雨の鬱陶しい季節だが読者諸賢ご健勝か?
筆者も湿気を孕んだムッとした空気に辟易しているが、これもまあ、風物詩というやつだ。
梅雨の鬱陶しさがあるからこそカラッと晴れた日の気持ちよさがあるのさ、
と自分を納得させつつ今日も傘をさす私である。
さて、こんな季節には何を聴こうか?
アンニュイな天気に合わせてボッサあたりも悪くはないが、こういうときはやはり、サウンドだけでもカラッとしたやつが聴きたくなる。
(ボッサといえば、先日ボッサ界のレジェンドであるジョアン・ジルベルトの訃報が入った。享年88歳、大往生といっていいだろうが、やはりベテランの訃報は寂しいものだ。ご冥福をお祈りします)
というわけで!
今回は前回の予告通り、
名俳優にして、カントリー界のレジェンド!
クリス・クリストファーソンの……
ジャジャーン!
彼の1stアルバムである「Me and Bobby McGee」(1974年発売、来日記念国内盤……の帯つきプロモ盤!)である!
なぜわざわざ発売年を書いたかというと、そもそもこのアルバム、70年にリリースされた「Kristofferson」という1stアルバムのリネーム品なのだ(ジャケットとタイトル以外は同一内容)。
来日記念に再発するのは理解できるとして、なぜ、このタイトルにリネームされたのか?
そう、表題曲のタイトルに覚えのある方もおられよう。
この表題曲こそ、当アルバムに収録されたクリスの代表曲の一つであり、ジャニス・ジョプリンが遺作となったアルバム「パール」でカバーし、ビルボードシングルチャートのトップをとった曲なのである!
ジャニス版が大ヒットしたことも後押しし、リセールの際に表題曲として「Me and Bobby McGee」をプッシュした結果、このアルバムが発売された、というなりゆきである。
盤の内容なのだが……地味である。
……否、「滋味」である!
読者の皆はカントリーという音楽に対しどんなイメージがあるだろうか?
アコースティックギター、一本でハイロンサムに弾き語られるイメージか?
もしくはバンジョーやフィドルが軽快に鳴り響くウェスタン寄りのイメージか?
なんならテレキャスターやペダルスティールの名手達がメタルギタリストも裸足で逃げたくなるような速弾きを披露しているイメージか?
そう!カントリーという音楽は実は基本的に派手な音楽なのである!
ところがどっこい、このアルバムでのクリスは声を張ることもないし、バンジョーやフィドルが軽快に鳴るわけでもない。
まして、エレキやスティールの速弾きなんぞもってのほか、基本的にはクリスのアコースティックギターと朴訥な歌を中心に、ときおり、バンドサウンドがうっすらと顔を出すという、かなり抑えたサウンドだ。
だが、実はこの地味さこそが彼がカントリー界のレジェンドとなった重要な要素だった。
先述のとおり、カントリーミュージックというのは基本的には派手な音楽だ。
燻し銀の渋さを武器にしたジョニー・キャッシュとて、見方によっては派手なのだ。
そんな業界にぽつんと現れたこの地味なソングライター(クリスは元々裏方志望で、自分で歌う気はなかったらしい)の1stアルバムはカントリー界に新風を吹き込んだ。
朴訥に歌われる歌の中にはそれまでのカントリーには少なかった内省的なテーマが含まれていた。
抑え目のサウンド・プロダクトは派手にプレイせずともカントリーミュージックができることを証明した。
そして何よりもこの地味なソングライターは地味なようできちんとカントリーらしい派手さ、「華」を内包していた(じゃなきゃ映画スターにはなれない、ね(笑))。
まさに華の色を地味に抑え、滋味まで昇華したのがクリスのレジェンドたる所以なのである。
最後に表題曲の「Me and Bobby McGee」にも触れよう。
この曲はソングライターとしてデビューする為に家庭を顧みなかったクリスに対して愛想を尽かせた奥さんが子供と共に出て行ってしまい、さらには仕事(ヘリパイロット)までクビにされた時に作られた曲だそうだ。
サビに出てくる
「自由ってのは言い換えれば失うものが何もないってこと。価値のあるものなんか何ももってない、それが自由」
というフレーズはまさに当時のクリスの心境をダイレクトに吐き出したものだろう。
このフレーズだけでもいい曲だなぁ、と思うのだが、今回歌詞を読んでいてどうにも引っかかる部分があった。
それは曲の最後半「I left her slip away(私は彼女と静かに別れた)」という部分である。
「Bobby」という名前は基本的に男性名のはずだ(女性の場合はBobbie、もしくはBobbiになる)。そしてこの曲は「私とBobby」についての歌だ。
なので、当初、私は女性名の綴りをあえて「Bobby」と書いているのかと考えた。
だが、ジャニス版を聴きなおすとまた違う感想が出てきた。
ジャニス版では「I let him slip away(彼は私から静かに去っていた)」と歌詞が変わっているのだが、こっちの方がしっくりくる。
というのも曲中でボビーがとっている行動が男っぽいのだ。
もちろんそこらの男より男気のある女性はいくらでもいるし、逆もまたしかりだが、歌詞の解釈がどうもしっくりこない。
そこで私はこう考えた。
もしや、この曲、隠喩的なゲイソングなのでは?
そう考えるとなんだか合点がいくのである。
女房子供に逃げられ、ぼろぼろになりながらボビーと旅をする「私」。
ボビーが「自由ってのはなにもないってことさ」と歌えば、それで幸せだと思う「私」。
だが、ボビーはホーム(家族の隠喩か?)を求め、「私」から去っていく。
それを止めるのでもなく、ボビーにホームが見つかることを願う「私」。
そして去っていったボビーを想い、「あの時、ボビーを抱きしめていたなら……」とつぶやく「私」。
うーん、やっぱりそんな気がする。そして、クリスは意図的にこれを書いているように思う。
カントリーファンが多い地域では思想的に保守層が多いと聞く。そしてアメリカの保守層ではゲイは差別の対象となりがちである。
既存のカントリーらしさに新風を吹き込んだクリスのことだ、歌詞に解釈の隙間を作り、こっそりと問題定義をしたのではなかろうか。
そして、これも想像に過ぎないが、ジャニスがこの曲をカバーしたのもそういうところに惹かれるものがあったのではなかろうか。
心にブルースを飼いこんだジャニスのことだから、この曲がもっている「差別への反抗」の気配を感じたんじゃないだろうか。
……もうただの妄想の羅列のようになってきたが(苦笑)、それくらい深読みできる名曲なのである。
その素晴らしさはこの曲がスタンダードナンバーとなっていることからも分かるだろう。
(クリス版とジャニス版は当然素晴らしいし、ジョニーやウィリーといったカントリー仲間、他にもグレイトフル・デッド、ロレッタ・リンなど、カバーしたミュージシャンは山ほどいる。本当に皆に愛された名曲なのだ)
梅雨の続くアンニュイな日々、派手にカラリとした盤もいいが、こういう静かな名盤に耳を研ぎ澄ませるのもまたよし。
あなたも是非、如何?
ハウリンメガネでした!