狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

時間が人を左右するのではない……。人が時間を左右するのだ!!

2018年10月27日 23時34分18秒 | 職場に関する日記




 本日10月27日は、秋月の乱が起こった日で、日本の新左翼活動家である加藤三郎が東京都渋谷区東の神社本庁ビルを爆破した神社本庁爆破事件が起こった日で、イギリスの証券取引所が金融・証券制度の大改革を実施した日であります。

 本日の倉敷は晴れていましたよ。
 最高気温は二十度。最低気温は十四度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。



 本日も私は接客の合間に月末恒例の事務処理をしておりました。
 昨日の作業の続きであります。
 
 本日は午前中はばたばたと忙しくほとんど作業が出来ませんでした。
 午後からは「やばいじゃん。時間が足りひん。まぢげろやばいじゃん」と呟きながら作業をしていました。

 ふむ。私は切羽詰まるとアドレナリンをばりばりに出して集中してしまうので作業スピードは一気に上がります。
 この集中力を普段から発揮できれば良いのですが、切羽詰まらないとやる気がおきません。
 それに普段からこの集中力を発揮してばりばり仕事をすると、多分私は過労で死ぬ。
 必殺技は普段は隠しておく。ここぞという時に発揮してこその奥義であります。
 普段から発揮するとそれは必殺技にはなりません。
 或いは私を殺す必殺技になってしまいます。
 秘してこそ花でありますよ。
 予定日である今日で作業を終わらせたのだから無問題。

 明日からまた通常業務に戻ります。
 お仕事頑張ります。

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『蚤の王』/安彦良和

2018年10月27日 19時28分23秒 | 漫画・ゲームに関する日記




 昨日の夜は、安彦良和の漫画『蚤の王』を読み返していました。

 4世紀。垂仁天皇の時代。
 日向族と纏向出雲族が構成する大和の主流派は、大和に降伏して大和に仕え大和に移り住んだ出雲族の力を削ぐことに腐心していた。
 
 出雲族・初瀬の野見宿禰は、大王の命で同じく出雲族で当麻に暮らす当麻蹶速と大王の前で相撲の御前試合に臨むことになった。
 どちらかが死なないと試合が終わらない「片ヤ消シ」の試合。
 しかも負けたほうの一族は領地を奪われ追放される。
 さらに初瀬・出雲族は野見宿禰が負ければ王の陵に代々人柱を出さなくてはならないと大王から命じられていた。
 野見宿禰は初瀬・出雲族の為に当麻蹶速と闘うのだが、この御前試合には大王の思惑がひそんでいた。

 古事記を安彦良和が再解釈して多くの仮説・創作を盛り込み物語化を試みた『ナムジ』と『神武』の続編で、相撲の始祖とされる野見宿禰を主人公としたお話です。

 安彦良和の古事記を物語化した一連の作品は、考古学や歴史学を基に仮説を組み立てて物語化したもの。
 『神武』の中の神武の東征の解釈は面白いです。
 正しいかどうかは分からないけど物語なので面白ければOKです。




 この物語では、体術が否定され技術と心によって救われる展開となります。
 心・技・体。でもこの物語では描かれていませんが、野見宿禰の一族は後に菅原氏となり菅原道真を生み出して心・技・体を高いレベルで成立させたはずなのに没落します。
 心・技・体が揃ってもどうにも出来ないものがある。でもだからこそ人を殺せる技術を持つのなら心・技・体を揃えなければならないってことなのでしょうか? 
 何だか切ない。

 これは私の勝手な考えなんだけど、お相撲さんで一番強い人を神様扱いするのは人柱要員だったころの名残のように思えます。
 日本では偉い人や立派な人は神様にしないもの。
 生贄・人柱要員・責任を取らされる者・或いは禍々しきまつろわぬ者。無念の想いを抱えて死んだ者。神様にされるのはこんな人達ばかりですね。
 神様扱いしてやるからその代りきちんとしろというのはありえます。

 本邦では偉い人は神様にしない。
 偉い人を讃える為に神様にしない。
 だとするならば、生きながらにして神様とされることは本邦においては恐ろしいことなのだと思うのです。


 野見宿禰の一族が人柱の要員であったなら(葬送の儀式を司る一族ではあった)、お相撲さんの四股の意味は……。踏み固めていたものとは何なのでしょうか?
 恐ろしいことが思い浮かぶのですが……。




 話がずれちゃった。
 恩讐を乗り越えるにはどうすればよいのか? そんなお話であります。
 面白いですよ。
 楽しめました。

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何時でも何処でも勝負は自分の得意技で決めるものだ。たとえ相手がこちらの得意技を隅から隅まで調べ尽くしたとしても、なお得意技で押しに押す。それ以外に道はない。

2018年10月27日 16時21分35秒 | サッカーに関する日記






 明日はJ2は第39節の日。
 我らがファジアーノ岡山は、アウェのえがお健康スタジアムでロアッソ熊本様と対戦いたします。
 キックオフは15時です。



 ロアッソ熊本様は残留争いをしているチームなので明日の試合は怖いっす。
 熊本様にとってはホームの試合なので負けるわけにはいかないと気合が入っているはず。
 追い詰められているチームは怖いっすよ。

 ファジアーノはPO進出に関しては瀬戸際の位置にいます。
 明日は是非とも勝ちたいです。

 先手を取りましょう!
 そして粘り強く戦って勝ち点3を取ることに固執しましょう!

 明日は楽しい試合が観たいです。
 期待していますよ。



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理解なんてものは概ね願望に基づくものだ。

2018年10月27日 13時47分48秒 | その他の日記





 特異な経験をした人に取材をして情報を分析して正誤の裏を取り関係している人にも取材して情報を取捨選択をした上で情報を多くの人に届ける人がジャーナリストであって、特異な経験をして取材を受ける側の人だけの情報では断片的で個人的な情報でしかありません。
 その意味では件の人が発する情報は特異な経験をした人が持つ貴重な情報と言えますが極めて断片的な情報であり正誤が入り混じった情報でしかないのです。
 件の人が知らないことや知らさせていないことが山のようにあるのだけれども、件の人はそのことを一切知りえないのです。テロリストが人質に正直に真実を教えてくれるはずがない。件の人が真実だと思っていることも真実ではない可能性があるのです。

 件の人はジャーナリストと名乗っていますが、件の人が置かれた状況はど素人と同じ状況でしかなかったと言えます。
 ジャーナリストとしての仕事ができない状況だったのです。
 取材する側の人間が取材される側の人間になったということです。
 そうであるならば、件の人はジャーナリストではあるのですが件の件ではジャーナリストとしての情報発信は不可能であると言えます。
 自身が体験した特異な経験に関する情報を発することしかできないということになり、取材を受ける側であるとも言えます。
 それではジャーナリストとしての仕事とは言えないのです。



 さてさて、そんな件の人が発する極めて個人的で誰も確認が取れない(本人さえも事情を知らされていないことはたくさんあるはず)正誤が入り混じった情報を、精査し関係者に取材し多くの資料を集め多角的に情報を集めて件の人に何が起こりどのような状況にさらされて何故に解放されたのか? を解き明かすのがジャーナリストの仕事ということになります。
 日本のジャーナリストにそのようなことをする気になるのかどうかは私は知りません。
 一番簡単なのは、件の人に話を聞いてそれを垂れ流すことです。件の人を英雄扱いし件の人の語る言葉を真実だと勝手に決め込んで裏取りを一切せずに垂れ流すことです。
 そのような行為は、簡単ではあるのですが情報を精査する気は一切ないということになります。
 そして実際には何が起こったのか? という事実を解明する気は一切ないということになります。
 この件で事実を解明しようとするならば、危険が伴います。
 取材対象は危険な集団も当然含まれますし、取材地域も危険な地域が含まれます。
 高いリスクが伴う取材と情報を精査する高い知性が必要となります。



 さてさて、日本のジャーナリストと名乗る人達は、件の人が経験したことにどのように反応するのでしょう?
 事実を解明しようとする日本のジャーナリストは現れるのでしょうか?
 日本のジャーナリストはどうするのでしょうか?
 取材をする意思があるのならばそれは可能ですよ。
 当然、危険が伴いますが。
 優秀なジャーナリストであるならば、危険を危険と認識して危機的状況を回避しつつも危険な相手を取材することは可能なはずです。

 さてさて、日本のジャーナリストと呼ばれている人達は、どうします?
 事実を解明しますか?
 それとも事実の解明をせずに件の人が述べることの裏取りをせずに垂れ流しますか?
 どうします?



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