読者諸賢、ごきげんよう。
ハウリンメガネである。
今回も先月に引き続き、
デヴィッド・クロスビー追悼の意を込めた、
ザ・バーズ史振り返りの続きである……のだが、
今回はバーズ崩壊後の話であり、
クロスビーとは少し離れた話となる旨、ご了承頂きたい。
さて、前回はバーズ、サイケデリック時代の傑作、
「霧の五次元」
「昨日よりも若く」
を取り上げた訳だが、
この後、バーズ内の軋轢は高まっていき、
「昨日より若く」の次作、
「名うてのバード兄弟」
のレコーディングでその軋轢は頂点に達し、とうとう
デヴィッド・クロスビー(g、vo)、
マイケル・クラーク(dr)
の2名がバンドから去ることと相なった。
以降、バーズは主柱であるロジャー・マッギン以外、幾度もメンバーチェンジを繰り返していくことになるのだが、その最初のアルバムとなったのが名盤として名高い「ロデオの恋人」。
ギターにグラム・パーソンズを迎え、現在に至るもカントリーロックの名盤として名高い「ロデオの恋人」……なのだが、個人的には正直好みではない。良作であることは否定しないが……どうにも中途半端な気がするのである。
バーズらしいアルバムか、と問われるとバーズらしさは一番低いように思うし、カントリーロックの名盤としてイの一番に名前を挙げるか、と問われると、いや、それなら「ロデオの恋人」同様グラム・パーソンズとクリス・ヒルマンがやっていたフライング・ブリトー・ブラザーズの「黄金の城」の方が……となってしまう。はっきり言えば、「ロデオの恋人」がバーズの代表作として扱われること自体がズレていると思っているのだ、私は。
そういう立場からいうと、この時期のバーズのアルバムであれば、やはり、グラム・パーソンズ以降、つまり、ギタリストにクラレンス・ホワイトが参加してからのアルバムを推したいのが人情というもの。
その中でも私的にベストと思っているのが、冒頭写真の2枚組アルバム、「アンタイトルド」(70年作)なのである。
この「アンタイトルド」、1枚目に当時のライブ録音を、2枚目にスタジオ録音を収録しているのだが、どちらも大変よろしい。
1枚目はこの時期のメンバー、ロジャー・マッギン(g、vo)、クラレンス・ホワイト(g、vo)、スキップ・バッティン(b、vo)、ジーン・パーソンズ(dr、vo)による充実したライブパフォーマンスをしっかり収録している。
ロジャーのボブを彷彿とさせる吐き捨てるような歌い方は堂に入っているし、クラレンス・ホワイトのギターもカントリーフレーバーとバーズらしいビートリーさを場面場面で差し引きし、エモーショナル、かつ、クールにキメてくる。
バッティンとパーソンズのリズム隊も太い音でグイグイと全体を牽引。特にB1、霧の8マイルでのリズム隊のみでのセッションパートではベースとドラムだけで一切退屈のない素晴らしいグルーヴを聴かせてくれる。
2枚目のスタジオ録音もロジャー、バッティング、パーソンズの3人による味の異なるそれぞれの曲と、ホワイトのアーシーかつロッキンなギターがいい塩梅で融合しており、バーズ=ビートルズに憧れたアメリカのルーツミュージシャン、という構図がきちんと成立しているのである(さらにいうならばこの2枚目の曲はAOR的なクールネスがあり、個人的にはバーズらしく、かつアーバンなトーンをもった傑作だと思うのだが如何だろうか)。
繰り返しになるが、「ロデオの恋人」はバーズの代表作というより、グラム・パーソンズのアルバムである。
後期バーズの代表作としてはやはりこちらの「アンタイトルド」の方が、バーズというバンドの"らしさ"が伝わりやすいように思うのだが、なぜかこっちは見逃されがちだ。
これはやはり音楽雑誌等で繰り返し「バーズ=ロデオの恋人」という構図が刷り込まれてきたことの弊害だと筆者は考える。
読者諸賢、どうか一度頭の刷り込みを排除して「アンタイトルド」を聴いてみてほしい。絶対にこっちの方がバーズらしい名盤だから。
ということで次回、ザ・バーズ、その終焉ということで彼らのラストアルバムとソロ周辺を洗ってみようと思う。乞うご期待!
じゃまた!