川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

人間を越えようとするときに、人間的になる

2024年10月22日 | 経営・インテグリティ・エンゲージメント
執行草舟(しぎょうソウシュウ)さんがよく引用する、

人間以上のものたらんと欲するときだけ、人間は本来的な人間となる。




スペインの哲学者、ミゲール・デ・ウナムーノの言葉。

ぱっと見、意味不明ですが、以下のように、「限りなく上を目指すときに初めて人間らしい振る舞いができる」と私は解釈している。


普通の自分じゃない。
普通そこまでやらないだろ。
え、そこまでやるのか。

人間離れしている。
そんな振る舞いをするときに、初めて、人は、「人間らしい」humaneな、愛情深い、行動ができる。

巷に落ちている吸い殻を拾う。
そんな人は1000人に1人もいない。

でもそんな「人間離れ」したことをする1000人に1人だけが、ほんとうに「人間らしい」ことをしているのかもしれない。

マザー・テレサとか、シュヴァイツァーの方がいい例かな。
他国から、インドとかアフリカに行って、貧民支援をする。

人間離れしている。普通できない。あり得ない。
でも、そんな「人間離れ」した、あり得ない業績を残した者が、「人間らしい」振る舞いをしたとして、ノーベル平和賞を受賞した。

人間は、人間以上のものたらんと欲するときにだけ、本来的に人間になる。

人は、神に近づこうとするときに、人間的な振る舞いができる。
神に近づこうとして初めて、人は人間的な振る舞いができる。

私はこう解釈しています。


 ※ 「神」という言葉を使うと宗教チックで引いちゃう方もいらっしゃるかも。

 佐藤一斎が『言志四録』で「古今第一等」を目指せと解いたのも、西郷隆盛が「聖賢にならんとせぬは卑怯」と喝破したのも、これは天を相手にして「神に近づけ」という意味だと理解しています。

 ま、わかりやすく言えば、完全・完璧(インテグリティ)になれ、ってことですね。渋沢栄一はこれを「完(まった)き人」と表現していました。
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