つまがリズム

きままな、ひとりごと

反ワクチン運動の真実 を読んでメモ

2024年03月20日 | 読書感想
2024年3月20日(水)

反ワクチン運動の真実
 ポール・オフィット 著
 ナカイ サヤカ   訳
を、読んでメモ



  

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ワクチンンレース を読んでメモ(3)

2024年03月18日 | テレビ メモ
2024年3月18日
ワクチンンレース
 メレディス・ワッドマン 著
 佐藤由樹子 訳
を読んでメモ (3)

 このような業績にもかかわらず、ヘイフリックはノーベル賞をもらえなかった。
なぜかはわからない。私は、WI-38の所有権をめぐってアメリカ国立衛生研究所(NIH)と対立するなどのトラブルがあったためではないかと思う。
【経 緯】
 1962年当初契約書
   契約のもとで開発された成果物の所有権は、契約が終了した時点で(つまり1968年)
   政府に譲渡される
 1968年1月
   受け渡しの計画では、ほぼすべてのアンプルが、NIHに(正確には代理管理のATCC
   に)引き渡されることになっていた。
 1968年   スタンフォード大学に転職するにあたってWI-38アンプルを持ち出す。
 1974年3月 自身と妻のみを株主とするセル・アソシエイツを設立
 1974年10月 メルク社とWI-38の売買契約
 1975年   WI-38の所有権をめぐってNIHの調査が始まる

【結末に至る背景】
ジミー・カーター大統領は、助成金の恩恵を受ける科学者に権利を与えるという事は納税者がすでにその対価を支払い、したがって納税者が自由につかえるはずの発明を放棄することになると考えていた。当時の科学者も「生命体」に対して所有権があるとは考えていなかった。公益のために役立つことを願っていた。
 1978年9月 上院議員のロバート・ドールとバーチ・バイが法案を提出した。それは、政府か
ら助成金を受けた発明について、非営利企業や中小企業、大学(大企業は除く)
が特許を申請した場合には一定の条件のもと所有権を与える、というバイ・ドー
ル法案。
 1980年6月 ダイアモンド対チャクラバーティ裁判により生物にも特許が与えられた。そし
て、バイオテクノロジー産業は一気に花開いていった。
 1980年12月 コーエンとボイヤーの革命的な遺伝子組み換え技術に対して最初の特許を発行
        した。
 1981年12月 カーター大統領がバイ・ドール法案に署名した。
 1981年9月  (時代の背景もあり)政府とヘイクリックは和解した。


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ワクチンンレース を読んでメモ(2)

2024年03月18日 | 読書感想
2024年3月18日
ワクチンンレース
 メレディス・ワッドマン 著
 佐藤由樹子 訳
を読んでメモ (2)

ヘイフリックの業績
ウイスルに対抗するためのワクチンは、生ワクチンや不活化ワクチンのようにウイルスそのものを用いて作ることが多い。そして、ウイルスは細胞の中でしか生きていけない。では、その細胞はどのようにして調達されるか。
最初のころは、アヒル胎児細胞やサルの腎細胞などを使用していた。しかし、これらの動物の細胞には別のウイルスに感染し汚染されている可能性がある。感染検査はされるが、細胞の中に潜んでいて検査時には発症せず、時間の経過後に発症するものがあることがわかった(のちに“SV40”と名付けられる)。
そこで、レオナルド・ヘイフリックが確立したWI-38細胞が用いられるようになった。
 
ヘイフリックは1962年に中絶手術で死亡した胎児(女児)の肺の細胞を使用してワクチンに必要な細胞を開発した。細胞は分裂により莫大な数になる。WI-38はワクチン製造に使われ3憶人以上の人に投与された。ヘイフリックが開発した手法をまねて作られた同様の細胞群は』さらに60憶個分のワクチンン製造に使われた。これらのワクチンが風疹、狂犬病、水ぼうそう、麻疹、ポリオ、A型肝炎、帯状疱疹、アデノウイルスなどから人々を守った。アメリカでは今でもWI-38から作られたワクチンが使われている。
 


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ワクチンンレース を読んでメモ

2024年03月18日 | 読書感想
2024年3月18日
ワクチンンレース
 メレディス・ワッドマン 著
 佐藤由樹子 訳
を読んでメモ

 1960年代、何万という子供たちが先天性風疹症候群で苦しんでいた。
妊娠中に母親が風疹に罹ったことが原因だった。
1962年6月、フィラデルフィアのある若い生物学者が、安全なヒト細胞系の培養に成功した。
ワクチンを大量生産できる細胞だ。
 それから2年。風疹が大流行するさなか、彼の仲間がワクチンを開発した。
 開発にかかわった多士済々を鮮やかに描く医科学ノンフェクション。
     裏表紙 岩田健太郎教授の解説より






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映画、沖縄狂騒曲 をみた、その感想メモ(2)

2024年03月10日 | 日記
2024年3月10日(日)

映画、沖縄狂騒曲 をみた、その感想メモ(2)



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