた。鳥居を真ん中にして72メートルの正三角形に植えられている、とのこと理由がわからない。

戸隠高原を後にして今日の宿泊地である白馬村へ向かう。道すがら鬼無里の道の駅に寄ってチョット買い物 夕刻予約していた会員制のバンガローに到着 休憩後近くの温泉へ行く。白馬へはよく来るが近くに多くの温泉があり、毎年温泉を渡り歩くのも楽しみである。おびなたの湯、第一郷の湯、第二郷の湯、みみずくの湯,倉下の湯,岩岳の湯、エコーランドの湯etcたくさんありそ、れぞれ露天風呂もある。

夕食は持込のワインで今日一日の無事と健康に乾杯、ステーキがおいしかった。

二日目

早朝バンガ_068 _116 _158_1 _203_1

まもなく、標高2,120メートルの雲上の池 八方池に到着 池のほとりで 持参の弁当を食べていると、ときどき雲がはれて雲の切れ目に白馬岳、杓子岳、鑓岳が池に映り幻想的であった。午後早めに山を下り麓の温泉で身体を癒す。

三日目

朝食後白馬をあとに小谷村を通って糸魚川に出て、北陸自動車道に乗り魚津ICで高速を降りて埋没林博物館を_145見学する。2,000年前_136の木の根が展示されていた。

入館料 510円。埋没博物館に隣接する 海の駅蜃気楼 へ行く。ここにはレストランや魚屋、おみやげ店などがあり丁度昼時であったので食事する。ぜひ食べようと思っていた生の岩牡蠣と白エビがとてもおいしかった。一人が親子どんぶりを食べたがここではさけとイクラが入った親子どんぶりであった。なるほど海の町  納得

魚津から又高速に乗り徳光オアシスで小休止と買い物をして一路帰途につく。<frameset rows="80,*" border="0">
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ハウステンボスと長崎へ

2006-12-03 12:13:09 | 旅行記

2006.4.21から二泊三日で佐世保のテーマパークハウステンボスと長崎へ行く。バースデー割引のJAL航空券がとれたので(誕生日前後一週間の間に使用すればOK同行者四人まで使える)夫婦二人でAM8.00伊丹空港AM9.00長崎空港着バスでハウステンボスへ直行する。

ハウステンボスの入り口で宿泊予定のオフィシャルホテル(ホテルヨーロッパ)受けカウンターで手荷物を預ける。ハウステンボスはオランダ語で森の家という意味やそうです。

運河と水車のオランダの街を再現したテーマパークで、広大な敷地に色とりどりの花が咲き、ヨーロッパ風の建物が並びヨーロッパへ来たような雰囲気であった。_012 _069 _033

金曜日のことでもあり観光客は少なく、のんびりと散策できた。

夕刻運河を舟で遊覧、ホテルヨーロッパに着き、チェックインする。夕食後ロビーホールでバイオリンの生演奏によるコンサートがあり、ワインを飲みながらの、夜のひと時であった。<frameset rows="80,*" border="0">
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二日目

朝からパレスハウステンボスを見学、内部は美術館と展示室があり、国内最大のドーム壁画があり、オランダのアーチストが反戦と平和をテーマに作った高さ19メートル幅11メートルの国内最大のドーム壁画で圧倒さてた。

パレスハウステンボスの外観はオランダのベアトリクス女王居住の宮殿を再現したもので素晴らしい、宮殿の後ろにはオランダバロック式の美しい庭園がひろがていた。_162_1 _160

お昼はホテルへ帰り食事後ホテルのバスでJRハウステンボス駅の近くまで送ってもらい

長崎へと向かう。長崎駅着後すぐ長崎グランドホテルにチェックインし、夕食にはまだ早いので長崎の街をショッピングしながら散策していると、いたるところに 長崎さるく博 と書いた看板が目についたので、何の博覧会かと聞くと、長崎弁で さるく はぶらぶら歩くことを言う、とのことであった。長崎は開港以来(1,592年)ポルトガル、オランダ、中国(唐)の異文化が入り込んだ街として、町並みにもその不思議な雰囲気を感じる。_185   

長崎へ来たら必ず食べようと思っていた、卓袱(しっぽく)料理店の 浜勝 へ行き、早速卓袱料理に舌つつみをうち、地酒の熱燗で久し振りの長崎訪問に乾杯する。_183

卓袱料理浜勝は広くて素敵なお店であった。長崎に来たときはぜひとも、また寄りたいお店の一つである。

三日目

今日は路面電車に乗って、浦上天主堂下電停で下車(運賃は100円、一日券500円)そこから徒歩で浦上天主_192堂、グラバー園、オランダ坂,新中華街、出島記念館を見学する。

(グラバー園へ行くルートは二つあり浦上天主堂からグラバー第一ゲートから動く舗道

に乗っ_219て上るのと次の電停石橋で降りてグラバースカイロードを通りグラバー第二ゲートか上るルートがある。)

まず、国宝であり現存する日本最古の教会 浦上天主堂 を見学する。その後_209

グラバー園へ向かい、動く舗道を上ると素晴らしい眺望が開ける、長崎の街と長崎港が見わたせる。

お昼頃になり、グラバー園を出て、天主堂の前のカステラ店でおみやげを買い、宅急便で自宅へ送り、その近くの全日空ホテルのレストランで長崎名物 ちゃんぽん を食べる。

食後、オランダ坂方面へと歩く。オランダ坂はゆるい石畳の坂道で期待したほどでもなかった。そこから新中華街を通り(途中コーヒーブレークしながら)出島記念館を見学する。_247 _260

徳川時代外国人を隔離するため、扇形の人工島を作ったのが出島で、オランダ商館跡には一五分の一のノミニチュア復元作ってあった。

18.55長崎空港初19.55伊丹空港着

あとがき

 帰宅してカメラのレンズカバーがなくなっていたので、ハウステンボスで無くしたのかも 

 と思って、インターネットメールでホテルヨーロッパへ問い合わせたところ後日バスの中

 に落ちていた、と連絡あり受取人払いで送ってもらった。ホテルフロントに感謝します 。<frameset rows="80,*" border="0">
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沖縄へ

2006-12-01 20:44:35 | 旅行記

2006.2.4から夫婦二人で沖縄へ行く。朝伊丹空港より那覇空港に着いたときお昼頃であったので空港内のそば店で沖縄そうきそばをたべる。豚肉がとても柔らかく煮てあっておいしかった。食後空港前よりバスに乗り読谷村のホテル日航アリビラに入る。_174 _141 

アリビラはスペイン語のくつろぎ(アリ)別荘(ビラ)らしい。スパニッシュコロニアル風の素敵なホテルであった。近くには東シナ海に沈む夕日で有名な残波岬がある

二日目_162_144

朝ホテル周辺の海岸をウオークしていると岩場で青のりを採っているお年寄りにで出会う。はなしかけても意味があまり通じない言葉があり、とまどう

AM10.00頃個人タクシーにて東南植物楽園へ行く。運転手が次の観光地はどこかとたずねるので那覇の首里城へ行く予定と答えると今日は暇なので運賃は貸し切りにして廉くするから使ってくれとのことタクシーを待たせて植物園を散策する。東南植物楽園は広大な敷地に亜熱帯植物のヤシやハイビスカス、ブウゲンビリアなど色んな木や花が咲いていた。入園料は大人1.000円(ネットのクーポン券を印刷して持って行くと800円になる)_006 _002 _2051 _060

植物園をでて昼になったので運転手が良く知っているおいしい沖縄そばの店があるとのこと、その店に連れて行ってもらいそばを食べる。お客は地元の人ばかりでよくはやっていた。廉くておいしかった。

食後高速道を一路首里城へとむかう。高速道は走行車は少なく快適であった。

琉球王朝時代の栄華をほこった首里城を見学、ちょうどこの日は琉球舞踊のイベントが行われていて、その優雅さにうっとりする。_086 _099

首里城の見学を終えてホテルにチェックインし那覇の繁華街の国際通りを散策し、古酒泡盛専門店の古酒家で本場泡盛(8年古酒55%)を買い求めて宅急便で自宅へおくる。

この店には地下に試飲室があり希望の古酒を飲ませてくれる。約2,000種類の泡盛があるといっていたので驚く。タイ産のインデイカ米を原料とし黒麹で醗酵させて醸造し3年以上熟成させた泡盛を古酒といっているそうだ。

夕食は琉球料理の店 はてるま へ、この店は奥さんが沖縄最南端の島波照間出身とのこと波照間料理 ぐるくんの南蛮漬けや珍しい料理と泡盛で酔いしれてこの日宿泊するホテルグランドオーシャンに入る。

三日目

ホテルで朝食後チェックアウトしゆいレール(那覇空港から首里まで走っているモノレール)に乗って沖縄の免税店GFSギャラリアとアウトレットモールへショッピングに行く。

夕刻那覇空港より伊丹空港へ

三日目

モノレール ゆいレールにのり免税店DFSギャラリアとアウトレットモールへ買い物に行く。夕方那覇空港より伊丹空港へ<frameset rows="80,*" border="0">
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