2024年3月18日
ワクチンンレース
メレディス・ワッドマン 著
佐藤由樹子 訳
を読んでメモ (3)
このような業績にもかかわらず、ヘイフリックはノーベル賞をもらえなかった。
なぜかはわからない。私は、WI-38の所有権をめぐってアメリカ国立衛生研究所(NIH)と対立するなどのトラブルがあったためではないかと思う。
【経 緯】
1962年当初契約書
契約のもとで開発された成果物の所有権は、契約が終了した時点で(つまり1968年)
政府に譲渡される
1968年1月
受け渡しの計画では、ほぼすべてのアンプルが、NIHに(正確には代理管理のATCC
に)引き渡されることになっていた。
1968年 スタンフォード大学に転職するにあたってWI-38アンプルを持ち出す。
1974年3月 自身と妻のみを株主とするセル・アソシエイツを設立
1974年10月 メルク社とWI-38の売買契約
1975年 WI-38の所有権をめぐってNIHの調査が始まる
【結末に至る背景】
ジミー・カーター大統領は、助成金の恩恵を受ける科学者に権利を与えるという事は納税者がすでにその対価を支払い、したがって納税者が自由につかえるはずの発明を放棄することになると考えていた。当時の科学者も「生命体」に対して所有権があるとは考えていなかった。公益のために役立つことを願っていた。
1978年9月 上院議員のロバート・ドールとバーチ・バイが法案を提出した。それは、政府か
ら助成金を受けた発明について、非営利企業や中小企業、大学(大企業は除く)
が特許を申請した場合には一定の条件のもと所有権を与える、というバイ・ドー
ル法案。
1980年6月 ダイアモンド対チャクラバーティ裁判により生物にも特許が与えられた。そし
て、バイオテクノロジー産業は一気に花開いていった。
1980年12月 コーエンとボイヤーの革命的な遺伝子組み換え技術に対して最初の特許を発行
した。
1981年12月 カーター大統領がバイ・ドール法案に署名した。
1981年9月 (時代の背景もあり)政府とヘイクリックは和解した。
ワクチンンレース
メレディス・ワッドマン 著
佐藤由樹子 訳
を読んでメモ (3)
このような業績にもかかわらず、ヘイフリックはノーベル賞をもらえなかった。
なぜかはわからない。私は、WI-38の所有権をめぐってアメリカ国立衛生研究所(NIH)と対立するなどのトラブルがあったためではないかと思う。
【経 緯】
1962年当初契約書
契約のもとで開発された成果物の所有権は、契約が終了した時点で(つまり1968年)
政府に譲渡される
1968年1月
受け渡しの計画では、ほぼすべてのアンプルが、NIHに(正確には代理管理のATCC
に)引き渡されることになっていた。
1968年 スタンフォード大学に転職するにあたってWI-38アンプルを持ち出す。
1974年3月 自身と妻のみを株主とするセル・アソシエイツを設立
1974年10月 メルク社とWI-38の売買契約
1975年 WI-38の所有権をめぐってNIHの調査が始まる
【結末に至る背景】
ジミー・カーター大統領は、助成金の恩恵を受ける科学者に権利を与えるという事は納税者がすでにその対価を支払い、したがって納税者が自由につかえるはずの発明を放棄することになると考えていた。当時の科学者も「生命体」に対して所有権があるとは考えていなかった。公益のために役立つことを願っていた。
1978年9月 上院議員のロバート・ドールとバーチ・バイが法案を提出した。それは、政府か
ら助成金を受けた発明について、非営利企業や中小企業、大学(大企業は除く)
が特許を申請した場合には一定の条件のもと所有権を与える、というバイ・ドー
ル法案。
1980年6月 ダイアモンド対チャクラバーティ裁判により生物にも特許が与えられた。そし
て、バイオテクノロジー産業は一気に花開いていった。
1980年12月 コーエンとボイヤーの革命的な遺伝子組み換え技術に対して最初の特許を発行
した。
1981年12月 カーター大統領がバイ・ドール法案に署名した。
1981年9月 (時代の背景もあり)政府とヘイクリックは和解した。