すべては不徳のいたすところ。
最近ここ数年、年に何度かはこうブログに書いている。
たとえばこちら
実際、月に数度は口にする。「すみません、不徳のいたすところでして…」
他責ではなく自責。
人間関係で成長するためにはいい言葉。
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人間関係だけではない。
社会における批評的態度においても、「不徳のいたすところ」。
「徳」って言葉には、「力」って意味がある。
徳の英語のVirtueには、「力」って原義がある。
徳のある人、ほんとうに人徳のある人というのは、それなりに「力」がある。能力もある。能力がない人を人徳があるとは言わない。
と、私は受け取っている。
石破首相が情けない。国際会議の振る舞いとかを報道で見る限り、、
それを、「外交の素人だ!」「辞任せよ!」と批評するのは容易い。
しかし。
たやすい道に逃げない。常に辛い道を私は歩みたい。
不徳のいたすところ。
石破首相のような首相を生んだのは、選挙権を持つ全日本国民の責任。それが民主主義。
私のように、選挙権を持ち20年、被選挙権をもって25年も経つ人間が、政治や政治家を傍観者的に偉そうに上から目線で批判してはいけない。
それは美しい態度ではない。
もし私がすっごく力があって、孔子並みに人徳が並外れていれば、政治家になったりして、今の政治と政治家に、何らかの影響力を与えていたかもしれない。
石破首相があんな体たらくなのも、0.00000000何%かは、私のせい。自己責任。
政治におけるすべてに、0.00000000何%かの自己責任を感じる。
それが民主政における国民の態度だと思う。
当事者意識を持つ。他人事にしない。
だから私は、今の日本のすべての政治に、「私の不徳のいたすところ」という自責の念を抱いている。