「悩む」ということは、
「考え方によっては、解決できる可能性がある」
ということでもあります。
それは、「運命の大波、あるいは「神々の試し」に対して
、どこまで耐えられるかを、
今、自分自身で確かめている」ということでもあるのです。
『心を癒す ストレス・フリーの幸福論』 P.152
「悩む」ということは、
「考え方によっては、解決できる可能性がある」
ということでもあります。
それは、「運命の大波、あるいは「神々の試し」に対して
、どこまで耐えられるかを、
今、自分自身で確かめている」ということでもあるのです。
『心を癒す ストレス・フリーの幸福論』 P.152
https://ryuho-okawa.org/info/2016/833/
私も基本的に、人を殺すことをよいことだとは思っていません。
しかし、例えば、「近くにある大国(中国)が、侵略の野心を持って、
近隣の国に対する侵略の準備をしている」ということが客観的事実として見えたら、
やはり、「ある程度防衛して、悪を犯させないようにする必要があるのではないか」と考えるタイプです。
なぜなら、そうしなければ、もっとひどい結果が来るからです。
安保法制に反対している人たちなどが、「平和主義」とか、「人命は尊い」とか、「戦争法案反対」とか、「立憲主義に違反してけしからん」とか、いろいろ言ってはデモ運動をしていたわけですが、その結果、どうなるのでしょうか。
それは、十倍、二十倍と、武装を進めて海洋進出を図ろうとしている国(中国)を有利にしたり、あるいは、勝手に海を埋め立てて飛行場をつくり、他国の侵略を狙っている国を助長したりしていくだけのことになるわけです。
そういうことであれば、必ずしも「平和主義」とは言えない でしょう。
幸福の科学 公式サイト https://happy-science.jp/whats-happy-science/