羞恥心(Shame)と廉恥心(Sense of honor/dignity)の違い。
羞恥心は、外的・社会的。人に見られて恥ずかしいと思う気持ち。
廉恥心は、内的・道徳的。自分の良心や天・神に照らして考える。
新渡戸稲造は『武士道』で廉恥心を説いた。西郷隆盛も「天を相手にせよ」と言った。これは内的な廉恥心だ。
しかし、今は誰も廉恥心を口にしない。 外的な羞恥心ばかり。我々の道徳・倫理が「人からどう見られるか」にシフトしている。承認欲求にシフトしている。
12.5年間も監禁された戦後最大の犯罪被害者の後藤徹さんを、「引きこもり」「過失」呼ばわり鈴木エイト氏や紀藤正樹弁護士には、羞恥心はない。厚顔無恥だからこそ、40年近くもプロパガンダをして家庭連合を攻撃している。
でも人間だから廉恥心はあるだろう。
紀藤正樹弁護士よ。
恥を知れ、恥を。
※ 紀藤正樹弁護士は、12.5年も監禁された戦後最大の犯罪被害者後藤徹さんを、2014年に東京高裁が15度も「違法」と認めた「監禁」であることを十分に知りつつ、テレビで「民事では過失もありますから…」とお茶を濁した。
そのテレビ動画は こちら (本日現在で33万回再生)